2011年10月1日土曜日

大学教員になってから

昨日は授業1コマ以外の時間をひたすら学生との会話に費やしました.
朝から晩までしゃべりっぱなし.ひっきりなしにドアをノックしてきます.
過去最大の研究室訪問数だと思います.

ある者は卒論のテーマ探し,ある者はテーマ決め,ある者は作業の仕方,ある者は文章の書き方.ぜんぶ私の学科の学生じゃないんですけどね.
アルバイト先の課題とかボランティア先の斡旋だとか,今後の大学生活への不安,なんてのもありました.


今年やる海外研修の詳細を聞きにきたのかと思ったら,そのうち雑談になって,来月が誕生日である私の誕生日会を皆でやってあげるなんて言い出して,「だからその時は先生おごってね」とかいって,祝ってくれるのかタカリにきたのか意図不明な奴もいます.

その時にちょっと話題になったのが,「学生との距離」というやつで,教員は学生とどこまで “仲良く” すればいいのか?というテーマです.
それを卒論のテーマにすればいいのに,とも思いましたが,これはまた別の学生にけしかけてみましょう.

例えば,こうやって研究室におしかけてお菓子食ってお茶を飲んでいく学生いわく,「mixiとかTwitterとかで先生と仲良くするのってマズいんちゃいますか?」 とのこと.
知り合いに教員とmixiしてる学生がいるそうで,別に問題が発生してるわけでもないんですけど,なんか “一線越えてる感” があるようです.

なら研究室に来てお茶飲んだり,誕生日会と称して教員と食事したりするのはOKなの?というところですが.
しかも私の研究室は故あってドアを開きっぱなしにできないので,女子学生との密閉空間になっちゃいます.そして,この話をしている目の前の学生は女子です.
「実際に直接顔を合わせてるから」とか「信頼感が違う」とかいうのですが.

私はmixiやTwitterなどのSNSも,使い方次第で学生との良いコミュニケーション・ツールになると考えています.
問題はやはり使い方で,ネットであろうと顔を合わせたコミュニケーションであろうと,同じような “態度” で臨むことが大事です.

例えばmixiにせよブログにせよ,過去の記事が記録され続けるというのは,ある意味でその教員の特性を知ることができ,信頼を得ることができるのではないでしょうか.

文章によるコミュニケーションならではの信頼性というものがあります.
文章は繰り返し読むことができます.リピート再生不可能な情報ではありません.これは口頭でのコミュニケーションを補完する部分もあるはずです.

どういう考え方の教員なのか?どういう行動をとっている教員なのか?
学生は教員のSNSでの発信内容と大学内での言動とを見比べることができます.

もちろん,見比べた上で見抜けない学生がいて「こんな先生だとは思わなかった」という事態になるかもしれませんが,それはSNSがなくても同じことだと思います.

あと,特定の学生とではなく,複数の学生を巻き込んでのSNS利用であることも大事かもしれません.
やりとりは複数の目がある前で行なわれ,実際に顔を合わせたコミュニケーションとの抱き合わせで進めていくことが理想的でしょうか.


ちなみに,東京の高校には自らを偽ってmixiで自分とこの生徒のコミュニティに潜り込み,そこで交わされる様々な危険な情報を得て生徒指導に役立てているサイバーな教師がおります.
例の伝説の教師です
「いやー,あいつらバカだからmixiでベラベラ秘密をしゃべってるんすよ」
なんて言ってましたが,
そもそも,そういうことにならないよう普段から不断の生徒指導をしてほしいと一国民として願うばかりです.


というわけで,朝にとりあえずパソコン立ち上げたけど,ほとんどいじらずに夜にはシャットダウンという状況.


でもまぁ,こういうのが大学教員らしくていいのではないかとも思っています.



少しずつ涼しくなってきまたした.
なぜか私はこの季節になると無性に焦燥感を覚えてしまいます.
誕生日が近づき,また歳を重ねることになるからでしょうか.