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別に河野太郎が嫌いなわけじゃない|どうして右翼・保守の人達から好かれるのか? が謎なだけ

河野太郎の主張の多くに同意できますよ


先日,
っていう記事を書いたんですが,そこでは河野太郎を批判的に捉えたような文章になっていました.

つまり,河野太郎は右翼・保守系から好かれているけど,実は彼はその真逆の政治思想をしていますよ,ってことです.

なかでも典型的なのが,
・小さな政府の推進
・女性・女系天皇を容認
・移民政策の推進
といったところでしょうか.
これらは,彼を支持しちゃってる右翼・保守の本格派の皆さんが,実際のところ許容できない点じゃないかと思うんですけどね.
大丈夫なんですかね.

他にもいろいろとありますが(反原発,国籍付与の緩和,夫婦別姓など),これは右翼・保守のなかでも解釈が分かれているケースが多いので,上述の3つが代表的なところです.


で,私は別に河野太郎が嫌いなわけじゃありません.
こういう改革派の政治家が必要な場面はあるし,選挙して当選してきた人なんですから仕方ない.


そもそもの話をすれば,政治家に対して「好き/嫌い」とか,「支持/不支持」で向き合うこと自体がおかしいんです.

私のスタンスとしては,誰であろうと批判的に向き合います.
誤解しないでください,「否定的」に向き合っているのではありません,「批判的」です.

これは別の言い方として「科学的」とすることもできます.

強いて言えば,前政権の安倍晋三は否定的だったかもしれません.
あんな座敷牢ものの人間が,我が国のトップに君臨し続けたのかと思うと寒気がします.


なんにせよ,政治家や政党,政権に対しては注意深く監視しなければいけないのです.

以上,私の政治スタンスでした.
というだけでは薄味なブログ記事になってしまうので,せっかくですから私が「リベラル・改革・左派」の政治家である河野太郎に同意できる点を挙げてみたいと思います.




女性・女系天皇の容認


いきなり飛ばしていきますが,実は私は「女性・女系天皇」に対しては容認派です.

ただ,それを検討したり決定したりするのは皇室だと考えていて,私たち臣民はそれに従うだけだ,という立場です.

実際のところ,女性・女系天皇を私たちがアレコレ騒ぐのって余計なお世話だと思うんですよ.
ですから,皇室の方々が「今後は女性・女系天皇もおく制度にします」っていうんだったら,私はそれを支持しますってことです.

この点,政治家との向き合い方とは違うわけです.


前回の記事でアイザック・アシモフの「ファウンデーション」の話をしましたよね.

まさにそこで話したことと一緒で,皇室の在り方についても「第2ファウンデーション」の考え方が大事なんです.

つまり,皇室や天皇という制度・文化そのものを保護・保存することよりも,皇室や天皇という存在を求める精神性の方が大事だということ.
もしこの精神性が失われてしまうのであれば,皇室も天皇も不要な存在ということです.

そういう視座から向き合わないといけないテーマだと私は考えています.





選択的夫婦別姓の推進


これについては,過去記事でも何度か取り上げました.
例えば,
とか.

それらの記事でも述べていますが,「マイナンバー制度」が始まった現在,選択的夫婦別姓もなにも,そもそも「氏名」を廃止してしまえばいいとも思っています.

これは「革新的イノベーション(笑)」な話ではなくて,至って「伝統的」で「保守的」な制度へと転換するものと位置づけています.

和洋折衷,脱亜入欧を合言葉に突き進んできた日本の近代化において,実は「氏名」についても欧米の制度を取り入れて,日本の伝統的な慣習は廃れてしまいました.
それが「全国民への氏名制度」と,「強制的夫婦同姓制度」です.

かつての日本では,年齢や立場,役職などの変化に応じて,氏名・姓名をコロコロと変えるのが一般的でした.
よくよく「日本の歴史」で登場する人物たちを思い出してみてください.
彼らは皆,生涯に何度も名前を変えていますよね.

ほら,こっちの方が日本にとっては伝統的な制度なんですよ.
そのために「マイナンバー制度」が活用できますよね,ってことです.






印鑑の廃止


もういいよね,こんなもの.

もちろん,使いたい人は使ってもいいと思うんです.
けど,サインで済ませられるんなら,そっちの方が断然いいし,そもそも印鑑なんて日本の伝統でもなんでもないし.

組織内の書類に至っては,事務室の文房具箱に社員全員分の,自由に使える予備の印鑑が置いてあるのが普通です.
こんなの,もはや印鑑製造会社や印鑑職人のために存在しているようなものです.

ただ,「サインだけでOKになりました」って言っても,実は印鑑の利用者はそこまで減らないんじゃないかとも思っています.
印鑑の効力が無くなったとしても,手書きの手紙やコメントペーパーの最後に,しれが自分の文章であることを示すために印鑑を押してそうな未来が見えます.
サインでOKな時代だからこそ,印鑑がオシャレになるのかもしれません.
そういうのをメディアが「最近は若者の間で現代風の印鑑がブームです」などと言ってそうです.

けど,私はサインで済ますと思います.


それに関連して,河野太郎は意味不明な会議や,非効率な会見などもやめればいいと主張しています.
まあ,そのあたりは事情がよく分からないので何とも言えませんが,本当に無駄ならさっさとやめればいいと思います.

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