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大学教員志望者なら気に留めておいた方がいいこと:ある女性研究者の自殺が象徴するもの
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どういう経緯か知りませんが,こんなニュースが出てきて話題になっています.
■文系の博士課程「破滅の道。人材がドブに捨てられる」 ある女性研究者の自死(朝日新聞 2019.4.10)
ニュースとして取り上げられたきっかけは,自殺した西村氏が既に優れた業績を収めている象徴的な人物だったということもあるでしょうが,その一方で,「これから優れた業績を収めたかもしれない人物」も自殺しているのが研究者の世界です.
もし生前に声がかけられるのなら,私は「絶望して自殺を選ばなくても,市井の研究者として研究は続けられますよ.今どき,研究職に就いたがために研究できなくなる可能性もありますから」と言うでしょうか.
研究職らしい組織・機関に就くことがゴールではないでしょうし,仮に,大学に就職できたからと言っても,自分の研究ができるわけではないのが現代日本です.
「やりたい研究を続けたくて大学に職を求めている」という人は要注意です.
“危ない大学” が増えてきた昨今,研究なんか碌にできず,経営・広告に勤しむことを強いられるのが現在の大学教員の姿ですので.
上述したニュース記事でも,西村氏のお父様が「今日の大学が求めているのは知性ではなく、使いやすい労働力。玲はそのことを認識していた」と述べていますが,その通りです.
この件については,このブログでは再三再四,面白可笑しく記事にしてきました.もちろん,本当に面白可笑しく書いていたわけではありません.ある種の “怨念” と “祈念” を持って書いていたというのが本音です.
気になる人,未読の方は本文の最後に列記しましたので読んでみてください.
本気で学術研究をしたいと思って大学に職を求めた人にとっては,今の大学は死にたくなるような現状ですが,少し距離をおいて見れる人にとっては,笑い転げることができる記事となっています.
ところで,私は先月記事にしましたように,「大学教員という立場での研究者」を引退することにしました.
■大学教員やめます
その理由ですが,こう言っては不謹慎かと思いますが,もしかすると西村氏が自死するに至ったものと類似しているかもしれません.
彼女は自死でしたが,私は引退を選びます.まだ死にたくないから.
私の場合,彼女と違って幸運にもいくつかの大学で職を得ておりました.
ですが,はっきり言って大学で仕事してても絶望です.
理由は過去記事でたくさん書いてきましたが,もう日本では「私たちが知っている大学教育」を期待することはできそうにありません.
それは多くの大学教員が薄々,敏感な人ならビンビン感じているところですが,それを改善することは不可能になってしまいました.覆水盆に帰らずとはよく言ったものです.
そんな中で教育と研究に取り組んでいても,疲れるだけになっています.少なくとも私は.
だったら辞めればいいのに,と思われるかもしれませんが,だからってことではないのですけど,実際に辞めることにしました.
自分で言うのもなんですけど,大学教員を「辞める」という決断にはとても勇気が必要なのです.
それができる研究者ってとても少ないのですよ.思い詰めて自殺する人もいるくらいだから.
周りの人は非常に驚きます.
理由を根掘り葉掘り聞いてくる人もいますが,もちろん本当のことは教えません.
私も一応常識的感覚はありますので,現在の大学教員という職がどれだけ腐敗しているのか丁寧に説明すると角が立つことくらい分かります.
自殺する人もいるくらいですから,「大学教員」という職は羨望の的にもなっています,今んとこは.
特に同業者は,「大学教員以外の仕事」について想像できない人が多いですし,大学教員であることが最大の誉れ,大学教員を目指すことが至上命題と認識している人もいます.
スゴロクの「あがり」みたいなものと捉えている向きもあります.微笑ましいですね.
けど,どの業界や職業にも表と裏がありますし,期待値と実測値の誤差,経時的変化が発生します.
よく,アイドルやってた女の子が,スキャンダルやトラブルも無く上手くいってたのに,突然ばったりと引退して全然違う仕事を始めることってありますよね.
あれと似たようなものだと思ってください.
でも勘違いしないでください.今の大学が無意味・無価値だと言いたいわけではありません.
存在しているんだから,一応は意味と価値はあります.
ただ,そこで展開されていることに関わるのが不本意なことばかりなので,関わらないことにしました.
これは,徹頭徹尾,私の精神衛生上の理由です.
現在の大学教育に対する良し悪しの話ではありません.
このブログ記事を,自殺した研究者と似たような境遇の人たちが読んでいるかもしれません.
そういう人たちに訴えたいこととしては,ご自身が研究したいテーマや領域に幅を持たせることです.
わざわざ「大学の教員」とか「機関の研究員」にならなければできないことを研究したいのか,自分に問うことです.
自殺しなきゃいけないほど,そのテーマや領域に拘りがある人なら仕方ありません.自殺してください.そういうぶっ飛んだ奇抜な人は極稀にいるものです.
けど私が観察してみるに,たいていの研究者は,向き合ったものを「研究」することが好きな人だと思います.
大学や研究機関に所属していなければ取り組めないテーマ以外にも,研究心をくすぐる対象はたくさんあります.
むしろ現代日本においては,大学や研究機関以外の時間的余裕がつくれる仕事に就いた方が,「研究したい」という欲求を満たしやすいのではないかと私は考えています.
よく,「論文や業績が出せなければ・・・」とか,「研究を社会に還元するために・・・」といった話が出てきますが,それは研究活動に取り組むための動機ではありません.
世の中に納得してもらうための行為であって,そんなことは研究とは無関係です.
もっと言えば,今どき,研究成果はブログとかYouTubeで配信できます.
実際,私も自分の研究成果をYouTubeで配信していますけど,論文にするよりよっぽど広く世界に周知できますし,社会にも還元・貢献できます.
アップした動画の中には,数千再生されているものもいくつかあります.
こっちの方が研究者としての「社会貢献」になっているかもしれません.
これは今後の私の人生指針にもなるかもしれませんので,そういうライフスタイルが確立できないか模索していく予定です.
■文系の博士課程「破滅の道。人材がドブに捨てられる」 ある女性研究者の自死(朝日新聞 2019.4.10)
大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。この西村氏と同じような境遇の研究者は,日本国内には山のように存在しますので,共感できる人も多いことかと思います.
日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。
04年に博士(文学)に。05年、月額45万円の奨励金が支給される日本学術振興会の特別研究員に選ばれた。
実家で両親と暮らしながら研究に打ち込み、成果をまとめた初の著書が評価されて、09年度に若手研究者が対象の賞を相次いで受賞。恩師は「ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と振り返る。
だが、特別研究員の任期は3年間。その後は経済的に苦しい日が続いた。
衣食住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。
安定した職がないまま、両親は老いていく。14年、苦境から抜け出そうと、ネットで知り合った男性との結婚を決めた。だが同居生活はすぐに破綻。自らを責めて心を病んだ。離婚届を提出したその日に自死した。
父(81)は、「今日の大学が求めているのは知性ではなく、使いやすい労働力。玲はそのことを認識していた」と語る。
90年代に国が進めた「大学院重点化」で、大学院生は急増した。ただ、大学教員のポストは増えず、文科系学問の研究者はとりわけ厳しい立場に置かれている。首都圏大学非常勤講師組合の幹部は「博士課程まで進んでしまうと、破滅の道。人材がドブに捨てられている」と語る。
ニュースとして取り上げられたきっかけは,自殺した西村氏が既に優れた業績を収めている象徴的な人物だったということもあるでしょうが,その一方で,「これから優れた業績を収めたかもしれない人物」も自殺しているのが研究者の世界です.
もし生前に声がかけられるのなら,私は「絶望して自殺を選ばなくても,市井の研究者として研究は続けられますよ.今どき,研究職に就いたがために研究できなくなる可能性もありますから」と言うでしょうか.
研究職らしい組織・機関に就くことがゴールではないでしょうし,仮に,大学に就職できたからと言っても,自分の研究ができるわけではないのが現代日本です.
「やりたい研究を続けたくて大学に職を求めている」という人は要注意です.
“危ない大学” が増えてきた昨今,研究なんか碌にできず,経営・広告に勤しむことを強いられるのが現在の大学教員の姿ですので.
上述したニュース記事でも,西村氏のお父様が「今日の大学が求めているのは知性ではなく、使いやすい労働力。玲はそのことを認識していた」と述べていますが,その通りです.
この件については,このブログでは再三再四,面白可笑しく記事にしてきました.もちろん,本当に面白可笑しく書いていたわけではありません.ある種の “怨念” と “祈念” を持って書いていたというのが本音です.
気になる人,未読の方は本文の最後に列記しましたので読んでみてください.
本気で学術研究をしたいと思って大学に職を求めた人にとっては,今の大学は死にたくなるような現状ですが,少し距離をおいて見れる人にとっては,笑い転げることができる記事となっています.
ところで,私は先月記事にしましたように,「大学教員という立場での研究者」を引退することにしました.
■大学教員やめます
その理由ですが,こう言っては不謹慎かと思いますが,もしかすると西村氏が自死するに至ったものと類似しているかもしれません.
彼女は自死でしたが,私は引退を選びます.まだ死にたくないから.
私の場合,彼女と違って幸運にもいくつかの大学で職を得ておりました.
ですが,はっきり言って大学で仕事してても絶望です.
理由は過去記事でたくさん書いてきましたが,もう日本では「私たちが知っている大学教育」を期待することはできそうにありません.
それは多くの大学教員が薄々,敏感な人ならビンビン感じているところですが,それを改善することは不可能になってしまいました.覆水盆に帰らずとはよく言ったものです.
そんな中で教育と研究に取り組んでいても,疲れるだけになっています.少なくとも私は.
だったら辞めればいいのに,と思われるかもしれませんが,だからってことではないのですけど,実際に辞めることにしました.
自分で言うのもなんですけど,大学教員を「辞める」という決断にはとても勇気が必要なのです.
それができる研究者ってとても少ないのですよ.思い詰めて自殺する人もいるくらいだから.
周りの人は非常に驚きます.
理由を根掘り葉掘り聞いてくる人もいますが,もちろん本当のことは教えません.
私も一応常識的感覚はありますので,現在の大学教員という職がどれだけ腐敗しているのか丁寧に説明すると角が立つことくらい分かります.
自殺する人もいるくらいですから,「大学教員」という職は羨望の的にもなっています,今んとこは.
特に同業者は,「大学教員以外の仕事」について想像できない人が多いですし,大学教員であることが最大の誉れ,大学教員を目指すことが至上命題と認識している人もいます.
スゴロクの「あがり」みたいなものと捉えている向きもあります.微笑ましいですね.
けど,どの業界や職業にも表と裏がありますし,期待値と実測値の誤差,経時的変化が発生します.
よく,アイドルやってた女の子が,スキャンダルやトラブルも無く上手くいってたのに,突然ばったりと引退して全然違う仕事を始めることってありますよね.
あれと似たようなものだと思ってください.
でも勘違いしないでください.今の大学が無意味・無価値だと言いたいわけではありません.
存在しているんだから,一応は意味と価値はあります.
ただ,そこで展開されていることに関わるのが不本意なことばかりなので,関わらないことにしました.
これは,徹頭徹尾,私の精神衛生上の理由です.
現在の大学教育に対する良し悪しの話ではありません.
このブログ記事を,自殺した研究者と似たような境遇の人たちが読んでいるかもしれません.
そういう人たちに訴えたいこととしては,ご自身が研究したいテーマや領域に幅を持たせることです.
わざわざ「大学の教員」とか「機関の研究員」にならなければできないことを研究したいのか,自分に問うことです.
自殺しなきゃいけないほど,そのテーマや領域に拘りがある人なら仕方ありません.自殺してください.そういうぶっ飛んだ奇抜な人は極稀にいるものです.
けど私が観察してみるに,たいていの研究者は,向き合ったものを「研究」することが好きな人だと思います.
大学や研究機関に所属していなければ取り組めないテーマ以外にも,研究心をくすぐる対象はたくさんあります.
むしろ現代日本においては,大学や研究機関以外の時間的余裕がつくれる仕事に就いた方が,「研究したい」という欲求を満たしやすいのではないかと私は考えています.
よく,「論文や業績が出せなければ・・・」とか,「研究を社会に還元するために・・・」といった話が出てきますが,それは研究活動に取り組むための動機ではありません.
世の中に納得してもらうための行為であって,そんなことは研究とは無関係です.
もっと言えば,今どき,研究成果はブログとかYouTubeで配信できます.
実際,私も自分の研究成果をYouTubeで配信していますけど,論文にするよりよっぽど広く世界に周知できますし,社会にも還元・貢献できます.
アップした動画の中には,数千再生されているものもいくつかあります.
こっちの方が研究者としての「社会貢献」になっているかもしれません.
これは今後の私の人生指針にもなるかもしれませんので,そういうライフスタイルが確立できないか模索していく予定です.
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