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終章 末端

2030年9月 〜 2031年6月/庄内中央銀行・立野目・鶴岡
佐久間稔(53歳)/沼田/土田涼太/本間弓(36歳・検査場主任)/本間サキ/五十嵐源治(80歳)/齋藤チカ/西村(税理士)/片岡瑞希

 9月11日、庄内中央銀行の沼田から電話が来た。

 「佐久間さん、来週、お時間いただけますか」

 声で分かった。


 応接室の空気が、前とは違っていた。

 沼田は課長になっていた。4月に昇格して、そのまま余目に残っている。転勤がなかったのは、たぶん、この案件があるからだろうと佐久間は思った。

 「短期の9,000万円ですが」

 沼田はそう切り出して、そこで一度、止まった。

 「更新できません」

 佐久間は頷いた。

 「9月末に、9,000万円を返せということか」

 「そうなります」

 「ない」

 「ありませんね」

 沼田は資料を出さなかった。出す必要がなかった。


 説明は、短かった。

 令和11年産の税引前損益が1,680万円の赤字。現預金が2,200万円。来年3月の元金返済が6,600万円。

 この三つだけで、返済原資が足りない。

 「本部は、回復の根拠を見ます」と沼田は言った。「天候なら戻ります。相場なら戻るかもしれない。水路は、戻る根拠がない」

 「今年は作れた」

 「作れました。150ヘクタール、戻しましたね」

 「うちで浚った」

 佐久間は言った。

 この春、彼は社員二人を20日、水路に出した。2.4キロを、二人と土田と、齋藤チカと加賀谷で浚った。4月26日に間に合った。水は届いた。

 「その事業計画を、私は上げました」と沼田は言った。「毎年4月に、社員二人を20日、水路に投入する。それによって作付を維持する、と書きました」

 「通らなかったか」

 「通りませんでした」

 沼田は初めて、目を伏せた。

 「本部は、こう言いました。それは経営計画ではなく、人力に依存した綱渡りであると」

 佐久間は、その言い方に腹を立てなかった。

 正しいと思った。

 二人のうち一人が辞めれば、来年は浚えない。土田が転職すれば、浚えない。加賀谷が異動になれば、浚えない。齋藤チカの雇用は一年ごとで、来年もここにいるとは限らない。

 150ヘクタールの存続が、四人か五人の都合にぶら下がっていた。


 9月末までに、9,000万円は用意できなかった。

 銀行は、稲刈りまで待った。

 10月、令和12年産の収穫があった。

 その年の米は、よかった。

 夏の夜温が下がり、粒が締まった。検査の一等比率は8割を超えた。概算金は、袋あたり13,500円まで戻っていた。全国で作付けが減り、在庫が薄くなっていた。

 佐久間の会社は、2万6,500袋を出荷した。

 3億5,800万円が入った。

 最後の年に、いちばんいい米ができた。

 佐久間はそのことを、誰にも言わなかった。


 その米に等級をつけたのは、本間弓(ほんま ゆみ)だった。

 36歳になっている。検査員になって14年目で、いまは検査場の主任をしている。

 10月のなかば、立野目ファームの荷が入ってきた。運んできたのは、いつもの若い社員だった。

 「お願いします」

 「はい」

 弓はサンプラーを刺して、玄米を掌に受けた。

 広げるまでもなかった。

 白い。粒が張っている。乳白がほとんど出ていない。4年前の、あの年と同じ顔をしていた。

 水分計は14.7。ガラス板の上でも、整粒が7割を大きく超えている。

 「一等です」

 弓は「1」の判子を取った。

 この4年で、四つの判子は形を変えていた。「1」は前から丸かった。「2」は角が落ちて、いまは「1」と同じくらい丸い。「3」の朱肉は、乾く暇がなくなった。

 久しぶりに「1」を取ると、手のなかで軽く感じた。

 こつん、と伝票に落ちた。

 「今年は、いいですね」と土田が言った。

 「いいです」

 「うち、これで最後なんです」

 弓は顔を上げた。

 「3月で、会社なくなります」

 「……聞いています」

 土田は伝票を受け取って、作業着の胸に入れた。

 「4年前、僕、ここで訊きましたよね。一等と二等っていくら違うんですかって」

 「訊かれました」

 「あのとき、何も知らなかったです」

 彼は少し笑って、荷を積みに戻っていった。


 その夜、弓は実家に寄った。

 母のサキが、こたつでみかんを剥いていた。

 「今年の米、いいんだって?」

 「うん。一等が8割超えてる」

 「そら、よかったな」

 弓は湯呑みを持って、少し黙ってから訊いた。

 「お母さん。去年、うちの田、作られてなかったの?」

 サキの手が止まった。

 「……誰から聞いだ」

 「農協の記録見たの。仕事で」

 3ヘクタールのうち、1.8ヘクタールが、去年の作付面積に入っていなかった。水が届かなかった28ヘクタールに入っていた。

 「言わねぇでけろって、頼まれだんだ」

 「佐久間さんに?」

 「んだ」

 サキはみかんを置いた。

 「地代は、ちゃんと入ったよ」

 「作ってないのに」

 「んだ。作ってねぇのに」

 弓は、そのことをずっと知らなかった。

 彼女は毎年、この検査場で判子を押してきた。等級で農家の収入が変わることを、誰よりも近くで見てきた。一等と二等の差が500円で、それが1万袋なら500万円になることを、諳(そら)んじられる。

 その自分が、田を貸している側であることを、一度も勘定に入れていなかった。

 地代は、等級とも、天候とも、相場とも関係なく入ってくる。作られていても、作られていなくても入ってくる。

 母が台湾へ行った18万円は、その仕組みから出ていた。

 「弓ちゃん」

 「うん」

 「うちの田、来年から、誰が作るんだべ」

 弓は答えられなかった。


 11月、鶴岡の弁護士事務所へ行った。

 税理士の西村が同席した。

 再建の方法も一応、検討された。民事再生。事業の一部譲渡。第三者への承継。

 どれも、同じところで止まった。

 「引き受ける先が、いないんです」と弁護士は言った。

 150ヘクタールの水田を経営できる主体が、この地域にいない。近隣の法人はどこも同じ状態にある。県外の企業に打診する話も出たが、水路の状態を説明した時点で、話が続かなかった。

 結局、清算になった。

 「全国の農業の倒産は、ほとんどが清算です」と弁護士は言った。「再建型はまれです。理由は、いま申し上げたとおりです」


 概算金の3億5,800万円で、短期借入の9,000万円を返した。

 長期借入の残り6,700万円は、機械と施設を売って充てることになった。

 個人保証がついていたのは、短期の9,000万円だけだった。それが返せたので、保証は実行されなかった。

 佐久間は、自宅と、自分名義の20ヘクタールを失わずに済んだ。

 弁護士はそれを「不幸中の幸いです」と言った。

 佐久間は礼を言った。言いながら、4年前に前の年の高値で2億4,000万円の施設を建てたときの自分に、何と言えばいいのかを考えていた。

 考えても、何も浮かばなかった。あのとき、誰も止めなかったし、止める理由もなかった。


 1月15日、事務所に社員を集めた。

 六人いた。

 佐久間は、決まったことを順に話した。会社は今年度で解散すること。3月末で全員に辞めてもらうこと。退職金は、機械を売った金から出せるだけ出すこと。

 誰も、何も言わなかった。

 一人だけ、最後に手を挙げた。

 「社長」

 土田涼太だった。

 「あの、4月の江浚え、どうなりますか」

 佐久間は、少しのあいだ、言葉が出なかった。

 会社がなくなる日に、この男が訊いたのは、そのことだった。

 「うちは、受益者でなくなる」

 「じゃあ、出なくていいんですね」

 「そうだ」

 土田は座った。座ってから、小さく、そうですか、と言った。


 2月20日、公民館で地権者集会をした。

 28軒が来た。4年前は40軒だった。

 佐久間は頭を下げて、借りている130ヘクタールを、3月末で返すと伝えた。

 そのあとの10分間を、彼は一生忘れないだろうと思った。

 誰も、怒らなかった。

 誰も、責めなかった。

 代わりに、こう訊かれた。

 「佐久間さん、うちの田、誰が作るんだ」

 「……分かりません」

 「農地バンクさ出せば、誰が来るのが」

 「出しても、いまは、引き受け手が」

 「そうが」

 部屋が静かになった。

 本間サキが、いちばん後ろの席から言った。

 「あんた、悪ぐねぇ」

 佐久間は顔を上げた。

 「水が来ねぇんだば、しょうがねぇべ」

 誰かが、そうだ、と言った。

 佐久間は、また頭を下げた。

 下げながら、これが4年前の拍手と同じものだと気づいた。あのとき、地代を据え置くと言って拍手された。いま、田を返すと言って許されている。

 どちらのときも、この人たちは佐久間を責めていない。責める相手がいないからだった。


 3月、機械を売った。

 8条刈りのコンバインは、7年前に2,100万円で買った。査定は280万円だった。

 「この型は、まだ需要がありますので」と業者は言った。

 トラクターが3台で350万円。田植機が2台で120万円。乾燥調製施設は、建物と一体なので、土地ごと売ることになった。2億4,000万円かけたものが、7,800万円だった。

 全部で、8,500万円ほどになった。

 長期借入を返して、退職金を払って、残ったのは、ほとんどなかった。


 3月31日、事務所の鍵を返した。

 土田が手伝いに来ていた。

 二人で、事務所の書類を段ボールに詰めた。決算書、伝票、地権者の契約書、農薬の使用記録。7年分ある。

 「社長、これからどうするんですか」

 「二十町歩ある」

 「自分の田だけですか」

 「そうだ」

 佐久間は段ボールにガムテープを貼った。

 「53だ。二十町歩なら、一人でもなんとかなる」

 「僕、手伝いましょうか」

 「給料が出せない」

 「出さなくていいです」

 「そういうわけにいくか」

 土田は黙った。

 しばらくして、彼は別のことを言った。

 「僕、五十嵐さんの田を借りようと思ってます」

 佐久間は手を止めた。

 「一町一反だぞ」

 「はい」

 「食えないぞ」

 「食えないです」

 土田は段ボールを持ち上げた。

 「町の農林課に、4月から入ります。会計年度任用職員です。齋藤さんが、空きが出るからって」

 「役場か」

 「はい。それで、土日に田をやります」

 佐久間は、その言葉の意味を考えた。

 兼業だ。

 この男は、150ヘクタールを間近で見て、その終わりまで見届けて、それで一町一反の兼業を選んだ。

 「なぜだ」

 土田は少し考えて、答えた。

 「借金しなくていいからです」


 4月4日、佐久間は五十嵐源治の家へ行った。

 源治は納屋にいた。80になっている。今年も大豆を作ると言っていた。

 「源治さん、教えてほしいことがある」

 「なんだ」

 「水番のやり方だ」

 源治は、しばらく佐久間の顔を見ていた。

 「あんた、田、返したんでねぇが」

 「自分の二十町歩が残った」

 「あそこは、別の水系だべ」

 「別だ。ただ、そっちも同じことになる」

 佐久間は言った。

 「あっちの江も、いま6戸だ。3年か4年で、ここと同じになる」

 源治は、それを聞いて、少し黙った。

 それから立ち上がって、奥の部屋へ行った。

 戻ってきたとき、輪ゴムで束ねた大学ノートを持っていた。


 「これ、持ってげ」

 佐久間は受け取らなかった。

 「もらえません」

 「いいがら」

 「これは、源治さんのものです」

 源治は束を台の上に置いた。

 「俺ぁ、もう見ねぇ」

 彼は表紙を撫でた。

 「26の年から書いだ。55年だ。書いだ理由はな、忘れっからだ。去年の水口の板の高さも、去年の江浚えの人数も、1年経ったら忘れる。忘れっと、また1から揉める」

 源治は佐久間を見た。

 「あんた、これから一人で二十町歩やるんだべ。忘れっぞ」

 佐久間は束に手を置いた。

 古いノートは、思ったより重かった。


 その帰り、佐久間は水路沿いを歩いた。

 立野目江の上流に、土田が立っていた。

 長靴を履いて、ジョレンを持っている。

 一人だった。

 「何をしてる」

 「浚ってます」

 「今日は、江浚えの日じゃないだろう」

 「8日です。4日早いです」

 土田は水路のなかから見上げた。

 「今年から、僕、受益者なので」

 佐久間は土手に立って、しばらくその様子を見ていた。

 2.4キロを、一人で浚えるわけがない。8日には、たぶん四人か五人が集まる。それでも足りない。

 足りないことを、この男は知っている。

 知っていて、4日早く来ている。

 「土田」

 「はい」

 「ジョレン、もう一本あるか」

 土田は顔を上げた。

 「軽トラの荷台にあります」


 その日の夕方、齋藤チカが水路へ来た。

 役場の帰りで、まだ事務服の上に上着を羽織っただけの格好だった。

 「土田くん、五十嵐さんの田、借りたんだって?」

 「はい」

 「一町一反でしょ。売り先、どうするの」

 土田は泥だらけの手を止めた。考えていなかった、という顔をした。

 「農協に出そうかと」

 「全部?」

 「はい」

 チカは少し笑った。

 「30袋、こっちに回しなさい」

 「え」

 「縁故米。私の送り先、今年から28になったから、二つ空いてるの。あと、あなたの分の相手を探しなさい。親戚でも、大学校の同期でも、誰でもいい」

 「あの、いくらで」

 「30キロで1万3,000円」

 土田は少し驚いた顔をした。

 「農協より、高いですね」

 「高くない。送料はこっち持ちだし、精米して10キロずつに分けるから」

 チカは水路のほうを見た。

 「でもね、この30袋だけは、値段が動かないの。米が8,400円になった年も、1万3,500円になった年も、ずっと1万3,000円だった」

 「……なんでですか」

 「私が決めてるから」

 彼女はそう言って、帰っていった。

 土田は、しばらくジョレンを持ったまま立っていた。


 5月の連休が明けて、税理士の西村から電話が来た。

 清算の最後の書類が揃ったという用件だった。

 話が終わりかけたところで、西村がこう言った。

 「佐久間さん、これはもう関係のない話ですけど」

 「なんですか」

 「うちの他のお客さんの話です。稲作の法人が、まだ何軒かありまして」

 「はい」

 「来年から、収入保険の基準収入が、どこも落ちます」

 佐久間は、受話器を持ち替えた。

 「令和6年産と7年産が、5年の平均から抜けるんです。あの高かった2年です。抜けると、基準が3,000万円くらい下がる」

 「同じ売上でも、補填が出なくなる」

 「出なくなります」

 西村は、少し言い方を選んだ。

 「佐久間さんのところは、いちばん厚いときに使えました」

 「使えた」

 「これからの人は、使えません」

 電話を切ってから、佐久間はしばらく、庭を見ていた。

 制度は、何も変わっていない。ただ、5年が過ぎただけだった。


 6月、片岡瑞希の記事が載った。

 経済面の下、4段。ウェブ版には全文が出た。


末端から見た米価 ── 値段が戻った年に、作れなくなった集落がある

 山形県庄内町の立野目地区で、昨年5月、42ヘクタールの水田のうち28ヘクタールに水が届かなかった。

 旱魃(かんばつ)ではない。この地区に水を供給している用水は、400年前に開かれ、いまも十分な量を運んでいる。届かなかったのは、地区の末端にある延長2.4キロの水路を、春に浚(さら)う人がいなかったためだ。

 この2.4キロは、国も県も予算を持たない。維持は地元の受益者が無償の共同作業で担う決まりになっている。昭和40年代、この作業には31戸が出ていた。昨年4月、集まったのは三人だった。

 この地区で150ヘクタールを経営していた農事組合法人は、今年3月に清算された。従業員六人が職を失い、借りていた130ヘクタールが地権者に返された。返された農地の引き受け手は、いまのところ見つかっていない。

値段は往復し、需要は片道だった

 なぜこうなったのかを追うと、話は米の値段に行き着く。

 米は在庫でしか調整できない作物である。年に一回しか穫れず、輸入で埋めることが制度上ほとんどできず、需要も短期的には動かない。そのため需給のわずかなズレが、価格に増幅されて表れる。国全体の適正在庫は180万トンから200万トンとされるが、そこから20万トンずれるだけで、価格は数割動く。

 さらに、この作物には順序の逆転がある。生産者が受け取る概算金は収穫の直前に決まり、その数字が翌年の作付けを決める。価格が需給の結果ではなく、需給の原因になっている。 しかも1年遅れる。だから振り子は必ず行き過ぎる。

 2024年に米が不足し、価格が跳ねた。全国で作付けが増え、2年後には過剰になって暴落した。暴落を受けて作付けが減り、3年後にはまた不足に振れた。この5年で、往復は二度あった。

 なお、この数字は全国一律ではない。概算金は県ごとに全農県本部が決めるため、同じ年でも産地と銘柄で大きく違う。庄内のはえぬきが玄米60キロあたり1万6,800円だった年、高知の早期米は1万4,700円だった。同じ暴落が、産地ごとに違う数字で降りている。

 問題は、往復したのが価格だけだったことである。

 高騰した2024年から2025年にかけて、外食と中食の各社は米の使用量を減らした。ある大手中食チェーンは、おにぎり1個あたりの飯の量を110グラムから104グラムに変更した。理由として説明されたのは食品ロスの削減で、これは嘘ではない。実際、購入されたおにぎりの8パーセント余りが食べ切られていなかった。

 この変更は、価格が下がった後も戻されていない。同社の担当者は取材に対し、戻す理由がないと述べた。減らして誰も困らなかったのだから、戻す理由はたしかにない。

 6グラムを年間1億2,000万個で掛けると、玄米にしておよそ800トンになる。清算された法人の年間生産量とほぼ同じである。

 同社は今春から、原料米の四分の一を輸入に切り替えた。仕様書から産地名と品種名が消え、「国産米」「輸入米」という表記に変わった。

効率は上がったが、丈夫にはならなかった

 清算された法人の決算書は、地権者に毎年公開されていた。

 高値だった2025年産の営業利益は1億6,300万円。翌年、概算金が玄米60キロあたり2万8,000円から1万6,800円へ4割下がると、売上は3割6分減っただけで、営業損益は2,390万円の赤字に転じた。利益は1年で1億8,690万円動いた。

 費用のおよそ7割が、米価と無関係に出ていく性質のものだったからである。人件費、地代、減価償却費、支払利息、水利費。これらは米が高くても安くても、同じ額が出ていく。

 規模拡大は、労働効率を確実に上げていた。この法人は180ヘクタールを八人で作っていた。10アールあたりの労働時間は11時間で、地域平均の半分以下である。

 だが単位あたりの生産費は、下がっていなかった。玄米60キロあたり1万9,000円。統計上の同規模法人の平均を大きく上回る。

 代表者は取材に対し、理由を三つ挙げた。反収が地域平均より低いこと。高値の年に地代を10アール1万5,000円から2万2,000円へ引き上げたこと。同じ年に2億4,000万円の乾燥調製施設を更新したこと。

 「10年かけて規模の力で下げたぶんを、2年で使い切った」と彼は言った。

 高値の年に地代を上げ、設備を更新した経営は、この地域だけではない。2024年から2025年にかけて、全国で借地料が上昇し、施設投資が増えた。上げた地代は、価格が下がっても下げられない。下げると言えば農地を引き上げられ、引き上げられた農地は誰も作らないからである。

支えていたのは、統計上「非効率」とされる人たちだった

 この地区で、水路の維持を実際に担ってきたのは、2ヘクタール前後の兼業農家と、1ヘクタール前後の高齢農家だった。

 彼らの生産費は、統計では玄米60キロあたり1万7,000円を超える。効率が悪いということになっている。

 ただし、その1万7,000円の内訳には、自家労賃と、償却の終わった機械の減価償却費と、自分の土地に払うことになっている地代が含まれている。いずれも帳簿上の費用でありながら、現金は出ていかない。実際に通帳から出るのは、60キロあたり6,700円に過ぎない。

 この地区の兼業農家の一人は、価格が4割下がった年、世帯収入が21パーセント減っただけで済んだ。給与所得があり、自作地で地代がなく、借入がないためである。

 同じ年、180ヘクタールの法人は1億円の黒字を失った。

 規模の大きい経営が価格変動に弱いのは、経営が拙劣だからではない。固定費の比率が高いためであり、これは効率化の裏側にある性質である。効率と、変動への強さは、別のものである。

 そして、大規模経営の低い労働コストは、水路の維持という無償労働の上に成り立っていた。この地区の法人は、出役に出られない代わりに、年に9,000円の出不足金を払っていた。自社で同じ作業をした場合の人件費は、60万円である。

 67倍の差を、長いあいだ、誰かが無償で埋めていた。

これから

 この構造から見えるのは、次の二つである。

 一つは、内発的な縮小である。価格が下がって生産者が削られ、削られた結果として価格が戻り、戻った価格が需要を取り戻せないまま、次の下落が来る。振り子が振れるたびに、国産米の定位置が下がっていく。世界の食料需給が原因ではない。国内の価格形成が生産基盤を削った結果として起きる。

 もう一つは、輸入である。国会では、枠外関税の引き下げが議論されはじめている。次に価格が跳ねたとき、政府に残されている手段は多くない。備蓄は適正水準の半分程度で推移しており、しかもその相当部分が古い年産である。

 輸入が増えれば、高騰時の上値は抑えられる。だが過剰時に輸入が減るわけではない。義務として動く枠があり、一度できた商流は消えない。上だけが抑えられて下は支えられないため、価格の平均は下がる。

 それでいて、振れ幅はむしろ大きくなる可能性がある。輸入は契約から通関まで数か月を要し、不足に遅れて到着するからである。遅れて効く安定装置は、振幅を減らすのではなく増やす。 5年前、備蓄米の放出が価格の沈静に間に合わなかったのと、同じ構造である。

 最初に置き換わるのは業務用市場になる。外食と中食は銘柄より価格と安定供給を優先する。長く業務用の主力だった品種の産地が、最も早く影響を受ける。

危機の形

 食料の危機というと、輸入が途絶えることや、農地がなくなることが想像される。

 この地区で起きたのは、そのどちらでもなかった。

 農地はある。用水もある。400年前に掘られた水路は、いまも十分な量を運んでいる。

 ただ、その水を末端まで届けるための、泥を上げる人がいなかった。

 この作業に対価が支払われたことは、一度もない。統計にも計上されていない。誰かがやっているあいだ、それが存在していることに、誰も気づかなかった。

(庄内支局・片岡瑞希)


 記事が出た日、佐久間は自分の田にいた。

 4月に土田と浚った水路を、水が流れている。20ヘクタールの、いちばん端の水口から、田に入っていくところだった。

 彼はポケットから手帳を出した。

 五十嵐源治から受け取ったノートを真似て、今年から書きはじめている。日付。天気。水を入れた時刻。止めた時刻。

 6月12日。晴れ。

 水口を起こしたのが、朝の5時40分。

 佐久間は、それを書いた。

 書き終えて、顔を上げると、遠くに立野目のほうの水路が見えた。

 あそこには、今年、一町一反ぶんの水が入っている。

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