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卒論が終わったので紀要を書いてみた

「データがあれば,卒論は1日で書ける」 と豪語(豪語とは思えないが)している私. 卒論学生からは「なら書いてみてくださいよ.無理っすよ」と言われますが,本当にそうなんだから仕方がない. これは大学院生くらいになったらわかってくれると思います. 学部の卒論って,そんなもんですよね. でも実際.それに近いことを年に1回はやっておかないと感覚が鈍ってしまいます. 年に何回か全力ダッシュしておかないと,全力ダッシュの仕方を忘れてしまうでしょ. アレに近いものです. ということで今日は, “データがあったので”,論文を一つ書いておきました. 論文といっても大学内で発行される “紀要” という大学教員のレポートみたいなやつです. 事実上,学術的価値の高い論文とは言えない代物. このブログをまとめて出した方が価値があるんではないかと思うくらい. ならなんで書いてるのか,って? それは紀要の一つか二つ,書いといてあげないといけない政治的理由があるからです. できれば一般的な学術雑誌への投稿だけに絞りたいのですが,書ける余裕があるのであれば書きなさい,という雰囲気と言いましょうか. まぁ,これは大学によって区々だと思います. どーでもいいデータでもありますし,一日がんばれば書けることは事実ですし. これで今年の仕事は最後と思い,いっちょ気合いを入れて書いたろっ,と. これで上の方々も御喜びになられるでしょう. 大きく分野分けすれば私,生理・医学系なんでしょうけど,この分野の論文はデータを分析して結論(紀要論文的に言えば「落としどころ」とか,時間と相談して妥協した結論に近い「何か」)を決めてしまえば,それに沿って書いていくことになるので,けっこう早く書けちゃうものです. 本格的に書こうと思ったら,結論をきっちり吟味しなければいけないので,ここに時間がかかります.解釈に間違いがないかいろいろな視点からまさしく考察しますし,先行研究などの文献にしっかりあたるなど,慎重になります. そのへん紀要は,大学の宣伝めいたことや気の利いたジョークを交えつつ,ざっくばらんに「Ⅴ.結論..カクカクシカジカ」と書くことができます. 自分で書いてて「うわー,テーキトー...」 と笑いが込み上げてくるものです. 大学教員によっては,この「紀

卒論が終わったので遊んでみた

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なんか長く感じた大学後半でしたが(と言っても,まだ終わっていませんが),やっと年末を迎えて一段落しています. というわけで,この一週間ほどは卒論をみた学生や大学の職員さんと遊びに出かけておりました. まずは学生との日帰り旅行. 淡路と香川へカメラ片手に気の向くままに. 淡路では, 以前私が記事にした事もある「おのころ島神社」 に行ってパシャパシャと撮影. この神社がどれだけ日本神話にとって重要な意味を持っているのか語りましたが,そんなに聞いてもらえず. 「さしずめエルサレムみたいなところだよ」と言っても,「エルサレムってなに?」と言うことで. 次は「香川にうどんを食べに行こう」ということになって,うどんを食べたら,「次どうしよう」ということで悩み,迷った挙げ句に「とりあえず」ということで行ったのが「四国村」なる意味不明な場所. ところがこの「 四国村 」,カメラ好きな学生にはことのほか気に入ってもらえました. 四国にある昔の建造物(重要文化財が多数)を集めて野外展示してるんですね. 四国の歴史,日本の建物の歴史が一堂に会している,という感じ. しかも,ただ集めて展示しているだけでなく,その展示(というか魅せ方)のクオリティが高い! こういう博物館的な展示って,日本は下手だと思っていましたが,この四国村は見事でした. わびさびの利いた和風ディズニーランドみたいな. 「また別の季節に来たいですね!」と大好評. 私も地元四国にこんなクオリティの高いところがあるとは知りませんでした. 外国人の方なんか大喜びするんじゃないでしょうか. で,実際に外国人もたくさん訪れていて,世界遺産クオリティな和のディズニーランドが白川郷. 昨日まで大学職員さんと白川郷旅行に行っていたのです. 雪が強く降っていたので,宿までたどり着けるか心配だったのですが,なんとか無事に到着. あんまり下調べをせずに行っていたので,そのあまりの “白川郷っぷり” に感動しました(チープな表現だけど). まさに白川郷. なんかで見たことがある合掌造り. 村に着いてから初めて知ったのが,泊まる宿もまさに白川郷の合掌造り. 「えっ?ここで,しかも合掌造りに泊まれるの?」 と,嬉しい誤算(というか,宿泊予約を丸投げ放ったらかしにしてただけ). 宿の中も雰囲気抜群. 「まるで昔の

卒論の書き方

今更ですが,卒論の書き方を考えさせられたので紹介します. というのも,11月下旬くらいから卒論を10本くらい面倒をみて(私の学生ではない),いやこりゃ結構たいへんな状態だな,ということでヘトヘトになっています. 無事,提出までこぎつけましたので一安心ですが,来年からはもう少し研究論文を書かせる準備を事前に各ゼミでやっていただきたいと感じました. 提出はしたものの,良い出来だと思える卒論は少ないですからね. 締切まで2ヶ月くらいに迫ってから「研究とは?」みたいなことを始めるのはアフターバーナーが過ぎるというものです. 計画的に航行する必要がありますね. で,その “計画的に” というところですが,どんなことを計画的に準備しておけば卒論に対して比較的楽に取り掛かれるのでしょうか. 大学生のレベルにもよるんでしょうけど,これをやっておけばかなり違ってくるはず,というのを挙げてみましょう. まずは何かの「研究論文」と先輩の「卒業論文」を読むことです. それから始めましょう. ゼミでは各自が興味のあるテーマを取り扱った研究論文を紹介するような演習をしてください. 私の学生時代は,1本の研究論文をA3・1枚分にまとめて発表・紹介(つまりプレゼン)していました. あとは,何か具体的な課題(例えば「貧血」とか)に対して,いろいろな文献にあたってまとめ,それをプレゼンするのもアリですね. パワーポイントにする必要はないと思います.資料をコピッて配布するだけで十分です. 他にもいろいろやっていた覚えがありますが,今になって思えば,“Intelligence”とは程遠い私たちのモチベーションを高めるため,ゼミの先生なりに工夫していたんだな,と申し訳ない想いでいっぱいです. 学術的なレベルが低い大学の学生ほど,こういったゼミのやり方にはブツブツ文句を言うと思いますが,これをやらずに卒論とか大学卒業とかありえないな,と今回身にしみて感じました. 「要約してプレゼン」 これ基本です. 地道なことですが,こうした力を養うことが「大学を卒業した価値」みたいなものにつながる一歩です. 学力がきびしい学生ほど,これだけを延々とやるほうが本人達のためになるのかもしれません. 教える側としても,「卒業する頃にはなんとかなってるんじゃないか」

議事録

昨日は大学院の後輩たちと久しぶりに梅田周辺でミーティング. 会場は餃子をメインにした居酒屋です. 教育系の大学院博士課程に進学する人がいるということで,彼を囲んで(といっても3人だが) 「教育」 と 「筋力トレーニング」 について熱く語り合った夜でした. その議事録を以下に示します. 1.日本の諸悪の根源は「野球」 全会一致で採決された. 会の出席者全員が元球児であることが強い説得力を持つ. 日本社会の根底にはびこる 「パフォーマンスよりもプロセスだ!」 を重んじるくせに,「最終的にはパフォーマンスが大事なんだよね」という理不尽な空気をつくっている根源である. 特に「高校野球」がそれに加担している割合が非常に高いという意見が多かった. 誰も高校球児が「爽やか」で「一生懸命」で「ひたむき」だなんて思っていないくせに,なぜか “それ” を期待していること. そして,高校球児たちもそれを “演じている” ことが痛々しい. あの最終回での測ったような 「内野ゴロ,そしてファーストベースへのヘッドスライディング,アウト!」 は,ハリウッド映画における 「あれだけ銃を乱射してたくせに結局最後は殴り合いで決着がつく」 に匹敵するほどのお決まり演出である. 2.教育は本当に大事なのだろうか?を問う 「私の教育論」 を展開する人は多いが,そういった教育がそもそも必要かどうかを問う人は少ない. 大いにこれを博士課程で研究してくれ,との強い応援があった. “教育は必要” なのだろうが,そのあり方や必要性は常に問い続けるべき. 現代社会とこれからの社会を切り開いていく者にとって “教え,育むべきもの” は何か? 勉強(読み書きソロバンのこと)と教育は別物(のはず)だが,この両者が同質のものとして議論されていることに強い違和感がある. 教育に携わる者たちは文部科学省からの通達をそのまま垂れ流すのではなく,プロとしての自覚を持って,自ら「教育」を考えるべき. 「ゆとり教育」 の崩壊は,文部科学省からの “お言葉を頂戴する” という姿勢の学校教員が招いたものである. 自律(自立)した教員の育成が先にあり,そのあとに「ゆとり教育」を実施すべきであった. ※かなりの酩酊状態で実施された議論であったため支離滅裂に終わる. 3.守・

神戸マラソン

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なんの捻りもないベタなタイトルをつけてみました. 今日は記念すべき第1回神戸マラソン. うちの大学の学生達がボランティア・スタッフとして参加させてもらっているということもあり,その挨拶回りに朝から出かけていたのです. 実は珍しく朝寝坊してしまい,スタート地点の市役所前に着いたのがスタート時刻のギリギリ9時ちょうど. 三宮駅から神戸市役所までマラソンのごとく駆け抜けます. 関係者や学生が作業している場所はスタート地点の市役所前. ところが,当たり前ではありますけどスタート地点である「市役所前」という所(交差点)の,それこそ市役所前は関係者以外立入禁止なんです. スタート時刻のだいぶ前(昨日の予定では7時半くらいに現地到着予定だった)なら事情を説明し,お世話になっている関係者に一言お礼を言ったり学生の様子をスムーズに見れたのでしょうけど. 遅刻した自分が悪いわけで. そんでも,諦め切れないのでここは思い切って突入することにしました. 悪気があったわけではないんですけど,スーツに手持ちカバン,それに持ち前のマジメそうな姿に警備員の人もすっかり騙されたようで,難なく通してくれました. ダメだったんですよね.本当は入っちゃ. 「学生の引率にぃ・・・,」って言ったら「どうぞ」って. そのエリアに入ったら,みなさん色分けされた「許可証」をぶら下げてて,私だけポツンと関係者外. まぁ,関係者といえば関係者なのでしょうけど. 地下道から出て市役所の玄関へ.そして学生や知ってる人を探そうとしましたが,ちょうどランナーがスタートしたところでした. せっかくなので,「どれどれ,ここがスタート地点か」とスタート地点の真横にズケズケと向かいますと,気がつけばそこは来賓者席.周りは要人の皆さんばかりだったようで. どおりで人がポツリポツリとしかいなかったわけだ. スタートのセレモニーが終わりますと,私の方に向かって「あ!」と叫んで向かってくる人達が. 「ゲッ,やっぱここに来ちゃまずかった?」と心配しておりますと, 「そこにおられましたか!」と私の隣のオッサンに駆け寄ります. 「ん?誰この人?」と思っていたら井戸敏三知事でした. 向こうからすりゃ,知事の隣に立ってる奴こそ「誰この人?」でしょうが. TVとかでスタート・セレモニーなん

質問させる

前回の記事では, 毎回の授業で学生に一つだけ質問させ(授業にまつわることが主),それを出席カードの扱いとして回収. 次の週の授業にて,その質問&私の回答をA3両面コピーという形式で返す, という授業を展開していることを紹介しました. 質問の内容や質で点数をつけています. 主観的な採点ですが,感想とかレポートも同じようなものですから構わないと考えています. A3両面コピーも私なりのこだわりというか.実技の授業という事情もあって,A3用紙1枚であれば学生も紙を持ち帰るのが楽かな,という配慮です. こちらとしても配るのも楽だし. この「学生に質問させ,それに点数をつける」というのは大学教員であり作家の 森博嗣 氏もやっており,氏のやり方は著書である 『臨機応答・変問自在』 に詳しいです. 今回はこの「学生に質問させ,それに点数をつける」という授業をなぜやっているのか?というところを取り上げましょう. それは前任の大学で研究員(「助手」という名前だった)をやっていた時から感じていた, 大学生に “授業” をしても意味がない そして,自分自身が大学生だった時に感じていた, 授業を聴くより自習した方が効率が良い ということが原点です. そんなわけで,自分が大学教員になってしまった時に考え込みました. 「意味のない授業をどうしようか」 と. 大学教員は授業をしなきゃいけないことになっていますから,仕方ありません. 学生はお金を払って授業を受けているわけですから,それに見合ったものを提供しなければならないとも思いますしね. 大学の授業に意味を見出せないとは言え,全く無価値かと言えばそういうわけじゃないとも思います. 強いて言えば「きっかけ作り」という価値はあります. と同時に,「きっかけ作り」にしかならないかな,と. 意味のない大学の授業に意味を持たせようと考え尽くした結果, 「学生の質問に回答する機会を提供する」 という授業に至りました. 理想としては,授業中に学生からドシドシ質問が出て,それに私が回答しながら「そういう時はこうするんだ」と実技する授業ができたらいいのでしょうけど,遠慮深い学生たちはそんなことしません. そう

私も「臨機応答・変問自在」

ちょっとブログの更新が遅くなりましたね. 科学研究費補助金の申請に手間取っており,ブログの方に意識が向きませんでした. 久しぶりです. 「スカイ・クロラ」 の作者で有名な森博嗣氏が出している新書に  『臨機応答・変問自在』  というのがあります. 大学教員でもある氏は,学生に質問させることで出席をとり,その質問への回答を書いたプリントを返すという授業を展開しているとのこと. この本は,そういった質問・回答のやり取りの一部を載せたものです. 実は,私も以前からこの形式の授業をやっております. 別に森氏がやっていると知ったから始めたわけではなく,このやり方の方が学生のためにもなるし,面白いだろうと考えているからです. 氏の教育哲学には全面的には賛成できないものの,いろいろと同意できる部分があるわけで. 重要なことは答えることではない,問うことである. 同感です. というわけで,私の授業での質問・回答もここでご紹介しておきましょう. 授業はというと,保健体育の教員になるための実技です.科目名は伏せときます. 教員を目指す授業なので,そういった観点からの質問が多いですね. 回答文の最後にある数字は,その質問の点数です.1~4点で採点しています. 学生は「質問するのは大変」だと言っておりますが,回答する方は意外と楽しいものです.1クラス30人くらいなので,忙しい時にはちょっと大変ですけど. 授業の1~5週目くらいまでは意味不明な質問が散見されますが,少しずつわかってくるようで,後半になると鋭い質問も頻発するようになります. この変化する学生を見るのが楽しみのひとつです. では以下よりどうぞ. Q.静かにしなくてはいけない状況で うるさい生徒に対してどう対応すればよいですか? A.静かにしなくてはいけない状況なのですから,静かにさせてください.① Q.バランスボールは,教員になった時,子どもに教えることってありますか? A.文部科学省からの通達にはありませんが,指導してあげたら喜ばれると思います.② Q.バランスボールが家にないときはどうしたらいいのですか? A.家で購入してください.① Q.私は背骨が1mずれているのですが,ストレッチポールを続けていれば,そのずれもな

Excelで多重比較まとめ|ボンフェローニ(Bonferroni)|サイダック(Sidak)|ホルム(holm)|ライアン(Ryan)

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ボンフェローニ(Bonferroni)| サイダック(Sidak)| ホルム(holm)| ライアン(Ryan)の検定方法と,有意差の出やすさを比較しました けっこう 「Excelで多重比較検定するにはどうすればいいのか?」 という記事を検索して読んでくれているようなので,このテーマに絞ってまとめてみました. 過去の関連記事を以下に示しておきます. ・ エクセルExcelでの簡単統計(対応のあるt検定と多重比較) ・ ノンパラメトリック検定で多重比較したいとき ・ エクセルでダネット(Dunnett)の検定をやる方法 SPSS を購入するほどの余裕はなく, 柳井久江 著 『エクセル統計』 が使っているコンピュータに入っていないけどExcelで統計処理をしないと,という場面に出くわした場合にご利用下さい. 多重比較用のエクセルのファイルを作っておくのもアリですね. 以下の記事を読んでも不安がある場合や,元の作業ファイルで確認したい場合は, このリンク先→「 統計記事のエクセルのファイル 」から, 「Bonferroni型の多重比較まとめ」 のエクセルファイルをダウンロードしてご確認ください. さて, さっそく多重比較のやり方ですが,以前の記事にもあるように,各群で2群の比較検定を行ない,p値を出します. A群,B群,C群,D群の4群であれば, 【 A×B, A×C, A×D, B×C, B×D, C×D 】 の6通りです. 以下に例として図を示しました. 2群の比較というのはパラメトリック検定であれば t検定 (対応のある/なし,等分散性のある/なし). ノンパラメトリック検定であれば マン・ホイットニーのU検定 (対応のない2群)か, ウィルコクソンの符号順位検定 (対応のある2群)です. ※ノンパラメトリック検定のp値をエクセルで正面から取り組んで出すのは難しいですから,統計ソフトを使うことになるかと思います. ※後日,どうしてもExcelでノンパラメトリック検定のp値を・・・,という人のために, ■ マン・ホイットニーのU検定(エクセルでp値を出す ) ■ ウィルコクソンの符号付順位和検定(エクセルでp値を出す ) を記

誕生日会

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先日,学生たちが「どうせ先生は誕生日も独りなんでしょ」ということで,誕生日会を開いてくれました. 「祝ってあげるから,おごって」なんていう理不尽な要求ができるのも今のうちだから,と心優しく接してあげる私です. 誕生日会がコテコテの居酒屋ってのも初めての経験です. 全員に学生証を提示させ,年齢確認を実施した後,安心して開始です. 未成年と酒を呑んでいたとなると問題ですので. しかも全員女子ですし. 危ない. そんでもって,ラストはバースデー・ケーキが登場. これはサプライズでした. 「これは私たちが買ってきました.ケーキ代は払わんでいいです」と優しいお言葉. ありがとうございました. 7人で3万円か... 結構,羽ばたいていきましたね. 今回が初めてだったと思います. 自分とこの大学の学生と酒を酌み交わすのは. 同僚や友人と酒飲むのとは全然違いますね. 緊張感があります.まったく酔えません. 目上の先生方と飲むのともまた違った緊張感です. 気を張りつめた状態と言いましょうか. あの先生方も,こんな感じで学生時代の私たちと飲んでいたんでしょうかね. だとしたら,結構大変だと思います. 気が抜けないですよ. お酒の席で大学教員が起こした事件をいろいろ聞いていますので,そんなことにならないように私は気をつけたいと心に誓った誕生日でした.

事実に基づく教育を

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「“ゴルフやゲートボールといった生涯スポーツが盛り上がってきている” というデータを教えてくれないか」 と聞いてきた大学教員がいます. 困るんです. こういう結論ありきの問いかけは. この教員は以前にも スキャモンの発育曲線 のことを聞いてきた人です. ちったぁ自分で勉強しろよ,と思いますが,これが日本の大学教員の現実です. 別に民間の広告とかであれば許されるのでしょうけど(程度にもよるけど),まっとうな大学教育をしようという人間がこんなことでは困ります. 教育はとにかく中立であるべきです. 自分の想いや思想を反映させるものではありません. 今回は日教組だのDQN教師の話をしようとしているわけではなく,とにかく「事実に基づく教育をしましょう」というのがテーマです. 上記の問いかけをしてきたのは体育・スポーツ系の大学教員です. 体育・スポーツ系の学科の学生たちに,「自分たちの未来は明るいぞ.活躍できるステージがたくさんあるぞ」ということを教えたいがために,その事実(そんな事実はないが)を示したくって私に相談してきたのです. まず,上記の件について事実確認をしておきましょう. 公益財団法人 日本生産性本部 編「レジャー白書2011」 からの引用です. 図のように,残念ながらゴルフとゲートボールは衰退の一途をたどっています. ゲートボールに至っては,そもそも繁栄したことがあるのか疑問です.ずっと地を這っています. ついでにレジャーの大御所であるスキーも入れておきました.これも残念な状態です. こういった現象はスポーツ系レジャーの典型例で,ほとんどの種目が参加人数を減らしているというのが事実です. そんななか,逆に参加人数を順調に増やしているのがジョギングやトレーニングといった分野です. 「お金をかけなくて済む」「気軽にできる」「年中できる」「自分の成長がわかりやすい」 といった特長が考えられる種目ですね. 私の専門分野でもあるので,ちょっといい気分. 私もこれは肌で感じる部分でもあります. 最近はフィットネス系に風が来ています. ただ,いつまで吹くかわからないのと,そんなに強い風ではないことが不安なところですが. あと,いい加減な理論やめちゃくちゃなメソッドが蔓延している分野でもあるので,ぶり返しも怖

凄い人をなくしたもんです

突然でしたね. びっくりしました. Apple inc. 元CEO スティーブ・ジョブス氏がお亡くなりになられました. 贔屓にしていた会社ですし,最近もMacBook AirとiPadを購入していましたので感慨深いものがあります. このブログでもなんどか取り上げていた会社でした. 以下にズラーッと並べてみました. Appleの対応 Appleよ Appleよ part2 自分の中での約束を 私の恩師の言葉を借りれば,「持つことに喜びがある」のがAppleの商品です. ただ, ぶっちゃけて言えば,私はMacじゃなきゃダメだというタイプのこだわり人間ではないのです. 用途に応じて使いわけていくので,今のところ仕事する上ではWindowsが主力であることには違いありません. なんで?と聞かれれば,大学で支給されるデスクトップPCがWindowsだから,というところです. 無駄にハイスペックなので気に入っています. あと,SPSSが使える,Excelがキビキビ動く,不思議なフリーソフトがたくさん使える,というメリットがWindowsの良さですね. Macでしかできない仕事が今のところないので,Windowsがメインになっちゃいます. 逆にWindowsでしかできない仕事がたくさんありますので. でも,そのうちMacだけで仕事ができるようになるんじゃないでしょうか. そんな予感がします. SPSSもExcelもMac版があります. 最近は貧乏じゃなくなりましたから,不思議なフリーソフトを使って危ない作業に手を出さなくても済むようになりました. ちゃんと研究費を使って正規ルートでいろいろ購入できます. (そんでも,この違法感がたまらなかったんですけど.まぁ,立場が立場になってきただけに足を洗うことにします) 支給されているPCもお払い箱にしてMacに乗り換えられないかなぁ...と夢見ています. 魅力ある製品を生み出してきたAppleとジョブス氏. Appleにはジョブス氏なきあともより良い製品を出してほしいものです. と同時に,これからは日本純正ハード&ソフトのPCが出てくることを期待しています. いつまでもAppleの製品を有り難がるのもどうかと思っていますので. 私がAppleの商品に浸りき

福島原発事故について考えたこと

前回は原発事故について “思ったこと” を書いたので,今回は “考えたこと” を書きます. 前回は過激な内容で訴えたいことを羅列させてもらいましたが,今回も十分過激に提案したいことを羅列します. 以下に誤解を生む記述が出てきますが,今回もどうか落ち着いて一つの考え方として読んでもらえればと思います. 前回も取り上げましたが,逃げたほうがいいのに逃げない地域住民がいます. 私には到底理解できない心理なのですけど,逃げないんだから仕方ありません.いろいろな事情があるのでしょうし,そういう生き方も認めることが必要です. さて, 今回発生した原発事故は人類の誰もが経験したことがないことです. 当然,人体にどのような影響があるのか,予想はできても実際のところ本当に予想通りになるのか解らないのです. ですから,地域住民をしっかりモニターして追跡調査をしましょう. 汚染レベルもしっかり測定しましょう. どれくらいの汚染レベルで人体にどれくらい影響があるのか,しっかりと実験できる格好の条件です. またとないチャンスなので,逃げない住民の皆さんに感謝して隅から隅まで調査します.研究班は,長期間になるでしょうが総力をあげて観察するべきです. 被爆することについて同意は得られたものとして扱えますよね.逃げてないんだから. 不謹慎だ,と言ってきた人がいます. でも,「不謹慎」 ということで状況を見過ごしていたら次に同じような災害があった時に,さらなる被害を虚しく見るだけになってしまいます. 私は「不謹慎」という言葉ほど後ろ向きで非生産的な言葉はないと思っています. 救えるはずの命を救えないようにしてしまう,人類にとって悪の言葉です(ちょっと言い過ぎた…). 倫理に欠けるのではないか?,住民を利用するのか?,と私に言ってきた学生がいます. 後者はその通りだけど,前者は違います. 例えば今回の件もそうですが,日本は地震の多い国です.この国で地震研究をすることは倫理に欠けることでしょうか? 地震によってどれくらいの被害があるのか?どれくらいの建物だったら大丈夫なのか?被災者の行動パターンや思考はどんなものか? そういったことを地震が多い日本で調査することは悪いこととは思えません. むしろ発生数が多いのでやりやすいでしょう. ところ

福島原発事故について思うこと

この話題を取り上げることは意識的に避けていたのですが,やっぱり触れておくことにしました. 誤解を生む表現が以下に出てくるかと思いますが,どうか落ち着いて一つの意見として聞いてください. 福島原発事故について,私がおおいに疑問を感じている点をいくつか. (1)なぜ原発周辺住民はパニックを起こさないのか? パニックを起こさないからエラいね.というのではありません. エッ!?何考えてんの?バカなの?死ぬの?という意味です. 原発事故が起きてんのに,そこに住み続ける根性が凄いです. 私ならすぐ遠方に逃げますが. だって原発事故ですよ.半径数十キロ圏内が無事で済むわけないでしょ. 逃げたいのに逃がしてくれないんでしょうか? だとすれば黒いスーツにサングラスをかけた男たちが住民を見張っているのでしょうかね. サングラスをかけているので,きっと夕方あたりから見えにくくなるはずです.監視の目を盗んで早く逃げてください. (2)なぜ汚染地域を立入禁止区域にしないのか? 住民がかたくなに住み続けたがっているなら仕方がないのですが,どうやら政府ものんびりしているので手に負えません. 国民・住民の命がかかっているのですよ. 危険だと考えられるところからは強制移住させるべきです. 「まだ安全な汚染レベルだから」などとふざけている場合ではないでしょ. 汚染が進んでいるところは,これから先どんどん汚染レベルが高まる可能性がある(ていうか間違いなく高まる)地域なのです. 今は安全なレベルでも,まだ原発から放射性物質が出続けている以上,いつかは限界を超えるんですから,そういった地域は問答無用で立入禁止にするのが真っ当な判断だと思うのですが. (3)風評被害? いやいや,汚染レベルが高まった地域で生産された農産物を流通させんなよ. 風評被害なんて言ってる場合じゃないでしょ. いや,だいたいが風評被害が発生しないわけがないのです. むしろ,風評被害を小さくするためにも,一切流通させないようにするべきだと思うのですが. 東北の生産者がぁ〜,とか言ってる場合ではありません. 全国の子どもがぁ〜,とか言う事態になってからでは遅いんです. 諦めることも肝心です. 国は東北地方の農家を手厚く慰めてあげてください. 8月には東北被災地ボランティア

大学教員になってから

昨日は授業1コマ以外の時間をひたすら学生との会話に費やしました. 朝から晩までしゃべりっぱなし.ひっきりなしにドアをノックしてきます. 過去最大の研究室訪問数だと思います. ある者は卒論のテーマ探し,ある者はテーマ決め,ある者は作業の仕方,ある者は文章の書き方.ぜんぶ私の学科の学生じゃないんですけどね. アルバイト先の課題とかボランティア先の斡旋だとか,今後の大学生活への不安,なんてのもありました. 今年やる海外研修の詳細を聞きにきたのかと思ったら,そのうち雑談になって,来月が誕生日である私の誕生日会を皆でやってあげるなんて言い出して,「だからその時は先生おごってね」とかいって,祝ってくれるのかタカリにきたのか意図不明な奴もいます. その時にちょっと話題になったのが,「学生との距離」というやつで,教員は学生とどこまで “仲良く” すればいいのか?というテーマです. それを卒論のテーマにすればいいのに,とも思いましたが,これはまた別の学生にけしかけてみましょう. 例えば,こうやって研究室におしかけてお菓子食ってお茶を飲んでいく学生いわく,「mixiとかTwitterとかで先生と仲良くするのってマズいんちゃいますか?」 とのこと. 知り合いに教員とmixiしてる学生がいるそうで,別に問題が発生してるわけでもないんですけど,なんか “一線越えてる感” があるようです. なら研究室に来てお茶飲んだり,誕生日会と称して教員と食事したりするのはOKなの?というところですが. しかも私の研究室は故あってドアを開きっぱなしにできないので,女子学生との密閉空間になっちゃいます.そして,この話をしている目の前の学生は女子です. 「実際に直接顔を合わせてるから」とか「信頼感が違う」とかいうのですが. 私はmixiやTwitterなどのSNSも,使い方次第で学生との良いコミュニケーション・ツールになると考えています. 問題はやはり使い方で,ネットであろうと顔を合わせたコミュニケーションであろうと,同じような “態度” で臨むことが大事です. 例えばmixiにせよブログにせよ,過去の記事が記録され続けるというのは,ある意味でその教員の特性を知ることができ,信頼を得ることができるのではないでしょうか. 文章によるコミュニケーションならではの信頼性というものがあります

大学教員になる方法3

「2」の続きです. これまでをまとめますと, (1)研究業績や教育歴は多い方がいいけど,それで採用されるわけではない.必要最低限確保されていればいい. (2)採用側(大学)のニーズにピッタリとハマる人物であることをアピールしなければならない. (3)上記2つのことを知るためにも,大学の内部情報の収集が雌雄を決する(かもね). といったことでしょうか. 今回は,具体的な細かいことをQ&A方式でとりあげます. Q. そうは言っても研究業績が多い方が採用されるのでは? A. 研究業績が多い人が採用された,という求人は元々「研究重視の教員を求めている求人」であることが多いので,結果的に並の人たちより研究業績が多い人が採用されているだけです(当たり前の論理だけど). 5本より6本,40本より45本の人が採用される,というようなスケールの競争ではありません. 業績やなんかで上位数名に絞ったら,あとはニーズにどれだけ合致している人物か?が争点になります. Q. やっぱりコネ? A. はい. 私も大学人になってから身に染みて感じていることなのですが,“採用する側として” も,やっぱりコネが必要です. というのも,僅か1名の教員を採用するのに,どこの馬の骨とも知れない人を引っぱってくるよりも,「私が保証しますから」という内部の推しがあったほうが採る側としては安心なのです. 特に昨今の教育現場を見る社会の目は厳しいもので,教育者としての倫理や道徳,社会性を持った教員を採用しないと,何か問題を起こされたら大学は酷い目に遭います. 特に中・小規模の大学では,完全にオープンな公募は “やりたくない” のが本音ではないでしょうか. 格好がつく程度の業績さえあれば,あとは人間性などの部分をいかに確保できるか?が採用する側の考えです. Q. では,コネをつくるには? A. とりあえず仕事を頑張ることです.それしか私は知りません. あとは,コネの作り方を解説した本などを読んでください. 仕事先や学会の飲み会に参加するのも大事です. そこに就職口が落ちていることが多いです. Q. ぜんぜん業績が無くても採用されたりするの? A. はい. 特に,年齢が高くなるに従って多いのではないでしょうか. よく

大学教員になる方法2

「2」ということで,前回の続きです. なかなか 「大学教員に至るまでの道」 がブログとかで話されることは少ないですから,ひとつのネタとして聞いてください. 大学教員を目指している人は参考にしてみてください. 今回はもう少し,“採用” に至るまでの “採る側” の身の内をお話ししましょう. ※ただし,これらは全ての大学にあてはまるわけでも,金科玉条の法則でもありませんので,あしからず. 前回お話ししたことをおさらいしながら,詳しく説明したいと思います. 採る側のニーズに合致すること. これは我々の間では「タイミングが重要」などと表現されることです. 大学教員というのは採用人数がしっかり決まっています. 思いつきで2人も3人も採れるわけではないので,停年の教員がいてポストが空いたり,新しく学科ができるなどして出来たポストだったりに採用することになります. もうその時点で大学側は「こういう人を採りたい」というイメージが出来ている場合が多いのです. 任せる業務や欲しい能力,性格や年齢といったことまでも打ち合わせ済みです. それにいかに合致するか,が全てです. 大学教員はそれぞれ専門性があり,さらにその専門は細分化されています(専門バカとも揶揄されます). そのポストで求められる専門性と自分の専門が合致しなければ,どんなに業績があろうと能力が高かろうと採用されることはありません. これは学校と一緒で,理科の先生を採ろうとしているところに,国語の先生が応募しても無駄ということと一緒です. 出てくる求人や公募が,いかに自分の専門と合致しているか? で採用の可否が決します. たまたま自分の専門と得意分野が合致したポストが出てくれば,労せずとも採用ということになります. 私も以前,業績とか教育歴がほとんどないのに書類審査を通ったことがあります. え?こんな私でいいの?と逆に心配になりましたが,タイミングというのはそういうものです. その大学側も人事で話し合ったかなにかで, 「え?こんな若僧でいいの?」 ということになったと推察され,結局もゴモゴモお詫びを言ってきて流れました. 後日談としては,その大学のその人事は無しになったようです(適切な人材が来なかったら無しということもありうる). このあたりは大

大学教員になる方法

大学教員になるためにはどうすればいいか 仕事の帰りに後輩と飯を食べながら話したのが「大学の教員になる方法」というものです. 彼も不安定な非常勤講師から常勤の大学教員になれるよう頑張っている一人ですので. いろいろと話し込みました. 大学教員になるためには,業績(つまり論文の数)が多ければ損をしないのは周知のことですが,それ以外にどんなものが必要になってくるのでしょうか. 私自身の経験や,いろいろな大学人からこれまでに聞いたことを総合的にまとめてみたいと思います. ネットには,「大学院で博士(修士)を取得しましょう」とか「求人方法はこれ!」といった,無価値な情報が氾濫しています. ですが, ここで述べるのはそういった,果てしなくどうでもいい話ではなく,大学教員になるための実際の基準についてです. 業績の目安 20代後半〜30代前半で大学教員になろうと思ったら,業績はその分野としてカッコ悪くない程度あれば十分です. 目安としては,大学院を修了した年から,年に1本ずつ書いていったペースくらいです. 修士を24歳で出た人であれば,30歳の時に5〜6本くらいだと思います. その間,博士をとる人もいるかもしれませんが,業績の数としてはこんなもんのはずです. ちなみに業績は学術論文だけじゃなく,著書も含まれることが多いですね. だいたい,公募や求人には, 「過去5年間の業績を別刷で3〜5本出せ(コピー可)」 というパターンが多いですから,そういう意味でもちょうど良い数だと思います. ただ,ここからが重要で,業績(だけ)が多ければ多いほど採用に近づくか,と言われれば,否です. その求人が上で挙げた「業績を重視」する採用基準であれば,それこそ多ければ多いほどいいのですが,実はそういった採用基準のケースは稀. 特に,40代以上での人事となってくると,単純な「業績数」や「インパクトファクター」は基準になりません. ここを勘違いしている人が,ヒステリックになって, 「あいつより俺の方が業績が上なのに! きっと最初から決まっていた公募だったんだ!」 と怒り狂うことになります. 違います. そうじゃないんです. 業績の量や質が重視されるのは30歳前後までのこと. 年齢や職種が上が