2016年10月25日火曜日

東京ラーメンと生物兵器教員:補足

ここ1週間くらいの記事は「東京ラーメン」と「大学教員」についてでした.
言葉足らずなところがあったので補足しておこうと思います.

まず,私は東京のラーメン店はどれもこれも不味いと言っているわけではありません.
美味しいお店もあります.でも,『東京人』という人種が好む味に合わせて作られているお店が圧倒的なので,どうしても残念な味の店が多い.
これは仕方ない側面があります.そうでなければ営業を続けられないんだから.

東京に進出している,某「博多ラーメン」のお店に,これまた行列ができていました.
東京人にも博多ラーメンの味が好まれるものなんだなぁと思って,行列ができていない時に入ってみたんです.
やっぱりです.豚骨フレーバー全開の強烈な味付け.東京人というのは,こういうのが「本物の博多ラーメン」だと認識して楽しんでいるのでしょう.

以前,博多で仕事をした時に,せっかくだからと空き時間に中洲付近の屋台ラーメンを食べに行きました.
時間がなかったこともあり,タクシーで向かったんです.
で,タクシーの運転手さんに「ここらへんでオススメできる屋台ラーメンはどこですか?」って聞いたら,
「屋台でやってるラーメンは,まだお店が持てない人がやってるんです.普通のお店のラーメンの方が間違いありませんよ.それにあれ,観光客向けにやってるところが多いですし」
って言うんです.
まぁ,そりゃそうだ.一同,納得.

まるで香川県の讃岐うどんみたいですね.讃岐うどんも,香川では「地元民用」と「観光客用」とにお店が分かれています.
ちなみに,高知県のカツオのたたきもそうです.

タクシーの運転手さんにいくつか候補を挙げてもらい,その中から地元の人が通うオススメ店を選択しました.
地元民用ですから,たしかに繁盛しているけど行列はできていないお店.
味はというと,たしかに濃厚で強いスープなんですけど,臭みのない滑らかなもので,想像していたような豚骨らしさがないね,と同僚たちと話したことを覚えています.もちろん美味しかった.

たぶんですけど,東京人が魅力的だと感じた博多ラーメンというのは,ご当地博多の人達からすれば「豚骨くささが抜けきれていないラーメン」ではないでしょうか.
豚骨くさければ博多ラーメン,豚骨くさければOK,みたいな.
だから高知のカツオのたたきも,地元民なら閉口してしまうようなカツオ臭くなったベロベロの切り身に,ショウガをたっぷり入れたものを「うまい,うまい」と言って食べる.

素直に「不味い」と言えばいい.
でも,素直に不味いと評価できないのが東京人です.
豚骨くさいから博多ラーメンは美味しい.
カツオくさいからカツオのたたきは美味しい.
プリプリとコシがあるから讃岐うどんは美味しいね,って言い出すのが東京人なのです.

そんな話を知り合いの先生としていたら,その先生曰く,“素直に” という次元を通り越して,もう既に東京人はそういう評価すらできなくなっているのではないか? と言うのです.

「豚骨くさいから博多ラーメンは美味しい」ではなく,「豚骨くさい博多ラーメンは美味しい」となっている.もう「評価」ですらない.
どういうことかって?
つまり,「◯◯は,◯◯だから,◯◯だ」という思考がぶっ飛んでるんです.
じゃあそのラーメンが美味しいかどうかの判断基準は何かというと,メディアに取り上げられているとか,行列ができているとか.それでしか評価できなくなっているのだと.
あぁ,なるほどと思わされました.

その先生と話している中で,私もたまに記事で紹介している適菜収氏が出てきました.
(例えばこんな記事で取り上げたことがあります.■俗物が俗物らしくしちゃダメ
適菜氏はラジオ番組でこんなことを言っているそうです.アメリカ大統領選挙戦において,ヒラリーとトランプどっちもダメ候補であることから,どちらを選ぶかは究極の選択だとして,「うんこ味のカレーか,カレー味のうんこ,どちらかを食べるか問われている」と.

でも,私はこう思うんです.
うんこ味のカレーか,カレー味のうんこの選択に迫られているのは,『非東京人』.

東京人はむしろ,うんこを食べて「これはカレーだ」と言い出す次元に突入しているのです.

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