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今のコロナの話に飽きたから,来年のコロナの話をしよう

大丈夫,言うほど大惨事にはならないよ


多分ですけど,この調子だと今シーズンの死者はおそらく1000人くらい,多くても5000人,酷くても1万人以内で収まるんじゃないですかね.

6月までに700人くらい死んで,冬にまた増加して約1000人になるんじゃないかと.

その数字の根拠ですが,過去記事でも述べてきたように,この新型のコロナウイルスが「風邪」や「肺炎」の原因として一般的な脅威度・毒性だと考えたら,それくらいの規模が妥当だろうというものです.
もちろん,これには「医療崩壊」しないことが条件ですけど.
新型コロナウイルスの件|怯えたり怒ったりするより,まず落ち着こう


極論,何もせず放置していれば,経済へのダメージも,ストレスかかえて悩む人も,仕事を失って路頭に迷う人も少なくて済んだと思います.
しかし,そうはいかないのが世界というもの,
自分の周囲だけそうしても,他の人がこれに同調・納得してくれません.

それは国際関係も同じで,日本だけが放置政策をとろうとしても,他の国々がそれを許さないでしょう.
非難轟々で,その後の関係にも悪影響を与えることは間違いありません.
ですから,どうしても「何かする」ことを求められてしまうのです.

実際,「疫病への危機意識高い」とか「徹底的に対策する」などと豪語して大騒ぎした国ほど死者を出しています.
こういう事態では,騒いだほうが負け.

「あわてない,あわてない,一休み一休み」
の精神が大事なのです.

しかし日本では,あわてなきゃダメで,休んでる場合じゃない人が国民の神経を逆なでします.
「うちで踊ろう」安倍首相もインスタ投稿 批判相次ぐ(朝日新聞 2020.4.13)
新型コロナウイルスの感染拡大で政府が外出自粛を呼びかける中、安倍晋三首相が12日、ミュージシャンの星野源さんが歌う「うちで踊ろう」の動画に合わせ、東京・富ケ谷の自宅でくつろぐ様子を首相官邸のインスタグラムや自身のツイッターなどに投稿した。これに対し、「政治利用するな」「くつろいでいる場合じゃない人が日本にはたくさんいますよ」などと批判的なコメントが相次いだ。

先日の「失敗しても私は責任をとらない」発言も含め,日本は世界トップレベルの政治を展開しています.
むしろ,神経を逆なでする振る舞いによって,人々に対し,恨みや怒りと共に「コロナに打ち勝つ活力」を与えているのかもしれません.
そう考えた方が気が楽です.


まあ,何にせよ,こういうのを「愚王」「暗君」と称されるトップなのだなと,人類史に稀に見る歴史的な場面に立ち会えていることを嬉しく思います.



今年の見通しはついたから,来年の話をしましょう


ひとまず,このままのコロナ経済対策を進めていけば,日本は近年稀に見る大恐慌になる見通しです.

いくら日本史上最悪が確定した安倍政権と言えど,さすがに現時点よりは効果的な経済的な救済政策はするでしょう.
でも,それも十分なものになる可能性は非常に低い.

「やらない」と言っていたことをひっくり返すのは,相当なエネルギーがいります.
特に安倍首相の場合,言ったことをひっくり返すことはありません.


そんなわけで,こんな調子で今年は過ぎていくものと考えられます.

夏になるとウイルスの活動は抑えられるでしょうけど,死滅することはありません.
ワクチンや特効薬がすぐさま開発されることもありません(通常,1年以上かかります).

となると,今年の年末から来年にかけて,また「コロナ騒動」が持ち上がってくることは必然です.
むしろ,世界中が「ウイルス対策」について神経質になっているはず.


そんな世界では,これまでと同様の生活習慣やコミュニケーション手段が使われることはないでしょう.

これまで以上に「マスク着用」への責務感は高まるでしょうし,以前にも述べたように「感染症対策」をテーマとしたファッションが台頭してきます.

さらに,顔を突き合わせたコミュニケーションへの必要感,義務感も相当低くなります.
それはちょうど,以前なら
「メールする前に電話を入れる」
とか,
「メールだけでの対応は失礼.電話の方が丁寧」
などと言っていたのが,あっという間に
「電話を入れる必要がなければ,メールだけで対応する方がよい」
が受け入れられるようになったのと同じです.


現在では,一度は顔を突き合わせなければ「丁寧な対応」「正式な会談」にはならない,と考えられているフシがありますが,このコロナ騒動以後は
「感染症のリスクもあるような会談を,わざわざ行なう必要性があるのか?」
そして,
「いっそのこと,今後も顔を突き合わせたコミュニケーションを極力減らしていこう」
という流れになることが考えられます.

もちろん,それでも
「顔を突き合わせることは大事」
という主張が展開されるでしょうが,それはもはや,
「新聞はPCやスマホじゃなくて,紙で読むことも大事」
「メールよりも手書きの手紙の方が想いが伝わる」
という主張と同じくらい「サブ」の位置づけになるものと思われます.

それこそ,「不要不急の直接対面は避けられる」のが来年からの世界.
つまり今現在,多くの人が
「この直接対面の機会って,いる?」
と疑問に感じる微妙なラインが,一気に
「それは不要」
と判断されるようになるのです.

一旦そうしたライン崩壊が起きると,なし崩し的にさまざまな部分で「その対面機会は不要」と考えるようになってきます.

直接対面するにしても,これまではマスクを外していた場面でも着用したままにする人も多いでしょうし,それを受け入れる土壌が社会にできます.
そうなってくると,「顔を合わせる」という意味での儀式・儀礼レベルが低下していくわけですよ.

より抽象的に考えれば,我々の社会において「顔(素顔)」が持っている意味が変化してくるということ.
そして,相手と同じ空間で呼吸し,その空間の空気を共有することが,他のコミュニケーションツールで代替できる時代に入ることを意味します.


私としては,そういう世界でもいいと思っています.
勘違いしてほしくないのは,そういう世界になるよう願っているというわけではないんです.
どっちかと言うと,私はアナログな生活が好きですから.

でも,ツールは使い分けであり,使いようです.


もともと,新型コロナじゃなくてもその他の細菌・ウイルスでたくさんの人が死んでいます.
それこそ,新型コロナよりもたくさんの人が.

むしろ,この新型コロナ騒動の収束期において,各メディアが報じるであろう,
「結局,新型コロナで死んだ人は,他の病気で死んだ人よりも多くありませんでした」
ということと,
「であれば,今後も細菌・ウイルス対策は必要ですね」
という啓蒙によって,上記のような「来年」が作られるはずです.

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