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国葬についての私見

どうも,お久しぶりです.
「ブログ更新やめちゃったの?」って心配する声もありましたが,まだ辞めるつもりはありません.

最近ちょっと慌ただしい日々を過ごしていたのと,別に慌ただしくなくとも,約10年ぶりに「ブログ更新」という習慣を外した日々を送ったらどんな感じなのか体験してみたいと思ったからでした.

で,特に得るものはありませんでしたので,また再開します.


2ヶ月ほど更新していない間に,世間ではいろいろなことがありましたね.
そういったものを取り上げてみようと思います.

そんなわけで,まずは国葬です.


安倍晋三が国葬に値しない理由


しょっぱなから飛ばしてみようということで,やや過激なサブタイトルです.
でも,「これについて」が気になって仕方なかったんだけど,なんだかモヤモヤしたまま事が過ぎちゃった感がある人は多いのではないでしょうか.


そういえば,安倍晋三氏の国葬問題で騒いでいる最中,英国のエリザベス女王がお亡くなりになって国葬の運びになりましたよね.

なんという絶妙なタイミングかと,皆様もさぞかし感慨深いものがあったでしょう.

こう言ってはなんですが,「本物の国葬とは何か」を見せつけられたような気がします.


日本では,安倍晋三元日本国首相が,「国葬に値するか否か」の議論に沸いていましたよね.
テレビとかネットでも,「安倍氏は国葬に値する業績がこんなにあるじゃないか!」などと訴える人もいたし,逆に「安倍氏は国賊.当然,国葬には値しない!」といきり立つコメントもあった.

さて私はというと,過去記事でも表明しているように,国葬についてはどうでもいいと思っています.
国葬というのは政治的イベントですから,時の為政者の都合にあわせて,国葬にしたければすればいいと.

ただ,その評価はというと,私としては安倍晋三は国葬には値しない存在でした.

実際,国葬してみてどうだったでしょうか?
日本における,「国葬」というイベントの威厳や価値を下げただけではないのか? そんな気がするのですが,皆さんはどう感じましたか.


ところで,国葬に値する人物とはどんな人なのでしょう.
安倍晋三の国葬の賛否について,その多くは「業績が優れていること」や,「まだ歴史的評価を得てない」といった議論が展開されていました.

しかし,私としては国葬に値するか否かの議論に,「本人の業績」はそれほど重要ではないと思っています.
もちろん,まったく無視して良いというわけでもありませんが,必要条件ではないということ.

っていうか,この「安倍晋三は国葬に値するか論争」について,実は多くの有識者やコメンテーター,そしてメディア関係者がなんとなく気がついているはずなのに,正面切って論じる人がいなかったんだと思います.


安倍晋三って,自らの意思で立候補し,国民から選挙で選ばれた政治家であり,そして議会政治のなかで選出された国家のリーダー(総理大臣)ですよね.
そんな人を国葬にしようっていうのが間違っているんです.

逆に,国葬に値する人物っていうのは,
自分の意志や希望とは無関係に,国家の都合によって任を命じられ,その責任を負わされた者
であり,そうした人物の霊に対して感謝と鎮魂を願うイベントだというのが私の定義です.

もっと簡潔に言えば,「本人の意向を無視して,国家の都合で仕事をしてくれていた人が亡くなったんだから,国家として葬儀をしましょうよ」っていうのが私にとっての国葬です.

いえ,私の定義っていうか,おそらく多くの人が「そういうものだ」と思っているんじゃないでしょうか.
でも,それを明確に語る人がいなかったように思います.


安倍晋三は国葬に値するか? の論争で,戦後,同じく政治家で国葬になっている吉田茂がいます.
しかし,吉田茂は「本人の意思」で総理大臣になったのではありません.
天皇陛下からの組閣の大命を受けて就任しています.
もっと言えば,おそらくそれは占領軍GHQの都合であり,そして敗戦処理の仕事に従事したわけです.

すなわち,吉田茂の「業績」が,当時どのような評価を得ていたかとか,歴史的にどのように評価されているのか,なんてことは「吉田茂が国葬に値するか否か」には関係ありません.

本人の意志ではなく,国家の都合で首相に就任し,そしてその責任を負わされた政治家だったわけで,故に私は「吉田茂は国葬に値する」と思っています.


この定義に照らせば,他の国葬になった人たちも「国葬に値する」ことがわかるはずです.

特に天皇陛下は,自らの意志とは無関係に「天皇」に生まれたことで日本国を背負った生涯を生きなければならないわけですから,やはり国葬になるのが当然なのです.

軍人である,東郷平八郎や山本五十六なども同様です.
彼らはたしかに,軍人になろうと思ったのは本人の意志でしょうが,その後,日本国の存亡をかけた戦争における司令官を命じたのは,国家の都合ですよね.


繰り返しになりますが,では今回の安倍晋三はどうだったか?
「総理大臣は天皇が任命するのではないか?」という意見もあるかもしれませんが,しかし現在の日本国憲法下において,天皇からの任命は儀式的なものであって,日本国の象徴たる天皇陛下の意志・意図が「総理大臣任命」に介在することはありません.

つまり,安倍晋三は自らの意志で政治家になり,自らの意志で総理大臣(党首)に立候補し,自らの意志でもって総理大臣の座を獲得していることになります.

これをシンプルに言い換えれば,日本国としては,総理大臣は別に安倍晋三である必要はなかったわけです.
安倍晋三が総理大臣でなくても,この間,総理大臣の職をやりたがる人は常時たくさん存在していて,安倍晋三が首相をやらなくても日本の政治は回りました.
すなわち,安倍晋三が総理大臣という仕事をしたのは,日本国の都合ではありません.

よって,安倍晋三は国葬に値しない,という結論と評価になります.


それに,先日の国葬の様子を一部見てみたんですけど,やっぱり国葬である必要性が感じられませんでした.
自民党としての葬儀や,有志の葬儀の方がもっと有意義なものになったんじゃないかと思わざるを得ません.

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