2018年4月30日月曜日

「崖っぷちの大学が生き残る茨の道」の追記

動画配信 Huluで「崖っぷちホテル!」っていうドラマをみかけたので,現時点までの3話分を見てみたんです.
主演の一人である戸田恵梨香さんは,以前から良い女優だなぁと思っていたので,それに惹かれたのもあります.

あと,「崖っぷち」と言えば,だいぶ以前に書いた記事に,
崖っぷちの大学が生き残る茨の道
というのがありまして,きっと境遇が現在の少なくない大学と似てるんじゃないかと思ったのも理由の一つです.

ドラマですが,3話で見るの終わっときます.
これ以上見なくてもいいかなって.
どうしても批判的になってしまうのですが,もうちょっと作り込んでほしいところです.

役者さんの演技に不満があるわけじゃありません.
戸田さんもそうですけど,渡辺いっけいさんとか鈴木浩介さんといった個性的な役者さんを使っているし(この3人の組み合わせって「LIAR GAME」ですね),厨房の2人(中村倫也さんと浜辺美波さん)もなかなか良かった.特に浜辺さんは強烈なキャラの役ですけど,「こういう本当に無垢な娘,実際いるよね」っていう不自然な自然さが出ているのは素晴らしい.今後に期待.
それだけに,どうしてもドラマ自体の作り込みの粗さを感じてしまいます.

内容が気に入らないってわけでもないんです.
崖っぷちの経営組織が,再起を目指して奮闘するっていうのには魅力を感じます.
現代の大学って,どこもまさにそういう状態ですので,シンパシーもある.まぁ,こっちの方は峠を越えたと思ったら滑って転んで谷に落ちてる状態で,もう再起不能ですけどね.

崖っぷちに立たされた経営組織が復活しようとする時,そこで大事にすべきことは「我々の仕事は何なのか?」という点であることも普遍性があって良い.いつぞやブームになったピーター・ドラッカーのマネジメント論で最も重要なところでもあります.
もっとも,少なくない大学経営陣はドラッカーのマネジメント論を誤読しました.
それについても昔記事にしてます.■教育現場,結局,ドラッカーはどうなった?

昔,「王様のレストラン」というドラマがありましたが,「崖っぷちホテル!」はそれと雰囲気や出演キャラがよく似ています.「王様のレストラン」を見たことがない若者たちには見る価値はあるかもしれません.
逆に言えば,王様のレストランを見たことがある者としては,もう一捻りしてほしいのが実際のところ.

でも,それだけじゃない.
今回の「崖っぷちホテル」の何が気に入らないのかっていうと,役者さんが自分の行動理由や思考をいちいちセリフで喋るんですよ.
いえ,これはこのドラマだけに限ったことではありません.たいてい,出来の良くない映画やドラマはそういうことをします.

例えば第3話では,戸田さん演じるホテル支配人は,視聴者向けにこんな独り言を言います.「役職をかけて競争っておかしいだろ!」って.
それはセリフでいうことじゃありません.そこに不満を持つ支配人の状況を映せば済む話だし,それが読み取れるようなシーンを撮れば済む.それに,あのタイミングでの発言もおかしい.くどさが出ます.

最近,「ルパン三世」も新シリーズが出ていますが,こちらも同じことをしています.
第2話にて,暗殺者に追われるルパンと連れの女がこんな会話をするんです.
「ルパンは私を守っている.なぜ?」
「そういうのは言わぬが花ってやつなんだよ」
それに対し,「ルパンは私とエッチがしたいの?」と女は問い続けますが,ルパンはあぁだこうだと否定します.
で,さっき「言わぬが花」と言ってたくせに,ルパンは第2話の決めゼリフとしてこう言い放つんです.
「だけど感謝することはないぜ.俺がお前を守るのは,そういう俺が好きだからさ」

ルパン三世がそういう美意識の持ち主であることは,ルパンファンなら百も承知です.
それに,ご本人も言うように,そういうのはセリフで説明してはいけないのです.だから「言わぬが花」なんですから.
ルパンの行動や判断を粛々と描けば,ルパンが一見女好きなように見えて,実はどういう思考パターンをしているのか感じ取れるものです.

だけど,こういうセリフを吐かせてしまう.
こういうのって視聴者への配慮とは違うと思うんですよね.むしろ視聴者はバカにされているのかもしれない.ルパンがどういう奴なのか知らない人のために,第2話あたりで解説しておこう,ってな感じで.
こういうので一気に冷めてしまいます.

大学教育においても,「分かりやすい」が正義のような風潮があります.
「考えぬく力」を育む上でのわかり易さならまだしも,物事の正否を前提として教えるわかり易さが求められるんです.その正否に至る思考プロセスこそが大事なのに.
それと類似していて興味深いのですが,映画やドラマもそういう圧力と力学が働いているのかもしれない.そんなことを考えさせられました.
つまり,先に伝えたいメッセージがあって,そのメッセージを正確に伝えるために分かりやすく仕立てられた映像と音声が求められているんじゃないかと.

作品をどのように解釈するのかは受け取る側に委ねられているはずで,作者が意図しない解釈も当然あり得るんです.
もちろん,作者や演者に「こういうふうに解釈してもらいたい」という意図はあるのでしょうが,それをダイレクトに見せるのは野暮というもの.

ところで,「良いホテルとは何か」を考えていたら,高校時代を思い出させられました.
今から20年近く前の話です.
学校が休みの時に友達と徒歩旅行をしたことがありまして,愛知県新城市の山間部を歩いていて夜が更けてきた時のこと.
寒い季節だったし,天候も怪しいのに野宿できるような場所がないと焦っておりましたら,道に「民宿」の看板が.
「民宿だったら安く泊まれるんじゃないか」と,その夜は安全策をとることにしたんです.
それに,その日が旅程としては最後の一泊だろうと思っていたので,少しくらいお金使ってもいいかなって.

玄関にお邪魔して,予約していないけど泊まれるか? お値段はいくらなのか? を聞いてみたんです.
そしたら,着物を着た女将さんみたいな人が現れ,今日はお客さんはいないし,1泊5000円くらいで大丈夫とのお返事をいただきました.ただ,予約していないから食事が満足に出せないことと,お風呂は今から準備するので直ぐには入れないとのこと.
こちらとしては「野宿するかどうか」で迷っていたわけですから,「屋根があればOKです」と言ったのを覚えています.5000円ならギリギリ財布にあったし.

ところが,高校生の僕らとしても,ここが安い民宿ではないことを少しずつ感じ取ります.
まず,建物は民宿なだけに大きくないですけど,手入れと掃除が行き届いていて,趣がある.これは僕たちみたいなアホな高校生でも分かります.
次に,「食事が満足に出せない」とか完全に嘘.鴨鍋を中心とした豪華な夕食が出てきたんです.並べられていくお皿を前に,僕たちは目を見合わせました.「これヤバくね?」って.
鴨鍋は部屋まで女将さんが出てきて作ってくれたのですけど,いやいや,僕たちそんなサービス受けた経験ないし.こんなの出世してからの話だと思ってたから.
そして,お風呂は広くはないけどきれい.
一日歩いた疲れがとれます.

寝る前に,天井見上げながら「なあ,ここって本当に5000円なんかなぁ.絶対高級旅館だよなぁ.明日とてつもない値段請求されたらどうしよう.足りなかったら皿洗いとか風呂掃除しようか」って不安を抱えながら,それでも疲れ切ってたので直ぐに就寝.

で,次の日の朝.
これまた美味しい朝食もしっかりいただき,料金を支払おうとしたら,女将さんが「お代は結構です」って.
大変な徒歩旅行をしているんだから・・,などと言ってましたが,それにしても,こっちは美味いもの食って飲んでして,別に世界を救う旅をしているわけでもないのに,タダはないだろうと.
それでもお代は受け取らないということで,おまけに丁寧に見送っていただけました.

宿を出た後,歩きながら話したんです.
社会人になったら,またここに泊まりに来ようって.
その時,ちゃんと5000円を返そうって.

現代はインターネットが普及し,宿泊についても「楽天トラベル」が便利ですよね.
なので,その民宿がまだあるのか.どういう民宿なのか調べてみました.
そしたら案の定,その民宿の評価はすこぶる高い.めっちゃ高い.
だからでしょう,楽天トラベルでも賞を受賞しているし.しかも,ほらみろ,夕食込みだと結構高いじゃないか!
そんなお宿が「浮浪してる高校生をタダで泊めた」なんて話が広まるとマズいので,とりあえず名前は伏せときます.調べりゃ直ぐにわかるけど.

高校生から宿泊代をとらなかったから「良い宿泊所」だと言いたいわけじゃないんです.
でも,その時に受けたサービスは「大人になった時にまた来よう」って高校生ツーリストに思わせる気の利いたおもてなしであり,僕たちの青春時代の思い出になっているんですよ.

2018年4月29日日曜日

初めてのオーダーメイド・スーツ(4)

今回は(4)ですので,それ以前に(1)から(3)まであります.
初めてのオーダーメイド・スーツ(1)
初めてのオーダーメイド・スーツ(2)
初めてのオーダーメイド・スーツ(3)

もう既に「初めてのオーダー」ではないですし,スーツではなくシャツの話になってたりするんですけど,そのへんはご了承ください.

前回は,量販店であるAOKIでもパターンオーダーによるシャツが作れるということで,それを人気テーラー店のものと比較してみようと注文してみた,という話でした.
その後,オーダーしたシャツを受け取ったので,その感想です.

比較するにあたっての条件ですが,以前作った人気テーラー店のものと同価格帯(約1万円)で,類似した生地とデザインを注文しています.

AOKIでは既製服をベースとしてサイズ変更&デザイン設定するため,左右の袖の長さを変えるとか,袖や袖口の太さを変えるといった細かい変更はできません.そのため,既製服と同様に袖のボタンは「2つ」になります.
それ以外は,よほどこだわったデザインにしなければ,テーラー店と同じようなオーダーができます.私は凝ったデザインにしたいわけではないので気になりません.
実際,出来上がったシャツを着比べてみましたが,着心地に大きな違いはありませんでした.

今回,私は先にテーラー店でシャツを作っていましたので,AOKIで採寸・注文する時にサイズ感に対する経験が活きています.しかし,全くゼロの状態からオーダーするのはハードルが高いかもしれません.基準がなければ,どこまで広くしたり細くしたりして良いのか迷うものです.
その場合,対応してくれたAOKIの店員さんが,シャツのサイズ調整に詳しい人であることを祈りましょう.

これまでAOKIでは,肩と袖丈の関係からMサイズを購入していたんですけど,今回はSサイズをベースにして肩幅を広く,腹囲を小さく,裄丈を長めに変更して注文しています.それで丁度良いサイズでした.
でも,だとすると普段のMサイズシャツよりも腹囲が10cmも細くなっている計算です.
事実,以前まで着ていた既成シャツは腹回りがダボダボのブカブカで,腰や脇腹あたりがもっこり膨らみます.鏡に映るシルエットは全くの別物.
どれだけ既製服が「多くの人が着れる」という点を重視しているかが分かります.

ところで,これを読んでくれている皆さんへのアドバイスとしては,AOKIのオーダー・シャツを利用するコツは「袖の太さに合わせる」ということでしょうか(よほど歪な体型の人は別ですが).
AOKIのオーダー・シャツは袖(手首)の太さが設定できません(2018年4月現在).しかし,首周り,肩幅,胸周り,腹囲の太さ,そして裄丈は変更できます.
なので,袖(手首)の太さがぴったりのベースサイズを選んでおいて,そこから他のところを調節すればいいんです.
と言っても,試着するベースサイズのシャツの着心地だけから,それら全てを推測するのは難しいので,ちょっとずつ試していくしかないんでしょうけど.

結論として,私の体型であればAOKIのパーソナル・オーダーというシステムで購入してもいいかなって思います.デメリットがないですから.
そこまでするならテーラー店でもいいじゃないかとも思われるでしょうが,まあ,たしかにね.AOKIであるアドバンテージはないかも.
テーラー店の方がより細かいサイズ調整ができますし,店員からのアドバイスもありますので.

ただ,AOKIはどこにでもあるお店ですが,テーラー店はそんなにありゃしない.
環境条件に合わせて使い分けるといいでしょう.

今回分かったことは,AOKIでもテーラー店と同じようなシャツを手に入れることができるということ.
質を高望みすればキリがありませんが,なんだかんだでワイシャツって消耗品ですからね.結局のところ,安い生地をリピートすることになるわけですから.

2018年4月25日水曜日

大学におけるハニートラップの話を交えて

財務次官のセクハラ疑惑が,彼を標的としたハニートラップ疑惑として話題になっています.
世も末ですね.

セクハラ事件については,一連の記事にしています.
一般的なセクハラ問題を論じる

昨日もこんなニュースがありました.
セクハラ疑惑 麻生財務相「はめられたとの意見ある」(毎日新聞 2018.4.24)
麻生太郎副総理兼財務相は24日の閣議後記者会見で、財務省の福田淳一事務次官の辞任承認を公表した際、セクハラ疑惑について「はめられて訴えられているんじゃないかとか、世の中にご意見ある」と語った。被害を受けたとされる女性の訴えを軽視するかのような発言に野党から批判の声が上がっている。
疑惑の段階ですから何を言っても自由とは思いますけど,政治家なのですから,その言葉によって招く結果には責任をとってもらいたいですね.
過去記事でも書いていますが,どうして現在の自民党・安倍政権は,こういった後々ダメージが蓄積してしまう軽はずみな言動をするのか理解に苦しみます.
断末魔でしょうか?

ネットのコメントには「ハニートラップであるとの声は実際にあるのだから,本当の事を言ったまでだろ」と擁護するものもありますが,それを言い出したら,私のように「ハニートラップに自分からはまりにいった助兵衛を,財務次官に任命したお前が責任をとれ」という声もあるのですから,これらを公平に取り上げて頂きたいものです.

なぜ麻生大臣や政府は,「一部に,女性記者を貶めるような報道やご意見がありますが,彼女の名誉のためにも,そして事務次官のためにも,早計な憶測での報道はつつしんでもらいたい」などと言えないのか.
なぜに,「むしろ,ハニートラップの疑いがある」などと,セクハラ対応における最低最悪のコメントを出すのか不思議でなりません.
そんなこと言ったって,自分たちの置かれてる状況が好転するわけじゃないんだし.

十年くらい前に,子供が行方不明になった事件がありましたが,その時にその父親の人相が悪いことや言動の怪しさを理由に,「この父親が犯人じゃないのか?」などと世間は騒ぎましたよね.
それをブログで主張した女性タレントが非難されていましたが,これと同じものだと思います.
世間が「これはハニートラップだ」とか「父親が犯人だ」などと言っているからって,それを公式の場で述べて良いことにはならない.
この常識感覚が,今の政府には無いんですよ.

今,財務省と政府がやらなければいけないのは本事件の事実確認を急ぐことであって,「もしかしたら被害者にも落ち度があったのではないか」という推理・推測を披露することではありません.

例えば,「いじめ事件」を隠蔽していると生徒からリークがあった学校が,記者会見で「いじめを訴えてきた生徒は問題児で,嘘をついているのではないかという意見もある」などと言っているようなもの.
あのさぁ・・・,って呆れるでしょ.
そういう疑惑があるのは本当かもしれないし,実際にそういう見方もできるのかもしれない.
けど,あんたらが現在課せられているのは「いじめ」の事実確認だろと.生徒や被害者を疑うことじゃねえだろと.
それと一緒です.
日本の行政はOKで,学校はダメというのはダブルスタンダードです.

さらに,毎日新聞の関連記事としてこんなニュースもありました.
セクハラ疑惑 「ある意味犯罪」自民・下村氏が発言謝罪(毎日新聞 2018.4.23)
下村氏はコメントで「女性がはなから週刊誌に提供する意図で隠し録音していたのではないかという疑念が生じた。このような懸念を伝えたかった」と発言の意図を説明。その上で「『ある意味犯罪』と述べたのは表現が不適切だった。率直に撤回するとともに謝罪する」としている。
被害者がハラスメント被害を訴えるために,隠し撮りすることは普通に行われていることです.
我々大学教員も,FD(ファカルティ・ディベロップメント)とかでハラスメント対策の説明を受けることがありますが,セクハラやパワハラの被害者は,隠し撮りなどをして証拠を残すことが推奨されています.

下村氏は「女性がはなから週刊誌に提供する意図で隠し録音していたのではないかという疑念が生じた」などと言ってますが,彼女が週刊誌に提供する意図があったかどうかは分かりませんけど,はなから次官のセクハラを立証するために隠し撮りしていたことは間違いないし,その行為自体も間違っていません.

ハラスメントしてくる奴には隠し撮り.これ基本です.それが普通の世の中になることの方がなんぼか健全です.
政府や政治家はそんなことも知らなかったのでしょうか? 今時,常識ですよ.
てか,あなた方が「ハラスメント対策」として我々に周知してたことですけどね.

本件から得られた教訓は,今後,どのような相手であっても無礼な態度を取らないようにしましょう.貴方のその言動は記録されているかもしれませんよ.という,極めて理性的で倫理的なものなはずです.
それともなんですか.メディアの記者相手なら,セクハラや嫌がらせできるのが官僚の特権とでも言いたいのでしょうか.

繰り返しますが,本件で財務省や政府が取り組まなければいけないのは,あくまでも福田財務次官がセクハラをしていたのか否かです.これがハニートラップだったのかどうかは二次的なこと.
更に言えば,これがハニートラップだったのであれば,ハニートラップに引っかかるような人物を,あろうことか,我が国の財務事務次官として任用した責任は誰がとるのか? ということであり,今後このような事態が起こらないようにするにはどうすればいいか対策を打ち出すことです.

よく,本件を「ハニートラップ」として論じたがる人は「西山事件」を引きますよね.
西山事件(wikipedia)
しかし,両者は性質や幼稚性が全く異なる事件であり,ハニートラップとは言え公務員がそれにに引っかかったことも悪いという事例なんです.
西山事件は,「男女関係を脅迫材料として,官僚から機密資料を得る」という取材方法が問題視されていましたが,今回の事件は全く性質が違います.
取材相手が女性で魅力的だったのでセクハラ発言をしちゃいました.っていうのが録音されて公表されただけのこと.
「音声を公表していいのか!」っていう指摘は当然のこと,この女性記者や週刊新潮の判断には議論の余地がありますが,公表されちゃったものは仕方ない.
セクハラ行為が本当にあったのか否かの確認は,それとは関係なく粛々とされるべきです.

ってことで,前置きが長くなりました.タイトルの話をします.
もうかなり年月が経ったのでお話ししてもいいかなと思うんですけど,私が某大学に勤めていた頃にあった,ある男性教員がハニートラップに引っかかった例です.
今回の財務次官セクハラ問題が,もし仮に「ハニートラップ」だったとすると,それと非常によく似た状況ではないかと思います.
「ハニートラップ」というと,私はすぐにこの事件を思い出します.今回のセクハラ騒動でも,やっぱりこれを懐かしく思いました.

ターゲットになった男性教員は,もともとセクハラ癖のある教員として知られていました.
そんな教員ですから,やっぱり他の部分もネジが外れ気味だったようで,周囲から嫌われていたんですね.
私としては,その先生は大学教員らしい奇人ぷりだったので面白かったのですけど,このキャラクタが大学運営陣としては気に入らなかったらしく.

で,運営陣から女子学生による「くノ一」が送り込まれたそうなんですね.この教員からセクハラの不祥事を意図的に引き出そうという計画です.
え? 学生をくノ一に使うなんて言語道断だ! って? まあ,ブラックな大学ではよくあることなので,そこまで目くじらを立てないでください.
ブラック大学の詳細はこちら→■「教職員用」危ない大学とはこういうところだ
なお,「くノ一」と言っても,実はくノ一を任ぜられた彼女らにくノ一としての自覚があったかは不明ですが.

では,どういうハニートラップだったのか?
教員と学生とが同じバスに載って移動する日帰り出張があったんですが,そこにこの男性教員とくノ一学生数名が同乗するよう画策されたのです.
もちろん,当日,くノ一学生たちは肌の露出が激しい派手な服装で登場.
セクハラ癖のある当該教員としては,いやがうえにもテンションが上がります(あくまで推測だけど).

結果,やっぱりセクハラしちゃったんです.
くノ一学生に対する服装への言及(たぶん,「オッ◯イ見えそうだね」とか,「太腿がきれいだね」とか言ったと思われ)と,極めつけはボディタッチ.
はい,アウト.
同乗していた別の大学職員や学生からも裏付けがとれてしまい,逃げ道はなし.
結局,この男性教員はさんざん糾弾され,その年度で退職に追い込まれました.

見事なハニートラップですね.
まさに,「計画通り」.
夜神月もびっくりの結末です.
と同時に,やっぱりセクハラ癖のある人は,その衝動を抑えられないんでしょうなぁ.
憐れ.

もちろん,このハニートラップには問題点がたくさんありますよ.
セクシーな学生を,わざとセクハラを受けさせるために送り込むなんて,教育現場にあるまじき行為と言えます.
それでも,やっぱりセクハラ行為をしたことに違いはないのだから,この男性教員が擁護される筋もありません.
だって,私ならその女子学生相手に卑猥な言葉はかけないし,お触りもしない.そもそも,露出が激しい女だったらセクハラしていいという理屈は成り立たない.

「男は皆オオカミだ」などと不思議な言い訳を目にすることもありますが,いえ,違います.我々は人類です.
例えば,それがオオカミでなく犬だったとしても,警察犬や盲導犬の前に,美味しそうな肉を放り込んだからって,それに元気良くかぶりついていたら警察犬や盲導犬としては失格です.
「肉を放り込んだことが悪い」とか,「美味しそうなお肉だったんだから仕方がない」なんて言い訳は通用しません.
彼らは警察犬であり,盲導犬として仕事してもらわないといけない存在なのですから.
それと一緒です.

もちろん,教育現場においても卑劣なハニートラップがあるのはたしかです.
女子学生から「自殺してやる!」と連絡が入った男性教員が現場に急行.そこで女子学生が男性教員に抱きついたところが隠し撮りされてて,ネットで拡散.生徒やその保護者からクレームが殺到したんだけど,実はそれはトラップだった,なんてのも聞いたことがあります.

たしかに悪質なハニートラップですが,こういうのは管理職や教育委員会が対処すれば直ぐに名誉回復できる話だし,セクハラとか不適切な関係とは言えない事案です.あくまで「スキャンダルの捏造」というレベルの話.

警察犬や盲導犬の例えで言えば,「よし!」と言われたのでお肉にかぶりついたら,実はその肉はニセモノだったというのと一緒.別にそのワンちゃんに「ニセモノを見分けられずにかぶりついた罪」なんてものはありません.
翻って今回の財務事務次官ハニトラ疑惑では,美味しそうなお肉が放り込まれたので,それにかぶりついちゃったという話でしょ.
性質が全然ちがうんですよ.


2018年4月23日月曜日

一般的なセクハラ問題を論じる

先日まで財務次官セクハラ問題に触れてきたわけですが,
そろそろ飽きてきたので,一般的な話もしてみましょう.

海軍だった祖父から存命中に聞いた話ですが,旧日本軍の理不尽さを象徴するものとしてメディアでよく見聞きする「上官からの鉄拳制裁」は,そのほとんどが理不尽なものではなかったと言っていました.
そりゃもちろん,「理不尽な状況」での鉄拳制裁は理不尽だと感じるんですけど,現在伝えられている「旧日本軍の鉄拳制裁」は誇張が過ぎるということです.
「殴られた奴は,殴られるような奴だった」というのが祖父の印象.
殴られる奴は,それなりに理由があって殴られていたとのことです.

もちろん,だからと言って上官が部下に暴力を奮って良いということではありません.
何かにつけて暴力で指揮系統を保とうとする組織が,まともに機能するわけがない.
例えば同時期のアメリカ軍では,かの名将ジョージ・パットンが,負傷した部下を「臆病者」と罵り殴ったことで,指揮官をクビにされるという重い処罰を受けています.
ジョージ・パットン(wikipedia)
名将であろうと,軍事組織であろうと,暴力を使って運営することは許さない,というのが,大きな成果を得る上でも理性的な判断なのです.

旧日本軍による部下への鉄拳制裁は,負けが込んできた中にあって苛烈になっていったとされますから,追い詰められて正気を保てなくなった上官ほど部下に八つ当たりしたという側面もあるでしょう.
そういう意味でも,日本はアメリカに勝てっこなかったわけです.

さて,これをセクハラ問題と強引に結びつけようと思うわけですが,私の経験上は,「セクハラで訴えられる奴は,セクハラで訴えられるようなことをしている奴だ」ですね.

セクハラを訴える方にしたって,好きで訴えたいわけじゃない.
できれば穏便にしていきたいのが一般的な感覚です.ましてや日本人ならそう考える傾向が強いでしょう.
昨今のセクハラ報道のたびに,「こんな調子だと,なんでもセクハラで訴えられるようになる」などと煽り立てる人がいますが,そんなものは杞憂です.
そいつ,どんだけセクハラで訴えられるのが怖いんだか.

訴える方だってリスク背負ってるんです.それで人間関係が崩れるのが嫌だろうし,反撃されるのだって怖い.できるだけ訴えずに済ませたいのが本音でしょう.
その高いハードルを乗り越えてでも訴えようというわけですから,よっぽどそいつを「セクハラで訴えたい!」という強い意志がなければ,セクハラ問題なんてのは滅多に発生しないことは容易に想像できます.

私自身はこれまでにセクハラ騒動に巻き込まれたことはありませんし,自分で言うのも恥ずかしいですが,仕事を共にした女性達からも紳士として評判もいいんです(笑).
どうすればセクハラで訴えられるような状態に持っていけるのか,逆にその行動原理を聞いてみたいくらいです.
だからでしょうけど,女性からセクハラ相談を受けたことが何度かあります.ちなみに,それらは主に教育現場での学生,職員,教員からです.

そこから言えるのは,上述したように「セクハラで訴えられてもおかしくない奴」が加害者として上がってくるんですよ.
はっきり言って,「まさかあの人が!?」なんてケースに出会ったことはありません.
全て「あぁ,やっぱりね」です.
ようするに,普段から私の基準・感覚からして強いセクハラ行為をしている奴です.

もっと言えば,「セクシャル・ハラスメント」だけではなく,ハラスメント行為全般が危険水位だったりする.
つまり,セクハラで訴えられる人ってのは,その人自身「ハラスメント行為」に対する認識が弱く,常時周囲にハラスメント被害を撒き散らしているわけで,その被害から逃れたい人が,たまたま理由に持ち出してきたのが「セクシャル」なハラスメントだったというケースがほとんどだと思うんですね.

ですから,「セクハラ行為と,そうじゃない行為の違いが分からない」とか,「同じ行為をしても,OKな人とNGな人がいるのはおかしい」などという主張はナンセンスです.
「セクハラ」というのは,そいつのハラスメント行為全体を総合評価した上で,たまたまセクシャルな部分が酷かった場合に選択される,ハラスメント被害の「理由」の一つでしかありません.

もっと簡単に言えば,セクハラで訴えられるような奴は,他のハラスメント領域でもアウトな行為をしているんですよ.「もうコイツ,ホントいい加減にしてほしい」って.だから訴えられた.
なので,上述したように「セクハラで訴えられる奴は,セクハラで訴えられるようなことをしている奴だ」ということ.

中には「セクハラさえなければ,それ以外は物凄く良い人なんだけどねぇ」っていう稀有な人もいるでしょう.
けど,そういう人はセクハラで訴えられるようなレベルまでいきませんよ.たいていは「物腰が柔らかくて謙虚なんだけど,下品なイタい奴」で済まされます.
それに,「物腰が柔らかくて謙虚」なので,もともとハラスメントに対する配慮ができる人なんですから,周囲の誰かが「お前ちょっとやり過ぎだぞ」と言えば抑えが効きます.

難しい話ではありません.
相手を不快にさせないコミュニケーションを心がけさえすれば,セクハラなんて気にしなくて済むんです.
もっと言えば,別に「不快にさせない」ことを目指さなくてもいいでしょう.怒らせなければいいのだし,無礼なことをしないという,極めて簡単な話です.
そしてそれは,「これはOKで,これはNG」などという線引きやカテゴライズができるものではなく,相手との動的関係の中で作り出されるものです.

言い換えれば,セクハラで訴えられることにビビっている人ってのは,どうすれば相手を怒らせずに済むのか分からない,もしくは人類に普遍的な礼儀を知らないということです.
これは別に煽っているわけじゃなくて,そういう不安も分からないではないんです.
だからマニュアルを求めてしまう.
「セクハラで訴えられないようにするには,どうすればいいの?」って,そんなバカバカしい問いがあるかって私は思っちゃいますけど,ある意味では難しい話なのかもしれません.

似たような話として「マナー」を取り上げたこともありますので,その記事も読んでみてください.

ハラスメントの話って,いじめ問題とかマナー問題と非常に強い関係があると思うのですが,かなり込み入った話をしなければいけないので,これについては機会を別にして論じてみたいと思います.

2018年4月21日土曜日

追記:財務次官セクハラ問題を論じる

前回記事の
財務次官セクハラ問題を論じる
の追記です.

セクハラ疑惑が浮上した財務次官の更迭が決まってから2日が経ちましたが,予想以上に「これはハニートラップだ」との声が大きいので,この点について追記しておきます.

前回記事でもお話ししたように,これがもし「ハニートラップ」だったとしたら,財務次官としてはセクハラ以上の大問題でしょう.
なんせ,一国の財務次官がハニートラップにかかってるんだから.

彼はそこらへんの企業の社員や経営者ではありません.日本の財務次官なのですよ.そんな立場にある人が,記者と称する女性に鼻の下を伸ばして猥褻な言葉を交わすなんて情けないにもほどがあります.
マジで,「セクハラ」で訴えられただけで良かったと思います.

もし財務省の機密事項をすっぱ抜かれたら目も当てられないし,もしこの女性記者が外国勢力のスパイとして仕掛けたものだったら,責任問題などと言ってる場合じゃない.
そんな事態の話を,「これはハニートラップだ」などと,まるで財務次官や財務省を擁護するかの如き見解が流布されている日本.
今回のセクハラ問題は,この国に「危機管理能力が全く無い」ということを,全世界に知らしめた事件だと私は認識しているんですけど,ネトウヨほどそういう自覚が無いのかもしれません.
これが本当の「お花畑」ですね.

記者はスクープや物事の裏事情を求めて取材するのが仕事です.そのためには可能な限りの手法を使うでしょう.それが問題視されることだってあります.
それはそれで話を別にして批判されなければいけませんが,今回の事件の論点ではありません.
今回の女性記者にしたって,彼女なりに福田財務次官も同意する手法でニュースのネタを引き出そうと取材したに過ぎません.
それに対し,「女を武器にした」とか「本人にもその気があったのでは?」などというのは筋違いです.現時点で確かめようがないし,きっと永遠に確かめられない.

この福田財務次官に妻子があるのか知りませんけど,仮に結婚していなかったとしても,記者と会話するのであれば,相手の女性に「その気」があると期待していても慎重にならないといけません.
だって彼は財務次官なんだから.
一国の行政機関のトップとしての常識と覚悟が求められる立場なのですから,取材に来たと称する女性とイチャついてる事自体がまず問題です.
イチャつくにしても相手をちゃんと見極めろよってこと.

それともなんですか.セクシーな女性記者による色仕掛けがあれば,男性官僚は引っかかっても仕方ないともで言うのでしょうか.
冗談じゃない.一国の財務次官が,記者の色仕掛けに引っかかって「言葉遊び」なんかして良い訳ないでしょう.

例えば私が,セクシーな女子学生に言い寄られて,彼女といい関係になって猥褻な言葉を交わしていたとします.その後,彼女が私からセクハラを受けたと訴えられた時,皆さんは私を擁護してくれますか? しないですよね.
十中八九,「そもそも,教員が学生とそんな関係になってはいけない」とか,「プライベートを管理できていないバカ教員」などと言うはずです.
えぇ,その通りですよ.今回の事件と一緒.
これに対し,「どうせ女子学生は単位が欲しくて近づいただけで,この教員はその犠牲者だ」などと擁護してくれたとしても,全然「セクハラ」の擁護にはなりませんし,一般通念上の大学教員としての振る舞いとしては不適切.その責任は免れないのが昨今の風潮です.
これが次官クラスの官僚なら,尚の事.

繰り返しますが,今回はこの女性記者に日本国や財務省を貶める悪意が無い人だったから良かったものを,もし意図的に日本を攻撃するつもりで近づいている人だったら,「セクハラ」では済まないんですよ.
少なくとも,先日まで勤めていた日本の財務次官には,ハニートラップが有効なチョロい奴が任命されていたことが明らかになったわけです.
より深刻な事件や失態を起こす前に,早めに更迭になって良かったですね.って私は思います.いや,ほんとマジで.
「これはハニートラップだ」と声を上げている人は,そのことを踏まえた上で言っています?
もしそうであれば,今回の事件は財務省および任命した政府にそれなりの責任をとってもらわないと済まない話ですが,彼らからのそんな声は小さいのが現状です.

いや,むしろ政府や財務省としては,ここまできたら今回の事件を「セクハラ」で終わらせたいのが本音ではないでしょうか.
「セクハラじゃない」と争えば争うほど,「じゃあ,どうしてこういう事態になったのか?」という点がクローズアップされるわけですから.
そして,「ハニートラップだ」などと言われれば言われるほど,自分たちの無能さを晒すことになります.だって,次官クラスがハニートラップにかかって政府がのほほんとしてるわけにはいかないでしょう.

私が本件の火消し参謀だったら「セクハラ」で押し通しますね.
「今回の事件はセクハラだ.財務次官の性格から惹起された,個人的なミスだ.まさかこの次官がそんなに脇が甘いとは思わなかった」ということにした方が賢いと思いますよ.
そうじゃないと,もっと大きな構造的問題に踏み込まれる可能性がありますから.
そっちは今のうちに裏から手を回して,隠しておきたいはずです.

ひとまず,基本的なところとして記者との付き合い方について通達を出すでしょうね.
記者との飲食や会話内容について,あれこれ制限がかかるはずです.
逆に,そうしないともっと深刻なトラブルが発生するはずなので,今後,ちょっと楽しみにしておきましょう.
もっと言えば,多分,安倍政権はそこらへんの危機管理能力が無いので,本件に関連した事件が発覚する可能性は高いと思います.


「政治と記者」について,アメリカの事例が映画になっています.
「セクハラ」とは違って,シリアスな話題です.こちらもどうぞ.
体育学的映画論「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」


2018年4月20日金曜日

財務次官セクハラ問題を論じる

授業が始まる前,何人かの学生が世間話してたんですけど,そんな彼らが体育教員である私にこんな質問をしてきました.
「愛媛で脱走した脱獄犯ですけど,きっと海を泳いで逃げたんだと思うんですよ.先生が脱獄犯なら,どうやって泳ぎますか?」
って聞かれたんで,
「ん〜〜,そうだなぁ,『平泳ぎ』だね」
って答えました.

そしたら互いに向き直って,
「ほらなっ,ほらなっ,先生も言ってるじゃん.やっぱり長距離は平泳ぎなんだっつーの」
って盛り上がってるんです.

私としては容疑者の名前を使ったダジャレのつもりだったのですけどね・・・.
脱走の平尾容疑者、翌日にドラッグストアで牛乳や菓子購入(産経WEST 2018.4.16)
実際のところ,渡海するつもりなら浮き輪かチューブみたいなものを抱いて,休みながら泳ぐと思いますよ.そうじゃないと高確率で死ぬから.


びっくりニュースがテンコ盛りな昨今ですが,最近はこれに「財務次官セクハラ問題」が急浮上してきました.これだけの浮力があれば瀬戸内海を渡るのも怖くない.
財務次官、セクハラ疑惑で更迭(時事ドットコム 2018.4.19)

私もネットニュースをつまみ食いしてみたんですけど,なんとも情けない話です.
更迭で済んで良かったですね.いやホントに.

ところが,このセクハラ問題について斜め上を行く「財務次官(福田)擁護論」を説く方々が結構いらっしゃるようです.
なんでも,「女性記者にも問題がある」とか「セクハラの存在を知りながら取材を継続させた記者の上司が悪い」とか「これはハニートラップだ」とか.

どれもこれも,まるで次官擁護になっていないのが哀しいところですが,これらを説く方々の声がかなり大きいので,この際,箴言しておこうと考えました.

まず,そもそもの話として,この福田財務次官は「記者を相手に,セクハラをした覚えはない」ときっぱり明言していたのにも関わらず,証拠がボロボロと出て来る事ここに至ってセクハラを認めたわけですね(建前としては「職責を果たせる状況ではない」という理由で更迭の扱い).
つまり,己の罪を自覚していながら,その指摘に対し,言い逃れるための嘘をついていたのです.

この時点で完全アウト.もう救いようがありません.
せめて一番最初に「記者に不快な思いをさせていたのであれば,これからご本人と協議・相談し,事実確認をしてから,改めてご報告したい」などと言えば良いものを.
ましてや,「セクハラだというのであれば,被害女性が名乗り出てくるべきだ」などと,セクハラ対応としては最低最悪の態度をとりました.
これだけ企業・団体等にセクハラ対応ガイドラインが普及している昨今,財務省がダメダメというのも面白いですね.

マッチョなウヨク系の方々は「被害者が名乗り出ずに訴えられるのであれば,セクハラ被害はなんとでもでっち上げられる」と息巻いていましたが,おおよそ常識的対応感覚があればバカな話です.
面倒くさいので今回は割愛しますが,今後もそのような感覚でセクハラに対応していくつもりであれば,その態度は極めて危険なので改めることを強く推奨します.

ところで,これは行政を司る本体である「安倍政権」にも言えることですが,このような不祥事が出てくる度に,なぜに後々になって致命傷となることが確定的な言い訳・言い逃れをするのか?
これは私の邪推ですが,安倍一強と呼ばれるこの状況では,政治家も官僚も「安倍政権に忖度しておけば,少々のことをしたって誤魔化せる.もみ消せる」という驕りや楽観視があるのではないか.
今回のセクハラ問題にしたって「被害者が名乗り出てこい」などという,おおよそ性犯罪に対する一般常識的な対応とはかけ離れた態度がとれたのも,そうした特権意識があったからではないかと思いたくもなります.

さて,今回の騒動について「女性記者にも問題がある」とか「セクハラの存在を知りながら取材を継続させた記者の上司が悪い」といった指摘もありますが,たしかに女性記者「本人」にとっての幸福を考えれば,一連の行為には「セクハラを受けても取材を継続する」とは異なる別の選択肢があったのかもしれませんね.それは認めます.

セクハラを我慢して取材を続けなくても,この担当から外れることだってできただろうし,上司に文句を言うことだってできる.しかし,こうした選択肢はこの女性が「記者」という仕事を続けていく上で,天秤にかけるものが多過ぎることが容易に察せられます.
つまり,現時点での現実問題として,この女性記者に「財務次官への取材が不愉快だから辞める」という選択肢がとれたのか?ということ.

この記者の上司に対する批判も当然認められるでしょう.セクハラを知りながら,それでも継続させたことは,社員の扱いとして批判されるに値すると私は思います.
こういったことは,例えば家庭内暴力や浮気に悩む妻が,夫と離婚したいんだけれど子供の事を考えたら離婚できないと考えて結婚生活を継続しているようなものです.
それに対し,姑が「今は子供のためにも耐えてちょうだい.夫婦生活にはそういうことだってあるわ」と言うことだってあるでしょう.
妻一人の幸福を考えたら離婚するのも手段の一つでしょうし,それが最善と考える人もいますが,それを最善とは考えない人だって当然いるわけで.
セクハラを受けても取材を継続する記者というのは,本質的にそれと一緒です.

ですが,これらはあくまでも女性記者本人とテレビ朝日内部の問題.それによって福田財務次官のセクハラ行為に情状酌量の余地が出てくるわけではありません.
話し相手が嫌な顔をしない(という主観的感覚があった)からといって,他人に卑猥な言葉を浴びせていいことにはならないからです.
私だって誰だって,話し相手がバカバカしいことを言ってきたからって露骨に不愉快な顔をすることは少ないでしょう.でも,それを良い事に「コイツなら何を言っても大丈夫」と思われるのは心外です.
そんなこと,一般常識がある人なら,まして一国の事務次官ともあろう者であれば心得ておいてほしいことです.

「今回のセクハラ事件は,ハニートラップではないか」などとアクロバティックな事を言い出す人もいます.
財務次官から卑猥な言葉をかけられても何度も近づいて,居酒屋で飲みながら取材する,なんてのは,女を武器にした取材じゃないのか,って論法です.

ハニートラップですって.
バカじゃないの?
むしろ良かったですね.ハニートラップじゃなくて.
もし本当にハニートラップだとしたら,「セクハラで訴えられる」だけで済んで良かったと言えます.
別に皮肉じゃありません.

だって,考えてもみてください.もしこれが女性記者によるハニートラップなんだとすれば,日本国の財務省事務次官は,この度,見事にハニートラップに引っかかったということですよね.
それはそれで極めて重大な不祥事です.人事権を握っている人には,ぜひとも責任をとって頂きたい話です.
ましてや今回は,トラップにかかっただけでは飽き足らず,事務次官自らセクハラ認定されるような卑猥な言葉をかけちゃってるんだから世話ない.
二重三重に残念な話です.

「これはハニートラップだ」と女性記者を非難している人達は自覚があるのでしょうか?
それは福田財務次官の罪をさらに晒し出し,その監督者である安倍政権の責任を問うているということを.
まあ,そのつもりで言ってるんだったらそれはそれで良いのですけど.

仮に今回のこの女性記者やその上司(と,テレビ朝日サイド)が,ハニートラップみたいなものを仕掛けた自覚があったのだとしましょう.
だとしても,それは悪いことなんですか?

ハニートラップに引っかかるようなバカが財務次官をやっていることが白日の下になったわけですから,ある意味でスクープですね.テレビ朝日さん,おめでとうございます(でも,それだとおかしいな.週刊新潮に垂れ込んだんですよね).

なにはともあれ,今後,財務省およびその任命責任者は,記者にセクハラ発言をするような奴を管理職に置かないよう注意していただきたいですし,それをもみ消そうとしないでいただきたいですね.
それが今回の事件から得られた教訓です.あまりに次元が低い気もするけど.

あっ,もしかするとこの女性記者,ハニートラップで財務省の重大ネタを掴んでいるかもしれません.
それが出てきたら「ハニートラップ」として認定してもいいかも.


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2018年4月17日火曜日

モリカケ問題とか日報問題を,大学教育で例えてみる

「その問題というのは,例えて言うなら,総理大臣と懇意にしていた会社が特別に利益を得られる仕組みになっていたようなものだ.だから政府や総理大臣は,その疑惑をすぐに払拭できるよう準備していないといけいないし,それが出来ないのであれば責任をとって退陣しなきゃいけないでしょう.それと一緒だよ」
などという例え話が通用しなくなっているのが現代日本なのです.
もう既に末期症状だと思います.

「メディアは疑惑ばかり報じるだけで証拠を出さない」とか,「総理は悪魔の証明を求められている」などと,おおよそ民主主義国家の国民とは思えない言動をしている人が結構います.
少なくとも我が国の首相は王様ではありません.政府も教会ではない.
国民は,政府や政治家を常に疑ってかからないといけないし,政府と政治家の側も,疑惑をかけられたらそれをすぐに払拭できる証拠を用意しておくのが健全な状態というものです.

例えば,夫が女と週に何度も食事していて,ラブホテルへ一緒に出入りしているところを,妻が写真に収めて「この女は誰なのよ!」と迫ったとします.
その夫が「こいつとは何もないよ.浮気だというのならその証拠を出せ!」と反論してきたからって,
「そうね,これは浮気を示す決定的証拠じゃないから疑惑のままね.その女とやってるところをおさえることが出来るまでは,夫を信じるわ」
なんて悠長な妻はいないでしょう.
「浮気してるんじゃないか?」という疑惑,それ自体が夫婦関係の問題になっているわけですから.
国家運営で言えば,この政府は議会制民主主義を進行していく上で信頼できるのか? ということが問題となっているわけですよ.
「じゃあ,代わりは誰かいるのか!?」なんて,トンチンカンにもほどがある.そんなの,離婚してから考えればいい.

夫が本当に潔白なのであれば,妻からの信頼を取り戻すために証拠をこれでもかと出し,件の女を呼び出して事実関係を証言させるはず.国家運営で言うなら,公文書公開とか証人喚問ですね.
もちろん,それだけじゃ妻は納得しないだろうから(都合のいい証拠しか出さなかったり,女と口裏合わせしているだろうから),ラブホテルに女と同行した退っ引きならない事情や,その事情を知る関係者を集めるなどして,疑惑を払拭するために説得するものです.
ところが,それに応じず「疑惑をかけられているのは俺なんだから,証拠を出すのはそっちだ」とか,「ほら,あの女も俺とは何もなかったと証言しているじゃないか」などと言い出すような奴とは離婚するに限ります.
そんな男は信頼できないでしょう.同様に,そんな態度をとる政府はどう考えてもおかしい.

さらに言えば,夫がホントに本当に潔白だったとしても,妻が納得する証拠提出と説得ができない男や,特定の女と日常的に食事したりラブホテルに行く行為を普通だと思っている男は,その時点で離婚です.
前者は無能だし,後者はバカです.
「浮気の証拠が出てこないのだから大丈夫だろう」などと考えてる場合ではありません.
こいつに「夫」としての資質があるのか? ということが問われているんです.

モリカケ問題とか自衛隊日報問題に揺れる安倍政権というのは,「証拠がないなら無罪」とか,「悪魔の証明」などといった次元で論じられるものではないので,こうした色恋沙汰で例えることもできるのですが,もうちょっと上品に例えることもできます.

これを大学教育現場で例えてみましょう.
大学教育において,教員−学生間に生じる「疑惑」と,その対処が求められるものに試験結果の根拠説明があります.
最近の大学って,期末試験とか中間試験をとても厳密にやるようになってきています.昔のような適当な試験方式はだんだんなくなっているんですよ.

具体的に言うと,学生は授業の成績を左右する試験の結果については,その採点に疑惑や不服がある場合は,大学事務(主に学生課とか教務課)を通じて訴えることができるようになっています.
以前(20年くらい前)であれば,学生が教員の研究室に直接出向いて交渉されていたのですが,徐々に「コンプライアンス重視」とか「説明責任」といったことが浸透してきて,現在のように大学事務局を窓口にするようになりました.

「教授のところに地酒を持参して懇願したら,テストの点数が可になった」とか,「胸元がパックリ開いた服で訪問して訴えたら,特別に追試を受けることができた」などという話を聞いたことがある40代以上の大卒の人は多いでしょう.
実際,そういうことは以前はたくさんあったんです.そういう意味では,昔の政治も似たようなものかもしれない.
でも,今はそういうことができないような成績管理システムになっていたり,採点方式の公平公明性が強化されてたり,教員が勝手に成績変更できないようになっていたりします.

ようするに,学生としては自分の成績が「おかしい」と疑惑をもったら,それを自由に訴えればいいという形式になっています.
このため,昔と現在の成績評価に関する最も大きな違いとしては,現在では「試験の採点手続きや,成績・点数の割合が説明できるようになっている」ことにあります.
つまり,現在の大学教員は,「どうしてA君が75点で,B君が80点なのか? この5点の差は何から生じているのか?」ということを,きちんと説明するよう求められているんです.

え? 昔は違ったのかって?
そうです,昔は適当に採点していた先生方が多かったみたいですね.なんとなく,こいつは80点だろう,こいつは65点だな,って感じで.

そんなことしてると,「なんで私が65点なんですか!」って怒ってくる学生が出てくるわけですけど,あんまり煩いからそいつを80点に変更したら,それを聞きつけた80点の学生が「訴えたら点数が上がるんすか!」って怒り出して面倒なことになっちゃったから,ちゃんと窓口用意して,教員が勝手に成績変更できないようにしようと.そういう経緯があって現在のシステムになっています.

あと,どうしてこの学生が「70点」なのか,その割合もきちんと説明できないとダメになっている大学がほとんどです.
実際,いろいろな大学のシラバス(履修要項)を見てもらえれば,成績の算出方法が掲載されています.
出席30%,レポート10%,テスト60%などと書かれることが多いですね.担当教員によって,この割合や項目が違いますが,つまりは点数の割合を説明できるようになっています.
ちなみに,最近は「出席」を点数化させることを嫌がる大学も増えています.授業に「出席」するのは当たり前だから,これを成績の点数にするのはダメでしょう,っていう理屈です.

もちろん,レポートやテストも,どうしてその点数になったのかを説明できるよう求められています.
なので,レポートやテストの結果(つまり,解答用紙)は規定期間を過ぎないと破棄できないようになっています.こういうのを「根拠資料」って言います.
教員自身ではなく,大学事務で保管するところもあるそうですが,たいていは成績確定する年度内もしくは1年間,あとは卒業年の目安である4年間とかです.
その期間は,学生からの成績評価に対する訴えや調査があった場合に備えて,「どうして◯点なのか?」に答えられるようにしています.

最近では,教員側も「どうして君が◯点なのか」を後々説明するのが面倒なので,授業内でフィードバックできる仕組みにしている先生方もいます.
例えば,出席1回で3点,遅刻は1点,課題提出1つが10点満点で,グループワーク1回参加が5点ですよ,といったリストを第1週目の授業から学生に渡しておいて,学生自身に自分の成績点数が明確に分かるようにするものです.これだと学生は「僕は少なくとも80点だな」とか,授業期間の途中で「俺は欠席が多いから,今から全部出席したとしても単位が出ないな」ということが判別できます.

まぁとにかく,一部の学生にとってはそれほどでもないけど,他の一部の学生にとっては大変重大な関心事である「成績評価」に対する説明責任を果たせるよう,大学は準備されています.
長くなりましたが,これが疑惑を持たれた政府と同じです.

実際,「私が◯点なのは,どういう理由からですか?」なんて訴えてくる学生はほとんどいませんよ.極めて稀です.
たいていは,教員の裁量を信じて「あぁ,私はこういう点数なんだな.まっ,単位をくれているから良しとしよう」って感じで何事もなく過ぎることです.
でも,その評価基準に疑義を持った学生が現れるのもたしかで,どうして君が◯点なのか? ってことを説明できなきゃいけないのが大学当局,担当教員ということになります.

学生からの「これって,いい加減に採点した結果じゃないんですか?」という疑惑に対し,「その採点を適当につけたと言うなら,その証拠をお前が出せよ」なんて態度が通用するわけないでしょう.
「あなたが◯点なのは,これこれ云々の結果ですよ」って回答できなきゃいけないのが当たり前です.成績評価っていうのは,それだけシリアスなものだからです.

それが国家運営・行政だったら尚の事でしょう?
誰かが「それって不公平じゃないですか?」とか「間違ったデータに基づいて話を進めてていませんか?」などと疑惑をかけたら,その疑惑が的外れであることを明瞭に示すことができなきゃダメなんですよ.それが議会制民主主義の行政を行っている担当者の責任です.

それが出来ずに,いつまで経ってもツッコミを受けているような安倍政権は,その時点で退陣したほうが日本のためです.
もしかすると,本当に安倍政権は潔白なのかもしれない.でも,身の潔白を証明するのにここまで混乱を引き起こしているのは,行政を取り仕切る能力がないものと考えるのが妥当です.

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「悪魔の証明」を振りかざす奴
森友学園問題をまとめてみた
森友学園とか加計学園問題なんて議論している場合だ
やっぱり森友学園とか加計学園問題は議論している場合だった

2018年4月15日日曜日

初めてのオーダーメイド・スーツ(3)

初めてのオーダーメイド・スーツ(1)
と,
初めてのオーダーメイド・スーツ(2)
の続きです.なので(3)です.

先般,故あってスーツやシャツをオーダーメイドにしたことから本記事を書き始めたのですけど,今回書こうとしていたことと関連するかもしれないニュースを見つけました.
こういうのです↓
生き残りをかけた紳士服チェーンの戦略、軍配が上がるのは多角化か本業重視か?(投信1 2018.4.14)
今後、少子化などにともない、スーツ市場はさらに縮小することが予想されます。生き残りをかけて、各社ともに新たな取り組みを進めています。その一つが「非スーツ」の多角化です。
大手4社の中で、早くから多角化を進めてきたのがAOKIホールディングスです。連結子会社を通じて、結婚式場・披露宴会場の運営、カラオケ・複合カフェ・フィットネスクラブの運営などの事業を行っています。同社グループでは現在、ファッション以外の売上構成比が4割近くに達しています。近い将来にはそれを5割にするとしています。
(中略)
AOKI、青山、コナカが「非スーツ」の多角化を進める中、独自の戦略を展開しようとしているのが、業界4位のはるやまホールディングスです。多角化には走らず、オリジナル商品などの「本業」に力を入れています。
創業二代目の治山正史社長は「スーツで日本を健康にする」宣言をかかげ、健康をサポートする機能性商品の開発を積極的にすすめています。
過去記事でも書いていますが,私はこの15年ほど服装はほぼ全てAOKIで購入しています.
偶然ですけど,引っ越すたびに近所のアパレル店がAOKIだったというご縁だからです.
わざわざ都市部へ出かけて服を買いに行くのも手間だし,こだわりがあるわけでもないので,店員と相談しながら「最近の」,そして「無難な」スーツやカジュアルウェアを買っていました.

ちなみに,ここ数年はAOKIでもカジュアルウェアのコーナーで服を買うことはなくなりました.
カジュアルはジャケパンとスポーツウェアで済ましています.
どうしてこんなことになってきたのかと言うと,当然のことながら私の現在のライフスタイルとしてスーツとジャケパン,あとはスポーツウェアで事足りるからというのもあるのですけど,実は(近所の)AOKIの品揃えや売り方の影響も多少あるんです.

他の店も同様なのかは分かりませんが,5年前に私が越してきた近所のAOKIの店員の対応が雑なんですよ.
いえ,その店の全員というわけじゃないですし,けっこう店員の入れ替えも激しいから何とも言えないことは確かですが,これまでに通ってきたAOKIの対応とは別物でして.
まあ,かつて出会った例の「ハイスペック・ババア」が特殊過ぎたのかもしれません.
若手研究者用:スーツの上手な買い方・着方

今行ってるAOKIでは,とにかく「お客様,お似合いですよぉ〜」って言っとけばいいと思ってるフシがあります.
どっちがいいですかね? って聞いても,「どちらもお似合いですよぉ〜」って.
あのハイスペックババアなら,「そっちはダメよ.こっちにしなさい」って言ってくるだろうことは容易に想像できます.

当初は「これだから関東は・・」と思ってしまいましたが,人生いろいろ量販店もいろいろと諦めています.
だからなんですけど,もしかすると上記記事にあるように,ファッション分野以外のところに注力してきている影響が出てるのかなぁって思ったりしました.そこまで鮮やかに現れるわけではないでしょうけど.

もちろん,中にはきちんと対応してくれる店員さんもいるのですが,名札とか見てみると,どうやらAOKIには「認定スタイリスト」みたいな制度があるらしく,そういう人だとアドバイスもしっかり受けられるようです.
店に入ったら極力その人に対応してもらえるよう微妙にアピールしてました.あっちも私のことを覚えてくれたぞ,って思ってたら,最近店を異動になったっぽい.以前までレジに飾ってあった,認定スタイリストの証書みたいなのが無くなってたから.

で,そんな中での「初めてのオーダーメイド・スーツ」というわけですよ.
きっかけは卒論学生からのプレゼントですが,この機会に量販店とは違う体験をしてみようと.

そしてスーツを作って1ヶ月になりました.
卒業式を含めて何度か着る機会があったわけですが,実のところ,量販店で購入したスーツとの目立った違いはあまりないのが実情です.
今回作ったスーツが「やや英国調のクラシックなもの」だったので,生地もシルエットもこれまでの手持ちのものと違うのはたしかですが,それを言い出したら量販店でも似たようなものは手に入ります.AOKIにもパターンオーダーのスーツがありますから.
これから先,時間を経ていく中で違いが現れてくることも予想されますが,今のところはそんなに劇的な差は感じません.

ただ,同じ値段クラスなのにサイズピッタリ,デザイン自由のものが手に入るのは大きなメリットでしょうね.
これまでAOKIでは「体型に合うスーツ」を手当たり次第着てみて決めていたのが,「これがいい」というものを作れるわけですから.

逆に言えば,AOKIのように量販店でスーツを購入するメリットとしては,完成品を試着して購入できるので,「間違いない」ものが手に入る安心感があります.
詳しくアドバイスをもらえる店員に対応してもらえれば,細かいサイズ調整もしてくれますので.
その一方で,あまり詳しくない店員が相手だと,「余計なこと言って失敗したくない」という遠慮もあるでしょうから,オプションによる別料金を払わせずに既製品をそのまま売ろうとする力学が働くのは仕方がありません.その場合,こちらからいろいろと注文しなきゃいけないことになりますが.
そんなわけで,私としては,オーダーメイドのお店ではかなり詳しく店員からアドバイスや評価がもらえるので心強かったです.
オーダーメイド店の強みはここが大きいかもしれません.

ところで,この度オーダーメイド・スーツを作った際に一番感動したのが,実はスーツの方ではなくシャツだったんです.これについては前回記事で書きました.
初めてのオーダーメイド・スーツ(2)

シャツなんてジャケットの下に着るんだから適当なもので大丈夫と考えていたのですが,よくよく考えれば夏場はジャケットを羽織らないし,今回のオーダーシャツだと裾が醜く上がってこない事がすっかり気に入ってしまい,今後はサイズにこだわることにしました.
私の体型だと,既製品ではどうしても腹回りがブカブカヨレヨレになっちゃうんですね.
それに困っていたのですが,最近になって,なんとAOKIでもパターンオーダーによるシャツを作ってくれることを発見したんです.昨年から始まったそうですね.

ほらね,こういうことを紹介してくれないんですよ,ここのAOKIでは.こっちはずっと「もっと腹回りをすっきりまとめたいですねぇ」って言ってたんですから,「では,オーダーすることもできますよ」って紹介してくれれば,もっと早く注文できたのに.

そんなわけで,有名オーダーメイド店のオーダーシャツとAOKIのオーダーシャツにどんな違いがあるのか検証してやろう,と考えて注文してみました.
なお,まだ受け取っていませんので,今回は注文状況だけのご報告です,.

タブレット端末を使って入力していくんですけど,案の定,ここのAOKIの店員からは細かいアドバイスは受けられませんでした.ご自由にどうぞって感じなんです.
でも,今の私には既にオーダーシャツの着心地やサイズ感の知識があります.これを頼りに模索していきました.
見本を着ながら注文していくもので,基本となるS〜Lサイズのシャツから,腹回りをもっと細く,袖をもっと長くなどと,意外と各パーツを細かく微調整できます.よほどこだわりがない限り,これで十分な気もします.

サイズの違うシャツを着分けて,「どっちが適切ですか?」って店員さんに聞いても,「どっちでも大丈夫のようですよ」って答えてくるので,こりゃ当てにならないなと諦めて,例のオーダーシャツの着心地を思い出しながらサイズ変更していく感じ.
逆に言えば,見た目のサイズなんてのは,こだわりを持ってる人以外は気にならないものなんでしょうね.

今回は,ひとまず1着だけ注文.
あまり攻めたオーダーはしていないですが,とりあえず完成したものを着てみて,細かい調整は今後検討していくということで.
でも,そんなことするくらいなら最初からオーダーメイド店で作れよって話かもしれませんが.

そのうち,ついでにAOKIのオーダースーツも試してみようかなって思ってます.


2018年4月11日水曜日

国立新美術館の「ビュールレ・コレクション」に行ってきたよ

印象派好きとしては見逃せない.
そう思いまして,国立新美術館で催されている「ビュールレ・コレクション日本展示」に行ってきました.
これがそのチケット.


至上の印象派展 ビュールレ・コレクション(国立新美術館)
ビュールレ・コレクション(wikipedia)

感想としては,大変満足です.

「美術作品の良さがわからない」という人もいますよね.
こういう仕事をしているとそんなことを言う学生も時々いるのですが,その折に話すのが「美術作品をしっかり何度も見ること」と「本物をちゃんと見ること」を勧めています.
それで「つまらない」と思うのであれば,それはそれで美術に合わない人なのですから仕方ありません.

何度か野球を観戦してみて,しかも結構本気で選手や試合分析をしてみて,それでも「面白くない」と思う人は,野球というスポーツが合わなかっただけのこと.
無理して観戦しても幸せにはなりません.それと一緒です.
ちなみに,私は元野球選手ですが野球観戦は嫌いです.誘われて見に行くことはありますが,自分から進んで行くことはありません.プレーは好きなんですけどね.
美術にしても,見るのは嫌いだけど,描いたり彫ったりするのは楽しいという人だってたくさんいるでしょう.そんなものです.

「本物をちゃんと見る」ということについてですが,今は美術作品をネットで見れるようになったとは言え,やっぱり実物を肉眼で見るのとは大きく違います.
文書の推敲にしても,PCモニタで確認するのと,紙に印刷されたものを確認するのとでは,誤字脱字の発見とか文章スタイルの直しが違ってきますよね.あれと類似しています.
作者は,その作品が完成した時のサイズや見られ方などを全て考慮して仕上げています.PCモニタではそれが再現できません.
だから実物を見なければ,美術作品を楽しむことはできないんです.
私が一番好きな作品に,ゴッホの「花咲くアーモンドの木の枝」という絵があるんですけど,これがまた写真とかウェブ画面ではクソみたいな絵に見えるんですね.
なお,「花咲くアーモンド」ってのは,この絵です↓
フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」(wikipediaより)
ご覧の通りのつまらない絵ですが,実物を見ると感動します.そりゃもう目が釘付けになりますよ.ゴッホ美術館の数ある作品の中でも,「マジこれやべぇ!」ってビビったものの一つです.
お金があるなら数十億出しても手に入れたい.そんな人の気持ちも分かります.

そういう意味では,高度な贋作であれば,本物と同じ感動が得られるとも言えます.
私としては,高度な贋作は「偽物」と言えども美術作品としての価値は高いと考えています.こういうのは贋作というかレプリカというのでしょうけど.

「花咲くアーモンド」に感動した私は,その土産物売り場で実物大写真を見つけたのですが,やっぱりクソみたいな絵に見えるのでとても買う気にはなれず.印刷・コピーは実物の絵とは違います.
本物と同じ感動をくれる「花咲くアーモンド」の忠実なレプリカがあれば,ぜひとも手に入れたいですね.100万までなら出す.

話をビュールレ・コレクションに戻します.
今回は平日に行ったのですけど,それでもたくさんの人が集っていました.休日はもっと凄いんでしょうね.平日で正解です.
そうじゃなきゃ作品の前でまともに時間が過ごせないでしょう.流れ作業のような鑑賞になってしまうのは容易に想像できます.

このイベントのポスターや上掲したチケットに載っている目玉展示が,ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」なんですけど,目玉に設定されてることもあって,その作品の前は特にごった返しちゃって落ち着いて見れたもんじゃない.
空いてるタイミングを見計らって見るに限ります.
なお,実際に見た感想ですが,やっぱりあの髪の毛のルノワールらしい表現はハンパないですね.これも写真やモニターでは全然分からないところ.実物の鑑賞を強くオススメします.

出口の前には,これまた目玉展示であるモネの「睡蓮」.日本初公開なんですって.
ここが「写真撮影OK」になってるもんだから,皆さん携帯・スマホを取り出してこれでもかと写真撮りまくってます.
モネの絵を前に,家族揃って記念撮影している人がいます.「すみません.撮らせてください」と周りにペコペコ頭を下げてパシャリ.なかなか微笑ましいではありませんか.
それはまだいい.バカじゃないかと思うのは,「睡蓮」だけを必死になって撮ろうとしている他の大多数です.
巨大な絵の全景を正面から収めようと,鑑賞している私の耳元とか頭頂部とかでスマホを位置取りパシャリ(ピロロ〜ンとかも).さらには腰の前までかがみ込んできて撮影を頑張る人もいます.いい加減にしろ.落ち着いて見れないじゃないか.
上述してきたように,写真ではその絵の良さが全くわからないんです.だから無駄.
そもそも,「睡蓮」だけを写真で見るならウェブでダウンロードしてこれるじゃないですか.
ほら,こんな感じで↓
クロード・モネ「睡蓮」(国立新美術館:http://www.buehrle2018.jp/works)
自分で撮影するより,よっぽどキレイで高画質に手に入れられます.
ですから,どうせ撮るなら「家族写真」として撮影する方がなんぼか価値がありますよ.

ちなみに,この展示会で私が最も気に入ったのはピサロの「ルーヴシエンヌの雪道」です.
カミーユ・ピサロ「ルーヴシエンヌの雪道」(国立新美術館:http://www.buehrle2018.jp/works)
私は人物画よりも風景画や静物画が好きでして,ゴッホの「花咲くアーモンド」もそうですけど,こういう単調な中での微妙な色使いから生まれる鮮やかさに魅力を感じます.
あと,気に入る基準は「部屋に飾りたいか?」という点ですかね.

ゴールデンウィークになると大混雑になる恐れがありますので,空いている時に行くことをオススメします.

2018年4月2日月曜日

体育学的映画論「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

スティーヴン・スピルバーグ 監督『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を見てきました.
モリカケ問題に揺れる日本の政界との類似性とは関係なく,この映画は以前からちょっと関心があったので,公開して間もないこの時期から映画館へ.
モリカケ問題とベトナム戦争を同列には見れないですし.

社会派ドラマで,しかも平日の真昼間というのに結構お客さんが入っていたのが意外.
率直に言って,エンターテイメント性が低くて映画としての盛り上がりには欠けます.
ウィキペディアの記事を読んでみても,スピルバーグ監督は本作を手の込んだ作りにはしていないような節があります.
「スピルバーグの作品で「最も短期間で完成」した作品となり、「この映画は私たちにとっての『ツイート』のようなものです」とも発言をしている。」
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(wikipdeia)

実際,メリル・ストリープとトム・ハンクスの演技を楽しむ映画です.
特にメリル・ストリープは,「敏腕でもない元専業主婦が,大手新聞社の経営を頑張っている」という中年女性の姿を,わざとらしいんだけど,何故か自然に見えるという離れ業で演じています.
トム・ハンクスも老練な新聞記者を,これまたわざとらしく,且つ,自然に演じている.
これを見るための2時間と言っていい.

ただ,先述したように,エンターテイメント性は低い映画ですから,何人かのお客さんはイビキをかいて寝てました.
はっきり言って退屈な映画です.
さらに言えば,ベトナム戦争を対岸の火事のように感じる日本人としては,件のニューヨークタイムスによる機密文書スクープへの思い入れは皆無でしょう.
たぶん,「シン・ゴジラ」が国内ではヒットしたのに,海外では反応が低かったことと似ています.

けど,描かれている問題意識は日本にこそ重要な視点を提供しています.
本作でメリル・ストリープ演じるワシントン・ポスト社の経営者キャサリン・グラハムにつきつけられる重大な選択は,「報道の自由か,安定した経営か」ということになっています.
でも,私がもう一つ考えさせられたのは,彼女につきつけられているのは「ジャーナリズムに人間関係を入れない」ことではないかと思うのです.

作中にも描かれているように,かつてのアメリカの政治新聞記者は,政治家や有力者と食事会などを通じて友人関係を築き,彼らから新聞記事のネタを提供してもらうというものだったようです.
政治ニュースは大事件がしょっちゅうあるわけでもないですから,安定して政治ネタを得るためには,記者は政治家と仲良くして小ネタ・裏話をコンスタントに書くことの方が生活のためには有効です.

ところが,本事件をきっかけとして,そうした政治家と記者の関係が再考されはじめます.
キャサリンも,ペンタゴン・ペーパーズの当事者であるロバート・マクナマラ国防長官と友人関係にあり,文書の新聞掲載に悩み,振り回される姿が描かれています.
政治家と懇意にしておけば,政治記者として安定する.ただし,そのためには国家運営上の重大事を,政治家との関係を絶たないためにも揉み消す場面も出てくるだろう.
報道がそれでいいのか? なんのための政治ニュースなのか? という点が突きつけられているわけです.

劇中のクライマックスで,以下のようなセリフが出てきます.
「報道は国民のためのものであって,統治者のためではない」

そう言えば,いまだに政治家と新聞記者の食事会を重要視している国があります.
日本です.
もっと言えば,どちらかって言うと政治家のほうが積極的です.
安倍首相のマスコミ記者との会食についての情報公開請求とその驚くべき結果(BLOGOS 2015.9.6)
政治家とメディア記者の「近すぎる関係」、接待の手法とは(ライブドアニュース 2014.11.5)

「懐柔されるメディア・記者が悪い」という批判はその通りで,これは完全に記者の側に矜持が無いことが問題です.
だからこそ,「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」は日本の大手メディアにとっては見たくない映画だと思います.
「もう政界有力者と食事をしながら記事を書く時代は終わった」という趣旨のセリフが映画でも出てきますが,まだそんな時代にいるのが日本です.

大手メディアが馴れ合っていたとしても,個人・市民ジャーナリストがスクープすればいいのでは? と考えられますが,やっぱり情報発信力と波及力,取材のマンパワーと平常時の生活力に差があります.
それはちょうど,「今の日本の大学は研究できる環境にないというのであれば,個人で研究すればいいじゃないか」と言うのと一緒.

あの時のニューヨークタイムスとワシントン・ポストという大手メディアによる決断は,アメリカのジャーナリズムの姿勢を決定づけました.
別にアメリカに限らず,民主主義国では政治家とジャーナリストが食事会をしながら馴れ合うことはご法度とされているそうです.
政治家とメディアの会合 米は「コーヒー1杯」超えると癒着(News ポストセブン2015.6.4)
懐柔策か 取材機会か 首相とメディアの会食にはどんな問題があるのか?(THE PAGE 2015.3.17)

当たり前ですが,政治家としては自分や党のことをメディアに良く書いてほしい欲望があります.
でも,それをメディアに頼むのは卑劣な手法ですし,それを取引材料にコンスタントな記事を求めるジャーナリストはそれに輪をかけて卑劣です.
そもそも,政治家としてもメディア連中とつるむのは「李下に冠を正さず」に反することでしょう,これだけでも政治家として失格です.
関連することで,詳しくは前回記事に書きました.

ジャーナリストは,常に統治者の批判を続けなければいけません.
馴れ合って生活の糧にしていては,その存在意義がないのです.

なかには「良いことをしたら,その政治家を褒めることも大事」だとか言って,特定与党を持ち上げるメディアもあるようですが,これは論外です.
良いことをしようがしまいが,政治家を褒めるなんてトチ狂った考え.ジャーナリズムの死です.

ウォルター・リップマンというジャーナリストであり政治評論家が,ジャーナリズムの役割を「人々が正しい判断をするための材料の提供」と言っています.
そのためには,あらゆる視点から批判を続ける必要があります.
同質のものとして科学論文にも同じことが言えますが,人間が正しい判断をするためには,「褒める」必要などありません.褒めるかどうかは,その課題に向き合った個々人がすればいいことです.
ジャーナリズムもサイエンスも,「批判」にその存在意義があります.

最後に話を映画に戻すと,ラストシーンが粋な演出になっていて,さすがスピルバーグ監督だなぁって思わされました.