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54:2013年3月20日

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2013年3月20日(水)13時00分

 この年度末は、例年より学内が騒がしい事態となったこともあり、臨時教授会が開催された。
 教授会と言っても、審議事項があるわけではなく、報告事項のみである。
 教職員への連絡メールには、「非常に短時間で終わる予定です」との添え書きもあった。

 1号館2階大会議室。
 議長である河内寛がにこやかに挨拶をする。
「それでは皆様、お忙しいなか大変申し訳ございませんでしたが、臨時教授会を始めたいと思います。手短に終わりたいと思いますので、ご協力いただけますと幸いです。まずは先日の学長選挙で、見事当選されました、岩崎学長よりご挨拶です」

 大きな拍手の中、岩崎信吾がその場で立ち上がった。
「ありがとうございます。河内先生もありがとうございます。ただ、河内先生、あの、私は当選したわけではなくてですね、信任投票でしたので、皆様からの信任を得られた、ということですので、ええ、当選じゃあないですよ」
 そう言って笑った。
 場内でも笑い声が聞こえる。
「はい。そういうわけでございまして。先日より学長に就任しました、岩崎信吾でございます。もし、私の名前を知らない方がおられましたら、この機会に覚えておいていただけると幸いです」再び笑い声が広がる。「ええー、このたび、イレギュラーな形で学長代行を務めさせていただきまして、そのまま皆様から学長への信任をいただいたわけですが。私としましては、学生第一の教育を貫く大学を、本当に実現すること、それが目標ですし、学長として本学をそのような形へと導くことが使命だと思っておりまして・・・」

 3分ほどのスピーチだった。
 岩崎のスピーチが終わると、続いて理事長の田之浦が立つ。
 河内が紹介するところの「理事長からのエール」として挨拶があった。

 最後に河内が言う。
「はい。そういうわけでございまして、これからの青葉大学は、大きく生まれ変わる予感がヒシヒシと伝わってきますねぇ。しかしっ、青葉大学が生まれ変わるためには、岩崎学長だけの力では不可能であります。是非とも、皆様のお力添えをということで、来年度からもよろしくお願いしたいところですし、まずは、無事に来月の入学式を、というところですね」
 河内はそう言って岩崎のほうへ向けて礼をした。
 岩崎もそれに応じて礼をする。

「では、教授会を始めさせていただきます。えー、審議事項はございません。報告事項のみです。まずは、新学長の就任について、これは先程の岩崎学長のことです。これは先程の岩崎学長からの挨拶をもって済ということでよろしいでしょうか。では、2つ目ですが、ウェルフェアプロデュース学科准教授で、学科長だった藤堂先生の諭旨解雇、いわゆる諭旨免職処分についてです。えーと、これについては、まずはウェルフェアプロデュース学科・学科長代行の増田先生ですかね? 増田先生、よろしくお願いします」

 増田信吾が席から立ち上がり、会議室内全体に深々と礼をする。
 そして、ウェルフェアプロデュース学科における不祥事について、とても丁寧な、それはそれは丁寧な言葉で重々しく謝罪した。
「・・・というわけでございまして、今後、このようなことが発生しないよう、学科をあげて問題解決に取り組む所存です。では、まずはそういうことで、河内先生」と言って議長・河内の方を向く。

「増田先生、ありがとうございました。では、今回の藤堂先生の解雇につきまして、その経緯を事務局長の菅原さんより説明がございますので・・・、菅原さん、宜しいですか」

 事務局長の菅原は小さく返事をして席から立ち、極めて事務的な口調で藤堂道雄の解雇について説明した。
 とてもシンプルな構成の説明だった。
 最初に、藤堂と大学とのやり取りについて、日時を示しながら解説。
 続いて、藤堂を諭旨解雇させるに至ったポイントを解説した。

 その理由とは次のことだった。
 まず、直接的な要因は学生へのパワハラ・脅迫である。
 学生間でSNSによる拡散まで発展し、また、藤堂の脅迫行為の証拠もおさえられている点が大きい。
 そして、このパワハラ・脅迫事件を引き起こした卒業認定および単位取得状況や就職先等といった学生の個人情報の漏洩である。

 これに付随して、藤堂道雄准教授の度重なる教員としての不適格な行為があげられた。
 学生募集における杜撰な約束の取り付け、課外活動における杜撰な予算管理および不透明な支出状況、授業や学生指導における杜撰な振る舞い、といったことが説明に入っていた。
 これらを総合的に判断し、藤堂道雄の解雇という決定に至ったという。

 河内が質問を受け付けると、2人の教員から手があがった。
 一人は「なぜ懲戒免職ではなく諭旨免職なのか?」ということ、もう一人は「ボイスレコーダーに証拠機能があるのか?」ということだった。

 それぞれ、事務局長の菅原が事務的に回答した。


13時50分。

 永山義春の研究室で、永山と橿原一如と穂積里香の3人が鼎談している。

 永山はサイフォン式でコーヒーを淹れることにした。
 フラスコの湯がそろそろ沸騰してきたところだった。

「橿原君、さっきの大学の説明だとさ、ここ最近の藤堂は、まさに鬼神の如き活躍をしていたってことだよね」

「そうですね。大学としても、これ以上見過ごせないって感じだったんでしょう。そういう意味で、ちょっとはマトモなところが残ってたわけですよね」

「いやー、それよりさ、穂積先生。穂積先生でしょ? あのボイスレコーダーっていうの。あれ、凄いよね。まさにタイムリーなアイテムだったんだよね」

 穂積はスマホをいじっていたが、永山の方を向いて応える。
「そうなんですよ。自分でも、これはラッキーって思いました。でも、まさかここまで活躍してくれるとは思ってなかったですよ。どっちかっていうと、藤堂先生を追い詰めるための証拠というより、自分の身を守る意識が強かったですからね。使い道がなかったら、自分の研究のためのインタビュー調査用にしようかと思ってましたし」

 永山はビーカーにコーヒーの粉を入れ、竹ベラで撹拌しながら言う。
「それにしても、この1年は大炎上の年だったね。まず、よく分からないオバサンが辞めさせられたでしょ。そして兵藤先生が学長をクビになったでしょ。次に清水先生が追い出されたでしょ。で、最後に藤堂が消されたでしょ。それに付随して、いろんなことがあったよね。ハラスメントだらけで、それらの裏に暗躍してる奴らがいっぱいいるんだよね。もうさ、誰が味方で誰が敵なのかわかんないよね」

 穂積がニヤけながら言う。
「そう言えば水本先生ですけど、兵藤先生が学長をクビになってから、早速、田之浦理事長の派閥に入り込んでるみたいですよ。自分自身がマネジメントの専門家だからってことで、ドラッカー研究の仲間として、ゴマ擦りまくってるみたいです」

 永山はコーヒーの撹拌を一瞬止めて穂積の方を向く。
「えぇ! やっぱりそうなるんだ。あの男もとことん腐ってるよね。長い物に巻かれたい典型だよね。もうそのゴマ擦りさぁ、高速電動ミル状態だよね。ガンガン爆音をたてて、完全にドロドロになるほどゴマが擦れちゃってるんじゃない?」

 そうこうするうち、フラスコへコーヒーが落ちてきた。
 永山はそのコーヒーを3つのカップに注ぐ。

 橿原はカップを受け取りながら言う。
「ちょっと気になるのは、僕らはどうして大丈夫だったんでしょうかね? 兵藤学長のグループとして、理事長派閥に対するレジスタンス活動をしていた一員ですよね。結構な勢いでスルーされてません?」

 永山はコーヒーを一口飲んだ。
「別に、学長派閥だったからって、それだけで消されるわけじゃないんでしょ。清水先生と藤堂にしたって、本来的に本人に問題があったんだし。結局、普通に大学教員として波風立たずに仕事できる人であれば、放置してくれるんじゃない?」

「でも永山さん、僕は今年契約更新できたからいいんですけど。葛西先生って覚えてます? あの温泉に来てた人」

「ん? あ、あぁ、ライオネス飛鳥みたいな人だよね」

「そうです、あの神取忍みたいな人。あの人、3年連続で授業評価トップなのに、今年で契約終了みたいです」

「え? そうなの? どっか別の大学に決まったんじゃないの?」

「違いました。先週の卒業式のときに本人とお会いして聞いてみたんですけど、来月からまた無職になっちゃうから、非常勤講師で食いつなぐんだって言ってましたよ」

「えぇ!? なんでまた」

 穂積がそれに答える。
「兵藤先生が連れてきた人だからじゃないですか。それ以外に考えられないですよ。だって、全く問題ない人だったし、どっちかって言うと、極めて優秀な人だったじゃないですか」

「そうだよ。だってさ、この大学は授業の質を高めることと、学生からの評価の向上を、理事長自らが経営理念として掲げてるんだよ。その精神が形となったような先生を、派閥が違うからってバッサリ切り捨てちゃうわけ? はあっ!? それってなんなんのさ。どう考えても納得できないよね」
 永山は真顔で怒っている。

 橿原は笑いながら言う。
「そもそも、学長派閥って派閥じゃなかったですしね。単なるお友達、スイーツの会でした。ママ友より低次だったと思います。むしろママ友の方が、なんぼか怖い勢力ですよ」

 永山は何か思い出したような素振りで腕組みをする。
「じゃあさ、他のスイーツの会の人たちって大丈夫なのかなぁ。水本先生は、ドラッカーで理事長にゴマ擦りまくってるんでしょ?」

 穂積がコーヒーを飲みながら言う。
「でも、理事長としては水本先生を遠ざけてるみたいですね。だって、元学長派閥だから。そのあたりのことは、理事長は既に調査済みですよ」

 永山は続ける。
「じゃあさ、中村さんも温泉旅行に来てたよね。あの人って大丈夫なのかな?」



 臨時教授会を終え、学長室には岩崎信吾がいた。
 岩崎は意味もなく学長席に座って、爪を切っている。
 やはりここに座れることは嬉しいようだ。

 その学長室のドアがノックされる。
「どうぞ」と岩崎信吾は声に出した。

「失礼します。よろしいでしょうか」
 そう言って中村奈々未が入ってきた。

 岩崎は「ああ、君か。まま、そこに座ってよ」と言って、応接用のソファを指差す。

「ありがとうございます。失礼します」
 中村はソファに腰掛けた。

 岩崎は満面の笑みで学長席から立ち上がり、デスクをまわって中村の前のソファに腰掛けた。
「いやぁー、どうも。では、奈々未ちゃん、これから宜しくお願いしますよ」

「はい、初めてのことなので、いろいろとご迷惑おかけするかと思いますが、なんとか岩崎学長のお力になれればと思います。宜しくお願いします」



「はぁっ!? 中村さんが学長秘書!?」
 永山は驚きを隠せない。

「はい、そうですよ。中村さんはそういう人だ、って永山さんも散々ネタにしてたじゃないですか。あの歳で、凄い出世ですよね。でも、もともと仕事はできますから。あとはあの妖艶さですよね。えぇーとぉ、なんでしたっけ、お二人が言ってたやつ」

 橿原が答えた。
「ムスクですかね」

「そう、それです。ムスク。中村さんのムスクは強烈だって言ってましたよね。たしかに、理事長秘書の土居さん並に、50万ムスクくらいあるのかもしれません。あの岩崎学長のことですから、マジでベンツとか買ってあげるんじゃないですか」

 永山は頭に手を当てながらも、ちょっと落ち着きを取り戻しながら言う
「いや、ベンツじゃなくてアルファ・ロメオです」

「もしくはジャガー」と橿原。

「お二人とも、中村さんには気に入られてたんじゃないですか? だから理事長から何も粛清がないんですよ。温泉では、お部屋で3人で一緒に飲んだんですよね」

「え? 中村さんに気に入られたら、何かいいことあるの?」と永山はわざとらしく首をかしげながら尋ねる。

「そりゃあ、中村さんは理事長派閥のくノ一ですから」

「え!?」と二人同時に声を出す。

「はい、くノ一です。忍者の。知ってますよね。スパイ。あの子、理事長派閥では有名なスパイですよ。それも非常に優秀な。これ、ここだけの話ですけど、中村さんが岩崎学長の秘書になったのも、セクハラで危なっかしい岩崎先生を監視したり、コントロールするためです。中村さんをそばに置いとけば、中村さんにしか手を出さないでしょうから」

 永山は額に手を当てた。
「なにそれ。理事長派閥って学長をコントロールできるの? 30歳の女の子を使って? あぁー、昔を思い出しちゃった。そういう女性のこと、ターミーネーチャンっていうんだよ」

 橿原は笑いながら聞く。
「なんですかそのターミーネーチャンっていうの」

「理事長の命令を受けて、標的を冷酷に処分する女性秘書のことだよ。俺が前にいた大学では、ターミーネーチャンの襲来を恐れて、皆で協力してディフェンスしてたね。さながら、毎週金曜の教授会は、審判の日だったよ」
 永山はそう言った後、穂積に向かって言う。
「ところでさ、穂積先生、やけにそのあたりの事情に詳しいよね」

 穂積はコーヒーを一口すすり、「永山先生、橿原先生。参考までに教えておいてあげますよ」と、どこぞの宇宙の帝王のようなことを言う。

「私のムスクは53万です」