注目の投稿

ターミネーター:ニュー・フェイトが期待はずれだった人は,これを読めば面白く見れるはず

この記事を読めば,ネタバレ最少でターミネーターを見る準備ができるはず(ネタバレ無しとは言っていない)


『ターミネーター:ニュー・フェイト』は,サラ・コナー役にリンダ・ハミルトンを抜擢し,映画史に残る伝説的な作品『ターミネーター2』の正統続編として注目されていました.

日本公開されて一週間.
その一般レビューを「映画.com」や「Yahoo!映画」などで読んでみると,概ね好意的な評価を得ているものの,批判的なレビューも散見されます.
その理由として多く見られるのは,
「ターミネーターらしさが無い」
「設定に納得がいかない」
というぼんやりとしたものです.

では,「ターミネーターらしさ」や,この映画の魅力となる「設定」とは何なのか?

実は,それらは本作でもしっかりおさえられていたのですが,いかんせん,コアなターミネーター・ファン以外の人にも楽しんでもらうために,甘めの味付けが過ぎてしまった感があります.

結果,中途半端なSF設定と,複雑なテーマ性とが干渉してしまい,ちょっと頭が追いつかない映画ファンに混乱を招いているようです.

その典型的なものが,本日付の「Yahoo!映画」のレビューに上がっていましたので,ここに引用しておきます.
ちょっと長い引用になりますが,本作の混乱を示す典型的なものだと思いますのでお読みください.
そして素晴らしいアクションなどなどあり、サラ・コナーなども現れて話は進むのですが、ここで衝撃的なセリフがあるのです。グレースによると「スカイネットなんて聞いたことない。ジョン・コナーなんて知らない。」との事です…。ええっ!?ではやはり未来は変わっているって事なの?(@_@)
自分なりに解釈すると、つまりスカイネットによる審判の日は回避されたが、結局、人類は独自に高度な軍事用AI「リージョン」を完成させ、そのリージョンの暴走によってまた人類は危機を迎えているというのが、今作での基本的な流れだと思います。つまりは、スカイネットとは別なAIによる人類抹殺計画を阻止するために、ターミネーター1と同様なストーリーが展開されるのです。
しかし、そうだとするとここで大きな疑問が生まれます…。それは、ではどうして冒頭でジョン・コナーは死ぬ必要があるの?ジョン・コナーはもう解放軍のリーダーじゃないってことでしょ?という事です。(-_-)
そもそもあのT800は誰が送り込んだことになるの?という事も疑問です。考えられる可能性はもちろん二つ。リージョンかスカイネットです。しかし、リージョンの場合はそのターゲットは当然ダニーですよね?では、スカイネットの場合はどうでしょう?T1000との戦いに勝利し、審判の日が回避されたという前作から考えると、このT800が送り込まれたのは、少なくともT1000と同時または、それ以前という事になります。という事は…あのT1000との派手なドンパチの最中は何していたの?という事になります。ポンコツなんでしょうか?(笑)それはともかく、このジョン・コナー殺害が成功するという事はスカイネットの勝利であり、審判の日が訪れる事を意味しています。そうです。未来は変わらないという所に戻っちゃいます…。

なんとも香ばしい勘違いですね.

上記のレビュアーは,
「どなたかすっきり分かる解釈があれば教えてほしいです。自分には全然わかりませんでした…( ̄▽ ̄;)」
とおっしゃっているので,ここに簡単ではありますが解説しておきます.


まず,ジョンは「審判の日(1997年)以降に殺された」と劇中でサラが言っています.
『ターミネーター2』においてサイバーダイン社の研究室を破壊し,開発者であるダイソンも死んだので,「この時代軸」におけるスカイネットによる人類抹殺計画はなくなったのです.

しかし,スカイネットは複数の「ターミネーター」を時間をずらしながら送り込んでいました.
その結果,その時代軸における未来にはスカイネットは存在しませんが,これに関係なく「ジョン・コナー抹殺」のために,現在まで何体かのターミネーターが次々と送り込まれており,その1体にジョンは殺されたのです.

ここから話がややこしいかもしれませんが,ジョン・コナーが既に死んでいてもターミネーターは送られてきます.
なぜなら,スカイネットとしては,その時代にジョン・コナーが死んでいるかどうかなんて,送ろうとした時点では分からないからです.
理系脳が不足している人は,ここらへんが理解しにくいのかもしれません.

これを分かりやすく例えるなら,送信期日を条件づけたメールを送るようなもの.
1月1日に書いて送信するメールを「予約設定」にして,2月1日,3月1日,4月1日の3回分送るわけです.
送信メールは,1月1日に送信ボタンを押すと送信用のサーバーに送られてしまい,その後はキャンセルできないものとします.
すると,メールの送信者が仮に「1月2日」にお亡くなりになったとしても,事実上,その時代軸の未来で「送信」され続けますし,一方の受信者が2月1日にお亡くなりになっていても,アドレスが生きていれば3月・4月も受信され続けます.
「ニューフェイト」で発生しているターミネーターの連続タイムスリップは,この未来メールの「過去版」なのです.

もちろん,これについては「同時代に複数体のターミネーターを送れば戦局が有利になるのでは?」という指摘もありましょうが,それができない技術的壁があるのかもしれませんね.

でも,そんな問いは野暮というものです.

ここはひとつ,SF的な補完として,
「技術的に過去◯年までしかタイムスリップできず,その限界が1984年だった」
とか,
「同一タイムマシンにおいて,同時代に送ることができるのは1体(1回)まで」
「一度タイムスリップさせた時代の前後◯年間には送れない」
などといった制限があるのだと,脳内補完しておきましょう.


さて,そんな次々とタイムスリップしてくるターミネーターを,逐次破壊していたのが,その後のサラの人生でした.
そのサラにメールを送って支援していたのが,実はジョン・コナーを殺害したターミネーターだったという設定です.
このターミネーターには,タイムトラベル時に発生する磁場の乱れを読み取るセンサーが付いているらしく,それを基にサラに連絡をとっていたとのこと.

ところが,本作の敵役として送り込まれてきたターミネーターは,スカイネットが送り込んだものではありませんでした,というのがこの映画における物語の発端です.
その後の人類は,スカイネットとは別の人工知能「リージョン」を開発してしまい,それが人類滅亡の危機になっているのです.

これは,
「人類は同じ過ちを繰り返す」
というメッセージのように解釈できますが,実際のところは「過ちを繰り返している」わけではなく,「同じ結果を招いてしまう」という,「人間の業」と呼ばれるような構造主義的なものがテーマになっています.

なお,これと同じテーマで製作されたのが,『ターミネーター3』や『ターミネーター:新起動/ジェニシス』です.
「人類は常に,マシン(機械)と戦い続けなければいけない宿命がある」
というのがターミネーターシリーズのメッセージでもあります.

そうしたターミネーターシリーズのメッセージを勘違いしている人が,「3」や「新起動/ジェニシス」の設定について,
「あれではT2で審判の日を防いだ意味がない」
などと発狂するのです.

本作も同様で,人類はいつか必ず「スカイネット的な存在」を開発してしまうのであり,そして不可避的に「マシンとの戦い」に明け暮れることになってしまう,ということを訴えるものです.




ターミネーターとは,アメリカの神話「ジョン・ヘンリー型物語」のSFアクション映画です


『ターミネーター』のテーマというと,
「人類の未来を背負って生きる」
とか,
「未来の重要人物を命がけで守る」
といったところに焦点が向きがちです.

しかし,これはターミネーター・シリーズで描いているメッセージの本質ではありません.

ではそれは何かというと,上述したように,
「人類は常に,マシン(機械)と戦い続けなければいけない宿命がある」
というもの.

これにもうちょっとターミネーターらしい要素を加えれば,
「人間とマシンの違いは何か?」
を考えるSF映画と言えるでしょう.

さらに,それを考えるための鍵は,
「女性(その裏返しとして「父親」)」
という点も重要です.

実際,上記3つを揃えれば,「ターミネーター」の物語が出来上がります.

過去作品はもちろんのこと,今回の「ニュー・フェイト」でも,随所でこれらが語られていることが分かるはずです.


さて,ターミネーターにおける最大のメッセージ,
「マシン(機械)との戦い」
についてですが,これはアメリカの労働者社会特有の思想から誕生しています.

いわゆる「ジョン・ヘンリー型物語」です.

ジョン・ヘンリーとは,世界的な歴史からすれば新興国である「アメリカ合衆国」における神話的存在の人物であり,19世紀の労働者とされています.

アメリカでは,その詳細を語れないにしても,知らない人は少ない存在で,民俗学や文学でもそれなりに有名です.
日本語ウィキペディアでも詳しい解説が読めます.
ジョン・ヘンリー(Wikipedia)

日本で言うところの,「ヤマトタケルの伝説」とか「因幡の白兎」みたいなものですね.
なんとなく知っているけど,詳しく語れるわけじゃない,っていうところも同様でしょう.

その「神話的な逸話」をウィキから参照すると以下のようなもの.
ヘンリーは大きくて強いアフリカ系アメリカ人(おそらく黒人)として生まれた.
彼は,西部へ鉄道を延長する仕事をする者のなかで,最も優れた「ハンマー使い」になった.
この時代,機械の力が,筋肉の力(人間と動物の両方)に取って代わり続けていた.
ジョン・ヘンリーがいる鉄道の所有者も,蒸気で動くハンマーを購入した.
これは黒人労働者が行っていた仕事を機械にさせようという事である.
彼と彼の仲間の職を確保するために,ジョン・ヘンリーは蒸気ハンマーとの対戦に挑戦した.
ジョン・ヘンリーは勝利したが,この過程で彼は心臓麻痺を起こし死亡した.
ちなみに,ジョン・ヘンリーの彫像はこちら↓
画像:Wikipediaより「ウエストバージニア州にあるジョン・ヘンリーの彫像」

別にアメリカに限った話ではありませんが,こうした神話的な物語が語り継がれる社会的背景には,

「人間の仕事が機械に取って代わられることへの恐怖」

が大きく,重要な関心事であることを示しています.

本作「ニュー・フェイト」においても,メキシコの自動車工場に勤めている主人公たちが,「機械に仕事を奪われる」ことが象徴的に描かれています.
アメリカにおいて「機械」とは,人間による支配は受けても(アメリカ人の自動車好きは異様なほど),人間が機械に支配されることへの嫌悪感は非常に高いのです.
その象徴がジョン・ヘンリーの伝説といえます.

ジョン・ヘンリー型物語の最も古典的なアメリカ文化は,「スーパーマン」です.
お気づきの方も多いと思いますが,スーパーマンに限らず,アメリカのスーパーヒーロー達は「機械」を破壊することで,その「力」を示そうとします.

ヒーローは自動車をふっ飛ばし,機関車をパンチ一発で破壊します.
これは,蒸気機関と戦ったジョン・ヘンリーの伝説が下敷きにあるからです.

スーパーマンの有名な謳い文句に,
「機関車よりも強く,高いビルディングもひとっ跳び」
があります.
それは,蒸気機関(機械)や,高いビルの中で仕事をするオフィスワーカー達に,仕事と富を奪われることに不満を抱く,アメリカ労働者階級のヒーロー像を投影したものと言えるのです.

他にも,分かりやすい例では映画『ロボコップ』があります.
治安維持や社会管理の完全なロボット化を嫌悪し,人間らしさの重要性を謳っているという意味では,同じテーマを扱っていると言えます.

ちなみに,ターミネーター・シリーズにおける人類抵抗軍のリーダーが「ジョン」という名前なのも,「ジョン・ヘンリー」を意識したものと考えられます.


1作目の『ターミネーター』は,
「機械が自律して働きだし,『人間なんて不要だ』と考えて抹殺を始めるのではないか?」
というシンプルなテーマを,ジェームズ・キャメロンがB級映画の傑作にしてしまいました.

ここでのターミネーターは,冷酷無比で任務に向かってまっしぐらの「殺戮ロボット」として演じられました.
「人間とマシンとの違い」が明らかですね.

「人工知能が自我を持つ」ことの恐怖は,この映画によって世間に知れ渡ったという功績があります.


2作目の『ターミネーター2』では,宿命となった機械との戦いの続編であることに加え,「人間とマシンの違い」に焦点を当てたのです.

劇中でサラは,これまでに出会った男達の誰よりも,この殺戮マシン「ターミネーター」の方がジョンの父親として相応しい可能性を吐露します.

つまり,子供(生命)を産み出すわけでもない「男」の存在意義は,誰かの命を守るために自分の命を捨てることではないのか?
それが出来ない男であれば,機械に「男」という仕事を取って代わられても不思議ではない.
実際,ターミネーターは躊躇なく自分の命を捨ててジョンを守ってくれる.
という,かなり前衛的な主張です.

さらにクライマックスのシーンにおいて,「ターミネーター」は,
「人間がなぜ泣くのか理解できた.私に涙は流すことはできないが」
と言いますが,これは掛け替えのない存在(命)を失うことに対する感情を,マシンが理解できたということを指します.
なので,ラストシーンのサラのモノローグが,
「マシンにも命の大切さが理解できるのだから,私達(貴方たち「男」)にも出来るはず」
というものになるのです.

こうやって整理してみると,『ターミネーター2』は非常に強烈なメッセージを持ったSFであることが分かります.
すなわち,人間の「男」は,その存在そのものが機械に取って代わられる可能性がある,ということ.
実際,この映画の観客は,熔鉱炉の中に沈んでいく「マシン」に対し,掛け替えのない命を宿した「男」の姿を見るのです.


そうした背景があっての今作についてですが.
大衆迎合とコアなSF映画ファンの両方を意識してしまい,中途半端な出来になってしまった感は否めません.

おおまかな点は,過去記事の,
で書いたので,そっちも合わせて御覧ください.

特に,今回の敵役であるレヴ・ナイン(REV-9)ですが,これに対する設定の練りが甘かったと思います.

過去の作品を見ても,「機械が人間に取って代わる」ことの恐怖を描くため,人類の敵となるターミネーターは「人間に化ける」ことで統一されています.


第1作目では,そのものズバリ,体表を細胞組織で覆います.
映画製作上の都合として「機械のままではタイムスリップできないから,体表を細胞組織で覆った」という説明が劇中でもされますが,ようするにシンプルに「機械が人間に取って代わる」ことを暗示させています.


第2作目では,液体金属のボディにより,どんな人間にも化けられるT1000型というターミネーターが登場します.
完全な暗殺タイプで,
「表面を装えば,人間は騙せる(取って代わることができる)」
ということを暗示した敵でした.
しかしこれは,「人間は内面が大事」ということの裏返しでもあり,だからこそ,「学習を重ねたマシン(ターミネーター)が,命の大切さを理解できた」ということの尊さが浮き彫りになるのです.


では次に敵となるターミネーターは何か?
と期待したものの,これが「ニュー・フェイト」では不発気味なんですよね.
『ターミネーター3』に出てきた女ターミネーター「T−X」の改良版みたいなやつです.

私としては,本作のメッセージの一つが,
「機械にも愛を理解できたが,結局のところ,人間と同じになることはできない」
という点と対になる敵役が欲しかったです.

私が提案するとすれば,現代のAI進化とその問題点を象徴させて,
「コミュニケーション能力を偽装することで人間を騙す(関係性や社会性で人間に取って代わる)」
というタイプのターミネーターが良かったのではないかと思います.

つまり,これまで敵となっていたターミネーターは,体表を偽装しても行動や思考がマシン然としていましたが,次に来るのは,人間の感情,振る舞い,思考パターンを利用するタイプということです.

現代社会では既に,
「ロボットやAIによる客対応の方が,親切で気配りが利いていて,人間よりも喜ばれる時代がくるのでは?」
という問題意識があります.
それにより,対人サービス業の世界における「機械が人間の仕事を奪う」という課題に直面しているのです.

わがままと欲張りを言えば,これを本作の設定の一つとして組み込んでほしかったところ.

この設定なら,本作でシュワルツェネッガー演じるターミネーターが,
「人間を理解しようと努力してきて,理屈の上では理解できたが,人間と同じようにはなれなかった(結局,マシンはマシンでしかなかった)」
ということと通じるものに出来たかもしれません.

そしてこれは,『ターミネーター2』における,
「命を大事にできない男は,マシンに取って代わられる」
というメッセージの延長として,
「愛を知らない人間は,マシンに取って代わられる」
というメッセージを,ゴリゴリのアクション映画で扱えたはずなのです.

人間が人間であることの本質を問うのが,『ターミネーター2』の続編になるべきでしたが,(よく見れば一応ちゃんと描かれてはいるんですけど)ちょっと弱かったかなぁ,というのが本作に対する正直な感想.


こっちの記事も読んでくれると理解しやすいです.


コメント