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ベーシックインカムにより,人は仕事をしなくなるのではなく,できなくなる

先日のブログ記事に追加で...


先日の記事として,
っていうのを書きました.

そのときに一緒に書こうと思ったんですけど,冗長になるかなと考えて省いた話をします.

先日の記事では,
「生活保護の代わりにベーシックインカムを」
ということと,
「生活保護を受けることで,自動車が没収されてしまい,今までやれていた仕事ができなくなった人がいる.一体何のための生活保護なのか?」
という私の身の回りで発生していることを紹介しました.

でもこの話,実は農場を経営している「経営者」である私にとって,一筋縄では解釈できない話でもあるのです.


結論から言えば,その生活保護申請した従業員が職場を離れたことで,私の農場経営は生産性が増加し,経営状態は上向きになったのです.

思いがけずとか,意外だったわけではありません.
もともと,この人がいることで滞っている仕事が結構あるなぁ,とか,かなりロスが発生しているなぁ,って悩んでいたところでした.

ただまあ,離脱することで「人手が足りなくて大変になるのではないか」と心配だったんですが,そんなことは全然なくて,経営的にポジティブ面しか現れなかったことは,ある意味で「残念」なことではありましたが.

つまり,実際問題として,誠に残念な話ではありますが,「いなくてもいい労働者」って,やっぱりどうしても存在するんです
今回,私がそれをダイレクトに感じちゃった,っていうことです.


なにも難しい話ではありません.
こういうのはよく知られているところでしょう.

よく聞くじゃないですか,
「公には話せない身の上の人でも雇ってくれる町工場」
「心身に障害を抱えていても,マイペースで働ける農場」
「情緒不安定な時期の少年少女を,保護的に雇っている良心的なアングラ業者」
などなど.

端的に言えば,「問題を抱えた人を,あえて雇ってくれる職場」っていうのがあるわけです.

もちろん,こういう「問題を抱えた人」の中にも優れた能力(生産性・労働力)を有している人はいますが,実際のところ,そういうのって少数派で.
やっぱりどうしても,労働力の劣る人は多いものです.

こうした職場が「問題を抱えた人」を雇うのは,福祉的な観点からの社会貢献の意味が強いですね.
あと,私の農場の場合のように,人間関係とかコネクションとか.

すなわち,「ここで雇ってあげないと,この人が生活に困るだろうから,経営的な有利性を無視してでも雇っている」っていうこと.
経営者が,労働力の劣る人をわざわざ雇うのは,そうした観点からなのです.


さて,そんな中にあってベーシックインカム制度が走り出すとどうなるでしょうか?
よく,
「ベーシックインカムを始めると,人は仕事をしなくなるのではないか」
と言われます.
しかし,私はそうは思えません.

むしろ,私も経営者の一人になったことで,より強く思うのは,
「ベーシックインカムを始めると,(労働力が乏しい)人は仕事ができなくなる」
ということ.

ベーシックインカムの世界にあっては,労働力が乏しい人は生産活動に参加せず,「月額◯万円の消費者」にだけなってもらえばいい.という時代になるのではないでしょうか.

実際,多くの職場には,
「いなくてもいい従業員・労働者」
はたくさんいるでしょう.

そういう人であっても,現在は簡単にクビを切ることはできないのです.
なぜなら,簡単にクビが切れてしまうと,その人は生活に困ってしまうからです.

しかし,ベーシックインカムが始まってしまうと,その「クビになる」ハードルはどんどん下がることが予想されます.

「労働者を守る制度がそんなに簡単に変わることはない」と考える人もいるでしょうが,そんなことはありません.
現在だって,労働者を守る制度がありますが,職場によっては実際に適用されるケースは少ないという話もあるでしょう.
分かりやすいところだと,育児休暇とか有給とか,労働時間超過とか.

ベーシックインカムが走り出しても,たしかに制度上は簡単にクビにはできないでしょう.
しかし,
「仕事をクビになっても(辞職しても)生活には困らない」
という状況下にあって,人は今現在と同じ状態でいられるでしょうか?

私はそうは思いません.

おそらく,
「どうせ仕事を辞めても生活はできるんだから...」
と,慣れない仕事や不向きな仕事,やりがいの見いだせなさから,自分から辞めていく人は現在より増えるはずです.

また,職場の同僚からも,
「どうせ仕事を辞めても生活には困らないんだろ...」
という目で見られるわけですから,「この仕事に向いてない,無能な奴はさっさとやめろよ」的なプレッシャーをかけられることは,今より遥かに大きくなることは間違いありません.

そういう社会的変化が進んだ先にあるのは,
「その仕事に資質のある,才能のある人だけが取り組むことができる」
という状態です.

で,そういう状態になれば,おそらくは生産性は現在より高くなり,職場環境も「護送船団方式」というより「切磋琢磨」な雰囲気が強くなると考えられます.
イメージとしては,現在の多くの企業や職場が,大学とかの「テニスサークル」的な雰囲気だとすると,ベーシックインカムによって「体育会テニス部」的な雰囲気へと変わるのだと思うんですよ.

つまり,「勝つため,パフォーマンスアップのために集っている集団」という色が強い企業や事業集団が増えてきて,その方針に従えない労働者は自然と弾かれるはずです.

そして,そういう体育会テニス部的な会社や事業集団がたくさん存在する社会の方が,テニスサークル的な集団が散在する社会よりも,経済規模が大きくなる可能性が高いのです.


もちろん,
「私は体育会のあの暑苦しくもギスギスした雰囲気は嫌いだ」
という人もたくさんいるでしょう.
「お金儲けやスキルアップにばかり囚われている人生は嫌だ」
という人も大勢いるはずです.

っていうか,そういう人こそベーシックインカムの良さを利用するべきなのです.
「社会的意義は高いがお金にならない」とか,「将来性はあるけど,今は仕事として成り立たない」といった活動はたくさんありますよね.

今は経済的に余裕がある人がボランティアでやっていることとか,経済的感覚がちょっとズレている人が利他心からやっていることとか.

ベーシックインカムのある世界では,そうしたことに,より多くの人が取り組めることを意味します.

言い換えれば,人間というのは,
「私は,この社会に対し貢献している価値ある存在なんですよ」
ということをアピールしたい生き物だと思うんです.

その手っ取り早い手段が,「仕事」です.
仕事をしていれば,社会貢献しているように見えやすいですから.

なので,ベーシックインカムによって「人は仕事をしなくなる」ということはありません.
むしろ,今で言う「仕事」ができる人は,ドンドン減っていく可能性があります.

その代わりに,報酬を気にせず,むしろ無給の仕事が世の中に蔓延していく可能性が高い.
畢竟,そういった仕事で社会が円滑になっていくのかもしれないのです.


そんな世界では,「気が向いたときだけ,好きなように働く」というスタイルをとることもできます.
今日は◯◯がしたい気分だから,そんな仕事を探してみよう,などと言える社会が来るかもしれません.

で,そんな要望を集約整理することでビジネスにする人が出てくる可能性もありますね.

実際,私のところにそんな従業員がいます.
まあ,好きなようにしているので,「従業員」ではありません.
事実,「従業」してくれていないのですから.

これについては,
でも紹介しました.


お金儲けやステータス,研究開発とか製造生産に関心がある人は,その道をドンドン突き進めばいいんです.
ベーシックインカムはそれを否定するものではありません.
その道を進む人は,多くの税金を収めて,多くの人がより快適に過ごせる世界をつくる優越感に浸りましょう.
そういう役割なのです.

でも,そうじゃないって考える人も,その道をドンドン突き進むべきです.
むしろ,そんな道の先にこそ,新しい人間社会の価値や哲学,新たなビジネスの種があったりするものです.

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