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絶対理解してくれない高等教育論

大学等の高等教育を無償化させたり,学部の切り売りを促したりといったニュースが続いています.

「教育無償化」高等教育に8000億円 2兆円配分の大枠(毎日新聞2017年11月9日)
政府は教育無償化など2兆円規模の政策パッケージについて、配分の大枠を固めた。大学など高等教育の無償化に約8000億円を配分。幼児教育・保育の無償化では、0~2歳児に100億円程度、3~5歳児は8000億円程度を充てる。高等教育と0~2歳児については、無償化の対象を住民税非課税世帯(年収約250万円未満)に限定する方針。

私大に「学部の切り売り」認める…大学再編促す(読売新聞2017年11月8日)
18歳人口の減少で経営悪化した大学の「学部の切り売り」を認めることで大学再編を促す。(中略)学部の譲渡が可能になれば、経営が行き詰まった大学が学部の一部を他大学に売却し、当面の運転資金を確保できる。また、経営の効率化を図りたい大学の場合は、不人気学部を切り離し、研究成果が顕著な学部や人気学部を強化できるようになる。
具体的な方策が見えていないのでなんとも評価し難いのですが,どれもこれもデタラメ臭さが漂っています.


以前の記事でも取り上げましたが,私は大学無償化には反対していません.
どのような方策になるかにもよりますが,多くの国民が高等教育を受けられる状態にすることは,国家として望ましい在り方だからです.

ただ,「学部切り売り」とかいう政策を考えているところからして,おそらく碌な思想・信条に基づいていないことが推測されます.
現政府には注意が必要です.


教育無償化に反対する人のなかには,
「そんなことしたらFラン大学をのさばらせるだけだ」
という人がいます.

お気持ちはわかりますが,ご安心ください.
そんなことにはなりません.
「高等教育(大学)無償化」については,ある教育政策と抱き合わせることで,現在のFラン大学であっても有名大学と変わらない教育が実現できるのです.


昨今のニュースでも取り上げられているように,現在の日本の大学は,研究レベルや教育水準の低下が著しいんです.
「このままではノーベル賞がとれなくなる」
という懸念もされていて,まあ,ノーベル賞はどうでもいいですけど,まともな学術研究ができない環境にあります.
実際,日本では大学・研究所と研究者は増えているのに,発表論文数は低下しています.


その理由はというと,現在の日本の大学は,教員や研究員が「研究」するよりも「経営」することに注力しなければいけない状態にあるからです.
安定した経営ができない大学運営者としては,教職員に学生募集とか広報といった活動を精力的に取り組ませることで,「この難局を皆で分かち合いたい」という気分にさせています.

結果,当初は上層部の先生たちの研究する時間が減っただけだったのですが,次第に大学全体で取り組むようになり,そのうち若手に振るようになったもんだから,若手が研究できなくなっている状態にあります.

ノーベル賞もそうですけど,その研究者が自身のキャリアにおける代表的な研究業績に取り組んでいた期間というのは,30歳〜40歳ぐらいの若手の時なんです.
当たり前ですよね,その時が頭脳も体力も充実しているわけですから.

ところが,現在の大学はというと上記のような次第で,非常に多くの「画期的な研究の芽」をこれでもかと潰しまくっている状態です.


大学教育というのは,研究者である教員が取り組んでいる研究成果を資源としていますので,教員が研究できない状態というのは,これすなわち教育できない状態となります.
ところが残念なことに,世の中の多くの人々は,大学教育を学校の延長だとしかイメージできない人や,大学教育とまともに向き合わずに卒業した人が圧倒的多数を占めています.

だから,「大学で学んだことは社会で役に立たない」とか「これからの大学は,研究よりも教育にシフトすべきだ」などとトンチンカンな事を言い出しますし,それが多数派となる.


前置きが長くなってしまいましたが,高等教育無償化と抱き合わせるべき政策というのは,大学卒業基準の厳格化です.
現在のように,「Fラン大学」だとか「難関大学」だとか言って,「入学」することに価値を見出しているかぎりは,大学教育の無償化は絶対失敗します.

Fラン大学であっても,そこにいる教員の質が低いわけではありません.
Fラン大学に勤めている時に良い研究業績を積んだり,流行りの研究テーマになったからということで有名大学に招かれるケースは多いものです.

なので,有名大学には「ハズレ」の先生が少ないとは言えますけど,研究者・教育者としての能力は,どの大学であっても,そこにいる教員に差はありません.


ところが,Fラン大学は「Fランだから」という理由で学生数確保に難儀し,入試による基礎学力の差から,卒業させるためのハードルは大学間で相対的なものになってしまいます.
その結果,「Fラン大学の卒業生よりも有名大学の卒業生の方が優秀」という状況が,なんだかんだで発生してしまう.


「Fラン大学の学生でも,しっかり育てれば学術的思考力はつくし,有名大学と比べても遜色ない能力を引き出せる」と考えている人たちは多く,私もその一人です.
しかし,文部科学省から大学に向けられる指示には,有名大学であろうとFラン大学であろうと,進級や卒業といった場面で,一定数以上の留年者や卒業延長者を出してはいけないという圧力が作用します.
まさにお役所的発想ですね.
別に批判するつもりはありませんが,非難したい話です.


学士のレベルを維持・向上させたいのであれば,進級・卒業のレベルを維持,または引き上げれば済む話です.
Fラン大学ではなおのこと,学習目標が達成できていない学生が多くなるはずなので,どんどん落とせばいい.
そうやって,どの大学に入学しても教育レベルが一定になるようバランスをとれば,卒業生の学術レベルは保たれることになります.
簡単な話だと思うのですが,世の人々には受け入れられません.不思議ですね.


それよりも「手厚い指導と支援により,進級できない学生や,単位を落とす学生を減らすように努力する」ことを求められます.
最近の大学では,学生が寝坊しないようにモーニングコールをしたり,保護者説明会や学生親睦会を頻繁に開くなどして,大学に登校しやすい配慮をするようになっているのをご存知の方も多いかと思いますが,それは上記のような理由によります.

もちろん,Fラン大学で優良大学並の厳しい(?)指導をしてしまうと,退学する学生や定員割れする大学が “最初のうちは” 頻出するであろうことは容易に予想できます.
しかし,それこそが「大学教育無償化」によって,Fラン大学の経営難を緩和すべきことなのです.

どの大学であっても卒業生のレベルに差はない.
もちろん完全にそんなことにはならないだろうし,各大学のオリジナリティなども出てくるはずですし,そうであってほしいとも思っているのですが,日本の大学教育無償化が目指すべき方向性だと思います.

これは夢物語ではなく,例えばドイツ系の大学では,「私は◯◯大学卒業です」といったステータスはなく,どんな学問領域を専攻したのかが問われるそうです.
ドイツの人から聞いたので間違いないはず.
むしろ,日本のように大学間でステータスの差があることに驚いていました.


ですが,そんな簡単なはずの話が,なぜか「学部の切り売り」などという政策との合せ技になっているようですね.
つまり,政府としては大学教育を「民間経営」の思想と基準で進めていくつもりなのです.

ニュースにもあるように,経営を効率化させたり,人気学部を強化したりしたいのだそうです.
そもそも学部を切り売りしたところで,そんな学部を買う機関があるのか? あったとして,そんな機関はどんな所なのかが気になりますが,脳ミソがとっ散らかっているような政策であることは間違いありません.


この記事のタイトルですが,「絶対理解してくれない」というのは,大学教育を充実させ,大学教育を受ける機会を増やすことの恩恵を,世の人々が理解してくれないという意味です.

これは世論の理解は期待できませんから政治的に進めるしかないのですが,現政権には期待できません.
むしろ悪化させる可能性大です.

一昔前も,どの国の「世論」も似たようなことを言っていました.

「学校なんかで勉強するよりも,丁稚奉公させたほうが仕事ができるようになる」

「頭のいい子供だけが勉強すればいい.こいつは頭が悪いから肉体労働をさせる」


時代が変わり,学校が大学に変わっただけのこと.
10歳くらいの話が,20歳くらいの話になったわけです.

将来,50年〜100年くらい経ったら,今度は30歳,40歳といった社会人が学ぶ(という概念ではなくなっていると思うけど)機会を,国がどのように提供するか? について議論されていると思います.


教育とは,そこに完成形として存在するものではありません.
流れのある話です.

遠い将来についての私見としては,「勉強・学習」というよりも,「研究・調査」という概念で進められる活動だと考えていますが,まぁ,これは完全に推測です.

※その将来像について,2019年にこんな記事を書きました.
新・大学改革論|地に足のついた,公平で合理的な,あまり嬉しくない改革
新・大学改革論|信頼性の高い学術コミュニティを用意する


学校や大学で勉強するのは,良い就職先にありつくためではありません.
勉強が仕事に役立つわけでもない.

それらは,学校や大学で勉強することによって,随伴して得られるものであって,最大の目的ではないのです.

人が勉強するのは,より良く生きるためのヒントを得るためです.
それを踏み外した教育政策にならないよう注視していく必要があります.


続編を書きました.
どうして「絶対理解してくれない高等教育論」なのか