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井戸端スポーツ会議 part 57 「イチローが引退:頭を使わなくてもいい野球になりつつある」

ついにこの日が来ましたね.
イチロー選手が引退しました.

ここ2日ほど自宅を出払っており,このニュースはスマホの速報で受け取っただけでして,先ほどYouTubeで引退会見を見たところです.

28年の現役生活ということで,私が小学生の頃からプロだったことになります.
その時に生まれた人も27歳になっている.そう考えると長いですね.
若い人なんか,オリックスのイチローをリアルタイムでは知りません.物心がついた時には,メジャーリーガーのイチローだったのですから.
登録名を「イチロー」にした1994年に200本安打を達成して,プロ野球界が沸き返っていたことが,懐かしくも,ついこの前のような気もします.

振り子打法と呼ばれるあのバッティング・フォームが大ブームになって,私も元々右バッターだったのを,イチローに憧れて左バッターに変えました.
左バッターボックスである利点を活かして,打ちながら走り出すバッティングスタイルはヒットが出やすいこともあり,あの頃から左打ちにした野球少年は多かったと記憶しています.
もちろん,それはイチローだけでなく,同時代に活躍してメジャーリーガーにもなった松井秀喜の影響もあり,今では右バッターの方が少ないくらいになりました.

ところで,YouTubeで引退記者会見を見ていて,イチロー選手から気になる発言が出てきました.
私が見た引退記者会見の動画はこちら↓
イチロー選手が引退会見「後悔などあろうはずがない」(2019年3月21日)

イチロー選手曰く,メジャーデビューした2001年から2019年までの間で,メジャーリーグの野球は大きく変化したそうです.
その変化とは,「頭を使わなくてもいい野球になりつつある」ということであり,そしてそれは,イチロー選手だけでなくプレーヤーを含め現場の人たちの多くが気がついており,危機感を持っているとのこと.
しかもこの,「頭を使わなくてもいい野球」という「流れ」は,変えられないもの,とも述べています.

この問題意識や危機感は,スポーツ現場に携わっている人ならではの意識と感覚でしょうね.
同様の問題は,野球以外のスポーツでも発生しています.
分かりやすいところで言えば,モータースポーツ,特にF1では以前から話題になっています.マシンの性能を高めようと思えばいくらでも高められる時代になっており,ドライバーのテクニックより,コンピューターのプログラムやシステムの優劣になってしまうというもの.

まず,イチロー選手が言う,メジャーリーグが「頭を使わなくてもいい」スポーツになっているというのは,それこそイチロー選手がメジャーデビューした2000年頃から徐々に隆盛してきて,今では野球ニュースや選手のスカウティングに当然のように用いられるようになった,セイバーメトリクスという統計学的評価方法の影響を指していると思われます.
セイバーメトリクス(wikipedia)

この評価方法(セイバーメトリクス)がメジャーリーグをどれだけ変えたのか? に着目した映画もあります.
ブラッド・ピット主演の『マネーボール』という映画です.
マネーボール(wikipedia)
事前知識がなくて細かいことはよくわからないけど,イチローが言っていることを理解したい,という人はこちらの映画がオススメです.
ちなみに,劇中にはイチローもちょっとだけ出演しています.

選手やチームに関する成績・戦績のビッグデータから,「勝利」や「興行収入」を得るための最適な手段を統計学的に得るというのは,一見魅力的で合理的なように思えます.
それこそ,スポーツ科学が目指しているものはこれであり,むしろ「データを基に合理的な判断をしているのだから,頭を使っていると言えるのでは?」と捉えたくなるものです.

しかしそれは,野球をプレーをする選手自身が頭を使っているのではありません.
イチロー選手がいう「頭を使わなくてもいい」というのは,選手が,自分の持っているスキルをフル活用させる試行錯誤の要素が減っているということのように思えます.

統計学的な評価は,現時点(より正確に言えば,過去の試合)において勝利に貢献するプレー内容を合理的に導き出します.
その結果,ある特定のプレースタイルに集中的にエネルギーを注いだチームが勝ちやすいということになります.選択と集中ですね.
もちろん,逆に言えばそのプレースタイルを回避する方法も統計学的に導き出せるわけですから,その対抗策にエネルギーを集中できたチームが負けにくいということになります.

で,実際にメジャーリーグではそれが発生しているんです.
耳にしたことがある人も多いでしょう.
「フライボール革命」
フライボール革命とは,2015年頃からメジャーリーグの戦術に登場した,「ゴロを打つことを避け,フライを上げる」攻撃を重視することです.
理由としては,150km/h以上の速球を投げるピッチャーがぞろぞろいて,それこそ選手データを用いてバッターごとに守備シフトを敷いてくるメジャーでは,正確に狙って打つバッティングよりも,内野の頭を越える,もしくはホームランを打つことにエネルギーを注いだ方が得点が入りやすく,結果として勝ちやすいことが統計学的に解析されたからです.
逆に,打球を上げさせにくい投球術として,カーブを主体にしたピッチングがその対抗策になることも分かっています.

7年前に,こうした事態について警鐘を鳴らす記事を書いたことがありました.
しかしもし,偶然というものが一切否定されたとしたらどうだろう

今読み返してみると,我ながらなかなか興味深いことを書いていますね.
スポーツのゲーム分析はほどほどが良いようです.

スポーツ科学と統計学的な分析は,たしかに試合のレベルを高め,選手の成績を上げることに貢献します.
しかしその一方で,こうした分析が進んでいくと,スポーツはある特定の行動や体格を要求するだけの「肉体作業」になり果ててしまい,最後には,その行動や体格を出力できる資質や遺伝子を要求する活動になってしまいます.

今はまだ,スポーツはその段階にはありません.
しかし,イチロー選手が述べた「危機感」とは,ゆくゆくは野球がそういうスポーツ,もとい,肉体作業になってしまうということを指しているのではないでしょうか.

私たちはこれからの「スポーツ」をどうしたいのか?

メジャーリーガーとしては決して体格に恵まれていた方ではありませんでしたが,それを補って余りある正確無比なバッティングと,クレバーなフィールディングによって野球界に一時代を築いたイチロー選手の引退は,今後のスポーツの在り方を占う象徴的な出来事のように思えます.