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ウヨクの知能を諦める(愛国心教育編)

「ウヨク」シリーズの第3弾.
なぜ「ウヨク」とカタカナ表記しているのかについては,前回までの記事をご覧ください.
ウヨクの知能を諦める(移民政策編)

とは言え,ウヨクについて簡単に述べておくと,同じく左翼のカタカナ表記である「サヨク」の定義を参照し,私なりに以下のように定義しています.
一般的には右翼思想及び新自由主義体制または国粋主義にシンパシーを示すが、正面から右翼・保守思想を考察することはなく、「自己責任・愛国心・皇室・世界ランキング」といった俗物根性をくすぐる事象に乗っかって活動する思想・立場のこと。
より簡単にいえば,ウヨクとは「悪性の俗物」です.
なお,俗物に関する詳細は■俗物が俗物らしくしちゃダメをご覧ください.

今回は,「愛国心教育」についてお話します.
ご案内のとおり,ウヨクは愛国心教育を推奨します.
「学校とは愛国心を育てるところである」と考えるウヨクもいるくらいです.
愛国教育を学校で行って何が悪いのですか?(Yahoo!知恵袋)
微笑ましいですね.


ウヨクいわく,日本の学校は愛国心教育を怠ってきたため,日本人には愛国心がないのだそうです.

ではなぜ,愛国心教育を怠ってきたとされる現代の学校を卒業しているウヨクが「愛国心」なるものを持つに至ったのでしょうか?

考えられることは3つ.
1)愛国心教育を受けなくても愛国心は育つから
2)ウヨクはまじめに学校で勉強していないから
3)実はウヨクは愛国心を持っていない

全部正解ですが,当該設問において妥当なのは3番です.
ウヨクの言う「愛国心」とは,国を愛する心ではありません.

では,愛国心でなければ何なのか?
それは「俗物根性」です.

福田恆存 著『国家とは何か』の冒頭に「俗物論」というのがあります.
福田氏が言う俗物とは「世間に対する自己の関係に不安を感じ,その不安を解消するために,劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上の見せかけをつくろうとする」人のことだそうです.

これは「ウヨク」のことを指しています.

俗物は常に人の目を気にします.
自分がどれほど特別で特徴的な存在であるかを他人に意識させたがるのが俗物です.
俗物であるウヨクは,自身の俗物根性を「愛国心」だと偽って大見得きっているに過ぎません.

愛国心教育の典型が,学校での国旗国歌の扱いです.ウヨクは,愛国心を育てるために学校できちんと国旗国歌について教えるべきだと論じます.
いえ,このことを否定するわけではありません.日本人としての基礎知識,一般的行事としての振る舞い方,そして国際社会において「国旗国歌」がどのように扱われているのかを教えるためには必要でしょう.

ですがこれは教養であって愛国心とは関係ない.
国旗国歌を教えたからといって,健全な愛国心が育つわけないじゃないですか

ではなぜウヨクは愛国心を育てるために国旗国歌を教えようとするのか.

それは,国旗国歌の存在が彼らの俗物根性をくすぐるからです.
「国」を象徴する国旗や国歌を奉ることによって,その「奉っているモノ」の一員である自分を特別な存在だと感じてほしいと願う.
これがウヨクと国旗国歌の関係です.

若い女性とケーキ屋さんに行くと,彼女たちはショーウィンドウに入っているケーキを指さし「わぁ〜,ほらほら見て見て,カワイイぃ!」などと言い出します.
ケーキがカワイイわけがない.
これは,こんなケーキごときを「カワイイぃ!」と評している私のことがカワイイでしょ,という意識的ないし無意識的アピールです.
最近はオバサンもそんなことを言い出すようになりました.
歳と顔を考えてもらいたいものですね.

ウヨクが国旗国歌を奉るのもこれと一緒です.

極端な話,国旗国歌に反対していようとも「愛国心」がある人はいるでしょう.彼らには彼らなりの「理想的な日本」があるからです.
愛国心があるゆえに,そして現状,理想的な日本じゃないがゆえに,いろいろと文句を言うのが「サヨク」や左翼です.
私はそんな彼らに一切のシンパシーを感じませんが,それはそれ.

国旗や国歌がどのような扱いを受けようと,国を愛する心とは関係ありません.

勤めている会社の社章や社訓・社歌が嫌いでも,そこでの仕事や組織まで嫌いになるわけではありませんよね.

さらに,ウヨクは「自虐史観に基づく教育」もダメだと言います.
ウヨクの脳内では,日本は自虐史観で教育するから愛国心が育たないのだそうです.
これも同じこと.
自虐史観と愛国心,関係あるんでしょうか?


昔から私はこの「自虐史観はダメだ論」が嫌いでした.
知性の欠片も感じられません.
ものすごく恥ずかしい気分になります.
自分たちの歴史を自虐的に見ようと自愛的に見ようと,自国の歴史を感情的に省みている時点で愛国心があると私は思います.

自分たちの国の歴史を知ろうとする.
その歴史がどのようなものであったとしても,歴史から学ぼうとする姿勢は愛国心故です.


関東にはホッピーというアルコール飲料があります.
ホッピー(wikipedia)
地方出身者からすれば,全会一致で「まずい」酒です.

先日,ホッピーを飲んだこと無いですと言う岡山出身の先生に飲ませてみたら,露骨に不機嫌な顔をしました.
また,九州出身の先生に言わせれば,ホッピーを「旨い」と言っている関東人を人間として信用出来ないそうです.
私もそう.
これを飲料だと認める関東人の感性を疑います.

ホッピーとはそういうものです.
でも,関東の人々はこれを「旨い,旨い」と飲んでいます.
青春の味なんだそうです.

その一方で,関東の人の中にもホッピーのことを「実際のところ,まずいんだけどね」と言っている人は少なくありません.
自虐史観ですね.

けれども,関東人がホッピーを愛する気持ちに変わりはないのです.
これと同じことが愛国心教育にも言えます.


自国の歴史を自虐的に捉えることと,愛国心がないこととはイコールではありません.
ところが,ウヨクは歴史を自虐的に捉えると愛国心が育たないといいます.

ホッピーはまずいですが,これを愛する気持ちとは別です.
愛するものが,旨いか不味いかは関係ありません.

自虐史観はダメだと言い,優れた歴史を教える教育を展開しようとするウヨクは,ホッピーの美味しさを無理やり語る関東人のようなものです.
鬱陶しいことこの上ない.

地方出身者にとってはどうでもいいことですし,ホッピーがまずいことに変わりありません.
まずいものを旨いという必要はない.

まずくても愛飲すればいいのです.
なんなら「旨いホッピー」を開発すればいいではありませんか.
え? そんなことするくらいなら他の酒を飲むって?
バカ言っちゃいけない.
自郷の酒に誇りを持ちなさい.
そんなことだから碌な奴が都知事に立候補しないのです.
ホッピーではなく,越乃寒梅や赤霧島を好んで飲む連中が舛添要一を生みました.


自国の歴史に誇りを持つことと,それが良い歴史であると認識することは同義ではありません.
これはなにも「日本の歴史は悪い歴史だった」と言っているわけではなく,自国の歴史観と愛国心に関係がない.
もっと言えば,両者を相関させて教育することは,むしろバカを育てることになりはしないかと危惧するところでもあります.


そしてここに,自国の歴史を “誇りたい” というウヨクの俗物根性も垣間見えるのです.
自国の歴史を誇って見せさえすれば,その誇らしい歴史の国の一員である自分を拡大修飾できると考えています.

過去記事でも繰り返していますが,そもそもの話をすれば,その地に生を受けて居住し,生活をしている時点で,当該地を愛さないわけがない.
あとは,その愛し方がどのような形になるかの問題なのです.

わざわざ「愛国心教育」などと企画する時点で,こいつらこそ愛国心が無いのではないかと疑いたくなります.

事実,ウヨクは愛国心教育を推奨するくせに,
とエキセントリックな暴言を吐く首相を「愛国者だ」と礼賛します.
そう言えば,愛国心教育を盛り込んだ2006年の教育基本法改正は,この首相の仕事でした.

彼らにとって,「愛国心」とは心ではありません.
それは得点(スコア)であり,高いほうが優れていると評価されるものなのです.


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