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労働がスポーツになる|についての話

適切なベーシックインカムで,働くことはレジャー・スポーツになっていく


わざわざ「適切な」を入れたのは,ベーシックインカムにも様々な手法があるからです.

一番マズいのは,とりあえず国民全員に同額のお金を給付しておいて,あとは知らない,っていうベーシックインカムです.
最近,メディアを騒がせているベーシックインカムはこのタイプだとされています.
それを推進しているのが竹中平蔵とのこと.

問題は、この「年間72兆円」の財源だ。竹中氏の考え方では、生活保護や年金をはじめとする社会保障を廃止することにより、財源が確保できるという。2019年、医療・年金・介護・生活保護などの社会保障給付費の合計は、年間約120兆円であった。この120兆円を組み替えれば、ベーシックインカムの財源は余裕をもって確保できる計算になる。

さらに,経済評論家による,こういう指摘もあります.
ベーシック・インカム(ミルトン・フリードマン=竹中平蔵版)(三橋貴明オフィシャルブログ 2020.9.26)
わたくしがベーシック・インカム(以下、BI)についてあまり触れないのは、すぐに「アイコン」の議論になってしまうためです。(※アイコンとは、抽象化が進み、中身が判別不可能になった政策の「言葉」を意味します。)
 つまりは、BIにも様々な種類があるにも関わらず、中身ではなく「BIに賛成? 反対?」 という議論になってしまうのです。

 そして、BIに賛成するにせよ、反対するにせよ、
「BIに賛成する三橋は○○だ」
「BIに反対する三橋は○○だ」
 といったレッテル貼り合戦になってしまうため、「中身」をきちんと理解し、アイコンで語るのはやめようよ、と言っているわけです。

ベーシックインカム議論に向かう姿勢に関しては,まさにその通りです.
私もずっと「ベーシックインカム」については,その将来が期待できる有望な政策だと思っていましたが,結構な勢いで,
「ベーシックインカムはモラルハザードを起こす!」
「国民国家が成り立たなくなる!」
といった指摘がされがちで,あたかもベーシックインカムが国家解体思想のように思われているフシがあることです.

で,その「国家解体思想」を提唱している竹中平蔵は,「社会保障を停止することで財源を確保する」という考え方をしているわけですが,その問題点についても指摘されています.
 竹中氏の発言を引用。
『(財源の)基になるのは(米経済学者)ミルトン・フリードマンの『負の所得税』の考え方だ。一定の所得がある人は税金を払い、それ以下の場合は現金を支給する。また、BIを導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる。それらを財源にすることで、大きな財政負担なしに制度を作れる。生活保護をなくすのは強者の論理だと反論する人がいるが、それは違う。BIは事前に全員が最低限の生活ができるよう保証するので、現在のような生活保護制度はいらなくなる、ということだ。』
  フリードマン・竹中式BIの問題は色々ありますが、とりあえず「あらゆる非常事態」に対する備えが「自己責任」となります。

 自助・共助・公助ではなく。自助・自助・自助です。

 病気や老齢といったリスクへの備えも、自己責任。「各々が勝手に保険に入ればいい」というわけで、「政府が国民を守る」という考え方が消滅します。
 究極の小さな政府でございますね。

 

つくづく,竹中平蔵って碌なことをしないよな,って思います.
全身全霊をかけて,最大努力で国民生活や日本を破壊したがりますよね.


ちなみに,私としてはベーシックインカムの財源は,政府紙幣の発行か,通貨発行益あたりが良いんじゃないかと思います.
これにより,国家としての社会保障や公共事業費等を維持したまま,国民に所得配布をするのです.
このあたりの詳しい話は,ウィキペディアとかを読んでください.
ベーシックインカム(Wikipedia)


私流ベーシックインカムの理念は「スポーツマンシップ」


そもそも,どうしてベーシックインカムなんかをするのか?

そんなところが気になる人もいるでしょう.

これについて,お硬い話をすれば「日本国憲法第25条」にある,
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
を,その字面そのままに読み取れば,ベーシックインカムが最適解じゃないか,というものです.
ちなみに,これは日本共産党も同じことを言っています.


もっと文化的な面から話せば,ここ最近のブログ記事でも取り上げているSF小説が原点です.
ジェームズ・P・ホーガンの『断絶への航海』あたりが典型ですね.


思想的な背景は,前回の記事で紹介した,森博嗣の『馬鹿と嘘の弓』がとても分かりやすいと思います.


さらに,このブログの過去記事では,ベーシックインカムという言葉を出さずに経済政策論を述べたこともありました.
例えばこれ.

5年前に書いた記事ですけど,今,自分で読んでみても「なるほど,良いこと書いてるなぁ」って思います.
と同時に,「未来の経済」「改革すべき方向性」などについては,もうここで言い尽くしている感があります.

すなわち,近代以降,人類の経済活動は「近代スポーツ化」したんです.
そして,経済の在り方はスポーツで説明できるのです.

これは相互関係とも言えるでしょう.
経済が近代化したから,近代スポーツが誕生したのであり,逆に,そうしたスポーツの近代化が,経済を近代化させている,と.

そもそも,人間の本質というのは,スポーツにあるからです.
それについて詳細に書いた記事もあります.


人間というのは,いついかなる時にも「スポーツ」をしたがります.
言い換えれば,人間は,あらゆる活動をスポーツにしたがるのです.

いみじくも,森氏の『馬鹿と嘘の弓』にもこんなセリフが出てきます.
「怠けるって,正直,楽しいと思います」加部谷は頷く.「でもそれは,仕事に縛られているからかも.ずっとフリーだったら,働きたくなるかもしれませんよ」
「そうなったら,働けば良い.働くことは,スポーツになります.レジャになります.未来は,きっとそうなる」

私に言わせれば,今現在も労働はスポーツなのです.
ここで問題なのは,その現在のスポーツには「遊び(レジャー)」の要素が弱いこと.

事実,現代スポーツ,その代表格である「競技スポーツ(チャンピオンシップ・スポーツ,プロスポーツ)」には,遊びの成分がなくなってきました.

逆に,近年では,そうした「遊び」がなくなってきたスポーツに「遊び」を取り戻そうとする動きもあります.
『スポーツ弱者でも活躍できる!』ゆるスポーツの魅力に出会った話(noteプレミアム 2019.12.15)
「ゆるスポーツ」がヒットする2つの理由(ハフポスト 2015.11.29)

他にも,最近,破竹の勢いで隆盛してきた「障害者スポーツ」や「パラリンピック」もその一つですし,テレビゲームを「Eスポーツ」と称してスポーツの一つとして認められるようになったことも挙げられます.

別に組織立った活動でなくても,スポーツを個人レベルで,仲間内だけで,ローカルなものとして楽しむ方向に向いてきているのです.

これを,「スポーツのユニバーサル化」と呼びます.
そしてこれは,これまでのスポーツの近代化・現代化とは逆方向の流れと言えるのです.


前述したように,
「スポーツの近代化が,経済を近代化させている」
のであれば,今後は,
「スポーツのユニバーサル化が,経済をユニバーサルにする」
と考えられるのではないでしょうか.

近代スポーツは,規格・ルールの統一と,同じ方向を目指した競争にその特徴があります.
これがそのまま近代社会とその経済にも当てはまるわけです.

では,ユニバーサル化したスポーツとはなにか?
それは,規格・ルールの独立・ローカル化と,様々な価値基準での競争です.
これを経済に当てはめれば,各々の価値基準での生活を重要視するようになり,法律や経営ルールもそれに合わせてローカルなものに細分化されていくでしょう.

そうした世界にあって,求められるのは「ベーシックインカム」ではないか? というのが私の考え.

誰もが「生存」することは保障されており,その中でどういう生活を営むかは,各自の価値基準に任せる,というもの.
これがユニバーサル化したスポーツであり,ベーシックインカムが実現した社会なのです.

「より多くのお金を稼ぎたい」という競技スポーツに興じたい人は,そうすればいい.
「趣味の延長でビジネスをしたい」というレクリエーションスポーツに興じたい人は,そうすればいい.
「必要最低限の生活で自由気ままにしたい」というゆるスポーツに興じたい人は,そうすればいい.

これまでは,誰も彼もが「競技スポーツ」をしろと言われていたんです.
さらに,「努力すれば誰もがトップアスリートになれる」などというデタラメを言われながら.
当然のことながら,トップアスリートになれるのは極一部の才能のある人だけです.

それに,たくさんの人が参加すれば(競技人口が多ければ),トップアスリートになれる人が増えるわけでもありません.
これはスポーツ科学的にも指摘されています.


もっと言えば,より多くのお金を稼ぎたいと思っている人は,周りが仕事をしなくなったからと言って仕事をやめることはないはずです.
こういう人は,お金をジャンジャン稼ぐ活動そのものに楽しみを見出しており,その才能があるのだから興じるんです.
むしろ,本人たちの好きにさせてあげた方が,今みたいに嫌々仕事に就いている無能な同僚や,やる気や才能のないクライアントを相手にしなくて済むようになるので,楽になると思います.
で,こういう人からそのほとんどの所得を徴税したところで,またお金儲けに勤しむと思います.
この手の人に対しては,テレビゲームとかゲーセンのように,全国ランキングとかを出してあげると喜ぶかもしれません.

逆に,ベーシックインカムによって仕事をしなくなる人は,そもそも「お金を稼ぐ仕事」をしてはいけない人なんです.
競争環境に置かれないと仕事できないような人ですから,必ず周囲に迷惑をかけています.
存在そのものが迷惑と言っていいでしょう.
そんな人は,ほどほどの仕事をしてくれていればいい.


ところで,私はどうするでしょうか.
たぶん,今の仕事と生活をずっと続けます.

変わるとすれば,今よりも商品の質を上げて,出荷量を減らすかと思います.
現在はお金儲けのことを多少なり考えなきゃいけないので,質より量なところがあるんです.
もしベーシックインカムが導入されたら,もっと商品の質を上げたいと考えるでしょうね.

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