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なぜ「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」と言われるのか?
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選挙に行かない人を批判することは「民主主義」として間違っている
なかにはキチガイ地味た人もいて,「投票しなかった人は政治に口を出すな」
と言い出すこともあります.
むしろ,選挙に積極的に参加することは悪行にこそなれ,決して善行ではありません.
先日,国政選挙の機会にそんな記事を書きました.
■選挙に行かない理由を探している人は、こちらを参考にしてください
■民主主義のためには「選挙に行ってはいけない」|「若者よ、選挙に行くな!」は正しい
そんなような話を知り合いと談笑していたら,
「珍しい考え方を持っているんですね」
と言われました.
心外です.
「民主主義を成り立たせるためには,選挙に行く必要はない」
「むしろ,選挙には行かない方が良い」
というのは民主主義の基本です.
これは私の暴論でも,独自に言っていることでもありません.
ソクラテス,プラトン,アリストテレス,モンテスキュー,トクヴィル,チャーチルといった歴史上の賢者・政治家たちは皆,民主主義による政治の危険性を説いています.
歴史的事実としても,民主主義が活発になった国や社会は悪政・失政が蔓延し,結果的に崩壊しています.
例えば古代ギリシャ,フランス革命後のフランス,ナチス・ドイツなどなど.
私たちが,あたかも「民主主義が最良の政治体制」だと思っているのは,私たち自身が「民主主義国家側の陣営」だからに過ぎません.
自分たちの存在価値を貶めるような意見を普及させるわけがないですよね.
気にしていないだけで,民主主義のせいで滅んだ国,虐殺された人々はたくさんいます.
一方で,民主主義ではなく普通に生活を送っている国々もたくさんあります.
それに目を向けていないだけのことです.
この件については,上述した過去記事に詳しく書いていますので,そっちを御覧ください.
今回の話題は,
「選挙で投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」
というぶっ壊れた思考が,まるで「正論」の如くまかり通る理由についてです.
(1)なぜ「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」と言われるのか?
考えれば考えるほど不思議ですよね.
どうして,
「選挙で投票しなかった奴は政治に口出しするな」
という文句が出るのか?
それは,考えてしまうから不思議なのです.
今回はそれについて考えてみましょう.
政治のことを「政(まつりごと)」と言いますよね.
この「まつりごと」とは,「祭り事」と通じています.
つまり,「選挙」は「お祭り」なのです.
事実,選挙活動はまるでお祭り騒ぎになります.
皆,酔っ払ったようにはしゃぎ回るのです.
本来的に,人間は選挙と政治が大好きなんですよ.
ランキングとか番付とかを楽しみますし,AKB総選挙とか意味不明に盛り上がります.
そこにあるのは,選挙(投票)によって「可視化」することの価値です.
実際,「選挙」は「巽を挙げる」と書きます.
これは,日本や中国における神事の用語です.
また,英語の「エレクション:election」も,語源を辿ると「神に選ばれし者」を意味します.
そうした祭り(祀り・奉り)による行為,すなわち「祭り事」が「政」ということです.
だとすると,ここで重大なことに気づかれた方もいるかと思います.
本来の為政者は,神に選ばれし者でした.
それは神託であったり,運命的な勝利(戦争とかトラブル)を得た者です.
ところが,現代において「選挙をしている者」は誰かと言うと,これは一般大衆です.
つまり,現代における「神」とは,「一般大衆」を指すのです.
神となった一般大衆は,自分の判断が正しいと考えるようになりました.
自分が神なので,自分の下した判断よりも神聖で崇高な基準が存在するとは考えません.
それでいて己の独自性や多様性は認めず,多くの他者も,この私(神)と同じように考えているはずだと居直ります.
この矛盾した傲慢なメンタリティを持った人々のことを,保守思想家たちは「大衆」と呼びます.
話が長くなり過ぎるので割愛しますが,興味のある人はネットで,
「保守 大衆」
で検索すればたくさんヒットします.
「大衆」という神は,
「他人も自分と同じように考えなければならない」
と考えているので(だって私たち神だから),
「選挙に行かない」
「投票しない」
という神の存在意義を否定するイレギュラーな判断や行為が許せません.
さしずめ,
神である私の判断を支持しないのは無礼だ!
という神の怒りでしょうか.もうお分かりですね.
なぜ,投票しなかった人は政治に口を出してはいけないと言われるのか?
それは,選挙人(私)という「神」が下した判断に従わない者に対する妬みやっかみです.
事実,神は投票棄権者に対し,こう言います.
「その結果どうなっても自己責任だからな!」
その「結果」を受けるのは,投票した人もしなかった人も全員同じです.
AKB総選挙で,貴方がどんなに心を込めて投票しても,前田敦子は彼女になってくれないし,投票していない私も前田敦子が出演する映画を見させられます.
しかし彼らは神なので,まるで投票行為をした人にだけ「責任」が発生し,その「恩恵」があってほしいかのように振る舞います.
でも,どれだけ頑張って投票したとしても,前田敦子は勝地涼と結婚する.
それを認めようとしないキモオタの理屈と一緒ですね.
そこには整然とした理由や根拠はありません.
神の判断に従わない者には,神罰が下らなければいけないという「呪い」でもあります.
これは,自分が神の座にあると考えていなければ持てない考え方です.
そんな無茶苦茶な理屈があるか!
そんなつもりで投票などしていない!
と思われる人もいるでしょうが,それが「選挙」という行為の一面的な本質だと思います.
実際,過去記事でもお示ししたように,「選挙に行かなければならない理由」をきちんと説明できる人はいないのです.
信じられないようでしたら,ご自身でも検索してみてください.
近代化以降,政治は一般大衆を「神」にしたのです.
当然,思慮深い賢者たちはこれに対抗措置を講じています.
それは,政治に「民意という名の,デタラメな神の声」を反映させない工夫です.
(2)民主主義で民意を反映させない工夫
前述した記事でも解説しましたが,現代の民主主義は「民意」という神の声を聞かないように,巧妙に耳栓がされています.
それが,
「議会主義」
「立憲主義」
「二院制」
「三権分立」
といった工夫です.
詳しくは,過去記事である,
■選挙に行かない理由を探している人は、こちらを参考にしてください
■民主主義のためには「選挙に行ってはいけない」|「若者よ、選挙に行くな!」は正しい
を読んでください.
現在の民主主義は,いうなれば「選挙型代議員制民主主義」を展開していることになります.
(3)民主主義の思想
それを考える上では,民主主義の根本をおさえる必要があります.
まず,現在の民主主義を俯瞰するためウィキペディアから引用しておきます.
■民主主義(Wikipedia:2019年8月現在)
近代的な意味での民主主義は17世紀以降の啓蒙思想や自由主義、それらの影響を受けたフランス革命、アメリカ独立革命などを経て形成され、20世紀に多くの諸国や地域に拡大した。つまり,現在の民主主義は,啓蒙思想と自由主義から誕生しています.
以前の記事でも指摘しましたが,これについて,
民主主義と選挙制度は,人間理性(啓蒙思想)と自由主義を達成する(守る)ためにあると勘違いしているネット記事もありますので,注意が必要です.
そうではなくて,
(現代の)民主主義と選挙制度は,人間理性(啓蒙思想)と自由主義から発生した
が正解です.
一つずつ解いていきましょう.
啓蒙思想から全ては始まった
啓蒙思想とは,17世紀に起こった,
「人間は,理性的に思考することで,普遍的で不変性のある境地に到達できるはずだ」
という思想です.
いわゆる「科学(自然科学)」も,この考え方からスタートした活動です.
「科学によって自然界の法則性を全て解明できるはずだ」
と言われれば,馴染み深く感じられる人もいるでしょう
もしかすると「そんなの当たり前だろ」と思っている人もいるかもしれませんが,この考え方は人類の歴史上かなり新しく,奇抜なものです.
しかも,現代哲学では「間違っている」ことが指摘されています.
もしかすると「そんなの当たり前だろ」と思っている人もいるかもしれませんが,この考え方は人類の歴史上かなり新しく,奇抜なものです.
しかも,現代哲学では「間違っている」ことが指摘されています.
なので,現在の科学はこの考え方をとっていませんが,それはまた別の話.
お気づきの人もいると思いますが,これこそが「人間を神にした思想」です.
つまり,人間は「考える」ことで究極の「正しさ」を得られるはずだということ.
人間はしっかり考えれば「正しい政治家を選挙で選べるはずだ」ということにつながります.
これが,現在の民主主義を形成する材料の一つです.
しかし,
「しっかり考えれば正しい判断ができるはずだ」
と言っても,その判断が分かれるのが現実です.
つまり,しっかり考えても「正しさ」は人それぞれなんですよ.
ですから,「個人の正しさを保証」する必要があります.
それが,民主主義を形成する材料の2つ目である「自由主義」です.
自由主義が全てを神にした
「人間は理性的に『正しい判断』ができるのだから,誰にも束縛されない自己決定権を持っているはずだ」
という考え方です.
そこから,平等や個人の権利が謳われ,
「人間は,他人の自由を侵害しない限りにおいて,自由である」
と主張されています.
これこそが,「全ての人間を平等に神にした思想」です.
民主主義の先駆者であり,フランス革命の首謀者であるロベスピエールは,正体不明の「神」よりも,人間の理性的判断を信仰してこう言います.
「神が存在しないなら,発明する必要がある」
これを指してニーチェは,
「神は死んだ」
と言ったのです.
民主主義の先駆者であり,フランス革命の首謀者であるロベスピエールは,正体不明の「神」よりも,人間の理性的判断を信仰してこう言います.
「神が存在しないなら,発明する必要がある」
これを指してニーチェは,
「神は死んだ」
と言ったのです.
そんなわけで,現代の民主主義とは,
「人間は正しい判断ができる」
そして,
という政治体制なのです.
これを端的に示すものとして,啓蒙思想と自由主義の支持者である18世紀の哲学者ヴォルテールの名言が残っています.
現代民主主義は,投票した人もしなかった人も,等しく政治に口出しする権利があることで成り立っています.
つまり,「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」という主張は,むしろ現代民主主義の敵なのです.
上述したように,それは「神」の視座です.
自分のことを神だと思っていなければ,こんな主張は有りえません.
もしくは,民主主義とは何かを理解していないのです.
現代の民主主義において選挙結果は重要ではありません.
重要なのは「議会による議論」です.
そもそも,現代の民主主義による政治は,議会による議論に「選挙結果」を反映させないように工夫されています.
「憲法に基づく議会」
「手続きの冗長性」
「権力の分散」
選挙結果が政治判断に反映されるようになったら,民主主義の政治は終わりです.
最後に,選挙に行かない私から,これからの民主主義を考える上での提案をしておきます.
政治家を,選挙ではなく抽選で選ぶ方式です.
これこそ,「神」が選ぶ選挙と言えます.
実際,古代ギリシャでは民主主義の工夫として,「抽選制(政治家をクジ引きで決める)」をとっていました.
大学などで政治学の授業を履修した人はご存知かと思います.
抽選制は,古代の人々の知恵が現在よりも劣っていたからではありません.
選挙型にすると大衆人気取りの悪政がはびこるから,仕方なくクジ引きにしていたのです.
しかし,この抽選制だと一般大衆である「神」が納得しないことが予想されます.
偶然に「当選」した人が私たちの政治をするなんてムカつく,ということでしょう.
ですが,抽選制の方が重大な事を決める上では公平です.
事実,各国の裁判における陪審員や,日本の裁判員制度では抽選制が採用されています.
民意や選挙で物事の正否を決めるなんて,考えただけでも恐ろしいからです.
そういう意味では,古代ギリシャにならって,政治家選びも抽選制にした方がいいと思います.
多くの神様たちからは否定されるでしょうが,それでも,どんな方法なら実現しやすいか考えてみました.
(1)立候補
政治家になりたい人は,まず自主的に立候補します.
古代ギリシャや裁判員制度のように,どこかの誰かが無作為に選出されるわけではない状態にしておくのです.
(2)テスト
立候補のためには条件が必要で,議会のルールや,政治活動における基本的な知識に関するテストを受験するのです.
これにより,頭が空っぽな政治家が誕生することを防ぎます.
(3)抽選
そのテストにパスした人の中から,あとはランダムで決定します.
抽選方法は,宝くじの当選番号のように決めていいでしょう.
なるべくアナログにします.
天皇陛下によるクジ引きにしたり,伊勢神宮での御神籤にするのも面白いかもしれません.
(4)解散
後述する衆参両院で時期をずらしながら,2年〜3年に1回解散します.
(5)衆議院・参議院
有益な政治判断をした人を「参議院議員」として残す制度も用意します.
当選した議員同士で,解散する前に無記名投票し,上位何名かを参議院議員に選出します.
そんなところでしょうか.
慣れたら案外普通になると思いますよ.
不満とか実はあんまり出ないんじゃないかな.
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政治に「民意」を反映させてはいけない理由はこちら.
「選挙」や「政治」について,語源から理解するにはこちら.
現在の日本の民主主義が抱えている問題はこちら.
ホセ・オルテガによる大衆論の古典
基本的な政治哲学はこちらをどうぞ.
「正しい判断は人それぞれである」
という思想から形成されているのです.
あらためて言葉にしてみると簡単ですが,これが現代の民主主義の基盤です.
(4)現代民主主義の思想からすると「選挙」は不要
根本的な批判をすれば,
「人間は正しい判断ができる」という思想と,「正しい判断は人それぞれである」という主義は,そもそも矛盾しています.
「阪神タイガースは負けるから応援したくなる」
というくらい矛盾しているのです.
近代社会とは,この「大いなる矛盾」を,無理やり政治にねじ込んできた歴史でもあります.
ということが分かれば,少なくとも現代の民主主義において,
「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」
がデタラメな理屈であることも理解できるでしょう.
建前とは言え,現代の民主主義は,
「他人の自由を侵害しない限りにおいて,個人が自由に『自分にとって正しい判断』をすることができる」
これを端的に示すものとして,啓蒙思想と自由主義の支持者である18世紀の哲学者ヴォルテールの名言が残っています.
私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。それが,啓蒙思想と自由主義を基盤とする「現代民主主義」で求められる姿勢です.
現代民主主義は,投票した人もしなかった人も,等しく政治に口出しする権利があることで成り立っています.
つまり,「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」という主張は,むしろ現代民主主義の敵なのです.
上述したように,それは「神」の視座です.
自分のことを神だと思っていなければ,こんな主張は有りえません.
もしくは,民主主義とは何かを理解していないのです.
現代の民主主義において選挙結果は重要ではありません.
重要なのは「議会による議論」です.
そもそも,現代の民主主義による政治は,議会による議論に「選挙結果」を反映させないように工夫されています.
「憲法に基づく議会」
「手続きの冗長性」
「権力の分散」
選挙結果が政治判断に反映されるようになったら,民主主義の政治は終わりです.
(5)民主主義のもう一つの工夫「抽選制」
最後に,選挙に行かない私から,これからの民主主義を考える上での提案をしておきます.
政治家を,選挙ではなく抽選で選ぶ方式です.
これこそ,「神」が選ぶ選挙と言えます.
実際,古代ギリシャでは民主主義の工夫として,「抽選制(政治家をクジ引きで決める)」をとっていました.
大学などで政治学の授業を履修した人はご存知かと思います.
抽選制は,古代の人々の知恵が現在よりも劣っていたからではありません.
選挙型にすると大衆人気取りの悪政がはびこるから,仕方なくクジ引きにしていたのです.
しかし,この抽選制だと一般大衆である「神」が納得しないことが予想されます.
偶然に「当選」した人が私たちの政治をするなんてムカつく,ということでしょう.
ですが,抽選制の方が重大な事を決める上では公平です.
事実,各国の裁判における陪審員や,日本の裁判員制度では抽選制が採用されています.
民意や選挙で物事の正否を決めるなんて,考えただけでも恐ろしいからです.
そういう意味では,古代ギリシャにならって,政治家選びも抽選制にした方がいいと思います.
現代版・抽選型民主主義
多くの神様たちからは否定されるでしょうが,それでも,どんな方法なら実現しやすいか考えてみました.
(1)立候補
政治家になりたい人は,まず自主的に立候補します.
古代ギリシャや裁判員制度のように,どこかの誰かが無作為に選出されるわけではない状態にしておくのです.
(2)テスト
立候補のためには条件が必要で,議会のルールや,政治活動における基本的な知識に関するテストを受験するのです.
これにより,頭が空っぽな政治家が誕生することを防ぎます.
(3)抽選
そのテストにパスした人の中から,あとはランダムで決定します.
抽選方法は,宝くじの当選番号のように決めていいでしょう.
なるべくアナログにします.
天皇陛下によるクジ引きにしたり,伊勢神宮での御神籤にするのも面白いかもしれません.
(4)解散
後述する衆参両院で時期をずらしながら,2年〜3年に1回解散します.
(5)衆議院・参議院
有益な政治判断をした人を「参議院議員」として残す制度も用意します.
当選した議員同士で,解散する前に無記名投票し,上位何名かを参議院議員に選出します.
そんなところでしょうか.
慣れたら案外普通になると思いますよ.
不満とか実はあんまり出ないんじゃないかな.
関連記事
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■民主主義のためには「選挙に行ってはいけない」|「若者よ、選挙に行くな!」は正しい
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政治に「民意」を反映させてはいけない理由はこちら.
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現在の日本の民主主義が抱えている問題はこちら.
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