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大学入試改革の問題点とは,現場を無視して進めることにある

ようやく日の目を見ている「大学入試改革の問題点」


世間様というのは,教育についてはあからさまに「問題だ!」と騒がれてからでないと問題視しません.

かなり綿密に分析・検討しなければいけないはずなのに,各々が抱いている理想論で進めちゃえると思っている.
それが「教育問題」の危険なところです.

学級崩壊然り,いじめ問題然り,学力低下問題然り.


大学入試改革もその一つで,先日までは物凄い勢いで,

「大学や入試を改革しなければダメだ!」

と言っていたくせに,今では手のひらを返したように,

「こんな大学入試改革ではダメだ」

と言っています.

おいおい,その「こんな大学入試改革」を猛烈に支持・推奨していたのは,5年前当時の君たちでしょう?
と皮肉ってやりたいところですが,きっと皆そんなこと忘れています.


この大学入試改革にまつわる問題点を整理しているネット記事がありましたので,今日は,これを基に論じてみましょう.

足元の教育が危ない―大学入試改革よりも公教育の立て直しを(NIPPON.com|ヤフー・ニュース 2019.1.20)


まずは,こうした大学入試改革の発端を思い出してください.

今の若い人(20歳代くらい)はピンと来ないかもしれませんが,ずっと以前から大学入試については,

「知識偏重だ!」
「記憶力重視ではダメだ!」

と言われていて,

「これからの大学は『考える力』や『多様な能力』をテストすべき!」

という声が喧しく,それを世論も強力に後押ししていたのです.
懐かしいですね.

上記の記事にもこうあります.

そもそも入試改革はどんな背景で推し進められたのか。
「受験勉強といえば、歴史の年号や英単語暗記などを思い浮かべる人が多い。いままでは知識の詰め込み、暗記・再生だったという反省が、改革を推し進める政治家や官僚側にありました。

ところが,こうした「知識偏重」だとか「暗記だけではダメ」という考え方自体,実はなんの根拠もなく,理念先行型だったのです.

もちろん,これは逆にも言えて,「詰め込みが大事」だとか「暗記することが学力の基本だろ!」といった反論にも根拠はありません.


ようするに,教育問題というのは,政治家・官僚そして国民世論による,

「私が考えている教育方法が最強」

という勝手な「信仰」によって右往左往するものなのです.

さらにタチが悪いことに,こうした教育論はきちんと分析・検討されずに推進されていきます.

教育現場におられない方々は意外に思われるかもしれませんが,この「大学入試」に関連する改革というのは,かなり古い方針がずっと続いてきたものです.
知識の暗記・再生への偏りに対する反省は、大本をたどれば1980年代の臨教審(臨時教育審議会)答申に行き着く。画一的な教育からの脱却を目指し、個性重視の原則のもとで「国際化、情報化等への対応」をうたった。そこからさまざまな教育改革が派生していく。「30年以上前から、これまでと異なる新しい時代に対応した“能力”を標ぼうする『改革』の理念が繰り返されてきました。しかしそれは古くからのありきたりな考え方を別な表現で言い換えたに過ぎず、しかも基礎となる現状認識がずれているのです」

私も先般,大学入試改革だけでなく「大学改革」や「教育改革」全般が,非常に古い理念の焼き直しで進められてきたことを記事にしました.
この辺の事情を整理していますので,よかったら以下の記事もどうぞ.


教育論は,きちんと分析・検討されずに進められる傾向にありますから,当然,進めていくうちに理屈と現実に矛盾が発生したり,崩壊してきます.

でも,そんな破綻している方策を「失敗でした」「間違いでした」とは言えないのが政治家や官僚,とりわけ「国民」です.
「これまでの方針を踏まえた上で,次のステージに進む」
といった調子にします.
過去を矮小(わいしょう)化して批判し、実は昔から求められていた能力に違うキャッチコピーをつけて「新しい能力」として演出する ― 教育改革でいままで繰り返されてきた現象だと中村氏は言う。「高学歴化と情報化が進んで、教育に批判的意見を言える人の数が増えたことも一因ですが、近年その傾向が加速している背景は社会不安の高まりです。経済状況、国際情勢の不透明感が増し、多くの人が先行きへの不安感を共有したことが引き金になっています」

皆さん,本当に安直に「教育が問題だ!」言い出します.
まるで教育さえなんとかすれば,すべてが解決するかのように.

ところが,何度も繰り返しますように,「教育問題」というのは,
「口は挟みたいけど,しっかり分析・検討はしたくない」
ですから,具体的な処方案も,貧困な発想で進みがち.

これについても,ニュース記事で指摘されています.
リアルな教育現場に根ざすわけでもなく、表面的には分かりやすい実用主義的なイメージを追い求める―その傾向が顕著なのが「コミュニケーションに使える英語」を目指す英語教育改革だ。その是非に関して長年議論があり、専門家からは批判も多い。にもかかわらず、大学入試でスピーキングテストを実施するために民間試験活用に踏み切ろうとして失敗した。

ホントマジで殺意を覚えるほどの貧困な発想を見聞きすることがあります.
実際,英語教育や道徳教育はそのレベルにあるし,国旗国歌の話とかもその延長です.
こんなの「教育」でどうこうなる話じゃないでしょう.

ちなみに,ニュース記事を書いている中村氏は,英語教育について以下のように考えています.
産業界は“即戦力”を求めていますが、そもそも業種や職種が違えば必要とされる英語力も違ってくる。読む、聞く、話す、書く英語力の必要性の強弱がそれぞれの分野で変わるはずです。本当に実践的な英語力が必要なら、入試制度をいじるよりも、個別の企業、業界で養成のシステムを考えたほうが早いでしょう
この話についても,まるっきり同じことを私も過去記事で書いています.
7年前の記事.
大学の事情を交えて書いていますので,よかったらどうぞ.



そんなことより,「義務教育が問題」らしい


ここまで大学についてフォーカスしてきましたが,件の記事は,
「そんなことより義務教育がヤバい」
という話です.

たしかにね.
高校もそうですが,大学教育にしたって義務教育のもとに成り立っています.

先日の記事で,
というのを書きましたが,そういった学生の質の変化にしても,それまでの教育が与えてきた影響は大きいでしょう.

義務教育が危ない
大学入試改革に翻弄(ほんろう)されるよりも、政府は教育現場で何が起きているかを把握して対策を講じるべきだと中村氏は強く言う。
「今は正規の教員が足りない状況で、非正規の教員が増えています。病気で休職中の担任の補充ができずに1学期間その状態が続いたとか、先生がいなくて成績がつけられないなどの事例があります。実際、都内のある小学校でも学級崩壊が起こり、担任の先生が辞めてしまった後の補充ができない。臨時の先生もすぐ辞めてしまい、副校長が授業してもうまくいかなかった。その状態が続き、隣のクラスにも波及して学年全体が混乱を深めることになりました。教育委員会や校長に先生の補充を要請しても、教員の数が足りないからできないと言う。全国的に、義務教育が機能していない深刻な状況があちこちで生まれています」
一方、子どもの数が減少していることから、政府は教師の数を増やすどころか減らしたいというのが本音だ。「こんな状況で教育改革を進めようとしても、現場にそんなキャパシティーはない。教員数を増やさなければ、教育システムの土台が危ないという事態を認識すべきです」
2020年4月からは小学校で英語が必修化される。「いままで英語を教えていなかった教師に英語を突然教えさせる無謀なシステム。実施するなら海外研修の予算や専任の英語教師を用意する、あるいは中学校の英語の先生に十分な手当を付けて小学校で教えてもらうなど、しっかりとした方策を立てるべきでしょう。しかし片手間の研修程度は実施しても、お金のかかることは一切しない。このまま教員になりたい人が減っていけば、質の問題も出てきます」

詳しくはニュース記事を読んでください.



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