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天皇・皇室と私達の距離感

実際のところどうでもいいと思っている私による感想文


先日,
という記事を書きました.

その記事で,
「私はべつに皇室を信仰も尊重もしていないので,実際のところどうでもいいと思っています」
などと,けったいな告白をしてしまったのですが,実際これは本当です.

ただ,だからと言って,天皇制に反対とか,皇室打倒などと言うわけじゃありません.
むしろ,天皇や皇室は,日本がこの世界に存在する上で極めて重要なものだと考えています.

「どうでもいい」
っていうのは,あくまでも私個人の見解です.


その記事でも述べましたが,これと似たような認識として,「お祭り」があります.
お神輿しょったり,リンゴ飴とか綿菓子の出店が並んだり,花火打ち上げたりといった,あの「お祭り」のこと.

(Wikipedia)

お祭り「だんじり祭り」


で,私は「お祭り」というものが大嫌いです.
人ゴミが嫌いだし,皆でワイワイするのも苦手だし,お祭り騒ぎなんてヘドが出る.

最近の日本では,「ハロウィン」とかいうお祭りもブームです.
死ねばいいのにと思っています.
※それだけに,先日読んだ小説,森博嗣 著『馬鹿と嘘の弓』のクライマックスには軽くシンパシーがあります.


とは言え,「お祭り」が人類の発展や人間社会のスタビライザーとして機能してきた歴史や価値は認めています.
これは,私の個人的な見解や認識とは別のものです.
だから「お祭りを廃止する」とか「ハロウィンは禁止」っていう意見が出てきたら,それを全力で阻止します.

なぜなら,お祭りがないと人類や人間社会はちゃんと存在できないからです.
それだけ,「お祭り」という文化は重要なものです
特に俗物やバカが混在する人間社会にとっては,その共同体意識を高めるために非常に重要な機能を持っているのです.

天皇や皇室も,それと一緒.
私としてはどうでもいいと思っていますが,日本にとっては重要な存在です.
特に俗物やバカを,同じ日本民族という共同体としてまとめておくためには,天皇や皇室の存在が必要です.

皇室は,国民統合の象徴なのです.

そんな私だからこそ,昨今の皇室,とりわけ秋篠宮家に対する平民共の無礼千万な振る舞いには心を痛めています.
なので,私の「お気持ち」をここに述べておこうかなと.

今日はこんなニュースがありました.
佳子さま「お姉ちゃんが幸せになれないのはおかしい」 眞子さま「お気持ち」文書の背後にあった妹のエール(Yahooニュース|文春オンライン 2020.11.16)

この記事の中身はどうでもいいんですけど,それに対する平民たちのコメントが荒れに荒れていますよね.
これを見てると笑えてくるっていうか・・,おっと違った.
とても心を痛めてしまいます.


私としては,天皇や皇室は理屈抜きで重要な歴史的・民族的存在なので,手や口を挟むことは憚られると思っています.
だから,このブログでは最近までほとんど触れませんでした.

ところが,なんだか潮目が変わってきましたよね.

数年前まで,雅子妃や愛子殿下に対する誹謗中傷が凄まじかったし,ここ最近では秋篠宮家に対する誹謗中傷が苛烈です.

いや,もうさ,お前ら何様のつもりだよって.
そんな目で見ていました.

前掲の記事にもなっている眞子様のご結婚報道についても,もう放っておいてあげればいいのにと,心の底から思います.
周囲がそっとしといてあげれば,意外と上手く結婚生活が送れるかもよ.
実際のところ,結婚生活がうまくいくかどうかなんて,誰もわかんないんだし.

あと,借金問題とか結婚一時金とか,とにかく「税金が無駄に使われるから!」っていうクレームが多いですよね.

でも,私としては,結婚一時金で小室氏の借金が返済できて,それで結婚生活がうまくいく可能性があるなら,普通に出してあげればいいと思います.
だってさぁ,相手に借金があろうがなかろうが,結婚一時金は支払われるわけだから,そんなところをケチケチするのも妙な話です.

もちろん,彼の借金が何億円とあって,結婚一時金(約1億円)では足りない,っていうなら別ですけどね.
そうなると,一時金をどこまで増額できるかっていう話になってくるから,ちょっと考えものです.
でも,今回はそんなんじゃないから,出してあげればいいと思います.



と言いつつ,国民が皇室を侮辱すること自体はアリだとも思う


私が通っていた高校では,社会科の授業は,オプションとして深堀りテーマを選択できるようになっていました.
つまり,一般的な授業内容とは別に,各教員の専門・得意分野の授業が展開されていて,生徒はそれを自由に選択できるというものです.
結構おもしろい取り組みだったと思っています.

で,私は日本の古代史を選択してたんです.

その授業のなかで「天皇」について扱った時,
「庶民にとって天皇とはどういう存在だったのか?」
という話をしてくれたことがあります.
たしかに,よくよく考えてみれば興味深いなぁと.

これについて分かっている範疇では,庶民が天皇の存在を明確に意識するようになったのは明治時代以降のこと.
それも,大政奉還という一大イベントがあったから意識するようになったらしいです.

それまでの庶民は,天皇という存在は知っていても,畏敬や信仰の対象ではなかったとされています.
武士階級や社会的地位が高い層にとっては重要な教養だったとしても,日々の生活に忙しい庶民の関心はやはり薄かったと思われます.
特に中央から離れて,地方にいけば尚の事.
実際のところ,全然知らない,意識すらしない庶民も結構いたんでしょうね.


さらに言えば,笑いのネタにもなっていたようです.

高校の授業ではギリギリの内容でしょうが,江戸時代に流行ったというこんな川柳を教えてくれました.

道鏡に崩御崩御と称徳言い
道鏡は座ると膝が三つでき
道鏡に根まで入れろと勅

ヤバいね,危ない内容ですね.

これは弓削道鏡と称徳天皇(孝謙天皇)による不倫疑惑をネタにしたものです.

道鏡と称徳天皇の不倫が本当か否かという話ではありません.
それを笑いのネタとして,しかもかなりドギツい侮辱による笑いのネタになっていたということです.

おそらく,そんな調子で他の歴代天皇についても,バカにしたりネタにされていた方がいたのでしょう.
例えば,キチガイとして有名な武烈天皇や,嫁の嫉妬に振り回され続けた仁徳天皇あたりは間違いなくネタにされていたと思います.

別に天皇として即位した方でなくても,その関係者には,お間抜けなエピソードを持った皇室の方々は多いものです.


そう考えれば,今回の眞子様ご結婚問題についても,これと同じようなものかもしれません.
国民としては,好き放題言っても良いのかも.
そして,盛大にネタにされる存在として歴史に君臨するのも面白いかもしれません.

ただ,眞子様やその周囲としては,これを真に受けなくても良いかと思います.
国民のことなんか気にせず,我道を進むことが大事です.

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