2018年6月17日日曜日

歴史的ということらしい米朝首脳会談(の補足)

歴史的ということらしい米朝首脳会談から一週間が経とうとしています.
会談のすぐ後に書いた記事が以下でした↓
歴史的ということらしい米朝首脳会談
その後,いろいろと続報が入ってきたので,これを交えて会談を再検証してみたいと思います.

上記の記事の趣旨としては,その冒頭に書いたとおり・・,
(今回の会談について)我々としては,アメリカと北朝鮮の間で交わされる話に一々反応していてもしょうがない.両者はお互いにとって都合がいいことを話し合うわけですから,その他の国々の将来について考慮するわけがありません.
肝心なのは,この会談が日本にどのように影響するのか? ということ.そこだけ考えてればいいんです.
ということで,その上で今回の会談については,
今後,日本にとって本当に危険なのはアメリカからの要求だと私は思います.
そりゃもちろん,アメリカは今までも危険な国でしたが,今後の北朝鮮問題では,明確に日本と韓国を「囮」もしくは「餌」として使ってくることは目に見えています.
(中略)
「北朝鮮の暴走」をロシア,中国,そして北朝鮮自身が押さえ込み,逆にアメリカはそれを望むという構造が始まった.
実際,今までもそうだったわけですけど,これまでと違うのは,アメリカがそこで日韓をこれまで以上に「餌」として利用するようになったことにあります.
もちろん絶対的な自信があるわけじゃないですが,子供の頃から見聞きしてきた国際政治に関するニュースのパターンから察するに,上記みたいなことになるのだろうと私なりに心構えをしているところです.

政治的駆け引きの当事者(国家元首とか官僚とか)ではないので,私達としては裏事情のみならず,表事情すら分かりません.
ですから,物事の評価は私達の身に降り掛かってくるものやリスクからでしか判断できない.
であれば,今回の会談の結果は日本や日本人にとって非常にヤバいものではないかと捉えたくなるわけです.

過去記事にもしましたが,「この話の裏には日本が大逆転するシナリオがある」とか「今回の合意は罠を仕掛けたようなもの」,もしくは「ジャブを打っただけ」などといった,自分の世界観に沿ったような希望的観測はしないほうがいいでしょう.
「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」の愚
まだ言ってる「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」
我々一般人は一般人らしく,そのまま受け取ればいいんです.
あっち(政治家)だって,そのまま受け取られることを前提で話してんだから.余計な詮索するだけバカバカしいと思いますよ.

逆に,これまでの国際政治において,報道されていることとは異なる流れになったものなどあったのでしょうか? マスメディアによって「情報」や「雰囲気」は捻じ曲げられることはあっても,「事実」は変えようがない.
例えば,日本は戦中に朝日新聞(笑)などが「情報」を捻じ曲げて報道したとされていますが,玉砕(全滅)や転進(撤退)といった「事実」の報道はされていたわけで,それによって「日本は追い込まれているな」と読み取った人もたくさんいたんですよ.
いわゆる「大本営発表」とその報道によって,日本は世論誘導されたと言われていますが,いくらなんでも全てのジャーナリストを統制できるわけじゃないし,国民皆が騙されるわけじゃないから,多くの人が「報道されている情報は嘘だ」と気づいていたわけで.
大本営発表(wikipedia)
報道されている情報の枝葉を取り払って「幹」を眺めてみれば,多分それが最も客観性のあるものですよ.

さて,今回の米朝首脳会談にまつわるニュースがこの週末にも出てきました.
前回記事で述べたことを補間するようなものだと思いますので,いくつか紹介します.
例えばこちら.
トランプ氏、安倍首相に「日本に2500万人のメキシコ移民送れば君は退陣」(AFP通信 2018.6.16)
欧州連合(EU)の職員によれば、トランプ大統領は欧州にとって深刻な問題となっている移民問題に言及した際、安倍首相に対し「晋三、君はこの問題を抱えていないが、私なら日本に2500万人のメキシコ人を送り出すことができる。そうすれば君はあっという間に退陣することになる」と語った。
恫喝ですか? そうですか.
G7サミットは米朝首脳会談の前,6月8日9日に行われていました.
で,恫喝した結果,こうなったんですかね?
“非核化”費用は日韓で支援を~トランプ氏(Yahooニュース:NNN 2018.6.12)
初の米朝首脳会談を終えたトランプ大統領が会見し、北朝鮮の非核化にかかる費用はアメリカではなく韓国と日本が支援すべきとの考えを示した。
そして,我が国の首相はこんな事を言い出しました.
北非核化で首相「日本が費用負担するのは当然」(読売新聞 2018.6.16)
首相は「核の脅威がなくなることによって平和の恩恵を被る日本などが、費用を負担するのは当然」と語った。「拉致問題が解決されなければ経済援助は行わない」とも述べ、経済援助と非核化費用の負担は区別して考える意向も示した。その上で拉致問題の解決に向け、「最終的に私自身が北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と日朝首脳会談を行わないといけない」との決意を改めて表明した。
恫喝されたから「費用負担するのは当然」などと言い出したんじゃないか? などと解釈したいわけでないのです.

事実1:アメリカのトランプ大統領は,日本を意のままにできると恫喝した
事実2:アメリカは北朝鮮の非核化を日韓にやらせるつもり
事実3:北朝鮮の非核化費用は,日本も出すべきと安倍首相は考えている
という,ただそれだけのこと.
それ以上のことを推察しても,本当のところは知りようがないですから.

我々一般人は,それをそのまま受け取ればいいと思います.
つまり,別に「アメリカに恫喝されたから,日本は非核化の費用負担をさせられる」わけでも,「もともと日本は,北朝鮮にとって財布のような存在である」というわけでもない.
「北朝鮮の非核化費用は,日本も出すべきと安倍首相は考えている」ということを,どのように捉えるのか? ということです.

ところで,安倍首相が「費用負担は当然」だと考えていることは別に自由だとしても,それだと困った点が一つあります.
安倍首相は2018年1月にこんなことを言っている.
対話のための対話は意味がない 安倍晋三首相が強調(産経新聞 2018.1.26)
安倍晋三首相は26日午前の参院本会議での代表質問で、朝鮮半島情勢をめぐり「(韓国)平昌五輪の成功に向けて最近、南北間で対話が行われていることは評価するが、その間も北朝鮮は核・ミサイル開発を継続している」と述べた、その上で「北朝鮮が非核化の約束をほごにして、核・ミサイル開発を進めてきた経緯を踏まえれば、対話のための対話では意味がない」と強調した。
ということは,日本の安倍首相は,日朝間における非核化交渉を進める以前に,さらには今回の米朝会談より以前に,もともと非核化の費用負担は日本がすべきだと考えていたことになります.
ってことは,つまり「日本が費用を出してあげるから,非核化してくれ」という日朝会談をするつもりだったってことでしょ? 対話のための対話ではなく,お金を出すための対話がしたかったということ.それってどうなのよ?
もちろん,これは「安倍首相がトランプ大統領に恫喝された結果」ではない場合の推測ですけど.

米朝会談はアメリカと北朝鮮だけでなく,その周辺諸国の思惑が交錯するところでもあります.
中国もその一つです.
前回記事でも述べましたが,北朝鮮問題については,中国とロシアが猛烈に関与してくることは間違いありません.それも,どっちかって言うと支援側で.
実際,そんなタッグを組んでいる様子がわかるニュースがありました.
米韓軍事演習中止の要求、習氏が正恩氏に促す 5月上旬(朝日新聞 2018.6.17)
中国・大連で5月上旬に開かれた中朝首脳会談で、中国の習近平(シーチンピン)国家主席が北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長に対し、米韓合同軍事演習の中止を米国側に求めるよう促していたことが分かった。中国外交筋が明らかにした。今月12日の米朝首脳会談の場で、トランプ米大統領は正恩氏の要求に理解を示したとされ、中国の思惑が反映された形だ。
これについては,私の推察では,アメリカ側にも「北朝鮮を対象とした軍事演習」を続ける理由が薄れてきたというのが実際のところだと捉えています.
むしろ,軍事演習を辞めたほうが,北朝鮮が韓国と軍事衝突してくれるかもしれない,といったところでしょうか.先に南北で紛争を起こしてくれた方が,アメリカが介入しやすいですから.

だとすると,中国がこのタイミングで「タネ明かし」をしたのも,北朝鮮と通通の関係を公表するためのものでしょう.
仮にそうじゃなくても,そうであることが分かる公表です.
北朝鮮側としても,それを明かされたところで困らないのでしょうし,中国としても今はアメリカと経済戦争の真っ最中ですから,アメリカに中指立てる目的で公表した可能性もある.

なお,ロシアはすぐに動いていました.
ロシアのプーチン大統領は14日、北朝鮮序列2位の金永南最高人民会議常任委員長とモスクワで会談し、9月に極東ウラジオストクで開く「東方経済フォーラム」に金正恩朝鮮労働党委員長を招待した。
これからしばらくは,ロシアと中国が北朝鮮を支援して,南北軍事衝突を回避する入れ知恵をし,且つ,アメリカが簡単に介入してこないように威嚇する状態が続くものと思います.

最後に,冒頭でも示しましたように,前回記事では「今後,北朝鮮は日韓に対し優しくなるだろう」という話をしましたが,それを示す可能性のあるニュースが入ってきたので紹介しておきます.
北朝鮮最前線の長距離砲撤去問題 南北が協議開始(聯合ニュース 2018.6.17)
韓国と北朝鮮の軍事当局が、軍事境界線(MDL)付近に配備された北朝鮮の長距離砲の撤去問題について協議を始めたことが17日、分かった。複数の政府筋が明らかにした。
(中略)
北朝鮮側は韓国側が提示した案に対する立場を表明したとされる。「相互主義」を掲げ、韓国軍と在韓米軍も同一の措置を取るべきだとしながらも韓国側の提案に拒否感を示さなかったという。
ほらね.やっぱりこういう流れになる.
前回記事で述べましたが,これは北朝鮮がアメリカに恫喝されたわけでも,融和されたわけでもないと思います.
南北の軍事衝突の危険性を低下させて,アメリカが軍事介入してくる口実を減らしているものと推察されます.もちろん,そこは私の個人的な推論ですけど.

そう考えると,近い将来行われるであろう日朝首脳会談も,少しは日本側に花を持たせてくれる可能性も高いですね.
首相、総裁選への意思表明は「セミの声がにぎやかな頃」(朝日新聞 2018.6.16)

ただ,一方の北朝鮮メディアはかなり批判的なようでして.
北朝鮮「拉致問題すでに解決」 国営ラジオで日本を批判(朝日新聞 2018.6.16)

とは言え,実際に会談したらどうなるか分かりませんから.
日本にとって北朝鮮問題について「進展があった」と解釈されるものを提供してくれる可能性はあると私は予想しています.

逆に,全く日本にとって実りのない会談だとすると,それはそれで厳しい現実を突きつけられるものになるでしょう.
ちなみに,そっちの可能性のほうが私は高いとみていますけどね.

だって,「南北軍事衝突からのアメリカ介入」の可能性は結構高いけど,日朝軍事衝突の可能性は極めて低い.っていうか,ほぼゼロでしょ?
北朝鮮としては,日本は放置プレイしとけば問題ないと考えるのが普通でしょうから.
あり得るとすれば,日本に対する工作活動が沈静化する可能性はあります.
下手に手を出して,余計なトラブルを起こさない方が良いと考えるのが自然というものです.

2018年6月14日木曜日

歴史的ということらしい米朝首脳会談

最近のニュースがこれ一色です.
なので本ブログでも取り上げてみることにしました.

歴史的とされる今回の米朝首脳会談ですが,誰にとって「歴史的」なのか,そこが私には興味深いところです.
ちなみに,この米朝会談は「北朝鮮にとって有利な内容で合意した」などと評価されるのを目にしますが,そんなことはこの際どうでもいいのではないかと思います.
なぜなら,アメリカにしたって自分たちに都合のいい条件で合意したに決まっています.

我々としては,アメリカと北朝鮮の間で交わされる話に一々反応していてもしょうがない.両者はお互いにとって都合がいいことを話し合うわけですから,その他の国々の将来について考慮するわけがありません.
肝心なのは,この会談が日本にどのように影響するのか? ということ.そこだけ考えてればいいんです.

会談直後のニュースがこちら.
北朝鮮有利で合意したという解釈は,以下のような点から導かれています.
北朝鮮、非核化を約束 声明に具体策盛らず(毎日新聞2018.6.12)
両首脳は米国が北朝鮮に「安全の保証を提供」し、北朝鮮は「朝鮮半島の完全な非核化に対する揺るぎない約束を再確認」する共同声明に署名した。しかし、日米韓が求める北朝鮮の「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」は言及されず、非核化協議のスタート地点に立ったとの位置付けにとどまった。
あれだけ「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」に拘っていたのに.
あっさり抜け落としたんですね.

「完全な非核化」と表現されていますが,でもこれは例の「CVID」ではなく,「CVIDになることを目指す(ただし,時期については今後検討)」という,極めて曖昧で適当な内容なのです.
その一方で,「CVIDになることを目指す」ことに合意する代わりに,北朝鮮は「安全の保証」を受け取ったわけでして.
つまり,北朝鮮としては「非核化に向けたポーズ」さえしていれば,アメリカからの軍事行動を回避できることを意味します.故に北朝鮮大勝利ということ.

上記のニュース記事にはこうもあります.
会談後の記者会見でトランプ氏は「完全非核化には技術的に長い時間がかかる」と述べた。両国は今後も合意の履行のための協議を継続することになっており、来週にもポンペオ国務長官やボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が非核化の詳細について、北朝鮮側と協議するという。
(中略)
トランプ氏は記者会見で、非核化に向けた具体的なスケジュールや方策が定められなかったことについて「時間がなかった」と述べた。ただ、金委員長が会談で、ミサイルエンジンの実験場を破壊すると約束したと説明。「これは大きなことだ」と指摘した。
結局のところ,トランプ大統領は中間選挙に向けた「外交成果」が欲しかったということでしょうか.その見方をしている人は結構多い.
中にはトランプがノーベル平和賞を狙っていると邪推する向きもあります.

もちろん北朝鮮は非核化なんかしないわけで.
今後は隠蔽と時間稼ぎの手段を考えることに全力を注ぐだけ.
「非核化するのに予算が足りない」「作業するための人員が割けない」などと言い訳することは容易に想像できます.
(もちろん,そうやって非核化するために何かしらに取り組んでいることをもって,北朝鮮の安全は保証される)

そもそも,アメリカは朝鮮半島を非核化させたい差し迫った理由はありません.
あくまで,アメリカ本土に到達できる弾道ミサイルが問題になっているわけです.
だからトランプは記者会見で「ミサイルエンジンの実験場の破壊」という点をアメリカ国民向けに強調したのだと思います.

案の定,アメリカは半島の「非核化」に積極的ではないようで.
“非核化”費用は日韓で支援を~トランプ氏(Yahooニュース:NNN 2018.6.12)
初の米朝首脳会談を終えたトランプ大統領が会見し、北朝鮮の非核化にかかる費用はアメリカではなく韓国と日本が支援すべきとの考えを示した。
―Q.非核化への費用は誰が支援する?
トランプ大統領「韓国と日本が支援するだろう。彼らは支援しなければならないと分かっている。アメリカが支援する必要はない」
トランプ大統領はこのように述べ、北朝鮮の非核化には韓国と日本の積極的な関与が必要との考えを示し、アメリカはその費用を支援しないと述べた。
たぶんこれは,北朝鮮が「是々云々の理由で,非核化できない」と言い出してきた時に,その理由を日本と韓国の支援が適切ではないからだと言い訳したいためでしょう.
っていうか,繰り返しますがアメリカは朝鮮半島を非核化する差し迫った理由がないですからね.
「韓国と日本に対処させる」というのが最も妥当・正当な判断でしょう.
そこで軍事衝突を発生させれば,その時にアメリカは遠慮なく韓国と日本の支援を口実とした軍事行動が起こせますから.

なお,アメリカが北朝鮮に軍事攻撃を加える可能性は非常に低いと私はみています.
そして今回の米朝会談によって,その可能性は極めてゼロに近くなった.
金正恩の暗殺を狙った「斬首作戦」もできないでしょうね.国交正常化に向けて握手した国家元首を暗殺するというのは,さすがに現代では難しいミッションです.

そもそも,アメリカが北朝鮮を軍事攻撃することによって,韓国と日本の都市が大ダメージを喰らうことは容易に想定されていました.
世界的な経済都市を抱えていて,さらに種々の文化遺跡を擁する日本と韓国に甚大な被害を出しながら,それでも北朝鮮を攻撃する理由がアメリカには無いのです.それに,日本と韓国にはアメリカ人をはじめ,たくさんの国の人達がビジネスや観光客として在留しています.
そこが中東とは大きく違う点です.

ちなみに,北朝鮮としては,可能であれば韓国を併合させたいと考えているでしょうから,壊滅的被害を与える最優先ターゲットは日本の都市に決まってます.
北朝鮮が相手(つまり,アメリカ軍)を打ち負かせることができない自覚は当然あるでしょうから,となると相手に攻撃を思い留まらせる課題を与えればいいわけです.それが「日本の都市を破壊する」というもの.これは現時点の北朝鮮の軍事力でも十分に可能と考えられています.

よく,ウヨク系の人たちから「北朝鮮なんて日本の自衛隊でも十分に勝てる.ましてやアメリカ軍なら1日で戦闘は終結する」といった評価がされますが,ターン制ゲームのチェスや将棋じゃあるまいし,こっちが攻撃したと同時に相手も反撃できる条件にあるのだから,こちらの被害も予定しておかなきゃいけません.
そりゃあ軍事的な戦闘に「勝利」はできるのでしょうけど,無傷じゃない.その被害範囲に耐えられるだけの覚悟が日本にあるのか,ということ.
無いでしょう?

北朝鮮問題における最大の難点は,その周囲に日本と韓国という軍事的に脆弱な経済都市があるということです.
アメリカには,現在の日本と韓国の経済的役割を犠牲にしてでも得たい「極東の安定」なんぞありはしない.
日本と韓国が発展途上国であれば,簡単に攻撃の決断をするかもしれませんけどね.

逆に言えば,日本と韓国に経済的役割(ようするにATMとしての機能)がなくなれば,アメリカや反北朝鮮勢力としては北朝鮮を潰しにかかるチャンスということになります.
だからトランプ大統領は「北朝鮮の非核化にかかる費用は日本と韓国が出せ」と言っている.

私の予想としては,今後,アメリカは日本と韓国に北朝鮮問題に関する無理難題を強烈に押し付けてくると思います.
そして,何かの拍子に軍事衝突を起こすよう仕向けるはずです.私がアメリカ側ならそうするから.
きっと今後は,北朝鮮の軍が「勝手に暴走した」というトラブルや事件が頻発するでしょう.
トランプ大統領が発言した「在韓米軍の撤退」や,今日の「米韓軍事演習の中止」っていうのも,そのスケジュールの一環ではないでしょうか.これで北朝鮮の軍が暴走しやすくなりますからね.

つまり,今回の米朝首脳会談とは,北朝鮮としてはアメリカの軍事的圧力を回避して,金正恩体制の維持を得て合意.
一方のアメリカは,北朝鮮に軍事的圧力をかけない代わりに,アメリカ向けの弾道ミサイル配備を頓挫させることで合意.今後は北朝鮮のことは日本と韓国に対処させて,そこで軍事衝突が起きたら介入してやろうという算段かもしれない.
逆に北朝鮮としては,日本と韓国との関係をうまくやることによってアメリカの介入の口実を作らせないことが方略となります.具体的には,日韓に向けた軍の暴走だけはなんとしても防がにゃならん.

もっと端的な話として言い換えれば,アメリカは日韓と北朝鮮の間で軍事衝突が発生するよう裏工作し,北朝鮮はその挑発に乗らないように日韓との友好ムードを見せる努力をするはず.
だから,今後,北朝鮮は日本と韓国に対し「とても優しくなる」し,一方のアメリカは日本と韓国に「とても厳しくなる」というのが私の見立てです.

冒頭,「肝心なのは,この会談が日本にどのように影響するのか考えること」と述べましたが,今後,日本にとって本当に危険なのはアメリカからの要求だと私は思います.
そりゃもちろん,アメリカは今までも危険な国でしたが,今後の北朝鮮問題では,明確に日本と韓国を「囮」もしくは「餌」として使ってくることは目に見えています.

最後にロシアや中国についてですが,彼らも非常に難しい局面になっていると思います.
というのも,彼らにとって北朝鮮とは,西側勢力と対峙するための緩衝地帯として位置づけているわけですから,アメリカに制圧されることがあってはならないわけです.
つまり,アメリカが軍事介入して当然だと受け取られるような事態は避けたい.
なので当然,今後は北朝鮮への支援は強化されるわけですけど,それによって北朝鮮に「日韓に向けて高圧的態度がとれる」と思わせてはいけないわけで.

となると,ロシアや中国としては「平和的支援」と銘打って,北朝鮮の経済面を改善することを狙うと思います.
実際,今さっき入ってきたニュースがこちらです↓
9月の正恩氏訪ロ招請=プーチン氏、北朝鮮序列2位に(時事通信 2018.6.14)
プーチン露大統領に金正恩氏の親書 露国連大使「制裁緩和は当然」(産経新聞 2018.6.14)

「北朝鮮の暴走」をロシア,中国,そして北朝鮮自身が押さえ込み,逆にアメリカはそれを望むという構造が始まった.
実際,今までもそうだったわけですけど,これまでと違うのは,アメリカがそこで日韓をこれまで以上に「餌」として利用するようになったことにあります.

2018年6月9日土曜日

井戸端スポーツ会議 part 53「サッカー日本代表2」

「2」というくらいですから,「1」もありました.
もう4年前なんですね.
井戸端スポーツ会議 part 3「サッカー日本代表」
前回大会の時に書いた記事でした.2014年になります.

サッカー日本代表に関する話題がないものだから,すっかり今年がワールドカップの年であることを忘れていた今日このごろ.
ところでどこで開催するんだっけ? あぁロシアか.

そんな感じだったところに,代表監督であるハリルホジッチの解任劇によって,一気にサッカー日本代表のニュースが増加.
関心が高まって良かったですね.
むしろ,日本サッカー協会としてはサッカー・ワールドカップの話題作りのためにワザと燃料投下したのではないかと思うくらいです.だとすれば非常に高度なテクニックですね.

サッカー日本代表が普段どんな評価を得ていたのか知らないんですけど,ここ最近の体たらくぶりにサッカー・ファンが怒り心頭であることが窺われます.
直近の話題としては,5月31日のガーナ戦で惨敗し,昨日(6月9日)のスイス戦でも完敗だったとのことで.
ワールドカップ直前のこの状況で,ワールドカップに出場できなかったガーナに手も足も出なかったことから,日本代表を見限るコメントに溢れかえっている状態です.

まあまあ,皆さん落ち着きましょう.
過去記事でも書いたことを繰り返すことになりますが,あれからたった4年しか経っていないし,メンバーや新戦力も大きく変わっているわけじゃないので,同じことが言えると思います.
そんなわけで,詳細は■井戸端スポーツ会議 part 3「サッカー日本代表」を読んどいてください.

まず,「日本代表はアジア枠だからワールドカップに出場できているだけで,世界にはもっと強いチームがいる」というのはその通りです.実際,ガーナの方が日本代表より強いのでしょう.もしかするとスイスより強いかもしれない.
でも,そんなことを言い出したらキリがありません.サッカー・ワールドカップのルールに則って出場できているのだし,これはチャンスなのでそれを活かすことを考えればいいだけのこと.

しかもサッカーは,他のスポーツ種目と比べて大番狂わせが起きやすいとされています.
逆に,テニスやラグビー,バスケットボール,あとは格闘技なんかが番狂わせが起きにくいですね.
一般的に,「ミス」をしないことが競技の前提となるスポーツ種目では,選手の実力差・技量差が表出するので番狂わせが起きにくいのです.
例えばテニスでは,得点することに有利なサーブ側がゲームを取るのが普通で,それを崩せばブレークと呼ばれる状況になります.選手の能力が拮抗している場合,このブレークはサーブ側のミスやアクシデントによって起こることが多いのです.バレーボールでもそうですよね.こちらはサーブ側が不利になるので,それをひっくり返した方が勝利することを意味します.

一方のサッカーでは.ボールキープにしてもトラップにしても,パスもシュートもミスすることが普通です.だから,自分の能力を出し続ける中で,相手のミス待ちをするスポーツではないんですね.お互い,常にミスをしているのですから.
言い換えれば,サッカーではミスをできるだけ減らすことよりも,ミスすることを恐れずに,ゴールの確率が高いと考えられる「最適解」のプレーを繰り返す,いわば「パチンコ」みたいなプレースタイルが求められるんです.

お互い得点できる確率が低い中で,その最適解だと考えられるプレー(つまり,ゴールマウスまでのボール運び)を何度も展開できたかどうかで点差と勝敗が決まります.
故に,実力が高いとされるチームであっても,たまたまミスが続いてしまうと前評判とは違う結果が現れてしまうこともあるわけで.
ましてや代表選手が集まるような国際試合では戦力差に大きな偏りがなくなりますから,大番狂わせが発生するというわけです.

なので,サッカー・ワールドカップは日本代表がどれほど弱かろうと,優勝できてしまうかもしれないスポーツなのです.
もちろん代表選手は頑張ってプレーしないといけないことに違いはありませんが,もしかすると優勝できるかもしれないのですから,温かく見守っていこうではありませんか.

世界トップレベルで活躍する代表チームはまだまだ先のこと.
地道に気長にいきましょう.

なお,サッカー日本代表チームにおける根本的な戦力向上については,過去記事に書いているのでそっちを読んでください.
井戸端スポーツ会議 part 3「サッカー日本代表」
井戸端スポーツ会議 part 7「ジュニア世代の育成」

ところで,私もそれらの記事を読み返してみたんですけど,なんだか現在のサッカー日本代表を取り巻く状況は,そこで述べていたことから遠退いているように思えます.
むしろ,日本人は日本代表チームを貶めているのではないか,そんな気分にさせられるんですよ.

そういう意味では,やっぱりサッカー日本代表はマズイ状態なのかもしれませんね.
だけどそれは,彼らサッカー選手がというよりも,我々日本人が,という意味で.
スポーツは,その国の今を映し出します.
サッカーも例外ではありませんから.


関連記事
井戸端スポーツ会議 part 3「サッカー日本代表」
井戸端スポーツ会議 part 7「ジュニア世代の育成」
井戸端スポーツ会議 part 25「戦争に負けた国(日本)がとるべき態度」
井戸端スポーツ会議 part 44「スポーツの精神が大切なわけ」

2018年6月8日金曜日

体育学的映画論「万引き家族」

例のパルム・ドール受賞作.

今日が公開初日.
ちょうど都内で仕事があったので,その帰りにレイトショーで観てきました.

ネットでは,本作の監督をした是枝裕和氏がウヨクから嫌われていることもあって,「きっと反日サヨク映画に違いない」と,公開前からネガキャン三昧だったことでも有名な作品です.

実際に観た感想としては,全くもって反日でもサヨクでもない映画です.
ウヨクの皆さんも,安心してご覧頂けることと思います.

【以降,ネタバレと思われる内容を含みますので,ご注意ください】
とは言うものの,私としては本作の予告映像以上の「ネタ」は無かったと捉えていますので,以下を読んでから本作本編を観てもらっても大丈夫だと思いますが.
(だって,予告で物語の全容は全て開示されてますから)

さすがパルム・ドール.丁寧な作りです.
どうしてそんな展開になるんだ.
そうじゃないだろ.
なぜこんな行動をとる?
・・といったツッコミ所が見当たらず,日本における貧困層の暮らしを舞台とした家族ドラマを描いています.

公開前は「貧乏生活のために万引きをすることを肯定しているのではないか」という(映画を見もしないで)批判がありましたが,本作ではそんなことを描いているわけじゃありません.
むしろ逆で,万引きを肯定してはいけないことに目覚めていく少年・祥太の姿を撮っているんです.
さらに言えば,そのための押し付けがましい演出がないのも素晴らしい.

それだけに展開が単調に映るので,レイトショーということもあってか,私の周囲の観客数名はいびきを掻いて寝落ちしていました.
さすがパルム・ドール.一般大衆にはハードルが高い.

唯一の「押し付けがましい演出」は,柄本明さんが演じた売店のジジイが少年に対してとった言動ですが.
それ以外の部分が徹底して抑制されているので,売店のジジイがとった「万引き少年に対するさりげない行動」がとても際立つんですね.

少年・祥太役の子役も良かったですが,なんと言っても安藤サクラさんの怪演でしょう.
池脇千鶴演じる取調官との対話が特にすごい.取調官の言っていることが事実なだけに,その事実を突きつけられて苦しむ「母親になりたかったわけではないが,本当はなりたかった女」の姿を見事に表しています.
あの取調官との対話で,彼女がそれまでに劇中で見せてきた少年・少女との関わりが一気に思い起こされ,観ているこちらは胸をえぐられる.

人の心はシンプルじゃないんです.それをシンプルに描いています.

少年はダメな大人である「オジサン」のところに顔を出す.オジサンと他人になることを望み,毅然として乗り込んだはずのバスの窓から「お父さん」を見るため後ろを振り返りたくなる.
女の子の方は,あの家族と過ごした時に教えてもらった数の数え方を口ずさみながら,彼らに拾ってくれたアパートの玄関前で一人遊んでいる.
そんな子供たちの姿をみせて終劇.

本作では終始,大人は目に見えるモノ・耳に聞こえるモノを求めたがり,子供はそれを見せないし言わない.
安っぽい作品では,登場人物に「本当に大事なものは,目には見えないんだ」などとセリフを吐かせたがりますが,さすがパルム・ドール.それを全て映像で語る.

最近,児童虐待のニュースが世間を騒がせていますね.
死亡の5歳、ノートに「おねがいゆるして」両親虐待容疑(朝日新聞2018.6.6)
日本の格差社会問題だけでなく,そういう点でもタイムリーな映画になりました.
私も以前,近所で途方に暮れる少女と関わったことがあるし.
幼女に興味はないですよ
なんだか親近感の湧く映画です.

印象的だったシーンは,夜,家族が団欒しながら隅田川の花火を音だけ鑑賞するために夜空を見上げるところ.
あそこに日本の貧困層の孤立と疎外感が強く表現されています.
彼らも自分たちが社会的に落ちぶれていることを知っている.それを知っているだけに,表に出てきて花火を見ようという気分にならない.理由は,「一度見に行ったことがあるけど,大雨が降って大変な目にあったから」とお婆さんは言いますが,それは己の過去への暗喩であろうと解釈できます.
昔は華やかな表舞台で楽しんでみたけど,痛い目を見て今に至っている,ということ.
私達は花火大会を「音」だけ聞いて楽しむ身分です,という卑屈と自虐.
これは同時に,表に出てきて花火大会を楽しんでいる人たちには彼らの姿が見えないことをも意味します.

本作はまさに,こうした「世間から見えにくい家族」にスポットライトを当てたものであり,このシーンで上空から家屋を映しているショットは,本作のテーマそのものを表現しているように思えます.


ところで,先日,大学の体育・スポーツ実技系授業で久しぶりに学生を叱りつけました.
普段から「注意」とか「指摘」する程度のことは頻繁にあるのですが,時間をとって学生を集合させて叱るのは何年かに1度あるかないかです.
クラスをチーム分けして,バスケットボールの試合をやっていたんですけど,そのうちの1つのチームの雰囲気が悪いったりゃありゃしない.バスケ経験者でこの授業を「優越感にひたりたくて履修してきた奴」と,それとは対象的な「運動音痴」が混在するチームです.

普通なら,バスケ経験者が運動音痴の学生にいろいろ指示を出したりサポートに回って,むしろそうしたサポート・プレーに全力を注いだり,相手チームを含めた総体における楽しさや面白さを見出そうとするのが体育の教育意義だったりするのですが,そうはならないタイプの人間がやっぱりいる.
自身が得意な活躍できるスポーツ種目で,周囲に対し優越感を得るためにプレーするタイプの人間.それでも黙ってプレーしてればいいのですが,運動音痴や未経験者を露骨に見下しながらゲームをする輩は,「スポーツする」という人間性が低いと言っていい.

で,件の叱りつけた学生たちは,まさにそれをやっていたんですね.
一見,運動音痴の学生のためを想って出しているパスに見えるんだけど,その出し方や態度がそうでないことは明らか.
点差が開いてきても「こっちには未経験者がいるから」と言いながら,自分が点を取りに行こうとはしない.あくまで「俺は後方でサポートしているんだよ」という見せ方をする.わかりますよ,自分が全力で点を取りに行ったとして,そこでミスしたり実力の程が知れるのを恐れているんです.全力プレーした結果,負けることを怖がっている.
だんだん相手チームも面白くなくなってきて,こういうチームによる試合はお通夜のようになっていきます.
「面白くないのは他人のせいじゃない.自分から面白くないゲームにしているんだ」ということを分かってもらうのが体育の意義だと思います.
そういう意味では,今回の一件は履修学生にそれを再確認する場になったかもしれないし,そうであることを願いたいところです.

人間の社会活動とは,過去記事でも述べたように「スポーツ」そのものなのです.
人間はスポーツする存在である
「お金稼ぎ」や「ビジネス」といったことも,お金・所得というスコアを獲得するために,皆がゲームしていることと言えます.

スポーツにおいて「初心者」や,どうししても上手くなれない「運動音痴」がいるのと同様,所得獲得ゲームにおいてもそうした人々がいます.
逆に言えば,初心者や運動音痴がいるからこそ,そこそこ上手い人や平均人,運動センスの良い人が存在し得るとも言えます.
その上で,ゲームを楽しむためのコツとは,あらゆる人が楽しくゲームに関与できる配慮や仕組みをつくることです.そうでなければ,結局そのゲームそのものが楽しくなくなっていきます.参加することが苦痛になっていくのです.

話が逸れてきましたが,そんなことを「万引き家族」を見ていて考えさせられました.
少なくとも,楽しくないゲームをしている人に対しては,柄本明が演じた「売店のジジイ」のような存在が不可欠です.そこに人間社会というスポーツ・ゲームを楽しくするエッセンスがあるはずです.

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2018年5月28日月曜日

井戸端スポーツ会議 part 52「最近あった大学アメフトの事件のこと」

時間がとれなくて記事が滞っておりました.
その間,いろんなことがありましたね.

大学アメリカンフットボールの事件もその一つです.
日大アメフト、危険なタックル問題:まとめ読み「ニュース通」(読売新聞 2018.5.28)
アメリカンフットボールの日本大学と関西学院大学の定期戦で、日大の選手が関学大のクオーターバック(QB)に危険なタックルをして、負傷させた問題が波紋を広げています。タックルをした選手が日大の本部より先に会見を開き、内田正人前監督らに危険なプレーを指示されていたと証言する異例の事態となり、対応が後手に回った日大側に批判が集まっています。
今回はその件について,大学の,しかもスポーツ現場にいる者として記事にしておきます.

先日,高校の同級生の結婚&懐妊祝がありまして,そのBBQパーティーに行ってたのですけど,そこで「大学人」という立場上,いろいろ聞かれました.
まあ,今回当事者となってる大学の者じゃないから推測するしかないんですが,こういう「危険なタックル」「悪質なタックル」はしょっちゅうと言うほどでもないけど散見されるものですよ.

ただ,今回のタックルはあまりに露骨だったし,上述した読売新聞の記事中にもあるように,昔とは違いSNSを通じて一般の目に触れるところへ拡散したのが特徴的です.
サッカーでもわざと突き飛ばしたり,審判が観てないところで殴ったりすることがありますよね.あれみたいなものです.

以下の記事にもあるように,本場アメリカのNFLでも試合の要であるクオーターバック選手への悪質なタックルは以前から問題視されていました.
アメフト悪質タックル事件を、アメリカから考えると
もう既にクオーターバックが投球動作の週末局面になっていて,タックルしてもボールの投射を防げるタイミングではないのに,わざと「勢い余って止まれなかったふり」をして突進するのが一般的でしょうか.
もちろん違反した選手には大きなペナルティが課せられますが,その記事にあるように,ペナルティを背負っても相手のクオーターバック選手を負傷させることができた選手は,チームから裏の報奨金,つまり「ボーナス」を得ていたのが,かつてのNFLだったようです.

あと,日大や内田監督を擁護するつもりはありませんが,彼らの主張もおそらくは真実なのでしょう.
いわゆる,「たしかに『潰せ』とは言ったが,ケガをさせたかったわけではない」というやつ.
そんな話,下品な奴らが牛耳っているスポーツ現場では頻繁に出てくるワードです.
それこそ,コンタクトの機会が多いスポーツであるサッカーやバスケットボール,ハンドボールなどで,「削れ」とか「ぶっ殺せ」とか言ってる指導者や選手は,少ないながらもいるんじゃないでしょうか.

もちろん,そう言われたからってんで本当に相手をケガさせたり殺害する選手はいないんですけど,今回はその他の状況も「相手を本当にケガさせることができたら評価してくれる」というものになっていた.
それが指導者サイドとして意図的だったのか否かはわかりませんが,選手はそのように受け止めて実行するに至る土壌があったわけです.

だからといって日大や内田監督に責任がないと言っているわけではありません.むしろ,指導者として,そして責任者としてしっかり責任をとらなければいけません.
ところが,彼らは「言い逃れ」を図ってしまいました.
たぶん,「行き過ぎた表現はあったかもしれないが,それは選手との受け止め方の齟齬として言い逃れできる」と踏んでいたのかもしれません.
なお,この際,日本大学に危機管理学部なるものがあることは脇に置きます.それは本件を語る上で些末な話だからです.

BBQパーティーではこれと関連して,日本スポーツ界が膿を出す転機になっているのではないか? という話もしました.
まあ,「膿を出す」という表現が適切ではないかもしれません.
どっちかというと,「どんどん膿が発生している」といった方が適切でしょうか.

「女子レスリングのパワハラ問題」とか「相撲界の暴力事件」とか,「サッカー日本代表監督交代劇」といった一連のスポーツ界のトラブルは,この日本社会の在り方と相互関連しているという話です.
ずっと以前から,このブログでは「その国の在り方は,その国のスポーツをみればわかる」と述べてきました.
関連しそうな記事は以下のようなものです.
井戸端スポーツ会議 part 9「スポーツ分析のような選挙分析」
井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」
井戸端スポーツ会議 part 25「戦争に負けた国(日本)がとるべき態度」
井戸端スポーツ会議 part 44「スポーツの精神が大切なわけ」
井戸端スポーツ会議 part 47「森友・加計学園問題と野球特待生」

実際,スポーツ界で発生しているトラブルは,日本の政界で発生しているトラブルと見事に符合します.最近では,政府のモリカケニッポー問題とか.
以前までなら揉み消せていたトラブルが表沙汰になったり,コミュニケーション不足(悪く言えば口裏合わせ不足,良く言えば共通認識不足)によるトラブルなど.
当事者たちからしたら,「我々の業界ではよくあること」という認識で,その気になれば言い逃れできるものだと思っているのもよく似ている.

とりわけ日大アメフト部の問題は,「財務省セクハラ問題」とよく似ています.
「選手がそんな受け取り方をするとは思わなかった」とか,「記者によるハニートラップではないか」などという言い逃れが通用するわけないでしょう.
選手が予想外の行動をとったのは指導力の欠如だし,ハニートラップにかかったのも公職者としての資質の欠如です.
つまり,両者とも言い訳が言い訳になっていないんですね.

だから言い逃れることはできないのですが,この「言い訳」の質の低さには目を見張るものがあります.
むしろ,自身の無能さを公開,乃至,上塗りすることになっている.おそらくそれは,ある種の「甘え」から来ているのかもしれません.
「私はこんな基本的なことすら分からないバカですけど,『バカ』だけに無垢にやってきたんつもりです」という倒錯.
そう言えば以前,この「甘え」を地で行った政治家が兵庫県西宮市の市議会議員にいました.

安易に「勝利至上主義の弊害」という表現でまとめたくないのですが,結局のところ,我が国では「パフォーマンス(競技力)」を構成するものが何なのか混乱している状態で,それでなお「戦績」を求めていると言えます.
スポーツ選手のパフォーマンスとはなにか? その指導者のパフォーマンスとはなにか?
そして,財務次官や政治家のパフォーマンスとはなにか?
そもそも,どういう戦績を残したいのか定められずに,漠然とパフォーマンスだけを求めている.
そういったことに無頓着でやってきた結果,こんな自体になってしまった.そんなところでしょう.

2018年5月8日火曜日

ハラスメントといじめ

このブログでも度々取り上げることのあった和田慎市先生が,オピニオンサイトのiRONNAに記事を寄稿されています.
「ズボン脱がされてもイジメじゃない」それってどうなの?(iRONNA 2018.5.3)
私も全く賛同するところですので,ぜひリンク先の記事を閲覧ください.

ちょっと前まで一連の記事にしていた「セクハラ問題」において,セクハラはいじめ問題と類似していると述べました.
なので,ここでその関連をお話ししてみます.

実のところ,「いじめ」と「ハラスメント」は,「嫌がらせ」という意味において同義です.
嫌がらせ(wikipedia)
ハラスメント(コトバンク)
ですから,いじめであろうとセクシャルハラスメントであろうと,捉え方やその対処は同じものと考えられます.

セクシャル(性的)ないじめがセクシャルハラスメントであり,権力・上下関係を使ったいじめがパワーハラスメントであり,妊婦に対するいじめがマタニティハラスメント,師弟関係でのいじめがアカデミックハラスメントというわけ.
ようするに,相手が嫌がることをしたら,それはいじめでありハラスメントなんです.

和田先生は上記記事中の結論でこのように述べています.
 学校現場の人間として声を大にして言いたいことは、真にいじめを克服するためには、杓子(しゃくし)定規な定義や報告など形式にこだわるのではなく、まず根絶できない現実を受け止めるべきです。そのうえで、いじめの発生しにくい環境づくりをするとともに、重大な事態に陥らないように早期発見と迅速な対処を心掛け、当事者の人間関係修復と被害者の立ち直りをサポートしていくことです。さらに、有効な未然防止策は、いじめを能動的に克服し乗り越える力、いじめをやめさせる力を子供たちに地道に身につけさせていく教育しかないと思います。
至極当然な意見のように思えますが,そのようにならないのが一般社会の受け取り方というもの.
「いじめ」という状況そのものの発生を根絶したがるんですね.
いじめは悪.いじめの加害者に制裁を.いじめが発生する学校は碌でもないところだ,と声高に叫ぶ人達が後を絶ちません.

これは昨今話題になったセクハラに代表されるハラスメントにおいても同じことが言えます.
よく,セクハラ問題で「セクハラは根絶されなければならない」と吠えだす過激な思想を持った人がいますが,そりゃ無理ってものです.

勘違いしないでください.
先日までの記事でも分かるように,私はセクハラを「仕方ないもの」とか「発生しても放置してよい」と言っているわけでもありません.
むしろ,セクハラにせよ,いじめにせよ,私はその問題改善に積極的なほうだと自認しています.

ただ,いじめやハラスメントというのは,「法律」によって定義付けて根絶を目指すようなものではないと言いたいのです.
これはちょうど,憲法で「戦争をしない」と明記すれば,戦争が根絶できると言っているようなもの.
いじめやハラスメントというのは,戦争と同様にその発生を根絶することはできませんし,発生に至る背景や事情が複雑極まりないことや,当事者のどちらに「正義」や「もっともな言い分があるのか」といった点が不明瞭であるところも類似しています.

そんな不明瞭なものを法律で定義付けて,発生をコントロールするのは至難の業です,って言うか無理です.
いじめもハラスメントも戦争も,人間社会が存在する限り永遠に発生するもの.
課題となるのは,発生しにくい環境づくりと,例え発生したとしても重大な事態になることを回避する能力を養うことでしょう.

ところが,「いじめ防止対策推進法」や「男女雇用機会均等法」に代表される「嫌がらせ」への対処を謳う法律は,その法律の趣旨に問題があることに加え,「何をもって嫌がらせなのか?」を具体的に規定したがる姿勢を生み,それは同時に「何であれば嫌がらせにあたらないのか?」を引き出そうとする態度を惹起させます.
私がより問題と考えるのは後者のほうです.

つまり,「何をもって嫌がらせなのか?」については,いじめであれセクハラであれ,「被害者が心身の苦痛を受けたと感じた場合」となるわけですけど,これに対して「じゃあ,どこまでだったらいじめやセクハラにはならないのか?」という文句が出てくるんです.
賢い人であれば「“どこまでだったら” という表現が意味をなさない」ということにお気づきになるかと思いますが,世の中そんな人たちばかりではありません.
ネットにも世間話にも「どこまでだったら」と同じような文句を言う方々がいっぱいいます.「同じ行為をしても,訴えられる人と大丈夫な人がいるのはおかしい」とか言い出す輩ですね.

「何であれば嫌がらせにあたらないのか?」って聞かれたら,そりゃ「相手が心身の苦痛を受けたと感じないこと」というのが模範解答なのでしょう.
でも,明確なマニュアルを求めてしまうのが人間ですから,「◯◯はOK.△△はNG」というリストを欲しがります.
これが最大の問題点です.

和田先生が上記リンク先の記事で指摘しているのはまさにこの点で,「◯◯をしていたから,これはいじめだったのではないか」とか,「△△程度であれば,いじめではない」などといった個別具体的な行為や現象を指して「いじめか否か」を論じたがる人が多いわけです.
その結果,いじめ調査を担当する人としても,「◯◯はいじめと言えるのか?」とか,「△△はじゃれあいなのか?」といった議論をするハメになり,結局のところ世間が納得しそうな結論を導くことになる.
過去記事でも書いたことですが,「いじめ防止対策推進法は機能しない」というのは,そういう側面もあるからです.
いじめ防止対策推進法のこと
笑ってはいけない「いじめ防止対策推進法」
つまり,学校教育の場が,生徒間におけるコミュニケーションスキルや人間関係構築の涵養ではなく,生徒達の言動の正否を評定する場になってしまう恐れがあるのです.
(それが「良い」ことだという人がいれば,それはそれで別に議論する必要があります)

人間のコミュニケーションに,「◯◯はOK.△△はNG」なんてありゃしません.
そんなことしてたらまともな社会生活にならないのは,極一般的な社会生活を営んでいる方々はご案内の通りかと思います.

であるからこそ,学校教育においては「いじめ」「ハラスメント」が否応なしに発生する人間社会の虚しさと複雑さを見据えた上で,それへの対処と乗り越える力の育成に焦点を当てるべきではないかと思います.
それが,少なくとも日本社会におけるハラスメント行為の抑制につながるものと考えられます.


和田先生の著書にはこのようなものがあります↓
  



2018年5月1日火曜日

体育学的映画論「レディ・プレイヤー1」

うわ! やっちまった映画だろコレ!
って思ったんですが,意外とヒットしている次第です.

なので,ヒットしてる割には感想・レビューが悪いのでは?
って思ったんですけど,これまた意外と好評価みたいですね.

前回の「ペンタゴン・ペーパーズ」に引き続き,スティーヴン・スピルバーグ監督作品の「レディ・プレイヤー1」です.
レディ・プレイヤー1(wikipedia)
スピルバーグは仕事早いですね.脱帽します.

ただ,この「レディ・プレイヤー1」の出来は良くありません.
私と同じ感想を持ってるネットの「低評価レビュワー」はいるのかな?って思って探してみたんですけど,ザッと眺めた限りでは見つからなかったのでココに書きたいと思います.

低評価しているレビュワーの多くが,「話の流れが分からない」「オタク向けで私には合わなかった」「出演キャラに魅力がない」といったもののようですが,私の感想は「SF映画作品として,解釈できるテーマが余りにも薄っぺら過ぎだろう」といったところ.「ペンタゴン・ペーパーズ」と同じ監督の作品とは思えません.

「やっぱ,現実での人間関係が大事だし,現実ではお金持ちになったら権力を行使できるんだよね」
っていう,旧世代のサクセス・パターンが展開されていて,いかにも俗物なオッサンやオバサンたちが喜びそうな道徳的で下衆な映画になっております.

途中で眠くなったこと数回.
そしてクライマックスまで我慢したけど,その終わり方が酷くて退席したくなるも,両サイドに観客が並んでて出るに出れず.まあ,エンドクレジットになって無理やり出たけど.

映像が派手なので,それを見に行くくらいでしょうか.3Dとかでもやってるようなので,きっとそっちがオススメ.
時間つぶしに,コーラ飲んでポップコーン食べながら,トイレに立つのも気にせずのんびり見るタイプの映画です.

では・・,
【以下,ネタバレを含みつつ書いていきます】
ネタバレが気になる人は,映画を観てから読んで下さい.


80年代以降の映画やポップカルチャー,サブカルチャーへのオマージュが満載で,そうした「オマージュの渦」に巻き込まれたいオタクな人にとっては楽しい時間になると思います.
でも,私はそういう「ウォーリーを探せ」みたいなところに喜びを見出すタイプではないので,どうしても低評価になってしまうんです.

他にも,クライマックスでは日本のサブカルチャーであるメカゴジラとガンダムが登場し,両者が戦うシーンがあることが話題ですが,私は全然ワクワクしませんでした.
別に思い入れもないし,唐突だし,シーンとしての出来栄えもそんなに良くない.
どうしてここでこの両者なの?って疑問に思い,その疑問も疑問のまま.

SF映画としては,「VR方式のゲームが発展した末に,学校や仕事,ショッピングやカフェの時間といったことも仮想現実の中で済ませられる時代になった」ということを,もっと強調してほしかった.

なぜかって?
だって,この映画のストーリーだと,わざわざ仮想現実を舞台にする必要がないからです.
どっかの巨大複合企業の社長さんが死んだところ,遺言でその会社の経営権を「謎解き」できた人に譲るってことになって,その莫大な資産を目指して民間人やブラック企業が奪い合う.結果として,悪そうなブラック企業ではなく,無垢な少年少女たちが莫大な資産を手に入れましたとさ.
という「グーニーズ」タイプの物語.
眠たいでしょ?

せっかくVRゲームと仮想現実に浸った人間社会を題材にするのですから,以下の2点を深掘りしてほしかった.

1)主人公の男女のルックスや正体
VRゲームですから,ユーザーはゲーム内ではアバター(仮の姿)を使って自分の姿格好を表示させています.
途中,「オフライン(現実)で直接会ってみたい」という話になるのですが,そこで「アバターとは全く違う顔や体だったらどうする?」「若い女だと思っていたら,実は中年の男かも」という話題が出てくるんです.
ところが,どのキャラも想定通りなんですよ.
せめて主演の男か女のどちらかが,物凄いブサイクだったら物語に深みが出たというものです.

だってこの映画,現実でもアバターでもイケメンと美女の組み合わせで,結局,大金をせしめてラブラブのハッピーエンドという都合のいい話なのです.
そんなベタな展開,それこそ80年代の映画で腐るほど観てきました.

お互いの顔や正体が分からない中で,どのように信頼関係を築けるか.
「現実のルックスや正体」とは異なる,VRを舞台とした人間模様を描ける余地はあったと思うんです.
・・って考えながらウィキペディアを漁っていたら.
なんと! 本作の原作小説である「ゲームウォーズ」では,主人公の男女は肥満のブサイクという設定のようです.
ゲームウォーズ(wikipedia)
ほれみろ! こっちのほうが断然テーマとして深かったはず.
そのために仮想現実を舞台にしているはずなんだから.

2)仮想現実の可能性
VRゲームで教育や就職もできちゃうという時代背景は面白いので,もっとこの点を掘り下げてほしかったですね.
前述した,「お互いの顔や正体が分からない中で,どのように信頼関係を築けるか」ということと関連するテーマです.

実際,主人公の男女が肥満のブサイクだったというのが原作ですが,であるならば,これだけ仮想現実が人間社会へ密接に入り込んでいるわけですから,「仮想現実の中だけで築く恋愛や友人の可能性」を模索しても良かったのではないでしょうか.
もちろん,それでもやっぱり現実の姿を愛することが大事という結論にしたっていい.でも,私としては「仮想現実における人間関係の可能性」を模索してほしかった.

実のところ,スピルバーグ監督としては「仮想現実の可能性」は断ちたかったものと考えられます.
それは本作のラストシーンが物語っています.
経営権を手に入れた主人公の男女は,イチャつきながら「VRゲーム『オアシス』を,週に何日間かはログイン不可に設定した.なぜなら,みんなも僕たちみたいに現実の人間関係を大事にしてほしいからさ」とリア充満載のコメントを吐き捨てて,エンディングを迎えます.
全然おもしろくない.

こいつらは美男美女のカップルです.しかも莫大な資産を手に入れた超セレブ.そんな2人がオフィスチェアで抱き合って乳繰り合いながら「現実の世界を大事にしろ」と訴えるのは,もはや犯罪行為ではないか.
だってコイツらは,これからはもう仮想現実に入らなくても裕福で気楽な生活を謳歌できる身分になったからです.

仮想現実のなかで生きていたい人達もいるだろう.
仮想現実のなかでなら輝く人達もいるだろう.
この世に化粧やエステ,美容整形がなくならないのは,そうした身体的な「美」に対するコンプレックスや絶望感を持っている人が必ずいるからです.
ところが,そんな人々の仮想現実に託す希望と夢を,主人公の2人は「ログイン不可」という措置を講じることで打ち砕いてエンディング.

すなわち,現実であっても仮想現実であっても,人は「自分にとって都合のいい世界」を押し付けたがるものだという話になっている.
主人公の男女は,自分たちが「現実」の世界で恵まれたのを良いことに,ルックスや才能,経済的ステータスに恵まれていない人達が拠り所としている「仮想現実」を取り去って満足しているわけです.

いえ,別にそれでもいいんですけど.
であれば,SF映画としては,仮想現実のなかで生きていくよりも大事なものを提示すべきだし,仮想現実のなかで生きることの危険性や絶望を描くべきでした.
でも,そんなものは本作では一切出てきません.
(「旨い食い物は現実でしか味わえない」という気の利いたメッセージもありましたけど,実際はこれこそ仮想現実でなんとでもなります)

「仮想現実に閉じ籠もるって,なんだかイケてないよね」っていう偏見からスタートしたストーリーのような気がしてならないのが残念です.


2018年4月30日月曜日

「崖っぷちの大学が生き残る茨の道」の追記

動画配信 Huluで「崖っぷちホテル!」っていうドラマをみかけたので,現時点までの3話分を見てみたんです.
主演の一人である戸田恵梨香さんは,以前から良い女優だなぁと思っていたので,それに惹かれたのもあります.

あと,「崖っぷち」と言えば,だいぶ以前に書いた記事に,
崖っぷちの大学が生き残る茨の道
というのがありまして,きっと境遇が現在の少なくない大学と似てるんじゃないかと思ったのも理由の一つです.

ドラマですが,3話で見るの終わっときます.
これ以上見なくてもいいかなって.
どうしても批判的になってしまうのですが,もうちょっと作り込んでほしいところです.

役者さんの演技に不満があるわけじゃありません.
戸田さんもそうですけど,渡辺いっけいさんとか鈴木浩介さんといった個性的な役者さんを使っているし(この3人の組み合わせって「LIAR GAME」ですね),厨房の2人(中村倫也さんと浜辺美波さん)もなかなか良かった.特に浜辺さんは強烈なキャラの役ですけど,「こういう本当に無垢な娘,実際いるよね」っていう不自然な自然さが出ているのは素晴らしい.今後に期待.
それだけに,どうしてもドラマ自体の作り込みの粗さを感じてしまいます.

内容が気に入らないってわけでもないんです.
崖っぷちの経営組織が,再起を目指して奮闘するっていうのには魅力を感じます.
現代の大学って,どこもまさにそういう状態ですので,シンパシーもある.まぁ,こっちの方は峠を越えたと思ったら滑って転んで谷に落ちてる状態で,もう再起不能ですけどね.

崖っぷちに立たされた経営組織が復活しようとする時,そこで大事にすべきことは「我々の仕事は何なのか?」という点であることも普遍性があって良い.いつぞやブームになったピーター・ドラッカーのマネジメント論で最も重要なところでもあります.
もっとも,少なくない大学経営陣はドラッカーのマネジメント論を誤読しました.
それについても昔記事にしてます.■教育現場,結局,ドラッカーはどうなった?

昔,「王様のレストラン」というドラマがありましたが,「崖っぷちホテル!」はそれと雰囲気や出演キャラがよく似ています.「王様のレストラン」を見たことがない若者たちには見る価値はあるかもしれません.
逆に言えば,王様のレストランを見たことがある者としては,もう一捻りしてほしいのが実際のところ.

でも,それだけじゃない.
今回の「崖っぷちホテル」の何が気に入らないのかっていうと,役者さんが自分の行動理由や思考をいちいちセリフで喋るんですよ.
いえ,これはこのドラマだけに限ったことではありません.たいてい,出来の良くない映画やドラマはそういうことをします.

例えば第3話では,戸田さん演じるホテル支配人は,視聴者向けにこんな独り言を言います.「役職をかけて競争っておかしいだろ!」って.
それはセリフでいうことじゃありません.そこに不満を持つ支配人の状況を映せば済む話だし,それが読み取れるようなシーンを撮れば済む.それに,あのタイミングでの発言もおかしい.くどさが出ます.

最近,「ルパン三世」も新シリーズが出ていますが,こちらも同じことをしています.
第2話にて,暗殺者に追われるルパンと連れの女がこんな会話をするんです.
「ルパンは私を守っている.なぜ?」
「そういうのは言わぬが花ってやつなんだよ」
それに対し,「ルパンは私とエッチがしたいの?」と女は問い続けますが,ルパンはあぁだこうだと否定します.
で,さっき「言わぬが花」と言ってたくせに,ルパンは第2話の決めゼリフとしてこう言い放つんです.
「だけど感謝することはないぜ.俺がお前を守るのは,そういう俺が好きだからさ」

ルパン三世がそういう美意識の持ち主であることは,ルパンファンなら百も承知です.
それに,ご本人も言うように,そういうのはセリフで説明してはいけないのです.だから「言わぬが花」なんですから.
ルパンの行動や判断を粛々と描けば,ルパンが一見女好きなように見えて,実はどういう思考パターンをしているのか感じ取れるものです.

だけど,こういうセリフを吐かせてしまう.
こういうのって視聴者への配慮とは違うと思うんですよね.むしろ視聴者はバカにされているのかもしれない.ルパンがどういう奴なのか知らない人のために,第2話あたりで解説しておこう,ってな感じで.
こういうので一気に冷めてしまいます.

大学教育においても,「分かりやすい」が正義のような風潮があります.
「考えぬく力」を育む上でのわかり易さならまだしも,物事の正否を前提として教えるわかり易さが求められるんです.その正否に至る思考プロセスこそが大事なのに.
それと類似していて興味深いのですが,映画やドラマもそういう圧力と力学が働いているのかもしれない.そんなことを考えさせられました.
つまり,先に伝えたいメッセージがあって,そのメッセージを正確に伝えるために分かりやすく仕立てられた映像と音声が求められているんじゃないかと.

作品をどのように解釈するのかは受け取る側に委ねられているはずで,作者が意図しない解釈も当然あり得るんです.
もちろん,作者や演者に「こういうふうに解釈してもらいたい」という意図はあるのでしょうが,それをダイレクトに見せるのは野暮というもの.

ところで,「良いホテルとは何か」を考えていたら,高校時代を思い出させられました.
今から20年近く前の話です.
学校が休みの時に友達と徒歩旅行をしたことがありまして,愛知県新城市の山間部を歩いていて夜が更けてきた時のこと.
寒い季節だったし,天候も怪しいのに野宿できるような場所がないと焦っておりましたら,道に「民宿」の看板が.
「民宿だったら安く泊まれるんじゃないか」と,その夜は安全策をとることにしたんです.
それに,その日が旅程としては最後の一泊だろうと思っていたので,少しくらいお金使ってもいいかなって.

玄関にお邪魔して,予約していないけど泊まれるか? お値段はいくらなのか? を聞いてみたんです.
そしたら,着物を着た女将さんみたいな人が現れ,今日はお客さんはいないし,1泊5000円くらいで大丈夫とのお返事をいただきました.ただ,予約していないから食事が満足に出せないことと,お風呂は今から準備するので直ぐには入れないとのこと.
こちらとしては「野宿するかどうか」で迷っていたわけですから,「屋根があればOKです」と言ったのを覚えています.5000円ならギリギリ財布にあったし.

ところが,高校生の僕らとしても,ここが安い民宿ではないことを少しずつ感じ取ります.
まず,建物は民宿なだけに大きくないですけど,手入れと掃除が行き届いていて,趣がある.これは僕たちみたいなアホな高校生でも分かります.
次に,「食事が満足に出せない」とか完全に嘘.鴨鍋を中心とした豪華な夕食が出てきたんです.並べられていくお皿を前に,僕たちは目を見合わせました.「これヤバくね?」って.
鴨鍋は部屋まで女将さんが出てきて作ってくれたのですけど,いやいや,僕たちそんなサービス受けた経験ないし.こんなの出世してからの話だと思ってたから.
そして,お風呂は広くはないけどきれい.
一日歩いた疲れがとれます.

寝る前に,天井見上げながら「なあ,ここって本当に5000円なんかなぁ.絶対高級旅館だよなぁ.明日とてつもない値段請求されたらどうしよう.足りなかったら皿洗いとか風呂掃除しようか」って不安を抱えながら,それでも疲れ切ってたので直ぐに就寝.

で,次の日の朝.
これまた美味しい朝食もしっかりいただき,料金を支払おうとしたら,女将さんが「お代は結構です」って.
大変な徒歩旅行をしているんだから・・,などと言ってましたが,それにしても,こっちは美味いもの食って飲んでして,別に世界を救う旅をしているわけでもないのに,タダはないだろうと.
それでもお代は受け取らないということで,おまけに丁寧に見送っていただけました.

宿を出た後,歩きながら話したんです.
社会人になったら,またここに泊まりに来ようって.
その時,ちゃんと5000円を返そうって.

現代はインターネットが普及し,宿泊についても「楽天トラベル」が便利ですよね.
なので,その民宿がまだあるのか.どういう民宿なのか調べてみました.
そしたら案の定,その民宿の評価はすこぶる高い.めっちゃ高い.
だからでしょう,楽天トラベルでも賞を受賞しているし.しかも,ほらみろ,夕食込みだと結構高いじゃないか!
そんなお宿が「浮浪してる高校生をタダで泊めた」なんて話が広まるとマズいので,とりあえず名前は伏せときます.調べりゃ直ぐにわかるけど.

高校生から宿泊代をとらなかったから「良い宿泊所」だと言いたいわけじゃないんです.
でも,その時に受けたサービスは「大人になった時にまた来よう」って高校生ツーリストに思わせる気の利いたおもてなしであり,僕たちの青春時代の思い出になっているんですよ.

2018年4月29日日曜日

初めてのオーダーメイド・スーツ(4)

今回は(4)ですので,それ以前に(1)から(3)まであります.
初めてのオーダーメイド・スーツ(1)
初めてのオーダーメイド・スーツ(2)
初めてのオーダーメイド・スーツ(3)

もう既に「初めてのオーダー」ではないですし,スーツではなくシャツの話になってたりするんですけど,そのへんはご了承ください.

前回は,量販店であるAOKIでもパターンオーダーによるシャツが作れるということで,それを人気テーラー店のものと比較してみようと注文してみた,という話でした.
その後,オーダーしたシャツを受け取ったので,その感想です.

比較するにあたっての条件ですが,以前作った人気テーラー店のものと同価格帯(約1万円)で,類似した生地とデザインを注文しています.

AOKIでは既製服をベースとしてサイズ変更&デザイン設定するため,左右の袖の長さを変えるとか,袖や袖口の太さを変えるといった細かい変更はできません.そのため,既製服と同様に袖のボタンは「2つ」になります.
それ以外は,よほどこだわったデザインにしなければ,テーラー店と同じようなオーダーができます.私は凝ったデザインにしたいわけではないので気になりません.
実際,出来上がったシャツを着比べてみましたが,着心地に大きな違いはありませんでした.

今回,私は先にテーラー店でシャツを作っていましたので,AOKIで採寸・注文する時にサイズ感に対する経験が活きています.しかし,全くゼロの状態からオーダーするのはハードルが高いかもしれません.基準がなければ,どこまで広くしたり細くしたりして良いのか迷うものです.
その場合,対応してくれたAOKIの店員さんが,シャツのサイズ調整に詳しい人であることを祈りましょう.

これまでAOKIでは,肩と袖丈の関係からMサイズを購入していたんですけど,今回はSサイズをベースにして肩幅を広く,腹囲を小さく,裄丈を長めに変更して注文しています.それで丁度良いサイズでした.
でも,だとすると普段のMサイズシャツよりも腹囲が10cmも細くなっている計算です.
事実,以前まで着ていた既成シャツは腹回りがダボダボのブカブカで,腰や脇腹あたりがもっこり膨らみます.鏡に映るシルエットは全くの別物.
どれだけ既製服が「多くの人が着れる」という点を重視しているかが分かります.

ところで,これを読んでくれている皆さんへのアドバイスとしては,AOKIのオーダー・シャツを利用するコツは「袖の太さに合わせる」ということでしょうか(よほど歪な体型の人は別ですが).
AOKIのオーダー・シャツは袖(手首)の太さが設定できません(2018年4月現在).しかし,首周り,肩幅,胸周り,腹囲の太さ,そして裄丈は変更できます.
なので,袖(手首)の太さがぴったりのベースサイズを選んでおいて,そこから他のところを調節すればいいんです.
と言っても,試着するベースサイズのシャツの着心地だけから,それら全てを推測するのは難しいので,ちょっとずつ試していくしかないんでしょうけど.

結論として,私の体型であればAOKIのパーソナル・オーダーというシステムで購入してもいいかなって思います.デメリットがないですから.
そこまでするならテーラー店でもいいじゃないかとも思われるでしょうが,まあ,たしかにね.AOKIであるアドバンテージはないかも.
テーラー店の方がより細かいサイズ調整ができますし,店員からのアドバイスもありますので.

ただ,AOKIはどこにでもあるお店ですが,テーラー店はそんなにありゃしない.
環境条件に合わせて使い分けるといいでしょう.

今回分かったことは,AOKIでもテーラー店と同じようなシャツを手に入れることができるということ.
質を高望みすればキリがありませんが,なんだかんだでワイシャツって消耗品ですからね.結局のところ,安い生地をリピートすることになるわけですから.

2018年4月25日水曜日

大学におけるハニートラップの話を交えて

財務次官のセクハラ疑惑が,彼を標的としたハニートラップ疑惑として話題になっています.
世も末ですね.

セクハラ事件については,一連の記事にしています.
一般的なセクハラ問題を論じる

昨日もこんなニュースがありました.
セクハラ疑惑 麻生財務相「はめられたとの意見ある」(毎日新聞 2018.4.24)
麻生太郎副総理兼財務相は24日の閣議後記者会見で、財務省の福田淳一事務次官の辞任承認を公表した際、セクハラ疑惑について「はめられて訴えられているんじゃないかとか、世の中にご意見ある」と語った。被害を受けたとされる女性の訴えを軽視するかのような発言に野党から批判の声が上がっている。
疑惑の段階ですから何を言っても自由とは思いますけど,政治家なのですから,その言葉によって招く結果には責任をとってもらいたいですね.
過去記事でも書いていますが,どうして現在の自民党・安倍政権は,こういった後々ダメージが蓄積してしまう軽はずみな言動をするのか理解に苦しみます.
断末魔でしょうか?

ネットのコメントには「ハニートラップであるとの声は実際にあるのだから,本当の事を言ったまでだろ」と擁護するものもありますが,それを言い出したら,私のように「ハニートラップに自分からはまりにいった助兵衛を,財務次官に任命したお前が責任をとれ」という声もあるのですから,これらを公平に取り上げて頂きたいものです.

なぜ麻生大臣や政府は,「一部に,女性記者を貶めるような報道やご意見がありますが,彼女の名誉のためにも,そして事務次官のためにも,早計な憶測での報道はつつしんでもらいたい」などと言えないのか.
なぜに,「むしろ,ハニートラップの疑いがある」などと,セクハラ対応における最低最悪のコメントを出すのか不思議でなりません.
そんなこと言ったって,自分たちの置かれてる状況が好転するわけじゃないんだし.

十年くらい前に,子供が行方不明になった事件がありましたが,その時にその父親の人相が悪いことや言動の怪しさを理由に,「この父親が犯人じゃないのか?」などと世間は騒ぎましたよね.
それをブログで主張した女性タレントが非難されていましたが,これと同じものだと思います.
世間が「これはハニートラップだ」とか「父親が犯人だ」などと言っているからって,それを公式の場で述べて良いことにはならない.
この常識感覚が,今の政府には無いんですよ.

今,財務省と政府がやらなければいけないのは本事件の事実確認を急ぐことであって,「もしかしたら被害者にも落ち度があったのではないか」という推理・推測を披露することではありません.

例えば,「いじめ事件」を隠蔽していると生徒からリークがあった学校が,記者会見で「いじめを訴えてきた生徒は問題児で,嘘をついているのではないかという意見もある」などと言っているようなもの.
あのさぁ・・・,って呆れるでしょ.
そういう疑惑があるのは本当かもしれないし,実際にそういう見方もできるのかもしれない.
けど,あんたらが現在課せられているのは「いじめ」の事実確認だろと.生徒や被害者を疑うことじゃねえだろと.
それと一緒です.
日本の行政はOKで,学校はダメというのはダブルスタンダードです.

さらに,毎日新聞の関連記事としてこんなニュースもありました.
セクハラ疑惑 「ある意味犯罪」自民・下村氏が発言謝罪(毎日新聞 2018.4.23)
下村氏はコメントで「女性がはなから週刊誌に提供する意図で隠し録音していたのではないかという疑念が生じた。このような懸念を伝えたかった」と発言の意図を説明。その上で「『ある意味犯罪』と述べたのは表現が不適切だった。率直に撤回するとともに謝罪する」としている。
被害者がハラスメント被害を訴えるために,隠し撮りすることは普通に行われていることです.
我々大学教員も,FD(ファカルティ・ディベロップメント)とかでハラスメント対策の説明を受けることがありますが,セクハラやパワハラの被害者は,隠し撮りなどをして証拠を残すことが推奨されています.

下村氏は「女性がはなから週刊誌に提供する意図で隠し録音していたのではないかという疑念が生じた」などと言ってますが,彼女が週刊誌に提供する意図があったかどうかは分かりませんけど,はなから次官のセクハラを立証するために隠し撮りしていたことは間違いないし,その行為自体も間違っていません.

ハラスメントしてくる奴には隠し撮り.これ基本です.それが普通の世の中になることの方がなんぼか健全です.
政府や政治家はそんなことも知らなかったのでしょうか? 今時,常識ですよ.
てか,あなた方が「ハラスメント対策」として我々に周知してたことですけどね.

本件から得られた教訓は,今後,どのような相手であっても無礼な態度を取らないようにしましょう.貴方のその言動は記録されているかもしれませんよ.という,極めて理性的で倫理的なものなはずです.
それともなんですか.メディアの記者相手なら,セクハラや嫌がらせできるのが官僚の特権とでも言いたいのでしょうか.

繰り返しますが,本件で財務省や政府が取り組まなければいけないのは,あくまでも福田財務次官がセクハラをしていたのか否かです.これがハニートラップだったのかどうかは二次的なこと.
更に言えば,これがハニートラップだったのであれば,ハニートラップに引っかかるような人物を,あろうことか,我が国の財務事務次官として任用した責任は誰がとるのか? ということであり,今後このような事態が起こらないようにするにはどうすればいいか対策を打ち出すことです.

よく,本件を「ハニートラップ」として論じたがる人は「西山事件」を引きますよね.
西山事件(wikipedia)
しかし,両者は性質や幼稚性が全く異なる事件であり,ハニートラップとは言え公務員がそれにに引っかかったことも悪いという事例なんです.
西山事件は,「男女関係を脅迫材料として,官僚から機密資料を得る」という取材方法が問題視されていましたが,今回の事件は全く性質が違います.
取材相手が女性で魅力的だったのでセクハラ発言をしちゃいました.っていうのが録音されて公表されただけのこと.
「音声を公表していいのか!」っていう指摘は当然のこと,この女性記者や週刊新潮の判断には議論の余地がありますが,公表されちゃったものは仕方ない.
セクハラ行為が本当にあったのか否かの確認は,それとは関係なく粛々とされるべきです.

ってことで,前置きが長くなりました.タイトルの話をします.
もうかなり年月が経ったのでお話ししてもいいかなと思うんですけど,私が某大学に勤めていた頃にあった,ある男性教員がハニートラップに引っかかった例です.
今回の財務次官セクハラ問題が,もし仮に「ハニートラップ」だったとすると,それと非常によく似た状況ではないかと思います.
「ハニートラップ」というと,私はすぐにこの事件を思い出します.今回のセクハラ騒動でも,やっぱりこれを懐かしく思いました.

ターゲットになった男性教員は,もともとセクハラ癖のある教員として知られていました.
そんな教員ですから,やっぱり他の部分もネジが外れ気味だったようで,周囲から嫌われていたんですね.
私としては,その先生は大学教員らしい奇人ぷりだったので面白かったのですけど,このキャラクタが大学運営陣としては気に入らなかったらしく.

で,運営陣から女子学生による「くノ一」が送り込まれたそうなんですね.この教員からセクハラの不祥事を意図的に引き出そうという計画です.
え? 学生をくノ一に使うなんて言語道断だ! って? まあ,ブラックな大学ではよくあることなので,そこまで目くじらを立てないでください.
ブラック大学の詳細はこちら→■「教職員用」危ない大学とはこういうところだ
なお,「くノ一」と言っても,実はくノ一を任ぜられた彼女らにくノ一としての自覚があったかは不明ですが.

では,どういうハニートラップだったのか?
教員と学生とが同じバスに載って移動する日帰り出張があったんですが,そこにこの男性教員とくノ一学生数名が同乗するよう画策されたのです.
もちろん,当日,くノ一学生たちは肌の露出が激しい派手な服装で登場.
セクハラ癖のある当該教員としては,いやがうえにもテンションが上がります(あくまで推測だけど).

結果,やっぱりセクハラしちゃったんです.
くノ一学生に対する服装への言及(たぶん,「オッ◯イ見えそうだね」とか,「太腿がきれいだね」とか言ったと思われ)と,極めつけはボディタッチ.
はい,アウト.
同乗していた別の大学職員や学生からも裏付けがとれてしまい,逃げ道はなし.
結局,この男性教員はさんざん糾弾され,その年度で退職に追い込まれました.

見事なハニートラップですね.
まさに,「計画通り」.
夜神月もびっくりの結末です.
と同時に,やっぱりセクハラ癖のある人は,その衝動を抑えられないんでしょうなぁ.
憐れ.

もちろん,このハニートラップには問題点がたくさんありますよ.
セクシーな学生を,わざとセクハラを受けさせるために送り込むなんて,教育現場にあるまじき行為と言えます.
それでも,やっぱりセクハラ行為をしたことに違いはないのだから,この男性教員が擁護される筋もありません.
だって,私ならその女子学生相手に卑猥な言葉はかけないし,お触りもしない.そもそも,露出が激しい女だったらセクハラしていいという理屈は成り立たない.

「男は皆オオカミだ」などと不思議な言い訳を目にすることもありますが,いえ,違います.我々は人類です.
例えば,それがオオカミでなく犬だったとしても,警察犬や盲導犬の前に,美味しそうな肉を放り込んだからって,それに元気良くかぶりついていたら警察犬や盲導犬としては失格です.
「肉を放り込んだことが悪い」とか,「美味しそうなお肉だったんだから仕方がない」なんて言い訳は通用しません.
彼らは警察犬であり,盲導犬として仕事してもらわないといけない存在なのですから.
それと一緒です.

もちろん,教育現場においても卑劣なハニートラップがあるのはたしかです.
女子学生から「自殺してやる!」と連絡が入った男性教員が現場に急行.そこで女子学生が男性教員に抱きついたところが隠し撮りされてて,ネットで拡散.生徒やその保護者からクレームが殺到したんだけど,実はそれはトラップだった,なんてのも聞いたことがあります.

たしかに悪質なハニートラップですが,こういうのは管理職や教育委員会が対処すれば直ぐに名誉回復できる話だし,セクハラとか不適切な関係とは言えない事案です.あくまで「スキャンダルの捏造」というレベルの話.

警察犬や盲導犬の例えで言えば,「よし!」と言われたのでお肉にかぶりついたら,実はその肉はニセモノだったというのと一緒.別にそのワンちゃんに「ニセモノを見分けられずにかぶりついた罪」なんてものはありません.
翻って今回の財務事務次官ハニトラ疑惑では,美味しそうなお肉が放り込まれたので,それにかぶりついちゃったという話でしょ.
性質が全然ちがうんですよ.


2018年4月23日月曜日

一般的なセクハラ問題を論じる

先日まで財務次官セクハラ問題に触れてきたわけですが,
そろそろ飽きてきたので,一般的な話もしてみましょう.

海軍だった祖父から存命中に聞いた話ですが,旧日本軍の理不尽さを象徴するものとしてメディアでよく見聞きする「上官からの鉄拳制裁」は,そのほとんどが理不尽なものではなかったと言っていました.
そりゃもちろん,「理不尽な状況」での鉄拳制裁は理不尽だと感じるんですけど,現在伝えられている「旧日本軍の鉄拳制裁」は誇張が過ぎるということです.
「殴られた奴は,殴られるような奴だった」というのが祖父の印象.
殴られる奴は,それなりに理由があって殴られていたとのことです.

もちろん,だからと言って上官が部下に暴力を奮って良いということではありません.
何かにつけて暴力で指揮系統を保とうとする組織が,まともに機能するわけがない.
例えば同時期のアメリカ軍では,かの名将ジョージ・パットンが,負傷した部下を「臆病者」と罵り殴ったことで,指揮官をクビにされるという重い処罰を受けています.
ジョージ・パットン(wikipedia)
名将であろうと,軍事組織であろうと,暴力を使って運営することは許さない,というのが,大きな成果を得る上でも理性的な判断なのです.

旧日本軍による部下への鉄拳制裁は,負けが込んできた中にあって苛烈になっていったとされますから,追い詰められて正気を保てなくなった上官ほど部下に八つ当たりしたという側面もあるでしょう.
そういう意味でも,日本はアメリカに勝てっこなかったわけです.

さて,これをセクハラ問題と強引に結びつけようと思うわけですが,私の経験上は,「セクハラで訴えられる奴は,セクハラで訴えられるようなことをしている奴だ」ですね.

セクハラを訴える方にしたって,好きで訴えたいわけじゃない.
できれば穏便にしていきたいのが一般的な感覚です.ましてや日本人ならそう考える傾向が強いでしょう.
昨今のセクハラ報道のたびに,「こんな調子だと,なんでもセクハラで訴えられるようになる」などと煽り立てる人がいますが,そんなものは杞憂です.
そいつ,どんだけセクハラで訴えられるのが怖いんだか.

訴える方だってリスク背負ってるんです.それで人間関係が崩れるのが嫌だろうし,反撃されるのだって怖い.できるだけ訴えずに済ませたいのが本音でしょう.
その高いハードルを乗り越えてでも訴えようというわけですから,よっぽどそいつを「セクハラで訴えたい!」という強い意志がなければ,セクハラ問題なんてのは滅多に発生しないことは容易に想像できます.

私自身はこれまでにセクハラ騒動に巻き込まれたことはありませんし,自分で言うのも恥ずかしいですが,仕事を共にした女性達からも紳士として評判もいいんです(笑).
どうすればセクハラで訴えられるような状態に持っていけるのか,逆にその行動原理を聞いてみたいくらいです.
だからでしょうけど,女性からセクハラ相談を受けたことが何度かあります.ちなみに,それらは主に教育現場での学生,職員,教員からです.

そこから言えるのは,上述したように「セクハラで訴えられてもおかしくない奴」が加害者として上がってくるんですよ.
はっきり言って,「まさかあの人が!?」なんてケースに出会ったことはありません.
全て「あぁ,やっぱりね」です.
ようするに,普段から私の基準・感覚からして強いセクハラ行為をしている奴です.

もっと言えば,「セクシャル・ハラスメント」だけではなく,ハラスメント行為全般が危険水位だったりする.
つまり,セクハラで訴えられる人ってのは,その人自身「ハラスメント行為」に対する認識が弱く,常時周囲にハラスメント被害を撒き散らしているわけで,その被害から逃れたい人が,たまたま理由に持ち出してきたのが「セクシャル」なハラスメントだったというケースがほとんどだと思うんですね.

ですから,「セクハラ行為と,そうじゃない行為の違いが分からない」とか,「同じ行為をしても,OKな人とNGな人がいるのはおかしい」などという主張はナンセンスです.
「セクハラ」というのは,そいつのハラスメント行為全体を総合評価した上で,たまたまセクシャルな部分が酷かった場合に選択される,ハラスメント被害の「理由」の一つでしかありません.

もっと簡単に言えば,セクハラで訴えられるような奴は,他のハラスメント領域でもアウトな行為をしているんですよ.「もうコイツ,ホントいい加減にしてほしい」って.だから訴えられた.
なので,上述したように「セクハラで訴えられる奴は,セクハラで訴えられるようなことをしている奴だ」ということ.

中には「セクハラさえなければ,それ以外は物凄く良い人なんだけどねぇ」っていう稀有な人もいるでしょう.
けど,そういう人はセクハラで訴えられるようなレベルまでいきませんよ.たいていは「物腰が柔らかくて謙虚なんだけど,下品なイタい奴」で済まされます.
それに,「物腰が柔らかくて謙虚」なので,もともとハラスメントに対する配慮ができる人なんですから,周囲の誰かが「お前ちょっとやり過ぎだぞ」と言えば抑えが効きます.

難しい話ではありません.
相手を不快にさせないコミュニケーションを心がけさえすれば,セクハラなんて気にしなくて済むんです.
もっと言えば,別に「不快にさせない」ことを目指さなくてもいいでしょう.怒らせなければいいのだし,無礼なことをしないという,極めて簡単な話です.
そしてそれは,「これはOKで,これはNG」などという線引きやカテゴライズができるものではなく,相手との動的関係の中で作り出されるものです.

言い換えれば,セクハラで訴えられることにビビっている人ってのは,どうすれば相手を怒らせずに済むのか分からない,もしくは人類に普遍的な礼儀を知らないということです.
これは別に煽っているわけじゃなくて,そういう不安も分からないではないんです.
だからマニュアルを求めてしまう.
「セクハラで訴えられないようにするには,どうすればいいの?」って,そんなバカバカしい問いがあるかって私は思っちゃいますけど,ある意味では難しい話なのかもしれません.

似たような話として「マナー」を取り上げたこともありますので,その記事も読んでみてください.

ハラスメントの話って,いじめ問題とかマナー問題と非常に強い関係があると思うのですが,かなり込み入った話をしなければいけないので,これについては機会を別にして論じてみたいと思います.

2018年4月21日土曜日

追記:財務次官セクハラ問題を論じる

前回記事の
財務次官セクハラ問題を論じる
の追記です.

セクハラ疑惑が浮上した財務次官の更迭が決まってから2日が経ちましたが,予想以上に「これはハニートラップだ」との声が大きいので,この点について追記しておきます.

前回記事でもお話ししたように,これがもし「ハニートラップ」だったとしたら,財務次官としてはセクハラ以上の大問題でしょう.
なんせ,一国の財務次官がハニートラップにかかってるんだから.

彼はそこらへんの企業の社員や経営者ではありません.日本の財務次官なのですよ.そんな立場にある人が,記者と称する女性に鼻の下を伸ばして猥褻な言葉を交わすなんて情けないにもほどがあります.
マジで,「セクハラ」で訴えられただけで良かったと思います.

もし財務省の機密事項をすっぱ抜かれたら目も当てられないし,もしこの女性記者が外国勢力のスパイとして仕掛けたものだったら,責任問題などと言ってる場合じゃない.
そんな事態の話を,「これはハニートラップだ」などと,まるで財務次官や財務省を擁護するかの如き見解が流布されている日本.
今回のセクハラ問題は,この国に「危機管理能力が全く無い」ということを,全世界に知らしめた事件だと私は認識しているんですけど,ネトウヨほどそういう自覚が無いのかもしれません.
これが本当の「お花畑」ですね.

記者はスクープや物事の裏事情を求めて取材するのが仕事です.そのためには可能な限りの手法を使うでしょう.それが問題視されることだってあります.
それはそれで話を別にして批判されなければいけませんが,今回の事件の論点ではありません.
今回の女性記者にしたって,彼女なりに福田財務次官も同意する手法でニュースのネタを引き出そうと取材したに過ぎません.
それに対し,「女を武器にした」とか「本人にもその気があったのでは?」などというのは筋違いです.現時点で確かめようがないし,きっと永遠に確かめられない.

この福田財務次官に妻子があるのか知りませんけど,仮に結婚していなかったとしても,記者と会話するのであれば,相手の女性に「その気」があると期待していても慎重にならないといけません.
だって彼は財務次官なんだから.
一国の行政機関のトップとしての常識と覚悟が求められる立場なのですから,取材に来たと称する女性とイチャついてる事自体がまず問題です.
イチャつくにしても相手をちゃんと見極めろよってこと.

それともなんですか.セクシーな女性記者による色仕掛けがあれば,男性官僚は引っかかっても仕方ないともで言うのでしょうか.
冗談じゃない.一国の財務次官が,記者の色仕掛けに引っかかって「言葉遊び」なんかして良い訳ないでしょう.

例えば私が,セクシーな女子学生に言い寄られて,彼女といい関係になって猥褻な言葉を交わしていたとします.その後,彼女が私からセクハラを受けたと訴えられた時,皆さんは私を擁護してくれますか? しないですよね.
十中八九,「そもそも,教員が学生とそんな関係になってはいけない」とか,「プライベートを管理できていないバカ教員」などと言うはずです.
えぇ,その通りですよ.今回の事件と一緒.
これに対し,「どうせ女子学生は単位が欲しくて近づいただけで,この教員はその犠牲者だ」などと擁護してくれたとしても,全然「セクハラ」の擁護にはなりませんし,一般通念上の大学教員としての振る舞いとしては不適切.その責任は免れないのが昨今の風潮です.
これが次官クラスの官僚なら,尚の事.

繰り返しますが,今回はこの女性記者に日本国や財務省を貶める悪意が無い人だったから良かったものを,もし意図的に日本を攻撃するつもりで近づいている人だったら,「セクハラ」では済まないんですよ.
少なくとも,先日まで勤めていた日本の財務次官には,ハニートラップが有効なチョロい奴が任命されていたことが明らかになったわけです.
より深刻な事件や失態を起こす前に,早めに更迭になって良かったですね.って私は思います.いや,ほんとマジで.
「これはハニートラップだ」と声を上げている人は,そのことを踏まえた上で言っています?
もしそうであれば,今回の事件は財務省および任命した政府にそれなりの責任をとってもらわないと済まない話ですが,彼らからのそんな声は小さいのが現状です.

いや,むしろ政府や財務省としては,ここまできたら今回の事件を「セクハラ」で終わらせたいのが本音ではないでしょうか.
「セクハラじゃない」と争えば争うほど,「じゃあ,どうしてこういう事態になったのか?」という点がクローズアップされるわけですから.
そして,「ハニートラップだ」などと言われれば言われるほど,自分たちの無能さを晒すことになります.だって,次官クラスがハニートラップにかかって政府がのほほんとしてるわけにはいかないでしょう.

私が本件の火消し参謀だったら「セクハラ」で押し通しますね.
「今回の事件はセクハラだ.財務次官の性格から惹起された,個人的なミスだ.まさかこの次官がそんなに脇が甘いとは思わなかった」ということにした方が賢いと思いますよ.
そうじゃないと,もっと大きな構造的問題に踏み込まれる可能性がありますから.
そっちは今のうちに裏から手を回して,隠しておきたいはずです.

ひとまず,基本的なところとして記者との付き合い方について通達を出すでしょうね.
記者との飲食や会話内容について,あれこれ制限がかかるはずです.
逆に,そうしないともっと深刻なトラブルが発生するはずなので,今後,ちょっと楽しみにしておきましょう.
もっと言えば,多分,安倍政権はそこらへんの危機管理能力が無いので,本件に関連した事件が発覚する可能性は高いと思います.


「政治と記者」について,アメリカの事例が映画になっています.
「セクハラ」とは違って,シリアスな話題です.こちらもどうぞ.
体育学的映画論「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」


2018年4月20日金曜日

財務次官セクハラ問題を論じる

授業が始まる前,何人かの学生が世間話してたんですけど,そんな彼らが体育教員である私にこんな質問をしてきました.
「愛媛で脱走した脱獄犯ですけど,きっと海を泳いで逃げたんだと思うんですよ.先生が脱獄犯なら,どうやって泳ぎますか?」
って聞かれたんで,
「ん〜〜,そうだなぁ,『平泳ぎ』だね」
って答えました.

そしたら互いに向き直って,
「ほらなっ,ほらなっ,先生も言ってるじゃん.やっぱり長距離は平泳ぎなんだっつーの」
って盛り上がってるんです.

私としては容疑者の名前を使ったダジャレのつもりだったのですけどね・・・.
脱走の平尾容疑者、翌日にドラッグストアで牛乳や菓子購入(産経WEST 2018.4.16)
実際のところ,渡海するつもりなら浮き輪かチューブみたいなものを抱いて,休みながら泳ぐと思いますよ.そうじゃないと高確率で死ぬから.


びっくりニュースがテンコ盛りな昨今ですが,最近はこれに「財務次官セクハラ問題」が急浮上してきました.これだけの浮力があれば瀬戸内海を渡るのも怖くない.
財務次官、セクハラ疑惑で更迭(時事ドットコム 2018.4.19)

私もネットニュースをつまみ食いしてみたんですけど,なんとも情けない話です.
更迭で済んで良かったですね.いやホントに.

ところが,このセクハラ問題について斜め上を行く「財務次官(福田)擁護論」を説く方々が結構いらっしゃるようです.
なんでも,「女性記者にも問題がある」とか「セクハラの存在を知りながら取材を継続させた記者の上司が悪い」とか「これはハニートラップだ」とか.

どれもこれも,まるで次官擁護になっていないのが哀しいところですが,これらを説く方々の声がかなり大きいので,この際,箴言しておこうと考えました.

まず,そもそもの話として,この福田財務次官は「記者を相手に,セクハラをした覚えはない」ときっぱり明言していたのにも関わらず,証拠がボロボロと出て来る事ここに至ってセクハラを認めたわけですね(建前としては「職責を果たせる状況ではない」という理由で更迭の扱い).
つまり,己の罪を自覚していながら,その指摘に対し,言い逃れるための嘘をついていたのです.

この時点で完全アウト.もう救いようがありません.
せめて一番最初に「記者に不快な思いをさせていたのであれば,これからご本人と協議・相談し,事実確認をしてから,改めてご報告したい」などと言えば良いものを.
ましてや,「セクハラだというのであれば,被害女性が名乗り出てくるべきだ」などと,セクハラ対応としては最低最悪の態度をとりました.
これだけ企業・団体等にセクハラ対応ガイドラインが普及している昨今,財務省がダメダメというのも面白いですね.

マッチョなウヨク系の方々は「被害者が名乗り出ずに訴えられるのであれば,セクハラ被害はなんとでもでっち上げられる」と息巻いていましたが,おおよそ常識的対応感覚があればバカな話です.
面倒くさいので今回は割愛しますが,今後もそのような感覚でセクハラに対応していくつもりであれば,その態度は極めて危険なので改めることを強く推奨します.

ところで,これは行政を司る本体である「安倍政権」にも言えることですが,このような不祥事が出てくる度に,なぜに後々になって致命傷となることが確定的な言い訳・言い逃れをするのか?
これは私の邪推ですが,安倍一強と呼ばれるこの状況では,政治家も官僚も「安倍政権に忖度しておけば,少々のことをしたって誤魔化せる.もみ消せる」という驕りや楽観視があるのではないか.
今回のセクハラ問題にしたって「被害者が名乗り出てこい」などという,おおよそ性犯罪に対する一般常識的な対応とはかけ離れた態度がとれたのも,そうした特権意識があったからではないかと思いたくもなります.

さて,今回の騒動について「女性記者にも問題がある」とか「セクハラの存在を知りながら取材を継続させた記者の上司が悪い」といった指摘もありますが,たしかに女性記者「本人」にとっての幸福を考えれば,一連の行為には「セクハラを受けても取材を継続する」とは異なる別の選択肢があったのかもしれませんね.それは認めます.

セクハラを我慢して取材を続けなくても,この担当から外れることだってできただろうし,上司に文句を言うことだってできる.しかし,こうした選択肢はこの女性が「記者」という仕事を続けていく上で,天秤にかけるものが多過ぎることが容易に察せられます.
つまり,現時点での現実問題として,この女性記者に「財務次官への取材が不愉快だから辞める」という選択肢がとれたのか?ということ.

この記者の上司に対する批判も当然認められるでしょう.セクハラを知りながら,それでも継続させたことは,社員の扱いとして批判されるに値すると私は思います.
こういったことは,例えば家庭内暴力や浮気に悩む妻が,夫と離婚したいんだけれど子供の事を考えたら離婚できないと考えて結婚生活を継続しているようなものです.
それに対し,姑が「今は子供のためにも耐えてちょうだい.夫婦生活にはそういうことだってあるわ」と言うことだってあるでしょう.
妻一人の幸福を考えたら離婚するのも手段の一つでしょうし,それが最善と考える人もいますが,それを最善とは考えない人だって当然いるわけで.
セクハラを受けても取材を継続する記者というのは,本質的にそれと一緒です.

ですが,これらはあくまでも女性記者本人とテレビ朝日内部の問題.それによって福田財務次官のセクハラ行為に情状酌量の余地が出てくるわけではありません.
話し相手が嫌な顔をしない(という主観的感覚があった)からといって,他人に卑猥な言葉を浴びせていいことにはならないからです.
私だって誰だって,話し相手がバカバカしいことを言ってきたからって露骨に不愉快な顔をすることは少ないでしょう.でも,それを良い事に「コイツなら何を言っても大丈夫」と思われるのは心外です.
そんなこと,一般常識がある人なら,まして一国の事務次官ともあろう者であれば心得ておいてほしいことです.

「今回のセクハラ事件は,ハニートラップではないか」などとアクロバティックな事を言い出す人もいます.
財務次官から卑猥な言葉をかけられても何度も近づいて,居酒屋で飲みながら取材する,なんてのは,女を武器にした取材じゃないのか,って論法です.

ハニートラップですって.
バカじゃないの?
むしろ良かったですね.ハニートラップじゃなくて.
もし本当にハニートラップだとしたら,「セクハラで訴えられる」だけで済んで良かったと言えます.
別に皮肉じゃありません.

だって,考えてもみてください.もしこれが女性記者によるハニートラップなんだとすれば,日本国の財務省事務次官は,この度,見事にハニートラップに引っかかったということですよね.
それはそれで極めて重大な不祥事です.人事権を握っている人には,ぜひとも責任をとって頂きたい話です.
ましてや今回は,トラップにかかっただけでは飽き足らず,事務次官自らセクハラ認定されるような卑猥な言葉をかけちゃってるんだから世話ない.
二重三重に残念な話です.

「これはハニートラップだ」と女性記者を非難している人達は自覚があるのでしょうか?
それは福田財務次官の罪をさらに晒し出し,その監督者である安倍政権の責任を問うているということを.
まあ,そのつもりで言ってるんだったらそれはそれで良いのですけど.

仮に今回のこの女性記者やその上司(と,テレビ朝日サイド)が,ハニートラップみたいなものを仕掛けた自覚があったのだとしましょう.
だとしても,それは悪いことなんですか?

ハニートラップに引っかかるようなバカが財務次官をやっていることが白日の下になったわけですから,ある意味でスクープですね.テレビ朝日さん,おめでとうございます(でも,それだとおかしいな.週刊新潮に垂れ込んだんですよね).

なにはともあれ,今後,財務省およびその任命責任者は,記者にセクハラ発言をするような奴を管理職に置かないよう注意していただきたいですし,それをもみ消そうとしないでいただきたいですね.
それが今回の事件から得られた教訓です.あまりに次元が低い気もするけど.

あっ,もしかするとこの女性記者,ハニートラップで財務省の重大ネタを掴んでいるかもしれません.
それが出てきたら「ハニートラップ」として認定してもいいかも.


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2018年4月17日火曜日

モリカケ問題とか日報問題を,大学教育で例えてみる

「その問題というのは,例えて言うなら,総理大臣と懇意にしていた会社が特別に利益を得られる仕組みになっていたようなものだ.だから政府や総理大臣は,その疑惑をすぐに払拭できるよう準備していないといけいないし,それが出来ないのであれば責任をとって退陣しなきゃいけないでしょう.それと一緒だよ」
などという例え話が通用しなくなっているのが現代日本なのです.
もう既に末期症状だと思います.

「メディアは疑惑ばかり報じるだけで証拠を出さない」とか,「総理は悪魔の証明を求められている」などと,おおよそ民主主義国家の国民とは思えない言動をしている人が結構います.
少なくとも我が国の首相は王様ではありません.政府も教会ではない.
国民は,政府や政治家を常に疑ってかからないといけないし,政府と政治家の側も,疑惑をかけられたらそれをすぐに払拭できる証拠を用意しておくのが健全な状態というものです.

例えば,夫が女と週に何度も食事していて,ラブホテルへ一緒に出入りしているところを,妻が写真に収めて「この女は誰なのよ!」と迫ったとします.
その夫が「こいつとは何もないよ.浮気だというのならその証拠を出せ!」と反論してきたからって,
「そうね,これは浮気を示す決定的証拠じゃないから疑惑のままね.その女とやってるところをおさえることが出来るまでは,夫を信じるわ」
なんて悠長な妻はいないでしょう.
「浮気してるんじゃないか?」という疑惑,それ自体が夫婦関係の問題になっているわけですから.
国家運営で言えば,この政府は議会制民主主義を進行していく上で信頼できるのか? ということが問題となっているわけですよ.
「じゃあ,代わりは誰かいるのか!?」なんて,トンチンカンにもほどがある.そんなの,離婚してから考えればいい.

夫が本当に潔白なのであれば,妻からの信頼を取り戻すために証拠をこれでもかと出し,件の女を呼び出して事実関係を証言させるはず.国家運営で言うなら,公文書公開とか証人喚問ですね.
もちろん,それだけじゃ妻は納得しないだろうから(都合のいい証拠しか出さなかったり,女と口裏合わせしているだろうから),ラブホテルに女と同行した退っ引きならない事情や,その事情を知る関係者を集めるなどして,疑惑を払拭するために説得するものです.
ところが,それに応じず「疑惑をかけられているのは俺なんだから,証拠を出すのはそっちだ」とか,「ほら,あの女も俺とは何もなかったと証言しているじゃないか」などと言い出すような奴とは離婚するに限ります.
そんな男は信頼できないでしょう.同様に,そんな態度をとる政府はどう考えてもおかしい.

さらに言えば,夫がホントに本当に潔白だったとしても,妻が納得する証拠提出と説得ができない男や,特定の女と日常的に食事したりラブホテルに行く行為を普通だと思っている男は,その時点で離婚です.
前者は無能だし,後者はバカです.
「浮気の証拠が出てこないのだから大丈夫だろう」などと考えてる場合ではありません.
こいつに「夫」としての資質があるのか? ということが問われているんです.

モリカケ問題とか自衛隊日報問題に揺れる安倍政権というのは,「証拠がないなら無罪」とか,「悪魔の証明」などといった次元で論じられるものではないので,こうした色恋沙汰で例えることもできるのですが,もうちょっと上品に例えることもできます.

これを大学教育現場で例えてみましょう.
大学教育において,教員−学生間に生じる「疑惑」と,その対処が求められるものに試験結果の根拠説明があります.
最近の大学って,期末試験とか中間試験をとても厳密にやるようになってきています.昔のような適当な試験方式はだんだんなくなっているんですよ.

具体的に言うと,学生は授業の成績を左右する試験の結果については,その採点に疑惑や不服がある場合は,大学事務(主に学生課とか教務課)を通じて訴えることができるようになっています.
以前(20年くらい前)であれば,学生が教員の研究室に直接出向いて交渉されていたのですが,徐々に「コンプライアンス重視」とか「説明責任」といったことが浸透してきて,現在のように大学事務局を窓口にするようになりました.

「教授のところに地酒を持参して懇願したら,テストの点数が可になった」とか,「胸元がパックリ開いた服で訪問して訴えたら,特別に追試を受けることができた」などという話を聞いたことがある40代以上の大卒の人は多いでしょう.
実際,そういうことは以前はたくさんあったんです.そういう意味では,昔の政治も似たようなものかもしれない.
でも,今はそういうことができないような成績管理システムになっていたり,採点方式の公平公明性が強化されてたり,教員が勝手に成績変更できないようになっていたりします.

ようするに,学生としては自分の成績が「おかしい」と疑惑をもったら,それを自由に訴えればいいという形式になっています.
このため,昔と現在の成績評価に関する最も大きな違いとしては,現在では「試験の採点手続きや,成績・点数の割合が説明できるようになっている」ことにあります.
つまり,現在の大学教員は,「どうしてA君が75点で,B君が80点なのか? この5点の差は何から生じているのか?」ということを,きちんと説明するよう求められているんです.

え? 昔は違ったのかって?
そうです,昔は適当に採点していた先生方が多かったみたいですね.なんとなく,こいつは80点だろう,こいつは65点だな,って感じで.

そんなことしてると,「なんで私が65点なんですか!」って怒ってくる学生が出てくるわけですけど,あんまり煩いからそいつを80点に変更したら,それを聞きつけた80点の学生が「訴えたら点数が上がるんすか!」って怒り出して面倒なことになっちゃったから,ちゃんと窓口用意して,教員が勝手に成績変更できないようにしようと.そういう経緯があって現在のシステムになっています.

あと,どうしてこの学生が「70点」なのか,その割合もきちんと説明できないとダメになっている大学がほとんどです.
実際,いろいろな大学のシラバス(履修要項)を見てもらえれば,成績の算出方法が掲載されています.
出席30%,レポート10%,テスト60%などと書かれることが多いですね.担当教員によって,この割合や項目が違いますが,つまりは点数の割合を説明できるようになっています.
ちなみに,最近は「出席」を点数化させることを嫌がる大学も増えています.授業に「出席」するのは当たり前だから,これを成績の点数にするのはダメでしょう,っていう理屈です.

もちろん,レポートやテストも,どうしてその点数になったのかを説明できるよう求められています.
なので,レポートやテストの結果(つまり,解答用紙)は規定期間を過ぎないと破棄できないようになっています.こういうのを「根拠資料」って言います.
教員自身ではなく,大学事務で保管するところもあるそうですが,たいていは成績確定する年度内もしくは1年間,あとは卒業年の目安である4年間とかです.
その期間は,学生からの成績評価に対する訴えや調査があった場合に備えて,「どうして◯点なのか?」に答えられるようにしています.

最近では,教員側も「どうして君が◯点なのか」を後々説明するのが面倒なので,授業内でフィードバックできる仕組みにしている先生方もいます.
例えば,出席1回で3点,遅刻は1点,課題提出1つが10点満点で,グループワーク1回参加が5点ですよ,といったリストを第1週目の授業から学生に渡しておいて,学生自身に自分の成績点数が明確に分かるようにするものです.これだと学生は「僕は少なくとも80点だな」とか,授業期間の途中で「俺は欠席が多いから,今から全部出席したとしても単位が出ないな」ということが判別できます.

まぁとにかく,一部の学生にとってはそれほどでもないけど,他の一部の学生にとっては大変重大な関心事である「成績評価」に対する説明責任を果たせるよう,大学は準備されています.
長くなりましたが,これが疑惑を持たれた政府と同じです.

実際,「私が◯点なのは,どういう理由からですか?」なんて訴えてくる学生はほとんどいませんよ.極めて稀です.
たいていは,教員の裁量を信じて「あぁ,私はこういう点数なんだな.まっ,単位をくれているから良しとしよう」って感じで何事もなく過ぎることです.
でも,その評価基準に疑義を持った学生が現れるのもたしかで,どうして君が◯点なのか? ってことを説明できなきゃいけないのが大学当局,担当教員ということになります.

学生からの「これって,いい加減に採点した結果じゃないんですか?」という疑惑に対し,「その採点を適当につけたと言うなら,その証拠をお前が出せよ」なんて態度が通用するわけないでしょう.
「あなたが◯点なのは,これこれ云々の結果ですよ」って回答できなきゃいけないのが当たり前です.成績評価っていうのは,それだけシリアスなものだからです.

それが国家運営・行政だったら尚の事でしょう?
誰かが「それって不公平じゃないですか?」とか「間違ったデータに基づいて話を進めてていませんか?」などと疑惑をかけたら,その疑惑が的外れであることを明瞭に示すことができなきゃダメなんですよ.それが議会制民主主義の行政を行っている担当者の責任です.

それが出来ずに,いつまで経ってもツッコミを受けているような安倍政権は,その時点で退陣したほうが日本のためです.
もしかすると,本当に安倍政権は潔白なのかもしれない.でも,身の潔白を証明するのにここまで混乱を引き起こしているのは,行政を取り仕切る能力がないものと考えるのが妥当です.

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2018年4月15日日曜日

初めてのオーダーメイド・スーツ(3)

初めてのオーダーメイド・スーツ(1)
と,
初めてのオーダーメイド・スーツ(2)
の続きです.なので(3)です.

先般,故あってスーツやシャツをオーダーメイドにしたことから本記事を書き始めたのですけど,今回書こうとしていたことと関連するかもしれないニュースを見つけました.
こういうのです↓
生き残りをかけた紳士服チェーンの戦略、軍配が上がるのは多角化か本業重視か?(投信1 2018.4.14)
今後、少子化などにともない、スーツ市場はさらに縮小することが予想されます。生き残りをかけて、各社ともに新たな取り組みを進めています。その一つが「非スーツ」の多角化です。
大手4社の中で、早くから多角化を進めてきたのがAOKIホールディングスです。連結子会社を通じて、結婚式場・披露宴会場の運営、カラオケ・複合カフェ・フィットネスクラブの運営などの事業を行っています。同社グループでは現在、ファッション以外の売上構成比が4割近くに達しています。近い将来にはそれを5割にするとしています。
(中略)
AOKI、青山、コナカが「非スーツ」の多角化を進める中、独自の戦略を展開しようとしているのが、業界4位のはるやまホールディングスです。多角化には走らず、オリジナル商品などの「本業」に力を入れています。
創業二代目の治山正史社長は「スーツで日本を健康にする」宣言をかかげ、健康をサポートする機能性商品の開発を積極的にすすめています。
過去記事でも書いていますが,私はこの15年ほど服装はほぼ全てAOKIで購入しています.
偶然ですけど,引っ越すたびに近所のアパレル店がAOKIだったというご縁だからです.
わざわざ都市部へ出かけて服を買いに行くのも手間だし,こだわりがあるわけでもないので,店員と相談しながら「最近の」,そして「無難な」スーツやカジュアルウェアを買っていました.

ちなみに,ここ数年はAOKIでもカジュアルウェアのコーナーで服を買うことはなくなりました.
カジュアルはジャケパンとスポーツウェアで済ましています.
どうしてこんなことになってきたのかと言うと,当然のことながら私の現在のライフスタイルとしてスーツとジャケパン,あとはスポーツウェアで事足りるからというのもあるのですけど,実は(近所の)AOKIの品揃えや売り方の影響も多少あるんです.

他の店も同様なのかは分かりませんが,5年前に私が越してきた近所のAOKIの店員の対応が雑なんですよ.
いえ,その店の全員というわけじゃないですし,けっこう店員の入れ替えも激しいから何とも言えないことは確かですが,これまでに通ってきたAOKIの対応とは別物でして.
まあ,かつて出会った例の「ハイスペック・ババア」が特殊過ぎたのかもしれません.
若手研究者用:スーツの上手な買い方・着方

今行ってるAOKIでは,とにかく「お客様,お似合いですよぉ〜」って言っとけばいいと思ってるフシがあります.
どっちがいいですかね? って聞いても,「どちらもお似合いですよぉ〜」って.
あのハイスペックババアなら,「そっちはダメよ.こっちにしなさい」って言ってくるだろうことは容易に想像できます.

当初は「これだから関東は・・」と思ってしまいましたが,人生いろいろ量販店もいろいろと諦めています.
だからなんですけど,もしかすると上記記事にあるように,ファッション分野以外のところに注力してきている影響が出てるのかなぁって思ったりしました.そこまで鮮やかに現れるわけではないでしょうけど.

もちろん,中にはきちんと対応してくれる店員さんもいるのですが,名札とか見てみると,どうやらAOKIには「認定スタイリスト」みたいな制度があるらしく,そういう人だとアドバイスもしっかり受けられるようです.
店に入ったら極力その人に対応してもらえるよう微妙にアピールしてました.あっちも私のことを覚えてくれたぞ,って思ってたら,最近店を異動になったっぽい.以前までレジに飾ってあった,認定スタイリストの証書みたいなのが無くなってたから.

で,そんな中での「初めてのオーダーメイド・スーツ」というわけですよ.
きっかけは卒論学生からのプレゼントですが,この機会に量販店とは違う体験をしてみようと.

そしてスーツを作って1ヶ月になりました.
卒業式を含めて何度か着る機会があったわけですが,実のところ,量販店で購入したスーツとの目立った違いはあまりないのが実情です.
今回作ったスーツが「やや英国調のクラシックなもの」だったので,生地もシルエットもこれまでの手持ちのものと違うのはたしかですが,それを言い出したら量販店でも似たようなものは手に入ります.AOKIにもパターンオーダーのスーツがありますから.
これから先,時間を経ていく中で違いが現れてくることも予想されますが,今のところはそんなに劇的な差は感じません.

ただ,同じ値段クラスなのにサイズピッタリ,デザイン自由のものが手に入るのは大きなメリットでしょうね.
これまでAOKIでは「体型に合うスーツ」を手当たり次第着てみて決めていたのが,「これがいい」というものを作れるわけですから.

逆に言えば,AOKIのように量販店でスーツを購入するメリットとしては,完成品を試着して購入できるので,「間違いない」ものが手に入る安心感があります.
詳しくアドバイスをもらえる店員に対応してもらえれば,細かいサイズ調整もしてくれますので.
その一方で,あまり詳しくない店員が相手だと,「余計なこと言って失敗したくない」という遠慮もあるでしょうから,オプションによる別料金を払わせずに既製品をそのまま売ろうとする力学が働くのは仕方がありません.その場合,こちらからいろいろと注文しなきゃいけないことになりますが.
そんなわけで,私としては,オーダーメイドのお店ではかなり詳しく店員からアドバイスや評価がもらえるので心強かったです.
オーダーメイド店の強みはここが大きいかもしれません.

ところで,この度オーダーメイド・スーツを作った際に一番感動したのが,実はスーツの方ではなくシャツだったんです.これについては前回記事で書きました.
初めてのオーダーメイド・スーツ(2)

シャツなんてジャケットの下に着るんだから適当なもので大丈夫と考えていたのですが,よくよく考えれば夏場はジャケットを羽織らないし,今回のオーダーシャツだと裾が醜く上がってこない事がすっかり気に入ってしまい,今後はサイズにこだわることにしました.
私の体型だと,既製品ではどうしても腹回りがブカブカヨレヨレになっちゃうんですね.
それに困っていたのですが,最近になって,なんとAOKIでもパターンオーダーによるシャツを作ってくれることを発見したんです.昨年から始まったそうですね.

ほらね,こういうことを紹介してくれないんですよ,ここのAOKIでは.こっちはずっと「もっと腹回りをすっきりまとめたいですねぇ」って言ってたんですから,「では,オーダーすることもできますよ」って紹介してくれれば,もっと早く注文できたのに.

そんなわけで,有名オーダーメイド店のオーダーシャツとAOKIのオーダーシャツにどんな違いがあるのか検証してやろう,と考えて注文してみました.
なお,まだ受け取っていませんので,今回は注文状況だけのご報告です,.

タブレット端末を使って入力していくんですけど,案の定,ここのAOKIの店員からは細かいアドバイスは受けられませんでした.ご自由にどうぞって感じなんです.
でも,今の私には既にオーダーシャツの着心地やサイズ感の知識があります.これを頼りに模索していきました.
見本を着ながら注文していくもので,基本となるS〜Lサイズのシャツから,腹回りをもっと細く,袖をもっと長くなどと,意外と各パーツを細かく微調整できます.よほどこだわりがない限り,これで十分な気もします.

サイズの違うシャツを着分けて,「どっちが適切ですか?」って店員さんに聞いても,「どっちでも大丈夫のようですよ」って答えてくるので,こりゃ当てにならないなと諦めて,例のオーダーシャツの着心地を思い出しながらサイズ変更していく感じ.
逆に言えば,見た目のサイズなんてのは,こだわりを持ってる人以外は気にならないものなんでしょうね.

今回は,ひとまず1着だけ注文.
あまり攻めたオーダーはしていないですが,とりあえず完成したものを着てみて,細かい調整は今後検討していくということで.
でも,そんなことするくらいなら最初からオーダーメイド店で作れよって話かもしれませんが.

そのうち,ついでにAOKIのオーダースーツも試してみようかなって思ってます.


2018年4月11日水曜日

国立新美術館の「ビュールレ・コレクション」に行ってきたよ

印象派好きとしては見逃せない.
そう思いまして,国立新美術館で催されている「ビュールレ・コレクション日本展示」に行ってきました.
これがそのチケット.


至上の印象派展 ビュールレ・コレクション(国立新美術館)
ビュールレ・コレクション(wikipedia)

感想としては,大変満足です.

「美術作品の良さがわからない」という人もいますよね.
こういう仕事をしているとそんなことを言う学生も時々いるのですが,その折に話すのが「美術作品をしっかり何度も見ること」と「本物をちゃんと見ること」を勧めています.
それで「つまらない」と思うのであれば,それはそれで美術に合わない人なのですから仕方ありません.

何度か野球を観戦してみて,しかも結構本気で選手や試合分析をしてみて,それでも「面白くない」と思う人は,野球というスポーツが合わなかっただけのこと.
無理して観戦しても幸せにはなりません.それと一緒です.
ちなみに,私は元野球選手ですが野球観戦は嫌いです.誘われて見に行くことはありますが,自分から進んで行くことはありません.プレーは好きなんですけどね.
美術にしても,見るのは嫌いだけど,描いたり彫ったりするのは楽しいという人だってたくさんいるでしょう.そんなものです.

「本物をちゃんと見る」ということについてですが,今は美術作品をネットで見れるようになったとは言え,やっぱり実物を肉眼で見るのとは大きく違います.
文書の推敲にしても,PCモニタで確認するのと,紙に印刷されたものを確認するのとでは,誤字脱字の発見とか文章スタイルの直しが違ってきますよね.あれと類似しています.
作者は,その作品が完成した時のサイズや見られ方などを全て考慮して仕上げています.PCモニタではそれが再現できません.
だから実物を見なければ,美術作品を楽しむことはできないんです.
私が一番好きな作品に,ゴッホの「花咲くアーモンドの木の枝」という絵があるんですけど,これがまた写真とかウェブ画面ではクソみたいな絵に見えるんですね.
なお,「花咲くアーモンド」ってのは,この絵です↓
フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」(wikipediaより)
ご覧の通りのつまらない絵ですが,実物を見ると感動します.そりゃもう目が釘付けになりますよ.ゴッホ美術館の数ある作品の中でも,「マジこれやべぇ!」ってビビったものの一つです.
お金があるなら数十億出しても手に入れたい.そんな人の気持ちも分かります.

そういう意味では,高度な贋作であれば,本物と同じ感動が得られるとも言えます.
私としては,高度な贋作は「偽物」と言えども美術作品としての価値は高いと考えています.こういうのは贋作というかレプリカというのでしょうけど.

「花咲くアーモンド」に感動した私は,その土産物売り場で実物大写真を見つけたのですが,やっぱりクソみたいな絵に見えるのでとても買う気にはなれず.印刷・コピーは実物の絵とは違います.
本物と同じ感動をくれる「花咲くアーモンド」の忠実なレプリカがあれば,ぜひとも手に入れたいですね.100万までなら出す.

話をビュールレ・コレクションに戻します.
今回は平日に行ったのですけど,それでもたくさんの人が集っていました.休日はもっと凄いんでしょうね.平日で正解です.
そうじゃなきゃ作品の前でまともに時間が過ごせないでしょう.流れ作業のような鑑賞になってしまうのは容易に想像できます.

このイベントのポスターや上掲したチケットに載っている目玉展示が,ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」なんですけど,目玉に設定されてることもあって,その作品の前は特にごった返しちゃって落ち着いて見れたもんじゃない.
空いてるタイミングを見計らって見るに限ります.
なお,実際に見た感想ですが,やっぱりあの髪の毛のルノワールらしい表現はハンパないですね.これも写真やモニターでは全然分からないところ.実物の鑑賞を強くオススメします.

出口の前には,これまた目玉展示であるモネの「睡蓮」.日本初公開なんですって.
ここが「写真撮影OK」になってるもんだから,皆さん携帯・スマホを取り出してこれでもかと写真撮りまくってます.
モネの絵を前に,家族揃って記念撮影している人がいます.「すみません.撮らせてください」と周りにペコペコ頭を下げてパシャリ.なかなか微笑ましいではありませんか.
それはまだいい.バカじゃないかと思うのは,「睡蓮」だけを必死になって撮ろうとしている他の大多数です.
巨大な絵の全景を正面から収めようと,鑑賞している私の耳元とか頭頂部とかでスマホを位置取りパシャリ(ピロロ〜ンとかも).さらには腰の前までかがみ込んできて撮影を頑張る人もいます.いい加減にしろ.落ち着いて見れないじゃないか.
上述してきたように,写真ではその絵の良さが全くわからないんです.だから無駄.
そもそも,「睡蓮」だけを写真で見るならウェブでダウンロードしてこれるじゃないですか.
ほら,こんな感じで↓
クロード・モネ「睡蓮」(国立新美術館:http://www.buehrle2018.jp/works)
自分で撮影するより,よっぽどキレイで高画質に手に入れられます.
ですから,どうせ撮るなら「家族写真」として撮影する方がなんぼか価値がありますよ.

ちなみに,この展示会で私が最も気に入ったのはピサロの「ルーヴシエンヌの雪道」です.
カミーユ・ピサロ「ルーヴシエンヌの雪道」(国立新美術館:http://www.buehrle2018.jp/works)
私は人物画よりも風景画や静物画が好きでして,ゴッホの「花咲くアーモンド」もそうですけど,こういう単調な中での微妙な色使いから生まれる鮮やかさに魅力を感じます.
あと,気に入る基準は「部屋に飾りたいか?」という点ですかね.

ゴールデンウィークになると大混雑になる恐れがありますので,空いている時に行くことをオススメします.

2018年4月2日月曜日

体育学的映画論「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

スティーヴン・スピルバーグ 監督『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を見てきました.
モリカケ問題に揺れる日本の政界との類似性とは関係なく,この映画は以前からちょっと関心があったので,公開して間もないこの時期から映画館へ.
モリカケ問題とベトナム戦争を同列には見れないですし.

社会派ドラマで,しかも平日の真昼間というのに結構お客さんが入っていたのが意外.
率直に言って,エンターテイメント性が低くて映画としての盛り上がりには欠けます.
ウィキペディアの記事を読んでみても,スピルバーグ監督は本作を手の込んだ作りにはしていないような節があります.
「スピルバーグの作品で「最も短期間で完成」した作品となり、「この映画は私たちにとっての『ツイート』のようなものです」とも発言をしている。」
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(wikipdeia)

実際,メリル・ストリープとトム・ハンクスの演技を楽しむ映画です.
特にメリル・ストリープは,「敏腕でもない元専業主婦が,大手新聞社の経営を頑張っている」という中年女性の姿を,わざとらしいんだけど,何故か自然に見えるという離れ業で演じています.
トム・ハンクスも老練な新聞記者を,これまたわざとらしく,且つ,自然に演じている.
これを見るための2時間と言っていい.

ただ,先述したように,エンターテイメント性は低い映画ですから,何人かのお客さんはイビキをかいて寝てました.
はっきり言って退屈な映画です.
さらに言えば,ベトナム戦争を対岸の火事のように感じる日本人としては,件のニューヨークタイムスによる機密文書スクープへの思い入れは皆無でしょう.
たぶん,「シン・ゴジラ」が国内ではヒットしたのに,海外では反応が低かったことと似ています.

けど,描かれている問題意識は日本にこそ重要な視点を提供しています.
本作でメリル・ストリープ演じるワシントン・ポスト社の経営者キャサリン・グラハムにつきつけられる重大な選択は,「報道の自由か,安定した経営か」ということになっています.
でも,私がもう一つ考えさせられたのは,彼女につきつけられているのは「ジャーナリズムに人間関係を入れない」ことではないかと思うのです.

作中にも描かれているように,かつてのアメリカの政治新聞記者は,政治家や有力者と食事会などを通じて友人関係を築き,彼らから新聞記事のネタを提供してもらうというものだったようです.
政治ニュースは大事件がしょっちゅうあるわけでもないですから,安定して政治ネタを得るためには,記者は政治家と仲良くして小ネタ・裏話をコンスタントに書くことの方が生活のためには有効です.

ところが,本事件をきっかけとして,そうした政治家と記者の関係が再考されはじめます.
キャサリンも,ペンタゴン・ペーパーズの当事者であるロバート・マクナマラ国防長官と友人関係にあり,文書の新聞掲載に悩み,振り回される姿が描かれています.
政治家と懇意にしておけば,政治記者として安定する.ただし,そのためには国家運営上の重大事を,政治家との関係を絶たないためにも揉み消す場面も出てくるだろう.
報道がそれでいいのか? なんのための政治ニュースなのか? という点が突きつけられているわけです.

劇中のクライマックスで,以下のようなセリフが出てきます.
「報道は国民のためのものであって,統治者のためではない」

そう言えば,いまだに政治家と新聞記者の食事会を重要視している国があります.
日本です.
もっと言えば,どちらかって言うと政治家のほうが積極的です.
安倍首相のマスコミ記者との会食についての情報公開請求とその驚くべき結果(BLOGOS 2015.9.6)
政治家とメディア記者の「近すぎる関係」、接待の手法とは(ライブドアニュース 2014.11.5)

「懐柔されるメディア・記者が悪い」という批判はその通りで,これは完全に記者の側に矜持が無いことが問題です.
だからこそ,「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」は日本の大手メディアにとっては見たくない映画だと思います.
「もう政界有力者と食事をしながら記事を書く時代は終わった」という趣旨のセリフが映画でも出てきますが,まだそんな時代にいるのが日本です.

大手メディアが馴れ合っていたとしても,個人・市民ジャーナリストがスクープすればいいのでは? と考えられますが,やっぱり情報発信力と波及力,取材のマンパワーと平常時の生活力に差があります.
それはちょうど,「今の日本の大学は研究できる環境にないというのであれば,個人で研究すればいいじゃないか」と言うのと一緒.

あの時のニューヨークタイムスとワシントン・ポストという大手メディアによる決断は,アメリカのジャーナリズムの姿勢を決定づけました.
別にアメリカに限らず,民主主義国では政治家とジャーナリストが食事会をしながら馴れ合うことはご法度とされているそうです.
政治家とメディアの会合 米は「コーヒー1杯」超えると癒着(News ポストセブン2015.6.4)
懐柔策か 取材機会か 首相とメディアの会食にはどんな問題があるのか?(THE PAGE 2015.3.17)

当たり前ですが,政治家としては自分や党のことをメディアに良く書いてほしい欲望があります.
でも,それをメディアに頼むのは卑劣な手法ですし,それを取引材料にコンスタントな記事を求めるジャーナリストはそれに輪をかけて卑劣です.
そもそも,政治家としてもメディア連中とつるむのは「李下に冠を正さず」に反することでしょう,これだけでも政治家として失格です.
関連することで,詳しくは前回記事に書きました.

ジャーナリストは,常に統治者の批判を続けなければいけません.
馴れ合って生活の糧にしていては,その存在意義がないのです.

なかには「良いことをしたら,その政治家を褒めることも大事」だとか言って,特定与党を持ち上げるメディアもあるようですが,これは論外です.
良いことをしようがしまいが,政治家を褒めるなんてトチ狂った考え.ジャーナリズムの死です.

ウォルター・リップマンというジャーナリストであり政治評論家が,ジャーナリズムの役割を「人々が正しい判断をするための材料の提供」と言っています.
そのためには,あらゆる視点から批判を続ける必要があります.
同質のものとして科学論文にも同じことが言えますが,人間が正しい判断をするためには,「褒める」必要などありません.褒めるかどうかは,その課題に向き合った個々人がすればいいことです.
ジャーナリズムもサイエンスも,「批判」にその存在意義があります.

最後に話を映画に戻すと,ラストシーンが粋な演出になっていて,さすがスピルバーグ監督だなぁって思わされました.

2018年3月31日土曜日

モリカケ問題の,そもそも何が問題なのかを思い出そう

2017年度も今日で終わり.明日から2018年度ですね.
あっという間の1年でしたし,もっと言えば2018年も4分の1が終わったことになります.

そんななか,元国税庁長官である佐川氏の証人喚問をするなど,いまだにモリカケ問題の一つ森友学園問題は盛り上がりを見せています.
ネットニュースでも,コメント欄なんぞを見ていると政府擁護派と批判派がシノギを削っておりまして,この国のなかなか醜い姿を拝むことができますね.反吐が出ます.

ここで本件における「そもそも」の話をしてみましょう.
擁護派も批判派も,この「そもそも」の部分をすっ飛ばして,「安倍愛し」「安倍憎し」でいがみ合っているようですので.

過去記事でも繰り返しておりますが,この事件は政治に限らず,組織運営とか会社経営ではよくある出来事です.
よくある出来事だけど,バレたらヤバい事なので,普通はバレないようにするものです.
で,それがバレちゃったので,その火消しをしている段階なんですね.

私としては,バレちゃいけない事なのにバレちゃって,しかも,スマートに火消しできていないことをもって安倍政権は無能と考えています.
こんな集団がまともに内政や外交ができるわけがない.
ましてや,北朝鮮問題とかデフレ不況問題とか災害復興問題などの喫緊の課題を抱えている日本において,モリカケ問題なんかで右往左往している政権は害悪でしかありません.
事実,安倍政権はこれら喫緊の課題に何一つ善処できていないことがそれを裏付けています.
早く退陣させないと,もっと大変なことになる.

モリカケ問題について,政権擁護派はドヤ顔でこんなことを言います.
いわゆる,「疑惑が無いことを証明するのは『悪魔の証明』だ」というやつ.
「悪魔の証明」迫られた安倍晋三首相 対抗策は次々裏目に… ダメージ回避に起死回生の一手はあるのか?(産経新聞2018.3.24)
実のところ,安倍総理本人も「悪魔の証明」が大好きで,よくそんなことを言ってます.

流行語大賞をとっても良かったんじゃないかと思うほど頻出するようになった,この「悪魔の証明」については,過去記事でも取り上げましたように,「彼がXであると証明できないのであれば,彼はXではない」と解釈するのは間違いだということを解説しました.
つまり,本件であれば「土地売買に安倍夫妻が関わっていることが証明できないのであれば,安倍夫妻の疑いは晴れる」とはならないわけで,ようするに多くの政権擁護派は安倍愛をこじらせて『悪魔の証明』を誤用・乱用しているんです.

細かいことは上述した過去記事を読んでもらうとして,「それは悪魔の証明だ!」と言って乗り切ろうとする奴に,碌な人間はいません.
推理小説とかドラマでも,「俺がやったという証拠はあるのか!あるなら出してみろ!」などと言い出す奴は,そいつが犯人か,そうでなくてもまっとうな人格のキャラじゃないですね.

ましてや,一国の政府,その総理大臣です.
悪魔の証明を盾にして逃げようとすること自体が大問題.こんな奴に国家を任せてはいけません.

これに関連したキーワードとして有名になったのが「李下に冠を正さず」でした.
私としては森友学園問題の主犯として最も臭う「日本維新の会」,その衆議院議員である足立康史がこんなことを言っていました.
「李下で冠を正した安倍総理に対して,犯罪者たちが周りを取り囲んで非難している,というのが今の国会だと思いますよ」(2017.11.15文部科学委員会)
足立議員としては,安倍総理はたんに「李下で冠を正してしまった」だけで問題ない,と擁護したいのでしょうが,そんな価値観で国会議員をやってもらっては困ります.
これぞまさに「悪魔の証明」とセットになる考え方ですね.反吐が出る.

文系に弱い人もいるでしょうから,「李下に冠を正さず」の意味と由来もお示しします.
李下に冠を正さず(コトバンク)
スモモの木の下で冠をかぶりなおそうとして手を上げると、実を盗むのかと疑われるから、そこでは直すべきではないという意の、古楽府「君子行」から
つまり,君子たるもの臣民から疑われるようなことをしてはならない,という教えなんですね.
それが出来てない日本国の君子たる安倍晋三は,その器ではないわけです.
やっぱりさっさと退陣するのが望ましい.

ましてや民主主義国家の首相たるもの,「李下で冠を正した」らアウトなんです.デブのババアが,ビーチでハイレグやビキニを着るのと同じくらいアウト.
これにいくら「悪魔の証明」を持ち出したところで.李下で冠を正したことへの反論にはなりません.
李下で冠を正すような状況にならないよう気配りを徹底しなきゃいけないし,その疑いがかけられたら,すぐに無実を証明できなきゃいけないのが役所の仕事であり,国家運営というもの.

もちろん,ババアがハイレグやビキニを着るのは自由だし,李下で冠を正したところで,即,お縄になるわけじゃないですが,人目のつく李下で冠を正したり,言い訳として「これは冠じゃないよ,カツラだよ」などと恥ずかしくトンチンカンなことを言い出す政治家に,政治家としての資質は無いし,まともな政治は期待できません.同様に,ハイレグを着るババアもまともじゃない.
実際,外交・内政に課題山積の日本を,良い方向に舵取りできてないですね.北朝鮮と向き合える状況じゃない上に,不況もより深刻になっています.

さらに言えば,今回の騒動で問題視されている「忖度」ですけど,批判派や野党もトンチンカンだから,「忖度があったか否か」などと騒いでいます.絶望的ですね.
「忖度」をどうやって証明するつもりなのでしょうか?
忖度とは,忖度実行者の中だけで処理されるものなのですから,誰にもバレないに決まっています.

これは,「総理や大臣からの指示の有無」にしても同じです.
総理や大臣が,文書や音声で「改竄しなさい」「書き換えなさい」などと指示を出すわけがない.
おそらくは秘書や関係スタッフあたりが,「わかってますよね」などと担当者の肩を叩くだけでいいでしょう.だって,現在の官僚の人事権は官邸が握っているのですから.

つまり,本件は「誰にもバレないように不正できる」のであり,「なんとでも言い逃れができる」事件なのです.
明確な指示を出さなくても「指示」になり,それを「忖度」させることによって意のままに操れる状態に,現在の内閣はあるのです.
これは内閣がキャスティングボートを握りやすいとも言えますが,常に手を伸ばせば李(スモモ)が食べられる状況とも言えるわけですから,それだけに慎重にならなければいけないはずでした.

で,見事に自爆した.
その上,言い逃れにドジって誘爆している.
そんな事件がモリカケ問題だった可能性があります.

だからこそ,本件の本質は,安倍晋三や夫人がスモモを食べたか否かを問うような話ではありません.
スモモを食べたんじゃないかと疑われ,それにまともに対処できない首相に,国家の運営を任せてはいけないという事件なのです.


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2018年3月23日金曜日

初めてのオーダーメイド・スーツ(2)

初めてのオーダーメイド・スーツ(1)の続きです.
受け取った段階で(2)を書きます,って言ってたので,故に(2).

あれから1ヶ月後,予定通りお店から納品の連絡があったので,受け取ってきました.

AOKIとかAOYAMAなんかの既製品と違う点ですが,これは他のネット記事と同じ月次な感想になってしまいますけど,やっぱり「作りがしっかりしている」んです.
さすが丁寧に作られただけのことはある.

受け取る際に確認のため試着.

まずはシャツ.
って言うか,さっきまで着てたシャツとは明らかに立体感や襟のハリが違うじゃないか!
いかにも高級シャツ.生地には上品な艶がある(まあ,そういうのを選んだんだけど).
私がさっきまで着てたシャツはAOKIのシャツでして,そのAOKIが出している「スリムタイプ」のなかでも更にスリム気味の「MAJI」というブランドのものなのですが,それよりも更に締まったシルエットになりました.
MAJI(AOKIのHPより)
やっぱ,既製品のシャツは「スリムタイプ」とは言え,平均に合うように作られているんですね.
私としてはAOKIのなかではMAJIくらいしかきちんとフィットしないと思っていましたが,オーダーメイドになるとウエストや腕周りがもっと細めに仕立てられています.
見た目ですけど,体型に沿っているのでシワが少ないのが分かります.
あと,帰ってきてハンガーに掛けてみたんですけど,立体的で厚みが違いますね.こいつだけ他のよりスペースをとってきます.
これがオーダーメイドのシャツか・・・.恐るべし.
今回,一番感動したのがこのシャツでした.

次にスラックス.
脚を入れようと手にした瞬間は,あれ? なんか大きめじゃないか? ゆるいんじゃないか?
という感触だったのですけど・・.
おぉ! 大腿部,臀部,腹部がぴったりジャストフィット!
店員は「基本より少し細めのシルエットにしています」って言ってましたから,履こうとした際の第一印象とは違うものですね.
たぶん,私が普段買っているズボンやスラックスはウエストサイズに合わせているので,臀部や大腿部も随伴して細めになってしまっているのでしょう.
私は仕事柄も「スポーツマン体型」なので,ウエストが細め,臀部と大腿部が太めですから.今回はそれぞれを私のサイズに合わせてくれているので,手にした時は太めに感じたものと思われます.
でも,見た目のシルエットはたしかに細め.
膝の屈伸運動をしてみました.私の動きにちゃんとついてきてくれる.変なつっぱり感もないし,ココらへんがオーダーメイドの良さなのか.

最後にジャケット.
おぉっ! これが「英国シルエット」なんですね(まあ,そういうのを注文したんだけど).
昨今のスーツの流行は,イタリアンな軽くて優雅な感じのものなので,私が持っているスーツもそんな感じですから,余計にその違いが鏡のなかで際立ちました.
鏡を見て「うわっ,なにこれ.全然ちがうやん」ってびっくりしましたから.
ちなみに,両者の違いはこのウェブページで比較紹介されていますので参考にしてください↓
ガッチリとした肩.厚みのある胸のライン.しっかり締められたウエスト.こうも印象が変わるものなのか.
思わず,「The name is Bond. James Bond」って言ってみたくなります.
「耐久性が良い生地なので,長く着てもらえると思います」と店員さん.
見た目も感触も,たしかに長持ちしそうな気がします.
生地は無地の濃紺,マットな質感のもの.いわゆる地味なやつを選んでいます.
でも,安物のスーツとは違い,上品な艶が現れるのが不思議ですね.
生地って重要.そう思わされました.

さて,今回買ったシャツやスーツが私に似合っているかどうかは第三者評価が必要ですけど,オーダーメイドする際に店員さんと相談しながら進めたものなので,一定の客観性はあるものと考えられます.
初めてのオーダーメイドですから,ほぼ店員さんに決めてもらったのが正直なところ.
ですが,いつものAOKIでもそうですけど,自分から「こういうのが欲しい」と頼むよりも,店員さんと相談しながら「私に合うものはどれか」を決めていった方が良いように思うんですね.
オーダーメイドにおいても,この法則性が通用するように思います.

何度か着てみたら,また報告します.


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2018年3月22日木曜日

ウインタースポーツの実習をする上で便利なグッズ

今年のウインタースポーツ・シーズンが終わりましたね.
冬は,私たち大学体育教員にとってはウインタースポーツの実習や研修をするシーズンでもあります.

ここを乗り切るのが「楽しい」人もいれば,「苦しい」人もいます.
指導者用の研修会に参加してみますと,その中にスキーやスノーボードが苦手で好きでもないのに必要に迫られて講習を受けている人もいたりするわけで.そういう人と話していると,大変なご苦労をされているんだなぁと,いたたまれない気持ちになるものです.
まあ,仕事だから仕方ない側面があるものの,こうした苦労をできるだけ抑えられるものなら抑えたいところです.

今回は,ウインタースポーツの指導をする人にとって,これがあると便利ですよ,というグッズや一工夫をご紹介します.

(1)ノイズキャンセリングイヤホン
私は今年からBoseのQuietControl 30を使うようになりました.以前は,同じくBoseのQuietComfort 20を使っていましたが,使い勝手は用途次第です.
QuietControl 30はワイヤレスタイプ.QuietComfort 20は普通のコードタイプです.
 

どうしてウインタースポーツにノイズキャンセリングイヤホンが便利なのかというと,宿泊を伴う授業や研修会によくある「相部屋対策」なのです.

同室になった人(たいていは同じ指導員や研修参加者)のイビキが凄いことがあります.こちらとしては寝不足になりますし,それを気にするだけでも大変ストレスです.その人にイビキが煩いと言ったところで,ご本人もどうにもできないのですからお互い傷つくだけです.
そこでノイズキャンセリングイヤホンが活躍します.

今年,爆音を轟かせる人と同室になってしまったのですが,このノイズキャンセリングイヤホンのおかげで全く苦になりませんでした.
ノイズキャンセルできるものであれば,音楽をかけなくても周囲の音を低減してくれますので,睡眠の妨げになりにくいですね.

いくつか留意点があります.
まず,ヘッドホンよりもイヤホンの方がいいです
BoseからはヘッドホンタイプのQuietComfort 35というのも出ていますし,こちらの方がノイズキャンセル機能は強力なんですけど.


私自身これを普段使いしているのですが,ヘッドホンタイプのものは着けたまま寝るのは邪魔です.それに,これを着けて寝てるところを相手の人に見られたら,なんか嫌でしょ.
なお,着けて寝る用途のためには,BoseのものであればワイヤレスのQuietControl 30よりも,QuietComfort 20のほうが扱いやすくて便利です.

宿泊を伴うスポーツ実習・指導にとって,その能率を高めるために実は最も重要な「相部屋対策」として,ノイズキャンセリングイヤホンは必須と言ってもいいでしょう.
これがあれば安心して指導や研修ができます.
(もちろん,普段使いとしても電車や飛行機で活躍します)

(2)加湿タイプのマスク
スキー場での宿泊における必須アイテムとして定着してきた感がありますね.


ウェアや手袋,ブーツなどを部屋で干すために,どうしてもエアコンや暖房を強めにしてしまいます.結果,乾燥した部屋になってしまう.

濡れたバスタオルやウェアを干していれば湿度が上がるんじゃないか,と考える人もいるのでしょうが,実はそんなことをしても湿度はほとんど上がりません.
実際,検証するために高性能な湿度計を持っていって測ってきました.もちろんホテルにもよるでしょうけど,タオルとかウェアを干したくらいじゃ湿度の変化なんて殆ど無いですよ.

なので,ご自身の喉を守るためには,パーソナルな湿度上昇環境が必要になってきます.
別に普通のマスクでもいいのですが,加湿タイプだと少し快適になります.体質に合う方を選びましょう.

(3)大量の乾燥剤
例えば,こんなやつなら安く大量に売ってます.


授業や研修会の最終日,撤収のために急いで荷造り.スキーやボードは宅急便で送るために濡れたままバッグに詰め込む,ということになります.
もちろんブーツも一緒に放り込みますし,私はウェアを担いで持って帰るのが面倒なので,それも一緒に入れてしまいます.

昔は板とブーツ&ウェアは別々で持って帰っていたのですが,やっぱり面倒くさいのには勝てません.帰り道は楽したいのが素直なところです.
そうなると,バッグの中でブーツやウェアが蒸れるのは必然.そんな状態で1〜3日経過するわけですから,季節柄カビることはありませんが,臭いが気になるのは確かです.
そんな時に,大量のシリカゲル乾燥剤が役立ちます.

ブーツの中や手袋にもポンポン放り込んでおきましょう.ウェアを詰め込んだポケットにも放り込みます.安いので躊躇せずバラ撒く.
何もせずに詰めた場合とは雲泥の差がつきます.

(4)トランシーバー
高度な機能のものでなくていいんです.安物でいいから,指導者であるあなたが受け持つ班の人数分のトランシーバーを用意しておくと,指導のしやすさは別次元になります.


最低限,チャンネル設定ができて,指導者の声が班の学生たち全員に聞こえるようにしておきましょう.って言っても,トランシーバーならいずれも可能でしょうけど.

え? 一班あたり10人くらいいるって? まあ,そのあたりは大学の予算で捻出できればいいですね.
履修者全員に対応することは難しいかもしれませんが,現時点では班単位での話,特に初級者班において重要性が高いです.もちろん,上級者でも役立ちますが.
なんせ,滑りながら声を使った指導ができる(かつ,それを受講者全員が共有できる)のが最大のメリット.
「はい! 今のいいねぇ.あ! さっきのタイミングはダメだよ」などと言えることは,受講者にとっても分かりやすくなります.

なお,スマホやiPhoneなら,トランシーバー・アプリがあるようです.例えば,「Zello Walkie Talkie」というアプリがあります.
Zello.com(ZelloのHP)
ただ,これは通信料がかかってしまうし,全員がスマホ・ユーザーだという確証があるわけじゃないので,私自身これを学生相手に試したことはありません.
学生側が皆スマホユーザーで,「多少の通信料はOK」と同意してくれるのであれば,利用してみる価値はあるのでしょうけど.
テクノロジーがもうひと踏ん張りしてくれれば,ウインタースポーツの指導も大きく変わるかもしれませんね.
ひとまず,こんなところでしょうか.続きがあったらまた紹介します.


2018年3月21日水曜日

それでも森友学園とか加計学園問題を議論している場合だ

世間はすっかりこのニュースで埋め尽くされてしまいましたね.
私個人としてはあんまり興味ないんですけど,時事ネタなので乗っかっておきたいと思います.

最近になって,メディアではいろいろ細かい話題が出てきていますが,これらを使って妙な憶測・推測を展開するのもつまらないので,このブログでは根本的なところから整理してみようと思います.

本件については,過去記事があるので,そちらもどうぞ.
森友学園とか加計学園問題なんて議論している場合だ
やっぱり森友学園とか加計学園問題は議論している場合だった

これらのニュースについては,
「現在の日本の置かれている状況をみれば,モリカケ問題なんて議論している場合ではない」
などと安倍晋三を擁護する発言もあるのですが,私としては,そうやって「議論」している一人に安倍晋三ご本人も含まれているようですから,きっと日本は「そんな場合」なんだと心穏やかに見ています.

考えてもみてください.
もし私が日本の総理大臣で,今まさに北朝鮮だとか大規模災害だとか不況脱出だとかに取り組まないと我が国は大変なことになると本気で考えていて,しかも,モリカケ問題が本当に潔白なのであれば,自身のクリーンさを証明するものを強引にでも提出して事態の収拾に努めます.

それこそ,(本当に潔白なのであれば)しょうもないデマと言いがかりに付き合っている暇はないのですから,自分が本当に取り組みたいことに集中するためにも,野党やメディアを黙らせる対応をすれば,国会でモリカケ問題とかスパコンの話で時間をとられることも少なくなるでしょう.

ところが,安倍晋三はいつまでもこの話題を引き伸ばしています.
「モリカケ問題よりも大事なことが・・・」と憤る人もいますが,もしモリカケ問題での疑惑が本当だったら,安倍政権では北朝鮮だとか憲法改正などと言ってられる事態ではなくなります.
まともな政治家じゃない人達に,日本の有事や憲法を任せてられないからです.
だからモリカケ問題はモリカケ問題として,徹底追求するのが野党政治家やジャーナリストの仕事です.

想像してみてください.
あなたがタクシーに載ったとして,もしその運転手がチンパンジーだったらすぐに降りますよね.
間違っても「今は早く目的地に着くことが優先だから,運転手がチンパンジーかどうかを気にしている暇はない」とか「道路が渋滞していることの方が問題」などと言ってる場合ではありません.
「こいつじゃ車を運転できないだろ」ということの方が問われるべきです.

「代わりの運転手がいない」とか「車を運転できるチンパンジーもいる」などとアクロバティックに擁護する人がいますが,ナンセンスです.
そもそも,チンパンジーに公道を運転させるのは犯罪です.
なぜこのタクシー会社はチンパンジーを運転席に載せたのか? ということを問う必要はありますが,それよりもチンパンジーを運転席から引きずり下ろすことの方が先.

実際のところ,モリカケ問題は限りなくクロに近い話だとは思いますよ.
そして,安倍晋三にとっては北朝鮮や自然災害といった日本を取り巻く有事や,不況脱出といったことよりも,自身の政治生命の方がウエイトが大きいものとして映っていることでしょう.
だからここまで引っ張ってこれた,としか表しようがないではありませんか.

それに,北朝鮮にしたって日本は蚊帳の外ですし,現状,主体的に何か検討すべき課題があるわけでもないし.
そう言えば,昨年はミサイル実験が行われている最中に選挙もやってました.余裕ですね.
つまり,森友学園・加計学園問題は議論している場合なんです.
北朝鮮だとか災害対応,不況脱出を差し置いて議論できちゃうのが今の日本ということです.

チンパンジーに車の運転はできません.
それと同様,モリカケ問題を終息させられない政治家は,デフレ脱却を謳いながら消費税を上げようとするし,1億総活躍を謳いながら移民労働者を入れようとします.
チンパンジーはアクセルとブレーキを同時に踏むかもしれませんが,むしろモリカケ問題を終息させられない政治家はギアをバックに入れてアクセルを全開にするのです.


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2018年3月13日火曜日

もう一度,森友学園問題をまとめてみた

昨日記事を書いた後にも,これに関するニュースが続いています.
いわゆる森友学園問題です.

たとえばYahoo!ニュースには,ネット閲覧者らが書き込める「コメント」の機能がついていますが,そこでは様々な議論が展開されています.
なんだかデタラメな議論も混ざっているので,ここで改めて森友学園問題を整理してみましょう.

なお,前回記事と,
やっぱり森友学園とか加計学園問題は議論している場合だった
過去のまとめ記事はこちらです.
森友学園問題をまとめてみた

過去のまとめ記事でも書いたことですが,この問題で最も重大な部分は,
「なぜ,9億5600万円の土地が1億3400万円で購入されたのか?」
ということと,最近になって出てきた問題として,
「なぜ,決裁文書を書き換えたのか?」
ということです.

土地売買に政治家が関わったことを問題視したり,それに対し「土地売買に政治家が関わること自体は問題ない」などと論争になっていることも見かけますが,こんなことどうでもいいことです.

この問題の本丸は,土地が不当に安く売買されたことと,そのプロセスに大きなパワーを持った人物の関与が見えること,そして,不可解な決裁文書の書き換えが行われたことです.

約8億円もの値引きが可能だった理由として妥当なものは,
(1)事情があって,この土地だけ安い
(2)安く購入できるようにした人がいる
ということになるでしょう.

(1)については,籠池氏は「ゴミが埋まっているから」という理由を挙げて交渉していましたが,後にこれはデタラメであったことが判明しています.
しかも,この「ゴミが埋まっているから値引きしろ」という要求については,交渉相手である近畿財務局は,当初「そんなこと言われても困ります」と突っぱねていたようです.
ところが,最終的にはこの要求が通って約8億円の値引きに成功します.
つまり,無理筋だった要求を通した,(2)の人物がいる可能性が非常に高いわけです.
※詳細は前回記事をどうぞ.

(2)の人物としては,問題発覚直後である昨年に有力視されていたのが,
・安倍晋三(および昭恵夫人)
・松井一郎(および橋下徹)
・稲田朋美
といった面々でした.
今では,安倍晋三および昭恵夫人が非常に有力視されておりますが,私としては松井一郎と橋下徹(および維新の会関係者)もかなり怪しいと思います.
※っていうか,ここだけの話,維新の会関係者が一番臭います.

というのも,前回記事で少しだけ触れたことですが,学校・大学といった教育機関の設置には,非常に冗長で慎重な手続きを踏むプロセスがあります.
一時期,大学設置認可が下りるはずだったところに,田中眞紀子とかいう迷惑オバサンがスタンドプレーのために認可取り消しをしたことがあって,それが大問題になったことがありますよね.
大学設置不認可について,大学教員として言いたいこと
あの当時,一般の方々やメディアの一部からは,認可の途中段階なのに建物が出来上がっているとか,教職員の採用が決まっているというのは不自然ではないか? という指摘がありましたが,そんなことは,この業界では極めて普通のことであり,むしろ,そうでなければ開校・開学はできないことは常識です.

つまり,教育機関の設置というのは,土地売買や校舎建築,教員人事などが足並みを揃えて行われていくのであり,「開校する」ことが内定すれば,プロジェクトチーム(学校設置担当者)は1〜2年間は天手鼓舞になって手続き処理に追われるものです.

逆に言えば,教育機関の設置をスムーズに進めるためには,開学の内定をもらうことが非常に重要ということになります.
内定をもらいさえすれば,あとは「内定」を錦の御旗として多少の強引な手段もできます.

ですから,籠池氏が国会に証人喚問された時に言った「松井一郎氏にハシゴを外された」との発言はよく理解できます.
籠池氏としては,大阪府知事の松井一郎氏をはじめ,安倍昭恵夫人その他の政治家から口利きを受けて「開校内定」をもらっているのだから,土地売買や補助金利用等については,後で帳尻合わせができると考えて強引な手法をとっていた可能性があるのです.
それを匂わすのが,証人喚問でのこの発言です.詳しくはリンク先を御覧ください.
詳報(8)「松井一郎大阪府知事にハシゴを外された」「アヒルの水かき運動のごとく近畿財務局に何回も何回も…」(産経新聞2017.3.23)

つまり,こういうこと.
松井一郎氏をはじめとする政治家の口利きによる学校設置として,土地取得のため近畿財務局に圧力をかけてもらった.その時の値引きの交渉材料はなんでもよく,もっともらしい「ゴミが埋まっている」というネタを思いついたので,それを使った.
いよいよ開校に漕ぎ着けようとしていたところ,不正な土地売買がニュースになってしまい,これに乗じて松井一郎氏が掌を返してきた.
といったところでしょうか.

もちろん,本件が「松井一郎」という小者一匹だけで成り立っているとは思えませんので,そこに安倍昭恵夫人がからんでいるであろうことが推察されるわけですよ.
実際,昨日になって提出された「書き換える前の決裁文書」からは,政治家や安倍昭恵夫人の名前が消されていましたが,私がそれよりも重要だと思うのは,「事案の経緯」とか「土地売買の経緯」「契約の経緯」がバッサリと削除されていることの方です.
書き換え前後の決裁文書がウェブで公開されています↓
【全文書を比較】森友文書の改ざん前後(毎日新聞)

これを見比べれば一目瞭然で,籠池氏と大阪府および近畿財務局とのやり取りが,書き換えられた決裁文書では分からない状態になっています.
実際,上記リンク先の22ページの土地売買に関する経緯の削除された部分では,9億5600万円の土地が1億3400万円になった理由が書いてありました.
そこにはこうあります↓
学園の提案に応じなかった場合,損害賠償に発展すると共に小学校建設の中止による更なる問題発生の可能性があることも含めて,当局及び大阪航空局にて処理方針を検討した結果,学園の提案に応じて鑑定評価を行い価格提示を行うこととしたものである.
素人目に見ても,ここには何かしらのパワーが働いていますよね.

ニュースにもなっていますが,こうした書き換えは政府の国会答弁に合わせて改変されている可能性があるとのこと.
もしそうであれば,これは議会政治の根幹を壊す重大な事件です.
近代日本最大規模の政治犯罪と言えるでしょう.

例えば,安倍晋三の「私や妻がですね,この認可,あるいはこの国有地払い下げにですね,もちろん事務所も含めて,一切これは関わっていないということは明確にさせていただきたい(2017.2.16)」という発言は,書き換え前の決裁文書にある,
なお、打合せの際、「本年4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから、前に進めてください』とのお言葉をいただいた。」との発言あり。
という文言と整合性がとれなくなってしまいます.
当然のことながら,この文章だけでは安倍昭恵夫人が小学校の認可や土地売買に関わっているとは言えません.しかし,それを匂わす文章があると,あとで政治家やジャーナリストに調べられた時に突っ込まれる恐れがあるので,それを未然に防ぎたかった可能性が高いですね.
となると,書き換えは官僚自身の保身からではなく,彼らの人事権を握った政府,もっと言えば安倍晋三からの圧力と考えるのが素直な解釈です.実際,世間はこの話題で持ちきりですから.

あとは,こうした「これまでの経緯」の記録を詳しく知られては困る人からの書き換え指示があった,というもの.
書き換え前後の決裁文書を読んでもらえれば分かりますが,書き換える前の文章には,経緯や手順が事細かく記録されています.
どうしてこんなに丁寧な記録をバッサリ切り捨てなければいけなかったのか.と考えると,やっぱりこれらのどこかに不正な口利きを読み解くヒントが隠されている可能性が高いわけです.
で,その記録を最も読まれてほしくないのは,大阪府を牛耳っていて,森友学園・籠池氏と懇意にしていた政治家ではないのか? というのが私の見立てです.