2015年4月27日月曜日

井戸端スポーツ会議 part 19「スポーツ観戦のような政治観戦 その2」

昨秋に,
井戸端スポーツ会議 part 8「スポーツ観戦のような政治観戦」
という記事をアップしているのですが,最近になっても「スポーツ観戦のような政治観戦」が渦巻いておりますので,その続編を書いてみようとするものです.

「政治が『ショー(見世物)』になった」
と言われて久しいのですが,これも,議会制政治が一つのスポーツであることを目指す傾向にある近代,そして現代の有り様を示していものと言えます.

しかも,そこで行われている議会制政治という名のスポーツは,人間本来が尊んでいたスポーツ(と遊び)が持っている特性がどんどんと削られており,一言で言うなら「分かり易い勝敗の現れにこだわる近現代スポーツ」と同じ匂いがするものになっているのです.

そんな最近の典型例が,西日本の某市政を取り巻く現象です.
そこでは,政策の是非について対立があるわけですが,こうした論点について,
「政策についてどちらが正しいか討論をして決着をつけたらどうか?」
という話題があります.

ちょっと考えれば「キチ◯イの所業だ」「そんな事できるわけないだろ」と思うのですが,なんと,かなりの数の人が「そうすれば良い」と考えているようなのです.

すなわち,かなりの数の人が「討論をして決着をつけることが,政策の良し悪しを判断する材料になる」と考えていることを示しており.
それはつまり,かなりの数の人が「議論」ではなく,「討論」をして,しかもそこで「勝敗」を決するという手順によって,正しい政治,より良い政策判断が行えると考えていることを意味するわけです.

これは由々しきことです.っていうか異常事態です.

まさにこの日本社会が近現代スポーツ化していることを如実に示すものと言えます.

議論をしたいのであれば,政策の是非を問う締め切り(住民投票)までの間に,新聞や雑誌,ネット等を使って,時間をかけて各種論点を整理しながら進めることが良いでしょう.
かいつまんで言うと,互いの主張を裏付けるデータや資料,哲学的・思想的背景を用意する時間をしっかりと設けて行なうのです.
そのようなやり方は特殊なものでもなんでもなく,極々一般的に行われているのですから.特に,より正しい評価や判断が求められる科学研究において多用されています.

しかし,少なくない人がそうした議論ではなく,リング上での殴り合いの如き討論を求めています.
場所と時間に制限をかけ,周りに観衆を用意したところでの論戦.すなわち討論を求めているのです.

討論となれば,両者は制限時間内で互いの主張を押し通すことに終始することになります.
両者は己が勝利することを目指して論じることになります.それが討論です.
時間制限がある「場」を用意して行なうショー.まさに近現代スポーツなのです.

そこには,これから十数年・数十年にわたって影響を及ぼす市政,地域自治の是非を問おうという気概は感じられません.
数億円,数千億円の税金が動くものだという緊張感はありません.

近代スポーツ,現代スポーツの魅力を全面否定するつもりはありませんが,それによってこの社会が近代スポーツ,現代スポーツのようになっていくのであれば,この麻薬のような思想をもう少し腰を据えて解明してく必要があるのかも知れません.


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