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わざわざカタカナ語を使おうとする人
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この年度末に,関東周辺にいる者同士で同窓会をやったのですが,そこでカタカナ語の氾濫が話題になりました.
カタカナ語というのは,例えば「アジェンダ」とか「コンセンサス」とか「デフォルト」とかそういうやつです.■カタカナ語の意味
んで,一緒に飲んでいた中の一人がこんなことを言うのです.
「ローンチっていう言葉知ってますか?」
彼は民間企業に勤めている営業担当なのですが,ある時その商談相手が「では,この商品のローンチはいつですか?」って聞いてきたから焦ったとのこと.ローンチってなんぞ?と.
商談が終わって慌てて調べたら,
「ローンチ: 立ち上げ,新商品の発売」
と出たから,「せやったら『発売日はいつですか』って聞いたらえぇんちゃうん!」とイラッとしたとのこと.
しかも,このローンチ,英語の綴りが "Launch" なのでさらに調べてみたところ,どうやら「ローンチ」じゃなくて「ラーンチ」と読むのが普通だとのこと.
「ロケットランチャー」って聞いたことありますよね.そこからすれば,ラーンチやランチと発音する方が適切です.
その場で一緒に飲んでいた他の一人がさっそくスマホで「ローンチ」を調べ,
「あっ,ねぇねぇ見てください! 「ローンチというカタカナを使う人はバカである」っていうサイトがありましたよ!」
というオチもつきました.■「ローンチ」というカタカナを使う人はバカである?
この話題に代表されるように,不必要なカタカナ語が氾濫するようになってきた感があります.
「外来語が増えただけのことでは?」というのなら時代の変化と思って仕方ない面もありましょうが,もともと日本語にあるもの,日本語で言い換えれば済むものを,わざわざカタカナ語にしてしまうのには,そこになんらかの背景があるものと考えられます.
例えば■カタカナのビジネス用語をなぜ多用するのか?というサイトでは,このように分析されています.
上記サイトではカタカナ語を使う人には2種類あるとし,格好つけと,社内での慣例・習慣が挙がっていますが,それ以外にもあるんじゃないかと考えられるのです.
私が思うに「安易にカタカナ語を使う人」は,大きく分けて3つの層から成っていると考えられます.
(1)その言葉の詳しい意味は分かっていないが,とりあえず分かっていることにして使っている層(格好つけの亜種,俗物の類)
(2)その言葉の意味するところを詳細に説明できないから,外来語のままカタカナ語として使用すれば,相手も自分と同じ認識レベルの土俵に立たせられると考えて使っている層(格好つけの変種,いわゆるバカ)
(3)日本語にするとその言葉の意味するところが明確に分かってしまうから,カタカナ語ではぐらかしておけばいいと画策して使っている層(悪意がある,つまり詐欺師)
知的水準は1,2,3の順番に高まっていきますが,不徳水準も同様に高まっていくところが特徴的です.
(1)は,たんに格好つけでカタカナ語を使っている者と言い換えることもできますが,それに加えて「本人はそのカタカナ語の意味をちゃんと理解していない」というところに問題点があります.
これは別に細かく論じるべき話ではなく,ようするに俗物根性なのです.
レベルの高い格好つけであれば,その言葉の意味するところをちゃんと理解した上でカタカナ後を使っているのでしょうけど,俗物根性で使っている人はそれを理解せずに使っています.
悲惨なのは,(1)の人間同士が対峙した場合です.
こんな都市伝説があります.
喫茶店で客がそれがどんなものかも知らずに “格好つけ” で「ウインナーコーヒー」を注文したら,その店のバイトは知らないと言えずに “格好つけ” でコーヒーにソーセージを添えて出してしまったところ,客も格好つけで頼んでいる手前,出されたそれをウインナーコーヒーだと認識して飲んでしまうというものです.
これがカタカナ語において横行している可能性は高い.
そう言えば,私の知る大学教員に「ブラッシュアップ」と言いたいところを,「フラッシュバック」と大勢の学生の前で連呼していた人がいます.そこには悲しい空気が流れていました.
さて次の(2)は,「その言葉の意味するところを詳細に説明できないから,外来語のままカタカナ語として使用すれば,相手も自分と同じ認識レベルの土俵に立たせられると考えて使っている層」でしたね.
言い方を替えればつまり,「俺もよく知らないけど,最新の舶来物なんだから良い物に違いない.きっと相手もよく分かっていないんだろうし,だったら分からないまま使ってしまえ」って感じなわけで,ようするにバカなのです.
我々の業界で典型的なのは「イノベーション」とか「グローバリズム」とか,あとは「ガバナンス」「リサーチ・アドミニストレーター」なんかが挙げられます.
文部科学省のHPをご覧ください.ここでそういうカタカナにたくさん出会えます.
■文部科学省ホームページ
ちなみに,「イノベーション」に取り憑かれた文科省は,3年前から「革新的イノベーション創出プログラム」というのを始めました.
■革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)
誰か止める人はいなかったのでしょうか.
試しにその説明資料をご覧ください↓絶句しますから.
■革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)について
やっつけ仕事だと思いたい.そうであってくれと願いたくなります.
「プログラム」でやっている以上,そして「評価・採択」をする以上,革新的イノベーション(radical innovation=急進的革新)は期待できないと思うのですが,まあ,それはこの際不問に付しておきます.
ともかく,どうしても「イノベーション」をカタカナ語で入れたかったという想いが伝わってきます.「革新的イノベーション」,なかなかの名訳です.innovationが好きなことだけはよく分かりました.
チゲ鍋みたいなものですね.いや,違うな.
「和風ジャパニーズ日本刀」みたいなものです.
そんな態度で文科省は,「スーパーグローバル大学」とか「アクティブラーニング」などを新しい「イシュー」だと言い出します.
しかし,カタカナ語の氾濫が過ぎると,笑い事では済まされなくなります.
上記のものもそうかもしれませんが,こうしたカタカナ語好きな人を騙すために意図的にカタカナ語を使っている連中がいるかもしれないのです.それが(3)です.
最後にその(3).「日本語にするとその言葉の意味するところが明確に分かってしまうから,カタカナ語ではぐらかしておけばいいと画策して使っている層」.
バカはカタカナを好む,信奉する.だからカタカナを使っておけば尻尾を振ってくれるだろう.と,そういうことです.
上述した「革新的イノベーション創出プログラム」の説明資料をご覧になると分かると思いますが,カタカナ語だらけでまるで分かりません.
「イノベーション」の話をもう少し続けましょう.
イノベーションとは「新しい切り口」のことで,そのための具体的な動きとして改善・修正,新規開拓,組織再編,技術革新があります.なんのことはない,人間誰しもが生きていく中で行なっている普通の活動のことです.
それを,わざわざ「イノベーション」とひっくるめて仰々しく扱うところに卑しさが感じられます.
「いやいや,本来のイノベーションは1912年に経済学者のシュンペーターが・・」などと言う議論をしたいわけではありません.そういう高尚な話ではなく,イノベーションという言葉を,つまりカタカナ語を事の本質をはぐらかすため意図的に使っているということです.
上述したこれらの日本語は,場面に応じて使い分けねばなりません.ところが,バカの前でならその全てを「イノベーション」の一言で押しきれる.それでいて日本語でよりも高度なことを言われているように聞こえるわけです.
だから凡庸で雑多な提案が「イノベーション」と題すれば通るようになりました.
逆に,仰々しい話をカタカナ語にすることで矮小化する方略に出ることも考えられます.
「大学ガバナンス改革」がその典型です.■大学ガバナンス改革
簡単に言うと,大学改革が遅々として進まないことに苛立った文科省は,大学における学長の権限を強くし,教授会の権限を弱くすることで権力の一極集中化を狙ったわけです.それが大学ガバナンス改革の主目的と言っていいでしょう.
もともと大学は「教授会」という教員同士での議論・決議が非常に強い権限を持っていますので,民間企業のようにトップの鶴の一声で何かを進めるということができなかったからです.
(逆に言うと,鶴の一声で簡単に変わらないようにしていたとも言えます.むしろ,「危ない大学」では理事長の鶴の一声で全てが動いてしまいます.文科は「全国総危ない大学化計画」でも進めるつもりなのでしょうか? 詳細は■「教職員用」危ない大学とはこういうところだとか,■危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」をどうぞ)
大学ガバナンス改革と言っていますが,これを日本語に直せば,
「大学における統治・運営方法の改革」
別の言い方だと,「大学における意思決定手続きの変更」
ということになります.
皆さんは「ガバナンス」という語感にどのようなものを持っているか分かりませんが,少なくとも日本語だとかなり仰々しい話なのです.
「これから,大学の統治運営方法や,意思決定システムを変更します」
などと言うと大事に聞こえますし,何かの雑誌やニュースでも大々的に取り上げられる可能性があります.
そこで「ガバナンス」と言っておけば,おおかたの人々,もっと言うと大学改革とか大学経営に興味のない教授陣は「ガバ?,ガナン?ス?・・知らね・・」ってことでスルーしてもらえると踏んだのでは? と邪推したくもなるものです.
他にも,例えば「グローバリズム」.この言葉を聞いたことがない人は少ないでしょう.
我々大学も,正体不明の「グローバル人材」とやらを輩出(排出)するため「グローバル化」とか「スーパーグローバル大学」というのをやっています.
「グローバリズム」,これを日本語にすれば「地球一体化思想」とか「地球共同体主義」です.より分かりやすくするため,「宇宙船地球号」と言われることもあるそうです.
おそらく,「グローバル」という言葉を喜んで使っている人たちの多くは,これを「国際化の推進」だと思っています.もしくは,経済とかビジネスの領域でしか見ていない.
まだ源流をつきとめていないので推測でしかありませんが,この思想は多分にある種の宗教的教義から発生していると考えられます.
「国際化推進とか国際協調では生ぬるい.地球一体化だ」と言い出しているわけですから.
人類みな兄弟,今後世界は統一される,国境や民族にこだわる時代はなくなるんだ,などと地球を一つの共同体とする思想を進めたい人が,この機に「グローバル,グローバル」と言っている可能性があります.
もう既にゲロってしまった総理大臣もいましたが,この(3)レベルの知性がある人は,これを訴える際,正直に「地球は一つ」「世界を一つに」と日本語で言ってしまうと怪しまれること知っているから,「グローバル」と言い換えるのです.
これからの時代はグローバルになっていくんですよ.って言われたら「ふ~ん」ってなりますが,
これからの時代は世界が一つになるんですよ.って言われたら「・・・」ってなりますよね.
日本語にしたらその胡散臭さが丸見えなのですが,カタカナ語にしておけばそれが和らぐね,ってことで使っている可能性があるわけです.
なお,間違ってもらっては困るのは,私はカタカナ語を使うことが悪いと言っているわけではありません.
カタカナ語にする必要が無いものをわざわざカタカナ語にして説明し,触れ回る行為の危険性を問うているのです.
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■大学をグローバルにするってどうするの?
■英語教育について
■続・英語教育について
■英語教育は国をあげて取り組むことか?
カタカナ語というのは,例えば「アジェンダ」とか「コンセンサス」とか「デフォルト」とかそういうやつです.■カタカナ語の意味
んで,一緒に飲んでいた中の一人がこんなことを言うのです.
「ローンチっていう言葉知ってますか?」
彼は民間企業に勤めている営業担当なのですが,ある時その商談相手が「では,この商品のローンチはいつですか?」って聞いてきたから焦ったとのこと.ローンチってなんぞ?と.
商談が終わって慌てて調べたら,
「ローンチ: 立ち上げ,新商品の発売」
と出たから,「せやったら『発売日はいつですか』って聞いたらえぇんちゃうん!」とイラッとしたとのこと.
しかも,このローンチ,英語の綴りが "Launch" なのでさらに調べてみたところ,どうやら「ローンチ」じゃなくて「ラーンチ」と読むのが普通だとのこと.
「ロケットランチャー」って聞いたことありますよね.そこからすれば,ラーンチやランチと発音する方が適切です.
その場で一緒に飲んでいた他の一人がさっそくスマホで「ローンチ」を調べ,
「あっ,ねぇねぇ見てください! 「ローンチというカタカナを使う人はバカである」っていうサイトがありましたよ!」
というオチもつきました.■「ローンチ」というカタカナを使う人はバカである?
この話題に代表されるように,不必要なカタカナ語が氾濫するようになってきた感があります.
「外来語が増えただけのことでは?」というのなら時代の変化と思って仕方ない面もありましょうが,もともと日本語にあるもの,日本語で言い換えれば済むものを,わざわざカタカナ語にしてしまうのには,そこになんらかの背景があるものと考えられます.
例えば■カタカナのビジネス用語をなぜ多用するのか?というサイトでは,このように分析されています.
では使っている本人たちはなにを思って、ビジネス用語を多用しているのだろうか。ビジネスコーチである山内ケイトさんに同疑問をぶつけてみた。
「2種類の人がいるのかなと思いました。まずは格好つけている人。難しいカタカナ用語を使うと、できそうに見えると思っているのでしょう。周りの格好いい人が使っていたりすると、自分も使いたいと思ってしまうのかもしれません。
(中略)
もう一つは、入社時からそういう中にいると、それが当たり前だと思っていて、聞いている人が困っていることが分からないケースです。私はエンジニアですが、お客様相手の部門だったので、新人の頃に上司や先輩から気を付けるようにとよく言われました」(山内ケイトさん)
たしかにね.
ただ,カタカナ語はビジネス用語だけじゃないですし,その他の様々なところに蔓延っております.
何度か私のブログでも取り上げていますが,教育界もこれが酷い.
何度か私のブログでも取り上げていますが,教育界もこれが酷い.
上記サイトではカタカナ語を使う人には2種類あるとし,格好つけと,社内での慣例・習慣が挙がっていますが,それ以外にもあるんじゃないかと考えられるのです.
私が思うに「安易にカタカナ語を使う人」は,大きく分けて3つの層から成っていると考えられます.
(1)その言葉の詳しい意味は分かっていないが,とりあえず分かっていることにして使っている層(格好つけの亜種,俗物の類)
(2)その言葉の意味するところを詳細に説明できないから,外来語のままカタカナ語として使用すれば,相手も自分と同じ認識レベルの土俵に立たせられると考えて使っている層(格好つけの変種,いわゆるバカ)
(3)日本語にするとその言葉の意味するところが明確に分かってしまうから,カタカナ語ではぐらかしておけばいいと画策して使っている層(悪意がある,つまり詐欺師)
知的水準は1,2,3の順番に高まっていきますが,不徳水準も同様に高まっていくところが特徴的です.
(1)は,たんに格好つけでカタカナ語を使っている者と言い換えることもできますが,それに加えて「本人はそのカタカナ語の意味をちゃんと理解していない」というところに問題点があります.
これは別に細かく論じるべき話ではなく,ようするに俗物根性なのです.
レベルの高い格好つけであれば,その言葉の意味するところをちゃんと理解した上でカタカナ後を使っているのでしょうけど,俗物根性で使っている人はそれを理解せずに使っています.
悲惨なのは,(1)の人間同士が対峙した場合です.
こんな都市伝説があります.
喫茶店で客がそれがどんなものかも知らずに “格好つけ” で「ウインナーコーヒー」を注文したら,その店のバイトは知らないと言えずに “格好つけ” でコーヒーにソーセージを添えて出してしまったところ,客も格好つけで頼んでいる手前,出されたそれをウインナーコーヒーだと認識して飲んでしまうというものです.
これがカタカナ語において横行している可能性は高い.
そう言えば,私の知る大学教員に「ブラッシュアップ」と言いたいところを,「フラッシュバック」と大勢の学生の前で連呼していた人がいます.そこには悲しい空気が流れていました.
さて次の(2)は,「その言葉の意味するところを詳細に説明できないから,外来語のままカタカナ語として使用すれば,相手も自分と同じ認識レベルの土俵に立たせられると考えて使っている層」でしたね.
言い方を替えればつまり,「俺もよく知らないけど,最新の舶来物なんだから良い物に違いない.きっと相手もよく分かっていないんだろうし,だったら分からないまま使ってしまえ」って感じなわけで,ようするにバカなのです.
我々の業界で典型的なのは「イノベーション」とか「グローバリズム」とか,あとは「ガバナンス」「リサーチ・アドミニストレーター」なんかが挙げられます.
文部科学省のHPをご覧ください.ここでそういうカタカナにたくさん出会えます.
■文部科学省ホームページ
ちなみに,「イノベーション」に取り憑かれた文科省は,3年前から「革新的イノベーション創出プログラム」というのを始めました.
■革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)
誰か止める人はいなかったのでしょうか.
試しにその説明資料をご覧ください↓絶句しますから.
■革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)について
やっつけ仕事だと思いたい.そうであってくれと願いたくなります.
「プログラム」でやっている以上,そして「評価・採択」をする以上,革新的イノベーション(radical innovation=急進的革新)は期待できないと思うのですが,まあ,それはこの際不問に付しておきます.
ともかく,どうしても「イノベーション」をカタカナ語で入れたかったという想いが伝わってきます.「革新的イノベーション」,なかなかの名訳です.innovationが好きなことだけはよく分かりました.
チゲ鍋みたいなものですね.いや,違うな.
「和風ジャパニーズ日本刀」みたいなものです.
そんな態度で文科省は,「スーパーグローバル大学」とか「アクティブラーニング」などを新しい「イシュー」だと言い出します.
しかし,カタカナ語の氾濫が過ぎると,笑い事では済まされなくなります.
上記のものもそうかもしれませんが,こうしたカタカナ語好きな人を騙すために意図的にカタカナ語を使っている連中がいるかもしれないのです.それが(3)です.
最後にその(3).「日本語にするとその言葉の意味するところが明確に分かってしまうから,カタカナ語ではぐらかしておけばいいと画策して使っている層」.
バカはカタカナを好む,信奉する.だからカタカナを使っておけば尻尾を振ってくれるだろう.と,そういうことです.
上述した「革新的イノベーション創出プログラム」の説明資料をご覧になると分かると思いますが,カタカナ語だらけでまるで分かりません.
「イノベーション」の話をもう少し続けましょう.
イノベーションとは「新しい切り口」のことで,そのための具体的な動きとして改善・修正,新規開拓,組織再編,技術革新があります.なんのことはない,人間誰しもが生きていく中で行なっている普通の活動のことです.
それを,わざわざ「イノベーション」とひっくるめて仰々しく扱うところに卑しさが感じられます.
「いやいや,本来のイノベーションは1912年に経済学者のシュンペーターが・・」などと言う議論をしたいわけではありません.そういう高尚な話ではなく,イノベーションという言葉を,つまりカタカナ語を事の本質をはぐらかすため意図的に使っているということです.
上述したこれらの日本語は,場面に応じて使い分けねばなりません.ところが,バカの前でならその全てを「イノベーション」の一言で押しきれる.それでいて日本語でよりも高度なことを言われているように聞こえるわけです.
だから凡庸で雑多な提案が「イノベーション」と題すれば通るようになりました.
逆に,仰々しい話をカタカナ語にすることで矮小化する方略に出ることも考えられます.
「大学ガバナンス改革」がその典型です.■大学ガバナンス改革
簡単に言うと,大学改革が遅々として進まないことに苛立った文科省は,大学における学長の権限を強くし,教授会の権限を弱くすることで権力の一極集中化を狙ったわけです.それが大学ガバナンス改革の主目的と言っていいでしょう.
もともと大学は「教授会」という教員同士での議論・決議が非常に強い権限を持っていますので,民間企業のようにトップの鶴の一声で何かを進めるということができなかったからです.
(逆に言うと,鶴の一声で簡単に変わらないようにしていたとも言えます.むしろ,「危ない大学」では理事長の鶴の一声で全てが動いてしまいます.文科は「全国総危ない大学化計画」でも進めるつもりなのでしょうか? 詳細は■「教職員用」危ない大学とはこういうところだとか,■危ない大学に奉職してしまったとき「スパイ対策法」をどうぞ)
大学ガバナンス改革と言っていますが,これを日本語に直せば,
「大学における統治・運営方法の改革」
別の言い方だと,「大学における意思決定手続きの変更」
ということになります.
皆さんは「ガバナンス」という語感にどのようなものを持っているか分かりませんが,少なくとも日本語だとかなり仰々しい話なのです.
「これから,大学の統治運営方法や,意思決定システムを変更します」
などと言うと大事に聞こえますし,何かの雑誌やニュースでも大々的に取り上げられる可能性があります.
そこで「ガバナンス」と言っておけば,おおかたの人々,もっと言うと大学改革とか大学経営に興味のない教授陣は「ガバ?,ガナン?ス?・・知らね・・」ってことでスルーしてもらえると踏んだのでは? と邪推したくもなるものです.
他にも,例えば「グローバリズム」.この言葉を聞いたことがない人は少ないでしょう.
我々大学も,正体不明の「グローバル人材」とやらを輩出(排出)するため「グローバル化」とか「スーパーグローバル大学」というのをやっています.
「グローバリズム」,これを日本語にすれば「地球一体化思想」とか「地球共同体主義」です.より分かりやすくするため,「宇宙船地球号」と言われることもあるそうです.
おそらく,「グローバル」という言葉を喜んで使っている人たちの多くは,これを「国際化の推進」だと思っています.もしくは,経済とかビジネスの領域でしか見ていない.
まだ源流をつきとめていないので推測でしかありませんが,この思想は多分にある種の宗教的教義から発生していると考えられます.
「国際化推進とか国際協調では生ぬるい.地球一体化だ」と言い出しているわけですから.
人類みな兄弟,今後世界は統一される,国境や民族にこだわる時代はなくなるんだ,などと地球を一つの共同体とする思想を進めたい人が,この機に「グローバル,グローバル」と言っている可能性があります.
もう既にゲロってしまった総理大臣もいましたが,この(3)レベルの知性がある人は,これを訴える際,正直に「地球は一つ」「世界を一つに」と日本語で言ってしまうと怪しまれること知っているから,「グローバル」と言い換えるのです.
これからの時代はグローバルになっていくんですよ.って言われたら「ふ~ん」ってなりますが,
これからの時代は世界が一つになるんですよ.って言われたら「・・・」ってなりますよね.
日本語にしたらその胡散臭さが丸見えなのですが,カタカナ語にしておけばそれが和らぐね,ってことで使っている可能性があるわけです.
なお,間違ってもらっては困るのは,私はカタカナ語を使うことが悪いと言っているわけではありません.
カタカナ語にする必要が無いものをわざわざカタカナ語にして説明し,触れ回る行為の危険性を問うているのです.
関連記事
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■英語教育について
■続・英語教育について
■英語教育は国をあげて取り組むことか?