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体育学的映画論「運び屋」

前回の記事,
井戸端スポーツ会議 part 57「イチローが引退:頭を使わなくてもいい野球になりつつある」
で,イチロー選手が言及したかったのだろうと推察される話として,「セイバーメトリクス」によるゲーム分析と選手評価のことを挙げました.
で,その話が理解しやすいオススメ映画としてブラッド・ピット主演の『マネーボール』をご紹介したのですけど,これに関連してもうひとつ,この昨今のメジャーリーグ業界を扱った映画に,クリント・イーストウッド主演の『人生の特等席』があります.
人生の特等席(wikipedia)

『マネーボール』は,セイバーメトリクスによるスカウティング業界のイノベーションを好意的に捉えている映画であるのに対し,『人生の特等席』の方はと言うと,そのセイバーメトリクスによって立場が失われつつある老いたスカウトマン(クリント・イーストウッド)に焦点を当てています.

あんまり言及しちゃうとネタバレになってくるので詳細は控えますが,『人生の特等席』は,「人の目によるスカウティングの重要性」と,「メジャーの世界にもスカウトマンを含めた人情味が必要」をテーマにしています.
それ以外の部分でも,いろいろちょっとステレオタイプが過ぎる脚本の映画に思えますけど,クリント・イーストウッドが主演する映画なので気になりません.
絵に描いたような,「時代の変化に抗うアメリカの頑固ジジイ」をみせてくれています.
イーストウッドが演じる何気ない仕草一つ一つのクオリティが高い.それを眺めているだけで十分に満足できる映画です.

そもそも,この映画は野球選手のスカウティングではなくて,父娘関係が主要なストーリーではあるのですが,それらを通して「古き良きアメリカのスポーツ」,そして「社会」を論じていることに違いはありません.
と同時に,これがセイバーメトリクスによって失われつつある「古き良き野球」なのではないか,そして,それがイチロー選手のいう「危機感」の正体ではないかと考えさせられたりするんです.

過去記事でも言及していますが,その国・社会の在り方は,その国や社会のスポーツに投影されるからです.
井戸端スポーツ会議 part 54「やっぱりスポーツは社会を投影する」

というわけで,『人生の特等席』で論じられていたことを,スポーツではなく「犯罪」を舞台に見せてくれたのが,今回ご紹介するクリント・イーストウッド監督・主演の『運び屋』です.
ちょっと前に映画館で予告を見てからというもの,期待に胸を膨らませていました.

で,期待通りのクリント・イーストウッド映画でした.
もう上映してる映画館は少なくなってきているかもしれませんが,映画館じゃなくても,後日DVDを借りてみるべきオススメ映画です.
こちらでもイーストウッドの「アメリカの頑固ジジイ」が見れます.

先日,新宿の映画館で見てきたのですけど,なぜか周囲は外国人ばかりでした.
もともと東京は外国人在住者が多くなってきているのですけど,それでも半数以上の席を外国人が占める状況.
とても国際的になってきましたね.

別にそれはいいのですが,映画を見ていて,その外国人たちがいちいち分かりやすくリアクションするのが私の性に合わない.
ちょっとでも面白い場面では大げさにケラケラ笑うし,イーストウッドが黒人を「ニグロ」と呼べば「Oh〜!」と判で押したような声を出す.
一人二人ならいざ知らず,皆して声を出すからやっぱりうるさい.

黙って見てればいいのに.
周囲に分かるほどのリアクションをしたくなるようなシーンなんかないだろう.
日本では静かに映画を見るもんだ.
って思っている自分を俯瞰してみたら,これってイーストウッド演じる「頑固ジジイ」の姿そのものですよね.
グラン・トリノ』もそんな感じだった.

深く考え込むことではない,ということを深く考えさせられる映画だと思います.
生きたいように生きていけばいい.良いものを良いと評価すればいい.自分がやりたいことを素直にやればいい.
めちゃくちゃ簡単なことだけど,簡単にできない人間の葛藤を描いているのが,クリント・イーストウッドの映画です.

今回の『運び屋』で演じている主人公にしても,彼はアメリカの麻薬流通に大きく貢献しており,彼の「貢献」のせいで人生をボロボロにした人たちがたくさんいるはずなんです.
でも,その点について映画では言及されません.

むしろ,彼は麻薬の運び屋をすることによって,周囲の人々を幸せにしていくことに充実感を得ています.
私としては,これこそが,いかにもアメリカという国の在り方を象徴しているようで興味深く見ることができました.

ラストにしても,主人公は逮捕されて刑務所に入るわけですけど,実はその刑務所生活が彼にとって幸福なものになっていることが面白い.
自分が幸せになることを追求することが,結局は周囲の幸せになる.
もちろん,その「幸せ」の裏では不幸になる人達がいる.
でも,だからどうした.
ということを,かなり特殊な境遇にある男を通して見せてくれている映画です.

クリント・イーストウッドは,2016年の大統領選挙でドナルド・トランプを消極的に支持しました.
クリント・イーストウッドがトランプ氏支持 「軟弱な時代だ。誰もが発言に細心の注意を払う」(ハフポスト 2016.8.5)
俳優、映画監督のクリント・イーストウッドは、現代はあまりにもポリティカルコレクトネス(人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること)にとらわれ過ぎていて、「軟弱な時代になった」と強く批判した。共和党の大統領候補ドナルド・トランプの人種差別的発言で気分を害したとしても、「そんなくだらないことは放っておくべきだ」と語った。

「古き良き偉大なアメリカ」とはどういうものか.
そもそも,そんなものがあるのか.
イーストウッドの映画を見ていると,私は「古き良き偉大なアメリカ」なんてものは存在しないんじゃないかと思うのです.
当然,トランプ大統領が説く「強いアメリカ」なんてものも理想ではない.

イーストウッドはそういうものを描いているわけではありません.
繰り返しになりますが,自分にとっての幸せを追求することで,周囲の人たちも幸せにできる.当然,その「私達の幸せ」の裏で不幸になる人達もいる.
でも,それが人間というものだろう.人間のできる限界というものだろう.
そんな姿を「アメリカの頑固ジジイ」を通して訴えているように思えます.