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初年次教育を担当している先生は要注意|そろそろ「大学生のいじめ」が始まる季節です

このブログは「いじめ問題」を取り上げることの多いのですが,たいてい学校教育現場におけるものばかりで,大学のケースは放置してきました.

もともと大学キャンパス内において「いじめ」を見かけることは少ないという理由もあります.
しかし,「いじめ」と呼称していないだけで,実質「いじめ」であるという場合は散見されます.

実際,18歳を過ぎてから「いじめ」だなんだと騒ぐのは,子供っぽいということで無視されていた経緯もあるでしょう.
これは言い換えれば,世の中の人のほとんどが,
「いじめは子供のすることで,大人になったら『いじめ』は “いじめ” ではなく,それは『嘲笑』とか『社会的評価』をしているだけ」
と認識しているとも言えるからです.

簡単な話です.
ようするに,大人になったら「いじめられる方が悪い」という理屈が正論として通るのです.
大人になると言い訳がうまくなったり,権力構造が明確になるので,「いじめられる方に問題がある」という,いじめっ子独特の理屈が正当化されやすくなります.

でも,さすがにそれはダメだろうということで,近年は「いじめ」ではなく「ハラスメント」という呼称にして対応しているのが実際のところ.

これはちょうど,かつて「生活習慣病」だったのが,近年になって「メタボリックシンドローム」とカタカナにして呼称しているのと同じです.
“生活習慣による病気” という名称だと生々しいので,カタカナにしてかっこよくしてみたわけですね.

(1)最近の大学では「いじめ」が多い?


結論から言えば,「いじめ」や「ハラスメント」は人間社会で必ず発生する現象です.
なので,大学でも当然発生します.

しかし,いわゆる「学校のいじめ問題」が大学でも発生するようになりました.
明確なアンケート調査とか観察をしているわけじゃないので,私なりの皮膚感覚ですが,そのように感じます.

誰か調査してもらえたらと嬉しいです.
きっと「いじめ」で苦しんでいる学生は多いと思いますよ.
そしてそれは,かつての大学生よりも増えている可能性が高い.

「いじめ」や「ハラスメント」をするのは,どうせ社会的底辺の奴らなんだから,Fラン大学(底辺大学)に多いんだろ?と思う人もいるかもしれません.
しかし,そんなハラスメントな思考をする輩がエリートにもいる時点で,いじめは社会的底辺の課題ではないのです.
人間性の問題と言えます.

ただ,私が仕事上見聞きする限りではFラン大学と呼ばれる大学で過激ないじめがあるようです.
いじめが発生しやすい環境である,とは言えるかもしれません.

そのような体験談を記事にしているブロガーもいます.
【体験談】F欄大学に通って精神が崩壊し、一週間で退学(除籍)させられた話【底辺】
僕の通っていた学校は、学部によるクラス分けが行われると、高校生活のように年がら年中、ほとんど同じメンバーで講義を受けなくてはならなかった。
(中略)教養はないけれど、腕っ節はあるいじめっ子気質の男がわんさかいた。
Tシャツが張り裂けそうなくらい筋肉が肥大しているマッチョマン、思い通りにならないと暴れ出す肉ダルマ、人の心を傷つけることが生き甲斐なお洒落サイコパス番長。
「なんで教室内にギャングがいるんだよ……」と、身の毛がよだった。
この僕は、しっぺをされただけでも救急車と弁護士と警察を呼ぶタイプだから、暴力は受けなかったものの、「18歳で童貞とか人生終わってね? 何が楽しくて生きているの? 俺がお前だったら、数秒でこの世から消えるわ」ということを耳打ちされたことがあった。
また,ウィキペディアに掲載されている「いじめ自殺」にまで発展した,「追手門学院大学いじめ自殺事件」もあります.約10年ほど前のことです.
大学側の対応の不備もあり,悲しい後追い自殺にも発展して大きくニュースになりましたよね.
追手門学院大学いじめ自殺事件(wikipedia)
追手門学院大学いじめ自殺事件(おうてもんがくいんだいがくいじめじさつじけん)とは、2007年6月8日に大阪府茨木市の追手門学院大学に通う在日インド人学生が神戸市の自宅のマンションから飛び降り自殺をした事件。
いじめを苦にしていたことを示す遺書が残されていたにもかかわらず、大学は調査を行わなかった。
その後、遺族、一部教員、弁護士などからも調査を求められたものの法人側は「大学と小中高(のいじめ)は異なる」「別の弁護士は調査の必要がないと言った」と放置を続けた。
さらには遺族の窓口となっていたゼミ担当教授を、この問題から外し、その上で「遺族から要望がなかったので調査しなかった」とした。
その約1年後に、亡くなった学生の父親も「息子に会いに行く」と言い残し、同じ場所から飛び降り自殺をした。
このいじめ自殺問題は在日インド人に対するものですが,大学側が「大学と小中高のいじめとは異なる」という認識を示している点が興味深いですね.
もしかすると,いじめ以上の人権侵害事件だった可能性があります.

これまで,大学現場において「いじめ」が少なかったのは,エリートが多かったからではありません.
いじめる場所が少なかったからです.

現在の40代以上の大学卒業生には信じられないくらい,最近の大学生は「友人関係」とか「人間関係」が非常に幅広いんです.

「実際,2〜3人の友達しかいなかった」
「その2〜3人の友達でバカばっかりやってた覚えしかない」
という人もいることと思います.

かつての大学生は,それでも十分だったんです.

しかし,最近の大学生はそうもいかない.
理由は以下のようなことです.






(2)SNSを駆使した人間関係づくりが強要される


最近の大学では,友達作りが推奨されます.
余計なお世話だと思う人もいるでしょうが,「人間関係に失敗して退学や学習困難に陥る学生が多い」という統計情報から,そんなことが言われているんです.

ちょっと無理やり感が満載の相関関係ではありますが,「面倒見の良さ」とか「学生目線」を大事にしたい大学側としては,そんなところを気にするのです.

もちろん,「SNSの正しい使い方」も指導しますけど,それ以上に,友達100人できるかな? を勧めるのが昨今の大学です.

当然,そんな子供っぽいものではなく,「コミュニケーション能力」とか「リーダーシップ」「ソーシャルスキル」といったカタカナを多用し,大学生が身につけたい能力の一環として勧めます.
それだけにタチが悪いとも言えますが.

そんな大学・教員からのアプローチ(圧力)を受けた学生としては,なんだかんだやっぱり影響されるので「人付き合いをよくしないと」と思ってしまいます.
結果,学生が思い付くことと言えば,SNSを駆使した人間関係づくりになるんですね.

かつてのように,2〜3人の親友がいるだけで,あとは知らん.といった学生生活は送れないのです.






(3)クラス制がいじめを生む?


あと,私が個人的に「大学生のいじめ」を助長していると考えているのは,最近の大学に多いクラス制の導入だと思います.

「Fラン大学にいじめが多い?」という認識も,ここから始めったのかもしれません.
学生を学級・クラス制にして管理しようというのは,かつての小規模・無名大学や,経営難大学で多く見られたからです.
結果として,Fラン大学と評される大学にこのパターンが多くみられることになります.

しかし,最近の大学はほとんどがクラス制を導入しています.
その方が学生を管理しやすいですし,学生もその方が知り合いが多くなるので,勉強しやすいという特典がありますので.
ようするに,ほぼ同じような授業履修体系をとる学生同士を「クラス」としてまとめておくわけです.

かつての大学では,授業は学生が好き勝手に選ぶものだったので,こういう現象はあまり見られませんでした.
ところが近年になって,開講科目に「資格関連科目」が増えたり,「オススメ履修手順」を展開するようになると,「学生に自由に選択履修させる」ことが弊害になってきたのです.
なので,いっそ学生を「クラス」で整理して管理した方が良い,ということになったのです.

それに,最近の大学は「初年次教育」という,「大学生活の送り方」を教える授業も展開しています.
主に1年生(初年次)に対する授業で,「初年次ゼミ」とか「基礎ゼミ」「基礎演習」という科目名であることが多いです.
一方,教員同士では「クソ演習」と呼んでいる,一体何のための授業が分からない,実りの少ない授業としても有名です.

この初年次教育の授業を展開する上でも,クラス制は有効です(管理が容易という意味で).
そのため,学生としては毎度毎度同じメンバーで授業を受けたり,学生生活を送ることになります.
まるで高校の頃と同じように.

かつてなら「絡みたくない奴」とは絡まなくて済んでいた大学生ですが,現在では絡みたくない奴ともずっと一緒.
しかも,コミュニケーション能力とかソーシャルスキルだとか言って,人付き合いが活発になるようなプレッシャーも受けています.

クラス制がいじめを誘発する要素の一つと分析する人たちも多いですから,これが「大学生にいじめが増えている」と言われている理由かもしれません.
いじめ撲滅のために-クラス制度廃止のメリット、デメリット(Naverまとめ)






(4)大学で「いじめ」を見つけたら


では,学生たちの間の「いじめ」を見つけたらどうすればいいのでしょうか?

私も,授業内で何度かそんな様子を見かけたことがあります.
履修名簿を見てみると,同じ学科・学年・組だったりするので,やっぱり四六時中顔を突き合わせている学生同士なのかなぁとも思ったりするんです.

ただ,大学の授業では,教員としては「その授業」しか担当していないので,やれることは限られてきます,っていうかほぼ何もできません.
私が担当している体育の授業であれば,大学生(成人)の自覚を促す「大人の対応」を煽って,「いじめカッコ悪い」をそれとなく演出できます.
でも,その他の一般的な講義やグループワークなどの授業では,かなり厳しいでしょうね.
そもそも,授業を離れたら関わりはゼロですし.

大学生にもなると,本人にも「いじめ」に対する対応力がついてきていますので,「いじめ」という状況から自力で脱する能力もあるでしょう.
しかし,苦しんでいる学生からすれば,対応力が無いから対応できずに苦しんでいるというトートロジー的な状況です.

なので,学生としては「教員」や「大学」に期待できないので,そのためのサービスである「カウンセリング」を利用するしかありません.
教員としても,困っている学生を見つけたら「カウンセリング」を勧めるくらいしかできないですね.

最近,大学のカウンセリングルーム(学生相談室)の利用数が増加しているとされています.
そして,その相談内容として最も多いのは「対人関係」なんです.
学生支援の現状と課題(JASSO,PDFページ)

2000年代から,学生ためのカウンセリング体制が全国の大学で充実するようになってきました.
相談件数が増加している理由として,カウンセリングに対するハードルが低くなっていることも要因の一つかもしれませんが,もしかすると,相談内容としての対人関係のトラブルが年々増加している可能性も否定できません.

これは,対人関係のトラブルの性質が変わってきていると言いたいわけではありません.
対人関係でカウンセリングを受けたいと思う学生が増えているのでは? ということです.

それを裏付けるようなデータもあります.
学生相談から見た大学生の変化(PDFページ)

上記サイトの論文ページの表を引用します.


2002年と2012年の学生を比較すると,最近になってカウンセリングに訪れている学生は,「友達を作ることに積極的でなく,一人でいることを好むのに,友達がいないことにも不安を感じる」という複雑な状態であることがわかります.
つまり,最近の大学は「一人でいたいのに,友達づくりをしないといけないと感じる」,そういう場所だということです.

もちろん,「最近の学生は一人でいることを好む」という見方もできますが,いずれにしても学生のメンタルヘルス上は好ましくない状態になっているようです.

かつてなら,嫌な奴とは話さなければ良かったものが,今の大学生はそこから逃げることができない.もしくは,そこから逃げることに,己の「人間力の低さ」を指摘されかねない,といった強迫性が潜んでいる可能性もあります.
それが.「大学生のいじめ」を誘発している危険性があります.