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【その2】最近YouTubeを見るようになったんだけど,これが結構楽しい【今どきの大学】

YouTubeに「今どきの大学」の話が結構落ちていた


「最近私もYouTubeを見るようになった」っていう話題の2つ目.
今回は,このブログで頻繁に取り上げている「大学論」についてです.

いろいろ目にすることがあるんですけど,私が見つけたものをご紹介します.
このブログをいつも読んでくださっている,皆さんの参考になれば幸いです.

例えばこんなの.
過去記事で取り上げているものと非常によく似た内容になっています.



昨今の大学が,なぜこんな状態になっているのか? について,さまざまな理由をあげられています.

大学のレベルが凋落している理由.
レベルが低下せざるを得ない理由.
大学でイノベーティブな研究が出来なくなった理由.
大学教員が「正論」を吐けなくなった理由.
ビジネスライクな話が大学でまかり通るようになった理由.
チャラチャラした教員がデカい顔をするようになった理由.


あと,途中で番組の司会者が,
「大学の数が多過ぎるから凋落しているのでは?」
っていう話題をふっていますが,これは私も過去記事で主張しているように,「そうでない」と考えています.

むしろ,大学の数はもっと多くてもいいくらいです.
大学教育を受けられる国民の数が増えることが,なんで問題になるのでしょう.

この「大学が多過ぎる」という理屈は,
「教育・研究は,教員や学生を競争的環境に置くことで活性化するはずだ」
という新自由主義的なイデオロギーから惹起されています.
もっと詳細に説明すれば以下のようになります.

大学教育を受けた人間は,この社会システムにおいて「うまい汁を吸う」ことができるはずだ.
だから,大学などの高等教育機関への門戸を減らせば,それだけ大学教育を享受できる人数が制限されるから,「うまい汁を吸う」ことを目指す人間たちによる競争環境が出来上がるはずだ.
この競争環境が生まれた結果,大学のレベルは高く保たれるはずだ.
・・・ということです.

そして,私はこのイデオロギーに与しません.

自身の経験的にも観察的にも,そういう事例を見たことがないからです.
事実,日本は教育制度をここ40年近くそのように改革してきましたが,全く逆の効果しか生み出していません.
大学だけじゃない,小中高ぜんぶ.

いい加減,そろそろこのイデオロギーが間違いだったことを認めるべきです.

自らを「保守だ」「教育重視だ」と自称する人ほど,このイデオロギーに取り憑かれています.
勢いあまって,愛国教育を推進しようとすることもあります.


動画の途中で中野剛志氏が言っているように,大学の数が多過ぎることが原因じゃなくて,まともな学術活動をしなくなっていることが問題なんです.
特に罪深いのは,良くも悪くも「ランキング化」された日本の大学評価において,トップであるはずの「東京大学」が,チャラくてナウいことを率先してやってきたことです.

大学の数が多くても,それら各大学において全うな学術活動がなされていれば,学生たちが享受できる教育レベルは保たれます.
全うな学術活動ができないようなシステムに改革してきたのが,平成の世だったと言えるかもしれません.


事実,「大学の数が多過ぎるのでは?」と指摘した番組司会者にしても,彼自身が,
「勉強と称して自由な時間を過ごすことが大事」
「授業や大学の活動の合間にやった事が後の人生で活きてくる」
という趣旨のことを言っています.

さて,これは「大学の数」と関係があるんでしょうか?

ようするに,大学という「場」をどのように過ごすのか?
そして,そうやって過ごす「場」がどのような環境なのか?
といったことの方が「門戸の狭さ」よりも大事で,それは「学習時間」「学習状況」「論文数」「取得資格」「就職実績」「授業満足度」などといった評価項目とは関係がないのです.

大学教育論について関心のある人は,ぜひ上記の動画をおすすめします.


他にも,過去記事でこんなYouTube動画を紹介したこともありました.
こちらも面白いのでどうぞ.


本当の意味で「学生目線」なのは,この考え方だと思う.
特にこれからの大学は,この考え方を真正面から受け止めて,自らの価値を検討しておかないと,向こう10年がヤバいと思いますよ.

この岡田斗司夫氏は「だから大学はもっと潰れるべき」と述べていますが,私は逆です.
「だから大学はもっとたくさんあっていい」んです.
ですが,大学がこのまま「就職のため」に存在することを目指すと,岡田氏の言うような未来が待っています.

詳しい話は,
大学関係者が知っておくべき,2025年頃に受験者数が激減する未来予想図
で述べていますので,そちらもどうぞ.

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