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選挙に行かない理由を探している人は、こちらを参考にしてください

選挙に行ってはいけない理由を解説します


本日は参議院選挙でした.
以前から「選挙に行かない」と公言している私は,当然のことながら今回も行っていません.

「私は選挙に行かない」と公言してる政治評論家や著名人も結構いらっしゃいますが,こうした,

「選挙に行かない」

ことを表明する人への風当たりは強いものです.
別に表明しなくても,「選挙に行かなかった」ことを非難する世間の声も大きいですよね.


ですが,特に政治や思想・哲学を専門にしている方々の中に「私は選挙に行かない」と言う人がいるのは,政治思想・哲学上のちゃんとした理由があるからです
しかしこの「選挙に行かない正統な理由」を説くのは憚られる傾向にありますし,世論や空気を読まなければならない一般社会に向けて発信されることが少ないのです.
それを今回取り上げたいと思います.


参考までに,私と意見が少し似ている人のものとして,岡田斗司夫氏による「選挙に行かない」理由を語っている動画を見つけました.
私と同意見ではありませんが,かなり似通ったところがあります.
※動画は1時間21分ありますが,開始5分〜42分まで(約37分間)が「選挙に行かない理由」についてです.


「選挙に行かない」と決めている人のなかには,その理由としてよく目にする,
「面倒だから」
とか,
「政治不信だから」
とか,
「無関心だから」
といったチャラいものではなく,もっと心の奥底に粘りついている,

「選挙に行くことに正統性や正義が見いだせない」

という,直感めいたものに従っている人もいるでしょう.


あなたの心の奥底に粘りついている,その言語化しにくい「選挙に行かない理由」を,ここで私がお示ししましょう.

いつもブログを読んでくれている人の中にも「いくらなんでも選挙には行かなきゃダメだろ」と思っている人もいるいるかと思いますので,そんな人には私が選挙に行かない理由を,納得できないにしても,理解してくれるのではないかと期待しています.






(1)そもそも,選挙は義務や責任ある行為ではありません.権利です.


よく目にする選挙に行かない人の言い訳に「義務じゃなくて権利だ」があります.
最もポピュラーなものですね.

しかし,「権利なんだから,それを行使しなかったからといって文句を言うな!」ではアッサリし過ぎかと思います.

それに,こうした「義務じゃなくて権利」には反論もあって,その中でも特に,
「投票しなかった奴は政治に文句を言うな!」
が最もポピュラーなものですね.

ここで重要なのは,
なぜ日本以外にもその他の主要国では,選挙が「義務」ではなく「権利」なのか?
という点です.

※ちなみに,数少ない義務投票制である国はこちらです.
義務投票制(Wikipedia)
さらに言えば,選挙を「完全」に義務にしている国はほとんどない事も分かります.

「権利と義務」は全く別の言葉ですし,全く異なる概念です.
権利がレベルアップして義務になるわけではありません.
その点を掘り下げれば,「投票しなかった奴は政治に文句を言うな」という反論がデタラメであることが分かりますし,「選挙権」がどういうものかも分かってきます.




(2)人類の歴史は,選挙と民主主義で失敗してきた歴史


一般民衆に選挙権を与えて投票させ,これによって政治的な決定をする「古いタイプの民主主義(直接民主主義)」は,人類の歴史上において遥か以前から行われてきました.

ところが,この民主主義による政治は100%失敗することが分かっています.

ここで言う民主主義は,デモクラシー(democracy)のことです.

古代ギリシャのアリストテレスも,著書である『政治学』において,民主主義による政治は,僭主政(非合法な手段による独裁政治)や,寡頭政(一部の特権階級による政治)と同様の,悪性の政治体制だと述べています.

そもそも,デモクラシーの語源は「デマ(扇動的な流言)」から来ています.

デマによる政治.

だからデモクラシーと呼ばれ,そんな危ない政治方法は「必ず失敗するからダメだ」というのが先人たちの忠告でもあります.


ところが,そんな先人たちの忠告があるにもかかわらず,人類はどうしても「民主主義」から離れられません.
この理由を語り始めると長くなるので割愛しますが,そのあたりについては記事の終わりにまとめた参考文献に詳しいので,そちらを御覧ください.





(3)改訂版民主主義をやってみた ←今ここ


人類の歴史があとどれくらい続くか知りませんけど,民主主義にこだわるタイプの人々は,様々な方法で民主主義を試している途中です.

イギリスの名宰相ウィンストン・チャーチルは,1947年の下院演説でこのように述べています.政治的な名言としても有名ですね.
これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。

民主主義がなぜダメなのか?
それは,つまるところ政治に民意を反映させてはいけないからです.
政治に民意を反映させようとすると,必ず衆愚政治に陥り,全体主義に取り憑かれた政治が始まります.

ところが,民主主義は「民が主となる」ことを目指しているのですから,完全に矛盾しています.
雑誌の怪しい広告欄にある「たくさん食べても痩せられる!」という謳い文句くらい矛盾しています.

ですから,そんな「最悪の政治形態」である民主主義には,様々な歯止めをかけて運用しようと考えられてきたのです.


1つ目は,選挙で直接的に政治判断を決定するのではなく,その政治的判断をしてくれる人,つまり「政治家」を選挙で選ぶようにしました.
これによって,政治家は議会で議論や討論をして政治をするようになります.
これが間接民主主義,議会制民主主義と呼ばれるものです.


ところが,この手法にも重大な問題があります.
民衆は,「政治的判断ができる人」ではなく,自分たち民衆の「民意を聞いてくれる人」を選挙で選ぶようになってしまうのです.
これでは,最悪の政治形態「民主主義」となんら変わりません.


そこで2つ目の歯止めを用意しました.
それが,憲法を定めて,それに則って政治活動をする「立憲主義」です.
つまり,民意を反映させるのではなく,予め定めておいた憲法やルールに従い,議会などで「議論する」ことを重要視するよう定めたわけです.

これによって,
民主的に選ばれた代表者が,議会政治を執り行う
という図式が出来ました.


しかし,それでもまだ「民意」を政治に反映させてしまう恐れがあります.
そこで,最後の手段が登場します.
民意を反映しやすい政治家とは別に,異なるもう一つのタイプの政治家も用意して議会運営するのです.
これを「二院制」と言います.

「選挙によって民衆に選ばれた議員」と,「貴族により構成された議員」の2つの議院を用意するところから始まりました.
例えばかつのての日本やイギリスでは,上院・貴族院議員(貴族による議員)と下院・衆議院議員(民衆の選挙によって選ばれた議員)の2つで構成されていました.

現在の二院制の多くは,議員を選出する選挙方法が両者で違ったり,解散総選挙の影響を受けないといった特権が付いていたります.
これによって,民意に左右されない政治的な判断ができることを期待されているのです.


ところが,最近の人類は,その二院制の機能について疑い始めました.
どうせ両方とも「選挙」で選んでいるのなら,一院制でいいじゃないか,と.
どうやら,人類は「直接民主主義」の悪夢を繰り返したいようですね.

過去を振り返ってみても,選挙しようが,二院制を敷いていようが,フランス革命で民主的な恐怖政治は起こるし,ナチスドイツは誕生します.
人類は民主主義が好きなのです.
その結果,100%失敗することが分かっていたとしても.



(4)選挙がダメな理由|権利であって義務ではないことの理由


これまでの話をまとめると・・・
そもそも,一般民衆が選挙なんぞで政治参加しようとすること,それ自体がデタラメなのです.

考えてみれば当然のことです.
よく,投票率が50%だとか60%だとかで「選挙に行く人が少ない!」などと言っていますが,日本国内に「高度な政治的判断が可能な人を判別できる人」なんて,実際のところ3〜5%くらいしかいないでしょう.

残りの95%以上は,無意味な人気投票をしていることになります.
それによって,メチャクチャな人間が政治家として当選したりする.

これは,日本人が選挙に行かないからではありません.
日本人の多くが選挙に行ってしまうから,トンデモな奴が当選してしまうのです.

自分のことを「立法府の長」と言い出す行政府の長を選び出したり,憲法に詳しくないと白状する改憲政権を誕生させ,あまつさえそれを支持し続けるのが民主主義です.


事実上,日本人の50%や60%を賢くすることは不可能です.
本当に賢い人間は,10%もいません.

私だって,自分が高度な政治的判断が可能な人物を選び出せるなんて思っていません.
だから選挙には行かないんだし,そもそも選択できる人いないし,他にやれることあるし.

これは選挙制度の問題ですので,「選挙に行った/行かない」で議論すること自体がバカげています.


「選挙で投票しなかった奴は,政治に文句を言うな!」
という人がいますよね.
でも,繰り返しますが,現在の政治システムというのは,民意を政治に反映させないよう慎重に工夫されているのです.
「選挙で投票する」っていうのは,フェイスブックのタピオカドリンクを飲んでいる記事に「いいね!」をクリックすることと本質的には同じです.

しかし,自由と平等に取り憑かれた近代人には,どこかの偉い人によって勝手に政治をされることが気に食わない.
だから俺にも口を出させろ,となります.

だからなんです.
そんな「俺にも口を出させろ」という民衆の捌け口を,選挙という形で叶えさせてあげているんですよ.


と同時に,選挙権が「権利」であって,「義務」ではない理由が分かってもらえたでしょうか?
選挙は,やらない方が国や社会のためなのです.
ところが,それだとイチャモンつけてくるバカがいるから,仕方なく「権利」と称して与えています.

よく,
「人類は,長い年月をかけて『普通選挙』の権利を手に入れた」
と言いますよね.
あれは完全なデタラメです.
義務にすると碌でもないことになるから,権利にしているのです.

人類は有史以前から普通選挙や直接民主主義みたいな事をやっていました.
しかし,これだと絶対に失敗するから,制限選挙や他の政治体制を考えてきたのです.

逆に言えば,「選挙で政治に参加しよう!」という言動が,どれだけ危険な思想なのかが分かると思います.

今日,出張先の町で,
「選挙に行きましょう.選挙に行かないことは,あなたの権利を捨てることです」
と扇動している選挙管理委員会の町内放送を耳にしました.

(5)どうして日本の政治がダメになったのか?


「日本の政治が崩壊している」
「政治家のレベルが下がっている」
という政治評論家のコメントを聞くことがありますよね.

でも,普段はなんとなく政治ニュースを見ている人にとっては意味不明な話題だと思います.
どうなっていたら「崩壊していない」のか?
どういうのが「本来の政治家のレベル」なのか?
しかし,これらは「選挙」の視点から考えると理解しやすいのです.


端的に言えば,現在の日本の政治(に限らないだろうが)は,政治的判断をする上で「議論」をしなくなったのです.

簡単に言えば,野党の反論や言い分を聞かなくなった.
以前の政治であれば,国会で議論して与党案がかなり修正されてから通ったり,いわゆる「骨抜き」になって有名無実化,または空中分解といったものがありました.

ようするに,野党(少数派)の意見を法律や行政に取り入れるための議論があったのです.

ところが,特に小泉政権の時代あたりから,与党のゴリ押しで政策や法律を通したり,選挙結果をそのまま政治的判断に反映させる「多数派の専制」が幅を利かせるようになったと言われます.

国会に限らず地方政治でも,自分が「選挙で当選した」ことを錦の御旗のように掲げ,
「私の提案は民意の賛同を受けている」
と反対派を黙らせようとする政治家がいます.

これは,民主主義による政治をする上で,最もやってはいけない政治家の態度なんです.

議会制とか,憲法とか,二院制が誕生した理由を理解していないのでしょう.
もっと言えば,その中でも特に極左の政治家は,直接民主主義や一院制を唱えていたりします.
安倍氏「一院制にすべき」(日本経済新聞 2011.2.9)
「議会主義とは何か」を知らない安倍晋三の正体(ベストタイムス 2016.11.19)

結構ヤバい状態です.
日本の民主主義は,最終段階である全体主義や衆愚政治へと突入しているとも言えます.



(6)じゃあ,どうすればいいのか?


文句ばっかり言って,何か改善策はないのか?
と思われるかもしれません.

最もシンプルな改善策としては,この状況にひたすら文句を言うことです.
それが国民として出来ること最も率直な行動です.

メディアやネット,出版でも街頭演説でもなんでもいい.
とにかく政治家や国民の目と耳に触れる機会を使って,政治に対する啓蒙をすることが大切だと思います.
(私の場合はこのブログや井戸端会議で啓蒙しています)


選挙に行ってもダメです.
物理的に考えても統計学的に捉えても,反対意見を選挙によって表明することなど全くの無意味です.
だいたい,選挙はもともとそういう仕組みじゃないんだから.

よく,「選挙によって政治家や政府に信任を与える」などと言いますが,そんなバカな話あるわけない.
国家や政府に,自分たちの生活を信任させちゃいけません.

現代において,国家や政府は絶対に信用してはいけない存在です.
ですから,常日頃から疑いの目をもって監視する必要があります.
それを担っているのがジャーナリストやマスコミと言えます.

マスコミが国家や政府を批判し,政治家を叩くのは,「反日」だからでも「左翼」だからでもありません.
それが本来の仕事だからです.
冗談ではなく,「有る事無い事すべて」を徹底的に叩いた上で,それでも残っているものが本当に大事なものなのです.

マスコミやジャーナリストとから疑惑を指摘されたり,手法や振る舞いにちょっとでも疑義のある政治家や政権は,その疑いを明快に払拭できないのであれば,すぐにやめなければいけません.
それが民主主義を採用した政治・政治家の基本姿勢です.
これについては,

「疑惑があったとしても,選挙で信任を得ている」
「ダメな政治家は選挙で落とせばいい」

などと言い出す人がいますが,全くナンセンスです.
もう一回,ホモ・エレクトスからやり直せ,と言うしかありません.

繰り返しますが,議会制民主主義における政治家の仕事は,民意を反映させることではなく,憲法と倫理・道徳に従い,議会で「議論する」ことです.

その議論においては,多数派の民意も,少数派の民意も等しく考察対象にならなければなりません.
もっと言えば,どちらの民意も退けて,より最適な判断を下すための議論をする必要もあります.

多数派の意見を優遇するなど,民主主義の政治には絶対にあってはならないのです.
そんなことしたら最後,全体主義と衆愚政治に陥ります.

おわかりですね,そこには「選挙結果」,ましてや「選挙で投票したか,していないか」なんて全然関係ないんですよ.


続編を書きました.
民主主義のためには「選挙に行ってはいけない」|「若者よ、選挙に行くな!」は正しい

※そもそも,なぜ投票しなかった人は政治に口を出してはいけないと言われるのか,そのメンタリティについても論じました.
なぜ「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」と言われるのか?


上述してきたことは,かなり端折ったものになっています.
今回の記事の詳細を知りたい人は,こちらの書籍を読んで理解を深めてください.


政治に「民意」を反映させてはいけない理由はこちら.



政治思想の本質部分を簡単に理解するにはこちら.



現在の日本の民主主義が抱えている問題はこちら.



三島由紀夫が日本の民主主義の将来を予想していました.


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