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学校の運動会についての体育学的解説

先日,ある大学教員の方と,
「こんなに忙しいのに,自分の子供が通っている学校の運動会の準備を手伝わされて困っている」
という話題で盛り上がりました.

タイムリーなことに,以下のような記事も出ています.
運動会はなんのため?だれのため?(Yahoo!ニュース 2019.5.31)
春の運動会シーズン、真っ盛り。最近のニュースでも、午前開催の”時短”運動会が増えてきていることや、危険性の高い組み体操を続ける学校があることなどが紹介されていた。
運動会の時間やプログラムについて考えるのは大事なことだが、もっとも重要な論点が十分に確認されないままになっている、と思う。
それは、実にシンプルな問いだ。
「運動会はなんのため?だれのため?」

学校の先生たちとしては,学校の年間行事として慣例のものだから,「来年もやろう」「今年も準備しよう」というのが実際のところです.

そんなに意義や目的を毎回考えながら展開しているわけではないでしょう.

事実,学校の先生を目指した人間なら結構知っていることとして,「『運動会』の開催義務はない」のです.
上述したリンク先の記事にもその旨の解説があります.
運動会はなんため、だれのためか。小学校の学習指導要領(H29告示)を読んでみよう。なにも指導要領を金科玉条にする必要はないが、大事な拠り所のひとつではあるはずだ。
ところが、なんと、指導要領には一言も「運動会」という言葉は出てこない。この事実を教職員は知っているだろうか?
正確に言うと、特別活動の学校行事のひとつとして、「健康安全・体育的行事」という記述はある。この体育的行事のひとつの例として、運動会はある。(指導要領の本体ではなく、解説には運動会との文言は出てくる。)
極端な話をすると、「うちは運動会はしません」という学校があってもよいわけである。運動会はなんのため?だれのため?(Yahoo!ニュース 2019.5.31)
「この事実を教職員は知っているだろうか?」って,たぶん知ってますよ.学習指導要領をみて計画立ててるんですから.
でも,運動会が一番わかりやすい「健康安全・体育的行事」なので,それを利用しているのです.学習指導要領「解説」にも載っていますし.
しかも,繰り返しになりますが,「学校としての慣例」であり「年間行事」のようにして伝統的に行われている活動なので,やるのが当たり前のようになっているのです.





(1)たしかに,もうそろそろやめていいかも


私としては,学校によっては運動会は取りやめてもいいと思います.

「狭い日本」と言われますが,そんなことはありません,意外と広いものです.
天候や気候,保護者の就業事情などが地域によって異なりますから,運動会も「他校・他地域に合わせる」のではなく,各学校の事情に合わせて行うようにさせる方がいいと思います.

運動会の実施が厳しくなってきた,という学校は多いはずです.
それは,過疎化であったり,熱中症であったり,受験対応とかであったり.
取りやめを検討しなくても,保護者の参加程度や規模を再検討する余地はあると思います.

ちなみに,私の思い出としても,運動会が楽しみだった,面白かったという記憶はありません.
なんだか憂鬱な時間を過ごす1日だった覚えがあります.
特段,体育やスポーツが苦手で嫌いだったというわけではありませんが(むしろ得意でしたが),よく分からないいろいろな競技種目をリハーサル通りにやるのが面倒だったのです.

あと,学年からの選出によって,訳の分からないダンスを踊らされました.
詳細は伏せますが,現在なら人権侵害に当たるようなものです.
どこかの親がSNSに投稿しようものなら,炎上するパターンのものでしたよ.
「大人になったら,絶対にこんなイベントには賛同も協力もしない」と子供ながらに心に誓ったものです.

そういう「つまらない活動」であっても,それをやらせることが子供の成長には大事なのだ,という意見があっても良いでしょう.
でも,「運動会」である必要はありません.

保護者や地域,教職員をあまり巻き込まない「つまらない活動」はたくさんあります.
例えば,「校庭10周」という指示を出せば,子供にとっては十分につまらないはずです.つまらなくて嫌な想いをすること間違いありません.





(2)競争性を排さなくても,協調性を高めることはできる


「運動会」の意義を語る上でよく見られるのが,子供に競争の現実を経験させることです.
これについては,「手をつないでゴールさせる」とか,「順番をつけさせない」といった運動会の噂を聞きつけた人が,そういう運動会を目の敵にします.

しかし,「健康安全・体育的行事」である運動会に,「競争の大切さ」という意義や目的はありません.
心身の健全な発達や健康の保持増進,事件や事故,災害等から身を守る安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵養,体力の向上などに資するようにすること。(学習指導要領より)
というのが,その意義と目的です.

そもそも,競争性にしても運動会のような場で身につけられるかというと,かなり怪しい.
テスト勉強とか部活動とか,普段の体育の授業で経験できることです.
わざわざ運動会として,他の生徒や保護者たちの前で見世物にする必要は全く無いのです.

もっと言えば,協調性を高める活動を展開することは,競争性を排することと同義ではありません.
より協調性(チームワーク)を高くできた方が勝ちやすいゲームをやらせれば,子供は「競争のために協調する」ことを身につけられるでしょう.

伝統的な種目やゲームをやるのもいいですが,どうせやるなら,もっと「競争のために協調する必要性のある課題」に着目した運動会にした方がいいと思います.
その方が,結果的に建設的な意味でも「競争力」が身につくので.

「競争のために協調する」については,以前にもそんな記事を書いたことがあります.
海軍の学校での体育
以下に,その記事から少し引用します.
もしかすると教官は,運動の出来ない生徒に自覚をもたせるために考案した持久走だったのかもしれません.皆の足を引っ張らないように体を鍛えろよ,と.
ですが,結果的に現れたのは
「強い者が弱い者をカバーしたほうが,全体の勝利へとつながる」ということです.
これ,体育の授業における重要な教育価値だと思うんです.
もちろん,弱い者が頑張って強くなろうとすることは大事です.
しかし,目先の成績を求められた場合,「弱い者」が突然「強くなる」ことは不可能です.
ましてや,それが組織や社会となれば,その者が「弱い」と言う理由で虐げられることは,結局は組織や社会全体のためにはなりません.
体育の授業とは,まさにこの点が眼前に示される教材ばかりであり,それを教育することに本質があるように思えてならないのです.

実は,冒頭のリンク先の記事は,「運動会の起源は海軍兵学校で行われたもの」ということから,日本の軍隊式の運動会に警鐘を鳴らしています.

しかし,実は軍隊で行われていた運動会こそが,競争性よりも協調性を高めるプログラムになっている可能性があるのです.





(3)運動会よりも普段の体育・課外活動を充実させよう


特に小学校では,「体育」を専門にしている人がいるわけではないので,子供をとりあえず運動させとけばいいと考えている教師が少なからずいます.
なので,最近では小学校に「体育専門の教師」を配置する案もあったりするくらいです.

もちろん充実した体育の授業を展開されている先生方もたくさんおられますが,全体的な傾向としては,運動会に注力するよりも,普段の体育の授業や課外活動に注力した方が子供のためになると思います.

スポーツが得意な子供にとっては仮装大賞みたいなイベントですし,苦手な子供にとっては地獄です.
もしかすると,誰も得していない活動の可能性もあります.

どうせやるなら,「事件や事故,災害等から身を守る安全な行動や規律ある集団行動の体得」という部分に焦点を当てたイベントを開催する方が「誰もが得をする」のではないでしょうか.

最近では,川崎市で殺傷事件がありましたし,自然災害の啓蒙も盛んです.
「本気の鬼ごっこ」とか「災害時の肉体労働を種目にした運動会」をさせた方が,実りがあるイベントになるかもしれません.