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AIで遊ぶ|小説を書いてもらったよ

AIに頼りはじめた最近の私

世間はAI一色と言っても過言ではありません.
私も最近はAIに「課金」しはじめました.
なんせ,便利なことこの上ないのですから.

仕事上,経理とか注文対応とか,資料作成とか.
とにかくかつては面倒くさくてたまらなかった作業が,恐ろしく簡単になってしまいました.

先日,確定申告の話をしたじゃないですか.
あれも,AIにいろいろと助けてもらいました.
以前なら4〜5日悩みながらやっていた作業が,2日間ほどで,しかも楽にできるようになったのです.

どうか,この調子で行政もAI対応してほしいです.
もっと簡単に,簡潔に,高速でできるようになるはずです.
※そうすれば,税務職員も大幅に減らしてコストも大幅減になるはずです.あ,そうか,だからデジタル化とかAI対応が進まないのか...

栽培の方でもAIをたくさん使っています.
世界中に散らばっている栽培技術に関するネット情報から,いろいろなアイデアを引っ張ってくることもできるし,学術論文からアイデアを引っ張ってくることも簡単になりました.

一農家の私としては,「正解」を提示してもらうことに期待はしていません.
AIは嘘もつくし,間違いも犯す.
それよりも私は,「アイデア」を提示してくれることに期待しているのです.
あぁ,なるほど,そういう考え方もあるな.とか,え?そんな方法を試している研究もあるの?っていう情報.
それを自分の頭で思いつくのは限界があるし,自分で検索するのは重労働です.

これにAIが役立ってくれています.
実際にどんな結果になるのかは,自分の農場で試せばいい.
そんな使い方をしています.


AIのエンタメとしての使い方

さて,そんなことより皆さんにAIの面白い使い方をご紹介します.
小説を書いてもらう,というものです.
(もはや,今更感のある話題ですが)
でも,私はこれに最近はまっています.

ささっと出力してもらって,それを読み上げアプリで再生させて,仕事しながら聞いています.


はい.
やべぇ時代が到来したもんです.
戦慄します.

せっかくなので,作品を2つお見せしますね.
昔話をアレンジしてもらう,というのが最近のマイブームです.

1つ目は,日本の昔話の「桃太郎」を少しアレンジしてもらいました.

※こういうの,ブログとかにアップして大丈夫なんでしょうかね?
もし「これは私が書いた小説に酷似している」とか,「似た小説を知っている」という方がおられましたら,その作品をご提示ください.お詫びして,以下の小説を削除します.

では,AIが書いた「桃太郎」のはじまりはじまり~.

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桃太郎(AIアレンジ)

第一章 川から来たもの

むかしむかし、山あいの村に、年をとった夫婦が住んでいました。 村の人たちは、男を爺さま、女を婆さまと呼んでいましたが、二人には、若いころからずっと名前で呼び合う習わしが残っていて、爺さまは婆さまを「おえん」、婆さまは爺さまを「さくべえ」と呼んでいました。

「おえん、今日は川の水が澄んどるなあ」 「そうですねえ、さくべえさん。こんな日は洗濯物も気持ちよく乾きますよ」

春も終わり、山の緑が少しずつ濃くなっていくころでした。 おえんは、たらいに洗濯物をのせ、村の外れを流れる川へ向かいました。 その川は、上流では岩を打ち、下流ではゆるやかに光を集め、山の気と里の気をつなぐ川だといわれていました。 子どものいないおえんは、洗濯をしながら、ときどき川面に向かって胸のうちをこぼすことがありました。

「川の神さま、山の神さま。うちにも、もしもご縁があるなら、にぎやかな声をくださいな」

その日もまた、そんなふうに小さく願いごとを口にしたときでした。 上流のほうから、どんぶらこ、どんぶらこと、何か大きなものが流れてきました。

最初は倒木かと思いました。 けれど、それは日に照らされるたびに、やわらかな桃色に光りました。 近づくにつれ、丸く、ふくよかで、見たこともないほど大きな桃であることがわかりました。

「まあ、なんてこと。桃が……川を流れてくるなんて」

おえんは目を丸くしました。 しかもその桃は、ただ大きいだけではありません。 あたりに、ほのかに甘い香りを漂わせ、川の流れに逆らうでもなく、まるでおえんのいる岸へ自ら寄ってくるようでした。

「こっちへおいで。そうそう、もう少し」

おえんがそう言うと、桃はくるりと向きを変え、岸辺の石に軽く当たって止まりました。

「これは一人じゃ運べませんよ」

おえんは急いで村へ戻り、さくべえを呼びました。 さくべえは最初、話を半分しか信じませんでしたが、川辺に着くと、腰を抜かしそうになりました。

「こりゃあ桃じゃ。だが、こんな桃、見たことがない」 「でしょう。神さまのおすそ分けかもしれませんよ」 「神さまかどうかはわからんが、腹いっぱいになることはたしかだな」

二人は苦労してその桃を家まで運びました。 庭にござを広げ、その真ん中に桃を置くと、家の中がぱっと明るくなったようでした。

「さて、割ろうか」 「待ってくださいな。せっかくですもの、塩をひとつまみ持ってきます。昔から、授かりものには礼をしてから手をつけるものでしょう」

おえんが塩をまき、二人で手を合わせた、そのときでした。

ぱかり。

桃は、包丁も入れていないのに、ひとりでに割れました。

中から現れたのは、みずみずしい果肉でも大きな種でもなく、白い布にくるまれた赤子でした。 赤子は大きな声で泣くでもなく、ゆっくり目を開いて、二人の顔を見上げました。

「おぎゃあ」ではなく、 「ふあ」 と、小鳥のような息をもらしたその子に、おえんは両手を口に当てました。

「さくべえさん……」 「ああ」 「この子は……」 「ああ。きっと、うちに来ることになっていた子だ」

赤子は頬がほんのり桃色で、肌は水のように透きとおっていました。 おえんが抱き上げると、体はあたたかく、桃の香りがしました。 さくべえが指を差し出すと、小さな手がそれをぎゅっと握りました。

「桃から生まれた子なら、桃太郎でしょうか」 「それがよかろう。桃太郎だ」 「桃太郎。うちへよう来たねえ」 「今日からおまえは、わしらの子だ」

こうして、川から来た桃の子は、桃太郎と名づけられました。

けれど、その夜のことです。 寝かしつけた桃太郎の枕元で、おえんはふと不思議なものを見ました。 開いたままの桃の内側に、うすく金色の文字のようなものが浮かんでいたのです。 文字とも模様ともつかぬものは、水に揺れる月影のようにゆらめいて、すぐ消えてしまいました。

「山から来た子か、川から来た子か、それとも空から落ちた子か」

おえんは思わずつぶやきました。 すると、眠っていた桃太郎がまぶたも開けずに、小さな声で言いました。

「みんなから来た」

その声を聞いて、おえんは胸がじんと熱くなりました。


第二章 桃の子ども

桃太郎は、ふつうの子よりも少し早く育ちました。 だからといって、いきなり大人のようになるわけではありません。 笑い、転び、泣き、眠り、よく食べ、よく見つめる子でした。 ただ、その目には、ときどき年寄りのような静けさが宿りました。

三つになるころには、山道を一人で駆けのぼり、 五つになるころには、薪を背負ったさくべえを手伝い、 七つになるころには、村の悪童たちが束になってもかなわぬほど元気になっていました。

「桃太郎、おまえはほんとうに丈夫だな」 「父さま、ぼくは山の風を吸うと、胸の中が鳴るんです」 「胸の中が鳴る?」 「うん。川のそばへ行くと、水の音も、空の鳥の声も、みんな近くなるみたいで」

おえんはそれを聞いて、少しだけ心配そうにしました。 村には古くから、川に拾われた子は水の子、山に授かった子は山の子、桃や瓜から生まれた子は境の子だという言い伝えがありました。 人と神さまの境、里と異界の境、その狭間から来る子だというのです。 そのような子は、幸をもたらすこともあれば、遠くへ行ってしまうこともあるとされていました。

ある年の秋、村に異変が起こりはじめました。 山の畑が荒らされ、納屋の米俵がなくなり、夜更けに金棒を引きずるような音が聞こえるのです。

「鬼だ」 「鬼が山向こうに出たらしい」 「人さらいもするって話だ」 「島に住む鬼どもが、舟で来るんだとよ」

噂は日に日に大きくなりました。 見た者は赤い顔の鬼だと言い、青い肌だと言う者もいました。 角が一本だったという話もあれば、三本だったという話もありました。 ただ、一つだけ、誰の話にも共通していたことがあります。

鬼は、米や金だけでなく、人の大事なものを奪う、ということでした。

ある家では、亡くなった母の形見の櫛がなくなりました。 ある家では、先祖代々の守り刀が消えました。 またある家では、物は何も盗まれていないのに、父親が突然、末の娘の名を思い出せなくなったのです。

「鬼に、思い出まで盗まれた」 そう言って、村人は震えました。

桃太郎は、囲炉裏の前でその話を聞いていました。 火がはぜる音の向こうで、村人の声は暗く沈んでいました。

「このままでは、冬を越せん」 「誰か退治に行ける者はおらんのか」 「行けるものか。鬼だぞ」

そのとき、桃太郎が立ち上がりました。

「ぼくが行きます」 「桃太郎」

おえんの声が震えました。 さくべえは黙って息をのみました。 村人たちは、一斉に少年を見ました。

「ぼくが鬼ヶ島へ行って、鬼を退治します」

まだ若いとはいえ、桃太郎はすでに肩幅も広く、目にも力がありました。 けれど、それでも親にとっては子どもです。 おえんは思わず桃太郎の腕をつかみました。

「だめです。鬼なんて、どれほど恐ろしいか」 「母さま」 「おまえを授かったのが夢みたいだったのに、また失うなんて、そんなの、そんなの耐えられません」 「失いません」

桃太郎は静かに言いました。

「ぼくは、行かなければならない気がするんです。鬼が何を盗んでいるのか、どうしてこの村にまで来るのか、確かめたい。もしもぼくが境の子なら、境へ行く役目がある」

その言葉に、さくべえが低くうなりました。

「役目か」 「はい」 「ならば、止めても行くのだな」 「はい」

囲炉裏の火が一つ、大きくはぜました。 さくべえはその火を見つめ、やがて言いました。

「おえん。腹をくくろう」 「でも」 「この子は、うちに来た日から、わしらの子だ。だからこそ、行く道を自分で選ばせよう」 「さくべえさん……」 「桃太郎。行くなら、ただ強いだけではいかん。飯を食え、よく眠れ、よく考えろ。怒りだけで鬼を打つな。目をそらすな」

桃太郎は深く頭を下げました。

「はい、父さま」 「母さま、きび団子を作ってください」 「鬼退治の供にするためかい」 「それもあります。でも、道連れに会ったとき、分けるためです」 「……わかりました」

おえんは涙をぬぐいながら、そう答えました。


第三章 きび団子と三つの声

旅立ちの朝、空は晴れていました。 おえんは夜明け前から起きて、きび団子をこしらえました。 ただの団子ではありません。 畑で採れたきびをひき、山の湧き水でこね、少しの塩と、ほんの少しの桃の汁を混ぜた特別な団子です。 桃の汁は、桃太郎が生まれたあの桃の皮を干し、煎じてとっておいたものでした。

「これを食べれば、腹持ちがいい。けれど、食べる相手はよく見なさい」 「はい」 「本当に飢えている者にだけ渡すんですよ」 「はい」 「それから」 おえんはそこで少し笑いました。 「無茶をする前に、一つ食べるんです。おまえ、夢中になると何も食べないんだから」 「はい、母さま」

さくべえは古い脇差を一本、桃太郎に渡しました。

「これは、わしの父の、そのまた父が使っていたものだ。重すぎず、短すぎん。守りにもなる」 「ありがとうございます」 「だが、刀は最後だ。できれば言葉で終わらせろ」 「鬼に、言葉が通じますか」 「通じん相手かどうか、それを見きわめるのも役目だ」

桃太郎は荷を背負い、きび団子を腰に下げ、家を出ました。 振り返ると、おえんが戸口で手を振っていました。 さくべえは腕を組んだまま、けれど誰よりまっすぐに息子を見ていました。

山道に入ってしばらく行くと、草むらから低いうなり声が聞こえました。 灰色の大きな犬が、片足をかばうようにして立っていました。 ただの野犬ではありません。 毛並みは荒れていても目が鋭く、人のことばをよく聞いている顔でした。

「止まれ」 と、犬が言いました。 「おまえ、うまそうな匂いをさせているな」

桃太郎は足を止めました。

「きび団子の匂いだよ」 「一つよこせ」 「どうして」 「腹が減っている」 「それだけか」 「それだけでは足りんか」

犬は唇をめくって牙を見せましたが、その後ろ脚は震えていました。 桃太郎はしゃがみこんで、犬の足を見ました。 木のとげが深く刺さり、化膿しかけています。

「まず、とげを抜こう」 「噛むぞ」 「痛ければ噛んでいい。でも、抜かないともっと痛くなる」

犬は怪訝そうに桃太郎を見ました。 けれど、その目に嘘がないとわかると、しぶしぶ足を差し出しました。 桃太郎がとげを抜き、湧き水で傷を洗ってやると、犬はふるふると体を震わせ、大きく息を吐きました。

「……礼を言う」 「団子をあげよう」 「いいのか」 「うん。君は腹が減っていて、しかも足を痛めていた」 「名を聞こう」 「桃太郎」 「ならば、俺は犬丸だ。桃太郎、その団子一つで、おまえの家来になってやる」

桃太郎は笑いました。

「家来じゃなくて、仲間になってくれ」 犬丸は少し黙り、それから鼻を鳴らしました。

「変なやつだな。まあいい。仲間だ」

二人がさらに進むと、今度は木の上から声がしました。

「おーい、下のふたり。そこの団子、甘いか」

見上げると、尾の長い猿が枝にまたがっていました。 栗の殻を頭に乗せ、目をきらきらさせています。

「甘いよ」 「一つくれたら、いいことを教えてやる」 「どんないいこと?」 「この先の崖道で、落石がある」 犬丸が唸りました。 「聞こえ透いた嘘だ」 猿はけらけら笑いました。 「半分ほんと、半分うそ」 「じゃあ、信用できないな」 「そう怒るなよ、犬。おれは猿吉。腹が減るとちょいと口がすべるだけさ」

桃太郎は猿吉を見上げました。 猿の腕には、縄の痕のような傷がありました。 どこかで捕まっていたのかもしれません。

「一つあげるから、正直に話して」 「正直に?」 「うん。どうしてほしいのか」 猿吉はしばらく黙っていましたが、やがて肩をすくめました。 「ほんとはな、鬼ヶ島へ行く道を探してる。おれの山に、鬼が来た。木の実をごっそり持っていっただけじゃない。うちの年寄り猿が守ってた祠の鈴まで盗んだ。あの鈴がないと、山の道が静かすぎて落ち着かない」 「祠の鈴?」 「山ってのは、音が要るんだよ。風の音、葉の音、鈴の音。鬼はそういうのをわからない」

桃太郎は団子を差し出しました。

「じゃあ、一緒に来る?」 猿吉は目を丸くしました。 「追い払わないのか」 「どうして?」 「おれ、ちょろまかすし、口も軽いし」 「でも、さっき本当のことを言った」 猿吉は団子を受け取ると、にやっと笑いました。 「よしきた。おれは賢いから、役に立つぞ」 犬丸がぼそりと言いました。 「騒がしいだけだろうが」 「なんだと犬」 「やるか」 「やめなよ、二人とも」

そうして三人になりました。

峠を越えた夕暮れどき、今度は空から影が落ちてきました。 一羽の雉が、傷ついた羽で地面に降り立ったのです。 雉は胸を上下させながらも、気高く首を伸ばして言いました。

「旅の者、その団子を一つ恵んでください」 「もちろん」 「理由は聞かないのですか」 「聞くよ。けれど、まず水を飲んで」

桃太郎が竹筒の水を差し出すと、雉は静かに飲みました。 羽には焼け焦げた跡がありました。

「私は空見と申します。鬼ヶ島の上空を飛んでいたところ、火の矢で射られました」 犬丸が耳を立てました。 「鬼ヶ島の上だと?」 「ええ。あの島は、ただの島ではありません。海霧に隠れ、近づく者の心を乱します。怒っている者はますます怒り、怯えている者は立てなくなる」 猿吉が顔をしかめました。 「いやな島だな」 「けれど、高いところから見れば、道筋はあります。私はそれを知っています」

桃太郎は団子を渡しました。 空見はそれをくちばしで受け取り、深く頭を下げました。

「この恩は忘れません。どうか、私もお供させてください」 「ありがとう。仲間が増えるのはうれしい」 「仲間、ですか」 空見は少しだけ目を細めました。 「よい言葉です」

こうして、桃太郎は犬丸、猿吉、空見とともに、鬼ヶ島を目指すことになったのです。


第四章 海へ向かう道

四人の旅は、にぎやかでした。 犬丸と猿吉はすぐ言い争いをはじめるし、空見は空から見えるものをいちいち報告するし、桃太郎はそのあいだで笑ったり、止めたり、考えこんだりしていました。

けれど、夜になると、それぞれの寂しさが火のまわりに集まってきました。

ある晩、浜辺の松林で焚き火をしていると、猿吉がぽつりと言いました。

「なあ、桃太郎。鬼って、みんな退治されるべきだと思うか」 犬丸がすぐに顔を上げました。 「何を言い出す」 「いや、ちょっとな。おれは鬼に腹が立ってる。でも、山で見た小鬼は、でっかい鬼の後ろでびくびくしてた」 空見も静かに言いました。 「私も見ました。大鬼の命令で火矢を運ぶ小鬼を」 桃太郎は火を見つめました。 「わからない。だから見に行くんだと思う」 「見に行って、もし事情があったら?」 「事情があっても、人から奪っていい理由にはならない」 「じゃあ、やっぱり戦うのか」 「必要なら」 桃太郎はそこで顔を上げました。 「でも、必要じゃないなら、終わらせ方を考える」

犬丸は鼻先を火に向けたまま、低くうなりました。

「俺は鬼が嫌いだ。だが、おまえのその言い方は嫌いじゃない」

翌朝、海辺の漁村に着くと、村人たちは桃太郎たちを見てざわめきました。 若者一人に犬、猿、雉という取り合わせが、ただものではないとわかったのでしょう。 桃太郎が鬼ヶ島へ行くのだと告げると、年老いた船大工が前に出ました。

「若いの、鬼ヶ島へ行くなら、この舟を使え」

それは小さいながら頑丈な木舟でした。 波に削られたような曲線をもち、船底には古い護符が貼られていました。

「昔、わしの息子も鬼退治に行った」 船大工は言いました。 「帰ってはこんかった。だが、むだ死にだったとは思いたくない。おまえさんに託す」 桃太郎は深く頭を下げました。 「必ず帰ります」 「帰れ。勝つことだけが勝ちじゃない。帰ることも勝ちだ」

その言葉は、桃太郎の胸に重く残りました。

海へ出ると、鬼ヶ島はすぐには見えませんでした。 霧が低くたれこめ、波は穏やかなのに、どこへ向かっているのかわからなくなるほどでした。 空見が上空へ舞い上がり、叫びました。

「右です、桃太郎。右へ。黒い岩礁を避けて」 「よし」 犬丸が船首に立って匂いをかぎました。 「潮のにおいの向こうに、鉄の匂いがする。あれが鬼ヶ島だ」 猿吉は櫂をこぎながら、歯を食いしばりました。 「早く終わらせたいな」 「怖いのか」 と、犬丸。 「怖いに決まってるだろ」 「正直だな」 「おまえこそ、しっぽが膨らんでるぞ」 「これは潮風だ」 「へえへえ」

桃太郎は二人のやりとりに少し笑い、それから前を見ました。 霧の向こうに、ようやく黒い影が浮かびました。 切り立った崖、歪んだ松、赤黒い門。 鬼ヶ島でした。


第五章 鬼の門

鬼ヶ島に上陸すると、地面は赤茶け、ところどころに白い骨のような石が転がっていました。 風は吹いているのに、どこか息苦しく、耳の奥で低い唸りが続いているようでした。

「ここは、島そのものが怒っているみたいだ」 桃太郎が言うと、空見が翼をすぼめました。 「怒りだけではありません。悲しみも、恨みも、長く積もっています」

門の前には、二体の見張り鬼が立っていました。 一体は赤鬼、もう一体は青鬼です。 赤鬼は大きな金棒を持ち、青鬼は目つきの鋭い槍を持っていました。

「何者だ」 赤鬼が吠えました。 桃太郎は一歩前へ出ました。 「桃太郎だ。村々から奪ったものを返してもらいに来た」 青鬼が鼻で笑いました。 「返してほしければ力づくで来い、というわけか」 「できれば話がしたい」 赤鬼がけらけら笑いました。 「人間が、鬼と話だと?」 「聞ける耳があるなら」 「ないと言ったら」 「なら、通してもらう」

その瞬間、赤鬼が金棒を振り下ろしました。 けれど、犬丸が飛びついて腕に噛みつき、猿吉が背中へまわって目をくらませ、空見が青鬼の顔面を翼で打ちました。 桃太郎は身をひるがえして金棒をかわし、脇差の鞘で赤鬼の手首を強く打ちました。

「うぐっ」

金棒が地面に落ちました。 青鬼が槍を突き出すと、桃太郎はそれをすれすれで避け、柄をつかんで引き寄せました。 よろめいた青鬼の膝裏に犬丸が体当たりし、猿吉が槍を奪い取りました。

「どうだ」 猿吉が槍を逆さに持って言いました。 「まだやるか」

二体の鬼は地面にひざまずき、荒い息をつきました。 桃太郎は脇差を抜きませんでした。

「もういい。命まで取る気はない」 赤鬼が驚いたように顔を上げました。 「とどめを刺さんのか」 「門番を倒しに来たんじゃない。奪ったものを返してもらいに来たんだ」 青鬼が低く言いました。 「……鬼の頭領は、奥だ。だが気をつけろ。あの方は、昔からこんなではなかった」

「昔からこんなではない?」 桃太郎が問い返すと、青鬼は苦い顔をしました。 「飢えたものを束ね、捨てられたものを集め、島を作った。最初は、奪うためではなかった」 赤鬼がうつむきました。 「だが、長く恨みを抱えすぎた。恨みは腹を満たさんのに、腹より重い」

桃太郎は門の向こうを見ました。 黒い城のような建物が、島の中央にそびえていました。

「教えてくれてありがとう」 「行くのか」 と、赤鬼。 「行く」 「なら、せめてそのままの目で見ろ。鬼だからと、最初から決めるな」

桃太郎はうなずき、門をくぐりました。


第六章 鬼の宝

城の中には、村から奪われた数々の品が積まれていました。 米俵、反物、鍋釜、刀、櫛、鈴、数珠、玩具、古い手紙。 そのどれもが、人の手のぬくもりを失い、ただ並べられているだけでした。

「こんなに……」 空見が声を落としました。 「物だけじゃない」 犬丸が言いました。 「匂いが変だ。涙の匂いが染みついてる」 猿吉は薄暗い棚の奥から、小さな鈴を見つけました。 「これだ。山の祠の鈴だ」 振ってみると、澄んだ音がひとつ鳴りました。 その音を聞いた瞬間、城の奥で何かが動く気配がしました。

「来るぞ」 桃太郎は言いました。

広間の扉が開き、巨大な鬼が姿を現しました。 角は二本。髪は荒波のように長く、赤黒い肌には無数の傷が走り、目だけが燃えるように金色でした。 それが、鬼ヶ島の頭領でした。

「人間の子」 鬼は低く響く声で言いました。 「よくここまで来たな」 「あなたが頭領か」 「そうだ。おまえが桃太郎か」 「知っているのか」 「知っているとも。川から来た桃の子。山と里のあわいに生まれた者」

桃太郎は目を細めました。 「どうして知っている」 鬼はゆっくり笑いました。 「おまえだけではない。境から来る者の匂いは、鬼にはわかる」

犬丸が唸りました。 「能書きはいい。盗んだものを返せ」 鬼の頭領は犬丸に目を向けました。 「犬、猿、雉。昔話のとおりだ」 猿吉が叫びました。 「昔話どおりなら、おまえはここで負けるんだよ」 「そうかもしれん」

鬼は否定しませんでした。 そのことが、かえって不気味でした。

桃太郎は一歩前へ進みました。 「なぜ奪う。米も、宝も、思い出まで」 鬼の頭領はしばらく黙っていました。 やがて、背後の高い窓へ目をやり、海のほうを見ながら話し始めました。

「昔、鬼と呼ばれる前、我らは山の向こうの民だった。戦に負け、土地を失い、名を失い、里から追われた。角があるだの、顔が恐ろしいだのと言われてな。だがほんとうに恐ろしかったのは、腹の減りと、居場所のなさだ」 「だから奪ったのか」 「最初は、落ちてくるものを拾っていた。流れ着くものを集めていた。海は多くを捨てる。人は忘れたいものを、川や海へ流す。だが、あるとき気づいた。忘れたいものばかりではない。大事なものまで手放させる世の中だと」

鬼の頭領の目がぎらりと光りました。

「ならば、こちらで奪ってやろうと思った。人間どもが失って泣くなら、失う痛みを知るだろうと」 空見が鋭く言いました。 「それで、無関係な村人からまで奪ったのですか」 「無関係だと?」 鬼は笑いました。 「人の世に、本当に無関係な者などいるものか。誰かが豊かである影で、誰かが捨てられておる」

桃太郎は黙って聞いていました。 鬼の言葉には、たしかに苦しみがありました。 けれど、その苦しみが、他人の苦しみを生んでよい理由にはならないことも、またはっきりしていました。

「あなたは間違っている」 桃太郎は言いました。 「そうだろうな」 鬼の頭領はあっさり答えました。 「間違っているとも。だが、恨みだけでここまで生き延びたものが、正しさへ戻る道を見失うこともある」 「なら、戻ってください」 「簡単に言う」 「簡単じゃない。でも、続ければもっと戻れなくなる」 「人間の子に言われたくはない」 「人間の子だから言うんだ」

鬼の頭領は、じっと桃太郎を見つめました。 その視線は怒りよりも、何かを測るようでした。

「桃太郎」 「なんだ」 「おまえは、自分がどこから来たと思っている」 「川から来た桃から生まれた」 「それだけか」 桃太郎は息をのみました。 鬼の頭領は続けました。 「おまえは、人に望まれ、神に押され、境から流された子だ。人の世が失いかけたものをつなぐための子だ」 「そんなこと……」 「知らずともよい。だが、もしつなぐ役目を負うなら、斬るだけでは足りん」

桃太郎の胸の奥で、あの日、桃の中に見えた金のゆらめきがよみがえりました。 山から来た子か、川から来た子か、空から落ちた子か。 そして、自分が眠りながら答えたことば。 みんなから来た。


第七章 戦いの果て

沈黙を破ったのは、鬼の頭領の咆哮でした。 広間が震え、壁の松明が揺れました。

「だが、それでも」

鬼は金棒をつかみました。

「ここで何もせずに頭を垂れれば、我らは何者でもなくなる!」

その一撃は、門番の鬼たちとは比べものにならないほど重く、速く、荒々しいものでした。 桃太郎は横へ飛び、床板が割れる音を背後に聞きました。 犬丸が足に噛みつき、猿吉が柱を伝って肩へ飛び、空見が鬼の額を鋭く打ちました。 けれど頭領はびくともせず、三人を振り払いました。

「下がれ!」 桃太郎が叫びました。

脇差を抜くと、刃が松明の光を受けて白くひらめきました。 鬼の金棒と桃太郎の刃がぶつかり、火花が散りました。 何度も何度も打ち合ううち、桃太郎の腕はしびれ、息は熱くなり、視界の端が赤く染まりました。

そのとき、耳の奥で、鈴の音がしました。

ちりん。

猿吉が、山の祠の鈴を振っていたのです。 澄んだ音が、広間の重い空気を一瞬だけ切り裂きました。 鬼の頭領の目が、わずかに揺らぎました。

「その鈴は……」 「返してもらうぜ!」 猿吉が叫びました。

つづいて、空見が高く鳴きました。 その声は朝の空のようにまっすぐでした。 犬丸は低く、腹の底から吠えました。 それは土を踏む獣の確かな声でした。

山の音。 空の音。 野の音。

桃太郎は気づきました。 鬼が奪っていたのは、物だけではない。 それぞれの場所が持つ音、記憶、つながりまで、奪っていたのです。 そして頭領自身もまた、失った音の中で長く生きすぎたのだと。

桃太郎は刃を押し返しながら叫びました。

「あなたは、何者でもなくなるのが怖いんじゃない!」 鬼の頭領の動きが止まりました。 「……なに」 「忘れられるのが怖いんだ! 捨てられたままになるのが怖いんだ!」 「黙れ!」 「でも、奪っても忘れられた痛みは消えない! 増えるだけだ!」

鬼の頭領が再び金棒を振り上げました。 桃太郎は脇差を捨てました。

「桃太郎!」 犬丸が叫びました。 おえんの声、さくべえの声、旅で出会った人々の顔が一瞬、胸をよぎりました。 それでも桃太郎は逃げませんでした。 真正面から鬼に向かって走り、その懐へ飛び込みました。

そして、鬼の胸を、強く抱きしめたのです。

鬼の頭領の体は岩のように硬く、熱を持っていました。 金棒が、がらんと床に落ちました。

「なんのつもりだ」 鬼の声が震えました。 「終わらせる」 「なにを」 「あなたが奪うことも、奪われたままでいることも」

鬼の頭領の肩が、初めて、わずかに震えました。

「……できるものか」 「やってみる」 「人間に」 「ぼく一人じゃできない。でも、あなたがやめるなら、始められる」

長い沈黙がありました。 やがて、鬼の頭領は膝をつきました。 その巨体が崩れる音は、雷ではなく、長い冬が終わるときの雪崩のようでした。

「負けだ」 鬼は言いました。 「力でも、意地でも、おまえに負けた」 桃太郎はゆっくり腕を離しました。 鬼の頭領の金色の目には、もう怒りだけではない色がありました。


第八章 返すもの、残るもの

その後、鬼ヶ島の鬼たちは、奪った品々を蔵から運び出しました。 米俵も、反物も、櫛も、鈴も、守り刀も。 そして、不思議なことに、目には見えないはずのものまで、少しずつ戻りはじめました。

ある鬼が、布袋を抱えてきました。 「これは、名だ」 「名?」 と、桃太郎。 「泣きながら眠った子から、こぼれ落ちた。返せば思い出すだろう」

別の鬼は、貝殻のような小箱を差し出しました。 「これは、ある母親の子守歌だ。しまっておいたが、夜になるとうるさくて眠れんかった」 猿吉があきれたように言いました。 「そりゃそうだ」

鬼たちは悪びれながらも、どこかほっとした顔をしていました。 頭領が変われば、子分たちもまた変わるのです。

桃太郎は頭領に言いました。 「全部返したあと、あなたたちはどうする」 「この島で生きる」 「また奪う?」 「……飢えれば迷うかもしれん。だが、もう同じやり方はせん」 犬丸がじろりと睨みました。 「信用しろってか」 鬼の頭領はうなずきませんでした。 「信用は、返してもらうものではない。積むものだ」 空見が静かに言いました。 「ならば、まず海の道を守りなさい。難破した舟を助け、流れ着くものをただ拾うのではなく、持ち主へ返しなさい」 猿吉も言いました。 「山へ来たら、鈴は盗るなよ」 「わかった」 犬丸は鼻を鳴らしました。 「里に降りたら、鶏をさらうな」 「善処する」 「善処じゃ困る」 そんなやりとりを聞いて、桃太郎は思わず笑いました。

帰りの舟には、奪われた品が山のように積まれました。 鬼の頭領は浜辺まで見送りに来ました。 海風の中で、その姿は以前より少し小さく見えました。

「桃太郎」 「なんだ」 「おまえはこれから先も、境の者として生きるだろう。人の側にも、鬼の側にも、完全には立てぬことがある」 「うん」 「だが、それでよい。境に立つ者がいなければ、世はすぐに二つに割れる」 桃太郎はしばらく黙り、それから言いました。 「また会うかもしれない」 「会わんほうがよい世なら、それがいちばんだ」 「それもそうだ」

舟が岸を離れるとき、鬼の頭領は深く一礼しました。 桃太郎もまた、立ち上がって頭を下げました。


第九章 村へ帰る

村へ帰り着いたとき、浜も道も人でいっぱいでした。 「桃太郎が帰ったぞ」 「生きて帰った」 「鬼退治はどうなった」 歓声と涙とざわめきの中で、おえんが人垣をかきわけて走ってきました。

「桃太郎!」 「母さま」 おえんは息子の顔を両手で包みました。 「けがは」 「少しだけ」 「少しでも、けがはけがです」 そう言いながら、おえんは泣き笑いをしていました。

さくべえは少し離れたところで腕を組んでいましたが、その目は真っ赤でした。 桃太郎が近づくと、ぶっきらぼうに言いました。

「遅い」 「ごめん」 「帰ったなら、よし」 「うん」

犬丸、猿吉、空見も村人に迎えられました。 最初は警戒していた者たちも、取り戻された品々を見て、三匹に頭を下げました。

奪われた櫛を受け取った老婆は、その場で泣き崩れました。 守り刀を抱いた男は、声もなく空を仰ぎました。 そして、名を忘れていた父親は、布袋からこぼれた一片の光に触れると、震える声でこう言いました。

「おはる……おはる、どこだ」

末の娘が飛びつき、父親は何度も何度もその名を呼びました。 その光景を見て、桃太郎は胸のつかえがすっとほどけるのを感じました。

その夜、村では大きな祝いの席が設けられました。 けれど、桃太郎はただ勝った者として座ることはしませんでした。 村人たちに、鬼のことを話したのです。 なぜ鬼が奪いはじめたのか、どんなふうに長く恨みを抱えていたのか、そして、奪われた痛みは奪い返しても消えないのだと。

最初、村人の中には渋い顔をする者もいました。 「鬼に情けをかけたのか」 「退治しきらなかったのか」 そう言う者もいました。

けれど、さくべえが立ち上がって言いました。

「退治とは、命を絶つことだけではない。悪い行いをやめさせ、二度と同じことをさせぬことも退治だ」 おえんも続けました。 「帰ってくる道を一つも残さないのは、人のやることじゃありません」

その言葉に、村はしだいに静まりました。 やがて、誰からともなく杯があがりました。

「桃太郎に」 「犬丸に」 「猿吉に」 「空見に」

宴は夜更けまで続きました。


第十章 その後の話

それからのことは、村ごとに少しずつ違って語られました。

ある村では、桃太郎は鬼をこらしめて宝を持ち帰った英雄だと言われました。 ある村では、鬼の頭領を改心させた賢者のように語られました。 またある土地では、桃太郎は実は神の子で、役目を終えたあと山へ帰ったとも言われました。 川べりの村では、桃太郎は桃から生まれたのではなく、桃を食べて若返った爺さまと婆さまのあいだに授かった子だという話も残りました。 海辺では、鬼ヶ島は本当の島ではなく、人の心の荒れ地のことだと語る者もいました。

けれど、さくべえとおえんの家に残った話は、もっと静かなものでした。

桃太郎は村にとどまり、畑を耕し、子どもたちに剣より先に言葉を使うことを教えました。 犬丸は家の前で昼寝をしながら、見知らぬ旅人が来ると誰より早く気づきました。 猿吉は山と村を行き来し、実りのいい年も悪い年も、騒がしく知らせに来ました。 空見は季節の変わり目ごとに空から舞い降り、遠くの様子を伝えました。

鬼ヶ島からは、ときどき不器用な贈り物が届きました。 潮で磨かれた石、難破船から助けた荷の一部、海藻で編んだ縄、そして一度だけ、大きな魚が丸ごと一匹。 添えられた札には、ぶっきらぼうな字でこうありました。

「盗んでいない。捕った」

それを見て、桃太郎たちはみな笑いました。

年を重ねたある晩、おえんが囲炉裏端で言いました。

「ねえ、桃太郎」 「なに、母さま」 「おまえはあの日、ほんとうに桃から生まれたのかい」 桃太郎は少し考えてから答えました。 「どうかな」 「わからないのかい」 「うん。でも」 「でも?」 「ぼくは、母さまと父さまに見つけてもらって生まれたんだと思う」

おえんは目を細めました。 「そうかい」 「もし桃から出てきても、誰にも抱かれなければ、ぼくは桃太郎じゃなかった」 さくべえが向こうで鼻をすすりました。 「年寄りを泣かせるな」 「泣いてるの、父さまでしょ」 「囲炉裏の煙だ」 犬丸がぼそりと言いました。 「今日は火が弱いぞ」 猿吉が大笑いし、空見が翼を震わせました。

その笑い声の向こうで、外の川が静かに流れていました。 あの川は今も、山の気と里の気を運び、忘れられそうなものをそっとつないでいるのでしょう。

人は何かを失います。 物を失い、名を失い、時には心の置き場所まで失います。 けれど、見つけなおすこともできるのです。 取り戻すだけではなく、誰かに呼ばれ、抱きしめられ、もう一度、自分の名を受け取ることで。

桃太郎の話が長く語り継がれたのは、鬼を倒したからだけではありません。 川から流れてきたひとつのいのちが、人と獣と鳥と鬼のあいだを渡り、切れかけたものを結びなおしたからです。

だから、今でも川辺で大きな桃を見つけたなら、すぐに包丁を入れてはいけないと年寄りたちは言います。 まず手を合わせなさい。 そこに入っているのが赤子でなくても、忘れていた願いかもしれないから。 あるいは、もう一度呼びなおすべき名前かもしれないから。

どんぶらこ、どんぶらこ。

そうして今日もまた、どこかの川を、何か大切なものが流れていくのです。

――おしまい――

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なかなか読み応えのある(聴き応えのある)作品ですよね.
AIは,こんなのを数分で書けちゃうのです.


さらに,アレンジの指示をもっと細かく出せば,日本の昔話はSF作品にもなります.
AIに,「かぐや姫(竹取物語)」をSFにしてもらいました.
それがこちら↓です.

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月面更生区画カグヤ・プロトコル


第一章 空から落ちてきたもの

空から人が落ちてきた夜のことを、竹守啓介は、生きているかぎり忘れないだろうと思っていた。

地方都市の外れにある竹守製作所は、古い町工場だった。小さな旋盤とフライス盤、溶接機、検査台、それに部品箱の並んだ棚。従業員はいない。五十代半ばの啓介が加工を担当し、妻の澄江が経理と納品と組み立てを受け持つ、二人きりの家族経営である。

その夜、工場の屋根が内側から持ち上がるように吹き飛んだ。

閃光。  金属音。  割れたガラスの雨。  焼けた絶縁材の匂い。

それが一瞬で過ぎ去ったあと、あたりは妙に静かになった。

「啓介さん」  工場の奥から、澄江が顔を出した。作業用のエプロンをつけたまま、目だけが大きく見開かれている。 「今の、何」 「わからん」  啓介は懐中電灯をつかんだ。 「裏を見てくる」

資材置き場の裏には、浅いクレーターのような穴ができていた。周囲に散らばっているのは、瓦でも岩でもない。薄い銀白色の板片で、紙みたいに軽いのに、指で曲げようとしてもびくともしない。

その穴の中心に、ひとりの女が横たわっていた。

若い。二十歳前後に見える。  長い黒髪が煤の上に流れ、肌はひどく白い。人間の白さではなく、光を一枚うすく貼ったような白さだった。身につけているのは布にも樹脂にも見えない衣服で、ところどころ青い線が、脈を打つように光っている。

「おい」  啓介がしゃがみこむと、女はまぶたをかすかに動かした。唇が開く。 「……重力、正常。大気組成……旧地球標準に近似」 「何だ、それ」  女は焦点の定まらない目で啓介を見た。 「わたしは、どこに墜ちましたか」 「日本だ」 「……ニホン」 「わかるのか」 「記録にあります」  女はこめかみを押さえた。 「でも、思い出せない」

澄江があとから来て、その姿を見たとたんに息をのんだ。 「救急車、呼ばないと」  啓介がうなずきかけると、女は弱く首を振った。 「だめです」 「だめって、あんた」 「公的回線は使わないで。探知される」

その声はひどくかすれていたのに、ことばだけは妙に切実だった。  啓介と澄江は顔を見合わせた。

この時代、月から人が来るなど、誰も本気では考えていない。

学校では、月面移住の話は「旧時代の誇張された伝承」か「崩壊期以前の誤情報」として扱われる。かつて地球と月のあいだに大規模戦争があったとか、地球外居住圏が独自の文化と社会を形成したとか、そういう話は、都市伝説としてネットの底に沈んでいるだけだった。

地球は一度、大きく壊れている。

国家同士の争いより先に、国家の中身が崩れた。内紛が重なり、データ保管網は失われ、研究機関も軍事アーカイブも分断され、衛星群の多くは沈黙した。再建の過程で、人類は多くの記録を失い、その失ったこと自体まで忘れていった。

だから目の前の女が、もし本当に月から来たのだとしても、それを正しく理解できる人間は、地上にほとんど残っていなかった。

澄江が先にしゃがみこんだ。 「立てる?」  女は、澄江の顔をじっと見た。警戒しているというより、そういうふうに声をかけられること自体を忘れていた人間の顔だった。 「……たぶん」 「じゃあ、うちへおいで」 「澄江」 「このまま外に置いておけないでしょう」  啓介はため息をついた。 「追われてるかもしれない」 「だったら、なおさらよ」

女はふらつきながら立ち上がった。啓介が肩を貸すと、驚いたように体をこわばらせた。 「痛むか」 「いえ」 「だったら、力を抜け」  澄江が言った。 「ここじゃ寒い」

女は、その言葉を大事な何かみたいに受け止めていた。


第二章 かぐやという名前

女を座敷に寝かせ、白湯を飲ませ、熱を測る。そういう普通のことをしながらも、啓介も澄江も、普通ではないものを前にしている自覚だけは消えなかった。

女は夜明け前には起き上がった。回復が早すぎた。

「名前、わかる?」  澄江が聞くと、女は少し困った顔をした。 「識別番号ならあります」 「番号じゃ困る」 「……」 「呼ぶための名前がいるでしょう」

女はしばらく黙り、窓の外を見た。まだ薄い月が、西の空に残っていた。 「……カグヤ」 「かぐや?」 「そう呼ばれた記憶があります」  啓介は苦笑した。 「月みたいな名前だな」  その瞬間、女はほんのわずかに表情を止めた。  だがすぐに、 「そうかもしれません」 と答えた。

それから、かぐやは竹守家に居ついた。

最初のうちは、啓介も警戒していた。正体不明の若い女を家に置くなど、まともな話ではない。だが彼女は妙なほど礼儀正しく、必要以上のことは言わず、何より、外へ出て行こうとはしなかった。行くあてがないのか、帰る場所がないのか、そのどちらかだった。

工場の屋根を直し、落下地点を隠し、散らばった銀白色の板片を回収して箱に収める。そのあいだ、かぐやは居間の隅で、古い機械カタログや作業メモを読むようになった。

一週間ほど経つころには、工場の中を見て歩くようになった。

「この旋盤、主軸の芯がずれてる」  ある朝、かぐやが言った。  啓介は油まみれの手を止めた。 「見てわかるのか」 「音で」 「音?」 「回転時の高調波が揺れてる」  啓介は半信半疑で測定した。結果は、ほぼその通りだった。

それからだった。  かぐやが工場に立つようになって、仕事の精度が妙に上がり始めたのは。

彼女は図面を見れば理解し、古い部品の摩耗パターンから材質特性を言い当て、啓介が「こんな加工、うちじゃ無理だ」と投げた仕事にも、既存設備だけで対処する手順を思いつく。

「おまえ、どこでそんなこと覚えた」 と啓介が聞くと、 「たぶん、そういう教育を受けていました」 とかぐやは言う。 「たぶん?」 「断片的にしか思い出せないんです」 「研究所か何かか」 「もっと……規格化された場所です」  それ以上は自分でも掴めないらしかった。

夜になると、かぐやはよく屋上へ上がった。  澄江があとを追うと、決まって月を見ている。

「好きなの、月」  そう聞くと、 「嫌いです」 と、かぐやは即座に答えた。  澄江は思わず笑った。 「そんな答え方、ある?」 「……ごめんなさい」 「謝らなくていいけど」 「見ていると、呼ばれる気がするんです」 「家に帰れって?」  かぐやは少し考えた。 「いいえ。刑期が終わる、って」

澄江は眉を寄せた。 「今、なんて言ったの」 「わかりません」  かぐやは自分のこめかみを押さえた。 「ことばだけが先に出るんです」


第三章 地球側の忘却

かぐやの存在は、隠しきれなかった。

町工場の搬入口で資材を運ぶ姿を誰かが撮り、短い動画が流れた。安全ゴーグルを額に上げてマイクロメータを読む、たった数秒の映像だったが、それだけで十分だった。

竹守製作所に、途方もない美人がいる。  しかも工学的な知識が異常にある。  身元不明らしい。

噂は一気に広がった。  近隣の若者、動画配信者、芸能スカウト、成金の息子。誰も彼も、かぐやを「見つけた」と思いたがった。

「全部断る」  啓介は言った。 「そうしてください」 とかぐやも言った。 「目立つのは危険です」 「だったら、もっと早く言え」 「すみません」 「謝るな。次から先に相談しろ」

だが、断っても断っても人は来る。  希少なもの、美しいもの、理解できないものを、手元に置きたがる人間は多い。

その中で、ひとりだけ様子の違う男がいた。

天城帝人。

アマギ・コンソーシアム創業家の御曹司。巨大企業体アマギは、資源、兵器、医療、情報、軌道物流、文化財保全まで、国家が手を離した多くの領域を飲みこんで成長してきた。いまやいくつもの政府群より影響力が強いとさえ言われる企業だ。

帝人から最初に届いたのは、丁寧すぎる手紙だった。

『あなたを広告塔にしたいのではありません。あなたが何者であれ、自分の意思で話せる環境を提供したい。必要なら保護もできます』

啓介は鼻で笑った。 「保護、ねえ」  澄江は手紙を読み返した。 「でも、他の連中よりはまし」  かぐやは封筒のエンブレムを見つめていた。月を割る塔の意匠だった。  その印を見たときだけ、彼女の指先がわずかに震えた。

「会わないほうがいい」  かぐやは言った。 「なぜ」 「この人は、たぶん近づきすぎる」

だが帝人は簡単には引かなかった。  二通目の手紙は、もっと短い。

『落下地点周辺から、既知の合金では説明できない薄膜片が回収された。公的機関より先にこちらが押さえている。敵にはなりたくない』

「脅しか」 と啓介。 「交渉でしょう」 と澄江。 「会うだけ会って、断ればいい」

かぐやは長く沈黙したあと、うなずいた。 「一度だけ」


第四章 帝人という男

帝人は、若かった。  三十前後。育ちのよさと、訓練された傲慢さと、寝不足の知性が、ひとつの顔に同居していた。

竹守製作所に現れた彼は、高価なスーツの上に場違いな防塵コートを羽織っていた。随伴は最低限。だが外には黒塗りの車列があり、どこかに警備ドローンも浮いているのだろう。

「はじめまして、竹守さん」  啓介にはきちんと頭を下げた。 「奥さまも」  それから、かぐやを見る。  その瞬間だけ、彼の作っていた礼儀正しさが少し崩れた。

「……あなたですか」 「そうです」 とかぐやが答える。 「何の用です」 「確認です」 「何を」 「あなたが、本当に“向こう”から来たのか」

澄江が顔をしかめた。 「向こう?」  帝人は少し視線を外し、ことばを選んだ。 「公にはしていませんが、うちには旧軌道戦争以前の断片資料が残っています。断片だけです。再現も証明もできない。けれど、月面移住とその後の断絶が虚構ではないことを示す程度には」  啓介が黙る。  帝人は続けた。 「あなたの落下地点から回収された残留物質は、その断片資料にある月面居住圏素材の記述と近い」

「わたしを研究したいんですか」 とかぐやが聞く。 「最初は、そう思っていました」 「今は?」  帝人は彼女をまっすぐ見た。 「今は、あなたを連れて行きたいと思っています」 「どこへ」 「僕の保護下へ。ここは危険だ」

啓介が一歩前へ出た。 「帰ってもらおうか」  帝人は視線をかぐやから外さない。 「竹守さん、あなたは善意でこの人をかくまっている。感謝しています。でも、もし本当に月側の技術か制度が絡んでいるなら、個人で抱えられる話じゃない」 「個人で抱えようとしてるのは、そっちも同じだろ」 「ええ、そうです」  帝人はあっさり認めた。 「国家は信用できない。今の地球政府群は、月に関する遺物を見つければ奪い合うだけです。なら、まだ私企業のほうがましだ」 「正直だな」 「あなたに嘘をついても意味がない」

かぐやはしばらく帝人を見ていた。  やがて言った。 「行きません」  帝人の表情が止まる。 「理由を聞いても」 「あなたは、わたしを守りたいんじゃない」 「違うと?」 「知りたいんです。解き明かしたい。所有したい。あなたはたぶん、何かを愛する時でさえ、理解と支配を混ぜてしまう」  帝人は答えなかった。  その沈黙が、何より雄弁だった。

「でも」 とかぐやは続けた。 「それでも、あなたは他の人たちよりましです」  帝人はかすかに笑った。 「慰めですか」 「事実です」

別れ際、帝人は一枚のカードを置いていった。 「何かあれば、ここへ。公的回線は使わないでください」  啓介がカードをつまみ上げる。 「信用しろって?」 「いいえ。利用してください」


第五章 天城家の夜

帝人が竹守製作所から戻った夜、アマギ本社の最上階はひどく静かだった。

全面ガラスの向こうで、都市の高層棟が夜の中に浮いている。地球はすでに、国家の輪郭より企業の輪郭のほうが生活に深く食い込む時代になっていた。アマギは、その中心にいる。

会議室には、父の天城征堂がいた。  老いてなお痩せた猛禽のような男で、椅子に座っているだけなのに、部屋全体がその視線の延長にあるように見えた。

「見てきたか」  征堂は言った。 「例の女を」 「見ました」 「報告書は読んだ」 「なら、それで」 「足りん」  征堂は机を軽く叩いた。 「おまえの目で見て、どうだった」

帝人は少し黙った。 「本物です」 「そうか」 「少なくとも、既知の地球技術系譜では説明できない」 「女本人は」 「知性が高い。隠している情報も多い。ただし、嘘をつくのは上手くない」 「利用できるか」  帝人は父を見た。 「人間です」 「聞いておらん」 「なら、答えは同じです」

征堂の口元がわずかに歪んだ。 「おまえは、古いものに感情移入しすぎる」 「父さんこそ、古いものを値札でしか見ない」 「値札のつかんものは、世の中では奪われるだけだ」 「だから先に値をつける?」 「そうだ」

会議室の端にいた法務責任者が口を開いた。 「政府安全保障調整局からは、対象を保全対象文化財相当として一時収容すべきとの非公式進言が来ています」 「文化財」  帝人は思わず冷たく笑った。 「人間に対して?」 「法的整理上は可能です」 「だから、できることと、していいことは違う」

防衛部門の統括が続いた。 「もしあれが月側の回収対象なら、事態は民事では済みません。旧軌道戦争以後、断絶していた月面勢力との接触が現実化する可能性がある」 「接触ではなく、奪還かもしれない」 と、帝人。 「どちらでも同じです」 「同じじゃない」

征堂は、そこで一つの古い映像を出した。  荒れたデータの中に、半円形の居住ドームらしきものと、低重力の歩行、それから白い塔のような建築物が映っている。

「アマギ創業家は、戦前から軌道物流に関わっていた」 と征堂は言った。 「その一部は月面疎開計画にも絡んでいた。公文書は失われたが、私文書は残った。月には都市があった。いや、今もある」 「断片的には」 「断片で充分だ。重要なのは、あそこに今なお稼働している技術基盤があることだ」  征堂はまっすぐ帝人を見た。 「もしあれを得れば、アマギは国家を完全に上回る」

その瞬間、帝人は確信した。  父は、かぐやを見ていない。  見ているのは、その向こうにある鍵穴だけだ。

「僕はあの人を研究資産として扱う気はありません」 「そう言うと思った」 「なら、なぜ僕を行かせた」 「おまえは、女に会えば判断が鈍る」  征堂は淡々と言った。 「そして、鈍った息子が何を守ろうとするか見れば、どこに核心があるかわかる」  帝人の指先がわずかに動いた。 「試したのか」 「確認しただけだ」

帝人はゆっくり息を吸った。 「父さん」 「なんだ」 「あなたは、地球がなぜ記録を失ったのか、本気では考えたことがないでしょう」 「負けたからだ」 「違う。奪い合ったからです。国家も企業も軍も学会も、みんな“自分だけが持つ”ことを優先した。その結果、保存より破壊が早かった」 「歴史の講義をしに来たのか」 「同じことをまたやる気なら、月に届く前に地球が先に壊れる」

征堂は声を低くした。 「おまえは、私に逆らうのか」 「人間を資産台帳に載せるなら、はい」


第六章 株主たちの胃袋

かぐやの存在がアマギ内部で共有されると、社内はすぐに割れた。

ひとつは、防衛・資源開発を主軸とする強硬派。  月由来技術の独占確保を最優先し、必要なら地球側政府群を焚きつけてでも接収を進めるべきだと考える者たちだ。

もうひとつは、医療・環境・文化保全を掲げる穏健派。  表向きは倫理と秩序を重んじるが、実際には、かぐやを“交渉資産”として長期運用したいだけだった。

帝人は、そのどちらにも与しなかった。

「どの派閥にも乗らないおつもりですか」  秘書の真壁が訊ねた。 「乗った瞬間に、かぐやは番号になる」 と帝人は答えた。 「社内では、もうそう呼んでる連中がいる」 「対象L-01、ですね」 「最悪だ」

株主説明会の前夜、帝人は少数の幹部だけを集めた。  重役たちは皆、数字の話しかしなかった。

「月面由来技術が確認されれば、エネルギー市場は塗り替わります」 「軌道昇降コストの革命です」 「軍需契約だけで十年先まで見える」 「まず対象を確保すべきです」

帝人は、ひとしきりその声を聞いてから言った。 「対象じゃない。ひとりの人間だ」  部屋は静まり返った。 「それを言い換える連中は、明日から僕の会議に入らなくていい」

だが、帝人自身も巨大企業の子だった。  人を守るには、人を動かすための金と武力と物流が要る。  そしてそのどれもが、無垢ではない。

「僕が今からやるのは、たぶん正義じゃない」  出発前、帝人は真壁に言った。 「存じています」 「でも、父たちに任せるよりはましだと思ってる」 「それも存じています」 「君は、何でも知ってるな」 「帝人さまが、自分を嫌いになりながら前へ出る時だけは」

その夜、帝人は決断した。  かぐやが月側の回収対象であるなら、現場で判断できる火力と人員が要る。  父の会社から、国家の委任から、株主の胃袋から、ひとりの女を少なくとも“即座に商品化される未来”から引きはがすために。


第七章 月を見る女

秋に入ると、かぐやの様子がおかしくなった。

満月が近づくほど眠らなくなった。昼間は平然としているのに、夜になると呼吸が浅くなる。工場の機械音に混じって、誰もいないはずの場所へ振り向くことが増えた。

「聞こえるんです」 と彼女は言った。 「何が」 と澄江が聞く。 「送信音。位置同期信号。執行通知」

啓介は眉を寄せた。 「執行?」  かぐやは唇をかんだ。 「もうすぐ、迎えが来ます」 「誰の」 「月の」

その晩、かぐやは初めて自分のことを話した。

月には都市がある。  だがそれは、人が建てた街というより、人が住みついた遺跡の内臓だった。

月の裏側。巨大クレーター群の地下に、先文明の居住層が眠っている。いつ誰が築いたのか、今の月の民にも完全にはわからない。初期の月面移民が拡張したのか、その前から自律建築群として存在していたのか、それすら定かではない。ただ、その遺跡はまだ動いている。空気を循環させ、水を浄化し、熱を分配し、微量な重力補助を行い、誰にも仕組みを理解されぬまま何世紀も人を住まわせてきた。

月の民はそれを《都機関》と呼ぶ。

もはや技術ではなく、信仰に近い。

整備士は司祭となり、保守手順は典礼となり、起動コードは祈祷句となった。エアロックの再封鎖には断食が必要で、炉心層への立ち入りには赦しの印章が要る。機械の動作原理を問うことは、神学論争と同じくらい危険だった。

「月の人たちは、地球を知ってるのか」 と啓介が聞いた。 「知っています」 とかぐやは答えた。 「でも、近づきません。大昔の戦争のあと、月は地球を“穢れた母星”と呼ぶ宗派と、“失われた原郷”と呼ぶ宗派に割れました。今はどちらも疲れて、関わらないことだけが共通認識です」 「じゃあ、なんであんたは地球に?」  かぐやは月を見た。 「更生プログラムです」

澄江が息をのんだ。 「何をしたの」  かぐやは長く黙ったあと、まるで他人の判決文を読むみたいに言った。

「わたしは、都機関の深層アクセス権を不正取得し、封鎖区画の記録庫を開こうとしました」 「記録庫?」 「月と地球の戦争以前の原記録が残っている層です。禁忌です」 「なんのために」 「知りたかった」 「何を」 「わたしたちが、何を忘れることで生き延びたのかを」

かぐやの声は静かだった。 「月では、知らないことが秩序です。理解できない遺跡の中で生きていくためには、深く問わないほうがいい。みんなそうやって共同体を守ってる。でも、わたしはそれを壊しかけた」 「それで流刑か」 と啓介。 「矯正です」 「同じようなもんだ」 「地球へ一定期間送られ、低技術圏で生活し、家族単位の共同体と情動関係を再学習する。それが《カグヤ・プロトコル》」

澄江がぽつりと言った。 「……かぐやって、人名じゃなかったの」 「更生類型の呼称です」  そこで初めて、かぐやは苦しそうに目を閉じた。 「でも、あなたたちにそう呼ばれているうち、それが自分の名前になっていきました」

「刑期が終わると、どうなる」  啓介の問いに、かぐやは答えなかった。 「記憶処理が入ります」 とだけ言った。 「地上で得た情動の大半は希釈され、帰還後の人格安定に使われる」 「消されるの?」 「たぶん」  澄江は怒った。 「たぶんじゃないでしょう」 「月では、そういう言い方をします」 「私は地球の言い方で聞いてるの」  かぐやは、澄江を見て、小さく言った。 「はい。消されます」


第八章 満月の前夜

満月の前夜、帝人から連絡が来た。

『上空監視に異常。高高度で未登録降下体の集団を捕捉。軍用ではないが、既知でもない。今夜そちらへ向かう』

「来るぞ」 と啓介が言った。 「誰が」 「月の刑務官、だろ」  かぐやはうなずいた。

帝人が来たのは日没直後だった。  今度は隠しもしない。装甲車両が三台。武装した傭兵たちが十数名。暗視対応ヘルメット、カービンライフル、ドローンジャマー、携行式対空ミサイルまで積んでいる。

「やりすぎじゃない?」 と澄江が言うと、 「やりすぎでちょうどいい」 と帝人は答えた。 「相手の技術階梯が不明ですから」

彼は工場の周囲に陣を敷かせ、屋上と搬入口に銃座を置いた。  啓介は顔をしかめた。 「うちは戦場じゃない」 「今夜だけは、そうなる可能性があります」 「かぐやを守るためか」 「ええ」 「それとも奪うためか」  帝人は数秒だけ沈黙した。 「……両方かもしれません」

かぐやは、工場の二階の事務室にいた。  窓から外を見下ろし、妙に穏やかな顔をしている。

「怖くないの」 と澄江が聞く。 「怖いです」 「全然そんなふうに見えない」 「月では、怖い時ほど静かにするよう訓練されます」 「ひどいところね」  かぐやは少し笑った。 「たぶん、そうです」

深夜零時を回ったころだった。

月が、異様に大きく見えた。

もちろん本当に近づいたわけではない。だが空気が変わった。町の灯が青白く沈み、工場の蛍光灯が一斉にちらついた。傭兵の無線にノイズが走り、ドローンが一機、火花を吹いて墜ちた。

「来るぞ!」  外で誰かが叫んだ。

雲はない。  なのに、上空から白い粒子の帯が降りてくる。  雪ではない。灰でもない。光そのものを細かく砕いたみたいな粒だ。

その中央に、四つの影が浮いていた。

人型。  白い外套。  足元には推進炎も翼もない。ただ静かに降りてくる。

傭兵たちが一斉に照準した。

「警告する! これ以上の接近は」  宣告は最後まで言えなかった。  白い影のひとつが手を上げると、照明塔がすべて消えた。闇の中で、傭兵たちの照準レーザーだけが赤い糸のように走る。

「撃て!」

銃声が爆ぜた。

だが、弾は届かなかった。影の周囲で空間が水面みたいにゆがみ、弾丸はことごとく軌道を逸らされて地面へ落ちた。携行ミサイルが放たれ、白い光に触れた瞬間、音もなく分解した。

「馬鹿な……」 と帝人がつぶやく。

白い影たちは、地上へ降り立った。  顔は覆われている。だが人間だ。少なくとも形は。  先頭の一体が、拡声器も使わずに言った。

「更生個体カグヤ・プロトコル第八一七号。回収時刻です」


第九章 番号ではなく

啓介が外へ出ようとすると、かぐやが腕をつかんだ。 「だめです」 「放っておけるか」 「あなたが行っても死ぬ」 「死ぬかどうかは俺が決める」 「啓介さん!」  初めて彼女は大きな声を出した。  目にははっきり涙がたまっている。 「お願いです。最後くらい、わたしの言うことを聞いて」

その一言で、啓介は足を止めた。

下では帝人が前に出ていた。 「彼女は地球側に亡命を希望している」  白い影は答える。 「そのような申請は受理されていません」 「今ここで受理させる」 「あなたに月面司法権はありません」 「なら交渉しよう」 「あなたに交渉資格はありません」  帝人は苦く笑った。 「資格がある相手としか話さないのか」 「そうです」 「ずいぶん不自由な文明だ」 「不自由は秩序です」

その返答を聞いたかぐやは、小さく目を閉じた。 「ああ」 とつぶやく。 「やっぱり、あの人たちだ」

彼女は階段を下りていった。  澄江が止めようとしたが、振り向いたかぐやの顔を見て、手を離した。

外へ出ると、白い影たちが一斉に彼女を見た。まるで機械が認証信号を受け取るみたいに。

「更生個体第八一七号」 「その呼び方はやめてください」  かぐやは言った。 「わたしには、ここで呼ばれた名前があります」 「更生期間に獲得した仮称は帰還後に整理されます」 「整理」  かぐやは笑った。泣きそうな笑いだった。 「便利な言葉ですね」

先頭の刑務官が一歩進んだ。 「帰還命令を執行します」 「拒否します」  その場の全員が息をのんだ。 「拒否権はありません」 「それでも拒否します」 「理由」  かぐやは少しだけ空を見上げた。満月が、工場の屋根の向こうに白く浮かんでいる。

「ここで、わたしは初めて、自分が何を知らなかったかを知りました」 「情動汚染です」 「違う」  かぐやははっきり言った。 「あなたたちは、地球が壊れたと思っている。記録を失い、技術を失い、月より低い場所へ落ちたと。でも違う。ここにはまだ、失ったものを惜しむ人がいる。名前で呼ぶ人がいる。壊れた機械を直し、古い部品を作り直し、なくなったものの代わりを手で探す人がいる」  啓介の喉が鳴った。澄江は両手を握りしめていた。

「月には都機関がある。巨大で、美しく、誰にも理解されないまま動き続ける遺跡都市。わたしたちはその中で、壊れないことだけを祈ってる。でも地球のこの工場では、壊れたものを人が直してる。そこには祈りじゃなく、意志がある」  刑務官は黙って聞いている。 「わたしは罪人です。禁じられた記録を見たかった。忘れたものを思い出したかった。たぶん、それは今も罪なんでしょう。でも、もし更生というなら、わたしはもう終えています。帰れば忘れさせられる。だったら、それは更生じゃない。ただの上書きです」

長い沈黙が落ちた。

やがて刑務官が言った。 「情動定着が予測値を超えています」  別の一体が答える。 「帰還後の社会適応に重大な不良」  先頭が続ける。 「記憶希釈処理を伴う強制収容へ移行」

帝人が吐き捨てた。 「最初からそのつもりだったんだろ」


第十章 工場の逆位相

傭兵たちが再び武器を構える。  だが啓介は、その時、かぐやの顔がすっと変わるのを見た。  空から落ちてきた夜の顔だ。  人間の顔をしているのに、人間の尺度からほんの少しだけ外れた、冷たい光の顔。

「下がってください」 とかぐやが言った。 「全員」 「何をする」 と帝人。 「わたしは、都機関の深層へアクセスしようとした罪人です」  かぐやは白い刑務官たちを見た。 「つまり、少しは知ってるんです。あの遺跡が何で動いてるかを」  刑務官たちの姿勢がわずかに変わる。初めて彼らの中に警戒が生まれた。

「この地上圏に同期ビーコンを落としたでしょう」 とかぐや。 「それを逆相で折り返します」 「不可能です」 「あなたたちには、ね」

彼女は工場の外壁に手をついた。  誰も気づかなかったが、この一か月で彼女は竹守製作所の旧式NC制御器、溶接電源、工業用蓄電池、検査用レーザーを、少しずつ少しずつ改造していた。

工場の窓が一斉に白く光った。

旋盤が唸り、コンプレッサが起動し、使っていないはずの古いCNCが勝手にコードを吐き出す。屋根に立てかけていた廃材のアルミパイプが共鳴し、夜空へ細い光の柱が伸びた。

「やめなさい」 と刑務官。 「地上設備では保持しきれない」 「知ってます」  かぐやの声はひどく穏やかだった。 「だから、片道でいい」

「かぐや!」 と澄江が叫んだ。  かぐやは振り返らずに言った。 「母さん」  その呼び名に、澄江は息を止めた。 「今、なんて」 「一度くらい、言いたかった」

啓介は前へ出た。 「やめろ」 「父さん」  今度は、そう呼んだ。  啓介の世界が一瞬止まった。

「それも、言いたかった」 「おまえ……」 「ありがとう」  かぐやはゆっくり振り向いた。 「わたし、番号じゃなくなれました」

次の瞬間、光柱が広がった。

白い刑務官たちの周囲で空間がゆがみ、彼らの降下フィールドが逆転する。月から伸びていた“回収の道”が乱され、位相がねじれ、空へ向かうはずの経路が閉じていく。

警報のような音が、誰の機械からともなく響いた。

「リンク喪失」 「帰還窓閉塞」 「地上ビーコン汚染」

刑務官たちが後退する。  初めて彼らに焦りが見えた。

かぐやの髪が、光の中でゆっくり浮き上がる。  彼女の周囲だけ重力がほどけているみたいだった。

「強制執行は失敗です」 と彼女は言った。 「あなたたちは一度、月へ帰って報告するしかない。地球に適応しすぎた更生個体が、遺跡都市の封印技術を逆用した、と」 「それは反逆です」 「たぶん、また罪になりますね」

その時、工場の変圧器が爆ぜた。  光が赤くちらつく。  かぐやの膝が崩れた。

「かぐや!」  啓介が駆け寄ろうとした瞬間、彼女の身体がふっと軽く持ち上がった。  月光が一本、彼女だけを照らしている。

「完全には止められない」  かぐやが苦しそうに笑う。 「わたしも、向こうも」

「だったら戻ってくるんだ」 と啓介が叫んだ。 「今度は自分の足で」  澄江も泣きながら言った。 「忘れたって、もう一回覚えればいいでしょう!」

かぐやは、その言葉を聞いて、どうしようもなく泣きそうな顔をした。  ああ、この顔だと、啓介は思った。  最初から、ずっと見てきた娘の顔だ。

「……はい」

それだけ言って、かぐやの身体は白い光に包まれた。  刑務官たちも同時に上昇を始める。  今度は秩序だった回収ではない。引き剥がされるような、不完全な撤収だった。

満月の下、六つの白い影が空へ消えた。

あとには、焼けた工場と、沈黙した武装車両と、壊れた夜だけが残った。


第十一章 月面遺跡都市

かぐやが月へ連れ戻されたとき、意識は完全には途切れなかった。

地球の重力が遠ざかり、骨の一本一本から重さが抜けていく。  白い刑務官たちの形成した帰還場は、物理的な上昇というより、位相の剥離に近かった。大気圏、軌道、真空、そのどれもを普通の意味では通過していない。世界の重なり方を一枚ずつずらされ、気がつくと、彼女は月の裏側にいた。

ラビリュント第三区画。

眼下に広がっていたのは、都市というにはあまりに古く、遺跡というにはあまりに生きている空間だった。

巨大な縦穴の壁面に、幾層もの居住棚が貼りついている。  白い回廊。  黒く磨かれた配管。  青白い流路を走る冷却液。  天井とも地面ともつかぬ場所に逆さまに連なる祈祷塔。  遠くには、半ば崩れたドーム群があり、その内側で人工生態園の樹木が薄い光を吐いていた。

どこからともなく、低い合唱のような音が聞こえる。  それは宗教歌であり、同時に換気系の共鳴でもあった。

月の人々は、その歌にあわせて働く。

朝の気圧調整が始まる刻には、整備士たちは白い手甲をはめ、循環核の前で古い起動句を唱える。水精製槽の弁を切り替える時には、三度うなずき、四度沈黙し、決して逆順にレバーを触れてはならない。理由を知る者はいない。だが、それで何百年も動いてきた。

機械の操作は、もはや技術ではなく典礼だった。

かぐやは、その都市で育った。  正確には《更生棟》に付属する教育層で、都機関の下位保守知識と社会規範を学んだ。

月では、知ることは階級だ。  上位層へ近づくほど、空気も水も静かになり、光はやわらかくなる。そのかわり、問いは減る。問わなくてよい位置にいる者ほど、幸福とされる。

かぐやは、その幸福に向いていなかった。

子どものころから封鎖層の前で立ち止まり、立入禁止の刻印を見上げ、どうして、と訊いてしまう子だった。

どうして都機関は動くのか。  誰が設計したのか。  地球との戦争は本当にあったのか。  もしあったなら、なぜ記録がこんなに少ないのか。  なぜ地球人は野蛮で不浄だと教えられるのに、処刑ではなく更生先として送られるのか。

月の社会は、そういう問いを好まない。  疑問は故障の一種だからだ。

彼女が禁書層へ侵入し、旧記録庫の封印に触れたのは、その故障が限界まで育った結果だった。

白い回廊を歩かされながら、かぐやは何度も地球の工場を思い出していた。  油で汚れた床。  古い旋盤。  人間の手で直される機械。

竹守製作所には、月にはもうほとんど残っていないものがあった。

壊れたら、理由を考えること。  動かなければ、開けて中を見ること。  わからなければ、仮にでも手を動かしてみること。

月では、そういう態度は信仰心の不足と呼ばれる。


第十二章 羽衣室

「更生個体第八一七号」  刑務官が言った。 「記憶希釈前に、弁明の機会を与えます」

目の前には、白い半球状の部屋がある。  《羽衣室》と呼ばれる記憶処理区画だ。

「弁明はありません」 「ならば、処理に従いなさい」 「ただし」  かぐやは顔を上げた。 「質問があります」 「不要です」 「都機関の深層ログは、まだ封印されたままですか」

刑務官の沈黙が、ほんの一瞬だけ伸びた。  それだけで充分だった。  かぐやは、彼らがいまだに恐れているのだと知った。

月は、地球を見下しているのではない。  忘れたふりをしているだけなのだ。

羽衣室の中は、空っぽだった。  壁も椅子もない。どこまでも白い。その白さ自体が装置なのだとかぐやは知っていた。内壁全面に編みこまれた記憶散逸膜が、入室者の情動痕跡を読みとり、危険な結びつきを薄め、社会適応可能な濃度まで希釈する。

月では、それを慈悲と呼ぶ者もいる。  苦しみを軽くするからだ。  だがかぐやに言わせれば、それはいつも、苦しみと一緒に、苦しんだ理由まで削っていく。

「衣を受けなさい」 と刑務官が言う。

差し出されたのは、薄い膜だった。布のように見えるが、折り目の中に微細な発光回路が走っている。肩へかけ、頭部へ接続し、皮膚温に同調すると、記憶の表層から順に撫でるように消していく。

羽衣。

月の古い比喩では、そう呼ばれていた。

かぐやは、それを受け取らなかった。 「拒否は記録されます」 「どうぞ」 「帰還後の権限はすべて停止される」 「もともと囚人です」 「地球での情動残留は、あなた自身を不安定にする」  かぐやは、静かに笑った。 「不安定で結構です」

彼女の頭には、澄江の声が残っていた。  忘れたって、もう一回覚えればいいでしょう。

月では、その発想自体が異端だ。  一度失った均衡は、なるべく揺らさない。動くものは祈りで保ち、壊れるものは封印で遠ざける。そうして月は長く生き延びてきた。  だが、その長生きの果てに、誰も都機関を理解できなくなった。

かぐやは、地球で初めて別のやり方を知った。  理解できないなら、触る。  古すぎるなら、開ける。  危ないなら、なおさら、壊れる前に覗く。

彼女は羽衣膜を床へ落とした。

直後、警告光が走る。  刑務官が一斉に動く。  だが、かぐやはそのわずかな先手のために、地球での一か月を使っていた。

月側の回収ビーコンは完全には切れていない。  地球で逆相干渉を起こしたせいで、ラビリュント第三区画の位相制御はまだ不安定なままだ。その揺らぎを追えば、封鎖区画の外壁が一瞬だけ緩む場所がある。

知識としてではない。  体で覚えたのだ。  工場の旋盤の振動を聞き、古いボルトの噛み方を指で知った、その延長で。

かぐやは白い壁の継ぎ目に指を差し込み、ありえないほど原始的な方法で、内装板をこじ開けた。

「接触禁止!」 と刑務官が叫ぶ。 「だからです」 とかぐやは答えた。

月の人間は、都機関を神殿のように扱う。  だから、手でこじ開けるという発想が遅れる。

壁の向こうでは、古い導波管が脈打っていた。  光ではなく、低い音で。  まるで巨大な生き物の血管みたいに。

彼女はそこへ、地球で覚えたやり方そのままで、手近な整備用ピンを差し込んだ。  信仰ではなく、仮止め。  祈りではなく、応急処置。

都機関が、一瞬だけ、違う声で鳴いた。

その音は都市全体へ走った。

遠くの祈祷塔が沈黙し、  循環核の合唱が半拍ずれ、  封鎖されていた深層記録庫のゲートのひとつが、  ゆっくりと開き始めた。

「やめろ!」 と刑務官。 「おまえは何を解放する気だ」  かぐやは振り返らなかった。 「忘れたふりをしてるもの全部です」

開いたゲートの奥には、暗い階段が下りていた。  その先から、青い古光が漏れている。

月の遺跡都市は、いまも動いている。  だが、何のために動いているのかを、住民は知らない。

かぐやはその暗がりへ足を踏み入れながら、はっきりと思った。  この都市は、たぶん救われていない。  ただ延命しているだけだ。

だからこそ、壊し方を知る必要がある。  壊してもなお、残るものを知る必要がある。

地球の小さな工場で学んだのは、技術ではなく、その覚悟だった。


第十三章 地球の敗者たち

かぐやが連れ去られた翌日、アマギ本社の株価は乱高下した。

表向きの理由は、地方拠点で発生した未確認EMP事故、契約傭兵部隊の損耗、情報統制費の増加。だが本当の理由を知る者たちは、皆同じことを考えていた。

月は、実在する。

そして、その兆候はもう市場の外へ置けるものではない。

征堂は臨時執行会議を開き、帝人に静かに告げた。 「おまえは失敗した」 「ええ」 「情で動いた結果だ」 「それでも、父さんの手に渡すよりましだった」 「渡らなかった結果、月側との接触窓を閉じた」 「開いたままなら、あなたは交渉ではなく鹵獲を選んだ」

取締役のひとりが言った。 「会長、ここは後継問題と切り離して考えるべきです。帝人専務にはしばらく表舞台から退いていただき」 「賛成です」 「危機管理上も、そのほうが」

帝人はその声を聞きながら、自分がここで負けることを半ば予期していた。  だが不思議と恐ろしくはなかった。竹守製作所の屋根の上で、月を見上げて立っていた老夫婦の顔を思い出していたからだ。あの二人は、勝つためにかぐやを守ろうとしたのではない。ただ、名前で呼んでいた。それだけのことが、ここにはない。

「好きにしてください」 と帝人は言った。  室内がざわつく。 「ただし、その前に一つだけ共有しておきます」

彼は卓上端末に映像を投影した。かぐやの逆相干渉で記録された断片ログ。白い刑務官たちの姿。弾丸の軌道を曲げる場。そして、最後に、月へ引かれていく光。

「これを各国政府に提出すれば、何が起きるかわかりますか」  誰も答えない。 「軍拡です。月面接触競争です。回収、奪還、先制封鎖。二十年以内に、地球はまた“空を所有する戦争”を始める」 「だから隠せと?」 と征堂。 「管理するんです」 「誰が」 「少なくとも、あの人を物扱いしなかった側が」

征堂は冷たく息を吐いた。 「おまえに、その資格があると」 「ありません」  帝人は言った。 「だから父さんにもない」

その返答は、会議を完全に壊した。

その日以後、帝人は事実上アマギ本流から外された。権限は縮小され、秘書の真壁も別部署へ飛ばされかけた。  だが帝人は、その処分を待つあいだに、社内の月面関連断片資料を根こそぎ複写し、いくつもの保管先へ分散した。

表向きは、保険のため。  本当は、独占を不可能にするためだった。

「あなた、もう後継者でいる気がないでしょう」 と真壁が言うと、 「最初から向いてなかった」 と帝人は答えた。 「でも、金と物流と衛星網は使える」 「何に」 「迎えに行く準備だ」

真壁は初めて少しだけ笑った。 「本気でしたか」 「何が」 「竹守さん夫妻と組んで、月に喧嘩を売るつもりだという話です」  帝人は窓の向こうの月を見た。 「喧嘩じゃない」 「では」 「交渉だ」 「重たい交渉ですね」 「こっちは、工場と企業しか持ってないからな」


第十四章 再建

帝人は、その夜、竹守製作所へひとりで行った。  黒塗りの車列も、傭兵も連れずに。

半壊した工場の前で、啓介は腕を組んでいた。 「今度は何しに来た」 「手伝いに」 「何を」 「月へ行く準備を」

啓介は数秒黙り、やがて鼻で笑った。 「ロケット持ってるのか」 「部品なら」 「こっちは旋盤しかないぞ」 「月の遺跡都市相手なら、むしろそのほうが役に立つかもしれない」

奥から澄江が出てきた。帝人を見ると、少しだけ複雑な顔をしたあと、言った。 「あなた、前よりマシな顔になったわね」 「褒めてます?」 「半分だけ」 「それで充分です」

それからの竹守製作所の再建は、工場の修理であると同時に、月への手紙を組み上げる作業になった。

啓介は旧式加工機をいじり、落下の夜に残った銀白色の板片を金属顕微鏡で眺め、手作りの治具で再現を試みた。澄江はかぐやの残した数式とスケッチをノートへ書き写し、部品管理表の裏にわからないまま書かれた記号へ名前をつけた。帝人は企業網の外側に、細い輸送路と通信路を作った。表の事業から切り離され、金にならないが役に立つものだけを集めていった。

地球には、もう月を覚えている文明はない。  月には、もう地球を信じる社会がない。

だからこそ、そのあいだを最初につなぎ直すのは、国家でも軍でも学会でもなく、壊れた機械を前にして「開けてみよう」と言える者たちなのかもしれなかった。

冬のある夜、工場の片隅で澄江が、かぐやの机を整理していて、一枚のメモを見つけた。  古い納品伝票の裏に、彼女の字で一行だけ書かれていた。

『月は壊れた機械を直さない。だから、地球は美しい』

それを見て、澄江は何度も泣いた。


第十五章 月からの声

冬の夜、工場の屋根へ上がると、月がやけに明るかった。  啓介が缶コーヒーをひとつ差し出す。 「いるわけないか」 「いてもおかしくないわ」 と澄江は言った。 「空から来たんだから」

帝人もその夜はいた。防寒コートの襟を立て、屋根の端で受信機の調整を手伝っている。もともと衛星通信のための機材ではない。古い工業用受信器とアマギから持ち出した解析モジュールと、かぐやの残した数式を継ぎ合わせた、ほとんど祈りみたいな装置だ。

そのときだった。  受信機が、誰も触っていないのに、かすかに鳴った。

ザーッというノイズ。  途切れたあと、ほんの一瞬だけ、女の声がした。

『……こちら第八一七号。訂正。こちら、かぐや』

三人とも息を止めた。

『月面裏界層、遺跡都市ラビリュント第三区画より送信。帰還個体、記憶処理を拒否。現在逃走中』

ノイズ。  それから続く。

『地上で学習した低技術整備理論が有効。都機関は、思ったより壊せます』

澄江の目に涙が浮かんだ。  啓介は黙って受信機のつまみを回した。  帝人は、その声を聞きながら、胸の奥で何かが決まっていくのを感じていた。

父の会社も、株主も、国家も、月の宗教都市も、おそらくこの先ぜんぶ敵に回る。  それでもいい、と初めて思えた。

あの女を手に入れたいのではない。  あの女が、番号ではなく名前で戻ってこられる場所を、地球側にひとつでも残したい。

それが、帝人にとっての初めての政治だった。

通信の向こうで、かぐやの息が少しだけ笑ったように聞こえた。

『父さん、母さん。次に行く時は、墜ちません。ちゃんと帰ります』

通信はそこで切れた。

冬の風が吹き、工場のトタン屋根が鳴った。  遠い月は何も知らない顔で、白くそこにある。

けれど啓介には、もうただの月には見えなかった。

あの中には、遺跡を神殿のように守る人々がいて、忘却を秩序と呼ぶ社会があり、その奥で、自分たちの娘が、壊れた機械みたいな世界にレンチを差しこんでいる。

啓介は月を見上げて、ゆっくり言った。 「澄江」 「なに」 「そのうち、迎えに行くか」  澄江は笑った。涙ぐみながら。 「ロケットもないのに?」 「工場だぞ、ここは」 「じゃあ、まず旋盤の芯出しからね」 「わかってる」  帝人が小さく言った。 「資材調達は任せてください」  啓介が鼻を鳴らす。 「金持ちはそこだけ役に立て」 「善処します」 「善処じゃ困る」  澄江が笑う。 「ちゃんと働いてもらいましょう」

月は黙って光っていた。  だがその沈黙は、もう昔みたいな遠さではなかった。

忘れられた母星と、祈ることでしか都市を保てなくなった月。  そのあいだに落ちた、たったひとりの罪人が、家族を知ってしまった。

それだけのことで、もしかしたらまた、世界はつながり直すのかもしれなかった。

――おしまい――

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ビビるくらい恐ろしい完成度の小説です.
どういう情報を参照して書いたんだろう?

ちなみに,AIによれば続編とかスピンオフも速攻で作れるそうです.

もはや,あと数年もすればこんな感じで映像作品を作ってきそうですよね.

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