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一般的なセクハラ問題を論じる

先日まで財務次官セクハラ問題に触れてきたわけですが,
そろそろ飽きてきたので,一般的な話もしてみましょう.

海軍だった祖父から存命中に聞いた話ですが,旧日本軍の理不尽さを象徴するものとしてメディアでよく見聞きする「上官からの鉄拳制裁」は,そのほとんどが理不尽なものではなかったと言っていました.
そりゃもちろん,「理不尽な状況」での鉄拳制裁は理不尽だと感じるんですけど,現在伝えられている「旧日本軍の鉄拳制裁」は誇張が過ぎるということです.
「殴られた奴は,殴られるような奴だった」というのが祖父の印象.
殴られる奴は,それなりに理由があって殴られていたとのことです.

もちろん,だからと言って上官が部下に暴力を奮って良いということではありません.
何かにつけて暴力で指揮系統を保とうとする組織が,まともに機能するわけがない.
例えば同時期のアメリカ軍では,かの名将ジョージ・パットンが,負傷した部下を「臆病者」と罵り殴ったことで,指揮官をクビにされるという重い処罰を受けています.
ジョージ・パットン(wikipedia)
名将であろうと,軍事組織であろうと,暴力を使って運営することは許さない,というのが,大きな成果を得る上でも理性的な判断なのです.

旧日本軍による部下への鉄拳制裁は,負けが込んできた中にあって苛烈になっていったとされますから,追い詰められて正気を保てなくなった上官ほど部下に八つ当たりしたという側面もあるでしょう.
そういう意味でも,日本はアメリカに勝てっこなかったわけです.

さて,これをセクハラ問題と強引に結びつけようと思うわけですが,私の経験上は,「セクハラで訴えられる奴は,セクハラで訴えられるようなことをしている奴だ」ですね.

セクハラを訴える方にしたって,好きで訴えたいわけじゃない.
できれば穏便にしていきたいのが一般的な感覚です.ましてや日本人ならそう考える傾向が強いでしょう.
昨今のセクハラ報道のたびに,「こんな調子だと,なんでもセクハラで訴えられるようになる」などと煽り立てる人がいますが,そんなものは杞憂です.
そいつ,どんだけセクハラで訴えられるのが怖いんだか.

訴える方だってリスク背負ってるんです.それで人間関係が崩れるのが嫌だろうし,反撃されるのだって怖い.できるだけ訴えずに済ませたいのが本音でしょう.
その高いハードルを乗り越えてでも訴えようというわけですから,よっぽどそいつを「セクハラで訴えたい!」という強い意志がなければ,セクハラ問題なんてのは滅多に発生しないことは容易に想像できます.

私自身はこれまでにセクハラ騒動に巻き込まれたことはありませんし,自分で言うのも恥ずかしいですが,仕事を共にした女性達からも紳士として評判もいいんです(笑).
どうすればセクハラで訴えられるような状態に持っていけるのか,逆にその行動原理を聞いてみたいくらいです.
だからでしょうけど,女性からセクハラ相談を受けたことが何度かあります.ちなみに,それらは主に教育現場での学生,職員,教員からです.

そこから言えるのは,上述したように「セクハラで訴えられてもおかしくない奴」が加害者として上がってくるんですよ.
はっきり言って,「まさかあの人が!?」なんてケースに出会ったことはありません.
全て「あぁ,やっぱりね」です.
ようするに,普段から私の基準・感覚からして強いセクハラ行為をしている奴です.

もっと言えば,「セクシャル・ハラスメント」だけではなく,ハラスメント行為全般が危険水位だったりする.
つまり,セクハラで訴えられる人ってのは,その人自身「ハラスメント行為」に対する認識が弱く,常時周囲にハラスメント被害を撒き散らしているわけで,その被害から逃れたい人が,たまたま理由に持ち出してきたのが「セクシャル」なハラスメントだったというケースがほとんどだと思うんですね.

ですから,「セクハラ行為と,そうじゃない行為の違いが分からない」とか,「同じ行為をしても,OKな人とNGな人がいるのはおかしい」などという主張はナンセンスです.
「セクハラ」というのは,そいつのハラスメント行為全体を総合評価した上で,たまたまセクシャルな部分が酷かった場合に選択される,ハラスメント被害の「理由」の一つでしかありません.

もっと簡単に言えば,セクハラで訴えられるような奴は,他のハラスメント領域でもアウトな行為をしているんですよ.「もうコイツ,ホントいい加減にしてほしい」って.だから訴えられた.
なので,上述したように「セクハラで訴えられる奴は,セクハラで訴えられるようなことをしている奴だ」ということ.

中には「セクハラさえなければ,それ以外は物凄く良い人なんだけどねぇ」っていう稀有な人もいるでしょう.
けど,そういう人はセクハラで訴えられるようなレベルまでいきませんよ.たいていは「物腰が柔らかくて謙虚なんだけど,下品なイタい奴」で済まされます.
それに,「物腰が柔らかくて謙虚」なので,もともとハラスメントに対する配慮ができる人なんですから,周囲の誰かが「お前ちょっとやり過ぎだぞ」と言えば抑えが効きます.

難しい話ではありません.
相手を不快にさせないコミュニケーションを心がけさえすれば,セクハラなんて気にしなくて済むんです.
もっと言えば,別に「不快にさせない」ことを目指さなくてもいいでしょう.怒らせなければいいのだし,無礼なことをしないという,極めて簡単な話です.
そしてそれは,「これはOKで,これはNG」などという線引きやカテゴライズができるものではなく,相手との動的関係の中で作り出されるものです.

言い換えれば,セクハラで訴えられることにビビっている人ってのは,どうすれば相手を怒らせずに済むのか分からない,もしくは人類に普遍的な礼儀を知らないということです.
これは別に煽っているわけじゃなくて,そういう不安も分からないではないんです.
だからマニュアルを求めてしまう.
「セクハラで訴えられないようにするには,どうすればいいの?」って,そんなバカバカしい問いがあるかって私は思っちゃいますけど,ある意味では難しい話なのかもしれません.

似たような話として「マナー」を取り上げたこともありますので,その記事も読んでみてください.

ハラスメントの話って,いじめ問題とかマナー問題と非常に強い関係があると思うのですが,かなり込み入った話をしなければいけないので,これについては機会を別にして論じてみたいと思います.