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政治家の仕事は,犠牲にする人間の数を示すこと

新型コロナとか,邦人奪還とかの話


「ここ2ヶ月ほど,ずっと小説を書いてて時間がなかった」っていう話をしたことがありましたよね.
なので,その間,いろいろ買っていたはずの本を読書する時間も削っていました.

発売当初の6月に面白そうだと思って買ったのに,全然手を付けていなかったのがこちら.
伊藤祐靖 著『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』



今現在,Amazonでベストセラーになっています.

著者は,自衛隊特殊部隊の創設に携わった元自衛官.
そんな人が書いた,
「北朝鮮拉致被害者を奪還するとしたら,こんなシナリオになる」
というものです.

北朝鮮に拉致された日本人を,特殊部隊を潜入させて実力行使で奪還する.
という話はよく見聞きするのですが,実際のところどんな感じになるのか知りたいと思っていました.

さっそく一気読みしました.
面白いですよ.おすすめです.


ちなみに,小説としてのテイストや構成が,私が書いた『どこに出しても恥ずかしい』とカブるところが結構あります.
私のはギャグ小説ですけど,問題意識は似てるんじゃないかと思います.

そういう意味でもおすすめです.

私の小説はこちら.
大学の小説


政治家の仕事とは,国家の理念を実現するために犠牲にするものを示すこと


物語の中盤で,救出作戦を計画しようという際に,特殊部隊の隊長に首相と官房長官が問いかけます.
「我々(政治家)は何をすればいいんだ?」

それに隊長はこのように答える.
「首相と官房長官がしなければならないことですか? それはわかりませんが,私の立場からお願いしたいことは,ムスダンリ(北朝鮮の地名)の6名を救出するために,何を失うことを許容するのか,具体的に申し上げれば,特殊部隊員何名の命と引き換えにするのかを決めていただければ,作戦はあっという間に立てられますので,ありがたいです」

6名の邦人奪還にあたり,場合によっては60名の自衛官の犠牲が出るかもしれないというシミュレーション.
それに対し,うろたえる政治家達.

この小説を通して,著者が訴えたい大きなテーマの一つだと思います.
「6名の救出に,60名の犠牲が出るとして,なぜそんなことにこの国の政治家は尻込みするのか?」

何人犠牲が出ようと,たとえ救出できずに,拉致被害者・自衛官共々全滅しようとも,「やらねばならないからやる」という決断をするのが政治家の仕事です.
そして,それが国家の役割.

小説中の政治家を笑うことは出来ません.
この覚悟が日本人の多くに無いんですよね.

軍事的安全保障に限らず,ありとあらゆる分野で.


今回の新型コロナ騒動もそうです.
こういう事態において政治家がしなければいけないのは,「何人の犠牲者が出るか開示して政策をとること」,すなわち,政治的な舵取りで何人の犠牲者を出すか示すことです.
そうでないと,政策の打ちようがないし,その責任もとれない.

実際,この国の中枢や地方自治体の首長たちは,責任逃れの振る舞いしかしていませんよね.

自粛は訴えるけど補償はしない.
じゃあ補償しないから自由にさせるのかというと,自粛警察を煽ることで国民同士の分断を図る.

国家としての理念なんか,欠片もないんです.
理念がないから,責任逃れだけに走る.

別に,日本だけじゃありません.
パニクって日和った政治家は,世界中にいました.

例外的に,スウェーデンなんかが科学データや分析調査をもとにした政策を打ち出しています.
行動制限を厳しくとらず,マスクの着用も推奨しないということで有名になっていましたが,じゃあ,スウェーデンは大惨事に陥っているのかというと,2020年8月20日現在,そんなことはないようです.

新型コロナ「第二波がこない」スウェーデン、現地日本人医師の証言(ヤフー・ニュース Forbes Japan 2020.8.19)
スウェーデンの新型コロナウイルス感染対策は、「長期間継続することが難しいロックダウンという方法を取ることなしに、ソーシャル・ディスタンスを取り、高齢者を隔離することで感染のピークを抑え、医療崩壊を回避すること」であった。
また、国民一人ひとりが感染対策に責任を持ち、自主性に任せるという、中央と国民の信頼関係に基づいたものであった。
しかしながら、これまで、スウェーデンでの死者は5700名を超えた。100万人あたりの死亡者数は570名であり、日本の約70倍にもなる。多くの犠牲者を出したが、毎日の死亡者数は、4月中旬をピークに減少してゆき、現在は、1日数名となった。


ゆめゆめ間違ってはいけない.
これは,
「犠牲者数が少なかった方が勝ち組」
という価値観ではないのです.

どれだけ自分たちの自由を勝ち得ることができたのか?
その国家が,そこに住まう国民を人間らしく自由に生きることを保障できたのか?
それが問われているのです.


もうおわかりでしょう.
それは拉致被害者の奪還とて同じこと.
6人の救出のために,60人を犠牲にすることは,
「犠牲者数が少なかった方が勝ち組」
という価値観からすれば,
「拉致被害者を奪還せず,見殺しにした方が賢い国家である」
を容認することになります.


新型コロナによる犠牲者を気にしなくていいと言っているわけでもありません.
そうではなくて,そこに国家としての意思や覚悟があるか否かなのです.

犠牲者を出さないことを第一にするのであれば,それを立派に掲げればいいんです.
ただし,犠牲者が出たのであれば責任をとってみせろよ,ということ.

犠牲者を出さないことを第一にしているけど,出たとしてもそれは国民の自己責任ですからっていう態度であれば,最早,国家も政治家も不要です.


関連した話は他にもあります.
例えば以前,フリージャーナリストが紛争地帯で拘束された際に,それを,
「自己責任だ」
「危険地帯にあえて足を踏み入れた人間を助ける義理はない」
「交渉して犯人に金品を渡せば,それが元で新たな犠牲者が出る」
などと切って捨てた世論がありました.

冗談じゃない.
邦人奪還は国家の責任です.
どんな人物であろうと,日本人であれば日本国が全力をあげて奪還するのです.
国家の存在意義なんてものは,それくらいしかないんだし.

それに,命知らずのジャーナリストは,国家としても貴重な情報源です.
これを助け出さないとなると,その国の情報戦略は他国におんぶにだっこになってしまいます.

ましてや,国家として諜報機関を用意していない日本なら尚の事.

これについては,このブログでも記事にしたことがあります.
ホルムズ海峡タンカー攻撃事件の真相究明が急がれる時,日本は安田純平を出国禁止にしていた


このセリフは,おそらく自衛官であった著者自身の声だと思いますので,それを引用しておきます.
「我々は,拉致被害者がお気の毒だから行くわけではありません.拉致被害者を奪還すると決めた理由,すなわち国家の意思に自分たちの命を捧げるんです.そこがあやふやなのであれば,我々は行けません.いや,行きません.クビになろうが,死刑になろうが,行きません」
日本のシステムが特別悪いと言いたいわけではありません.
国家とはそういうものであり,そんなあやふやな状態で,
「実力行使して邦人奪還すれば,右翼・保守系からの人気が出るんじゃないかなぁ」
っていう態度で打算的に自衛隊を動かすのはダメだということ.
ただそれだけ.

そんな打算的な思惑満載の法改正が,「集団的自衛権」の話題でした.
集団的自衛権を巡る議論において賛成派に不足している認識
ですが,この話は複雑なので,気になる人はリンク先を読んでください.

ここで言いたいのは,「自衛隊を,自分たちの意思で動かせるような状態にすることに全力を出してほしい」ということです.
自衛隊に友人がいる私としても,これは切に願います.


最後に,これは「国家−国民」「政治家−市民」の関係にも同じことが言えると思うセリフを紹介しておきます.

打算的な世渡りをする上司と,その部下である隊長の会話.
「指揮官をやったことのないお前なんぞに,何がわかるんだ!」
と吐き捨てる上司に,隊長はこう返すのです.
「ご自分が指揮官だとでも,お思いですか?(中略)人事発令されたら指揮官になれるとでも思ってるんですか.あなたが指揮官かどうかを決めるのは,上の者ではないんですよ.あなたより下の者,俺たち部下が決めるんです」
これね,私にとって,この小説の中で最も印象深いセリフです.

と同時に,これは学校・大学といった教育関係の現場にも同じことが言えると思うんです.
もちろん,上述したように,国家と国民といった関係もそうだと思います.

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