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この20年間で学生の「質」は変わったのか? その3(ラストです)

とんでもないアクセス数があってビックリ


まずは皆様にお礼を.

先日書いた,
この20年間で学生の「質」は変わったのか? その1
を大変たくさんの方々に読んでいただいたようです.

この記事を「その1」って銘打ってアップしたので,とりあえず「その2」までは書いておこうと思って自分のブログ・ダッシュボードを見てみたら,例の記事のPVが,通常の3倍の速度で伸びていることに気がつきました.

ちなみに,「その2」はこちら.
この20年間で学生の「質」は変わったのか? その2


PVの動きが明らかにおかしい.
「おいおい,何があった?」
って思って,それから後,皆さんのアクセス元のトラフィックをみたら,どうやら「ツイッター」と「はてなブックマーク」というサイトから来られているみたいなんです.

浮世の流れに弱い私でも,ツイッターくらいは知ってます.
でも,「はてなブックマーク」ってなんぞ?

調べてみたら,そのサイトの説明には,
はてなブックマークはオンラインにブックマークを無料で保存できるソーシャルブックマークサービスです。みんながブックマークしたインターネット上の旬なニュースや情報が集まります。
って書いてありました.
・・・まあ,よく分かんないや.

とは言え気になったので調べてみたら,私の過去の記事も結構取り上げられているようです.

こんなサイトがあったんですね.

なんにせよ,取り上げて頂き誠にありがとうございます.




でも,たくさんの人が私の記事を誤解してる可能性がある


その「はてなブックマーク」っていうところには,私の記事に対するコメントを寄せることができる機能があるんです.

それを見ていると,いくつか私なりに補足してあげたいものがあります.


【コメントその1】最近の学生(若者?)は利己的だ

そんなつもりで述べてません.
あの記事をどう読めば「最近の学生は利己的だ」になるのでしょうか?
「利己的になっているのでは?」という意見自体を否定するつもりはありませんけど.

ただ,おっしゃられるように,最近の学生の行動をパッと見ただけだと,そんな印象を持つ人も多いと思います.
実際,そんなような事を言う先生方もいますので.

でも私としては,人間というのは本来利己的な人もたくさんいると考えているわけで,どんな時代になろうと,年長者が若者を「利己的だ!」と表現したくなるのは仕方がないことかと思います.
「ガキどもよ,社会を舐めてんじゃねぇ!」
ってマウントとりたくなる気持ちは理解しているつもりです.

いいと思いますよ.
そういうふうにして頑固オヤジっぽく威張り散らす奴が一定数いるのも,人間社会の楽しいところです.


【コメントその2】学生の授業への積極性が落ちているのはお前の授業がつまらないから.失せろ老害

これまたファンキーなコメントですね.
カウンセリングを受けた方がいいのではないでしょうか.不幸な人生を送っているようなので心配です.

まず,私は老害と言われるほど歳をとっていません.30代半ばになった者なので.
リップ・サービスかもしれませんが,よく20代と間違えられるくらいです.
まあ,もしかすると,人間は30歳を越えたら老人という認識の人かもしれませんけど.
でも,そんな認識だと特に女性からは怒られるよ.

授業への積極性が落ちている,ということについても間違いです.
そうやって誤解されるだろうからと,繰り返し本文中で補足していますが,「そういう学生は以前から存在したが,それが『増加しているように感じる』」ということです.

「今でも質問してくる学生はいる」とも仰られていますが,これも増減の話です.
そりゃ授業で熱心に質問してくる学生は今でもいますよ.当たり前でしょう,大学なんだから.
でも,そういう学生が減ってきてますよね,ってこと.

もっと言えば,「学生が質問をしてくる確率や量」というのは,その教員の教え方や魅力というよりも,「科目」や「分野」としての関心の高さや人気が大きなウエイトを占めていると思います.
これは複数領域の科目をもっている教員なら分かってもらえると思います.
例えば我々のスポーツ科学分野であれば,力学とか生理学よりも,栄養学や心理学がたくさんの「質問」をしてきます.


【コメントその3】こういう意見は昔からある

前述したように,早漏気味の人がそんなふうに解釈するだろうから,しつこく本文中に「そういう学生は以前から存在していますけど・・・」と書いているのです.

で,この記事の問題となる「学生の質は変わったのか?」ですけど,それは続編の,
この20年間で学生の「質」は変わったのか? その2
で書いたように,
「学生の質が変わったように見えるのは,学生が大学や教育行政の振る舞いに合わせて行動しているから」
っていうのが私の分析です.

別に「最近の学生はけしからん!」という記事を書きたかったわけじゃないし,そう思われたら心外だと思っています.
でも,そう思う人が出てくるのは止められないでしょうけど.


【コメントその4】量ではなく質と言っているが,こういう定性的(質)なものを定量化することは可能

もしかすると,意識高めの若手研究者かな?
私にも身に覚えがあるんですけど,若い頃って,こういう話について自分の専門知識からツッコミを入れたくなるんですよね.

たぶん,該当するところは記事の冒頭にある,
「質」というと学力・偏差値とか授業の成績なんかを思い浮かべる人がいるかもしれませんが,それは私にとっては「量」の概念です.
ここでいう質とは,大学生という属性をもった人間の性質のこと.
っていうところだと思います.

たしかに私も舌っ足らずな部分があったし,普通の人なら行間を読んでくれるだろうと思って書いちゃった部分があるので反省もしています.

私が何を言いたかったのか,もうちょっと長めに書くと以下になります.
世間一般的に「学生の質」っていうと,学力・偏差値とか授業の成績として捉える人が多いと思うんですが,それは私にとっては「量(既に数値化されているもの)」であり,その人物のパラメータ.
でも,この記事で私が述べたいのは,そうした頭の良さとか授業への出席率といったような資料請求したら出てくるようなものではなく,大学教員間で話題となっている学生の性質の変化ですよ.
ってこと.

「質も定量化できる」って仰られていますが,じゃあ,私がこの記事で書いていることについて,高い妥当性をもって定量化した研究報告があるんでしょうか?
あるなら,それを使って論じたいところですが.

っていうか,こうしたテーマを定量化した研究は,「その解釈で定量化するのはどうかと思う」などと,さまざまな反論や疑義をもちかけられやすいものです.
で,結局のところ,現場で専門的な活動をされている人の主観や感覚に頼った分析が,結果的に的を射ていたりします.

その他


この記事を広めてくれた方々というのは,この記事を読んで,
「同感」
「分かる!」
と言って,ツイッターにあげてくれた現役大学教員の人たちのようです.

そして,特に私が強調したかったところでもあり,この記事を書くに至る動機となる部分を的確に指摘してくれています.
それは,以下の結論めいたところです.
何かの課題を達成する上で,自分の手が届く範囲のことだけで済まそうとする学生が増えているのです.協力・協調すればより良い成果が得られるのに,そういうことを検討しないわけです.

でも,これにしても別の見方ができます.

そもそも,「自分の手が届く範囲のことだけで済まそうとする」のは,今どきの学生に限った話ではないでしょうし,もともと人間はそういう方向性をもった存在かもしれません.
かつての学生たちにしたって,当時としての「自分の手が届く範囲のこと」をしていたのでしょう.

その時代と比べれば,現在は便利なテクノロジーやガジェットが現れたことによって,「私達」の目から見れば,今の学生たちの「自分の手が届く範囲」が狭く見えているだけなのです.


そうは言いましても,記事のラストでも書いたように,現在の大学は,
「学生による主体的な学び」
を実現しようと大学改革を進めています.

これは,「自分の手が届く範囲」を広げようという視点なのかもしれません.

であれば,
「学生の主体性を高めるとは何を指すのか? 」
「学生を主体的にすることは本当に良いことのなのか?」
といったところから,各大学または文部科学省が詰めておかねばならないでしょう.

しかし,この「学生の主体性を高める」については,業界内外の人たちが入り乱れ,誤解や独善を含みつつ言いたい放題でとっ散らかっているのが現状です.

そして,無思慮に「学生を主体的にさせた」結果,与えられたことに反応しやすいだけの学生を育てることになる可能性がある.
っていうか,現在の大学と学生が,そんな状態なんじゃないかというのが私の見立てでもありますが.



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