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迷わず行けよ 行けばわかるさ

卒業式が終わり,引っ越しも最終段階です.
家財と研究室の荷物は送りましたので,あとは自分自身が行くだけです.
今は,なんにもない部屋で,スーツケースを机にしてブログを書いています.

学内に広く報告せずに大学を辞めることになったので,ここ最近になって私が大学を辞めることを知る人もままおりまして.
昨日も学生の1人から,その旨のメールがきました.

今日は,この学生とのメールのやり取りをご紹介します.
1年生なのですが,「大学教育とは」という事に,かなり勘付いている学生でして,その学生に向けた記事として読んでもらえればと思います.

この学生のメールに,私は心底感動してしまいました.
「おーっ! 分かってくれている学生もいるんだ!」
という感じ.
教師冥利に尽きるとはことのことなのですね.

細かく記述すると恥ずかしいので,端折りまくると,こういうこと.
(1) 1年間,ありがとうございました(お礼)
(2) 「常識」「テキストの内容」も大事だけど,「先生オリジナルの考え」を学びたい

この学生は,「基礎学力」とか「リテラシー」といったものより重要な,“大学で学ぶとは,どういうことか” という「姿勢」を持っています.

若さ故の表現なのかもしれませんが,この学生が言うには,
「常識 = 正しい」を伝える教員は好きになれない.
でも先生(私)は,
「常識 + 先生の考え」を教えてくれたので視野が広がった.
とのこと.
(どういたしまして)

入学当初から「なんか違うな」と感じていた学生のうちの一人でしたので,このようにメールとかで文章化して考えを示してくれると,よく分かります.

大学で勉強する上で重要な「姿勢」というのは,「教員の考え」を汲み取ろうとする姿勢です.
私自身,この学生に「教えた」つもりは毛頭ないのですが,そのように「汲み取った」ということでしょう.
危ない大学に入学してしまったとき
でも紹介した,「学問とは,問うて学ぶこと」に通じます.

この「姿勢」,つまり「問うて学ぶ」を身につけさえすれば,あとは,おのずと大学らしい学びを得る事ができます.
さすずめ,
迷わず行けよ,行けば分かるさ.
といったところです.

こういう学生,実は少ないのです.その多くは「テキスト」を効率よく教えてもらおうという傾向が強いわけでして.
テキスト至上主義とも言える,テキストに書いていることだけ教えてもらえればOK,みたいな大学教育は虚しいですよ.
やる方は楽だけどね.

いろいろな記事でも繰り返していますが,大学というのは「王様は裸だ」と叫ぶところです.
皆が「うん,うん.そうだ,そうだ」と決め込んでいることに,一撃を加える機関です.
(これが行き過ぎて,突飛で極端なウケ狙いなことを言い出すところもあるので,バランスが大事だけど)

そんなわけで,大学教員による教育は,研究に裏打ちされたものでなければならないのです.
これについては,カール・ヤスパースの大学論を引き合いにした,
大学について
を参照してください.
常識を疑う・吟味する,もしくは,新たな「常識」を作り出す.
すなわち,テキストを疑う・吟味する,新たなテキストを作り出すのが,大学と大学教員の務めです.
つまり,飽くなき前言撤回の繰り返しの場(研究現場)なのです.
そうした「研究現場」という現在進行形の中において,学生は揉まれ,大学らしい教育が享受されるのです.

さて,くだりの学生が言う,
“「常識 = 正しい」を伝える教員は好きになれない”
についてですが,一応そういった先生方の擁護・弁護もさせてください.

過去にも,
こんな挙動の教員がいる大学は危ない
とか,
こんなホームページの大学は危ない
で紹介したように,大学や教員側の本意とは裏腹に,やらねばならぬ状況というものがありまして.
その流れに逆らえない立場というのもあります.

「常識 = 正しい」という教育を嫌う学生,これは希少な存在ですので,是非とも大事にしてほしいのですが.
その一方で,「常識をしっかりと教えろ」というプレッシャーを感じているのが大学と教員でもあります.
この「プレッシャー」,どこから来ているのかというと,それは学生(高校生)であり保護者,そして企業だったりするのです.
最近は文科省という強敵も現れました.

反・大学改革論シリーズ
でも書きましたが,大学は世間からのプレッシャーに弱いところがあり,小規模・経営難大学ほど,その傾向が強いのです.
それゆえ,
で示したような大学教育を,胸を張ってできない状況の大学があります.

胸を張って硬派な大学教育をやってしまうと,
「難しいこと教えるんだな」
というわりには,
「でも就職には関係ないことなんでしょ」
ということになって,
「なら,取り敢えず卒業させてもらえて,就職に有利な大学がいい」
と言い出してくるならまだマシですが,
「ついでにキャンパスライフが楽しそうなとこがいいよネ!」
なんてことになる上に,実は世間様の本音としては,
「就職(金儲け)の方略を教えるのが大学の使命だろぉ?」
などという禍々しい邪気が漂い始めた昨今,
「ビジネスに役立つ一般常識と,グローバルな人材育成を重視(ドヤ顔)」
という定型台詞を平気で吐くようになってしまい,
「この大学,アピールしてることは硬派なんだけど,面白くなさそう」
てな感じで全然学生が集まらない.そしてさらなる経営難.
という図式になるのが怖いわけです.

そんなわけで大学は,いわゆる「世間でブームになっていること」「マスコミで話題になっていること」,つまりは「学生と保護者が求めること」を,そのまま提供するようになるのです.
だって,そうしないと潰れるから(と思い込んでいるから).

私も,やりたいことの半分も出せずに3年を終えた感じですしね(そんなものかもしれないけど).

そんな先生方や職員さんを察してくれると幸いです.
学生諸君におきましては,
をしっかり読んで対処をお願いします.

ただし,最近は “本気で” 金儲けと学生募集にひた走る大学や教員が増えていることも事実でして.
なんだかなぁ,と.

そんなこと言ってても埒があかないので,
例の学生に伝えたい言葉でしたが,自分にも言い聞かせ,次の大学でも頑張ります.
迷わず行けよ 行けばわかるさ
ちなみに,これはアントニオ猪木の言葉ではありません.一休宗純の言葉です.

この言葉は,『般若心経』の最後のパートである,
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
(ギャテイ,ギャテイ,ハラソウギャテイ,ボジソワカ)
*(行く者よ,迷える世界から悟りの彼岸へと行く者よ,行けよ,行けばわかるさ,幸あれ!)
に通じる言葉だと捉えています.

「迷わず行け」ったって,どうやって行くんだ?,と思われた人.
これについては,お釈迦様の最後の教えである,
自灯明法灯明
*(自らを灯火とし,自らを依処とせよ.法を灯火とし,法を依処とせよ)
に従います.

まとめると,
世の中を成り立たせているモノ(法)と,自分自身を信じて行きなさい.
それに従えば,迷わない.そして,行けばわかる.
但書:でも,行った先でわかることは,行かなきゃわからない.つまり「わかったこと」ってのは,自分自身でしか認識しようがないので,悪しからず.では,健闘を祈っております!
というのが,私なりの「仏教」の解釈です.

大学教育にも同じ事が言えるのではないでしょうか.
大学も飽くなき真理の探求です.
自らの力を信じるしかないし,依処はと言えば,確からしいとされる学術的な方法だけです.

「大学で学ぶ」とはどういうことか?
金銭やステータスを得るために通ってるわけじゃないでしょうし,経営のために大学をやってるわけじゃない.
そういったことを考えながら勉強してほしいですし,こちらも精進せねばなりません.

※ちなみに,仏教と大学の関係も深く,「世界最古の大学」は,以下の写真にも示した,現在のパキスタンにある「タキシラ」と呼ばれるインド哲学と仏教を伝えていたところなんだそうです.
写真:wikipedia
※似たような記事に,
があります.ご参照ください.