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残る大学でありたい

今回取り上げるのは諸星裕 著『消える大学残る大学』です.
今年から大学人である私としても,「大学とは?」ということについて見識を持っておかないといけないので拝読してみました.

実際,消えそうな大学の一角を担っている本学としては非常にタイムリーな内容ですので,興味深く,そして危機感を持って読むことが出来た一冊です.
同意見の部分もたくさんありましたし,参考になった大学改革のアイデアも拾うことが出来ました.

著者は「“大学は教育機関であり,最大の受益者は学生”というスタンスを持つことが重要」という主張です.
当たり前のようですが,意外とできていないのが大学という組織でもあります.

著者も桜美林大学の教員でもあり,大学教員になってみて一層わかる共有部分も汲み取れます.

その一つが,「大学や教員,授業やカリキュラムといったものの評価が曖昧」というものです.
最近は文部科学省とか大学自身が,大学や教員,そして授業なんかを「評価する」と気合いが入っていますが,何をもって良い大学なのか?良い教員なのか?良い授業とはどんな授業か?が全く不明なままに“評価”している現実があります.

文部科学省に至っては「定員割れ,及び定員オーバーしていない大学」が良い大学,「学生アンケートの結果が良い授業」が良い授業,という笑えない冗談を本気で言っています.
これの何がふざけているかというと,自分たちは何一つ仕事をしていないとことです.
「あなたの大学はこういう大学を目指しているのだから,こういう授業を計画して,こういうスキルを身につけているかを調べますよ」というような査定はしません.面倒ですからね.

はっきり言って,大学運営に文部科学省はいらないんです.
足かせにしかなっていないんですよ.実際は.
でも,「オラが仕切っているんだ」という,つまらないプライドを示したい文部科学省としては,手放したくない仕事の一つでもあります.
かと言って,本気で足をつっこむの嫌だから適当にそれっぽく仕事してるように見せときたい,という思惑なのです.

そんなバカな!と思われるかもしれませんが,これはウソではありません.
アホらしいですが,何の評価基準も持たずに評価っぽいことをしているだけですし,基準があったとしても根拠が無く適当です.

で,そうした「なんちゃって大学改革」によって発生するのが教員の気持ち悪い “自己アピール”と,果ては教員同士による “足の引っぱり合い” です.

著者も述べているように,「この大学を卒業する時にはこういう人間になっていることを保証する」という大学の使命(ミッション)を明確に持っていないからこういう自体になるのです.
これは大学設立の理念とか校訓みたいなものではなく,その時代に合わせて可変するものです.
いわば,プロ野球の監督とかがシーズン前に「今年は “守って勝つ” ですね」などとインタビューに答えているヤツに似ています.
つまり,チームのコンセプトを明確に打ち出すことです.

同様に,大学の使命も明確にしておくことで,評価基準も場当たり的なものではなくなります.
今いる学生がどう反応しているか?ではなく,卒業して行く学生がどのような人間になっているか?で評価することができます.
教員の評価も,大学使命にどれだけ沿った活動を展開しているか?で評価するようにすれば,その場しのぎの世渡り上手や,自分のやりたいことだけやってる教員が甘い汁を吸うこともなくなります.

また,著者いわく欧米では,学生に大学を評価する技術を磨く授業もあるのだそうで.
学生には大学の使命を叩き込み,それに則した教育ができているか?をちゃんと評価できるようにすること.それがどれだけ学生自身にとっても重要なことかを教え込むのだそうですよ.

こうして初めて各大学に個性が生まれ,ブランド・有名大学というだけで受験(果ては浪人)することがなくなります.
受験者は,自分に合った大学はどこか?その分野で実績があるのはどの大学か?受けたいカリキュラムはどれか?といった選択ができるのです.


著者の考えは欧米の大学における理想的過ぎる部分をたくさん含んでいますが,いずれ日本の大学も追随していかなければならないものです.
本学ではどこから手を付けていけばいいでしょうか,考えものです.
せっかくお世話になっている大学ですから,残る大学でありたいですからね.