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日本の大学が抱えている課題を踏まえて,今後どうすればいいのか?

前回の記事,
文科省は大学をイジメる前にやるべき事があるだろ|日本の大学の特徴を再確認しよう
では,日本の大学における予算や人事などを国際比較し,諸外国と比べて極めてトンチンカンな経営をしていることを解説しました.

ただでさえ無意味な経営を続けているのに,それに輪をかけてデタラメな教育政策が執行されています.
これは,日本の大学(に限らず教育界)の「方針」のあやふやさが表出しているのです.


そんな日本の教育界と同じ境遇にある国があります.
韓国です.

韓国の教育界では,「国外からの意見を聞こう」ということで,外国人識者を招聘しているそうなのですが,その一人に日本からは内田樹氏がいるそうです.
その内田氏いわく,韓国教育界では,日本と同様,不登校やグローバル化,少子化,高い自殺率,首都への一極集中,格差社会といった問題に直面しており,例えば大学では,苛烈な学力競争や優秀な卒業生の国外流出が課題となっています.

その詳細は,以下の書籍をどうぞ.



今回の記事では,ボロボロになっている日本の大学が,今より少しはマシになるための方略として,「韓国の大学」をとりあえずの目標とすることを考えてみます.

まずは現状確認から入りますが,これまで過去記事で論じてきたことと似ているので,面倒な人は「(3)今後どうすればいいのか?」まで飛んでもOKです.


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(1)日本の大学は衰退している


「実はすごい日本の大学」と思いたい右派・保守系の人たちはカチンとくるでしょうが,残念ながら,日本の大学は今後も凋落の一途です.
もう,私たち30代の研究者が現役の期間では手遅れでしょう.

あと数年もすれば,韓国の大学にも追い抜かれることは間違いないのです.
日本の科学研究はなぜ大失速したか 〜今や先進国で最低の論文競争力(現代ビジネス 2017.4.5)
日本の 論文発表数 減少の実情と研究者にできること(エナゴ学術アカデミー 2018.8.8)


現在,日本の学術レベルは停滞.
その一方で,研究レベルをメキメキと向上させている中国やインドにも抜かれて世界6位となりました.ちなみに,韓国は9位まで順位を上げてきています.

以下に,文部科学省が出している論文数のデータをご覧ください.
文部科学省2018年資料データ

こんな事言うと,
「中国や韓国はパクリが多い.捏造論文も多いのだろ?」
と言い出すウヨ系の人もいますが,残念ながら捏造論文が最も多いのは日本です.
日本は「科学論文の捏造大国」とみられている(東洋経済オンライン 2018.9.18)

これは別に,どっかの割烹着を着た女性研究者の影響で,最近になってそんな「印象」を持たれているということではありません.
むしろ,あれこそ「氷山の一角」.
日本の研究者が投稿した論文の多くは,偽造・捏造データが見られ,論文取り下げ処分になっているのです.

昨今の大学教員は,「研究倫理」についての研修を義務付けられているため,そんなセミナーを受けなければいけません.
で,そこでよく紹介されるのが「日本人に捏造論文が多いので,特に注意してほしい」というものです.

捏造論文の常習犯と言えば日本人.
それが現在の科学界の常識です.

ですから,論文の信頼性や革新性を表す引用論文数の指標である「Top10%補正論文数」を見ても,日本はずっと主要国に追いつくことが出来ない状態です.
そろそろ韓国に抜かれそうになっていますし,中国にはすでに大きく差をつけられました.

絶対的な論文数ではイギリスやフランス,韓国にはまだ太刀打ちできても,その論文の質が低いのが日本の現状なのです.
文部科学省2018年資料データ


さらに言えば,日本は研究者数が多いのに論文数が少ないことも特徴です.
そういう意味では,日本の研究者を取り巻く環境は,世界でも最低レベルということを意味します.

文部科学省2018年資料データ




そんな日本の大学が,10年20年では無理でも,50年後くらいを目処に復活するためにはどうすればいいのか?
そんなことを考えてみようというわけですよ.



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(2)米・豪・韓の大学事情と,日本との差異


さて,目標とすべき韓国の大学教育ですが,日本と同様に脆弱な印象です.

前回記事と同じ資料ですが,文部科学省が出している2014年のデータをお示しします.
まず,全体の傾向.
日本が最下位なのはもちろんのこと,実は韓国もそれほど教育予算を割いていないことが分かります.
教育予算のGDP比 文部科学省(2014年)



次に,教育領域別で,1人当たりにかけている予算として算出したのが以下の図です.
このように,日本と韓国は初等中等教育(小中高の学校)以外に予算を割いておらず,高等教育(大学)は家計に任せていることが分かります.

興味深いことに,これと同じパターンが「アメリカ」と「オーストラリア」です.

教育予算のGDP比 文部科学省(2014年)

しかし,韓国・アメリカ・オーストラリアが,日本の大学と大きく異なるのは,箔付けではなく,本気で学生を教育・訓練している点にあります.
大学生の勉強量も豊富で,有名なのが「来週までにこの本を全部読んでこい.その上でディスカッションする」という課題がいろいろな授業で課されるため,大学生は1週間に10冊くらいの本を読まなければいけなくなる,という状況があります.


各国の事情については,私も各地の教員や元学生たちから,お話しをうかがったことがあります.

この記事のタイトルと結論である「今後どうすればいいのか?」に直結することですので,冗長と感じるかもしれませんが,まずは各国の事情をご確認ください.

参考書籍として,
 
をオススメしておきます.


まず,韓国,アメリカ,オーストラリアでは,大学に進学していれば就職が有利になり,賃金に大きな差がつきます.
これは以前から言われていることですが,現在も同様です.
進学率は,日本は55%であるのに対し,韓国・アメリカは70%以上,オーストラリアは90%以上です.


実は,各国とも学費が日本より高いのですが,多少無理をしてでも大学へ進学したがるのです.

アメリカの大学は世界でも飛び抜けて高く,
州立大学(国公立):年間約50万円〜80万円
私立大学:年間約200万円〜400万円
特に,有名大学(ハーバード大とかスタンフォード大とか)になるほどお金が高くなります.


オーストラリアの大学は,そのほとんどが国公立.
しかし,国公立大学だからといって学費が安くなるタイプではなく,年間約200万円〜300万円が必要です.


その一方で,韓国の大学は日本とよく似ています.
国公立の方が私立よりも安い傾向なのですが,そこに明確な線引はなく,年間約40万円〜100万円の範囲にあります.日本とほぼ一緒です.
韓国は,現時点では世帯当たりの賃金が日本より低いので,少し割高と言えるかもしれませんが,日本と韓国の世帯収入が近づきつつある現在,その環境差は埋まりつつあります.

さらに,日本では国公立の学費がどんどん上がっています.
50歳代の方は覚えているかと思いますが,平成の初期の国公立の学費は約20万円でしたが,現在は約50万円です.

ですから,日本が「大学」の位置づけとして韓国を参考にすることには意味があるのです.


また,アメリカやオーストラリアの進学率が高いのは,「高等教育」のくくりとして「コミュニティ・カレッジ」や「職業訓練校」といった短期の教育機関が入っているからです.

各国の進学率を以下に示しておきます.
日本には高等教育として捉える向きもある「専門学校」という制度がありますが,それを加えると約80%の進学率になります.
文部科学省2010年データ


そんなのインチキじゃないか.と思う人がいるかもしれません.
しかし,高等教育機関と専門学校は似て非なるものです.

アメリカのコミュニティ・カレッジにしても,オーストラリアの職業訓練校にしても,日本の「専門学校」とは教育内容が違います.
あくまでもアカデミックスキルを鍛えるところとして位置づけられ,そのプログラムが展開されている場所です.

専門学校と大学での指導を,両方経験した人ならご存知かと思いますが,日本の専門学校は,大学の簡略・簡易版ではありません.
学生に求めているものも,課題も全然違います.
さらに言えば,日本ではその大学が「専門学校化」していることが問題視されているのですが,これについては後述します.

この違いを例えて言えば,日本において「高等学校」と「進学・学習塾」を同じ中等教育機関として位置づけられないのと一緒です.
もちろん,似て非なるものではなく「似てるっていうか,同じもの」と考える人もいるでしょう.「高校も塾も同じようなもんだよ.むしろ,塾のほうが子供にとって利益があるよ」という意見が出てくるようなものです.


アメリカやオーストラリア在住の教員や,その卒業生の方々が言うには,これらの国の大学は,日本以上に「学歴」が称号や能力保証として機能するのだそうです.
大学を卒業するだけの知恵と知能,哲学や洞察力を身に着けた人物ということを保証しているということですね.

逆に言えば,これらの国では,そうした保証がないと仕事の求人が不安で,「人柄」とか「熱意」といった理由では採用できないことを意味します.

これは,アメリカもオーストラリアも,移民大国であることが要因かもしれません.
危ない奴を採用したくなければ大卒.そうでなくても,コミュニティ・カレッジや職業訓練校を卒業した人を採るほうが安全,という社会があるわけですよ.

一方で,韓国は,中国と同様に科挙の歴史を持つ「学歴主義」の国です.
在韓日本人が語る、韓国の凄まじい学歴社会(LATTE ブログ記事)
もちろん日本も,中国や朝鮮の制度をマネてきた歴史がありますので学歴社会の基盤はあるのですが,その程度の強さはあちらが上です.

そんな社会では,高卒や学歴なしの人材は危険物件ということになります.
だから皆して高等教育を受けようとするのは当然ですし,そこでの「成績」は極めて重要な個人の能力値として機能します.

実際,これらの国々における大学の「成績」は,就活時の参考として強力に作用するだけでなく,自動車保険の割引などにも影響します.
ですから,学生たちは必死で勉強しますし,大学側も学生の成績評価はかなり厳密に行うそうです.

一方,日本はそんなことはありません.
大学の成績なんて気にする人はほとんどいないのです.
どんな成績なのか? よりも,どの大学に在籍しているか? を大事にします.
むしろ,下手に大学できちんと勉強した学生よりも,兵隊となってくれる聞き分けの良い学生を採るほうが良い.なんて皮肉もあるくらいです.
この時点で,社会が大学に求めているものが全然違うことが分かります.



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(3)今後どうすればいいのか?


さて,そんなわけで日本の大学の今後についてです.
私としては,前回記事でお話したように「ドイツ型」の大学を目指す方が良いと思っていますが(教育者としての理想的には北欧型だが),「偏差値」を重視したがる日本人にこれは難しいように思います.
文科省は大学をイジメる前にやるべき事があるだろ|日本の大学の特徴を再確認しよう

ですので,現状の日本に一番近い「米・豪・韓型」の大学が,実現可能性が高いということになります.
つまり,大学を卒業することによって,個人に付加価値をつけるタイプの教育です.


ところが,ここで問題になるのは日本の大学生が勉強しないという現実です.
文部科学省の資料にこのようなデータがあります.
文部科学省2011年資料

一部の大学を抜き出してきただけではないか? とか,統計マジックがかかっているのではないか? と思う人もいるかもしれません.

いえ,それは違います.
実際,日本の大学生は勉強をほとんどしませんし,授業で発言したり質問することもありません.
上記のデータで圧倒的多数を占める「1〜5時間」「6〜10時間」にしても,きっと「レポート作成」とかに充てている時間で,予習復習といった勉強ではないと思います.
むしろ,日本では「勉強」していると,変な目で見られるくらいです.

こうした日本の学生の実態は,外国人教員の先生方がショックを受けることの一つでもあります.
授業をしても反応がない.
「さあ,これについて意見をどうぞ」と言っても誰も口を開かない.
先週授業でやったことを聞いても,「覚えてないッス」と自信満々に返事をする.

外国の大学では「やる気がないなら履修するな」で済ませられるのですが,それができないのが日本の大学です.


日本の大学生が勉強しないのには理由があります.
そこまでして積極的に勉強する価値を見いだせないのです.

日本の大学では,「大学教育を受け取る能力がある学生を入学させている」という色が強いため,勉強は学生たちが勝手にするものだと考えています.
ですから,日本の大学では,授業中に寝てても単位が取れますし,期末テストやレポートの採点は結構適当に評価されます.

一方,日本以外の大学では,「入学した学生が大学教育を受け取れたか評価する」というシステムが前面に出ているため,基準に満たない学生はバッサリ切られます.

日本でもそのような方法を取ればいいのに,と思うかもしれませんね.
実際,それをやっているのが韓国の大学と言えます.

ですから,日本がやるべきことをまとめると以下のようになります.


(1)大学への進学率を70%まで高める
現在,約50%である日本の進学率を,あと20%ほど高めましょう.
そもそも,日本は「大学全入時代」と揶揄されたり,「大学が潰れる」と騒がれています.
だったら,素直に大学全入にすればいいのです.
それで大学が潰れることもなくなります.
一石二鳥とはこのことです.

日本人の多くが「大学」に持っているイメージは,おそらくドイツ・イタリア型のエリート教育,教養教育のイメージです.

ところが,そもそも企業側も大学卒業者に対する「エリート性」や「偏差値」には期待していません.
そこにあるのは,どっちかって言うと「学閥」による,後輩探しくらいのものです.
つまり,
「俺と同じくらいの能力(偏差値)の部下がほしい」
のではなく,
「俺と同じ出身大学(後輩)の部下がほしい」
という,人情味です.

今から大学の数を減らすことよりも,進学率を増やした方が将来性があります.

先週に議会を通った法律「大学修学支援法」は,それを少しだけアシストします.
しかし,これだけでは不十分です.


(2)移民をもっと大量に受け入れる
先日の記事である,
大学関係者が知っておくべき,2025年頃に受験者数が激減する未来予想図
でもお話したように,日本の大学が生き残る方法として,
「移民を大量に受け入れる」
という手段があります.

かつて「大学無償化」として始まった,大学修学支援法による学費の補助では,焼け石に水であるという記事も以前書きました.
焼け石に水の「大学修学支援法」|この程度では大学崩壊を止められない

日本社会を安定させたまま大学教育の質を上げる手段して,私がベストだと思っているのは,教育費を充実させる「北欧型」です.
しかしそれは,ドイツ型の大学教育以上に,日本社会では難しいでしょう.
日本人の本音としては「大学教育を受けたって,仕事ができるわけではない」と思っているのですから.

なので,移民をもっと大量に受け入れて,就職環境をシビアにすることが,一般人を納得させる上では効果的です.
最終的にはアメリカやオーストラリアのような社会を目指します.
大学教育を受けている人とそうでない人とで,就職環境に差がつく社会にすれば,大学に入学する人が増えます.

移民をたくさん入れれば,労働力不足が緩和されるので,日本人が高卒で就職することも難しくなります.
それによって,大卒の価値が相対的に高まりますし,移民も大学に入学するようになります.
つまり,移民にとっての「職業能力の保証」として機能するようになるのです.

ただ,ここで問題なのは,韓国のように大学卒業者が国内企業に就職せず,海外へ流出する事態を招きかねないことです.
でもまあ,何事にも一長一短があります.
移民を大量に受け入れる時点で日本社会は崩壊していますから,そんなことは些末なことです.


(3)授業数を減らす
よく,「海外の大学は授業が大変」とか,「教員の授業レベルが高い」とか言うもんだから,てっきり海外の大学は授業数が充実しているものだと思っている人がいます.

それは違います.

教員一人当たりの授業担当数は,日本が圧倒的に多いのです.
日本では,1週間に10コマとか15コマといった量は普通ですが,諸外国では5〜6コマが一般的ですし,たとえ授業担当数が多くても,同じ授業を週に何度も実施するパターンです.

日本では,10コマあれば,10種類の授業をやらなければいけない教員がいるのと比べると,その差は歴然としています.
そんなことしてたら,1コマあたりの授業の質は低下しますし,授業準備にかけられる時間も減ります.
一方で,諸外国の大学教員は,その教員の専門に特化した授業や,事前課題やディスカッションが豊富な授業を展開します.

つまり,諸外国の大学の授業は「量」は少なくても,「密度」が高いわけですよ.

では,どうして日本では授業数がべらぼうに多くなっちゃうのか?
これは,「授業数が多い = 教育が充実している」と考える日本人が多いからです.
そして,「教員の仕事を増やす = 担当授業を増やす」というマヌケな発想で改革が進められてきました.

ですから,これを改善する必要があります.

重箱の隅をつつくような授業をやめて,基礎基本の授業科目だけを展開すればいいのです.
「授業を減らせ」と言っても,抜け駆けしたがるのが大学現場ですから,規制をかけましょう.
1つの大学(学部・学科)あたり◯◯個まで,とか.そんな感じで.

熱心な教員などは,「新しく授業を立てて,もっと充実した内容を展開したい」などと言い出すでしょう.
ダメです.
そんなワガママを認めてはいけません.
だったら,担当している授業の中に,それらを詰め込めばいいのです.

え? それだと時間が足りない? 学生の負担が増える?
いいじゃないですか.それだけ充実した授業になったわけでしょ.
諸外国並に,予習復習をしなければいけない授業になったのですから.

っていうか,そういう覚悟を持たずに授業をホイホイ展開してきた日本が悪いのです.
「負担の大きい授業を展開すると,履修者が減る」などという,バカげた言い分が通っていた方がおかしい.


(4)卒業基準を高める
日本人と韓国人は似た者同士なので,大学ブランドが大好きです.
なので,大学のブランドを求めた,受験戦争を止めることはできないでしょう.

しかし,韓国の学生は,日本の学生よりもスペックが高い状態で卒業します.
それは,大学でしっかり勉強させるからです.

これを日本の大学もマネしましょう.
そうしないと,あと20年くらいで,日本は韓国の学術レベルに追いつけなくなります.
現状,中国には抜き去られていますので,一刻も早く対応が必要です.

難しい話ではありません.
各大学,勉強しない学生を卒業させなければいいのです.

どの大学でも同じ比率で卒業させない,と言っているわけではありません.
その卒業基準を,大学間で協議するのも有りですね.
これだけの課題ができていないと,大学卒業とは認めない,と.

別に,センター試験のような暗記テストとか,算術テストをするというのではありません.
大学で授業を受けたことが保証できるような,最低限の課題を設定すればいいのです.

ところが,
「そんなことすると,Fラン大学では卒業できない奴が出てくる」
という心配をする人が現れます.

そのお気持ちは分かります.
なので,卒業させなければいいのです.

その代わり,学費を一定額にし,留年してもそれ以上は支払わなくていい制度を大学に義務付けてはどうでしょうか.
とは言え,まったく支払わなくていいというわけにはいかないので,手数料として年間10万円とか.

もしくは,授業1つとか1単位あたりに学費を設定するのもいいですね.
例えば1単位2万円などと設定し,半期に2単位の授業を10科目履修していたら,40万円.4科目履修したら16万円を支払うといった感じです.

学生としては,留年しても履修した授業の単位分しか支払わなくていいということ.
むしろ,「留年」という概念が無くなるかもしれません.

これなら,金銭感覚が研ぎ澄まされるので,授業をしっかり受けようという気にもなります.
1800円の映画であれば寝落ちする人もいますが,4000円を払って寝ようと思う人は少ないでしょう.それと同じです.



関連書籍は以下の通り.
日本の大学教育の特徴を理解するのに役立ちます.