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やわらかめの「被災地訪問とか募金とか」

前回の記事にびっくりしてしまった方もいるかもしれません.
面と向かって話してしまうと,デリケートな人だったら泣き出してしまうような内容でした.

そこで今回は,その内容を補足するという意味も兼ねて,もうちょっとやわらかめの記事を書くことにします.

前回の記事で言いたかったことのエッセンスとしては,
基礎基本をないがしろにして取り組む活動は,いずれとんでもない方向に走り始める
ということであり,それが「被災地訪問」とか「募金活動」といったシビアなものだと,そのうち取り返しのつかない状況に追い込まれる危険性があるので,今のうちに「空気読めない奴」が冷や水をかけておいたほうがいいだろうという趣旨だったのです.

日本には「バレンタインデー」という風習があります.
もう既に本来の「バレンタインデー」ではありません.それについては言わずもがな.詳細は割愛しますが,ひとまず確認の意味で述べておくと,本来は「恋人たちが愛を誓い合う日」ということで,その日に互いにプレゼント交換をするのが主流のイベントなのです.

詳細はバレンタインデー(Wikipedia)を読んでもらうとして,日本のそれを以下にまとめますと,
「女性が愛する男性にチョコレートをプレゼントする日」として,なぜか始まった日本のバレンタインデーは,そのうち「チョコレートをプレゼントする際に愛の告白をする日」ということになってきます.
ですが,“愛の告白をする” っていうのがなんだか重すぎるし恥ずかしいと考えた女性の方々は,「義理チョコ」なるものでジャミングをかけ「本命チョコ」の隠密性を高めました.
これは敵ながらあっぱれです.

義理チョコですが,それを受け取る男性としても「お返し」をしなければいけないという空気が流れだし,お菓子メーカーの後押しを受けつつ「ホワイトデー」が誕生します.

そのうち「日本のバレンタインデーは本来のバレンタインデーじゃない」という指摘がうねりを作ると,昨今は「2月14日はチョコレートを購入する日」という部分だけが残り,
女友達同士でチョコレートやお菓子を購入して楽しむ「友チョコ」,
男性が女性の好むチョコレートを買ってあげるスタイルである「逆チョコ」,
たんに自分がチョコレートを買うだけの「自分チョコ」
などが企画されており,日本のバレンタインデーは一層カオスな状況を作り出しているのです.

こうしたバレンタインデー本来の趣旨を踏まえないまま始めた日本の「2月14日」ですが,つまりは冒頭述べたように,
基礎基本をないがしろにして取り組む活動は,いずれとんでもない方向に走り始める
ということです.
だから「保守思想」が大事なんだということにもつながるのですが,バレンタインごときでそんな仰々しい話はよしておきましょう.

ようするに,日本のバレンタインデーの迷走っぷりと同様に,被災地訪問や募金活動にも同じようにこの力学が働くであろうことが容易に想像できます.だから誰かが冷や水をかけなければいけないのです.

募金箱を抱えて立ち続けるのに飽きた奴は,きっと走り出します.
駅前や住宅街を,募金箱を抱えた人が行き交うようになるかもしれない.マンションを駆け巡って集める奴を,犯罪者だと思って暴行する事件も発生します.

コンビニだけじゃなく,風俗とかキャバクラでも募金を始めだすでしょう.今でもやっているかもしれませんが,それを堂々とメディアで紹介し始める.そして「女の子と遊んで気持ちよくなって,それでいて社会貢献できるんですよ」なんてことが「なるほど,これだったら後ろめたくない」などと言って了承される可能性があります.
強姦事件が多発するからってんで,被災地訪問する風俗店が注目されるようになるかもしれません.
そのうち,被災地のために一肌脱ぎますとか言って,ヌード写真を発表するアイドルも出る可能性だってある.

これ以外にも,今じゃ考えもつかないような手法やアイデアが横行する可能性があります.
平民のノブレス・オブリージュは暴走します.やらない善よりやる偽善に楽しみを見出してしまうのが平民です.
それを抑えるための冷や水が必要なんです.

そう言えば以前,氷水をかぶって寄付金を募る奴らがいました.
こういう連中には冷や水を浴びせても無意味かもしれませんが.

日本の政治制度上,被災地の復旧・復興は政府と自治体が取り組むのが基本です.これが最大限機能するよう調整することが大事になってきます.
被災地訪問や募金活動を「被災地を救うための国民のアクション」だということで野放しにしてはいけません.
こう言うと怒り出す人もいるでしょうが,あれはあくまで売名行為,自分の快感を得る行為です.そこはきちんとおさえておかないといけない.

前回も書きましたが,被災地訪問や募金活動それ自体を否定してるわけではありません.
それによって何かが好転することだってあるかもしれません.
ですが,あってもいいけど,無くてもいいものです.
もっと言うなら,あってもいいけど,無いほうがいいものです.
AKB48とかも,そういう存在でしょう.

被災地への募金や訪問支援が手放しに「善い事」としてまかり通るようになったら,いずれ図に乗って「被災地を救うのは国民一人一人の善意だ」などと言い出します.
「別にいいじゃないか,それが理想的な国民の姿だ」などと言う人もいましょうが,国民一人一人の善意ほどあてにならないものはない.
これは,国民一人一人に善意がないと言っているわけではありません.あてにならないと言っているのです.
だから,国民一人一人の善意を予めその身に染み込ませている「政府」という存在を用意しなければいけないのです

「自分たちが被災地を救っている」と思い上がった連中が増えてくると,被災地の復旧・復興についても,「あぁしろ,こうしろ」と注文をつけてくるようになります.それが適切な注文だったらまだいいですが,たいてい民間感覚で注文するに決まっています.
コスパを重視したり,メガソーラーを作ろうとするのです.

もし自分の今の境遇よりも,被災地の方が優遇されているんじゃないかと感じたら文句をつけだすでしょう.被災地の復興も大事だが,それ以外の地域(っていうか自分)の生活も大事にしてくれ,とか.

そういう態度の国民が増えてくると,民意を受けて存在している政府もそれに応じた行動をとるようになります.
結果,復旧・復興はどんどん遅くなる.
復旧・復興が遅くなることが普通になると,日本における災害復興はそれでいいという認識になってきます.こうなったらお終いです.

東日本大震災でもそれが現れたのではないかという場面は結構ありました.
なんにせよ,政府や現地の方々が全力で被災地の復旧・復興に取り組めるような状態を作り出すことに関心を払うことが大事ではないでしょうか.
今は表立って問題にされていないかもしれませんが,被災地訪問や募金活動に潜んでいる毒素は,そうしたことへの足かせになるものです.