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実需 終章

終章

2036年10月/東京/大阪/庄内/神戸
朝倉かえで/寺尾慎一/佐久間稔(58歳)/加賀谷忠/齋藤チカ(62歳)/片岡瑞希/名前のない女性(56歳)/土田涼太

33.8


出張報告書は、10月の第1週に回覧された。

朝倉かえで(あさくら かえで)は、承認の通知を受け取ってから、念のため保管フォルダを開いた。

〈庄内地区 出張報告〉

4項目が、そのまま入っていた。作付面積、既契約からの増量可能量、用水路の廃止と復旧費用、未契約1件の見込み。

その下の備考欄が、なかった。

かえでは、様式を確認した。

出張報告は、提出後に要約が別ファイルへ転記される。転記先は〈産地情報データベース〉で、項目が五つ決まっている。産地名、訪問先、数量見込み、単価見込み、次回訪問予定。

備考の欄がない。

だから、転記されなかった。

かえでは、元のファイルを開き直した。彼女が三回打ち直した二行は、まだそこにある。

〈備考 当該産地の圃場条件は、当社の要求仕様と構造的に適合しない。    これは生産者の努力の不足によるものではない。〉

削ったのは、誰でもなかった。上司でも、部長でも、役員でもない。

様式に、その欄がなかった。それだけだ。

かえでは、データベースの管理者に、備考欄の追加を依頼するかどうかを考えた。

考えて、やめた。

追加してもらったとして、そこに何が入るのかを、かえでは自分で説明できなかった。数量でも、単価でもない情報を、誰が何のために読むのかが分からなかった。

かえではファイルを閉じた。

「朝倉さん」

持田が来た。22歳。4月に入った子だ。

「来期の商品構成、これでいいですか」

かえでは受け取った。米飯カテゴリの構成比が、来期案で44.8パーセントになっている。今期が51.4だった。

「いいと思う」

「あと、庄内どうでしたか。先月」

「作付が減ってた。前の年より110ヘクタール」

「そうなんですね」

持田は頷いて、自分の席に戻った。

それで、終わりだった。


10月の第3週は、新米の入荷がいちばん動く。

寺尾慎一(てらお しんいち)は、倉庫のカーテンをくぐった。

15.0。

パレットは3列だった。5年前と同じだ。

手前の列が、フレコンだった。1トン入りの白い袋が、クレーンで吊れるように並んでいる。腹に英語のスタンプが押してある。MEDIUM GRAIN。CROP 2035。

真ん中の列が、紙袋の国産だった。産地と品種と年産が印刷してある。

奥の列は、加工用だった。米菓と味噌の原料で、規格が緩い。単価がいちばん安い。

寺尾は3列の前を、端から端まで歩いた。

同じ倉庫だ。同じ15度で、同じフォークリフトが動いている。西野が乗っている。

中身が別物だった。

2003年に入社して、今年で34年目になる。入ったとき、丸中米穀の扱いは19,000トンで、そのうち国産の主食用が9割を超えていた。輸入は一粒も入っていなかった。

いま、11,800トンで、輸入が3割を超えている。

その34年で、寺尾が変えなかったものが、一つだけあった。

温度だった。

15度は、米が最もゆっくり呼吸する温度で、コクゾウムシが動かなくなる温度で、電気代が割に合う温度だ。上げても下げても損をする。だから誰も変えない。

米が主食であっても、材料であっても、この数字は変わらない。

寺尾は温度計の前に立って、それを見ていた。

「部長、伝票これで合うてます?」

西野がフォークリフトを降りてきた。

「ええよ」

「あと、来期の輸入枠なんですけど。商社さんが、3割増やせるって言うてます」

「増やしとき」

「国産のほうは」

「今のままでええ。増やせるもんがない」

西野は頷いて、伝票を持って出ていった。

寺尾は、そこに立ったまま、自分がいま何秒で答えたかを考えた。

5年前なら、迷った質問だった。輸入を増やすかどうかを、丸1日かけて数字を並べて、社長に説明する材料を揃えてから決めた。

いま、2秒だった。

考えることが減ったのではない。

考える余地が、減った。

寺尾はカーテンを押しのけて出た。

背中で、扉が閉まる音がした。


組織改編案が回ってきたのは、10月の第2週だった。

佐久間稔(さくま みのる)は、その1枚目を見た。58歳になっている。

〈商品開発部 原料調達グループ 令和19年度組織(案)〉

現行が5名。来期案が4名。

現行の欄に、〈産地開発担当(1名)〉という行がある。

来期案の欄に、その行はなかった。かわりに〈原料調達担当(3名)〉となっていて、括弧の中に〈国産・輸入・加工用〉と書いてある。

佐久間の名前は、その3名の中にあった。

減員ではない。統合だった。

朝倉かえでが、その日の午後に説明に来た。

「佐久間さん、これ、契約は更新されます」

「はい」

「条件も同じです。年俸480万円、1年更新」

「わかりました」

「ただ、肩書がなくなります」

「そうですね」

かえでは、資料をめくった。

「出張の日数も、来期は減ります」

「今年、67日でした」

「来期の予算は40日です」

佐久間は頷いた。

一昨年は112日だった。その前は128日だった。

産地を回る日数が、3年で三分の一になっている。

理由は単純だった。回る産地が減ったからだ。国産の業務用が減って、契約先が減って、行く場所がなくなった。輸入は商社が持ってくる。加工用は規格が緩いから、現地に行く必要がない。

「佐久間さん」

「はい」

「今の仕事を、続けたいですか」

かえでは、そう訊いた。

佐久間は、少し考えた。

「私にできる仕事が、これだけなので」

「そうですか」

「はい」

かえでは、それ以上訊かなかった。


その週の後半、佐久間は調達先実態調査の2036年版を作っていた。

鵜飼千夏(うかい ちなつ)が「毎年やって」と言った仕事だ。彼女がいなくなってからも、朝倉が引き継いだ。

        2033年 2036年  営業継続    34社  26社  合併・統合    9社  11社  解散・廃業   14社  20社  実態不明     3社   3社

3年で、8社が消えた。

佐久間は、表の様式に手を入れることにした。

前の様式は、2028年の決裁に載っていた60社を全部並べて、その現況を書く形だった。消えた法人も、行として残っていた。

行数が増えすぎて、見にくくなっていた。

佐久間は、様式の改訂案を作った。

〈5年以上前に営業を終了した法人については、行を削除する〉

理由の欄に、こう書いた。

〈現況の把握および将来の調達可能性の判断に資さないため〉

正しい判断だった。表は、判断のために作る。判断に使わない行は、載せる意味がない。

佐久間は、削除する法人のリストを作った。

2031年に解散した法人が、七つあった。

そのうちの一つが、農事組合法人立野目ファームだった。

佐久間は、その行を選択した。

選択して、削除した。

行が詰まって、下の行が上に上がった。

保存して、ファイルを閉じた。


統合の臨時総会は、10月20日だった。

立野目川土地改良区と、隣接する二つの改良区が合併して、来年4月から庄内中央土地改良区になる。

議案は賛成多数で可決された。

反対が11票あった。

加賀谷忠(かがや ただし)は、事務局席でその数を数えた。組合員は860名で、出席が214名、委任状が392通だった。

総会が終わってから、加賀谷は事務所に戻った。

来年3月末で、この建物は閉じる。事務所は隣町に移る。

加賀谷は、技師として残ることになっていた。54歳で、勤続29年になる。合併後の担当区域は、いまの3倍になる。

「加賀谷さん、これどうします」

事務員が指したのは、壁の図面だった。

〈立野目地区 用水系統図(2036年)〉

「持っていっても、たぶん使わないですよね」

「使わない」加賀谷は言った。「向こうは全部電子だ」

「じゃあ、処分で」

「いや」

加賀谷は、脚立を持ってきて、図面を外した。

画鋲を四つ抜いて、丸めた。

書庫を開けて、古い図面を全部出した。丸めたものが、11本あった。

2005年。2011年。2018年。2023年。2028年。2031年。2034年。そして今日外した2036年。

加賀谷は、それを一本ずつ広げて、床に並べた。

同じ地区の、同じ幹線だった。

2005年の図には、破線が一本もなかった。支線が九本あって、全部が実線だった。

2036年の図には、実線が4割しかない。破線が18本あって、赤いバツが七つ入っている。

加賀谷は、11本を順番に見ていった。

31年で、水路網が半分以下になっていた。

「加賀谷さん、それ、どうするんですか」

「持っていく」

「向こう、置き場所あります?」

「机の下でいい」

加賀谷は、11本を段ボールに詰めた。

上から新聞紙を1枚かぶせて、ガムテープを貼った。

壁を見た。

図面を外した跡が、四角く残っていた。周りより白い。29年ぶん、日に焼けなかった部分だった。


齋藤チカ(さいとう ちか)が面談に呼ばれたのは、10月の第4週だった。62歳になっていた。

役場の二階の、小さい会議室だった。

「齋藤さん、来年度の任用の件なんですけども」

総務課の職員は、40代の男だった。

「更新なしということで、決まりました」

チカは、両手を膝の上に置いた。

「そうですか」

「申し訳ないです」

「理由は、うかがえますか」

職員は、資料を出した。

「来年度から、住民票と各種証明の発行が、ほぼ全部オンラインに移ります。それと、隣の町と共同処理する業務が増えます」

「窓口が減るということですね」

「減ります」

「私のところは」

「齋藤さんの担当されてる業務は、来年度から本課の職員が兼務します」

チカは頷いた。

「わかりました」

「あの、齋藤さん」

「はい」

「24年、ありがとうございました」

チカは、その数字を聞いて、少しだけ手を動かした。

24年だった。1年ごとの契約を、24回更新した。25回目がない。


家に帰って、チカは夫に言った。

夫は63歳で、2年前に定年になって、いまは市内の施設で送迎の運転をしている。週4日で、年収が180万円ほどある。

「そうか」

夫はそれだけ言った。

チカは、台所のテーブルで、電卓を出した。

来年度から、彼女の給与がなくなる。年間で238万円だった。

世帯の収入は、夫の180万円と、年金の一部と、田んぼになる。

田んぼは2.8ヘクタールある。

チカは、今年の分を計算した。

単収が10アール当たり560キロ。2.8ヘクタールで15,680キロ。60キロ袋で261袋。

概算金が31,800円だから、粗収益は830万円になる。

数字だけ見れば、大きい。

チカは、経費の欄を書いた。

肥料と農薬で41万円。燃料で18万円。土地改良区の賦課金が26万6,000円。共済と保険で12万円。乾燥調製をカントリーエレベーターに出しているので、その利用料が94万円。

その利用料は、去年から1割上がっていた。荷受量が落ちても、施設の維持費は落ちない。だから1俵あたりの単価が上がる。

土地改良区の賦課金と、同じ形だった。農協の手数料と検査料で31万円。修繕費が62万円。

そこまでで、285万円だった。

粗収益から引くと、545万円になる。

ただし、その下にもう一行ある。

機械だ。

チカのところは、トラクターが22年目で、田植機が18年目、コンバインが16年目だった。全部、償却が終わっている。だから今年の計算に入っていない。

入っていないから、545万円に見える。

コンバインは、去年から時々止まる。今年、修理に38万円かけた。来年、動かなかったら買うことになる。中古で900万円だ。

チカは、電卓を置いた。

238万円が消える。

田んぼは545万円ある。

数字の上では、埋まっている。

埋まっていないことを、チカは知っていた。

523万円の中に、彼女と夫が1年に注ぎ込んだ労働の対価は、1円も入っていない。田んぼの地代も入っていない。自分の土地だからだ。機械の更新費も入っていない。壊れていないからだ。

24年間、その三つを外して計算してきた。外して計算できたのは、勤めの給料があったからだ。

チカは、来年の作付計画の紙を出した。

2.8ヘクタール。7枚ある。

彼女は、そのうちいちばん遠い1枚に、鉛筆で丸をつけた。

18アールの田で、家から3.4キロある。水口が遠くて、水を見に行くのに片道10分かかる。

丸をつけて、しばらく見ていた。

それから、消しゴムで消した。


片岡瑞希(かたおか みずき)が、それを公開したのは、10月28日だった。

自分で作ったページに、置いただけだ。宣伝はしていない。

タイトルは〈米は、何になったか〉とした。

全体で、5万字を超えていた。7年ぶんの取材と、辞めてから半年で書いた分が入っている。

冒頭は、こうだった。

 2036年の時点で、日本人が1年に食べる米は、33.8キログラムである。  1962年は、118キログラムだった。74年で、三分の一を下回った。  ただし、この74年は一様ではない。2024年が53.4キログラム、2030年が49キログラム。ここまでは年に0.7キログラムずつの、ゆるやかな減り方だった。この速度のままなら、2036年は45キログラム前後だったはずである。  実際には、2031年からの5年で15キログラム落ちた。年に3キログラムである。速度が4倍になった。  何が速度を変えたのかを、私はこの文章で書く。結論だけ先に書けば、価格ではない。設備である。高い米が続いた数年のあいだに、家庭から炊飯器が消えた。壊れて、買い換えられなかった。炊く道具を持たない家は、米が安くなっても米を買わない。  そしてこの数字を、私は長いあいだ「減った」と読んでいた。減ったのではない。米が、別のものになったのだ。  小麦は、日本で主食ではない。パンの材料であり、麺の材料である。ほとんどが輸入で、国産の小麦は少量の、特別なものとして流通している。  米が、そこへ移っている。  これは事件ではない。世界の多くの土地で、米はそのように扱われている。問題は、日本の水田が、それに合わせて作られていないことである。  この文章には、悪い人が出てこない。探したが、いなかった。12年かけて探して、いなかった。

その先に、七つの章が続いていた。

価格。流通。生産。輸入。水。設備。需要。

片岡は、公開したあと、3日間そのページを開かなかった。

4日目に開いた。

閲覧数が、412だった。

片岡は、その数字を見た。

新聞にいたころ、彼女が書いた記事は、少ないときでも数十万の紙に載った。載って、翌日には包装紙になった。

412だった。

片岡は、机の引き出しを開けた。

5年前にもらった手紙が、まだ入っている。山形の消印で、便箋が1枚だけの短いものだった。

〈卸の話を、初めて読みました〉

片岡は、それを引き出しに戻して、閉めた。


10月の終わりに、その女はスーパーにいた。

神戸の、駅から歩いて8分のところにある店だった。20年以上、そこで買っている。

56歳になっていた。子どもは二人とも家を出ている。夫と二人だ。

米の棚は、去年より短くなっていた。

5キロ袋が11種類。上のほうに、産地と品種の書かれたものが四つ並んでいて、いちばん高いのが5,480円だった。下のほうに、プライベートブランドが三つあって、いちばん安いのが3,780円。

真ん中の段は、複数原料米が四つだった。

その隣の棚が、小麦粉とホットケーキミックスとパン粉だった。反対隣が、パスタと乾麺だ。

女は、5キロ袋の前を通り過ぎた。

その先に、2キロ袋の棚がある。無洗米が半分を占めていた。

女は、2キロ袋を一つ取った。

1,980円だった。

前に買ったのは、去年の12月だ。息子夫婦が帰ってきたときに炊いた。その前が、去年の8月の盆で、その前が一昨年の正月だった。

年に、二回か三回になっている。

来月、下の子が孫を連れて帰ってくる。3泊すると言っていた。

炊飯器は、まだある。台所の下の棚に入れてある。前に使ったのが去年の12月で、そのときは動いた。

動くはずだ、と女は思った。

女は2キロ袋をカゴに入れた。

カゴの中には、他に三つ入っていた。

薄力粉が1袋。卵が10個。鶏もも肉が2枚。

女はレジへ向かった。


秋の江浚えは、10月の最終土曜だった。

土田涼太(つちだ りょうた)は、朝の7時に長靴を履いて出た。

下流ブロックの用水路、380メートル。泥上げと、草刈りと、水門の点検。

出役に出るのは、二人だった。

土田と、佐藤さんだ。佐藤さんは71歳で、上流で1.4ヘクタール作っている。

「涼太くん、こっちから行くか」

「はい」

二人で、上から順に泥を上げた。

スコップは、源治のものを使った。木の柄で、握るところだけ艶が出ている。

3年前まで、この作業には三人出ていた。その前は四人だった。その前は六人で、もっと前は14人だった。

380メートルを二人でやると、半日では終わらなかった。

昼を挟んで、3時までかかった。

終わって、土田は水門のところに立った。

冬のあいだ、ここは閉じておく。春に開ける。

上が佐藤さんで、うちが2番目だ。下は、誰もいない。

誰もいないが、水路は下まで通っている。

「じゃあな」

佐藤さんが軽トラで帰っていった。

土田は、スコップを積んで、あとから出た。


その夜、土田はアパートで、パソコンを開いた。

直販の注文をまとめる作業がある。今年は88人になった。去年より18人多い。

作業の途中で、検索の結果に一つ、知らないページが出てきた。

〈米は、何になったか〉

土田は、それを開いた。

長かった。全部で5万字あると書いてある。

土田は、最初から読んだ。

30分で、3章目まで読んだ。

3章目に、庄内の話が出てきた。地名は書いていない。「東北のある平野部」と書いてある。180ヘクタールの生産法人が2031年に解散したこと、その借地が47戸に返されたこと、上流が抜けた結果、下流42ヘクタールのうち28ヘクタールに水が入らなくなったこと。

土田は、その部分を二回読んだ。

書いてあることに、間違いは一つもなかった。

ただ、その先が書いていなかった。

いま、あの下流ブロックで作っているのが二人だということも、380メートルの江浚えを半日ではなく丸1日かけてやることも、水番の順番がまだ守られていることも、書いていない。

書きようがない、と土田は思った。

その人は、ここに来ていない。

土田は最後まで読んだ。読み終わったのは、11時過ぎだった。

いちばん最後の行に、こう書いてあった。

 この文章には、続きがない。  書き終わったからではない。続きを書く場所を、私が持っていないからである。

土田は、パソコンを閉じた。


机の引き出しから、茶封筒を出した。

中の大学ノートを開いた。

表紙に「水」とだけ書いてある。

土田は、今年のページを開いた。

4月から10月までの記録が、彼の字で埋まっていた。日付と、田の番号と、時間。水を入れた日、落とした日、順番を替わった日。

10月25日の欄に、土田は最後の一行を書き足した。

 10/25 江浚え 出役2 (土田・佐藤)

書いてから、ページをめくった。

来年のページは、白かった。

土田は、いちばん上に年を書いた。

その下に、順番を書いた。

 1 佐藤  2 土田

二行だった。

三行目から下は、白いままだった。

土田は、三行目に線を引かなかった。

引かずに、鉛筆を置いた。

ノートを閉じて、茶封筒に戻した。

封筒を引き出しに入れて、閉めた。


【了】

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