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バカとは,自分を賢いと思いこんでいる人間のこと

バカについてマジメに論考した本


今年もいよいよ終わりが近づいています.
世界がひたすらコロナで騒いだ1年間でしたね.

そんな年の瀬に,こんな本を読んで楽しみました.
ジャン=フランソワ・マルミオン著『「バカ」の研究』.


編著者が,世界中の知の巨人たちにインタビューして,「バカとは何か」をマジメに論考した本です.
原著はフランスでベストセラーになっているとのこと.

これ,結構オススメ.


この世に「バカ」が存在するのはなぜか?
バカとはどういう人間のことか?
バカをコントロールすることはできるのか?
やはりバカは死んでも治らないのか?

そんな話をバカバカしくも丁寧に論じています.

ホモ・エコノミクスとバカ.
ヒューリスティクスとバカ.
ビッグデータとバカ.
インターネットとバカ.
ポスト・トゥルースとバカ.

バカについて,現代科学の視点からここまで濃厚に考察したものに出会ったことがありません.

著者の一人,ジャン=クロード・カリエールは言います.
「バカは自分を賢いと思いこむ」

バカとは,自分を疑わない人間のことです.
「疑う」こと.
それも,自分自身をも対象にして「疑う」ことは,愚かさやバカに対する解毒剤だと述べています.

そう言えば,スペインの哲学者であり政治家でもあるホセ・オルテガもこう言っていました.
愚か者は,自分を疑ってみない.自分が極めて分別があるように思う.ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかくあの羨むべき平静さは,ここから生まれるのである.

科学は疑い続けることで発展しています.
ある時に「これが正解だ」と定まったことであっても,そのうちこれが覆って,新しい正解が生まれるのです.
科学の存在意義とは,飽くなき前言撤回を繰り返すことで担保されているとも言えます.

そうやって,絶え間ない変化の中に生きているのが私たちなのです.

これを仏教では,「諸行無常」と呼びます.
世界は人間の,もっと言えば自分自身の「認識」から生まれています.
その人間の認識なんて,いくらでも変わってしまう.

この世界において唯一絶対の事とは,「唯一絶対の事など無い」ということです.


ところが,世の中の多くの人々は,これが出来ない.
なので,最低限「自分がバカである」ことを自覚することが大事です.

そもそも,学校や大学で勉強する理由は,自分がバカであることを自覚するためでもあります.
そのなかの一つが,この「物事を科学的に判断する力」,つまり「疑う力」と言えます.

決して,役立つ知識を身につけて賢くなるためではありません.
そんなブログ記事を書いたこともありました.


バカのタチが悪いところは,「疑うこと」そのものを疑ってかかることです.
「疑い」をかけることを,勝敗のかかったゲームだと解釈します.

典型的なのが,何年か前の流行語にもなっていた「悪魔の証明」です.

疑いをかけるのであれば,疑っている側がそれを証明してみせろ,というやつ.
訴訟問題などであれば,それでもいいのですが,バカはこれを何にでも当てはめようとする.

勢い,
「無いことを証明することはできない.疑惑を証明できる証拠がないのであれば,そんな事実は無かったのだ」
などと言い出します.

バカですね.

これは,悪魔の証明の誤用です.
詳細は,
に書いたので,こちらを参照してください.


カリエール氏によれば,現代にはびこる「バカ政治家」は,自分を賢いと思いこんでいるので,
「わかりません」
とか,
「少し考える時間がほしい」
などと言いません.

つまり,即答したがるのです.
即答できることが,有能な政治家だと思っている.

当然,それを受け止める大衆側にもバカがいるので,即答できる政治家こそが有能だと思ってしまう.
結果,バカとバカによるスパイラル効果が発生し,巨大なバカ竜巻が社会を襲います.

このように,バカは,ノリとスピードを重視します.
尤も,そういうテンポで提供されるものしか理解できないのが「バカ」とも言えます.

そういえば,最近の日本では,ノリ良く歌って踊ってたSPEEDから政治家が出ましたね.
これは,この社会が終末期に入ったことを示しています.


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