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反省会として|その2「ネコみたいな労働」

うちの「ネコ」と「嫌われ従業員」とベーシック・インカム


やらかしちゃった講演会から1週間が経とうとしています.
いろいろ反省しているのですけど,その反省を含めて,「本当はこういう事を伝えたかった」という話題をとりあげてみようと思います.


講演に使ったパワポのスライドは,そもそも未完成だったもんですから,構成や順序がぶつ切りになっていまして(講演直前に仕上げようと思ってたから).
あの時にどんな話をしようとしてたのか,あらためてここで記事にしてみよう,というわけです.


うちの「ネコ」を紹介しました.
以下のようなスライドで.



実際のところ,それまでの話に時間を使いすぎちゃってて,しかも,このスライドの登場部分が「予定していた話題展開」からズレたところにあったので,あわててボツにしたんですけど...

本当は以下のような話をするつもりだったんです.


猫の手を借りて仕事してる


最近,私がネコを飼いはじめたってことは過去記事でも取り上げましたよね.
で,このネコが超絶優秀な従業員でして.

昨年こんな記事を書いてます.

この記事のネコは,うちの集落にいるネコ達のこと.
こいつらのおかげで,ネズミが少なくなってて助かってるって話でしたが,それでもネズミ対策には追われていたんです.

うちにネコが住み着いたのは,このあとのことです.

で,こいつ(名前はミー)なんですけど,ハンティングがとても上手い.
年がら年中,なんか捕ってきては私のところで自慢してるんですね.

ネズミ,トカゲ,ハト,ヒヨドリ,スズメ,コウモリ,モグラなどなど.

仕事場に私がいるもんですから,ミーもその仕事場を自分の縄張りのひとつにしているらしく,よくうろつくようになりました.
で,そこに出入りしているネズミを追い回して遊んでるんです.


それまでの,ときたま現れるネコとは違い,ミーはほぼ毎日出勤してくれます.
ネズミを仕留めては,「ウヒャヒャヒャヒャッ」って笑いながら見せびらかしにくるんです.
「ほら,これで遊ぼう」ってな感じで,弱らせたネズミを私の前に放り出しては,逃げようとするネズミにネコパンチを浴びせて弄ぶ.
どうやら食べるわけじゃないらしく,遊ぶために捕ってるみたいです.
なんとも残酷な光景ですが,ミーは至って上機嫌.

そんな凶悪なネコが徘徊するところですから,今季はネズミをほとんど見なくなりました.
昨年まで,必死こいてネズミ対策してたのが嘘のよう.

まさに,「猫の手を借りて仕事をしている」状態なのです.


ネコみたいな従業員の手を借りて仕事をしている


ところで,そんなネコみたいなキャラクタをした人間がいるんです.

皆さんの周りにも,極少数,こんな人がいるんじゃないでしょうか.

うちの従業員のひとりなんですけど,この人,この地域では「クセモノ」として知られていて,とにかく仕事が長続きしないんです.
要するに,すぐにクビになる.

どうしてかというと,
「自分のやりたい仕事しかしない」
「出勤時間を自分で決めたがる」
「仕事の段取りを自分でやりたがる」
「指示された仕事はしたくない」
「報酬(給料)を渋りたがる」
そんな感じ.

いや,意味分かんないよ,って思うかもしれませんが,はいそうです,だからすぐにクビになるんです.

もう60歳になろうかという年齢ですが,まともに「職に就く」という状態になったことがなく,短期間で仕事を転々としてきたようです.
実際,もうすでにこの地域では「ブラックリスト」状態でして,ほぼ完全に仕事のあてがなくなった昨年から,うちで働いてもらっているんです.

これは私の肌感覚でしかありませんけど,この手の人種って,田舎には多いのかもしれません.
というのも,こういうキャラって,都市部では受け入れられないでしょ.
つまり,近代型の労働力として不適格なんですよ.
特に,近代労働者になるために教育を受けてきた現代人の多くは,こういう人間を毛嫌いします.

近代型の労働っていうのは,すなわち,
「指示された段取りで労働することが求められる」
「時間通りに働くことが求められる」
「報酬によって労働力が計られる」
っていうことです.

で,この人はそれができないんです.
言い換えれば,前近代的ってこと.
または前衛的か.

私が見るに,おそらくこの人は「職人」的なキャラクターに憧れがあるようです.
そして,困っている職場に駆けつけて,そこでパパっと働いてあげて,現場の人たちから「ありがとう」と感謝されることが喜びなんだと思う.

逆に言えば,「上からの指示で働かされている」という状態が一番嫌なんでしょう.
事実,この人,すごくプライドが高いし.

だから,報酬も渋るんです.
「◯万円出すから,これをやってくれ」
「この仕事もやってくれたら給料を上乗せする」
っていう提示を嫌うのもそれが理由.

周囲の人たちからは,
「お金がもらえるんだから,やればいいじゃないか」
と言われていますが,本人は,
「そんなのは嫌だ.報酬は俺が決める」
と不満げに答えています.

じゃあ,そんな人なんだから,さぞかし仕事ができるのかというと,実は全く期待できません.
段取り,作業能力,仕事の丁寧さ,対応力,何一つとして取り柄がないのです.

しかも,携帯電話を持っていない上に,固定電話での対応もままらなないので,連絡がつかないんです.
「明日は◯時から来てください」って連絡したくても,伝えられない.
(っていうか,そもそもそういう「指示」を受けたくないから電話に出ないのだろう)

その割には,自分のことを「仕事ができる」と思っているフシがあり,職人肌でアイデアマンで,しかも地域社会に協力的な,助っ人キャラだという雰囲気を出したがるんですね.

けど,他の従業員さん曰く,
「助っ人じゃなくて,定職につけないアルバイト」

極めて残念な人と言えるでしょう.


え? そんな人を,なんでうちで働かせてるのか? って?
実は,私とは近からずも遠からずの親類なんですね.
そんなもんだから,うちの親父が情をかけて面倒を見てるんです.
私はそれに従ってるだけなんですけど,まあ,今のところ困ったことにはなっていません.

「金は受け取らねぇぜ」ってことなので,給料は格安にさせてもらっています.
っていうか,格安でないと,こっちが困ります.
だって,ぜんぜん仕事ができないので,むしろこっちの仕事が増えてしまったり,メチャクチャな使い方で機械を壊されて,その修理に金がかかったりするんでね.
ほぼボランティア,または悪徳技能実習制度みたいな感じで働いてもらってる.


とまぁ,そんな人ですが,考えてみれば,うちのネコ「ミー」と,従業員としての能力および特性は似たりよったりだなぁって.

つまり,
「自分のやりたい仕事しかしない」
「出勤時間を自分で決めたがる」
「仕事の段取りを自分でやりたがる」
「指示された仕事はしたくない」
「報酬(給料)を渋りたがる」


ベーシック・インカムで,人は仕事をしなくなるのか?


そもそも,講演会でこの話題をしたのは,
「なぜ私が大学教員をやめて農業を始めたのか?」
という点について,
「所得の大きさよりも,過ごしやすさや充実感を優先したライフスタイル」
というものを提唱したかったからです.

で,これには「ベーシック・インカム」や「ポスト資本主義」がキーワードになりますよ,っていうことなんですけど.

その点,うちの「ネコ」はすでにベーシック・インカム状態なんですね.
我が家に住み着いている時点で,このネコは「必要最低限の所得」は獲得できているわけですから.

じゃあ,そんな「余裕」を得たネコは,ひたすら「飲んで食って寝る」という生活をするのかというと,そうではない.
ネズミを捕って自慢したがるのです.
で,これが私にとっては助かってる状態.


さて,この件の従業員さんですが,実はある意味でベーシック・インカム状態なのです.
というのも,かなり高齢ではありますが,親が比較的裕福なので,この先まず野垂れ死ぬことはない状態なんですね.

でも,人間というのは,必要最低限の所得だけでなく,ある程度余裕のある経済状態にあったとしても,「飲んで食って寝る」だけの生活はしないし,遊び呆けたライフスタイルをとる人って,実は少ないんじゃないでしょうか.

この従業員のように,「誰かの役に立っている」ということを生き甲斐にして,能力も資質もないのに,どこぞに出向いて「仕事」をしたがる.
しかも,「自分自身がキャスティングボートを握っている」という優越感に似た何かを得ることを求める.


これがちょうど,『ドラゴンクエスト』とか『ファイナルファンタジー』などのロールプレイングゲームにおける,「勇者」御一行と似た生活だから,「勇者生活」と呼ばれたりもするそうです.
ただもちろん,勇者には「能力」も「資質」もあるんですけど,それはそれ.

勇者にしてみれば,報酬が出なくても,人々の喜ぶ顔が見れればOKで,そこで得た経験値が自分の価値を高めているようで充実感があります.
経験値を積んでいくことで,新たな「とくぎ」とか「じゅもん」を得ることもできるでしょう.

そう考えると,なんだかこの「従業員」のことが羨ましくも思えてくるのです.

私もそんな生活を構想してもいいんじゃないか.
そのためにもベーシック・インカム制度を希望してみるのも面白いですし,そうでなくても「勇者生活」が成り立つビジネスモデルを検討してみるのも楽しいですね.

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