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大学教員をやめて,次どうするのか? その1
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「令和」という元号にならって,私も大学教員を辞めて田舎暮らしを始めることにしました.
そこまでが,前回までの記事でお話したところです.
もうちょっと詳しく書いてきます.
「大学教員を辞めてどうするの?」
って言われることも多いのですが,好きに気ままに生きていくだけです.
私が10年ほど大学教員をやってみて確信したのは,
この国ではどうにでも生きていける,ということと,
好きに生きていかないと結局は損をする,ということです.
「せっかく教員をやっているのに,もったいないのでは?」
という人もいます.
私はむしろ,教員を続けることに勿体なさを感じるので辞めるのです.
これはかなり個人的な性格とか,周囲の環境に左右されることです.
一般論にはなりにくいので,私の話を聞いて参考になる人は極少数でしょう.
しかし,極少数でも参考になる人がいると思いますので,このブログに綴ります.
私はかつて「大学教員になるためのコツ」をブログにアップして,少しだけ有名になりました.
例えばこういう記事.
■大学教員になる方法(強化版)
■大学教員になる準備
シリーズの中ではこの記事が最も閲覧数が多いのですが,何年か前から落ち着いてきて,現時点では約15万PVとなっています.
他の似たような記事を入れたら40万PVくらい.
今では他に類似記事や,具体的な手法を記事にしている人がたくさん出てきので,そっちの方をご覧になっている人も多いのでしょう.
私が6年前からこの手の記事を書かなくなっているのは,その時期から「大学教員」への関心が無くなってきたからだと思います.
もっと言えば,そもそも「大学教員になる方法」を書いた動機も,私自身のなかで,
「大学教員は,なりたければ誰でもなれるほどに価値が無くなった」
と感じてきたからでしょう.
私の職歴を少しお話しておきます.
最初の何年間かは,母校の大学で研究助手という身で,学部生や院生の研究指導をしてきました.
今思えば,この時代が一番おもしろかった.
そのうち,とある大学からオファーがあって,本格的に大学教員になりました.
ここで「うーん・・,大学教員って将来性が低いな」と思ってしまいます.それが10年前.
ブラック大学について記事にし始めたのもこの頃からです.
各学科の偏差値は40〜50というFラン枠の大学でしたが,その大学や学生が嫌いだったわけじゃありません.
ただ,経営者や上層部の教育方針と合わなかったんです.
ですが,この私の不満はこの大学固有の話かもしれません.なので,
「別の大学で仕事をしてみて,それでもおかしな状況だったら,教員をやめよう」
と思うに至ります.
そして,移った大学が都内の「有名私立大学」です.
以前の職場と比較するには,うってつけの大学でした.
本務校の他にも3校ほど,都内を拠点とする大学の非常勤講師もやってみました.
いずれも偏差値60〜70の大学なので,きっと皆さんもよく知っているところです.
そうやって5年ほど仕事をしてきた結論として,やっぱり大学教員を続ける価値を見いだせなかったんです.それが去年くらい.
理由の詳細は複雑で多岐にわたるので,今後のブログでも継続して紹介していきます.
ただ,今ここで強いて言うなら「つまらない」からです.
そして,2番目に勤めた大学で味わった「不満」と同じものが,徐々に有名大学にも侵食していることを知ったからです.
今はフェードアウト中.
大学関係の仕事は授業や組織運営以外にもいろいろあって,突然辞めたり(死んだり)すると困る人がたくさん出てくるものがあります.
なので,徐々に生活を切り替えることにしています.
決心がつくまで時間がかかったとも言えますが,それなりに有意義な時間を過ごせたとも思っています.
楽しい人生前半戦だったのではないでしょうか.
あと,私が「大学教員を辞める」という決断をしやすかった理由の一つに,
「望んで就いた仕事じゃない」
という境遇は無視できないと思います.
大学教員になるための投資をしたり,準備をしてきた意識は全く無く,ひたすら,
「好き勝手に研究をする」「友人や学生と学術にふける」「世俗の面倒を遠ざける」
というライフスタイルが好きで続けていたら,あっちから仕事が来ただけです.
ところが現在の大学は,好き勝手に研究できませんし,学生は率先して育てるものになったし,世俗の面倒が押し寄せる仕事になりました.
なので,辞めるんです.つまらないから.
この記事を読んでいる人の中で,大学教員を目指している人がいましたら,その点は考慮しておいてください.
「夢を実現するため,どうしても大学教員になりたい」
「大学教員になれば生活が安定する」
と考えている人を止めたり否定したりはしません.それに,
「家族がいて,お金を稼がないといけないから」
という人もいるでしょう.
そういう人は,続けられるのであれば大学教員を続けた方がいいですね.
ですが,これからは大学教員・受難の時代となります.
10年前から大学教員をやっていますが,その当初から「これからの大学は斜陽産業だな」と肌で感じていました.
たとえ斜陽産業であっても,とりあえず現時点では安定しているから利益がある.
そう考える人にとっては,大学教員は理想的な仕事だと思います.
ただ,斜陽産業に就くことの問題点は,「落ちぶれる者の悲哀」をその身に受けなければならないことです.
もし,大学教員を「腰掛け」ではなく,ずっと続けていくつもりで就職・転職するのであれば,結構キツいですよ.
これから先ずっと,撤退戦を余儀なくされる時代が続き,絶対に「現状維持」や「隆盛を味わう」ような仕事ではないのですから.
同じことが,今の大手マスコミとか映像制作会社にも言えるのではないでしょうか.
(もちろん,その中でも極一部「勝者」らしき人が出てくることはあるだろうけど)
私自身,撤退戦を続けるのも悪くないかな,って思っていた時期もありました.
■反・大学改革論
■こんなホームページの大学は危ない
などを書き始めた時期です.それが7年前ですね.
たとえ「撤退戦」であっても,これは撤退戦であると認識していれば,可能な限り戦力を保持して,次の世代に繋げることを目標に戦うことができます.
それが大学教員を続けるモチベーションになるかな,と考えていました.
それからしばらくは,
「大学改革に反対」
「大学教育の使命を問い直す」
「大学は『世間の要望』を聞くところではない」
といったことを書き綴っていたんです.
そのうち,こんな匿名のブログに日経新聞の記者さんが取材しにきました.
その記者さんにもお話したのですが,大学は今,変化の時代ではないんですよ.
ちょっと長めの黄昏の時代に入ったんです.
ですが,これを立て直すことは不可能ではないと思います,今でも.
しかし,立て直そうという動きはありませんし,むしろその逆をいってます.
私の意見としては,今は撤退戦がベターだと思っているんですけど,結構たくさんの人が突撃しようとしているんですね.
大本営もそんなことを叫んでいます.
やってらんないでしょ,こういうの.
ところが,入ってきた新兵には,ライフルも爆弾も持たせず,ナイフだけ渡して「さぁ,突撃だ」と.
なんだか歴史的デジャヴをおぼえます.
日本人には計画的に撤退戦をする概念が無いのではないか?
そんな考察をしたくなる気分にもなりますが,それはまた別の話.
さて,大学教員をやめてどうするのか? という点ですが,大学教員以外のことをするとしか言えません.
目星がついているのは,実家での農林業ですね.
ですが,私の特徴として「面白そうなこと」「ストレスを抱えないこと」しかやりたくないので,単一の仕事だけをやっていくつももありません.
冒頭にもお話したように,気ままに生きていくつもりです.
以前の記事で,森博嗣 著『なにものにもこだわらない』を紹介しました.
類似した内容として,『夢の叶え方を知っていますか?』もあります.
そこに書いていることは,どれも頷けることばかり.
就職で悩んでいる人や,「大学教員」なんていう浮世離れ(していたはず)の仕事を考えている人におすすめします.
特に,大学院まで進んできたけど将来に不安を覚え始めた,という人にとっては,今回の記事より参考になるはずです.
キーワードは「あなたのその夢は,自分が叶えたいことか? 叶える姿を他人に見せたいことか?」
※で,その続きを書いたので御覧ください.
そこまでが,前回までの記事でお話したところです.
もうちょっと詳しく書いてきます.
「大学教員を辞めてどうするの?」
って言われることも多いのですが,好きに気ままに生きていくだけです.
私が10年ほど大学教員をやってみて確信したのは,
この国ではどうにでも生きていける,ということと,
好きに生きていかないと結局は損をする,ということです.
「せっかく教員をやっているのに,もったいないのでは?」
という人もいます.
私はむしろ,教員を続けることに勿体なさを感じるので辞めるのです.
これはかなり個人的な性格とか,周囲の環境に左右されることです.
一般論にはなりにくいので,私の話を聞いて参考になる人は極少数でしょう.
しかし,極少数でも参考になる人がいると思いますので,このブログに綴ります.
私はかつて「大学教員になるためのコツ」をブログにアップして,少しだけ有名になりました.
例えばこういう記事.
■大学教員になる方法(強化版)
■大学教員になる準備
シリーズの中ではこの記事が最も閲覧数が多いのですが,何年か前から落ち着いてきて,現時点では約15万PVとなっています.
他の似たような記事を入れたら40万PVくらい.
今では他に類似記事や,具体的な手法を記事にしている人がたくさん出てきので,そっちの方をご覧になっている人も多いのでしょう.
私が6年前からこの手の記事を書かなくなっているのは,その時期から「大学教員」への関心が無くなってきたからだと思います.
もっと言えば,そもそも「大学教員になる方法」を書いた動機も,私自身のなかで,
「大学教員は,なりたければ誰でもなれるほどに価値が無くなった」
と感じてきたからでしょう.
私の職歴を少しお話しておきます.
最初の何年間かは,母校の大学で研究助手という身で,学部生や院生の研究指導をしてきました.
今思えば,この時代が一番おもしろかった.
そのうち,とある大学からオファーがあって,本格的に大学教員になりました.
ここで「うーん・・,大学教員って将来性が低いな」と思ってしまいます.それが10年前.
ブラック大学について記事にし始めたのもこの頃からです.
各学科の偏差値は40〜50というFラン枠の大学でしたが,その大学や学生が嫌いだったわけじゃありません.
ただ,経営者や上層部の教育方針と合わなかったんです.
ですが,この私の不満はこの大学固有の話かもしれません.なので,
「別の大学で仕事をしてみて,それでもおかしな状況だったら,教員をやめよう」
と思うに至ります.
そして,移った大学が都内の「有名私立大学」です.
以前の職場と比較するには,うってつけの大学でした.
本務校の他にも3校ほど,都内を拠点とする大学の非常勤講師もやってみました.
いずれも偏差値60〜70の大学なので,きっと皆さんもよく知っているところです.
そうやって5年ほど仕事をしてきた結論として,やっぱり大学教員を続ける価値を見いだせなかったんです.それが去年くらい.
理由の詳細は複雑で多岐にわたるので,今後のブログでも継続して紹介していきます.
ただ,今ここで強いて言うなら「つまらない」からです.
そして,2番目に勤めた大学で味わった「不満」と同じものが,徐々に有名大学にも侵食していることを知ったからです.
今はフェードアウト中.
大学関係の仕事は授業や組織運営以外にもいろいろあって,突然辞めたり(死んだり)すると困る人がたくさん出てくるものがあります.
なので,徐々に生活を切り替えることにしています.
決心がつくまで時間がかかったとも言えますが,それなりに有意義な時間を過ごせたとも思っています.
楽しい人生前半戦だったのではないでしょうか.
あと,私が「大学教員を辞める」という決断をしやすかった理由の一つに,
「望んで就いた仕事じゃない」
という境遇は無視できないと思います.
大学教員になるための投資をしたり,準備をしてきた意識は全く無く,ひたすら,
「好き勝手に研究をする」「友人や学生と学術にふける」「世俗の面倒を遠ざける」
というライフスタイルが好きで続けていたら,あっちから仕事が来ただけです.
ところが現在の大学は,好き勝手に研究できませんし,学生は率先して育てるものになったし,世俗の面倒が押し寄せる仕事になりました.
なので,辞めるんです.つまらないから.
この記事を読んでいる人の中で,大学教員を目指している人がいましたら,その点は考慮しておいてください.
「夢を実現するため,どうしても大学教員になりたい」
「大学教員になれば生活が安定する」
と考えている人を止めたり否定したりはしません.それに,
「家族がいて,お金を稼がないといけないから」
という人もいるでしょう.
そういう人は,続けられるのであれば大学教員を続けた方がいいですね.
ですが,これからは大学教員・受難の時代となります.
10年前から大学教員をやっていますが,その当初から「これからの大学は斜陽産業だな」と肌で感じていました.
たとえ斜陽産業であっても,とりあえず現時点では安定しているから利益がある.
そう考える人にとっては,大学教員は理想的な仕事だと思います.
ただ,斜陽産業に就くことの問題点は,「落ちぶれる者の悲哀」をその身に受けなければならないことです.
もし,大学教員を「腰掛け」ではなく,ずっと続けていくつもりで就職・転職するのであれば,結構キツいですよ.
これから先ずっと,撤退戦を余儀なくされる時代が続き,絶対に「現状維持」や「隆盛を味わう」ような仕事ではないのですから.
同じことが,今の大手マスコミとか映像制作会社にも言えるのではないでしょうか.
(もちろん,その中でも極一部「勝者」らしき人が出てくることはあるだろうけど)
私自身,撤退戦を続けるのも悪くないかな,って思っていた時期もありました.
■反・大学改革論
■こんなホームページの大学は危ない
などを書き始めた時期です.それが7年前ですね.
たとえ「撤退戦」であっても,これは撤退戦であると認識していれば,可能な限り戦力を保持して,次の世代に繋げることを目標に戦うことができます.
それが大学教員を続けるモチベーションになるかな,と考えていました.
それからしばらくは,
「大学改革に反対」
「大学教育の使命を問い直す」
「大学は『世間の要望』を聞くところではない」
といったことを書き綴っていたんです.
そのうち,こんな匿名のブログに日経新聞の記者さんが取材しにきました.
その記者さんにもお話したのですが,大学は今,変化の時代ではないんですよ.
ちょっと長めの黄昏の時代に入ったんです.
ですが,これを立て直すことは不可能ではないと思います,今でも.
しかし,立て直そうという動きはありませんし,むしろその逆をいってます.
私の意見としては,今は撤退戦がベターだと思っているんですけど,結構たくさんの人が突撃しようとしているんですね.
大本営もそんなことを叫んでいます.
やってらんないでしょ,こういうの.
ところが,入ってきた新兵には,ライフルも爆弾も持たせず,ナイフだけ渡して「さぁ,突撃だ」と.
なんだか歴史的デジャヴをおぼえます.
日本人には計画的に撤退戦をする概念が無いのではないか?
そんな考察をしたくなる気分にもなりますが,それはまた別の話.
さて,大学教員をやめてどうするのか? という点ですが,大学教員以外のことをするとしか言えません.
目星がついているのは,実家での農林業ですね.
ですが,私の特徴として「面白そうなこと」「ストレスを抱えないこと」しかやりたくないので,単一の仕事だけをやっていくつももありません.
冒頭にもお話したように,気ままに生きていくつもりです.
以前の記事で,森博嗣 著『なにものにもこだわらない』を紹介しました.
類似した内容として,『夢の叶え方を知っていますか?』もあります.
そこに書いていることは,どれも頷けることばかり.
就職で悩んでいる人や,「大学教員」なんていう浮世離れ(していたはず)の仕事を考えている人におすすめします.
特に,大学院まで進んできたけど将来に不安を覚え始めた,という人にとっては,今回の記事より参考になるはずです.
キーワードは「あなたのその夢は,自分が叶えたいことか? 叶える姿を他人に見せたいことか?」
著者は,元名古屋大学 助教授の小説家ですが,50歳頃から引退して田舎暮らしをしているそうです.
作家としてたくさん稼いだお金で,人里離れた田舎の土地と家を買って気ままに暮らしているとのこと.
私も将来そういう生活をしようと想定していました.
もっとも,私にはすでに先祖と親が用意してくれている土地と家が,人里離れたところにあるのですから,森氏よりハードルが低い(無い)条件です.
だいたい東京ドーム1個分の山と田畑があります.
あとは月に数万円の収入があれば十分ですし,生きていくだけなら無収入でも大丈夫です.
東京ドーム1個分というと広いと思うかもしれませんが,郊外という意味での田舎ではなく,マジで人里離れた田舎になれば普通の広さです.
跡継ぎのいない人で売りたい人はいっぱいいるのですが,日本人に買い手がいないから,中国人が買っている,そんなニュースをご存知の方も多いでしょう.
■外国人による日本の土地買収が激化 北海道や長崎、沖縄も(SPA! 2019.1.4)
作家としてたくさん稼いだお金で,人里離れた田舎の土地と家を買って気ままに暮らしているとのこと.
私も将来そういう生活をしようと想定していました.
もっとも,私にはすでに先祖と親が用意してくれている土地と家が,人里離れたところにあるのですから,森氏よりハードルが低い(無い)条件です.
だいたい東京ドーム1個分の山と田畑があります.
あとは月に数万円の収入があれば十分ですし,生きていくだけなら無収入でも大丈夫です.
東京ドーム1個分というと広いと思うかもしれませんが,郊外という意味での田舎ではなく,マジで人里離れた田舎になれば普通の広さです.
跡継ぎのいない人で売りたい人はいっぱいいるのですが,日本人に買い手がいないから,中国人が買っている,そんなニュースをご存知の方も多いでしょう.
■外国人による日本の土地買収が激化 北海道や長崎、沖縄も(SPA! 2019.1.4)
皆さんも,スーパーやコンビニへのアクセスを無視すれば,今どき東京ドーム1個分くらい探し回れば可能です.
でも,「土地を買うなら都市部」と考えている人が多いので,誰も手が出せずにいるんです.
そんな山奥の秘境暮らしと,大都市東京の暮らしを両方知っている私としては,都会での生活は出来ることがパッケージ化されているので,楽しくありません.
あと,近年は「限界集落」なんていう言葉がありますが,こういう状況は私に言わせればチャンスです.
ブルーオーシャンが目の前にあるのですから.
そのことをしっかり承知しているのが,実は「外国人(特に中国)」なのではないかと思うんですけど.
だって,一つの集落を丸々買い取れば,そこで町が作れるんですよ.
これって凄く楽しい(日本にとっては恐ろしい)ことだと思うんですけど.
ただ,今の私に「夢」があるとすると,実はこの「町づくり」なんですよ.
だから,大学教員を辞めて,次どうするのか? っていうと,町づくりと言えるかもしれません.
別に町長とか区長になりたいわけじゃなくて,元々ほとんど人がいないんだから,そこに町ができるように仕掛けをしていこうと,そういうことです.
これは長い時間かかると思いますが,実践するのが楽しそうだし,面白そうなのでやりたいんです.
あっ,これ書いてて誤解されそうだなと思ったので断っておきますが,
私は外国人を率先して呼び込んで,危ない集落を作りたいわけじゃありません.
でもまぁ,日本政府としては,そういう町を作らせたいようですけど.
■地方創生に必要不可欠な外国人材の活用(Glocal Mission Times 2018.7.20)
そのあたりも含め,また続きが書けたらアップします.
でも,「土地を買うなら都市部」と考えている人が多いので,誰も手が出せずにいるんです.
そんな山奥の秘境暮らしと,大都市東京の暮らしを両方知っている私としては,都会での生活は出来ることがパッケージ化されているので,楽しくありません.
あと,近年は「限界集落」なんていう言葉がありますが,こういう状況は私に言わせればチャンスです.
ブルーオーシャンが目の前にあるのですから.
そのことをしっかり承知しているのが,実は「外国人(特に中国)」なのではないかと思うんですけど.
だって,一つの集落を丸々買い取れば,そこで町が作れるんですよ.
これって凄く楽しい(日本にとっては恐ろしい)ことだと思うんですけど.
ただ,今の私に「夢」があるとすると,実はこの「町づくり」なんですよ.
だから,大学教員を辞めて,次どうするのか? っていうと,町づくりと言えるかもしれません.
別に町長とか区長になりたいわけじゃなくて,元々ほとんど人がいないんだから,そこに町ができるように仕掛けをしていこうと,そういうことです.
これは長い時間かかると思いますが,実践するのが楽しそうだし,面白そうなのでやりたいんです.
あっ,これ書いてて誤解されそうだなと思ったので断っておきますが,
私は外国人を率先して呼び込んで,危ない集落を作りたいわけじゃありません.
でもまぁ,日本政府としては,そういう町を作らせたいようですけど.
■地方創生に必要不可欠な外国人材の活用(Glocal Mission Times 2018.7.20)
そのあたりも含め,また続きが書けたらアップします.
※で,その続きを書いたので御覧ください.