2018年9月16日日曜日

Deus ex machinaな未来(2)

Deus ex machinaな未来(1)
の続きです.

先日出版された『ホモ・デウス』がとても面白かったので,著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏の前著である『サピエンス全史』と一緒に紹介してみようという記事です.

『サピエンス全史』は,我々「ホモ・サピエンス(ホモ・サピエンス・サピエンス)」という何の取り柄もない人類の一種族が,その他の人類を滅ぼした上に,地球中に繁殖できた理由を最新人類学をもとに解説したものです.
まとめると,我々は3つの革命が起きたことにより現在に至っています.
20万年前に誕生したホモ・サピエンスは,7万年前に「認知革命」が,1万2千年前に「農業革命」が.そして500年前から「科学革命」が起こっている状態にあります.
特に,7万年前から始まった「認知革命」が,その他の人類を抑えてホモ・サピエンスだけが生き残り,これだけの文化と文明を築く礎になっています.

今回の『ホモ・デウス』では,絶賛進行中の「科学革命」を経たホモ・サピエンスが,未来においてどこに向かうのか解説しています.
結論から言えば,科学とテクノロジーが発達していった先にあるのは,人類がホモ・サピエンスであることを捨てて「ホモ・デウス(人神)」へとアップグレードする未来です.

ホモ・サピエンスは,人として生きていく上で必ず生まれる不安や苦しみ,不完全性を補うために「神」を置きましたが,近い将来,科学がその役割を担うようになるだろうという話.
ときどきSFもので目にする「強化人間」とか「超人」みたいなものですね.ですが,よくあるSFものの「強化人間」では,「現在の人間のライフスタイル」のままで特定の能力を発達させたものが多いのですが,実際の生命科学・人間科学を進めていった先にあるのは,(無宗教という意味ではなく,本当に)「神」を必要としない人が誕生するという将来像です.
つまり,その時人類は科学によって「神」そのものになる.故に「ホモ・デウス」なのです.

前回の記事では,そのひとつの例として,莫大な量のデータを瞬時に記録・分析できるようになることと,その記録・分析装置を体内に埋め込めるようになることで,現在のホモ・サピエンスでは成し得ないデータ処理と認知・判断能力を身につけられるようになることを紹介しました.
これについて,もう少し詳細に話してみたいと思います.

ハラリ氏によれば,500年前に発生した科学革命により,ホモ・サピエンスは「人間至上主義」になってきたとします.人間至上主義とは,農業革命までのホモ・サピエンスが崇めていた「神」とは異なり,人間を崇めることをその教義とするものです.

言い換えると,科学革命以前のホモ・サピエンスは,「神」を神として崇拝して物事や自然と向き合っていたのに対し,科学革命以後は,人間自らの行いによって自然をコントロールするようになってきたのです.つまり,そこには崇拝したり祈ったりする神はおらず,「人間の行い」こそが崇拝対象になるわけです.故に「人間至上主義」.
そして今から100年くらい前には,「神は死んだ」とまで言われました.

実際,ここ500年ほどの我々ホモ・サピエンスは,「幸福とは何か?」とか「人生とは何か?」とか,「神とは何か?」「人間とは何か?」「仕事とは何か?」といったことを科学的な視点から考察してきました.
私たち人間は,いつか自分自身のことを論理的・科学的に理解できるのではないかと構えているからです.

難しく考える必要はありません.例えば,医療事故とか原発事故っていうのがありますよね.人間至上主義以前の世界では,仮に医療事故によって死んだとしても,それは「天命だった」と言って医者や看護師が大きな責任を負うことは少なかったし,原発が吹っ飛んでも「天罰だった」とか言って納得できる人が結構いたでしょう.
しかし,人間の行いが崇拝される人間至上主義の現在ではそうはいきません.
人間は人の命を左右できる,原子力をコントロールできると構えるからです.

しかし,だからこそ人間至上主義は,まだ「神」を必要としているのです.
なぜなら,人間は完璧・完全ではないからです.それゆえに悩み,不安を抱く.
何かの判断をする際には,その不安や苦しみから逃れたくて,「神様助けてください」とか,「えぇい!一か八かだ!」などと天や神に祈ることもあるでしょう.

しかし,科学とテクノロジーが発達した先にあるのは,人間至上主義を捨てる未来だとハラリ氏は述べます.
人間至上主義に代わるのは,「データ至上主義」です.
人間の判断,人間の責任,人間の想いや感情よりも,「データ」を崇拝するのがデータ至上主義.この世界の森羅万象は全て「データ」として記録し,解釈することができると構える思想です.これをハラリ氏は「データ教」と呼んでいます.
そもそも,科学革命以後,現在主流となっている「科学」はデータ至上主義を目指していると言っていいでしょう.

もう既に,データ教はホモ・サピエンス界に浸透していると言っても過言ではありません.
天気予報なんかが典型で,これを頼りにイベントを組んだり,雨雲レーダーを頼りに外へ出たりしていますよね.

上述したように,これまでの人類は,何かを判断したり将来の予想をするにあたり,神に祈ったり自分の運命を信じたりして決めていました.
しかし,今後の科学・テクノロジーの発展によっては,ある人が判断や将来予測を必要とする場面に,高性能なデータ処理装置を持ち込める未来が描かれるのです.
少し長くなりますが,その点を『ホモ・デウス』から引用すると,
データ至上主義によると,ベートーヴェンの交響曲第五番と株価バブルとインフルエンザウイルスは三つとも,同じ基本概念とツールを使って分析できるデータフローのパターンにすぎないという.この考え方はきわめて魅力的だ.全ての科学者に共通の言語を与え,学問上の亀裂に橋を架け,学問領域の境界を越えて見識を円滑に伝え広める.音楽学者と経済学者と細胞生物学者が,ようやく理解し合えるのだ.
その過程で,データ至上主義は従来の学習のピラミッドをひっくり返す.これまでは,データは長い一連の知識的活動のほんの第一段階とみなされていた.人間はデータを洗練して情報にし,情報を洗練して知識に変え,知識を洗練して知恵に昇華させるべきだと考えられていた.ところがデータ至上主義者は,次のように見ている.もはや人間は厖大なデータの流れに対処できず,そのためデータを洗練して情報にすることができない.ましてや知識を知恵にすることなど望むべくもない.したがってデータ処理という作業は電子工学的アルゴリズムに任せるべきだ.このアルゴリズムの処理能力は,人間の脳の処理能力よりもはるかに優れているのだから.つまり事実上,データ至上主義者は人間の知識や知恵に懐疑的で,ビッグデータとコンピューターアルゴリズムに信頼を置きたがるということだ.
ということだそうです.
その際の「データ処理装置」が,今の携帯電話やスマホ,腕時計のようなものになるであろうし,もっと先には,体内に埋め込んで視神経を介して情報を表示させる未来が待っていることでしょう.

人間至上主義における人は,人間のこと,そして自分自身のことが分かっていません.分かっていないから崇拝対象だったのです.
どうして本当は好きなのに嫌いと言っちゃったんだろう.
どうしてあの時私は欲しくもない健康器具を買っちゃったんだろう.
どうしてダメだと分かっててもお酒を飲んだあとにラーメンを食べちゃうんだろう.

ところが,データ至上主義とテクノロジーが結びついた未来においては,こうした人間らしい,もとい,ホモ・サピエンスらしい判断ミスは起こりません.
過去の自分自身の記録データを基にして,最適な判断を下せるようになるのです.
その時,それは「自分の判断」とは言えないかもしれません.あくまでデータ処理です.

脳を刺激することによって,気持ちよくなったり気持ち悪くなったり,特定の行動をとりたくなったり,その反対に嫌ったりすることが分かっています.
ラットの研究では,脳に刺激を与えることで,右に歩かせたり左に歩かせたり,ハシゴを登らせたりといった運動動作を,リアルタイムにリモートコントロールできることも分かっています.この時,ラットは自分の意思に反して無理やり動かされているわけではなく,脳(自分)が望んだ動きをやっている認識しかないでしょう.

これが人間に採用されれば,欲しくもない物を買ってしまったり,お酒を飲んだあとにラーメンを食べることもなくなります.
もっと言えば,集中してやりたいことがあれば,意図的にその行動を促進させる刺激を脳に与えて「途中で飽きる」「面倒臭がる」といった状態になることをなくせます.
飲み過ぎ食べ過ぎ,運動不足,だらけた生活習慣で悩むことはないのです.

良かったですね.これでニート問題も解決.
これがホモ・デウスにアップグレードしたホモ・サピエンスの未来です.

っていうか,そもそもホモ・デウスにアップグレードした社会において,人,もとい神はニートになりたがるんじゃないか? とも思ったりするんです.

だって,現在の人間たちが,こんなにもしゃかりきに仕事しているのは,将来への不安とか,ステータスとか,自己実現のためだったりするわけでしょ?
でも,「神」になった人間はそんなこと気にするのかな?
しないよね.

なんせ,「生存」のためのデータ処理の最適解は算出できちゃえるのです.だから,将来への不安なんてものはありません.不安に思ったとしても,それを抑え込むこともできるわけで.
しかも,ホモ・デウスは一人だけじゃないんですよね.
ホモ・デウスによる社会が誕生するわけですから.

そんな中にあって,どういう社会政策や政治が行われるのか.
それは未知数ですけど,きっとディストピアな状態になることはないだろう,っていうデータと根拠の薄いホモ・サピエンスらしい展望が私にはあるんです.


参考書籍
以下が『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』です.