注目の投稿

「熱意ある社員」6%のみ:大学も一緒

少し前,こんなニュースが出ていました.
■「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査(日本経済新聞:2017年5月26日)
世論調査や人材コンサルティングを手掛ける米ギャラップが世界各国の企業を対象に実施した従業員のエンゲージメント(仕事への熱意度)調査によると、日本は「熱意あふれる社員」の割合が6%しかないことが分かった。米国の32%と比べて大幅に低く、調査した139カ国中132位と最下位クラスだった。
(中略)
――日本ではなぜこれほど「熱意あふれる社員」の割合が低いのですか。
(ギャラップ社 クリフトンCEO談)「日本は1960~80年代に非常によい経営をしていた。コマンド&コントロール(指令と管理)という手法で他の国もこれを模倣していた。問題は(1980~2000年ごろに生まれた)ミレニアル世代が求めていることが全く違うことだ。ミレニアル世代は自分の成長に非常に重きを置いている」
 「それ以上に問題なのは『不満をまき散らしている無気力な社員』の割合が24%と高いこと。彼らは社員として価値が低いだけでなく周りに悪影響を及ぼす。事故や製品の欠陥、顧客の喪失など会社にとって何か問題が起きる場合、多くはそういう人が関与している」(日本経済新聞:2017年5月26日)
つまり,どうやら日本人のステレオタイプである「猛烈サラリーマン」は過去のものになっているとのことです.
「1980〜2000年頃に生まれた世代(ミレニアル世代)」というのに私も該当しますが,この世代が「自分の成長に非常に重きを置いている」というのはよく分かります.そういう人が多いのは実感できます.

どうしてそう “実感” できるのかと言うと,仕事へのモチベーションが「自分の成長」にしか見出だせないからです.
逆に言えば,会社のためとか,熱意を持って仕事をすることに価値がないのです.
もっと言えば,この「自分の成長」というのは決して「職業能力」を指すわけではないということ.それには,プライベートを充実させるスキルの成長も含まれるであろうことが察せられます.
事実,この世代は「仕事よりもプライベートを充実させたい」という調査結果が出ています.
20代の仕事に対する意識調査(転職エージェント評判.com)

本件について,こんなブログ記事も出ていました.私は概ね賛成です.
日本企業に「やる気のない社員」が多いのは、社員ではなく会社のせい(BLOGOS)

その理由についてですが,このブログの著者が紹介している「アンケート調査の内容」に考えるヒントがあります.
ギャラップ社が行ったアンケート調査の内容とは,以下の12個の質問に5段階評価で回答させるというものだったそうです.
Q1:職場で自分が何を期待されているのかを知っている
Q2:仕事を上手く行うために必要な、材料や道具を与えられている
Q3:職場でもっとも得意なことをする機会を毎日与えられている
Q4:この1週間で、よい仕事をしたと認められたり、褒められたりした
Q5:上司または職場の誰かが、自分を一人の人間として気にかけてくれている
Q6:職場の誰かが自分の成長を促してくれる
Q7:職場で自分の意見が尊重されている
Q8:会社の使命や目的が、自分の仕事は重要だと感じさせてくれる
Q9:職場の同僚が真剣に質の高い仕事をしようとしている
Q10:職場に仲の良い友達がいる
Q11:半年のうちに、職場の誰かが自分の進歩について話してくれた
Q12:この1年のうちに、仕事について学び、成長する機会があった
上記のブログ著者が述べるように,この質問内容に対し「低評価」「そう思わない」と回答する「職場」とはどんなところか? 想像してみてください.

容易に想像できることでしょう.つまり,「即戦力」が求められていて,「不安定」で,「共同体」の意識がなく,「責任」の所在が曖昧,ないし「自己責任」なところです.
継続して自分が求められるわけではない.
来年も同じ仕事をしているかどうか分からない.
関わっている部署が限定的.
誰が責任をとるのか分からない.
もしかすると全責任を負わされるかもしれない.

ネガティブな言い方をしてみましたが,それぞれ言い方を替えれば,これらは一昔前(90年代)に流行った理想の職場像です.
実力が求められる.
結果が出せない者は淘汰される.
人間関係があっさりしている.
スピード重視.
効率性重視.

そして,「仕事よりもプライベート」というのも,20年くらい前に流行した「理想の人生」だったはずではないでしょうか.50〜60代の皆さん,もうお忘れですか?
つまり,職場環境はしっかりと「理想の職場」になっているんですよ.そうなるように20年かけてやってきた.
結果,仕事に熱意のある社員は減ったわけです.当然の帰結.

大学の職場もそんな煽りを受けています.
「作業」として教育をしている人が増えているんです.これも当然の帰結です.
あと,以前と比べて,任期付の教員・職員,特任教職員といった不安定な雇用が増えていますので,皆が同じ立場で話すことがありません.
学部学科や部署が一緒でも,雇用形態に落差があるので,実際のところ腹を割って話すことなどないのです.

「専任の先生が優先です」「任期付なのでできません」「契約なので無理です」そんな会話がよく出ます.ピリピリした空気とともに.
そのうち,いちいち雇用形態の違いで気遣いするのも面倒になってきて,いっそのこと互いに無関係を決め込むようになります.
これにより,教育の作業化に拍車がかかります.

それを言い出したら,大学とは元々そういうところではあるのですが,ここに「実力主義」という大いなる欺瞞があります.結果を出そうと出せまいと,評価はメチャクチャなのが大学です.
現実,実力主義や結果主義になどならないので,それで不満を抱える人は多いんです.
もっとも,私としては実力主義を大学に持ち込んだら崩壊すると思っていますが.

その一方で,職場の人間関係を希薄にする力学を働かせているくせに,なぜか一致団結を強調するのも昨今の大学です.
なぜかっていうか,その理由は分かっていて,ズバリ,経営難だからです.大学でも教職員間の統率をとらないといけないと考えるわけですね.

で,そこにそれこそ「一昔前の会社員像」,つまり滅私奉公を是とする猛烈サラリーマンを持ち込もうとするわけです.これがまた軋轢を生む.
「ここはひとつ,学生のために皆で頑張りましょう」って言っても,「知らねぇよ.こちとら来年はここで働いてないんでね」とか,「学生の生活を心配する前に,自分の生活の方が心配です」ということになる.

そうやって人間関係が希薄になっているのに,学生の面倒見だけは良くしようとしているわけで.そこには巨大な偽善が渦巻いています.気持ち悪いですね.
典型的なのは,学生の面倒を見る要素の強い仕事(初年次教育,面談業務等)は,契約・任期付の教職員が担当していたりすることです.ようするに,学生の面倒見はそれこそ「面倒」なので,低賃金労働者にやらせておけばいいと考えているわけですよ.

なお,過去記事でも述べたように,私はこういう大学の状態を改善できるとは思っていません.諦めています.
詳しい理由はそれら過去記事に書きましたが,ようするに,こうした現状は国民が望んだものだからです.文科省が企てたわけでも,政治家が貶めたわけでもない.

もちろん理屈の上では政治家に責任があるのでしょうが,そもそも国民が教育の崩壊を望んでいる以上,これを改善することは絶望的と言っていいでしょう.
諦めましょう.その上で頑張りましょう.


関連記事
大学教育を諦める
なぜ大学改革をやってはダメなのか(2)
保育所問題はここまで来た
大学改革の凄惨さがニュースになっている