注目の投稿

尾木ママなのに良いこと言ってる

念のために言っておくと,尾木直樹氏が言うこと全てを否定したいわけじゃないんです


これまで,このブログでは尾木ママこと尾木直樹氏の教育評論を批判してきたことがあります.

明確に名指ししたのは,例えばこれ.

けど,それらの記事でも書いてますが,別に尾木ママが言うこと全てを否定したいわけじゃありません.
これらはあくまでも批判です.

今回,尾木氏はそれなりに良いことを良いました.
こんなニュースが出ています.

尾木ママ「日本は世界から落ちこぼれています!」オンライン授業の早期導入訴え(Yahoo!ニュース 2020.4.17)
尾木は「休校でも子どもの『学ぶ権利』を奪わないで!」というタイトルで「休校で校舎には入れない!しかし学びがストップしていいわけではありません!子どもの人権としての【学習権】は保障しなければならないのです」と、コロナ禍で学習の場がない子供たちのためオンライン授業の必要性を呼び掛け「日本の現状は世界から落ちこぼれています!一刻も早くオンライン体制とれるように整備して欲しいです!」と日本の現状を憂いた。

その通りだと思います.

日本の教育は,幼・小・中・高・大と,すべてにおいてオンライン化に慎重(否定的)です.

もちろん,理由はいくつかあります.
大きい理由としては,

(1)予算がない
(2)家庭環境によってICT環境および経験に差が出る
(3)教員が対応できない

というものでしょう.

最近,以前までお世話になっていた何名かの大学教員と連絡をとる機会がありましたが,皆さん一様に大変そうです.
そのうちの一人はパソコン音痴が甚だしい人でして,
「オンライン授業をやれる自信が全くないので,途方に暮れている」
と嘆いていました.
こういう教員,全国には結構いると思うし,それに対応するために情報センターとかメディア担当の教職員は激務になること間違いありません.

まあ,こういうのって,できる教員だけ頑張らせればいいのに,一律でやろうとする弊害です.


ちょっと前に,子供の国際学力調査結果で「読解力が低下した」というニュースでも「日本はICT教育が不足している」という話題が出ましたよね.

新聞の社説ではこんな解説でした.

私のブログではこんな取り上げ方をしていました.


当時は,
「この日本の子供の読解力低下は,オンライン教育が普及しておらず,ICT環境が整っていないことが理由だ(だから読解力が低下したとは必ずしも言えない)」
などとしていましたが,そもそも,日本の教育がオンライン化されていないことや,ICT環境が不十分であることが問題だと言われることは少なかったと思います.

コロナ騒動で,その弱点がもろに出ましたね.


別に,今すぐオンライン授業をやれ,その制度化や設備化を急げと言ってるわけじゃありません.
むしろ,今は頑張ったって出来ないんだから,真摯に反省して,そのための準備やフォーマットづくりをしていきましょうということ.
無理やり展開したって,付け焼き刃なものになって,骨折り損のくたびれ儲けになるだけです.


他国のオンライン授業にしたって,何から何まで良い事ずくしではないでしょう.
必ずデメリットや不具合などがあるはずです.
不慣れな教員や子供・家庭によるトラブルもあるでしょうし.
そうした点を踏まえながら,国内で利用できるものを準備すればいい.

とにかく,教育に金出せってことですけど.


「登校」しないと勉強できない,という環境を是正することがオンライン授業の本丸


尾木ママの主張とは違ってくるでしょうが,私は学校での学習・勉強は「学校」である必要はないと考えています.
むしろ,学校という場でしか「授業」としての勉強が展開できないことが問題なのです.

こういうこと言うと,
「学校には勉強のためだけに言っているのではない!」
と批判されそうですが,そもそも,私はこのブログではさらに過激に,
「学校は勉強のために行くところではない」
と訴えてきています.

究極的には,勉強とは,やれる人がやれる時に,やりたいだけやればいい状態を目指すものです.

問題なのは,やりたい人がやれない,やりたいのにやれないという状態です.
これを是正するのが,現代の「学校」というシステムだと思います.

そもそも,子供を取り巻く「大人の社会」が生み出す諸々の障害を払い除けるために,近代における「学校」というシステムは誕生しています.

校舎を用意して,子供を大人の社会から隔離,保護して育てるのが学校だった.
しかし,現在ではこの「校舎」が持つ意味が弱くなってしまいました.
むしろ,子供を閉じ込めておく檻に例えられることもあります.

そういう意味では,未来の学校像というのは,校舎に「登校」させることではないのかもしれません.


もちろん,学校や大学の授業を全てをオンライン授業にすれば,子供や家庭の自由が利くし都合がいい,という状況を歓迎したいわけではありません.
そうではなくて,オンラインで出来ることはオンラインで,オフラインでなければいけないことはオフラインでやればいいわけです.

その棲み分けや使い分けを研究することが,これからの学校教育に求められている可能性は高いと思います.

参考になる話として,ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『21 Lessons』があります.
その教育部分を解説した記事はこちら.



コメント