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あの小説の作者である私にとって,思い入れのある登場人物1〜3

予想外にたくさんの人が読んでいるようで,ありがとうございます


てっきり,十数名くらいの方に読んでもらえればOKかなと思っていたのですが,結構たくさんの方からアクセスをいただいているようです.

もちろん,ページだけ表示させて直ぐに帰る人もいるんでしょうけど,分析サイトで見てみると,平均して1ページあたり10分くらい閲覧時間があるので,しっかり読んでくれている人も多いみたいです.


皆さん,さすがです.
私のブログ読者の属性には高学歴者が多いようですから,長文・難文,誤字脱字に対する抵抗感があまりないとお見受けいたします.

こういうのも「読解力」としての解釈だと思うんですけど,それについては過去記事をどうぞ.
【国際学習到達度調査】日本の子供の読解力低下について


「小説なんて趣味じゃない」
とか,
「ちょっと読んでみたけど稚拙で面白くない」
という人もいるでしょう.

なので今回は,そんな人でもこの小説を一読してみようかな,って思ってくれるきっかけとなる話をしてみます.
小説としての出来は別として,その小説のモデルとなった一連の出来事において,私なりに思い入れのある人物についての紹介です.
いわゆる,注釈みたいなもの.

登場人物の背後や設定が分かると,また別の読み方もできるかもしれません.

ちょっとネタバレを含みます.
ですが,ネタバレしたところで小説の読み応えはあまり変わりないと思います.
既に読了した人であっても,読んでる途中の人であっても参考になるものです.


とりあえず今回は3名をピックアップしました.
(1)兵藤芳裕
(2)堀内昌利
(3)梨田祐介


【ネタバレが嫌だって言う人は,読み終えてから以下の記事を読んでください】



(1)兵藤芳裕(学長)


私としては,この人からかなり勉強させていただきました.
小説内では厳しい書き方になっていますけど,それなりにリスペクトしているところはあるんです.

それに,私のことを非常に期待してくれていて,将来のことも案じてくれていました.
ヨーロッパの大学での勤務経験もあり,学術レベルもかなり高い人でしたし,青葉大学を本気で憂いている人であったことは間違いありません.

ただ,永山先生に言わせれば,「結局のところ,自分の薄っぺらい野望のために周囲を巻き込んだ人」と,怨恨めいたものがあります.
私も,その点はそうだろうなと思うんです.

私としては,学長という立場を維持するために,理事長派閥よりも苛烈な「大学改革」を唱えることで,権力や権威の向上を目指してしまったと評価しています.

もともとは,とても普通の大学教員なんです.
むしろ,私としては目標にしたくなるような知的エリートでした.

けど,学長という「大学運営者」の立場がそれを許さなかった.
やっぱり,私達みたいな平社員が「高等教育」とか「大学改革」に平然と文句を言ってられるのは,経営者としての責任を背負っていないから,という部分は大きいと思います.

同じことが企業の社長とか,政治家なんかにも言えるんでしょうけど.
でも,だからと言って,そういう立場の人が擁護されて然りというわけでもないと思います.やっぱり責任は重いですよ.



(2)堀内昌利(非常勤講師)

最後の方にピンポイントで出てくる,スノーボード実習の非常勤講師.
登場回はここです↓
40:2013年2月12日

かつて私が勤めていた地域では,「仏の堀内」として知られている,私達の大先輩です.

「フランスの堀内」というわけではありません.
仏.つまり,とても優しくて慈悲の心に満ち充ちている人.

困ったら堀内先生にお願いする.
ヤバいと思ったら堀内先生に依頼する.

どんな大学,どんな領域にも必ずと言っていいほど一人はいるキャラだと思いますが,そういう人です.

堀内先生の藤堂道雄についての評価も,若い頃からずっと面倒を見てきたということもあって,寛大です.
ただ,青葉大学に着任してからというもの,あまりにも性格が豹変した藤堂先生を憂いていました.

小説内では穂積先生に語っていた「昔はあんな奴じゃなかったのになぁ・・・」という一連のセリフは,学外実習中の宿泊施設の大浴場で出てきたものです.

上述した兵藤先生と同じく,藤堂先生も「立場が人を変えた」というところがあるのかもしれません.

堀内先生によると,若い頃の藤堂先生は,それはそれは学生ウケの良い,優秀な非常勤講師だったようです.
教職員への気配りも利く人だったようで,そんな藤堂道雄が大学教員になって,学科長になれば,なにかの形で上手く回るのでは? という期待もあった.

ところが,どうやらそういった「気の利く男・藤堂」というのは演技だったようです.
実際,藤堂道雄は,この私にそういう演技についての話を,自慢のように語っていました.
それを聞いた私は,「コイツ,堀内先生たちの想いをこれでもかと踏みにじってるな」と怒りが込み上げてきたものです.
若かったんですね.

ちなみに,現在の私の「大学」「大学教員」に対する考え方は,小説内の時間でもある2012年のものとは少し様変わりしています.
堀内先生が語っているものが,今の私の考えに最も近いと言えます.

だって,たとえ「演技」として善人をやっている人がいたとしても,大局的にみれば,堀内先生の考え方が最も組織を円滑に進められる思想だと思うんですよ.
組織を運営するためには,演技を演技として許容し,了解する心が必要なのかもしれません.
以前の私の考え方は,かなり窮屈だったと思います.




(3)梨田祐介(南海大学教授)


私の指導教員です.
小説内では,いろいろなところに登場しますが,主だったエピソードとして,
15:1986年7月22日
があります.
この話は,梨田先生から飲み会の時に聞いたもの.

梨田先生に限らず,この当時,多くの「体育系大学教員」が小説内にあるような感覚で教員をやっていたそうです.

そこで,その大学を代表する重鎮・大平先生に諭され,
「大学教員たるもの,研究を資源とした教育活動をしなければいけない」
と思い直したとのこと.

以後,梨田先生はそのスポーツ種目の分野で,日本国内の中心的な人物として活躍しています.
ちなみに,本職はサッカーではありません.

ただ,なんでもかんでも「研究成果を共有する」という癖があります.
これはあまり褒められた行動ではないのですけど・・・.
でも,それだけ了見が広く,度量の大きな人でもあります.

藤堂先生の業績づくりに,梨田先生や私が貢献したというのは,本当のことです.
まさか一緒に仕事することになるとは,大学院生当時は思ってもいませんでした.

梨田先生としても藤堂先生の将来を見越して,以前から学会発表などを積極にするように指示していました.
でも,全くやらなかったのが藤堂先生です.

ですから,あれだけ狂ったように高圧的な態度を私にとりたがる藤堂も,業績づくりについては猛烈に下手に出てきます.
こいつに頼まないと,今年の業績ゼロになっちゃう,という頭は働くんですね.
その手のひら返しが凄まじく,あの永山先生曰く,「アイツってさぁ,超高速でんでん太鼓だよね」って.
でんでん太鼓(Wikipediaより)

私と一悶着あった後は,梨田研究室の私の後輩たちに頼み込んでいたようです.
どうやら,1つも業績はもらえていません.

困りに困った結果,藤堂先生は,多分生まれて初めてご自身で論文(という長文)を書いたらしく・・・.
その論文を学内紀要に出してきたんです.

紀要の編集委員長をやっていた永山先生が,その恐ろしくレベルの低い論文(日本語っぽい文章)を私に提示して,
「この文章の添削・編集をお願いします」
と言ってきた日のことは,今も忘れることは出来ません.

マジで,中学生の文章だなっていうのが感想です.
探したら,まだそのファイルが残ってると思います.

もうね,いろいろな論文の文章をくっつけひっつけ,日本語になってない部分もあったりする.
相当がんばったんでしょうけど,あれは掲載できない.
添削なんかしたら,元の文章が一切なくなる.
そのくせ,至るところに「学科長・藤堂道雄」っていうワードが入ってて,こんなところでアピらなくてもいいからって.

結局,永山さんはアレをどういう理由をつけてリジェクトにしただっけ?
査読なしの紀要がリジェクトになるって,ちょっと意味分かんない感じですけど.
もう覚えていません.

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