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パノプティコンの教室

前回の記事で予告したように,今回は「いじめ問題」における,
「パノプティコンと学校」
について取り上げます.
【大学教員になる方法】哲学の基本はおさえておきましょう

その記事では,飲茶 著『正義の教室』を参照しながら,現代における「正義とは何か?」について,その一筋縄ではいかない現実を話ししました.


この本は小説スタイルで哲学「正義論」を解説してくれています.
具体的で身近な「正義の現れ方」を確認しながら,正義とは何かを学ぶことができます.

正義には大きく3タイプが存在し,それぞれストーリー仕立てで確認していく構成になっています.
自分だったらどの正義に共感できるかなぁ?
という感じで読んでいくことができますし,いずれの正義にも致命的な欠陥が見つかっていることが明かされます.
「自分の正義」を批判的に捉えることができるという意味で,名著と言えます.


前回は,その3タイプの正義について取り上げましたが,今回は,本作中に出てくる,
「いじめ対策のためにパノプティコン・システムを取り入れた学校」
を論じてみたいのです.





パノプティコンと学校


本作『正義の教室』は,高等学校における「生徒会活動」と「倫理の選択授業」を中心としてストーリーが展開されます.
そしてこの高校は,最近「いじめ自殺事件」が発生しており,それに適切に対応できなかった学園理事がマスコミや世論から糾弾され,その反動から「パノプティコン・システム」を学校に取り入れた,という設定になっています.

パノプティコン・システムとは,学校のあらゆる場所に監視カメラを設置し,生徒間の「いじめ行動」を監視するというものです.
しかもこの監視カメラは「ウェブカメラ」となっていて,リアルタイムにネット配信されているという代物なのです.

より詳しくパノプティコンを知りたい人はウィキペディアを御覧ください.
要点について,以下に引用しておきます.
パノプティコン、もしくはパンオプティコン(Panopticon)は邦訳すれば全展望監視システムのこと。all「すべてを」(pan-)observe「みる」 (-opticon)という意味である。イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが弟サミュエルに示唆を受け設計した刑務所その他施設の構想であり、その詳細が記された『パノプティコン』が1791年に刊行されている。
パノプティコンは、円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた。
最初のパノプティコン型刑務所の建設はアメリカで建設され、この施設の設計思想は刑務所のほか、のちに学校や病院や工場などの施設に応用されることが意図されていた。 マザス監獄やレンヌ中央監獄などに代表される19世紀フランスの監獄建築で、獄房に収監された囚人がいつ看守に監視されているか、いないのか分からないままに、すべての方向から監視されているという監獄建築。ミシェル・フーコーが『監獄の誕生 監視と処罰』で、それを転用して、社会のシステムとして管理、統制された環境の比喩として用いた。
パノプティコン方式の監視システムの図
パノプティコン(Wikipedia)


つまり,常時監視状態にすることでトラブルを未然に防ぐことができるというもの.
パノプティコンの多くが「刑務所」に用いられていることから,悪人同士のトラブルを発生させないためのシステムだと考えられていますが,それは違います.

考案者のジェレミ・ベンサムは,犯罪者に限らず,人はしっかりとした監視下におけば,公共の福祉に貢献できるはずだと考えていました.

例えば日本では,
「マイナンバー制度をもっと推進させて,所得や納税情報を完全管理できるようにすればいい.むしろこの方式に反対しているのは,何か違法商売や犯罪を計画している奴らだ」
という主張がありますよね.
これは典型的な「パノプティコン」の思想と言えます.
つまり,ベンサムが論じた功利主義(最大多数の最大幸福),その延長線上にある社会主義・共産主義の思想から発生したものです.


生徒が活動する敷地内をすべて「パノプティコン」にした学校では何が起きるのか?
本作中では,当初はマスコミや世論だけでなく,生徒や保護者からもクレームと非難轟々だったのですが,そのうちこの監視カメラに生徒間の「いじめ」が録画され,その様子がネットで曝される事件により,風向きがガラッと変わります.

カメラに実際「いじめ」の様子が映っているのですから,加害者は言い逃れできません.
このカメラはマイクがついているので,中傷や暴言もバッチリ入っています.

この映像証拠をもとに学園は,加害者・生徒に反省指導をさせ,その状況も逐次ネット配信したのです.
そのことが世間からの評判を呼び,むしろ,
「この学校と同じように,全国の学校でパノプティコン・システムを取り入れよ!」
という主張がみられるようになった,というのです.

私はこれを小説による奇抜な設定で,現実にはならないとは思えません.
実際,どこかの学校が同じようなシステムを取り入れて,同じような成果を発表すれば,おそらく日本社会は類似した反応を示すと思います.





学校をパノプティコンにできるのか?


実は,学校をパノプティコンにするハードルは結構低いんです.
まず,学校敷地内は誰かのプライベート空間ではありません.
監視カメラが無くたって,誰かの目がある空間なのです.

それに,学校は人の目を盗んで何かしていいところでもありません.
誰かに見られてマズイことをする方がおかしい,という理屈が通ります.
トイレ裏でタバコ吸ったり,体育館倉庫でイチャついたり,放課後の階段の踊り場でキスすることに青春を感じる時代ではないということです.

さらに,本作中では「リアルタイム・ネット配信」をしていることになっていますが,そこまでしなくても,単に「監視カメラ」であればいいのです.
それを大容量記憶装置に撮り溜めていき,必要に応じて学園が利用すればいい.

2019年現在は,マンションや街頭,場合によってはトイレまで,街中のあらゆるところに監視カメラが設置されています.
しかし,約20年前まではどうだったでしょう?
現在30代以上の皆様ならご記憶もあると思いますが,かつての日本では,一般的な街頭に監視カメラを設置することへの抵抗は凄かったことを覚えておいででしょうか?

私見として,その潮目が変わり出したのが2000年初頭.
象徴的なのが,2003年の映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2レインボーブリッジを封鎖せよ』で,警視庁が非公式に街頭に監視カメラを設置する描写がありました.
これについて劇中でも「街中に監視カメラはヤバいでしょ」というセリフもあったりするので,2003年頃はそういう時代だったのです.

しかし,犯罪抑止・解決に監視カメラが活躍したこの映画について,「いくらなんでも街中に監視カメラはダメだよね」という評価は非常に少なかったですね.
このあたりから,「街中はプライベートな空間じゃないんだから,監視カメラはOK」になってきたと言えます.

ですから,街中の監視カメラと同様,学校においても「いじめ問題」や「教師の不適切指導」を摘発することができる学内監視カメラは,ネガティブな影響よりもポジティブなものが多い,という評価がつく可能性は非常に高い.

本作中で監視カメラが「リアルタイム・ネット配信」という設定になっているのは,もしかすると昨年話題になった「Youtubeライブ配信している弁当屋」が元ネタかもしれません.
そのニュースの概要はこちら.
売場をネット生中継で万引き激減 物議起こるも店長が取材で反論(ライブドアニュース 2018.10.15)
東京都江東区内の弁当店「キッチンDIVE」が売り場の様子をユーチューブ上でライブ配信し、ネット上で反響を呼んでいる。
プライバシーの心配も出ているが、伊藤慶店長(35)は、J-CASTニュースの取材に対し、「店頭で配信中と掲示をしており、店を利用しなければプライバシーは守られるはず」だと説明している。
「YouTubeLiveにて生放送中!」との貼り紙
大きなテーブルの上に様々な弁当がズラリと並び、店に入った客が品定めしている。ライブでぼかしも入っておらず、顔ははっきりと分かる。

「ライブ配信」に対するアレルギーがある人もいますが,よくよく考えてみればトラブルなんて起きません.
客にとっては,そこは他人が経営する「店内」.
そこでは普通に「客」をやっていればいいのだし,見方を変えれば,店員にとっても不適切な行動はとれないわけです.

これはちょうど,学校における生徒や教職員にも同じことが言えるわけです.
配信映像を悪用する学生や部外者がいたとしても,それに学校が毅然とした対応(動画の違法利用として対処)をするか,警察のお世話になってもらえば済むことです.

さすがにリアルタイム配信はリスクと批判があるかもしれませんが,学校の運営側が利用するところからスタートすることは可能なように思います.

それに,『正義の教室』の作中でも言及されていますが,
「この監視カメラは常に可動している必要はない」
という点が重要です.
それがパノプティコンの肝と言ってもいい.

ウィキペディアにあるパノプティコンの説明を,以下にもう一度引きます.
パノプティコンは、円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた。
つまり,監視される側は,監視者がそこにいるかどうか分からないため,常に,
「もしかするとあの窓から見られているかもしれない」
と考えることになります.
その結果,実際には見られていなくても,常に「その社会が円滑に進む行動をとる」ようになると考えられているわけです.

これは監視カメラでも同様です.
実際にはカメラが録画モードになっていなくても,
「もしかすると録画されているかもしれない」
と考える生徒や教師は,トラブルを発生しにくくなります.

同じことが,自動車道路のオービス(速度違反自動取締装置)にも言えますよね. 
私も関西にいた時には自動車を使っていましたので,知り合い同士で「阪神高速神戸線にダミーのオービスがあるらしい」といった話題が出ることもありました.
実際のところは赤い光(撮影時に発光)を受けても,フィルム切れで罰則を受けずに済んでいるというパターンらしいのですが,それでも「撮影されているかも」という恐怖は速度違反を抑止する効果はあるでしょう.




学校に監視カメラは良いと思うよ


現実的な話として,学校運営をしている教師の負担を上げずに「いじめ問題」を是正するためには,パノプティコンを取り入れることは有益だと思います.

むしろ,この現代日本においてパノプティコン以外に世間の要望に対処できる方法がないのです.
もっと言えば,昨今の「いじめ問題」に対するニュースや世間の声を聞いていると,これからは「教師が生徒を管理する時代ではない」ことを明らかに示しています.
そもそもの話をすれば,もともと教師が生徒を管理するものではなかったのですが,これまではそう思われていた.
そうした学校教育への共通理解(実際は一般的な理解)が瓦解してきたわけです.

では,これからの学校教育はどのように理解すればいいのか.


飲茶氏はこう述べます.
人間は,自分を支配する構造(社会システム)を,自らの意思で変えることも抜け出すことも絶対にできない.
(中略)
もはや人間が,『人間にとって正しい社会』を作っているのではない.社会が,『社会にとって正しい人間』を作っているのだ.とっくに主従関係は逆転してしまっているのである.
パノプティコンの思想にリアルタイム配信のテクノロジーが組み合わされることで,監視社会は「相互監視社会」へと発展する.
「正義」を振りかざすことができなくなった近現代において,いよいよ教育活動からも「正義」が失われる時代になりました.

しかし,それは悲しむことではありません.
正義が失われたこの世界で,人間が目指すべきは「善く生きる」ことなのです.
ゆえに,本作のタイトルは『正義の教室』,そのサブタイトルは「善く生きるための哲学入門」となっています.

そうです.
もう「正義」を考える時代ではありません.
「善く生きるとは何か? 」
そんなことを考えることが,これからの学校,ひいては日本社会に待っているのです.



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