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マスコミの無恥

観測史上最大規模の地震が日本を襲いました. 被災された方々にお見舞い申し上げます. 私はというと,地震が起きて間もなく,大学の用事で先日まで中国・上海に滞在しておりました. あの原発事故により次の瞬間にはどうなることかと日本中が緊張感に包まれる中,関西空港から日本をあとにしたわけです. 日本にいる外国人に帰国指示が出始めた時期でもあって,関空の国際線はごった返しており,手荷物検査とか出国手続きなんかに時間がかかりました. 「やべぇ,搭乗に間に合わないかも」と焦ったりもしましたけど,なんのことはない,ほとんど全ての便が遅れて出ている状況です. さて, 今回の地震でもっともイライラしたのは,東京電力でも民主党でもなく,やっぱりマスコミでした. 「どうせこんなことになるだろう」とは思っていましたけど,いざそれを目の当たりにするとウンザリします. 一言でいえば,マスコミの無恥です.無知でもあり無恥なのです. 東京電力とか官邸の会見がそれを象徴しています. 地震や非常事態,原子力発電に関する勉強もせず会見に挑み,余計な事言うわりに肝心なことを聞かず,極めて非建設的な会見をしています. あれじゃ記者じゃなくてクレーマーではないですか. ちょっと調べりゃ中学生でもわかることを,東電職員とか大臣にいちいち聴くまどろっこしさ. まどろっこしいだけなら “バカだなぁ” で済むんだけど,そこからやれ「説明が明確でない」だの「ちゃんと応えろ」だの文句言い出すんだから始末に終えません. 記者達としては,「重大な内容だから,正確な事を担当者である職員とか大臣から聞いているんだもん」という建前でいるんでしょうけど,そんな仕事なら素人でもできるっつうの. 「爆発が起きましたが,どうなっているんですか?」 「放射線量が2000μSvということですが,どのような影響があるんですか?」 あのね.., 担当記者なら調べとけっての. 先生に質問する小学生のごとく,幼稚で単純な回答を求める記者たち. つまりこういうことだと思うんです. 「我々記者は非常事態や原発事故のことを知らない素人である “国民を代表” しているのだ.不安を抱える “我々” を安心させる回答を用意しろ」 とね. 本来なら “報道の専門家集団” であるはずの人たちが,国民の代表という立場を利用して,“素人である国民” の側に立って,いつの間

クラウド生活はじめました

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この何年か ― クラウド ― という言葉を目にすることが多くなり,ちょっとは気になっていたものの,なんだかんだと保守的な私は手を出さずにいました. 「クラウド」ってのは,ネット上にデータやらファイルやらを保存し,さまざまな端末でそれを利用するって寸法のシステムです. これまでのようにUSBとか外付HDDを持ち歩かなくても大丈夫というのがウリです. 保守的な上に短気でせっかちな私としては,モバイル端末での操作やワイヤレスLANをつかったネット閲覧がどうしても反りに合わず,精神衛生上の理由から利用を差し控えていたのです. やっぱ反応が良くって操作性がいいUSBとか外付HDDのほうが良かったのです(というか,今も場合によっては使っています). 携帯電話で仕事するってのもイライラがたまって仕方なかったですし. が, 昨年(4月)から携帯電話をXperiaに替えたこともあって,クラウドがぐっと身近になりました. 今ではスケジュール管理やら仕事やらをこれ1台で済ますようになり,なくてはならないツールの一つになっています. それに,クラウド利用者が多くなってきたこともあってフィードバックがかかって新規利用の敷居も低くなってきているはずで,クラウドの利用方法をまとめた書籍も本屋で立ち読みできたりと,ここら辺がクラウドを始めるいい機会かなと. これを機に昨年からクラウドを本格利用することにし,この何カ月かでだいぶ慣れてきました. 気に入っているソフトは,やっぱりオンラインストレージ関連です. 出張先やちょっとした外出先でデータを見なければならない時に威力を発揮します. 携帯電話時代やXperia購入当初は 「Gmail」 をオンラインストレージ代わりにしていました. 2011年3月現在では,約7.5GBの容量を利用できます. メールだけでこれを利用しきれるわけないので,大事なファイルとか外出先でも使う可能性があるファイルはGmailに添付ファイルとして放り込んでいました. 実際,これで助かった仕事もいくつかありますが,そうは言ってもメール機能の間借りであることは否めず,使いやすさとしては物足りないのです. 「Evernote」 は最近使い方を変えたソフトです. 最初のうちはGmailとEvernoteのどちらが使いやすいのか検討するために両方を使い分けていたのですが,結局どっちも使い

新年 明けましておめでとうございます

先日,出張先の出雲大社で遅い初詣を済ませてきました. ご無沙汰しております. デザインも一新. 2011年最初の記事を書きましょう. 新年の幕が開け,周りの人が次々とお亡くなりになります. 礼服が嬉しくない活躍をみせ,弔事の作法もだいぶ板についてきました. こうした日々を過ごしていますと,自然と葬式についての広告や記事に目がいくもので. 私が住んでるとこを走っている路線バスにも葬儀の広告がプリントされているんですけど,なかでも「直葬」なる文字が目を引きます. つまり,死んだら即,火葬場に直送する葬儀です. 燃えるゴミみたいな感じで違和感があるんですけど,安いのが特徴. 15万円からやってくれるんだとのこと. 通常の葬儀が数十万〜百数十万円だということを考えると,たしかにリーズナブル. 自分が死んで家族に負担をかけたくない,という人は遺書に「直葬」を明記するのもアリかもしれませんね. 私の父はそれを聞いて,「それいいね」と結構乗り気. でも,残された者からすると,なかなか踏ん切れない葬儀でもあります. そうした日々を送るなか,うちの大学の卒業生が生命保険の勧誘に私の研究室を訪れます. 自分が卒業した大学の教員は何かと顧客対象にしやすいのでしょうけど,今んとこ生命保険をかけなければならないような気分ではないので丁重にお断りし続けています. 「入っておけば安心」とか言われるんですが,その “安心” というものがどこに依っているのかが大事です. 今の私には保険によってその “安心” が得られないですから. それに,まだ自分が死ぬことを意識できない年齢や状況です. けれど,考えておかなければならない事であることは間違いないですね. さしあたり,もし自分が今死んだとしても恥ずかしくない状態にはしておこうと日々考えております. 例えば,自分の部屋には人に見られたくない物(アダルトな物とかキャラに合わない品とか)は置いとかないようにし,遺族による遺品処分が円滑に進むよう配慮している次第です. でも,このようにいつでも死んでも恥ずかしくない状態にしておくだけでも,かなり気分は楽になるもんです. よく「遺書を書いたら気分が楽になった」という声がありますが,それに近いですね. ある意味,とても重要なライフ・ハックなのかもしれません.