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この20年間で学生の「質」は変わったのか? その2

学生の質を変えた犯人は大学です


あとは高校とか保護者とか.言ってしまえば,日本社会そのものですね.

実際のところ,学生たち自身が進んで変わろうとするわけはなく.
周囲に合わせて立ち回るのが子供,もとい人間というものです.

ですから,「大学生の質が変わった」と言っても,その責任や原因は大学にあるというのが筋ってものでしょう.

「最近の学生はレベルが低い! 目的意識が無い!」
とプンプン怒っている先生たちもいますが,何のことはない,大学と学生は「合わせ鏡」です.
学生たちのその振る舞いは,大学および大学教員が招いたことなのです.


今回は,前回の記事である
この20年間で学生の「質」は変わったのか? その1
の続きとして,なぜ学生たちが現在のような姿になったのか分析してみようと思います.


将来のビジョンをもたない学生が増えたことについて


「おまえ,将来どうするの?」
という問いに対し,
「ん? 分かんねぇ」
って至って普通に答える学生が増加しています.
「大学が高校化しきたぞ」という話でした.

私はこれについて,
「だから最近の学生はレベルが低い! 目的意識が無い!」
などと言いたいわけではありません.
そんなこと,過去記事でも一度も言ったことがない.

そうではなくて,これも完全に「大学の運営方針」が原因なんです.

とりあえず大学に行っておけば,なんとかなるかもしれないという状況を歓迎し,作り出したのは,他でもない「大学」です.

むしろ,
「私たち大学は.君たちの将来について真剣に考えています!」
といった,どこぞの予備校だか自己啓発セミナーの如き謳い文句を使って学生募集してきたのです.

そうやって学生を集めておいて,「最近の学生には目的意識が無い」などと文句を言う筋合いはありません.
当たり前じゃないですか.
もともと目的意識を持たされずに入学してるんだから.


もちろん,大学側にも言い訳の余地があります.
そうでもして学生を入学させないと経営が厳しく,定員割れが常態化している大学もあります.
潰れてしまったら元も子もない,という台所事情があるわけです.

予算カットでビジネスライクに大学経営を進めた結果がこの惨状.
私がかねてより本ブログで批判しているのは,恥ずかしげもなくこうした大学経営をする「大学」そのものであり,そうした事態を惹起させ,さらに火に油を注いでいる教育行政です.
反・大学改革論
文科省は大学をイジメる前にやるべき事があるだろ|日本の大学の特徴を再確認しよう
危ない大学におけるバスの想ひ出


授業で発言や質問を「したくない」学生や,授業の受け方を模索しない学生が増えたことについて


「本学に入学すれば人生安泰」と煽られて入学してきたのですから,授業で発言したり質問するといった「高コスト」な行動はとりません.
当然,授業の受け方を工夫することもないでしょう.

教員の方々の中には,「そんなバカな」と思う人もいるでしょうが,上記のような背景をもって入学している現在の大学生は,授業への出席を「投資」ではなく,「コスト」だと考えています.

大学教員の皆様だって,日常的な物事の判断と行動を「損か?得か?」で決めていますよね.
現代人の多くは,「経済的合理性」によって判断・行動しているからです.

経済的合理性とは,
「自分が支払った費用に対して,受け取ることができた対価が適切かどうか」
で判断するものです.

そして,厳しい学生募集に追い詰められた多くの大学は,経済合理性の価値基準で判断しているであろう「高校生」やその保護者に対して,
「大学を活用するメリット」
ではなく,
「大学へ入学するメリット」
を優先アピールしています.
この両者の微妙な違いは結構重要です.

前者は「大学に入学して何を成すか」というものですが,後者は「大学に入学すれば何かが得られる」というもの.
現在では,後者の動機をもって入学する学生が増加している可能性が高いのです.


そのような経緯で入学してきた学生は,大学から提供されるものに対しては,既に保護者(自分)が納めた学費との「等価交換」が成立済みだと考えます.

ですから,学生にとって授業は「学ぶ機会」ではなく「コスト」.
もっと言えば,学費というコストは既に支払い済みなのですから,「追加コスト」という認識になりやすいのです.


「授業への出席はコスト」という認識は,不思議な現象を引き起こします.
そのコストの支払いには,義務感めいたものとして,非常に素直に応じるのです.
ようするに,「料金の踏み倒し」という反社会的な行動はしないのですよ.

どういうことかというと,これも現在の学生に増加しているのですが,
意欲的に受講する気がないのに,出席だけはしっかりする
というものです.

これを不思議がる大学教員は多いですね.
「まじめに受講する気が無いなら,出席しなければいいのに.この授業では出席確認していないんだから」
というパターン.

しかし,当の学生たちにとって「授業への出席は私が支払うべきコストである」という意識ですから,その支払いに応じないという行為は,道徳的・倫理的な側面から気が引けるのです.

ですから,学生は悪気があってぼーっとしているのではありません.
支払い義務を果たすべくぼーっとしているのです.

とは言え,皆様ご案内の通り,大学というのは学費を払ったり出席するだけでは「本当の意味での利益」を享受できる仕組みになっていません.
大学教員側がそういう認識ではないし,大学教育自体が本来的にそういうものではないからです.

その結果,件の学生たちは何をするかというと,わざわざ授業に出席して友達と「私語」に努め,それを注意されると今度はLINEやソシャゲに勤しむようになります.

「勉強する気がないなら出席しなければいい」
というのは,授業を「学ぶ機会」だと認識している旧来の学生の意識です.
それは新種の学生に当てはまりにくくなっています.


そんなわけですから,単位取得に影響しない教員への質問や発言などは,さらに無駄なコストだと考えるのは当然でしょう.
コストというよりも,むしろ「募金」みたいな感覚だと思います.
多額のコストをかけておいて,さらに募金しようと思う人は少ないのです.


思い起こせば7年前に,この「経済合理性」にかこつけた大学運営をするとヤバいことになるよ,という記事を書きました.
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)

ほれみろ.
学生をお客様扱いしていたから,こんな事態になったじゃないか.
って思っています.

※後日,続編を書きました.
この20年間で学生の「質」は変わったのか? その3(ラストです)


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コメント

  1. 学生に意見を訊いておいて、その意見が自分の期待と違うと怒りはじめる変な教授もいますからね。私にも経験があります。

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    1. コメントありがとうございます.
      そういう先生いますね.でもあの理不尽さは,これから社会に出ていく学生たちにとって重要なトレーニングかもしれません.

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  2. 元学生ですが、自分の体験と重ねながら一言一句頷きながら読んでいました。私のいた大学にも、そういった最小限のコストだけを支払う学生が私含め大多数を占めていて、教員をうんざりさせていました。
    しかしながら、私のいた大学は定員割れするような大学ではなく、偏差値ランキングで上から数えたほうが早いような所です。
    振り返ってみると、元を正せば結局は就職氷河期に代表されるような将来への漠然とした不安が、何を目指すでもなくとりあえず大学へ行く、という意識を生んでいるように思います。

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    1. コメントありがとうございます.
      さっき新しい関連記事をアップしてそこでも書いたんですけど,最小限のコストだけで大学生活を送ろうとするのは,現代人の普通の感覚だと思いますよ.私もそうだったと思います(笑).
      その点,大学というのは「そういう価値観だけが大事じゃない」ということを,形を伴って存在することに意義があると思っています.つまり,無駄だと思えるコストをかけた結果,本当に無駄でしかなかったというものが大学には必要なんです.
      ですから,「何を目指すでもなく大学へ」というのも,私は有りだと思います.そういう余裕が教育や人間には必要だと考えています.
      むしろ,「何かをするために大学へ」を強制・意識付けさせすぎた結果が現状だとも考えられます.

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