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ちょっぴりアセクシュアルな私が「アセクシュアル」について考えた

実は,アセクシュアルの人って結構多いんじゃないかと思っています


先日の記事では,その後半部で「アセクシュアル」について述べました.
アセクシュアルというのは,恋愛欲求が低い人のことを指します.
例えば,こんなネット記事で解説されています.

で,私自身,その「アセクシュアル」という性的嗜好の傾向があるんじゃないかと思ってるんですね.
以前から,なんだか周囲の人達とちょっと違うなって感じてはいたんですが,最近になってこの「アセクシュアル」というカテゴリ分けがあることを知りました.

当然,こういうパーソナリティやキャラクタというのは,完全にカテゴライズやグループ分けできるものではありませんから,様々な例外やグレーゾーンがあるものです.


上述のネット記事でも述べられていますが,この「アセクシュアル」についても誤解がはびこっているようです.
例えば,
「同性愛者なのではないか?」
「愛情が無い,冷たい人間なのではないか?」
「セックスが嫌いな人なのではないか?」
「結婚しない人のことではないか?」
などなど.

これらは全て誤りです.

もちろん,同性愛者のなかにアセクシュアル傾向の人もいるでしょうし,結婚せずにアセクシュアルな人もいるのです.
アセクシュアルというのは,あくまでも,
「平均人と比べて,顕著に恋愛欲求が低い人のカテゴリ」
というものです.

むしろ,こういうカテゴライズが必要かどうかすら怪しいかもしれません.


近年,日本でもLGBTへの理解が顕著に進みましたよね.
かつてはキワモノ扱いだったものが,普通に共存するようになってきました.
芸能界でもそういう人が活躍しているようですし.

アセクシュアルというのは,そういう流れのなかで表在化してきたのではないかと思うんです.
つまり,実は結構たくさんの人がアセクシュアルではないのか? ってこと.

上記のネット記事が紹介している調査では,全体の約1%がアセクシュアルだとされています.
1%って結構多いと思います.
だって,100人いたら1人はいるわけでしょ.
1000人いたら10人.
だから例えば5000人規模の大学であれば,学内に50人のアセクシュアルの学生がいるってことです.

ちなみに,大学生を対象にした調査では,同性愛傾向(バイセクシャルを含む)の人は全体の約10%程度だとされています.
大学のFD研修会でそんな講演があったんですが,私もビックリしました.
10%ですよ.10人中1人はいるってことになります.

なんにせよ,性的嗜好が「平均」から逸脱している人って,かなりの人数がいるようなんですね.
芸能界やネットを通じて,そういうことが知られてきたこともあって,自分の性的嗜好に関する「自覚」も進んだでしょうし,その嗜好に対する「自己肯定」も進んでいることと思われます.


実際,例えばこんなネット記事もあります.
恋愛しない男女が増加中!恋愛をしない心理やメリット・デメリットを紹介(ハッピーライフ)

この記事に限らず,こういう「恋愛しない人が増加している原因」とか「結婚しない人が増えている原因」を論じている人って,
「最近の日本人はなんでもコスパで考えるようになった」
「ゲームやSNSが普及するなど,一人での楽しみが増えた」
「経済的な不況により,恋愛をする暇がない人が増えた」
「一人でも生きられるテクノロジーや社会支援が充実してきた」
などといった考察をしています.

でも,事はもっとシンプルではないでしょうか.

つまり,
「もともと恋愛欲求が高くない人が結構な割合で存在していて,近年はその性的嗜好を謳歌できるようになった」
ということです.
アセクシュアル傾向の人って,実はたくさんいるんじゃないか? っていうのは,そういうこと.


そもそも,今の私たちが考える「恋愛をする」ということ自体,欧米文化を強引に取り込んだ明治後期以降の価値観や見方です.

それ以前の庶民における恋愛事情はどんなものだったか,知りようがないですよね.

もちろん,文学や芝居などを通じて,江戸時代や平安時代の恋愛模様を垣間見ることはできますが,それとて結局のところ「特殊な恋愛物語」でしかありません.
庶民全体がどのような状態だったのか,やっぱり知りようがないんです.


実際,アセクシュアル気味の私にしても,恋愛物語やラブロマンス映画を理解はできます.
そこへの感情移入は平均人より弱いかもしれませんけど.

例えば,「容疑者Xの献身」で堤真一が演じる犯人の恋心は理解できるし,また「世界の中心で、愛をさけぶ」が感動押しにかこつけたクソ映画だということも分かります.

そう言えば,どっちにも柴咲コウさんが出てますね.
 


そう言えば,前回・前々回の記事で,「後で思い返してみたらヤバい状況だった」っていう話をしましたよね.
アセクシュアルの人に共通するかどうか分かりませんが,こういう「後で思い返してみたら・・・」というのが私にとっては特徴的です.

つまり,ドラマや映画,小説などにおける「場面」みたいなものとして思い返してみたら,
「あの状況って実はロマンス的なものだったんじゃないのか」
って理解することはできるということ.

思い出したんですけど,前々回の記事に関連する内容の記事を,かつて書いたことがありました.
この記事で「一緒にドライブした」っていう人が,前々回の記事における女子学生のことです.
そこでも,学生や大学職員の方に「先生は鈍感です」と指摘されてました.

ようするに,その現場において頭が回らんわけですよ.
たぶん,平均人であれば,
「おいおい,これって恋愛フラグじゃないのか!」
とワクテカものなんでしょうけど,私みたいなアセクシュアルの場合は,これを,
「( ´_ゝ`) フーン」
と華麗にスルーしちゃうわけですね.

詳しい事例は前回記事を見てください.



コメント

  1. じゅうべい2021年1月20日 16:58

    日本では1950年代生まれくらいまでは結婚は見合いでするのが多くを占め、「色恋沙汰にうつつを抜かす」ようでは真面目に生きていないと糾弾されていたように思います。恋愛小説も隠れて読むものだったとか。その後は、子供がテレビや漫画で気軽に恋愛を知ることができるようになって、「恋愛ってしてもいいんだ」となったのは素晴らしいことだとは思いますが、向かない人に強制するような風潮はよくないと思います。
    学生については…私もいろいろ経験しましたが、私は敏感でかつ糾弾が怖かったので、学生の相談時には必ず扉を開けておくようにし(学生が廊下から見えない位置で話すことはありました)、飲み会の単独の誘いには「何一人でごっつぁんになろうとしてんの?誰か仲間連れてこい」という形で断りました(複数となら気軽に飲んでいました)。ガードが堅いのが分かると向こうも無理してきませんね。もっとも、イケメンの同僚が着任した後は、彼が既婚か否かの質問はあっても私は相手にされなくなりましたが。私が結婚したことを学生が知ったとき、「誰と?」と色めき立ったとき、その学生が相手を同級生か知り合いかと勘違いしたのが分かり、私の結婚相手が大学と完全に無関係なことを慌てて話したのもいい思い出です。
    もてなかった者としては、おもてになったのことを羨ましくも感じますが、ご本人にとって「どうでもいい」ことなら羨むのも筋違いかなと思いました。

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    1. コメントありがとうございます.ちなみに,私はとてもじゃないけどイケメンとはいえないし,もてやすい人間でもありません.私を知ってる人なら間違いなくそう評するでしょう.それでもこういう経験をするのは,大学教員と学生という立場が,もてるもてないに関係なく,ある種のロマンスを生みやすいんじゃないかなと.「教員」という属性が,なにかしらの憧れとフェティシズムを喚起するのかもしれません.とくに女子学生に多いのかもしれないです.そういえば,私の知り合いの女性教員(30代半ば)は,靴箱に入れてあった自分のパンプスを男子学生が嗅いでいるところに遭遇し,恐怖したそうです.彼女には「私たちは教員ですから,仕方ないですよ」って言ってあげました.愛の表現っていろいろあるもんですね.

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