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研究不正大国・日本|なぜ日本は不正論文・撤回論文が多いのか?

研究不正が多いのは中国ではありません,日本です


息をするように不正する.
それが日本の現実です.

かつては注目されていませんでしたが,例の「STAP細胞事件」から関心が集まるようになり,実は日本の研究業界は「不正」をすることにかけては他の追随を許さない,不正大国であることが知られるようになりました.

先日も,こんなニュースが出ていました.
STAP細胞事件が覆い隠した科学技術立国ニッポンの「ヤバい現実」(現代ビジネス)2019.11.27 Yahoo!ニュース


この記事でイニシャル表記にされている弘前大学の研究者「S氏」とは,佐藤能啓氏のことです.
※我々の業界では有名だし,責任ある事件を起こしているのだから,姓名を出していいはず.

こんなサイトもあります.

「撤回論文」というのは,いわゆる「捏造論文」のことです(厳密には,「捏造」だけじゃないんですけど).
たくさんの日本人研究者が不正研究しているのかが分かります.

ちなみに,その不正ランキング・トップ15(2019年現在)は以下の通り.
日本人研究者を太字にしました.

  1. ヨシタカ・フジイ(Yoshitaka Fujii)、藤井善隆(東邦大学) (日本)(撤回論文数:183本)
  2. ヨアヒム・ボルト (Joachim Boldt)(独)(97本)
  3. ヨシヒロ・サトー(Yoshihiro Sato )、佐藤能啓(弘前大学)(日本)(87本)
  4. ジュン・イワモト(Jun Iwamoto)岩本潤(慶應義塾大学)(日本)(69本)
  5. ディーデリック・スターペル(Diederik Stapel)(オランダ)(58本)
  6. ユウジ・サイトー(Yuhji Saitoh)、斎藤祐司(東京女子医科大学)(日本) (53本)
  7. エイドリアン・マキシム(Adrian Maxim)(米)(48本)
  8. ピーター・チェン(Peter Chen)(台湾) (43本)
  9. フォジュルル・サルカール(Fazlul Sarkar)(米)(41本)
  10. フア・ツォン(Hua Zhong)(中国)(41本)
  11. シゲアキ・カトー(Shigeaki Kato)、加藤茂明(東京大学)(日本) (40本)
  12. ジェームス・ハントン(James H. Hunton)(米)(37本)
  13. ヒュンイン・ムン(Hyung-In Moon) (韓国)(35本)
  14. ナオキ・モリ(Naoki Mori)、森直樹(琉球大学)(日本) (32本)
  15. ヘンドリック・シェーン(Hendrik Schön)(米) (32本)

1〜2本あっただけでも追放ものなのに,何十本と不正するのは,むしろ尊敬に値しますよね.


トップ15を見てもらうと分かりますが,ようするに,
論文本数が多い国に,不正研究者がランクインしている
という状況であることはたしかなんです.


なお,2015年時点での,各国から発表された研究論文数は以下の通りです.
アメリカや中国が圧倒的に多く,その他の国は増加中.
それに対し,日本はここ10年ほど低下していることが分かります.
文部科学省2018年資料データ

ですから,アメリカや中国,ドイツといった論文数の多い国々に「不正研究者」が見られるのは確率的にも当然なのですが・・・.

このトップ15の中に,他国と比べて論文数が少ないか同じ程度である日本の研究者が6人も含まれているというのは,明らかに研究環境,もしくは国民性が影響しているとしか考えられません.

ナントカは1匹の背後に30匹いると言いますが,それと一緒で,不正研究者として名指しで確定されている背後には,もっとたくさんの不正研究者がいるはずです.


上述したニュース記事でも語られていますが,日本の不正研究者には「医学系・生命科学系」が多いのも特徴です.

以下の記事でも「理系に多い」と書かれていますが,
日本は「科学論文の捏造大国」とみられている(東洋経済オンライン 2018.9.18)

それは,日本において「研究」をするためには大学教員になることが得であることと,そのポストに就くことに圧倒的なメリットがあること,そしてそのポスト争いが「論文の本数」やインパクト・ファクターと呼ばれる「論文の質」で数値化されて評価されることによるとされています.

特に理系の大学教員になるためには,研究論文の本数が多く,有名な雑誌に掲載された方が高評価されやすいのです.

なので,有りもしないデータを使って論文を書いて本数を増やしたがるし,そのデータ自体も,有名な雑誌に載りやすいようなキレイで興味深いデータで捏造したがるのです.

そして,このタイプの不正パターンに手を染めることが多いのが,「医学・生命科学系」なのです.
あの「STAP細胞事件」も,この医学・生命科学系です.

どうして不正研究が論文になるのか? その仕組み


業界を知らない人は意外かもしれませんが,実は医学・生命科学系における「研究データ」というのは,結構いい加減なものでも受理・掲載されちゃうのです.
もっと言えば,私たち体育・スポーツ科学系も同じです.


例えば,ある新薬に病気を治す効果があるか検証した実験をしたとします.
すると,新薬と旧薬との比較をすることが多いのですが,この時に得られた実験データ(数値)をちょっとくらいイジった(つまり書き換えた)ところで,誰もそれが「書き換えられたデータ(っていうか,まったくの捏造)」だということは分かりません.

そのデータを使って,
「新薬は旧薬よりも,こんなに効果的だ」
と結論づけて発表しても,その実験方法や解釈が不自然でなければ「論文」として認められてしまいます.

つまり,事実上,まったく実験や調査をしなくても「データ」は得られるし,それを証明する必要がないんです.


あとになって,
「この新薬は旧薬と効果が変わらない.むしろ低い」
という別の研究者による論文が出てきたとしても,それまでに発表した論文が「不正によるもの」であることはバレにくいんです.

なぜかというと,不正した研究者にはたくさんの逃げ道があるからです.

例えば,かつての研究論文で得られたデータのことを,
「被験者による個人差があったかもしれない」
「対象とした病気の種類や程度が違っていたかもしれない」
「投薬方法が違っている可能性がある」
「生活環境の要因がある」
「複合疾患の影響があったかもしれない」
などといったものを持ち出し,自分の論文で得られたデータを,たまたま現れた「レアケース」として片付けることができるからです.

どうしてそんなことができるかと言うと,医学・生命科学系では,すべてのケースで同じ結果が得られる(再現性がある)実験・調査の方が少ないからです.


ご存知の通り,皆が同じ「薬」を飲んでも,それが効きにくい人と効きやすい人がいます.
劇的に効果がある人もいれば,逆効果の人もいたりしますよね.
それがこの分野の「結果」や「データ」なんです.

こうした「レアケース」の影響を排除するためには,対象者をたくさん(何十人,何百人)用意することで対処しますが,そもそもその「対象者(被験者)」をたくさん用意できない研究分野や実験対象であれば,それについて「言い訳」ができます.


体育・スポーツ科学系であれば,「一流アスリートのデータを使った」という研究がそれになります.
一流アスリートがたくさんいたら「一流」とは言えません.
なので,サンプル数が少なくてもOKになってしまいます.

医学系であれば,何十万人に一人の割合で発生する難病などといった,被験者を集めにくい研究であれば「貴重な研究データ」として受け入れられやすいのです.




でも,それだと日本人に研究不正が多いことの理由にはならない


条件は諸外国も一緒です.

同様に熾烈なポスト争いがあるし,研究費獲得競争があるし,サンプルが得られにくい研究を諸外国の研究者だって扱っています.

しかし,それでも日本の研究環境では不正が起きやすい.


この理由について,まじめな話として「国民性」が考えられます.
これはなにも,日本人は「不正しやすい」というわけではありません.

まず,日本人研究者や機関は,
「他人の研究の不正を指摘することが少ない」
ということです.

どこそこの誰それが,
「不正なデータを出しているのではないか?」
とか,そうでなくても,
「あの研究方法は間違っているのではないか?」
といったことを「誌上討論」や「研究論文」として発表することはほとんどありません.


なぜかというと,そんなことをすると業界で「波が立つ」し,あとになって「嫌な奴だ」「面倒な奴だ」と思われたくないというところでしょう.

実際,諸外国の人よりも,日本人は自分のことを「優しい」「寛大」「誠実」な人間だと自覚している人が多い,という研究があります.
それを過去に記事として書いたことがあります.


そんなわけで,自分に対する言い訳としても,
「ちゃんとした研究を地道に出していけば,(なにも私がガミガミ指摘しなくても)そうした不正研究は自然淘汰される」
と解釈している可能性が高いのです.

結果,放ったらかし.

しかし,研究の不正は指摘されなければ「やったもん勝ち」ですから,不正に手を染める人はどんどん増えていきます.


医学・生命科学系の研究室や研究グループの多くが,「王朝」「帝国」「北朝鮮」などと揶揄されるほどの閉鎖性を持っていることが,不正研究を生む土壌になっているとの指摘もあります.

しかし,それにしたって,結局のところ「不正研究」や「研究倫理」よりも,「グループの和」の方が大事と考える国民性にあると言えます.

それもこれも,
「ちゃんとした研究を地道に出していけば,不正研究は自然淘汰される」
という自己暗示によってもたらされているのです.


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