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第三部 玄米は歩かない

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第十八章

2025年2月14日〜3月下旬|高知県庁 産地・流通課/週末の安芸|有澤志穂(県産地・流通課課長補佐)

2月14日の午後4時過ぎに、国の発表がホームページに載った。

有澤志穂は自席でそのページを開いた。

「政府備蓄米の買戻し条件付売渡しについて」

数量、21万トン。

志穂は資料を印刷した。A4で6枚あった。

印刷機の前で待っていると、久保が来た。

「有澤さん。出ましたね」

「出た」

久保は刷り上がった1枚を取って、目で追った。

「あの、すいません」と、久保が言った。

「なに?」

「備蓄米って、県の倉庫にもあるんですか?」

志穂は残りの紙を揃えた。

「ないよ」

「県は持ってないんですか」

「持ってない。国のもの」

自席に戻って、志穂は資料を机に広げた。

久保が椅子を引いて、隣に座った。

「国が、毎年20万トンくらい買い入れちゅう」と、志穂が言った。「持っちゅうのは、だいたい100万トン」

「100万トン」

「凶作のときのため。5年くらいで入れ替えて、古うなったのは飼料なんかに回す」

「置いてあるのは、どこですか?」

「民間の倉庫。全国に散らばっちゅう」

久保は資料をめくった。

「県内にもありますか?」

志穂は、少し間を置いた。

「わからん」

「わからないんですか」

「県は、寄託先の一覧を持ってない」

久保は「ふうん」と言って、それ以上は聞かなかった。

志穂は2枚目を見た。

売り渡しの理由が、そこに書いてある。

集荷量の減少により、円滑な流通が行われていないため。

不作、とは書いていない。

去年の作況指数は、101だった。

志穂は3枚目に進んだ。

条件の欄がある。

買戻し条件付き。売り渡した数量と同じ数量、同じ品位の米を、原則として1年以内に国が買い戻す。

志穂はその二行を、二度読んだ。

「有澤さん」と、久保が言った。

「なに」

「これ、どういう意味ですか?」

「1年後に、返してもらう」

「貸すんですか」

「売って、買い戻す」

久保は資料を見た。

「同じことですか?」

「ちがう」と、志穂が言った。「けんど、似ちゅう」

志穂は赤ペンを取って、その行の横に線を引いた。

1年以内に買い戻すということは、買った側は、1年後に同じだけの米を用意しなければならない。

用意する当てのない者は、入札に出ない。

当てがあるのは、毎年、米を集めている者だけになる。

志穂はそこまで考えて、ペンを置いた。

置いて、資料を閉じた。

電話は、翌日から鳴りはじめた。

一本目は、県内の市町村の教育委員会だった。

「学校給食の米なんですけど」

「はい」

「備蓄米、うちにも回ってきますか?」

志穂は、資料の1枚目を見ながら答えた。

「国が入札を行いまして、落札した集荷業者が、それぞれの取引先に販売する仕組みになっております」

「その、集荷業者いうのは」

「農協や、米の卸です」

「ほんなら、うちはどこに言うたらええですか」

「……いま、お取引のある業者さんに、ご確認いただくことになります」

「県は、割り当てせんのですか」

「県は、この売り渡しの当事者ではありません」

相手は少し黙って、それから礼を言って切った。

二本目は、県内の米屋だった。

「うちも、その入札に出られますか?」

志穂は資料の4枚目を開いた。

参加資格の欄がある。

年間の取扱数量が一定以上あること。

「申し訳ありませんが、取扱数量の要件がございまして」

「なんぼですか」

志穂は数字を読み上げた。

電話の向こうで、笑うような音がした。

「うちの10年分ですね」

「……はい」

「わかりました」

その電話も、それで切れた。

三本目は、県議の事務所だった。

「県内に、何トン入るがですか」

「国からは、県別の数量は示されておりません」

「示されてない?」

「はい」

「ほんなら、県は何を把握しゆうがですか」

志穂は受話器を持ち直した。

「発表された全国の数量と、入札の日程です」

「それだけですか」

「それだけです」

11時までに、七本かかってきた。

昼までに、11本。

内容は、どれも同じ形をしていた。

いつ、どこに、いくらで出るのか。

志穂は、そのどれにも答えられなかった。

午後、森下が席に来た。

「有澤さん」

「はい」

「問い合わせ、どればあ来ちゅう」

「今日で、20本超えました」

森下は腕を組んだ。

「県は、何をするが」

「情報提供です」

「情報、あるが?」

「ありません」

森下は少し笑って、それから笑うのをやめた。

「久武さんが、想定問答を作れゆうて言いよる」

「わかりました」

「3月に、また委員会がある」

志穂は頷いた。

森下が離れたあと、志穂は新しいファイルを開いた。

想定問答の一行目に、質問を打ち込んだ。

「備蓄米はいつ県内の店頭に並ぶのか」

答えの欄で、カーソルが止まった。

しばらく止まっていた。

志穂は「国の入札結果を踏まえ、流通の状況を注視してまいります」と打った。

打ってから、その一行を見た。

12月に書いたのと、同じ言葉だった。

3月10日から12日にかけて、一回目の入札が行われた。

結果が公表されたのは、その週の後半だった。

志穂は資料を開いた。

数量、15万トン。落札は、14万トン強。

落札者の内訳に、志穂は目を止めた。

全国規模の集荷業者が、落札数量の9割を超えている。

平均の落札価格は、玄米60キロあたりで21,000円台だった。

志穂はその数字を書き写した。

去年の秋から、県内の生産者が業者に売っていた値段より、安い。

安いが、その米が店の棚にいくらで並ぶのかは、この資料のどこにも書いていない。

志穂は資料を閉じた。

久保が向かいの席から顔を出した。

「有澤さん。落札したの、ほとんど農協系ですね」

「そうやね」

「農協って、もともと米を集めてる側ですよね」

「そう」

久保は少し考えるような顔をした。

「集めてる人が、買うんですか」

志穂は答えなかった。

答えなかったのは、答えを持っていなかったからではない。

その先を口に出すと、それは県の見解になる。

「久保くん」と、志穂が言った。

「はい」

「県内の量販店に、入荷の予定を聞いといて」

「わかりました」

3月の下旬に入っても、電話は減らなかった。

内容だけが変わった。

「もう3月も終わりますけど、まだ店に無いんですけど」

「発表から1か月経っちょりますよね」

「21万トン出したいうて、テレビでやりよったけど、どこに行ったがですか」

志穂はそのたびに、入札の結果と、落札した業者から順次販売される見込みであることを説明した。

説明の途中で切られることが、何度かあった。

3月23日の日曜に、志穂は安芸に帰った。

母は玄関の上がり框に座って、新聞を読んでいた。

「志穂か」

「うん」

「あんた、これ知っちゅう?」

母が新聞を持ち上げた。米の記事だった。

「知っちゅう」

「備蓄米ゆうのは、まだ来んがかね」

「まだやね」

「ふうん」

母は新聞を畳んで、立ち上がった。

志穂は台所に入って、冷蔵庫を開けた。牛乳の期限を見て、卵の数を見た。

それから、床下収納の蓋を開けた。

5キロの袋が、二つ入っていた。

志穂は蓋を持ったまま、その二つを見ていた。

「お母さん」

「なに?」

「これ、いつのが?」

母が台所に来て、床下を覗いた。

「8月」

「8月」

「三つ買うたろ。一つは食べた」

志穂は袋を一つ引き出した。

口は閉じたままだった。

「半年経っちゅうで」

「そうやね」

「食べんが?」

母は流しの前に立って、蛇口をひねった。

「いつものを買いよるき」

志穂は袋を持ったまま、動かなかった。

「いつもの、いうのは」

「いつものやんか。スーパーで」

母は手を洗って、布巾で拭いた。

「これは、置いちょかんといかんろ」

「……うん」

「地震、まだ来てないき」

志穂は袋を床下に戻した。

戻して、蓋を閉めた。

蓋の板の上に、レシートが挟んである。

日付を見た。今月のものだった。

志穂は台所に立ったまま、その紙をしばらく見ていた。

居間で、母がテレビをつけた。

夕方のニュースが、米の話をしていた。

志穂はコンロに鍋をかけた。

夜、安芸から高知市へ戻る車の中で、志穂は一度、道の駅の駐車場に入って停まった。

エンジンを切ると、静かになった。

8月に、自分は電卓を叩いた。

一つの家が、いつもより1袋余分に持つ。それだけで、全国で25万トン。

そのとき、自分に言ったことがある。

移動するだけだ。消えたわけではない。誰かが食べれば、また買う頻度が落ちる。ならすと元に戻る。

母の床下には、8月の袋が二つある。

一つ減るのに、7か月かかった。

志穂は窓の外を見た。

駐車場の照明が一つだけ点いていて、その下に自販機が光っている。

志穂は車を出した。

月曜の朝、志穂は自席の引き出しを開けた。

8月のメモが入っている。

25万トン、と書いてある。

志穂はそれを机に出した。

新しい付箋を1枚取って、ペンを持った。

21万トン、と書いた。

2枚を並べて、机に置いた。

しばらく、そのまま見ていた。

電話が鳴った。

志穂は付箋を2枚とも引き出しに入れて、受話器を取った。

「はい、産地・流通課です」


第十九章

2025年3月14日〜4月11日|JA営農経済部/ながおか営農の作業場|明神奈緒(JA米穀担当)

3月14日の午前に、連合会から通知が来た。

明神奈緒はそれを印刷して、机に置いた。

政府備蓄米の売渡しに係る落札結果について。

一回目の入札は、数量が15万トン。落札されたのは、14万トンあまり。

そのうちの9割以上を、全国段階の集荷団体が落としている。

奈緒は数字を目で追った。

平均の落札価格は、玄米60キロあたりで21,000円台だった。

去年の秋から続いている相対取引の価格は、60キロで24,000円を超えている。

3,000円ほど、安い。

奈緒は2枚目をめくった。

条件の欄がある。

買戻し条件付き。売り渡した数量と同じ数量、同じ品位の米を、原則として1年以内に国が買い戻す。

奈緒はその二行に、シャープペンシルで線を引いた。

「明神さん」と、宮地が隣の席から言った。

「なに?」

「それ、備蓄米のやつですか」

「そう」

宮地は椅子ごとこちらへ寄ってきた。4月で2年目になる。

「農協が買うたがですか?」

「うちやない。連合会」

「うちも、関係あります?」

奈緒は通知を裏返した。

「関係する」

「どういうふうにですか?」

奈緒は答えを言わずに、A4の裏紙を1枚出した。

いちばん上に、書いた。

出る 21万トン。

その下に、書いた。

買い戻す 21万トン。

宮地が覗き込んだ。

「同じ数字ですね」

「同じ」

「1年後に返すいうことですか」

「そう」

奈緒はペンを止めた。

「宮地くん。返す米は、どこから持ってくる?」

宮地は少し考えた。

「……買うんですか」

「どこで」

「産地で、ですか」

「産地の米は、いま、誰が持っちゅう?」

宮地は口を開いて、閉じた。

「集荷しゆう人らですね」

「そう」

奈緒は紙に、三つ書いた。

一、今年の米を残しておく。

二、来年の米を集める。

三、市場から買う。

書いて、一のところで手を止めた。

残しておく、というのは、売らない、ということだ。

奈緒はペンを置いた。

置いて、紙を裏返した。

「明神さん」と、宮地が言った。

「なに」

「21万トン出るのに、なんで値が下がらんのですか」

奈緒は宮地を見た。

「まだ下がってないだけかもしれん」

「そうですか」

「そうかもしれん」

奈緒は紙を引き出しに入れた。

電話は、その週から増えた。

かけてくるのは、生産者ではなかった。

一本目は、県内の弁当屋だった。

「備蓄米いうのが出よりますよね」

「はい」

「うちにも回してもらえんですか」

「申し訳ありません。当JAは、その売り渡しの窓口ではないんです」

「農協が買うたんやないんですか」

「買ったのは、全国段階の団体です」

「ほんなら、そこに言うたらええですか」

「……お取引のある卸さんに、ご相談いただくのが早いと思います」

相手は「わかりました」と言って切った。

二本目は、県内の米屋だった。

三本目は、市の給食センターだった。

四本目は、旅館だった。

内容は、どれも同じだった。

回してもらえないか。

奈緒はそのたびに、同じ説明をした。

説明するたびに、自分の言っていることが、県庁の説明に似てきていると思った。

3月の27日に、二回目の入札があった。

結果は、その週のうちに来た。

数量は7万トン。

落札は、4万トンほどだった。

奈緒は通知を二度読んだ。

一回目は、出した分がほとんど全部売れた。

二回目は、半分ちょっとしか売れていない。

奈緒は筒井課長の席へ行った。

「課長」

「なんぞ」

奈緒は通知を渡した。

筒井は上から下まで一度に見て、それから落札数量のところで指を止めた。

「残っちゅうね」

「残っています」

「安いのに」

「安いです」

筒井は紙を机に置いた。

「なんで残る?」

奈緒は少し間を置いてから言った。

「1年以内に、同じ量を返さないといけないからだと思います」

「返すいうても、買うて返すがやろ」

「はい」

「金があったら、買えるろう」

「金の話ではないと思います」

筒井は椅子を回して、奈緒のほうを向いた。

「ほんなら、なんの話」

「米を集める当てがあるかどうかの話です」

奈緒は続けた。

「毎年、決まった量の米が入ってくる人でないと、1年後に返せません。だから、入札に出られる人は、限られます」

「もともと集めよる人、いうことか」

「はい」

筒井は腕を組んだ。

「ほんで、その人らが買うたら、どうなる」

奈緒は答えなかった。

答えないでいると、筒井が言った。

「明神さん」

「はい」

「それは、うちが決めることやない」

「わかっています」

「うちは、うちの米を売るだけや」

「はい」

奈緒は自席に戻った。

4月の3日に、連合会から令和6年産の販売計画の見直しが下りてきた。

奈緒は表を開いた。

管内から集荷した数量。すでに契約が済んでいる数量。残っている数量。

残りの出荷の時期が、前の計画より後ろにずれている。

奈緒はその行を目で追った。

摘要の欄に、一行だけ書いてある。

買戻し対応数量。

奈緒はその六文字を見た。

売り控え、とは書いていない。

どこにも書いていない。

奈緒は表を印刷して、引き出しの紙を出した。

3月14日に、宮地の前で書いた紙だった。

裏返して、表に戻した。

出る 21万トン。

買い戻す 21万トン。

奈緒はその下に、もう一行足した。

差し引き ゼロ。

書いて、しばらく見ていた。

見て、線を引いて消した。

消したが、鉛筆の跡は残っていた。

奈緒は紙を折って、引き出しの奥に入れた。

その日の夕方に、奈緒は連合会に電話をかけた。

「明神と申します。備蓄米のことで伺いたいんですが」

「はい」と、担当の男が言った。

「県内には、いつごろ入ってきますか」

「順次、ということになっております」

「数量は決まっていますか?」

「県別の配分という形は取っておりません」

「では、県内の実需者さんから問い合わせがあった場合は」

「取引のある卸を通していただく形になります」

奈緒はメモを取った。

「もう1点、よろしいですか」

「どうぞ」

「令和6年産の残りの出荷が、後ろにずれています」

電話の向こうで、紙をめくる音がした。

「計画の見直しをしております」

「理由を伺ってもいいですか?」

「需給の状況を見ながら、ということです」

奈緒はペンを止めた。

「わかりました」

電話を切って、奈緒は受話器に手を置いたままでいた。

聞いたことに、全部答えてもらった。

答えてもらったが、何もわからなかった。

4月11日の午後に、奈緒はながおか営農の作業場へ行った。

作付けの意向を聞いて回る時期だった。

軽自動車を停めると、砂利の上に苗箱が積んである。育苗の準備が始まっていた。

公文が奥から出てきた。

「明神さん。ご無沙汰しちょります」

「お世話になります」

二人はトタン屋根の下に立った。

脇の自販機は、去年の秋と同じ場所にある。

奈緒は作付け計画の用紙を出した。

「今年の作付け、教えていただけますか」

公文は用紙を受け取って、書いた。

早期米、14ヘクタール。

普通期、6ヘクタール。

奈緒は数字を見た。

「増えていますね」

「2ヘクタール増やしました」

「休んでいたところですか」

「そうです。山中さんとこと、もう1軒の分」

公文は用紙を返した。

「水が悪いとこもあるがですけんど、まあ、作れんことはない」

奈緒は用紙を挟んだ。

「公文さん」

「はい」

「増やすことについて、法人の中で、話はまとまりましたか」

「まとまりました」

公文は、少し間を置いた。

「反対したがは、おらんかったです」

奈緒は頷いた。

公文は苗箱のほうを見た。

「明神さん」

「はい」

「一つ、聞いてもええですか」

「どうぞ」

「備蓄米いうのは、うちらの米と、関係あるがですか」

奈緒は用紙を持ち直した。

「関係あります」

「どういう関係ですか」

奈緒は、答えを探した。

安い米が出れば、店の値段に効く。店の値段に効けば、卸の仕入れに効く。卸の仕入れに効けば、産地に返ってくる。

それが順番だ。

ただ、いまのところ、店の値段は動いていない。

「……市場に出る量が増えれば、値段は下がります」と、奈緒が言った。

「増えるがですか」

奈緒は答えた。

「増えるはずです」

公文は頷いた。

頷いてから、言った。

「明神さん」

「はい」

「9月に、新米が出たら収まる言いよったですよね」

奈緒は公文の顔を見た。

「言いました」

「まだ収まっちょらんですね」

「収まっていません」

公文は笑わなかった。責める言い方でもなかった。

「まあ、そういうこともあるでしょう」

そう言って、公文は苗箱を一つ持ち上げ、積み直した。

「明神さん、水は飲まれますか」

「いえ、大丈夫です」

「ほんなら、また来てください」

奈緒は軽自動車に戻った。

エンジンをかける前に、作付け計画の用紙をもう一度見た。

早期米、14ヘクタール。

去年は12だった。

事務所に戻ったのが、4時前だった。

奈緒は管内の作付け意向を集計した。

戸別の用紙が、机の上に80枚ある。

1枚ずつ、面積を表に入れていった。

入れ終わったのが、6時半だった。

奈緒は合計の欄を見た。

主食用の作付け見込み面積が、前の年より増えている。

前年を100としたときの数字を、電卓で出した。

106。

奈緒は集計表を印刷した。

赤いペンを取って、その一行に丸をつけた。

つけて、机に置いた。

置いたまま、しばらく座っていた。

隣で、宮地が電話を切った。

「明神さん」

「なに?」

「いま、生産者さんからです。備蓄米が出るき、米の値が下がるがやないかって」

「なんて答えた?」

宮地は少し言いにくそうにした。

「わかりません、って言いました」

奈緒は集計表を見た。

「それでええ」

「ええですか」

「ええ」

奈緒は赤いペンをペン立てに戻した。


第二十章

2025年5月27日〜6月18日|マルヨシ商品本部(阪神)|大原祐介(米穀バイヤー)

5月27日の朝、大原祐介は樽井に呼ばれた。

樽井は新聞を広げていた。

「大原。これ、見たか」

備蓄米の売り渡し方法が変わる、という記事だった。

入札をやめて、国が相手を決めて直接売る。買えるのは小売にも広がる。

「見ました」と、大原が答えた。

「うちは、やれるんか」

「条件を確認します」

「今日中に頼む」

大原は自席に戻って、公表されている条件を印刷した。

4枚あった。

1枚目に、対象となる事業者の要件がある。

年間の販売数量。

大原はマルヨシの前年の実績を確認した。

一次の受付では、届かない。

二次で、中小の小売にも枠が広がる見込みだと書いてある。

大原はその行に線を引いた。

2枚目に、価格が書いてある。

玄米60キロあたりで、11,000円ほど。

大原はその数字を二度見た。

いま卸から仕入れている値段の、半分に近い。

3枚目に、条件が並んでいた。

引き渡しは、玄米。

大原はそこで手を止めた。

「三宅くん」

「はい」

「ちょっと来て」

三宅が来た。大原は3枚目を指した。

「引き渡しは玄米、って書いてある」

三宅は覗き込んだ。

「玄米って、あの、茶色いやつですか」

「そうや」

「それ、そのまま売るんですか?」

「売れへん」

「なんでですか?」

「うちの客は、白いのを買いに来るからや」

三宅は少し考えてから言った。

「じゃあ、白くするんですね」

「する」

「どこでですか?」

大原は3枚目を机に置いた。

「それを、いま考えてる」

大原は9時半に、入江に電話をかけた。

「入江さん。大原です」

「おはようございます」と、入江が言った。

「備蓄米の件です。うちが直接買う場合、精米はどうなりますか」

「玄米で渡されますので、どこかで搗いていただくことになります」

「入江さんとこで、お願いできませんか」

入江は少し間を置いた。

「うちのラインは、いま埋まっています」

「自社の米ですか」

「それと、先に話をいただいた大手さんの分です」

「いつ空きますか」

「見通しが立ちません」

大原は受話器を持ち替えた。

「入江さん。一つ、教えてください」

「はい」

「玄米を300トン買ったら、白米は何トンになりますか?」

入江は即答した。

「9割見といてください」

「9割ですか」

「はい」

「残りの1割は、どこへ行くんですか?」

「糠と、砕けたのと、色の悪いのを抜いた分です」

大原はメモに書いた。

糠。砕け。色。

「毎年、9割ですか」

「毎年、と言いたいところですけど」と、入江が言った。「ここ何年か、落ちてます」

「落ちてる、というのは」

「同じ玄米から、白いのが取れにくうなってます」

「なんでですか?」

「暑さです。粒が細うて、搗いたときに割れます」

大原はペンを止めた。

「それ、いつからですか」

「3年ほど前からです」

「僕は、初めて聞きました」

「うちらの中では、当たり前の話です」と、入江が言った。

電話を切って、大原は電卓を出した。

玄米300トン。

9割で、270トン。

5キロの袋にすると、54,000袋。

大原はその数字を書いた。

書いてから、下に一行足した。

搗く場所。

6月に入って、大原は電話をかけはじめた。

兵庫、大阪、京都、滋賀。精米の受託をしている業者を、片っ端から当たった。

1件目。

「500トンからでないと、うちは受けてません」

2件目。

「6月と7月は、もう予定が入ってます」

3件目。

「うち、袋が取れません」

大原は3件目で止まった。

「袋、というのは」

「5キロの米袋です。いま、注文しても入ってこんのです」

「なんでですか?」

「みんな、同じもんを同時に注文してるからです」

大原は礼を言って切った。

切って、三宅を呼んだ。

「三宅くん。袋な」

「はい」

「5キロの袋、どこで作ってる?」

三宅は少し困った顔をした。

「うちのPBは、卸さんが袋ごと持ってきます」

「せやんな」

「うちで作ったこと、ないです」

大原は椅子を回した。

「今回は、うちが買い手や。袋も、うちが用意することになる」

「デザインもですか?」

「デザインだけやない。表示が要る」

大原は条件の4枚目を出した。

産地、産年、精米年月日。それから、政府備蓄米であることの表示。

「これ、印刷にどんくらいかかる?」

三宅は資材の担当に電話をかけた。

戻ってきて、言った。

「版を起こして、刷って、届くまで、3週間だそうです」

大原は卓上のカレンダーを見た。

6月の頭。

3週間足すと、6月の終わりになる。

条件の1枚目に、販売の期限が書いてある。

8月20日。

大原はその日付に、赤で丸をつけた。

6月10日に、細川から電話が入った。

同業のバイヤーで、年に何度か情報を交換する相手だった。

「大原さん。備蓄米、どうしてます?」と、細川が言った。

「精米の先を探してます」

「見つかりました?」

「まだです」

細川は笑った。

「うちは、諦めました」

「早いですね」

「一次で申し込めるほど、うちも大きないんです。二次まで待って、そこから精米先探して、袋作って、店に並べて」

「並べて」

「8月20日ですよ」と、細川が言った。「その頃には、新米が出てます」

大原は電話を持ったまま、カレンダーを見た。

高知の早期米は、7月の半ばから出る。

「細川さん」

「はい」

「並べたとして、売れますか」

「安いから、売れると思います」と、細川が言った。「けど、うちが並べたい時期は、いまなんです」

「いまですね」

「いまです。客が困ってるのは、いまですから」

大原は「そうですね」と言って、電話を切った。

その週から、店舗照会が上がってきはじめた。

武庫川店の担当者からのものが、いちばん早かった。

「お客様から、備蓄米はいつ入るのか、と毎日聞かれます」

大原は返信の文面を打ちかけて、止めた。

いつ入るのか、は答えられない。

入るのか入らないのか、も、まだ答えられない。

大原は三宅を呼んだ。

「三宅くん。店向けの案内、作って」

「なんて書きますか?」

「入荷が決まりましたら、あらためてご案内します」

三宅はメモを取った。

「それだけですか?」

「それだけや」

「お客様には、なんと説明したらいいですか」

大原は少し考えた。

去年の秋、値上げの指示書に、原料価格の上昇によるものと書いた。

あれは、書けた。

「未定です、で頼む」

「未定、ですか」

「未定や」

三宅は自席に戻って、案内文を作った。

大原はそれを読んで、送信ボタンを押した。

6月13日に、二次の受付が始まった。

大原は申し込みの数量を決めなければならなかった。

前年の販売実績から、上限は出る。

大原はスプレッドシートを開いた。

上限まで取れば、単価が下がる。売り場の値段を大きく下げられる。

ただ、搗く場所がない。

大原は数量を三段階で計算した。

上限どおり。半分。三分の一。

三分の一で、玄米100トン。

白米で90トン。5キロで18,000袋。

大原はその行を選んだ。

樽井のところへ持っていった。

樽井は数字を見て、指で止めた。

「これだけか」

「これだけです」

「上限は、もっとあるやろ」

「あります」

「なんで取らへん」

「搗けないからです」

樽井は書類を置いた。

「搗くとこ、探しとるんやろ」

「探してます。17件かけて、まだ決まってません」

「17件」

「はい」

樽井はしばらく黙った。

「大原。うちは、米屋やないんやな」

「違います」

「精米機、買うたらどうや」

大原は答えた。

「1台入れて、動かす人を雇って、袋詰めの機械も要ります。それを、この夏だけのために入れることになります」

「せやな」

樽井は書類に判を押した。

押してから言った。

「大原。並ぶのはいつになる」

「7月の下旬やと思います」

「新米と一緒か」

「一緒になります」

樽井は何も言わなかった。

6月18日の午後、18件目の電話がつながった。

播磨の、小さな精米工場だった。

「受けられます」と、先方が言った。

大原は姿勢を正した。

「ほんとですか」

「ただ、うちは1日に20トンです」

「100トンなら、5日ですね」

「5日はかかりません。段取りと洗いを入れて、1週間見てください」

「いつからお願いできますか」

先方は少し間を置いた。

「米が届いてからです」

大原はペンを止めた。

「玄米は、いつ届きますか」

「それは、うちにはわかりません」

「わかりませんか」

「倉庫から出す順番は、うちが決めることやないので」

大原は礼を言って、電話を切った。

受話器を置いて、しばらく座っていた。

三宅が来た。

「大原さん。決まりましたか?」

「決まった」

「よかったですね」

大原は頷いた。

頷いてから、三宅に聞いた。

「三宅くん。米って、どこで白うなるか、知ってたか?」

三宅は少し考えた。

「工場、ですよね」

「どこの工場や」

「……知りません」

「俺も、今日まで知らんかった」

大原はスプレッドシートを開いた。

新しい列を三つ作った。

数量。精米委託先。入荷日。

数量に、100トンと入れた。

委託先に、播磨の工場の名前を入れた。

入荷日の欄で、カーソルが止まった。

大原はそこに何も入れずに、ファイルを保存した。


第二十一章

2025年6月16日〜7月4日|神戸・長田|樋口諒(たなつもの商店代表)

6月16日の朝、西岡真由が事務所に入ってくるなり言った。

「樋口さん。備蓄米、うちも申し込めます」

樋口諒はパソコンから顔を上げた。

「小売だけと違ったんか」

「中小の事業者にも広がりました。数量の下限も下がってます」

西岡は印刷した紙を樋口の机に置いた。

樋口は1枚目を読んだ。

玄米60キロあたり、11,000円ほど。

樋口は在庫表を開いた。

去年の秋、新潟で買った米は、玄米30キロで14,000円だった。

60キロに直すと、28,000円になる。

半分より、安い。

「西岡さん」

「はい」

「これ、うちの仕入れの半値以下や」

「そうですね」

「売値をいくらにしても、利は出る」

樋口は2枚目をめくった。

引き渡しは玄米。

樋口はそこを読み飛ばした。うちは、もともと玄米で買っている。搗くのは湊川の精米所に頼んでいる。5キロの袋も、あそこで詰めてもらっている。

3枚目に、販売の条件が書いてあった。

令和7年8月20日までに、販売を完了すること。

樋口はその一行の上で、指を止めた。

「西岡さん。今日、何日や」

「6月16日です」

「8月20日まで」

樋口はカレンダーを見た。

「2か月と、4日」

その日の午後、問い合わせのメールが三本来た。

三本とも、同じことを聞いていた。

たなつもの商店では、備蓄米は扱わないのですか。

西岡がそれを転送してきて、席から言った。

「樋口さん、これ、どう返しましょう」

「ちょっと待って」

樋口は電卓を出した。

玄米で10トン申し込むとする。

搗いて、9トン。5キロの袋で、1,800袋。

湊川に頼めば、2週間もあれば上がってくる。

売値を、5キロで2,400円にする。

1,800袋で、432万円。

仕入れが、玄米10トンで180万円ほど。精米と袋詰めと送料を足しても、利は残る。

樋口は数字を書き出した。

書き出して、その紙を横に置いた。

それから、別の紙に在庫表を写した。

令和6年産の残り。

新潟の分、320袋。

高知の秋の分、280袋。

兵庫の分、190袋。

そのほかを足して、玄米30キロで、1,140袋。

34トンある。

樋口は月の出荷量を出した。

今年に入ってから、平均で230袋。

1,140を、230で割った。

4.9。

樋口はその数字を見た。

いまの売れ方で、あと5か月かかる。

11月まで、去年の米を売り続けることになる。

樋口は電卓を置いた。

高知の早期米が出るのは、7月の半ばだ。

去年、樋口はそれをいちばん早く仕入れた。今年も、公文には話をしてある。

7月に新米が入る。

そのとき、在庫置き場には、去年の米が900袋以上残っている。

樋口は椅子を回した。

「西岡さん」

「はい」

「うちのサイトに、備蓄米を出したとする」

「はい」

「5キロ、2,400円や」

西岡は頷いた。

「その隣に、うちのいつもの米が並ぶ」

「4,600円ですね」

「それ、どっちが売れる?」

西岡は少し黙った。

「……2,400円のほうやと思います」

「そうやろ」

樋口は在庫表を持ち上げた。

「うちのいつもの米が、いま1,140袋ある。これが売れんようになる」

「備蓄米が売れたら、売上は立ちますよね」

「立つ」と、樋口が言った。「立つけど、去年の米は残る」

樋口は在庫表を机に置いた。

「残ったまま、7月に新米が来る」

西岡は何も言わなかった。

樋口はもう1枚、紙を出した。

8月20日までに売り切れなかった場合のことを書いた。

条件には、期限までに販売を完了することと書いてある。

売れ残った分をどうするかは、書いていない。

書いていないということは、抱えるということだ。

樋口はペンを止めた。

翌日、樋口は湊川の精米所へ行った。

社長は60過ぎの男で、樋口が独立したときから世話になっている。

作業場は動いていた。

「樋口さん、備蓄米か」と、社長が先に言った。

「わかりますか」

「今週だけで、四人来た」

社長はタオルで手を拭いた。

「みんな同じこと言うんや。玄米で来るから搗いてくれ、いつまでにできるか、って」

「受けてはるんですか」

「受けとる。けどな」

社長は作業場のほうを顎で示した。

「いつ玄米が着くか、誰も言わへんのや」

樋口は作業場を見た。

ラインは動いている。

「着いてから、何日かかりますか」

「量による。10トンなら、まあ、4、5日や」

「その4、5日が、いつ始まるかがわからへん、ということですね」

「そういうこっちゃ」

社長は少し笑った。

「樋口さん。8月の20日って、知ってるか」

「知ってます」

「わし、7月の終わりに玄米が着いた人を知っとる」

樋口は社長の顔を見た。

「間に合いますか」

「搗くのは間に合う」と、社長が言った。「売るのが間に合うかは、うちの話とちゃう」

事務所に戻ったのが、4時前だった。

樋口は在庫置き場の扉を開けた。

6月の湿気がこもっている。

パレットが二段積みで、奥まで並んでいる。

樋口は手前の袋に手を置いた。

ぬるかった。

去年の11月、同じ場所で同じ袋に手を置いたときは、冷たかった。

樋口は手を離して、袋の数を数えた。

数えて、扉を閉めた。

6月19日の朝、樋口は西岡を呼んだ。

「西岡さん。備蓄米、やめとく」

西岡はメモを持ったまま頷いた。

「わかりました」

「理由、聞かへんの?」

「聞きます」

樋口は在庫表を指した。

「うちの棚に安い米を置いたら、うちの高い米が売れんようになる。売れんうちに新米が来る。そしたら、去年の米が古米になる」

「はい」

「そのときに困るのは、うちや」

西岡はメモを取った。

取ってから、顔を上げた。

「樋口さん」

「なに」

「お客さんへの返事、なんて書きます?」

樋口は少し考えた。

「うちは、生産者から直接買った米だけを扱っています、でええ」

「それは、ほんとうですか?」

樋口は西岡を見た。

「ほんまや」

「でも、いま樋口さんが言うたのは、在庫の話でしたよね」

樋口は答えるまでに、少し間があった。

「両方や」

「両方ですか」

「両方やけど」と、樋口が言った。「今日の理由は、在庫のほうや」

西岡はそれ以上聞かずに、自分の席に戻った。

6月30日に、新潟から電話が入った。

去年、樋口が訪ねた農家だった。

「樋口さんかね」と、男が言った。

「はい、樋口です。ご無沙汰しております」

「今年は、どうするね」

「今年も、お願いしたいと思っています」

男は少し間を置いた。

「今年はの、去年ほど来んのさ」

「業者がですか」

「そうさ。去年は三つも四つも来たろも、今年は一つも来とらん」

樋口は在庫表を開いた。

「値段の話は、出ていますか」

「まだ出とらん。けど、下がるらろ、いう話ばっかりだね」

「下がりますか」

「みんな作っとるすけね」

樋口は在庫表を閉じた。

「うちは、去年と同じ額を出します」

電話の向こうで、息を吸う音がした。

「同じって、あんた」

「同じです」

「下がっても、かね」

「下がっても、下げません」

男はしばらく黙っていた。

「あんた、去年もそう言うたのう」

「言いました」

「ほんで、ほんとに出したろも」

「はい」

「ほんなら、今年もあんたとこに出すわ」

樋口は礼を言って、電話を切った。

切ってから、受話器に手を置いたままでいた。

西岡が席から言った。

「樋口さん」

「なに」

「新潟さんですか」

「そう」

「今年も同じ額なんですか」

「同じ額や」

西岡はペンを置いた。

「樋口さん。さっきの備蓄米の話と、逆やないですか」

樋口は西岡のほうを向いた。

「逆やない」

「でも、安い米が出てきたら高い米が売れんようになる、って」

「それは、備蓄米の話や」

「うちの米は、違うんですか?」

樋口は少し考えてから答えた。

「備蓄米は、安いから買う人が買う。安いのが無うなったら、買わへん」

「はい」

「うちの米は、高いけど、買うてくれる人がおる」

西岡は頷いた。

頷いたが、頷いただけだった。

7月4日の午前に、公文から電話が入った。

「樋口さん。刈り取りの日取りが決まりました」

「ありがとうございます。いつでしょうか」

「7月16日から始めます」

「早いですね」

「今年は、量が増えちょります」

樋口は手帳を開いた。

「増える、というのは」

「うちの法人で、2ヘクタール増やしました」

「そうですか」

「集落全体でも、増えちゅうと思います」

樋口はペンを持ったまま、手帳を見ていた。

「樋口さん」と、公文が言った。

「はい」

「今年も、去年と同じだけ買うてもらえますか」

樋口は答えた。

「買います」

「値段は」

「去年と同じ額を出します」

公文は、少し黙った。

「ありがとうございます」

電話が切れた。

樋口は手帳に、7月16日と書いた。

書いてから、在庫表をもう一度開いた。

1,140袋のうち、6月に出たのは210袋だった。

先月より、少し落ちている。

樋口は残りの数を書き直した。

930袋。

その下に、7月に入ってくる予定の数量を書いた。

書き終えて、二つの数字を並べて見た。

樋口はペンを置いて、在庫置き場のほうを見た。

扉は閉まっている。


第二十二章

2025年6月9日〜8月20日|島崎精穀|島崎周平(精米業)

6月9日の午前10時に、土佐米穀の大石が来た。

半袖のワイシャツを着ている。去年の夏と同じ格好だった。

応接の椅子に座って、大石は鞄から書類を出した。

「島崎さん。備蓄米の話です」

島崎周平は麦茶を出して、向かいに座った。

「はい」

「うちの取引先が、随意契約で買います。それの精米を、島崎さんとこにお願いしたいがです」

大石は書類を回した。

数量の欄がある。

1,200トン。

周平はその数字を見た。

「玄米で、ですか」

「玄米です。8月20日までに、白米にして納めてもらいます」

「20日」

「販売の期限が、そこなんです」

周平は書類を手前に引いた。

日程の欄は、空いていた。

「入るのは、いつですか」

大石は少し口ごもった。

「そこが、まだです」

「まだ」

「順次、いう話しか来てないんです」

周平は書類を置いて、事務所の壁を見た。

札が並んでいる。表を向いているのが9枚。裏を向いているのが28枚。

「島崎さん」と、大石が言った。

「うん」

「受けてもらえますか」

周平は電卓を出した。

1日に挽けるのは、玄米で20トン。

月に20日動かして、400トン。

6月、7月、8月の20日まで。2か月と半分。

計算すると、1,000トンに少し足りない。

周平は二直にした場合を計算した。

朝6時から夜10時まで動かせば、1日30トンは越える。

1,200トンは、入る。

「入ります」と、周平が言った。

「ほんまですか」

「ただ、人を増やさないかん」

「そこは、経費で見ます」

周平は電卓を置いた。

「受けます」

大石は書類にペンを走らせた。

「助かります」

そう言って、大石は麦茶を飲んだ。

飲んでから、手帳を開いた。

「島崎さん。一つだけ、確認させてください」

「なに」

「うちの契約、白米のトン数で切ってあるんです」

「はい」

「玄米1,200トンから、白米が何トン出ますか」

周平は大石を見た。

大石は手帳にペンを当てている。

「どればあ、いうたら」と、周平が言った。

「はい」

「米によります」

「備蓄米ですき、古いですよね」

「古い」

「何年産が来るか、わかりませんけど」

周平は少し黙った。

「令和3年か、4年やろうと思います」

「そのくらいの米やったら、どんなもんです?」

周平は答えなかった。

答える代わりに、立ち上がって、事務室の引き出しから紙を出した。

三つに折ってある紙だった。

広げると、数字が三つ並んでいる。

100。

102。

110。

周平はそれを見て、また折った。

折って、大石のほうへは出さなかった。

「挽いてみんとわからん」と、周平が言った。

「そうですか」

「挽いたら、言います」

「お願いします」

大石は5分後に帰った。

その日の午後から、周平は段取りを始めた。

まず、包装資材だった。

5キロの袋を発注する。備蓄米は表示が決まっている。産地、産年、精米年月日。政府備蓄米であること。

版を起こす。刷る。届くまで3週間。

周平は枚数を計算した。

玄米1,200トン。白米にして、1,080トン前後。

5キロの袋で、216,000袋。

余裕を見て、24万枚を発注した。

段ボールも要る。5キロを4袋詰める箱で、6万箱。

次に、人だった。

周平は松岡と西森を事務所に呼んだ。

松岡は74になる。西森は71。

「二直にする」と、周平が言った。

「いつからです?」と、松岡が聞いた。

「6月の下旬から、8月の20日まで」

松岡は西森を見た。西森は何も言わなかった。

「わしらは、朝でええですか」と、松岡が言った。

「朝で頼む」

「ほんなら、やります」

パートを二人、新しく入れた。求人を出したら、3日で決まった。

岡林には、夜を頼んだ。28になったばかりで、機械のことがいちばんわかる。

6月27日に、包装資材が届いた。

4トン車が2台来た。

段ボールが、工場の東の壁に沿って積み上がった。天井近くまでいく。

袋の入った箱は、その手前に置いた。

周平は箱を一つ開けて、袋を1枚取り出した。

透明の窓がついている。裏を返すと、表示の欄が印刷してある。

産年の欄に、令和3年産と刷ってある。

周平はそれを見て、袋を箱に戻した。

米は、まだ来ていなかった。

6月30日に、周平は大石に電話をかけた。

「島崎です」

「はい、大石です」

「米は」

「まだ、日が出てないんです」

「倉庫はどこですか」

「それも、聞けてません」

「聞けてない」

「うちが直接買うたわけやないもんですき、間に何人か入っちょって」

周平は受話器を持ち直した。

「大石さん」

「はい」

「うちは、6月の下旬から二直で組んじゅう」

「わかっちょります」

「人も入れた」

「はい」

「入れて、動かすもんが無い」

大石は少し黙った。

「すみません」

「謝らんでええ」

周平は電話を切った。

7月1日から、工場は動いた。

備蓄米ではなく、いつもの仕事だった。

ただ、いつもの仕事は、この時期のために減らしてある。8月まで枠を空けると言ってしまっている。

1日に挽く量は、通常の半分もなかった。

午前中で終わることが、2日続いた。

松岡は箒で床を掃いた。西森は空のパレットを重ねた。パートの二人は9時に来て、11時には手が空いた。

周平は工場を歩いた。

包装機が止まっている。フィルムのロールがかかったままになっている。

東の壁の段ボールを見た。

天井近くまで積んである。

周平はそれを、下から目で数えた。

数えて、事務所に戻った。

7月7日の午後3時に、電話が入った。

大石だった。

「島崎さん。明日、入ります」

周平は手帳を開いた。

「何トンですか」

「60トンです」

周平は手を止めた。

「60」

「はい」

「1,200のうちの、60ですか」

「そうです」

「残りは」

「順次、いう話です」

周平は手帳に60と書いた。

「わかりました」

7月8日の朝、10トン車が来た。

1台目が7時半。2台目が9時。

昼を挟んで、夕方までに全部で6台入った。

フレコンで下ろされた玄米に、周平は手を入れた。

指の腹で粒を転がす。

乾いている。去年の新米とは、手触りが違う。

掬い上げて、蛍光灯にかざした。

透けている粒が多い。曇っているものは少ない。ただ、表面が細かく荒れている。

周平は成績書を見た。

令和3年産。

4年、倉庫に置かれていた米だった。

その日の夕方から、挽きはじめた。

昇降機を回し、石抜きを通し、精米機に落とす。

唸りが立ち上がる。

周平は排出口の下に掌を出した。

落ちてくる白米を受ける。

熱い。

指で広げた。

割れている粒が、多い。

周平は精米機の圧を落とした。落として、また少し戻した。

1時間ぶん流して、計量台へ行った。

投入した玄米の量。出てきた白米の量。

紙に書いて、割った。

84.3。

周平は数字を見た。

去年の新米が、88.7だった。

その前の年の米の最後が、89.2だった。

周平は紙を二つに折って、作業服の胸ポケットに入れた。

60トンは、3日で終わった。

白米で、50トンと少し。

5キロの袋に詰めて、10,100袋になった。

段ボールに4袋ずつ入れて、2,500箱と少し。

出荷したあと、工場は止まった。

7月12日。次の入荷の日が、まだ出ていない。

7月14日。出ていない。

7月16日。出ていない。

周平は毎朝、事務所の電話の前に座った。

かかってこない日は、こちらからかけた。

「大石さん。今日は」

「まだです」

「わかりました」

17日に、周平はパートの二人に、しばらく休んでもらうと伝えた。

二人とも、わかりましたと言って帰った。

岡林の夜勤を止めた。

松岡と西森は、朝から来て、昼で上がるようにした。

7月18日の午前、松岡が箒を持って計量台の前に立っていた。

床には、掃くものが無かった。

「社長」と、松岡が言った。

周平は伝票を見ていた顔を上げた。

「なに」

「わし、平成5年のとき、ここにおりました」

「そうやったね」

「あのときは、米が無かったです」

「うん」

松岡は箒を持ち直した。

「今年は、米はあるがですろう」

「ある」

「けんど、来んですね」

周平は伝票を置いた。

「来ん」

松岡はそれ以上言わなかった。

箒を壁に掛けて、野球帽をかぶり直した。

7月の24日に、二回目の入荷があった。

80トンだった。

4日で挽いた。

8月に入って、一度も入荷が無かった。

8月12日に、大石から電話が入った。

「島崎さん。すみません」

「はい」

「20日までに入るのは、あと200トンほどやそうです」

周平は手帳を開いた。

60。80。200。

足すと、340になる。

1,200のうちの、340。

「残りは」と、周平が言った。

「期限のあとになります」

「期限のあとに来て、どうするがですか」

大石は答えなかった。

しばらく黙ってから、言った。

「島崎さん。もう一つ、お聞きしたいことがあって」

「なに」

「歩留まり、どんなもんでした?」

周平は受話器を持ったまま、動かなかった。

「84です」と、周平が言った。

「84」

「三分の一を足したところです」

大石は少し黙った。

「思うたより、落ちますね」

「落ちます」

「うちの契約、白米のトン数で切ってあるもんですき」

「聞きました」

「足りん分は、こっちで調整します。すみません」

周平は「はい」と言って、電話を切った。

切って、胸ポケットから紙を出した。

84.3。

1年前に書いた紙は、引き出しに入っている。

周平は引き出しを開けて、それも出した。

100。102。110。

2枚を、机に並べた。

去年の紙は、あとどれだけ多く要るかを書いた紙だった。

今年の紙は、届いた米から、どれだけ取れなかったかを書いた紙だった。

周平は2枚を重ねて、折った。

8月20日の朝、周平は工場に入った。

包装機は止まっている。

東の壁の段ボールを見た。

積んである高さは、6月の終わりとほとんど変わっていない。

周平は箱の列の前に立って、数えた。

使ったのは、5キロの袋で25,000枚ほどだった。

発注したのは、24万枚だった。

段ボールは、6,000箱ほど使った。

6万箱、頼んである。

袋には、令和3年産と刷ってある。

ほかには、使えない。

周平は箱の一つに手を置いた。

段ボールが、少し湿っている。

8月の空気が入っている。

手を離して、事務所に戻った。

事務室の棚から、古い帳面を出した。

祖父の字が入っている。

周平はページを繰った。

平成5年の秋のところで、手が止まった。

客、60人。品なし。詫び言のみ。

周平はその行を、しばらく見ていた。

見てから、さっき折った2枚の紙を、そのページに挟んだ。

帳面を閉じて、棚に戻した。

工場に戻ると、松岡が計量台の前に立っていた。

「社長」

「なに」

「今日で、期限ですね」

「そうや」

松岡は計量台の秤を見た。

秤は、ゼロを指している。

「掃いときます」と、松岡が言った。

「頼む」

周平は主電源の前に立った。

動いていない機械の電源を、切った。

唸りは、もともと無かった。


第二十三章

2025年7月22日〜7月28日|高知〜宮城・10トン車の車中|竹村孝(長距離ドライバー)

7月22日の夕方、営業所で日報を出していると、浜口が来た。

「竹村さん。長いのが入りました」

竹村孝はペンを止めた。

「どこな」

「宮城です」

竹村は浜口の顔を見た。

「宮城」

「はい」

「宮城から、どこへ運ぶが」

「高知です」

竹村は日報を閉じた。

「積むがは、向こうか」

「向こうです」

「行きは」

浜口は端末を見たまま言った。

「空です」

竹村は椅子の背にもたれた。

「1,300キロ、空で行くがか」

「そうなります」

「荷主は、それでええ言いよるがか」

「向こうが出庫の日を指定してきちょって、その日に着いちょかんといかんのです」

竹村は少し黙った。

「積むがは、米やろ」

「備蓄米です」

竹村はペンを回した。

「高知に、米が無いわけやないろう」

「無いわけやないです」

「いま、刈りゆう」

「刈りよります」

浜口は端末を置いた。

「けんど、高知の新米は、東に行くんです」

「知っちゅう」

「その代わりに、東北の古いのが来ます」

竹村は日報を提出箱に入れた。

「浜口さん」

「はい」

「わし、行くわ」

浜口は少し驚いた顔をした。

「ええんですか」

「距離が出る」

「4日かかりますよ」

「4日分、出るろう」

浜口は端末を確認した。

「出ます」

「ほんなら行く」

7月24日の午前3時に、竹村は営業所を出た。

荷台は空だった。

空のトラックは跳ねる。門を出るときの段差で、後ろが軽い音を立てた。

高知から東へ。淡路を渡って、神戸を抜ける。そこから名神に乗って、東へ走り続ける。

4時間走って、30分休む。

決まりだ。

昼前に、竹村は関ヶ原の手前で二度目の休憩を取った。

自販機で茶を買い、運転席で飲んだ。

デジタコの記録を見る。

9時間経っている。運転していたのは、6時間半だった。

その日は静岡の手前まで走って、パーキングで休息を取った。

9時間、車を動かさない。

竹村は運転席のシートを倒し、カーテンを引いた。

外でエンジンの音がしている。ほかのトラックが入ってきて、また出ていく。

竹村は目を閉じた。

7月25日の午前5時に走り出して、宮城の倉庫に着いたのが、その日の午後4時前だった。

営業倉庫だった。国道から一本入ったところに、白い建屋が三棟並んでいる。

門で受付をした。

「高知から来ました。竹村です」

事務所の男が名簿を見た。40くらいに見える。

「明日の積み込みですね」

竹村は書類を出した。

「今日、積めんですか」

「今日は無理です」

「なんでですか?」

男は書類を返した。

「明日、品質の確認をしてからでないと出せないんです」

「品質、いうのは」

「カビと、虫です」

竹村は男の顔を見た。

「4年置いちゅう米ですか」

「令和3年産です」

「カビ、生えちゅうがですか」

男は首を振った。

「たいていは大丈夫です。ただ、確認せずに出すわけにいかないんです」

竹村は書類を折って、胸ポケットに入れた。

「何時からですか」

「8時からです。終わるのは、量によります」

その夜、竹村は倉庫の外の駐車帯で寝た。

7月26日の朝8時に、竹村は倉庫に入った。

バースの前に、パレットが並べてある。

30キロの紙袋が、横六段。ラップが巻いてある。

作業服の男が二人来て、パレットの一つからラップを切った。

上の袋の口を開けて、細い金属の筒を斜めに刺した。

引き抜くと、筒の溝に玄米が入っている。

男はそれを白い皿に空けて、指で広げた。

顔を近づけて、匂いを嗅いだ。

竹村はその手つきを見ていた。

同じことを、パレットごとにやっていく。

16パレットあった。

9時半に、男の一人が事務所へ入っていった。

しばらくして、昨日の男が出てきた。

「竹村さん」

「はい」

「2パレット、保留になりました」

竹村は列を見た。

「どれですか」

男は端の二つを指した。

「におうんですか」

「においというより、袋の底が湿ってます」

「カビですか」

「まだわかりません。開けて調べます」

「調べたら、出ますか」

「出るかもしれませんし、出ないかもしれません」

竹村は荷台を見た。

16パレットで組んである。二つ抜けると、荷台に隙間が出る。

「積むがは、14ですか」

「14です」

「残りの二つは」

「別の便になります」

「いつですか」

男は少し言いにくそうにした。

「決まってません」

積み込みが始まったのは、10時過ぎだった。

フォークリフトが2台入った。

14パレットを積むのに、50分かかった。

420袋。12.6トン。

10トン車の荷台に、隙間ができた。

竹村はロープを余分に締めた。走っているうちに荷が動く。

事務所で伝票を受け取った。

「気をつけて」と、男が言った。

「はい」

「高知まで、何日ですか」

「2日です」

男は少し笑った。

「遠いですね」

「遠いです」

竹村は運転席に乗った。

デジタコを入れて、時計を見た。

11時15分だった。

前の日の午後4時に着いて、19時間が経っている。

そのうち、荷を積んでいたのは、50分だった。

帰りは西へ走った。

荷台に12.6トンある。跳ねない。

段差を越えても、後ろは重い音を立てるだけだった。

竹村はこの音のほうが好きだった。

その日は名古屋の手前まで走って、休息を取った。

7月27日の朝5時に走り出した。

昼前に、伊吹のサービスエリアに入った。

竹村はエンジンを切って、外に出た。

自販機で缶コーヒーを買って、立って飲んだ。

隣に、トラックが1台停まっている。

運転手が降りてきて、同じ自販機でボタンを押した。

40くらいの男だった。

「どちらまで?」と、男が言った。

「高知です」と、竹村が答えた。

「高知」

「そっちは」

「東京です」

男は缶を開けた。

「積んどるんは?」

竹村は自分のトラックのシートを見た。

「米です」

男は笑った。

「うちも米や」

「そうですか」

「どこの米です?」

「宮城です」

男は缶を口に運びかけて、止めた。

「宮城から、高知へ?」

「そうです」

「わしは、高知から東京や」

竹村は男を見た。

「高知の、どこですか」

「南国の倉庫や。今朝積んできた」

「新米ですね」

「新米や。今年のいちばん早いやつ」

男は缶を飲んで、笑った。

「あんた、行き違いやな」

「そうですね」

「わしが東に運びよる米と、あんたが西に運びよる米と、途中ですれ違うたんやろ」

竹村は缶を持ったまま、駐車場を見た。

トラックが10台以上停まっている。

「すれ違うたと思います」と、竹村が言った。

男は缶を潰して、ごみ箱に入れた。

「まあ、そういう仕事や」

そう言って、自分のトラックに戻っていった。

7月27日の夜、竹村は淡路のサービスエリアで最後の休憩を取った。

去年の秋、同じ場所で新潟のドライバーと話したことがある。

行きは米、帰りは空だと、その男は言っていた。

竹村は今回、行きが空だった。

高知に着いたのが、7月28日の午前11時前だった。

降ろし先は、市の東の精米工場だった。

バースに着けて、シートを外す。

工場の人が出てきた。50過ぎの男で、竹村は初めて会う。

「やっと来ました」と、男が言った。

「お待たせしました」

「いつ来るか、わからんかったです」

「すみません」

「いや、あんたが謝ることやない」

フォークリフトが1台出てきて、パレットを降ろしはじめた。

竹村は荷台の脇に立って、それを見ていた。

袋の側面に、産年が印刷されている。

令和3年。

工場の中を覗くと、奥に別のパレットが積んであった。

そちらの袋は白い。新しい。

「あれは」と、竹村が言った。

「今年のです」と、男が答えた。「早期米」

「一緒に入るがですか」

「置き場が、ここしかないもんで」

降ろし終わったのが、11時40分だった。

竹村は伝票にサインをもらい、運転席に戻った。

営業所に着いたのが、午後1時過ぎだった。

浜口が待っていた。

「竹村さん、お疲れさまです」

「うん」

「4日、かかりましたね」

「4日や」

竹村は日報を書いた。

走行距離。拘束時間。休息期間。

書きながら、数字を見た。

4日のうち、荷を積んで走ったのは、2日だった。

積み込みと荷降ろしを足して、1時間半に届かない。

「浜口さん」

「はい」

「これ、いくらになるが」

浜口は端末を見た。

金額を言った。

竹村はそれを日報の余白に書いた。

4日を、4で割った。

1日あたりで見ると、いつもの高知〜神戸と、そう変わらなかった。

「浜口さん」

「はい」

「行きが空でも、距離は距離やね」

「そうです」

「ほんで、空の分は」

浜口は端末を置いた。

「見てもろうてます。全部やないですけど」

竹村は日報を提出箱に入れた。

「まあ、ええわ」

家に着いたのが、2時半だった。

香代子が台所にいた。

「早いね」

「今日は終わりや」

「宮城、どうやった?」

「遠かった」

竹村は風呂に入って、飯を食った。

食べ終わって、香代子が言った。

「結衣から電話あったよ」

「なんぞ」

「後期の分、いつ振り込むかって」

竹村は箸を置いた。

「いつまでや」

「9月の頭」

「わかった」

香代子は湯呑みを置いた。

「あんた、無理しよらん?」

「しよらん」

「4日も行きよったやんか」

「距離が出るき、行っただけや」

竹村は茶を飲んだ。

テレビがついている。

米の話をしていた。備蓄米が店に並びはじめたと言っている。5キロで2,000円台だと読んだ。

映像に、袋が映った。

竹村はその袋を見た。

今朝、自分が降ろしたものと、同じ産年が印刷されている。

「これ」と、竹村が言った。

「なに?」

「わしが、今日運んできたやつや」

香代子はテレビを見た。

「へえ」

「4日かかった」

「4日」

「行きは空で走った」

香代子は湯呑みを持ったまま、少し考えるような顔をした。

「なんで空なが?」

竹村は答えた。

「向こうに、こっちへ運ぶもんが無いき」

「ふうん」

香代子はそれ以上聞かなかった。

竹村は立ち上がって、脱衣所で作業着を畳んだ。

寝室の目覚ましを、明日の1時40分に合わせた。


第二十四章

2025年6月7日|神戸のスーパー|名前のない女性

6月7日の土曜、女は9時10分に駐車場へ入った。

いつもは、10時を過ぎてから来る。

車を停めて、入口へ歩いた。

自動ドアの横に、紙が貼ってあった。

政府備蓄米 本日入荷。5キロ、2,160円。お一人様1点限り。9時30分より整理券を配布します。

女はその紙を読んだ。

読んで、店の横を見た。

壁沿いに、列ができている。

女は最後尾に立った。

前に、19人いた。

日陰になっている。風はない。

9時20分に、店員が段ボールを抱えて出てきた。

「おはようございます。整理券は9時半からです」と、店員が言った。

列の何人かが頷いた。

9時半に、配布が始まった。

女は順に前へ進み、紙を1枚受け取った。

34と印刷してある。

「販売は10時からです。サービスカウンターの前にお並びください」と、店員が言った。

「はい」と、女が答えた。

女は整理券を財布に入れて、店に入った。

カートを引き出し、青果の売り場から回った。

じゃがいもを1袋。玉ねぎを三つ。にんじんを二本。

角を曲がって、米の売り場に出た。

平台に、5キロの袋が積んである。

女は値札を見た。

いつもの銘柄が、4,200円だった。

隣の、複数の産地を混ぜたものが、3,400円台。

女は下段を見た。

2キロの袋が並んでいる。

値札を見て、それから平台に戻った。

どちらも取らずに、通路を曲がった。

精肉の売り場で、鶏もも肉を2パック。豚こまを1パック。

牛乳を一本。卵を1パック。

9時55分に、女はサービスカウンターの前へ行った。

列ができていた。

女は自分の番号を見て、後ろのほうに並んだ。

10時に、販売が始まった。

台の上に、5キロの袋が積んである。

袋は、いつも見るものと違った。透明の窓がない。表に、大きく字が入っている。

女は列に沿って進んだ。

10時12分に、順番が来た。

「整理券をお願いします」と、店員が言った。

女は紙を出した。

「お一人様1点限りとなります」

「はい」

店員が袋を一つ、台の上に置いた。

女はそれを持ち上げた。

袋を裏返して、表示の欄を見た。

産年の欄に、令和3年産と印刷してある。

精米年月日の欄には、6日前の日付が入っていた。

女は袋をカートの下段に置いた。

レジは5台のうち3台が開いていて、列は四人ずつだった。

女は真ん中の列についた。

前の人のカートの下段にも、同じ袋が載っている。

その前の人にも、載っていた。

順番が来た。かごを台に上げ、米は下段のまま通す。

「袋、一つで大丈夫ですか?」と、店員が言った。

「はい」と、女が答えた。

駐車場で、後部座席に米を1袋置いた。

助手席に食料の袋を置いて、女は運転席に乗った。

エンジンをかけると、ラジオがついた。

米の話をしていた。備蓄米の店頭への流通が進んでいないこと。政府は順次出荷されていると説明していること。

女はラジオを消した。

家に着いたのが、10時50分だった。

食料の袋を運び、それから米を運んだ。

台所の米びつは、床に置いてある。蓋を開けると、半分ほど残っていた。

女は流しの下の扉を開けた。

奥に、5キロの袋が一つ、横になっている。

女はそれを引き出さなかった。

今日買った袋を、その隣に横にして入れた。

二つ並んだ。

扉を閉めた。

昼に、女はそうめんを茹でた。

上の子と下の子が降りてきて、食べて、また上がっていった。

午後、女は洗濯物を取り込んだ。

夕方、米びつから米を量って、研いだ。

6時40分に、飯が炊けた。

下の子が茶碗を持って、一口食べた。

顔は上げなかった。

上の子も、何も言わなかった。

女は自分の茶碗の飯を見た。

見て、一口食べた。

それから、豚こまの皿を真ん中へ寄せた。

食べ終わって、女は流しで茶碗を洗った。

洗いながら、換気扇の音を聞いていた。

水を止めて、布巾で手を拭いた。

米びつの蓋を開けて、中を見た。

残りは、三分の一ほどになっている。

女は蓋を閉めた。

閉めてから、流しの下の扉を、もう一度開けた。

袋が二つ、並んでいる。

女は手前の一つを、少し奥へ押した。

扉を閉めた。


第二十五章

2025年7月14日〜8月22日|県内の精米工場・量販店/県庁/編集局|片岡瑞希(県紙記者)

7月14日の朝、横山デスクが片岡瑞希の席に来た。

「片岡。備蓄米、どこで止まっちゅう」

「調べます」

「電話が来よる。安いのが出たいうて並んだら、もう無かったと」

「何件ですか?」

「今週で6件や」

横山は自分の席に戻りかけて、振り返った。

「追え。連載でええ」

瑞希はまず、国の公表資料から入った。

備蓄米の売り渡しは、週ごとに数字が出ている。

契約数量。引渡数量。

二つの欄がある。

契約のほうは、28万トンに近い。事業者の数は900を超えている。

引渡のほうは、それより少ない。

瑞希は差を計算した。

数0トン分、まだ渡っていない。

瑞希はその二つの欄を、しばらく見ていた。

契約した量と、渡した量。

どちらも、店の棚に並んだ量ではない。

7月17日に、瑞希は県庁へ行った。

会議室で、有澤志穂が向かいに座った。

「県内には、どれだけ入っていますか」と、瑞希が聞いた。

「県別の数量は、示されていません」

「県は把握していないんですか?」

「していません」

有澤は資料を机に置いた。

「県は、この売り渡しの当事者ではありません。窓口でもありません」

「では、県内の店に並んだ量は」

「わかりません」

瑞希はメモを取った。

「有澤さん。3月にも、同じことを伺いました」

「伺われました」

「4か月経ちました」

有澤は少し間を置いた。

「経ちました」

7月22日に、瑞希は土佐米穀へ行った。

仕入担当の大石が、応接に出てきた。半袖のワイシャツを着ている。

「うちの取引先が随意契約で買うちょります」と、大石が言った。

「どれだけですか」

大石は数字を言った。

「そのうち、届いているのは」

大石は手帳を開いた。

「三分の一に届いてません」

「残りは」

「順次、いう話です」

瑞希はペンを止めた。

「大石さん。順次というのは、いつですか?」

「わかりません」

「誰に聞けばわかりますか?」

大石は少し笑った。

「うちも、それを聞きたいがです」

7月24日に、瑞希は島崎精穀へ行った。

去年の12月以来だった。

国道沿いの工場で、島崎周平が事務所から出てきた。

「お久しぶりです」と、瑞希が言った。

「はい」

「備蓄米の精米を請けておられると伺いました」

島崎は工場のほうへ歩き出した。

瑞希はついていった。

シャッターが開いている。

中は、静かだった。

包装機が止まっている。フィルムのロールがかかったままになっていた。

瑞希は工場の奥を見た。

東の壁に沿って、段ボールが積んである。

天井の近くまでいっている。

「これは」と、瑞希が言った。

「袋と、箱です」

「使うんですか?」

「使います」

「いつですか」

島崎は答えなかった。

瑞希は段ボールの列の前まで歩いた。

箱の一つが開いている。中に、5キロの袋が入っていた。

瑞希は1枚取って、裏を見た。

産年の欄に、令和3年産と刷ってある。

「島崎さん」

「はい」

「これ、ほかの米には使えませんね」

「使えません」

「何枚あるんですか?」

島崎は少し黙った。

「24万枚、頼みました」

「使ったのは」

「25,000枚ほどです」

瑞希はカメラを出した。

「撮ってもいいですか?」

「かまいません」

瑞希は段ボールの山を、3枚撮った。

1枚は、下から見上げるように撮った。

撮り終えて、瑞希は工場を見渡した。

四人が働いていた。うち二人は、70を超えているように見える。

去年の冬に来たときと、同じ顔ぶれだった。

ただ、あのときは機械が動いていた。

「島崎さん」と、瑞希が言った。

「はい」

「玄米は、どれだけ届きましたか」

「1,200トンの話でしたけど」

島崎は事務所のほうを見た。

「340です」

瑞希はメモに書いた。

「残りは」

「期限のあとに来ます」

「期限は、8月20日ですよね」

「はい」

瑞希はメモから顔を上げた。

「期限のあとに来た米は、どうなるんですか?」

島崎は答えなかった。

答えないまま、シャッターのほうへ歩いていった。

8月に入って、瑞希は県内の量販店を回った。

4店舗で、同じ話を聞いた。

入荷は不定期であること。入る日は前日か当日にしかわからないこと。整理券を配って、一人1点にしていること。

郊外店の細木という店長が言った。

「片岡さん。うちも並べたいがです」

「並べられないんですか?」

「来んがです」

「いつ来るか、聞けませんか」

細木は首を振った。

「聞いても、順次言われるだけですき」

8月12日に、瑞希は地方農政局に電話をかけた。

広報の担当者が出た。

「備蓄米の放出について伺いたいんですが」と、瑞希が言った。

「はい」

「今回の放出の目的は、価格の安定と流通の円滑化と理解しています」

「そのとおりです」

「効果があったかどうかは、何を見ればわかりますか?」

担当者は少し間を置いた。

「価格の動向を注視しております」

「価格がいくらになれば、効果があったことになりますか」

「特定の価格水準を目標としているものではございません」

瑞希はメモを取った。

「では、目標は何ですか?」

「安定的な供給の確保です」

「安定というのは、どういう状態ですか」

「必要とされる方に、必要な量が行き渡っている状態です」

「行き渡ったかどうかは、どうやって測りますか?」

担当者は答えなかった。

しばらくして、言った。

「総合的に判断することになります」

瑞希は礼を言って、電話を切った。

その日の午後、瑞希は公表されている売り渡しの要領を最初から読んだ。

対象となる事業者の要件がある。

数量がある。

価格の算定方法がある。

販売の期限がある。

買い戻しの条件がある。

瑞希は最後まで読んで、もう一度、最初から読んだ。

二度読んで、ペンを置いた。

いつまでに、何がどうなっていれば、この放出は成功したことになるのか。

それが、どこにも書いていない。

瑞希はメモに三行書いた。

契約した量は、測っている。

渡した量も、測っている。

店に並んだ量は、測っていない。

書いてから、その下にもう一行足した。

効いたかどうかを判定する方法が、最初から無い。

8月19日に、瑞希は原稿を書いた。

連載は三回に分けた。

一回目は、精米工場。届かない玄米と、使われない包装資材。

二回目は、店頭。不定期の入荷と整理券。

三回目は、統計。契約数量と引渡数量の差。そして、店頭に並んだ量を示す数字が公表されていないこと。国が特定の価格水準を目標にしていないこと。

原稿を出す前に、瑞希は三回目の最後を三度書き直した。

一度目は、放出は失敗した、と書いた。

消した。

失敗したと書くには、成功の基準が要る。基準が無いのだから、失敗とも書けない。

二度目は、効果は限定的だった、と書いた。

これも消した。

限定的だったかどうかを、瑞希は測っていない。誰も測っていない。

三度目に、瑞希はこう書いた。

効果を測る指標が、そもそも定められていない。

そのまま出した。

連載は、8月21日から3日続けて載った。

一回目の見出しを、整理部はこう付けた。

「使われぬ袋22万枚 備蓄米、工場に届かず」

写真は、段ボールを下から見上げたものが使われた。

8月22日の午前、横山が瑞希の席に来た。

「片岡」

「はい」

「昨日の、写真ええな」

「ありがとうございます」

「あの袋、ほんまに全部無駄になるがか」

「産年が刷ってあります」

「ほんなら、無駄やね」

横山は椅子の背に手を置いた。

「片岡。三回目な」

「はい」

「あれ、締めが弱い」

瑞希は横山を見た。

「弱いですか」

「指標が無い、で終わっちゅうやろ」

「はい」

「読者は、ほんで、どうながや、と思う」

瑞希は少し黙った。

「デスク」

「なに」

「指標が無いというのは、誰も嘘をついていないということです」

横山は瑞希を見た。

「どういうことな」

「効いたと言う人も、効いてないと言う人も、根拠を出せません」と、瑞希が言った。「出せる根拠が、作られていないからです」

横山は腕を組んだ。

「それ、記事に書いたか」

「書きました」

「そこや。そこを頭に持ってこないかん」

横山はそう言って、自分の席に戻っていった。

瑞希はウェブ版の閲覧数を開いた。

一回目は、それなりに読まれていた。写真が効いている。

二回目は、その半分だった。

三回目は、二回目のさらに半分だった。

瑞希は画面を閉じた。

その日の夜、瑞希は10時過ぎに家へ帰った。

コートは要らない季節になっている。

台所で麦茶を出して、コップに注いだ。

注ぎながら、流しの下の扉を見た。

しゃがんで、開けた。

鍋と、洗剤と、ごみ袋。

その奥に、5キロの袋が横になっている。

瑞希はそれを引き出した。

袋の裏を見た。

精米年月日の欄に、去年の8月の日付が入っている。

瑞希は袋を床に立てた。

しばらく、そのまま見ていた。

それから、鋏を取って、袋の口を切った。

米びつの蓋を開けて、空けた。

ざあ、という音がした。

粉のような匂いが立った。

瑞希は空になった袋を畳んで、ごみ袋に入れた。

米びつの蓋を閉めた。

閉めてから、計量カップで1合半を量って、研いだ。

炊飯器のスイッチを入れた。

台の上に、麦茶のコップが置いたままになっている。

瑞希はそれを飲んだ。

ぬるくなっていた。


第二十六章

2025年7月16日〜9月3日|高知・香長平野/市内のスーパー|公文晋作(生産者)

7月16日の朝6時に、公文晋作はコンバインを田に入れた。

今年の早期米は14ヘクタールある。去年より2ヘクタール多い。

増やした2ヘクタールのうち、2反は山中の休んでいた田だった。水が悪いと言われていたところで、6月に一度、水が抜けた。

公文はその2反を最後に回した。

刈り取りは、10日で終わった。

去年より2日多くかかった。面積が増えたからだ。

収量は、去年より上がった。

反当たり、8俵に届いた。去年が7俵ちょっとだった。

夜の気温が、去年ほど高くならなかった。

7月の下旬に、乾燥調製が済んだ分から順に出した。

概算金は、6月のうちに提示されていた。

30キロで、11,350円。

去年が1万円を少し超えたところだったから、そこからさらに上がっている。

山中が作業場に来て、その紙を見た。

「晋作さん」

「なんぞ」

「上がっちゅうやん」

「上がっちゅう」

「去年より、また上がった」

「そうやね」

山中はコンテナに腰かけた。

「増やしといて、よかったのう」

公文は伝票を揃えた。

「まあ、そうやね」

「来年も増やすか」

「それは、また考えよう」

8月に入って、業者が来た。

去年の同じ時期に来たのは、3社だった。秋までに、名刺は6枚になった。

今年、来たのは2社だった。

1社目は、7月の終わりに電話だけで、値段は言わなかった。話を聞かせてほしいと言って、それきり連絡が来ていない。

2社目が、樋口だった。

8月5日の午後に、白いミニバンが作業場の前に停まった。

樋口は去年と同じように、薄いグレーのシャツを着て降りてきた。

「公文さん。お世話になっております」

「暑いですね」

「暑いです」

二人は乾燥機の脇に立った。

樋口はノートを開いて、数字を言った。

概算金に、30キロで1,200円乗せた額だった。

去年と、同じ上乗せ幅だった。

公文はその数字を聞いて、少し間を置いた。

「樋口さん」

「はい」

「去年と同じですか」

「同じです」

「概算金が上がっちょりますけど」

「上がっています」

「その上に、去年と同じだけ乗せるがですか」

樋口は頷いた。

「乗せます」

公文はノートの数字を見た。

「ほかは、来んがです」

「来ませんか」

「去年は3社来ました。今年は、樋口さんだけです」

樋口はノートを持ったまま、少し動きを止めた。

「そうですか」

「なんでですかね」

樋口は答えなかった。

答えないまま、ノートを閉じた。

「公文さん。うちは、去年と同じだけ買わせてください」

「ありがとうございます」

樋口は頭を下げて、車に戻った。

白いミニバンが出ていくのを、公文は見送った。

8月9日の土曜、公文は里美に頼まれて、市内のスーパーへ行った。

洗剤と、麦茶のパックと、砂糖。

紙にそう書いてあった。

公文は日用品の売り場を回って、それからレジのほうへ歩いた。

歩く途中に、米の売り場があった。

公文は足を止めた。

平台に、5キロの袋が積んである。

いちばん手前が、高知県産の南国そだちだった。

値札を見た。

4,480円。

新米の札がついている。今年のものだ。

公文は袋を一つ持ち上げた。

裏を返して、表示の欄を読んだ。

産地、高知県。品種、南国そだち。産年、令和7年。

精米年月日は、3日前だった。

公文はそれを平台に戻した。

戻して、隣を見た。

隣に、別の袋が積んである。

袋に窓がない。表に、大きく字が入っている。

値札は、2,160円だった。

公文はその値札を、しばらく見ていた。

袋を一つ持ち上げて、裏を返した。

産年の欄に、令和3年産と印刷してある。

公文は袋を戻した。

戻して、二つの平台を見比べた。

高知の新米のほうは、積んである高さが変わっていない。

安いほうは、真ん中が低くなっている。

公文が見ているあいだに、女の客が二人来た。

一人は、カートを押したまま値札を見て、安いほうを取った。

もう一人は、両方の値札を見て、それから下段の2キロの袋を取った。

二人とも、南国そだちには手を伸ばさなかった。

公文は平台の前から離れて、レジへ行った。

洗剤と麦茶と砂糖を買って、駐車場に出た。

軽トラックに乗って、エンジンをかけた。

かけて、しばらく動かさなかった。

8月18日に、明神が作業場へ来た。

出荷の実績を確認するためだった。

公文は伝票の束を渡した。

明神はそれを1枚ずつ確認して、数字を控えた。

控え終わったところで、公文が言った。

「明神さん」

「はい」

「一つ、聞いてもええですか」

「どうぞ」

「うちの米は、どこの店に並びゆうがですか」

明神は伝票から顔を上げた。

「どこの、というのは」

「先週、市内の店で、南国そだちの袋を見ました」

「はい」

「あれは、うちのですか」

明神は少し間を置いた。

「わかりません」

公文は伝票の束を机に置いた。

「わからんですか」

「はい」

「なんでですか?」

明神は伝票を揃えた。

「うちから出た玄米は、連合会を通って、卸さんに渡ります。卸さんが精米して、袋に詰めます」

「はい」

「そのときに、同じ産地・同じ品種でも、いくつかのロットを合わせることがあります」

「合わせる」

「はい」

「ほんなら、あの袋の中に、うちの米が入っちゅうかもしれんし、入っちょらんかもしれんですね」

「そうなります」

公文は椅子に座り直した。

「明神さん」

「はい」

「作った者は、それを知る方法はないがですか」

明神は答えるのに、少し時間がかかった。

「契約で産地と生産者を指定したものであれば、追えます」

「うちのは」

「うちのは、そういう出し方をしていません」

「ずっと、そうですか」

「ずっと、そうです」

公文は頷いた。

頷いてから、聞いた。

「もう一つ、ええですか」

「はい」

「店に、4年前の米が並びよります」

「備蓄米ですね」

「2,160円でした」

「はい」

「うちの米は、4,480円でした」

明神は伝票を鞄に入れた。

「同じ棚に、並んでいましたか」

「隣です」

明神は鞄の口を閉じた。

閉じてから、何も言わなかった。

「明神さん」

「はい」

「あれは、どういうことながですか」

明神は公文を見た。

「安く売り渡された米が、安く売られています」

「うちのは」

「高く買われた米が、高く売られています」

「同じ米やのに」

明神は少し黙った。

「同じ米です」

それだけ言って、明神は立ち上がった。

8月の終わりに、公文は西内の家の前を通った。

軽トラックを停めて、庭から声をかけた。

西内が裏から出てきた。腰が去年より曲がって見えた。

「晋作さんか」

「刈り取り、終わりましたよ」

「そうか」

「西内さんとこも、済んじょります」

「知っちゅう」

西内は庭の隅に立った。

そこに、使わなくなった育苗箱が積んである。

「増やしたね」と、西内が言った。

「増やしました」

「穫れたね」

「穫れました。去年より、ようできました」

西内は頷いた。

「ほんで、どうなった」

公文は、言葉を探した。

「値は、上がっちょります」

「上がったか」

「上がりました」

西内はそれを聞いて、少し黙った。

「晋作さん」

「はい」

「店で、安いのが出よるらしいね」

「出よります」

「わしも、テレビで見た」

西内は育苗箱に手を置いた。

「あれは、なんぼな」

「5キロで、2,100円ほどです」

西内は手を置いたまま、動かなかった。

「うちのは」

「4,400円ほどです」

西内は、しばらく何も言わなかった。

「倍やね」と、西内が言った。

「倍です」

「どっちが、ほんまの値段な」

公文は答えなかった。

答えられなかった。

西内は手を離して、家のほうを向いた。

「まあ、気をつけや」

そう言って、裏へ入っていった。

9月3日の夕方、公文は家に帰った。

去年のこの日は、進発式に出ていた。今年も式はあったが、去年より人が少なかった。

風呂に入って、台所へ行った。

流しの横に、5キロの袋が置いてあった。

袋に窓がない。

公文はそれを持ち上げた。

裏を返して、表示の欄を見た。

令和3年産。

「里美」

台所の奥から、里美が出てきた。

「なに?」

「これ、どしたが」

「買うた」

「なんで買うが」

里美はエプロンで手を拭いた。

「安かったき」

「うちは、米あるろう」

「あるよ」

「あるがに、なんで買うが」

里美は袋を見た。

「2,000円やったき」

公文は袋を持ったまま、立っていた。

「一遍、食べてみたかったがよ」と、里美が言った。「病院の人らも、みんな買いよる」

公文は袋を流しの横に戻した。

戻して、米びつの蓋を開けた。

中に、今年の米が入っている。

自分の田から出て、乾燥機を通って、籾摺りをして、袋に詰めて、この家に置いた分だった。

公文は蓋を閉めた。

閉めて、流しの横の袋を見た。

二つが、同じ台所にある。

「晋作さん」と、里美が言った。

「なんぞ」

「怒っちゅう?」

公文は首を振った。

「怒っちょらん」

「ほんなら、なんで黙りゆうが」

公文は椅子を引いて、座った。

「なんで安いか、考えよった」

「安いには、理由があるろう」

「あるろうね」

「なんな?」

公文は答えなかった。

里美は「まあ、ええわ」と言って、鍋に水を入れた。

公文は台所の椅子に座ったまま、窓の外を見た。

日が落ちて、田が暗くなっている。

刈り取りの終わった田と、まだ刈っていない普通期の田が、並んでいる。


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