注目の投稿

日本学術会議の件で,もうちょっと言いたいこと

要するに,現在の政治・世論は学術を蔑ろにしてるってこと


日本学術会議の人事問題について,過去記事でいろいろと述べてきました.
ついでなので,もうちょっと触れておきたいことがあります.
むしろ,私にとっての本件の本丸はこっちかもしれないと思っているんですけど.


これまで,学術活動における国・政府からの支援について,国民の税金を充てているにも関わらず,
「なぜ国や政府は,学術活動に口出ししてはいけないのか?」
を説明してきました.

端的に言えば,学術に市民感覚や世論,それらの後押しを受けている政治家・政府が口や手を出すと,碌なことにならなかったという,人類の歴史があるのです.
ですから,民主主義国家では特に気をつけて,「学術」をそれらから独立させています.

金を払っているのは俺たちなのに!
俺の支援があるから活動できているのに!

などという不満が出てこようとも,そういう朝三暮四の猿のような感情を廃し,学者たちを自由に研究させておいた方が,長い目で見れば国家や国民,そして人類のためになるのです.

これは,すべての一般国民が知らなくてもいいですが,せめて政治家は知っておかねばなりません.
ましてや総理大臣や文部科学相は.

ところが,これが結構ヤバいというのが現在の日本.
だけじゃなくて,世界的にもそんな傾向がみられます.



既に学術業界は,政府や世論に忖度して活動している


過去記事でもちょっと触れましたけど,もう既に日本の学術は政府や世論に忖度しています.

例えば,日本の学術活動を支えている非常に大きな部分である「科学研究補助金」では,
「政府が推進していることや,世間で流行していることを申請書に書けば通りやすい」
という噂が,まことしやかに流れています.

私は科研費の審査に携わったことはありませんが,以前,審査側にいた人からそんな話を聞いたことがあります.
あと,大学が主催する科研費対策セミナーでは,堂々とそれが「採用されるためのコツ」として講習されているんです.
何度か科研費を当てている人も,意識してそれを記述するようにした方が採用されやすいと述べていました.

具体的な例としては,グローバルとか多文化共生とか,ソサイエティ5.0とかアンチエイジングとか.
「実は私の研究は,そんなことと関連しているんですよ」という書類を作ったほうがいいわけです.

当然,学問領域によっては全く無関係なところもあるのですが,科研費セミナーなんかでは「それを無理矢理つなげる工夫をすると良いですね」なんて真顔で言われます.

そう.
この時点ですでに「学術の自由」なんてものが失われているんです.


科研費だけじゃありません.
自分の研究が,
「社会にどのように貢献しているか」
「一般の人たちにも関心を持ってもらえるか」
といったことを意識しながら活動しなければいけなくなっています.

自分のやっていることが,社会や一般人からの興味を惹けば,それだけ研究活動が有利になります.
支援を申し出てくる企業があるかもしれないし,クラウドファンディングや寄付のチャンスがあるかもしれない.

でも,そんな興味を惹ける研究というのは「分かりやすくて,ビジネスと金になる研究」であることがほとんどです.
理系の基礎研究や,社会的に不満をもたれやすい思想の研究,構想が壮大過ぎてついてこれる人が少なすぎる研究などは無視されます.

果ては,大学教員であれば,
「学生や高校生.保護者にもウケがいい研究」
であることを求められたりするわけですよ.

そうやって人気を得られなければ,大学に在籍し続けられない人もいるし,そもそも大学が経営困難になっているからです.
学生募集と大学経営のための研究活動が求められちゃうわけですね.


やりたい研究よりも,金になる研究.
興味のある分野よりも,仕事になる分野.

大学の研究は,茹でガエルの如く,そのような状況に追い込まれています.
これを「別に良いんじゃないですか,それが時代の流れですから」って無視していると,あとでとんでもないしっぺ返しが来るでしょう.


私はなにも,「このままじゃノーベル賞がとれなくなる!」とかいう話をしているんじゃありません.
実際,ノーベル賞なんてどうでもいいんです.
ノーベル賞受賞者が一人もいなくたって,立派な国家運営をしている国はあります.

そうではなくて,学術を疎かにする国家・国民の態度は,結果的に社会の安定性を損なうことにつながる,という話です.

コメント